平野辰次郎

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「平野辰次郎」を確認しておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【平野辰次郎(ひらの たつじろう】
 安政3年、生まれ。
 明治34年、出直し(享年46歳)。
 安政3年、生まれ。
 明治12年、親神様の不思議な助けに浴して入信。
 明治14年、堺朝日組講元。
 明治23年、堺を設立。初代会長。
 明治24年、日和佐を設立。初代会長。
 明治34年、出直し(享年46歳)。
 68「先は永いで」。

【平野辰次郎逸話】
 68「先は永いで」。
 堺の平野辰次郎は、明治7年、19才の頃から病弱となり、6年間、麩を常食として暮らしていた。ところが、明治12年、24才の時、山本多三郎からにをいがかかり、神様のお話を聞かして頂いたその日から、麩の常食をやめて、一時に鰯を30匹も食べられる、という不思議な御守護を頂いた。その喜びにおぢばへ帰り、蒸風呂にも入れて頂き、取次からお話を聞かせて頂き、家にかえってからは、早速、神様を祀らせて頂いて、熱心ににをいがけ・おたすけに励むようになった。こうして、度々おぢばへ帰らせて頂いているうちに、ある日、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖が、「堺の平野辰次郎というのは、おまえかえ」と、仰せになって、自分の手を差し出して、「私の手を握ってみなされ」と、仰せになるので、恐る恐る御手を握ると、「それだけの力かえ。もっと力を入れてみなされ」と、仰せになった。それで、力一杯握ったが、教祖が、それ以上の力で握り返されるので、全く恐れ入って、教祖の偉大さをしみじみと感銘した。その時、教祖は、「年はいくつか。ようついて来たなあ。先は永いで。どんな事があっても、愛想つかさず信心しなされ。先は結構やで」と、お言葉を下された。




(私論.私見)