的場彦太郎

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.11.30日 れんだいこ拝


【的場彦太郎(まとば ひこたろう)履歴】
 嘉永6年生まれ。
 昭和14年、出直し(享年84歳)。

 嘉永6年生まれ。
 1871(明治4)年、教祖から盲目を助けられて入信。
 明治40年から大阪で布教。
 大正10年、教会設立、上之郷部属の城之(しろのり)教会初代会長。
 昭和14年、出直し(享年84歳)。

【的場彦太郎逸話】
 教祖伝逸話篇24「よう帰って来たなあ」。
 大和国仁興村の的場彦太郎は、声よしで、音頭取りが得意であった。盆踊りの頃ともなれば、長滝、苣原、笠などと、近在の村々までも出かけて行って、音頭櫓の上に立った。明治4年、19才の時、声の壁を破らなければ本当の声は出ない、と聞き、夜、横川の滝で「コーリャ コーリャ コーリャ」と、大声を張り上げた。昼は田で働いた上のことであったので、マムシの黒焼と黒豆と胡麻を、すって練ったものをなめて、精をつけながら頑張った。すると、3晩目のこと、突然目が見えなくなってしまった。ソコヒになったのである。長谷の観音へも跣足詣りの願をかけたが、一向利やくはなかった。それで、付添いの母親しかが、「足許へ来た白い鶏さえ見えぬのか」と、歎き悲しんだ。こうして三ヵ月余も経った時、にをいがかかった。「庄屋敷に、どんな病気でも救けて下さる神さんが出来たそうな。そんなぐらい直ぐに救けて下さるわ」という事である。それで、早速おぢばへ帰って、教祖にお目通りさせて頂いたところ、教祖は、ハッタイ粉の御供を3服下され、「よう帰って来たなあ。あんた、目が見えなんだら、この世暗がり同様や。神さんの仰っしゃる通りにさしてもろたら、きっと救けて下さるで」と、仰せになった。彦太郎は、「このままで越すことかないません。治して下さるのでしたら、どんな事でもさしてもらいます」とお答えした。すると。教祖は、「それやったら、一生、世界へ働かんと、神さんのお伴さしてもろうて、人救けに歩きなされ」と、仰せられた。「そんなら、そうさしてもらいます。」と彦太郎の答が、口から出るか出ないかのうちに、目が開き、日ならずして全快した。その喜びに、彦太郎は、日夜熱心に、にをいがけ・おたすけに励んだ。それから87才の晩年に到るまで、眼鏡なしで細かい字が読めるよう、お救け頂いたのである。





(私論.私見)