中川文吉

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「中川文吉」を確認しておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【中川文吉(なかがわ ぶんきち】
 嘉永元年、生まれ。
 大正7年、出直し(享年71歳)。
 嘉永元年、生まれ。
 明治12年、前田藤助(種市)の話を隣家の井筒梅治郎に伝え、藤助のお助けで井筒たねが御守護をいただく。同年、文吉も眼病を助けられて入信。
 明治32年、本津教会設立、初代会長。芦津部属。
 大正7年、出直し(享年71歳)。

【中川文吉逸話】
 75「これが天理や」。
 明治12年秋、大阪の本田に住む中川文吉が、突然眼病にかかり、失明せんばかりの重態となった。隣家に住む井筒梅治郎は、早速おたすけにかかり、三日三夜のうちに、鮮やかな御守護を頂いた。翌13年のある日、中川文吉は、お礼詣りにお屋敷へ帰らせて頂いた。教祖は、中川にお会いになって、「よう親里を尋ねて帰って来なされた。一つ、わしと腕の握り比べをしましょう」と、仰せになった。日頃力自慢で、素人相撲の一つもやっていた中川は、このお言葉に一寸苦笑を禁じ得なかったが、拒む訳にもいかず、逞ましい両腕を差し伸べた。すると、教祖は、静かに中川の左手首をお握りになり、中川の右手で、御自身の左手首を力限り握り締めるように、と仰せられた。そこで、中川は、仰せ通り、力一杯に教祖のお手首を握った。と、不思議な事には、反対に、自分の左手首が折れるかと思うばかりの痛さを感じたので、思わず、「堪忍して下さい」と、叫んだ。この時、教祖は、「何もビックリすることはないで。子供の方から力を入れて来たら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか」と、仰せられた。




(私論.私見)