中山重吉&コヨシ

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「中山重吉&コヨシ」を確認しておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【中山重吉(なかやま じゅうきち)】(「天理教人名辞典 中山重吉 なかやまじゅうきち」参照)
 教祖の長女まさの次男。まさは豊田村の福井治助に嫁いでいたが、明治11年2月16日に母まさと共に中山家に復籍(復縁)して分家を立てた。 まさの長男鶴太郎が福井を継ぎ、重吉が中山を継いだ。明治15年頃、中山家の近くで宿屋営業、初期の信者が多く寄宿した。諸国から帰ってくる信者の定宿となった。
 125「先が見えんのや」。
 中山コヨシが、夫重吉のお人好しを頼りなく思い、生家へかえろうと決心した途端、目が見えなくなった。それで、飯降おさとを通して伺うてもらうと、教祖は、「コヨシはなあ、先が見えんのや。そこを、よう諭してやっておくれ」と、お言葉を下された。これを承って、コヨシは、申し訳なさに、泣けるだけ泣いてお詫びした途端に、目が、又元通りハッキリ見えるようになった。




(私論.私見)