本部は、対応の為、本部員の増野正兵衛と桝井伊三郎の2名を飯田家へ派遣し岩治郎の胸調べをした。
6.3日、お指図。「安堵村飯田岩次郎事情願い(事情は神様下がると言うに付き将来治め方に付き願い)(飯田岩治郎の神がかり問題に対する事情願いお指図)。
概要「指図事情、これだけの事なら、それだけの事なら、と日々送り、指図事情皆な埋れている。よう聞き分け。まあ内々に一つ事情、時々の話、時々の事情、刻限事情、段々これまで幾重話しある。ほんの十のものなら九つまで埋れて、後一つはっちゃ守る事でけん。(中略)人足という、あちらこちら古い事情にて、あちらへちょい/\しておいた。前々の道と、道と/\の理を聞き分け。聞き分けにゃ分からん。話、あちらこちらちょい/\聞いて居る。聞いて居る中に、一寸何才なる者が、この者いつ/\まで貰い受けたる中に、そのまま捨ておいたる。これ分かるか分からんか。所々で一寸/\言葉下ろしてある。すっかり貰い受けたる事情聞き分け。事情皆な埋れたる。年限経つ、見て居るようなもの。(中略) これまで危ないところ、どうなりこうなり連れて通りゃこそ、通れる。時節で通れるのやない。時節で通れると思うは、心間違うてあるのやで。(中略) まあ道理から、元々は面々が物ありた事人に手渡したようなもの。(中略 「渡したようなものや、渡したようなものやと、それはどういうもの。ほのかの事情にて、人足社と云うて来ている。(中略) あちら神が下がり、こちら神が下がりて、どこから皆ほんとに分かり難ない。どんなこと云うたやら、一時堪えられんようなこと云うたるそうな。どこから云う。聞き分け聞き分け。人足社と云う、あちらこちら古い事情にて、あちらへちょいちょいしておいた。前々の道と道と道との理を聞き分け、聞き分けにゃ分からん。この道三十年二十年後、道理聞き分け。その時、我がものと云うは生涯我がもの。(中略)一時、間違う道理、よう聞き分け。何処に、どういう事授けた、こういう事授けた。それは修理して、作り上げてこそ、我がものである」。 |
この頃の飯田岩治郎のお筆先は次のように記している。
「元なるの鏡屋敷の鏡にて、曇りに曇り重なりてある。この曇りどうして晴らすことならば、鏡屋敷に火の雨が降る。月日には残念に残念重なれば、何をするやらこれ分からんで。月日には人足連れて出たならば、どんなことを話すやしれんで。この話し人間業と思うなよ。皆な月読みの神であるぞや」。 |
「この世うに二ツなき水屋敷。元なるものはなんと思うや。早く心定めがついたなら、すぐに見えるで確かなること。これからは大還道の話する。そばなる者は早く勇めよ。元なるの大還道というのはな、この屋敷よりつけることやで」。 |
7.1日、本部にて教師検定試験を行う。
7.3日、お指図。「飯田岩次郎事情に関するお指図」。
次に明治30.7.3の「おさしづ」の大意は、1)20年30年以前の針ケ別所・助造事情に際して教祖が示されたひながたを思案してみよ。2)「一も取らず二も取らず、所々にあちらにどうや、こちらにどうや、一つも治まりてあるか。よく見てみよ。内々談示付けて、万事事情にしっかり取り締まらにゃいかんで」というお言葉が出ているが、「一も取らず二も取らず」という一節をどう悟るかにキーポイントがある。これまで道を通った効能の理が無駄になってしまうという意味にも取れるし、「どっちもどっち」と解釈することもできる。
7.14日、お指図。「飯田岩次郎事情に関するお指図」。
「最初の始まりの理と直ちにどうと言わん。この元という理、元というはほんのちょいと出て話して、年限初め萬分の一から、成らん理から始め掛けたる。何處にどういう事がある。彼處にこういう事がある。存命中に言うたる。世界道理の理に一つ成るか成らんか。これから考えば分かる。害になると言えば害になる、邪魔になると言えば邪魔になる。これ聞き分け。ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの雛形を拵え。今一時、影だけのもの言うて居るだけでならんから、萬分の一を以て、世界ほんの一寸細道をつけ掛けた。どちらやらこちらやらという理は言うまでのものや。どうこうというは、大体の理に分かるもの。ほんの何も知らぬ者寄って言うのや。尽くした理は何時失わんならんや知れん。一も取らず二も取らずという事は前々に知らしてある。天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみないから、一時道を始め付けたる。神一条の道からは萬分の一の道を付けたのやで。それから聞き分けば、邪魔になるものは邪魔になる。害になるものは害になる。言うわいでも分かった話や。(中略) さあさぁ名称/\のところ、事情話すところ、変わりたるやなあ。話すところどうも一時すっきりとして了(しま)えば、言うまでの事情や。案じて居れ ば切りがない。よう皆々思案してみよ。一所崩(くず)れたら、何処まで崩れるとも
分からん。一とこ崩れたら何処まで崩すやら分からん。しっかり治め/\。言うて治ま らんにゃどうもならんやろう、と言うても、要(い)らんと言うやどうもならん。ほのかの理から治まりたるところ、どちらやらこちらやら今一時の道という。思うか思わん
か、よう思案してみよ」。 |
「悪い中にたんのうおさめられん、道理と云う、ならん中たんのう、治められんところから治めるは真実まことと云う。前生因縁のさんげとも云う」。 |
8.2日、お指図。「飯田岩次郎事情に関するお指図」。
「どちらの理もあろう。何処の理を諭してやるのやあろうまい。始め掛けたる理を伝うたる。取り損ないありてはならん。無理にどうせいとは云わん。人間と云う面々の理で思い違いすればどうにもならん。(中略)一も取らず二も取らず、面々心を出したら、皆な根を忘れてしまうも同じこと。珍しいことと思えば、一時は通れるやろう。なれど教祖の理を聞き分け」。 |
「水屋敷と言うた事はない。人に授けたる」。 |
こうして、本席のお指図と飯田岩治郎のお筆先が噛み合わないまま応酬が続き、本部の重鎮クラスの梅谷四郎兵衛、山澤為造、松村吉太郎、平野楢蔵らによる飯田岩治郎説得が続いたがが水屋敷の動きを留めることができなかった。 |