1898年 明治31年 教内二元化整風時代

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教内二元化整風時代」を確認しておく。「別章【明治31年お指図」。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


1898(明治31)年

【婦人会結成に付きお指図が下される】
 3.25日、増野いと(本部員増野正兵衛夫人)様の御身上願い。この時、婦人会結成につきお指図が下された。
 「事情はさあ女の道がある。皆な惣計(惣計とは、みんな、という意味)女の道あるなれど、女の道に男女とは言わん。この道どうも分からん。そこでよう聞き分け。惣計の中談示の台に出す。よう聞き分け。数々中ある。数々中ありて日々働いて居る。この中一つ理という。道によって古い新しの理がある。新しい中にも、古い中にも、どういう理もある。又古い段々の理もある。一時女、婦人会として始め掛け。これ人間が始め掛けたのやない。神が始めさしたのや。(中略)女研究、何ぼでもぢばという中に、これまでにも治まる理なくばどうもならん。刻限でも諭し、諭しにもよう/\という。婦人会始め掛け。始め掛けたらよう思案せにゃならん。道に艱難の道という、通りたる事情、婦人会というは何の為にするのや。義理でするやない。又人間の体裁でするやない。又世上に対してするやなし。婦人会というは、道始めて互い/\の諭し合いの道始めてやれ」。

 3.26日、お指図。
 「男女の隔てなく、一時に心澄み切りて通れば、男女の区別はない。(中略)よう始めた道聞き分け。この道始めたは男か女か。これから悟ればどんな事も分かる。(中略)婦人会たすけ一条の道、通りた道、万事見分けたら、感じは皆んなの心に湧くであろ」。

 この両日のお指図を通して、親神様の思し召しに添った婦人としての通り方を明らかにし、婦人会を創り出し、お互いお互いが諭し合い談じ合って心を納めていくことをお望みになられた。これが「婦人会の元一日」となり、12年後の明治43.1.28日、中山たまへ奥様が初代会長を芯として婦人会が創立されることになる。

 3.28日のお指図。
 「女であれど、公然思うての気休みの理と言えん。教会本部員という理は、これは一寸なろうまい/\。同様の心は内々の心にある。面々の胸にあろう」。
 「最初はじめ、どこから始まつたか、元もん型なき時からつけた理、重い理と云うか、軽い理と云うか、軽いと思うてはならん、理は強いもの」。

 3.30日、お指図。「増野いと身上願い」。
 「男女の隔てがないと云う理は重々の理に諭したる。この道、男だけで女は世界へ出さんのか。婦人会という、一日の日を以て研究さしてみよ。出けるか出けんかさしてみよ」。

 5.9日夜、お指図。
 「何も分からん、埋もれて了たる。神の理が埋もれて、理があるかないか。この理から分ける。真柱真柱、今は家内と云うやろう、今日は出ようと思へば出たがよい、休もう とおもへば休んでもよい。後は人衆という。伏せ込みと人衆という。この理が分からねば、何もならん」。

 5.17日、お指図。「本部内蔵の西手へ神饌所建築願い」。
 「こら理や、そら理やと人間勝手の理、神の道になき理を引き出すから治まらん、決まらん。そんな事では教えの理は説けやせんで」。
 さあさぁ尋ねる事情/\、あちらこちら/\差し掛け普請や/\。仮家々々と言うたる。仮家は借り家だけ。もうこれ何時持って行て直すやら分からんともいう。その心ばえで掛かりてくれ。何ぼ言うてもとんとどんならん。体裁の良い見てくれの良いようにと思う事は、どうも受け取る事出けん。こうせにゃ体裁の悪いというようではならん。何時持て行て直す事出来るというだけなら、許そ/\」。

 7.14日、お指図。 
 「たちや数えてみよ。皆な仮や建てに建てかへ今日はどこにも仮や仮や。ほんに成程という誠の誠の連れて通りた一人順序の理があるわい。差し詰まりた日あるわい/\。あった時にはどうするか。(中略) ようよう連れて通りた心察してみよ。順序になるかならんか。聞き分け一つの理から、心を合わせてこうであるといえば心の探り合い疑いはあろうまい。証拠現れて行けば間違いはあろうまい。裏かじや、表大工聞き分ければ神が守護、十二下りの止は大工、これさへ聞き分けたら苦労したいと云うてもでけんが神の守護、十二下りの止めは大工、裏かじや、表大工と云えばなんやろと云う。

 さあさあ言葉を台にして身の内入り込む 言葉を出す今日や昨日の理で言葉を出せるか出せんか聞き分け。どれだけの賢い者雇い入れたのやない、元を思へ。土の中に種をおぼりた話順序つけたる。(中略) 分かりて知っている者は知っているだけ知らん者に聞かしてやってくれ、一声だけでも年限の後にはこういう事があったと知らしてやってくれ。知らん者は無理もない。そこでむつかしき事云うのやない。何年あとわたしは そこまではしっている。それからあとはしらん事は順序席に尋ねてくれ。時々の理をもって順序諭す、諭せば分かる。これで分かれば 一つ一つ取りまとめてくれるがよい
」。
 「もう5年々の10年の間がある。10年の年限ありて元を聞き分けてくれる者がない。そこで10年口説き話をする」。
 「一寸(ちょっと)始めかけた時、どちらへ入り込むか、こちらへ入り込むか。入り込む者は沢山あったなれど、どうも一人の心に一つの理を結び込んだ。長い間なら聞いておる者も、見ておる者もあろう。又、中には聞いて居ん者もあろう。筆先にも出してある。元々の話聞いてなるほどの理と思うだけの者貰い受けた。親子諸共伏せ込んだ理、人間心人間の思惑には成ろうまい。誰にも遠慮気兼ねはない」。

 7.28日、お指図。
 「一時、そんならすぐ設けと云えば、勇むやろう。なれど元々通った理聞き分けてみよ。(中略) 今日の日、良き日ばかり、物見見物のような心ではいかん。(中略) 一時そんならと云うて許したら、年限の理が薄うなる。これが残念。(中略) これまでこうしたのに、許しない為、こうなったと云えば、一時心が治まろまい。一時細々の理、ほんの応法の理を持ってすれば、皆な心に道理と云う。一時、道理として許しおこう。許してやろう」。

 8.3日、「天理教別派独立運び方の願い」に対するお指図。
 「心さえ綺麗な心持って居れば、綺麗な道がつく。あちらこちらから、十分旨いこと云うて来る。旨いこと云うて来ても直に取らりゃらん。綺麗な道は急いてはいかん。急いては綺麗とは云えん。成って来るが綺麗なもの」。

【大本教開教】
 この頃、大本教が開教されている。出口直が、京都府綾部に金光教の布教所を作って筆先を出し始める。旧暦8.23日、上田喜三郎(後の出口王仁三郎)が出口直を訪ね、翌々日綾部を去る。

 9.30日、お指図。 
 「十年この方、つとめせにゃならん。つとめで開かにゃ開けん~。ならん~で暮れてしもうた。(中略) 年限十年少し前どうでもならん、こうでもならんから々暮れてしもうた。世上あちらこちら、一寸々にをい掛け、年限相応のもの、可哀想なから、この学び道を付けた。(中略) これから先長い々年限である」。
 「どういう筆を取る、こういう筆を取る。筆に記してくれにゃならん。言葉で諭してもならん。十分知らしたら、一つ一つ治めてくれにゃならん。筆に記したとてどうもならん。皆な勝手の理を拵える。何を思うても、この道神一条の道は、どんなことも立てゝ見せる。これからどんなことも神は大目に見て居る。神というもの、そんな小さい心でない。(中略) 知らんとも言えようまい。今日の日見て居る。神一条の道で神一条の言葉で出来たもの。早うから仕込んである。どんな事もこんな事も分からん事情又替わる。代の替わるようなもの。代替わり、根がどうも難しいてならん」。
 「何ぼ諭した神の指図、皆んなあちらへ映るこちらへ映る。勝手の悪い指図は埋もって、こんなことでは一分の日難しいなる。迫って来る。この迫って来るはどういう順序の理諭さりょうか。多くの中、楽しみ/\いう理が何からできたものであろう。容易ならん道、欲を離れて出てくる。何と思うて居る。日々改めて居る。種という理を以て話し掛け。種は元である。口上手、弁が達者やと云うても何もならん。日々取り扱い本部員本部員というは神が付けたものか。これ一つ改めてくれ。そういう理は人間の心で付けた道、世界は人間の道。この屋敷、人間の心で通ることできん。神の理それだけ難しい。何處へ行っても無理という理はない。神が理を治め掛けたる。世上どういう理以て、何でも彼でも治めて掛かる。この順序聞き分けてくれにゃならん。何處で真似をしたとてならん。何處で店を張ったとてどうもならん。元がないから。この屋敷、元なるぢばと言うたる。その元へ入り、神一条の理を持ってくれ。

 長い短い問い返やせと/\言うに、もう宜しいと言うから、神が退いてしもうた。それから会議/\言うたて、人間指図を拵え、取次見苦しい。ごもくだらけ。一寸/\日々積もれば山となる。この、山となったらどうするか、この順序聞き分けできねば、人間心通るだけ通りてみればよい。(中略) あの人面々頼り持ったなら、重々の理を楽しみ、理を積もり恐ろしや。たゞ一つの臺である。前々本部員/\と言うて居る。これも段々ある。本部員/\何人ある。本部員というものは、神から言うたのか。人間が言うたのであろ。人衆始め掛けと寄せてある。これから一つ考えてみよ。表並び/\高い低いも長い短いも分かるである/\。我がことしたことは、皆な人のことと思うたらあきゃせん。(中略) 何ぼ本部員第一の空に居た者である。下からならん/\。この理皆なそれぞれ散乱して心を計ってみよ。上に留まっても、足持って蹴ってしもたら、ころころと行ってしもうた。可哀そうなものや。それじゃから、本部員じゃという」。

 10.1日、お指図。
 「さあさあ本部員というは世上の理を言う。内心一つ、神一条の理、神の理から一つの理戴かにゃならん。これまでのところ幾重の日も、どうもならぬ事情もある」。
 「あの者賢い弁が達者と言うても、今日の日この采配でけやせん。年限の種があって理という。何名の本部員増えた。あれも一尺やら三寸やら五寸やら分からせん。(中略) 席を休まさすのや。何ぼ言うても聞き分け出けん。幾日休む。世上聞いて合点行かん。何であろうという。あれ潰そうか、倒かそうか、人間寄り合うて分からず、十日二十日休ます。席が始まらん。悪風の手伝いして居るようなものである」。
 「本部員と言うたる。教会の理、神一条の理とは言えん。世界の理、その中へ本部員数この一つの理鮮やか分からにゃならん。それぞれ中という。埋もれた者、新しいと思うたら、ころっと違う。道の理話し合うて、互い/\できるかできんか、皆んなこれだけ何ぼ言うてもどうもならん。とんとどうもならん。これまでのところ見分けてくれよ、聞き分けてくれよ、と言うてあっても、聞き分けくれん。働く者清水なら、神が働くことできよう」。
 「さあさあ本部員という、一つの理、あらあらの理、これまでの理通り来る。本部員の中でも人間心 おいらがこうと言うたらこう。相談の理、いろ々都合、後一つ埋もれた者引き出し、埋もれてある者、新しい者はない。取り扱い振りは同じ理分かってあろ。遠い所の道を歩んで下され。十分取り扱わにゃならん。理は一つ、同じことといえど、詰まる理同じこと、あちらこちら、どうも何人に聞いても同じ、一つの理に諭さにゃならん」。

 この年、橋本清と前川菊太郎が連署で、天理教会本部に金2千円を請求し、支払う。
 (道人の教勢、動勢)
 前川半三郎。教祖の弟。後に、久しく嫡子がなかった杏助の準養子となり、前川家の家督を相続。1898(明治31)年、出直し(享年84歳)。

 (当時の国内社会事情)

  (宗教界の動き)
 教派神道・仏教教師神社での布教を禁止。社寺・仏堂拝観料・寄付募集規制。内村鑑三「東京独立雑誌」創刊。日本聖公会京都教区設置。

 (当時の対外事情)
 

 (当時の海外事情)





(私論.私見)