仲野秀信

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「仲野秀信」を確認しておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【仲野秀信(なかの ひでのぶ)履歴】
 1852(嘉永5)年、大和国添下郡小泉村(現・奈良県大和郡山市小泉町)生まれ。
 1923(大正12)年11.25日、出直し(享年72歳)。

 1852(嘉永5)年、大和国添下郡小泉村(現・奈良県大和郡山市小泉町)生まれ。
 元大和小泉藩の藩士。奈良と大阪の警察に奉職、柔術、剣術を教えた。
 1885(明治18)年、梶本松治郎に頼まれお屋敷へ足を運び眞之亮の柔剣術の指導に当たる。
 1886(明治19)年、教祖と力比べで神の存在を見せられ心を定め信仰する。
 1908(明治41)年、天理中学校開校時に柔道・剣術・体操の教師となる。
 1923(大正12)年11.25日、出直し(享年72歳)。

【仲野秀信逸話】
 教祖伝逸話篇174「そっちで力をゆるめたら」。
 もと大和小泉藩でお馬廻り役をしていた小泉村(大和郡山市樋泉町)の仲野秀信は、柔術や剣道にも相当腕に覚えがありました。或る日、秀信がおぢばへ帰って、教祖にお目にかかると、教祖は『仲野さん、あんたは世界で力強(ちからづよ)やと云われていなさるが、一つ、この手を放してごらん』と、仰せになって、仲野の両方の手をお握りになられた。秀信は、仰せられるままに、最初は少しずつ力を入れて、握られている自分の手を引いてみたが、なかなか離れない。そこで、今度は満身の力を両の手にこめて、気合いもろともヤッと引き離そうとした。しかし、御高齢の教祖はピクともしなかった。壮年だった秀信は、顔を真っ赤にして何とかして引離そうと何度もヤッもヤッと試みたが、教祖は依然としてニコニコなさっておられた。それのみか、驚いたことに、秀信が力を入れて引っ張れば引っ張るほど、段々自分の手首堅く握り締められて、遂には手首がちぎれるような痛みさえ覚えるようになった。さすがの秀信も、遂に堪えきれなくなって、どうも恐れ入りました、お話願いますと云うと、教祖は、『何も、謝らないでもよい。そっちで力をゆるめたら、神も力をゆるめる。そっちで力を入れたら、神も力を入れるのやで。この事は、今だけの事やない程に』と仰せになって、手をお放しになられた。




(私論.私見)