佐治登喜治良

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「佐治登喜治良」を確認しておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【佐治登喜治良(さじ ときじろう)履歴】
 文久元年、神保村(滋賀県甲賀郡甲賀町)生まれ。
 昭和3年、出直し(享年79歳)。

 文久元年、神保村(滋賀県甲賀郡甲賀町)生まれ。
 明治17年、軍隊の行軍中、教祖を拝する。
 明治19年、教えに感じ入信。以後熱心に布教。
 明治24年、湖東教会を設立、初代会長。
 明治41年、正隆と改名。藤橋光治良(水口初代会長)は実兄。
 昭和3年、出直し(享年79歳)。

【佐治登喜治良逸話】
 教祖伝逸話篇146「御苦労さん」。
 明治17年春、佐治登喜治良は、当時23才であったが、大阪鎮台の歩兵第9聯隊第1大隊第3中隊に入隊中、大和地方へ行軍して、奈良市今御門町の桝屋という旅館に宿営した。この時、宿の離れに人の出入りがあり、宿の亭主から、「あのお方が、庄屋敷の生神様や。」とて、赤衣を召された教祖を指し示して教えられ、お道の話を聞かされた。やがて教祖が、登喜治良の立っている直ぐ傍をお通りになった時、佐治は言い知れぬ感動に打たれて、丁重に頭を下げて御辞儀したところ、教祖は、静かに会釈を返され、「御苦労さん」と、お声をかけて下された。佐治は、教祖を拝した瞬間、得も言われぬ崇高な念に打たれ、お声を聞いた一瞬、神々しい中にも慕わしく懐かしく、ついて行きたいような気がした。後年、佐治が、いつも人々に語っていた話に、「私は、その時、このお道を通る心を定めた。事情の悩みも身上の患いもないのに、入信したのは、全くその時の深い感銘からである」と。




(私論.私見)