西田伊三郎コト

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.11.30日 れんだいこ拝


【西田伊三郎(にしだ いさぶろう)】
 1826(文政9)年、大和国添上郡櫟枝村(現・奈良県大和郡山市櫟枝町)生まれ。
 1894(明治27)年7.29日、出直し(享年69才)。
 1826(文政9)年、大和国添上郡櫟枝村(現・奈良県大和郡山市櫟枝町)生まれ
 1861(文久元)年、妻コトの歯の病から入信。慶応元年頃からお屋敷に勤め、農事手伝いや米つきひのきしんに励む。

【西田伊三郎コト逸話】
 稿本天理教教祖伝逸話篇8「一寸身上に」。
 文久元年、西田コトは、五月六日の日に、歯が痛いので、千束の稲荷さんへ詣ろうと思って家を出た。千束なら斜めに北へ行かねばならぬのに、何気なく東の方へ行くと、別所の奥田という家へ嫁入っている同年輩の人に、道路上でパッタリと出会った。そこで、どこへ行きなさるという話から、庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆な救けて下さるという事を聞き、早速お詣りした。すると、夕方であったが、教祖は、『よう帰って来たな。待っていたで』と仰せられ、更に、『一寸身上に知らせた』とて、神様のお話をお聞かせ下され、ハッタイ粉の御供を下された。お話を承って家へかえる頃には、歯痛はもう全く治っていた。が、そのまま四、五日詣らずにいると、今度は目が悪くなって来た。激しく疼いて来たのである。それで、早速お詣りして伺うと、『身上に知らせたのやで』とて、有難いお話をだんだんと聞かせて頂き、拝んで頂くと、かえる頃には治っていた。それから、三日間程、弁当持ちでお屋敷のお掃除に通わせて頂いた。こうして信心させて頂くようになった。この年コトは三十二才であった。





(私論.私見)