1901年 | 明治34年 | 教校新築始まる |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.11日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「教校新築始まる」を確認しておく。「別章【明治34年お指図】」。 2007.11.30日 れんだいこ拝 |
1.19日のお指図。
この意とするところは、末代かけて陽気暮らしの世界実現を期するこの道の、たすけ一条の拠点として、いついつまでも変わらぬ心でつとめ励むようにと心積もりで、それを誓うことにより各地の分教会を許すということにあった。教会の「元一日」の言葉となっている。これについて、教組の次のような御言葉が為されている。
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2..4日、お指図。
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2.10日、お指図。
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3.22日、お指図。
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4.3日(陰暦2.15日)、お指図。「増野正兵衛及び春野たか身上の願い」。
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4.16日、お指図。「教校新築に付四間に十八間教場二棟御許しの儀願い」。
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5.15日、お指図。
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5.25日、お指図。
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5.29日、中西元治郎、星野伝七郎両名が、愛媛県代議士/武市庫太郎の紹介で衆議院議会に天理教の禁止解散の請願を退出し、請願事務所を芝区桜田町に置き、「同感の士に檄す」ビラを配布し一般人の署名捺印を求める運動を起こす。6.2日、天理教禁止解散請願が衆議院請願委員第一分科会に上程され、否決される。 |
6.14日のお指図。
「皆々相談してお願い出ますと申し上げ」たところ次の指図がなされた。
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6.17日、お指図。
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9.28日、お指図。「梅谷とみゑ修行のため世界へ奉公に暫時出す願」。
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11.8日、お指図。「小玉の身上戸籍に付き、今後一身如何やうに致さしてもらひしものや、最もお指図の手続もあれば一同心得まで願い」。
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11.21日、お指図。「一昨朝教校工事場出火致し、御詫びのため掛員始め本部員一同願い」。
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(道人の教勢、動勢) |
5.13日、清水與之助が出直し(亨年60歳)。天保13年(1842)、近江国高島郡中野村(現・滋賀県高島郡安曇川町中野)生まれ。明治16年(1883)、兄・伊三郎の病に際し端田久吉(真明講社兵庫一号講元)ににをいをかけられ、初参拝。明治20年のおつとめでてをどりをつとめる。兵神分教会(現大教会)初代会長。 |
(当時の国内社会事情) |
(田中正造履歴) |
1901(明治34)年、61歳の時、衆議院議員を辞職し、鉱毒事件を天皇に直訴する。 |
(宗教界の動き) |
9.30日、靖国神社落成する。 |
台湾神社創立官幣大社 開拓三神。→1944 天照大神 台湾神宮。 |
国費で維持する官祭招魂社の105社が定められた。 |
末日聖徒イエス・キリスト教会設立。日本ホーリネス教団設立。 |
(当時の対外事情) |
(当時の海外事情) |
10月、シベリア鉄道がウラジオストクまで開通する。 |
(私論.私見)