小松駒吉

更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.12.30日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.11.30日 れんだいこ拝


【小松駒吉(こまつ こまきち】
 1865(慶応元)年2.15日、大阪市南区瓦屋町(現・大阪市中央区瓦屋町)生まれ。 
 1934(昭和9)年2.13日、出直し(享年70歳)。

 1865(慶応元)年2.15日、大阪市南区瓦屋町(現・大阪市中央区瓦屋町)生まれ。 
 1882(明治15)年、コレラにかかり危篤のところを、泉田籐吉のお助けでご守護頂き入信。
 1883(明治16)年、泉田籐吉の天恵四番から独立し天恵五番(御津の前身)を結成、講元。お助けに奔走する。大工をしていたので「大工の講元さん」とも呼ばれていた。
 1887(明治20)年1月(陰暦正月7日)、教祖より赤衣を頂戴する。
 1887(明治20)年12月4日、本席よりおさづけを頂戴する。
 1891(明治24)年11月、御津支教会(現大教会)初代会長に就任する。
 1923(大正12)年、本部准員。
 1933(昭和8)年11月、本部員。
 1934(昭和9)年2.13日、出直し(享年70歳)。

【小松駒吉逸話】
 教祖伝逸話篇103「間違いのないように」。
 明治十五年七月、大阪在住の小松駒吉は、導いてもらった泉田藤吉に連れられて、お礼詣りに初めておぢばへ帰らせて頂いた。コレラの身上をお救け頂いて入信してから間のない頃である。教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、お手ずからお守りを下され、 続いて次の如く有難いお言葉を下された。「大阪のような繁華な所から、よう、このような草深い所へ来られた。年は十八、未だ若い。間違いのないように通りなさい。間違いさえなければ、末は何程結構になるや知れないで」と。駒吉は、このお言葉を自分の一生の守り言葉として、しっかり守って通ったのである。
 教祖に「幾つになられました」と尋ねられ、駒吉が「18歳でございます」と答えると、「若いなあ、若いなあ、若いなあ」、「つつしみなされや」と云われた。生き神様のお前に参じ、その上親しくお言葉をかけていただいたので、呆然としていたところ、取次人の山澤良次郎が、別室へ下がってから、「あんた、今、教祖から“慎みなはれや”と云われたが、慎みとは何のことや知っていますか」と尋ねられた。「いいえ分かりません」と答えると、「慎みというのはな、身の行いを慎むことです」と教えられた。

【お指図「小松駒吉講社大いにいづむにつき願い」】
 1888(明治21)年2.6日お指図「小松駒吉講社大いにいづむにつき願い」。
 多くの根もちゃんと埋りてある。旬がある。旬がなけら、芽も吹かん、と、面々の心では何でこうであろうあろうと思うやろう。(中略)誠の精神なら、埋りて置く根があれば芽が吹く。




(私論.私見)