諸井政一

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.20日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.11.30日 れんだいこ拝


【諸井政一(もろい せいいち)】
 1877(明治10).1.28日、諸井国三郎(山名大教会初代会長)の長男として出生。
 1903(明治36)年、出直し(享年27歳)。
 1877(明治10).1.28日、諸井国三郎(山名大教会初代会長)の長男として出生。
 12歳の時、父から「お道をやるならおぢばで給仕にして使ってもらう。商人になるなら横浜、官吏になるなら東京へやる。そのうち何れなりと一つ望み通りにしてやる」との言葉に、「お道をやらせていただきます」と答え、1888(明治21)年、おぢばに住み込む。
 15歳の頃、本部の給仕としての御用だけでなく、当時お屋敷に詰めておられた教祖の直弟子(辻忠作や高井猶吉ら)より聞いた話や、記録などを書き留め、後に遺稿集「正文遺韻」を世に遺した。
 16歳からは、初代真柱の下で専務の青年として勤めた。
 明治26年、本部青年会の先駆けとなる「一致幼年会」並びに「青年団結義会」を発会させ、明治31年に本部青年会が設立されてよりは世話役を務めた。
 24歳の頃より身上のため青年勤めは自由勤めとなり養生に入った。。
 1903(明治36)年、出直し(享年27歳)

 1937(昭和12)年、山名大教会が、山名大教会初代会長20年祭記念出版として「正文遺韻」を出版する。以来再版を繰り返している。これを確認すると、昭和22・23年『諸井政一集』〈前篇・後篇〉天理教道友社発行。昭和28年『改訂正文遺韻』天理教道友社発行。昭和45年『正文遺韻抄』。平成26年『改訂正文遺韻』山名大教会史料部。天理教における長期的なベストセラーとなっている。

 「正文遺韻」の内容は、教祖のみちすがら、教理文書、「おふでさき」、「みかぐらうた」の釈義、教祖の逸話、日記、その他にも数多くの記録が収録されてる。現在、「信者の栞」に掲載されている「親神様の御守護」、「かしもの・かりもの」、「八つのほこり」、「誠真実」は、「改訂正文遺韻」152頁の「教の理」を基にして作成されている。この「教の理」は、明治30年頃、御話の稽古として、当時、遠州に居た11才の妹、ろく子に書き送ったもので、故人が21才の時のものである。
 二代真柱は、「みちすがら外編」初版の序で次のように述べている。
 「教祖様の御伝記として完全なものとは云われないまでも、実に力強い快著」。
 「筆を執る人の少なかった頃、又四角な文体でなければ、文章と思われない空気の抜けきらない時代に、自分の信念により筆を執り、人々の口伝をそのままにまとめて、筋を立てた政一さんの“みちすがら外編”は、確かに教祖伝編纂史上に大きな足跡を印している」。





(私論.私見)