1901年 明治34年 教校新築始まる

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教校新築始まる」を確認しておく。「別章【明治34年お指図】」。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


 1.19日のお指図。
 「道と言うたら末代と云う。又所に名称というは末代の理」。

 この意とするところは、末代かけて陽気暮らしの世界実現を期するこの道の、たすけ一条の拠点として、いついつまでも変わらぬ心でつとめ励むようにと心積もりで、それを誓うことにより各地の分教会を許すということにあった。教会の「元一日」の言葉となっている。これについて、教組の次のような御言葉が為されている。
 「一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで」(「稿本天理教教組伝逸話篇90」)。

 2..4日、お指図。
 「さあさぁ遠からず(往還の)道見える。遠からず(神一条の)理が分かる。遠からず分かる事知らずして、応法世界の理に押され/\、段々根気尽くし罪重ね、心一ぱい働き(をしても)、働き損になってはならんで。これをよう聞き分け。一日の日を以て尋ねた理の指図(を棚上げして)、(道が)栄えると思うか/\、栄えると思うか。さあさぁ栄えるか。栄えると思えば、大いに取損ない」。

 2.10日、お指図。  
 「日々のところまあ一つ裏という表という理である。(中略) 裏と表は抱き合わせ\/」。

 3.22日、お指図。
 「皆な面々通り良い道ばかり思案している。よう聞き分け。この道は容易な道やない。大くわん々危ない。細い道は怪我ないと諭したる。細い道は危ない、大くあんは何にも危ないないが道なれど、大くわん道は危ない。細い道は危ないとはどういうこと。よう聞き分け。これまで通って来たは、神が連れて通りて来た。楽をしては通れやせん。どうでもこうでも、どうなろう知らんと云うようなことはなく、明らか見えやせん。中に一つの理で、一筋の糸なら切りやせん。なれど、あちら結び、こちら結びては、何時どういうことになるやら分からん。細い糸でも一筋ほど堅いものはない。一筋の道やなくばならん。なれど、あちら結び、こちら結び、何ほど大きな綱でも、ほどけたらバラバラ。これ以って万事談示の元になる」。

 4.3日(陰暦2.15日)、お指図。「増野正兵衛及び春野たか身上の願い」。
 「年取れた者諭したる。こらどうでも成る。なれど、伯父甥という。親兄弟も同じ事、深い中。すれば遠く所からいんねん以て寄せる。たゞ面々若き/\だけ話し諭して、これまでと十分立て替えやろ。面々芯という同じ心以て子を親が始末して、又子が親を始末するが道理である。繋いでしてあるが、面々親子同様、何処へもするのやない、彼処へもするのやない。面々皆身に付く。たんのうして年取れたる者どうでもなる。この理分からん。年取れたる中、言葉優しくたんのうさすが台。又日々暮し方何も分からせん/\

 面々聞き取って又宅分けにゃならん/\。何よの事十分々々してやるがよい。大層言わず/\、面々同じ事や/\というは、神が守護すれば神が話する。神の話する事にどうやろかこうやろかではならん。しっかり同じ子供に同じ暮らし方する程にと面々も楽になる。面々言わず語らず働きて居る。同じ一つ心煩い/\、その心定めて、どうやこうやと、しっかり楽しみ付けてやるがよい」。

 4.16日、お指図。「教校新築に付四間に十八間教場二棟御許しの儀願い」。
 さあさぁ尋ねる事情/\、何よの事も尋ねにゃ分からん。さあさぁ子供仕込む所/\、道の上の理、さあさぁまあ子供仕込む所、一時のところ、成るよう行くようにしておくがよい。どれだけこれだけ仕切った事は要らん。無理にして、あちらも弱り、こちらも弱り、弱る事してはならん。そこで狭い所でも大事ない/\」。
 「この道の理、皆な治めにゃならん。こら狭いなあ々と云うことは今にもでる。一時は狭い。道立ててくればどんなところでも、こんなことぐらい、二つや三つ恐れる道やないで。これも聞かしておこう各席と云うて日々のところ、事情を運び、それぞれ満足与えるは教祖存命の理も同じ事」。
 「どうせいとも、こうせいとも云えん。叉うちやっておくにもいかん。叉どれだけ急いたていかん。もう行こうか、どうなる、もうどうなりとなりそうなものや。今度は今日で、これは何ぼの数とも分からん。(中略) 今度こそ云うもの、多分できてある/\。この心皆々治め順序思わにゃならん。こらなるとも、成らんとも分からん。(中略) 時と云う、旬と云う、天然と云う理なくばならん。成るというてもならん。叉成らんと云うても成る。どんな反対あってもなる。これはこれまで、あったやろう。(中略) 小さきものはじきになる。大き道この道理聞き分け、小さき真似しては小そうてならん」。

 5.15日、お指図。
 「席と云うて日々のところ、事情を運び、それぞれ満足与えるは、教祖存命の理も同じ事」。

 5.25日、お指図。
 「丸九年という/\。年々大晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来る者もなかった。頼りになる者なかった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりていようく随いて来てくれたと喜んだ日ある。これ放っておかるか、放っておけるか。それより万事委せると言うたる」。
 「神が入り込んで教祖教えたもの。その教祖の言葉は天の言葉や。どうやろこうやろうと、そこへ教祖入り込み、天より直ぐと映したのや」。
 「鏡屋敷なら鏡屋敷のように通らにゃ鏡屋敷と言えん」。

 5.29日、中西元治郎、星野伝七郎両名が、愛媛県代議士/武市庫太郎の紹介で衆議院議会に天理教の禁止解散の請願を退出し、請願事務所を芝区桜田町に置き、「同感の士に檄す」ビラを配布し一般人の署名捺印を求める運動を起こす。6.2日、天理教禁止解散請願が衆議院請願委員第一分科会に上程され、否決される。

 6.14日のお指図。
 「役員と云うたる本部員と云うたる。本部員は人間のつけたもの。臨時見習と云うて一寸といたる。本部員と云うは世上の理取ってつけたる。これ違うか、違わんか。違へば違うと云うて見よ、一寸路銀と云うて渡したる。誰と誰、本部員というて許したる、ゆるさしょまいがな。これ返答してみよ」。  

 「皆々相談してお願い出ますと申し上げ」たところ次の指図がなされた。
 「さあさあ違う違う。違えば違うと一言こたへるがよい々。さあさあ違う事々承知がでけにゃいふたらよい。遠慮はいらん、遠慮はさきになってかぜ(苦情)になる、道のくもりになる」。

 6.15日、天理教会教務取扱規則を制定し、神道管長の認可を得て実施する。
 6.17日、お指図。
 「人足社、どうでも始める。一寸初め、一寸気の間違い、何ぞ憑きものとも言う。一人容易で出来やせんで。年限通らにゃ出来やせんで」。

  6.27日、第2回一派独立請願書提出。教典は、文化人や宗教学者を動員して、4章27条になっていたのを10章に変更した。
 教団外の神道理論家や国学者の協力を仰いで応法主義教典の編纂に着手した。これを明治教典と云う。
 9.28日、お指図。「梅谷とみゑ修行のため世界へ奉公に暫時出す願」。
 「さあ/\尋ねる事情/\、さあ子供々々という。まあ何かの事もどういう事も世上の理はためになる。随分人の中へ出れば、上の事も下の事も分かる。理無くば添わん。たゞ親のねきに居たばかりでは、何も知らず/\、一つの理分からん。世上の理辛い理分かりてこそ、精神結んだる理も分かる。そこで事情いつ何時なりと心に委せよ/\/\」。

 11.8日、お指図。「小玉の身上戸籍に付き、今後一身如何やうに致さしてもらひしものや、最もお指図の手続もあれば一同心得まで願い」。
 「前川菊太郎自分の心から地場を去ったのでいう事ない、恨んではいかん、〝こたま〟の心次第、一人暮しでもかまわん、又再婚してもよい、にんの心次第」。

 11.21日、お指図。「一昨朝教校工事場出火致し、御詫びのため掛員始め本部員一同願い」。
 「さあさぁ誰がどうしようこうしよう独りできる。神の守護もなきものかなあと、中にそういう事も思う者もある。皆なこれ大難小難助けたる。子供のようの節あるも、惣々万事中の理、数々の理諭すれど角目言葉一つの理が第一である。道に一つの道、理に一つの理、道に理は一つ。二つはない。この一つ彼の一つの理を定め。どうこう流れなよ/\/\。さあさぁ流れなよ/\。この理は毎々諭したる。情に流るゝから出来たもの。この一つの理聞き分けてくれにゃならん。皆々心を定め。順序の理何たる事出来たと、一つ理一つ道よりないと、この一つの心を定めてくれ。もう掛かるところ尋ねるから、又先々の理まで諭しおこう。余儀なく理、情に流れた分にゃならん。情に流る事、いかなる心、先々思案。先々理を思案したら成り立つ。前々より心に指図なれど、どうもならん。さあさぁ一粒の種を蒔く日から、出来芽が吹くか。あちらへ肥差し、こちらへ肥差し、世話取りせにゃならん。世話なくして、肥なくして、修理なくして、実はなるものやない。人間心でどうしようこうしよう成るものか。日々の守護ありゃこそ年限の理。(中略) 皆々揃うて一日の日を楽しんで、これから理と道と指図よりないと、言葉一つ天の理と心勇んで/\」。

 (道人の教勢、動勢)
 5.13日、清水與之助が出直し(亨年60歳)。天保13年(1842)、近江国高島郡中野村(現・滋賀県高島郡安曇川町中野)生まれ。明治16年(1883)、兄・伊三郎の病に際し端田久吉(真明講社兵庫一号講元)ににをいをかけられ、初参拝。明治20年のおつとめでてをどりをつとめる。兵神分教会(現大教会)初代会長。


 (当時の国内社会事情)
 (田中正造履歴)
 1901(明治34)年、61歳の時、衆議院議員を辞職し、鉱毒事件を天皇に直訴する。

  (宗教界の動き)
 9.30日、靖国神社落成する。
 台湾神社創立官幣大社 開拓三神。→1944 天照大神 台湾神宮。
 国費で維持する官祭招魂社の105社が定められた。
 末日聖徒イエス・キリスト教会設立。日本ホーリネス教団設立。

 (当時の対外事情)
 

 (当時の海外事情)
 10月、シベリア鉄道がウラジオストクまで開通する。





(私論.私見)