出居清太郎/修養団捧誠会考

 (最新見直し2015.12.07日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2015.12.07日 れんだいこ拝


【出居清太郎(いでい せいたろう、1899~1983)履歴】
 1899(明治32)年12月3日 、栃木県佐野市高萩の貧しい農家に生まれた。

 17才の時に上京し、病気を癒されたことから天理教にひかれ入信する。
 天理教の分派であるほんみちに所属するようになる。
 1922(大正11)年以来、神理研究会、親和会、東光会などの修養団体を結成して、会員の指導、育成にあたった。
 1941(昭和16)年6月21日、財団法人修養団捧誠会を結成、総裁に就任。
 1947年12月15日、宗教法人令に基づき宗教法人となる。
 1950年12月3日、現所在地に本部会館を建設。
 1952年12月3日、宗教法人法による認証を受け、宗教法人修養団捧誠会となる。
 1959年12月1日、本部平和郷が落成した。
 1977年10月10日、西伊豆達磨山に悠久世界平和郷が竣工。
 1983(昭和58)年8月23日、教祖昇天。夫人の菊のが継承し、第二代総裁に就任した。
 教祖・出居清太郎が天啓によって得た「いのりのことば」、「神法」を教理の根本とし、「綱領」を実践の根本とする。すべての人が真に虚心坦懐、現在の環境に捧誠感謝の自覚を得、天地自然の法則によって生ずる大極を神として崇敬し、心身一切の生活をあげて、つねに神虜に合一するように修養実践し、社会道義の確立高揚に努め、もって平和世界の顕現に貢献せんとするものである。
 「出居清太郎を廻って」。
 「出居清太郎先生はとても一教団の教祖として収まっている人物ではない。 皆が学ぶべき優れた霊人だった。吉田茂とも大磯で昭和33年11月7 日にあってい る。別に政治家に会った所でどうと云うことはないが吉田が評価していた事は事実である。吉田茂は日本の政治家のなかでチャーチルより優れていると浅野晃先 生はいっていた。出居清太郎のようなタイプは殆ど見当たらない。戦前何回も平和を訴えて捕まり刑務所にはいっている。私は講演を何回か聞きに本部に行っ た。日本語が言霊の言語であることを霊的にキャッチした彼の教えは音が波長として同音ならば通ずる意味がそこにあるという、特に日本語は其言霊が含まれて いる言語だということを霊的に解明してきた霊人である。日本語はそういう不思議な言語であることは言霊のさきはう国と昔から言われている所以である。出居 清太郎先生はそのことを霊的に示した日本で最初の人間である。日本語が将来霊的時代に霊を研究するのに一番ふさはしく、他の言語では分らぬ言霊と言ふ世界 により、霊とは何かを知る上で一番強力な言語であることを示した天才である。しかも神の声を取り次ぐということで何回も平和を訴えて捕まった人でもある。 他の教団は政府の弾圧を不敬罪とかで受けた迄で全然その様な積極的な人はいない。此処に彼の大物たる所以がある。確に大きい人物である。

 ②出居清太郎と日蓮聖人

 『あるとき私はある教団に呼ばれました。「お話をしてください」ということでしたから、喜んでまいりましたところがそれは口実であつて、一室にとじこめ ら れると忽ち3、4人の壮漢が現われ、殴る蹴るの暴力の嵐にまきこまれました。理由は「信者どろぼう」だというのです。そうしているうちに、こんどは抜きみ の日本刀をひっさげた壮漢が現われました。「いよいよ、ここで殺される…!」と思い、そしてまた「殺されてもよい」と覚悟がきまったとたんに、壮漢のふりあ げた日本刀が電灯の光をうけてピカリとひらめき──その瞬間に、竜の口の首の座になおられる日蓮聖人のお姿がすーっと目の前にみえ、私の口ーからおのずか ら、─えーほー……という大きな叫びがつづいて三たび飛びだし、刀をもっていた壮漢は電撃をうけたように、その場にバッタリと倒れてしまつたのであります。…このときとつさの間に聖人の霊との出会いになったのであります。…私の目に映った聖人のお姿は強く正しく、まことに毅然たるものでありました。それか ら、しばらくの間、この聖人の姿が目の前から消えません、そうして、日一日と、聖人へのあこがれが強くなるばかりでありました』(太極のひびきP19-21出居清太郎著)

 此処に日蓮聖人が教団とは関係なく日蓮を慕うひとを守っていることが示されている。慕う心は霊界に通ずるのだ。元々出居先生は日蓮聖人の生き方に学び自 ら もをその様な戦いをされ、日蓮崎で受けた天啓を政府に「謹告文」として提出するのです。その内容は全く正しい神の声である。その結果刑務所くらしになる が、その様な戦いを繰り返して、刑務所に行ったりきたりの人生を生きた人が、勇気のあるひとが居たことに、私は日本の伝統の中に日蓮の様な抵抗の精神、真 理の戦いに生きる、真理を述べることにより死をも辞さないと云ふ伝統があることを知るのである。吉田茂も捕まった事のある人だったから、出居清太郎との会 談は肝胆愛照すものだったろう。日本には叛逆のカリスマ・日蓮がいた。明治維新の時には吉田松陰がいた。日蓮聖人は出居清太郎の戦いを守護していた。私が 教団を調べる為行っていたころ、出居先生は5,6代前の過去世が直ぐ見えるそうだ、と言っていた。霊化の度合いが色々あるのである。分る範囲が違うのである。
  
  日蓮の俎岩に目をかせば日本の危機を教え示さる
  日蓮の足をとどめた俎はよろずの人の教科書なりけり

 ③出居清太郎の特異点

 出居清太郎は日本の誇りである。この方は日本で唯独り治安維持法の中に死刑が加えられた時に「謹告文」を出している。反戦平和を明確に打ち出した唯一の人である。そんな事をした人は居ない。「友よ、そういう叫びはよそう」とヘッセが平和を訴えたことが、彼の偉大さを示しているようにそう云ふ呼びかけをしたことが偉大なのである。誰もいない。出来ないことであった。クリスチャンの賀川豊彦も出来なかった。満州事変の続く時ガンディに会った賀川は聞いた。「わたしは、もしあなたがわたしの立場にいたら、どうされるだろ うか、それをうかがいしたい」。ガンディは言った。「自分の異端をはっきり述べ、そして撃たれるでしょう。あなたの 死をとおして日本を生かしめることを望みます。しかし、このためには内面的な信念がひつようです」。「しかし、友人たちがそれを思いとどまるように求めている」。「友だちのいうことを聞いてはならない。私が牢獄へ行く決意をしたときにも、同じような訴えがあった。私は友達の言う事を聞かなかった」。(ガンジーp212坂本徳松著、清水書院)

 賀川は何の発言も出来なかった。其れぐらい困難なことだった。皆どの教団も同じだった。そう云ふことを訴え刑務所に入った人は出居清太郎以外いない。宗教弾圧は皆不敬罪とかで潰されただけであり、出居清太郎のように発言したわけではなかった。此処に日本の良心があった。ロマン・ロランやヘッセが偉大だったように其れに劣らぬ人が日本に居た。獄死などが自慢なのではない。何故に捕まったのかが大事なのだ。「共産主義者」、「大本教」、「人の道教団」、「創価学会」への弾圧で多くの人が獄死した。此れは大体が不敬罪にあつた。刑務所に入ることに何の価値があろう。死んだことに何の価値があろう。兵士も自爆テロも特攻隊も殉教者も皆命を懸けている。任侠道でも命を皆捨てている。学生運動の時皆務所に入っていた。連合赤軍などは皆死んでいった。偉いと云っても其れは自由であるが、イエスは幸いなるかな、平和ならしむる者、その人は神の子と称へられんと言ったのだ。神の声である平和を命懸けで訴えたことに価値があるのだ。神の子、出居清太郎の気高い輝きはそこにある
」。

【出居清太郎の天理教入信考】

【宗教法人修養団捧誠会本部の基本的な教典】
 宗教法人 修養団捧誠会」。
 神法
  1. 大恩に報い、ひとの恩義を忘れず、終生の奉仕に誠心誠意の実行をはげむこと。
  2. 与えられた魂を無駄にしたり傷つけたりしないで、迷わずよごさないようにすること。
  3. 拝借した肉体の取り扱いをこわさないよう大切にし、無事無難に使わしていただくこと。
  4. み教えは私の意を用いてにごすことなく、尊び愛すること。
  5. 人と人とが和合すると同時に、与えられた天職に誠をささげてつとめること。
  6. 生成発展の万物と調和して愛護し、勤労を尊ぶこと。
  7. 罪悪をつくらず、己に厳にして他人を寛大に導き愛護すること。
  8. 年令男女を問わず、教えられたり教えたり、協力互助の実を示すこと。
  9. 万物に感謝の誠をささげ、とくに体内に働いている器官に感謝を忘れないようにすること。
  10. 心の持ち方使い方を、広くあたたかく正しく、己も持ち使い、ひとも持ち使うよう導くこと。

 修養団捧誠会綱領

  1. 神の子であることを自覚して、天地自然の法則を学び修め、正しく強く生きるよう心掛けること。
  2. 心の底から何事にも感謝の誠をささげ、艱難辛苦も神慮の試練として迎え喜びとする心構えを養うこと。
  3. 勤労の尊さを深く心に刻み、誠のわざを喜びはげみ、身心ともに健全に恵まれた生活をいとなむよう心掛けること。
  4. 家の長を敬い、幼を慈しみ、相互の理解に努め、明朗和楽の家庭をいとなむよう心掛けること。
  5. 言語動作を慎み、常によい言葉を使い、よい行いをするよう心掛けること。
  6. 常に広くあたたかい心で他人の言動を見聞し、自己反省の糧として、清く明るい心を失わぬよう心掛けること。
  7. 他人の富をうらやまず、徳をそねまず、不平を思わず、不満を言わず、己をむなしくして徳を積み、徳を及ぼすよう心掛けること。
  8. 常に心を低くし、ひとと争わず、よろずの人を尊重する心構えを養うこと。
  9. さかしまな心を起こさず、責任を重んじ、よろずのおきてを守り、社会人として信頼を得るよう心掛けること。
  10. 心に迷いあるときはただちに長上の教えを受け、真心をもってその指導に従い、常に確固不動の精神を養うよう心掛けること。
 典範
第1条  本会の趣旨は、教祖出居清太郎先生が、天稟の資質と不撓の研修積徳とにより、神の啓示として享受したるいのりの詞、ならびにこれに基づき提唱せし捧誠会綱領を教義の根本とし、万人が真に虚心坦懐、現在の環境に捧誠感謝の自覚を得、運行の健やかにしてやむことなき天地自然の法則のよって生ずる大極を神として崇敬し、心身一切の生活を挙げて、つねに神慮に合一するがごとく修養実践し、社会道義の確立高揚に努め、もって平和世界の顕現に貢献せんことを希求するにあり。
第2条  本会は、前条の趣旨に従い、会員各自が、日月星辰の慈光を仰ぎ、四季の循環、晴曇風雨霜雪震雷の精気を受け、人類草木禽獣虫魚の生態おのおの適所を得、生成発展の永劫に調和し、無窮に違逆せざる幽玄微妙にして確固不動なる天地自然の法則のもと、いま現に神の赤子として生を受くるの恩寵に感謝し、終生の奉仕に誠心誠意の実行を励むをもって人の人たるの道なりとなす教義の信仰に徹し、全心全霊を傾注し、環境に順応して謙虚遜譲、森羅万象流転の理、聖賢先哲の垂訓、祖先の遺戒をはじめ接触伝聞する他人の言動をも、人種国籍信教等によりて隔壁せず、すべてを天示の範例として畏敬反省し、知行合一、もって心奥深くつねに神の鎮座を拝し、機に臨み事に当たり、とくに意を用いずしてその行うところことごとく神慮にかない、社会人として物心ともに満足せる安心立命の境遇に達せんことをもって願望とす。
第3条  本会は、教義の指導に関し、いたずらに礼拝・祈祷等の形式に拘泥することなく、もっぱら前条の方針にのっとり、会員各自が我執と貪婪とを清祓し、形而上下の合理性を尊重し、邪論邪説に基づく迷信を打破し、卑俗なる奇跡の存在を否定し、純真無垢にして動揺転倒することなき天来清浄なる心境の発見を工夫体得し、有為転変停止することなき環境に処して、つねに健康にして温容闊達なる人格の完成、円満にして明朗和楽なる家庭の建設、協力互助に基づく健全なる社会の構成、悠久なる平和世界の顕現に精進せんことにその重点をおく。
 お問合せ
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 E-mail info@hoseikai.or.jp

 宗教法人 修養団捧誠会 本部

 所在地 〒170-0011 東京都豊島区池袋本町3丁目11-1
 交通 池袋から東武東上線各駅停車で2つ目「下板橋」から徒歩7分。
 (車の場合) 首都高「東池袋」「北池袋」から川越街道経由約10分。

 教団本部は池袋に、聖地が伊豆半島の達磨山、栃木県佐野市に置かれている。新日本宗教団体連合会に加盟している。





(私論.私見)