谷岡宇治郎娘・ならむめ

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.20日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.11.30日 れんだいこ拝


【谷岡宇治郎履歴】
 苣原村の人。
 大正12年、出直し(享年**歳)。

 苣原村の人。
 明治18年、娘。ならむめの身上を助けられて入信。
 匂い掛け、お助けに励み、後にお屋敷へ引き寄せられ、大裏でつとめた。
 大正12年、出直し(享年**歳)。

【谷岡宇治郎逸話】
 166「身上にしるしを」。
 明治18年10月、苣原村(註、おぢばから東へ約1里)の谷岡宇治郎の娘ならむめ(註、当時8才)は、栗を取りに行って、木から飛び降りたところ、足を挫いた。それがキッカケとなってリュウマチとなり、疼き通して三日三晩泣き続けた。医者の手当てもし、近所で拝み祈祷もしてもらったが、どうしても治らず、痛みは激しくなる一方であった。その時、同村の松浦おみつから、にをいがかかり、「お燈明を種油で小皿に上げて、おぢばの方に向かって、『何卒このお光りのしめります(註、消える)までに、痛みを止めて下され。』と、お願いするように」と教えられた。早速、教えられた通り、お燈明を上げて、「助けて頂いたら、孫子に伝えて信心させて頂きます。」と、堅く心に誓い、一心にお願いすると、それまで泣き叫んで手に負えなかった手足の疼きは、忽ちにして御守護頂いた。余りの嬉しさに、お礼詣りということになって、宇治郎が娘のならむめを背負って、初めてお屋敷へ帰らせて頂いた。辻忠作の取次ぎで、宇治郎は、教祖に直き直きお目にかかって、救けて頂いたお礼を申し上げた。それから間もなく、今度は宇治郎が胸を患ってやせ細り、見るも哀れな姿となった。それで、お屋敷に帰らせて頂いて、教祖にお目通りさせて頂いたら、「身上にしるしをつけて引き寄せた」とのお言葉で、早速着物を着替えて来るようにとの事であった。翌日、服装を改めて参拝させて頂いたところ、結構にさづけの理を頂いた。そして、さすがに不治とまで言われた胸の患いも、間もなく御守護頂いた。感激した宇治郎は、その後、山里の家々をあちこちとおたすけに歩かせて頂き、やがて、教祖御在世当時から、苣原村を引き揚げてお屋敷に寄せて頂き、大裏で御用を勤めさせて頂くようになった。

【谷岡ならむめ履歴】
 明治11年、生れる。
 昭和35年、出直し(享年83歳)。
 明治18年、リウマチを助けられて入信。親と共にお屋敷へ引き寄せられ、後に本部婦人を務めた。





(私論.私見)