1893年 明治26年 支教会普請願い相次ぐ

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.8.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「1893(明治26)年、支教会普請願い相次ぐ」を確認しておく。「別章【明治26年お指図」。神一條(神一条) 資料2 」。 

 2007.11.30日 れんだいこ拝


1893(明治26)年

【、お指図】
 1.2日、お指図。「南海部内中紀支教会普請の処願い」。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ事情は速やか許し置こう。心おきのう掛かるがよい。速やか許し置くに、一つ理を諭しよ。何も立派な事要らん。何も飾りは要らん。さあ心おきのう速やか掛かるがよい」。

【、お指図】
 1.6日、お指図。「郡山部内津支教会普請の願い」。
 さあさぁ尋ねる事情/\、尋ねる事情は願通り許し置くが、よう聞き分け。どういう事するも、こういう事するも、世界体裁は要らん。普請望みは要らん。世界堅き一つ以て始め掛けると言う。これさしづしておこう」。

【、お指図】
 1.16日、お指図。「河原町部内湖東支教会新築の願い」。
 さあさぁ尋ねる事情/\、建家一条尋ねる処、理は速やか許し置こう。心だけの理を許し置くのやで。飾りは要らんで。これで楽しみ/\という心の事情」。

 地所買い求めの願い」。
 さあさぁ尋ねる事情、事情は談じ 、互い/\心の理を寄せてする事なら許し置こう、さあ許し置こう」。

【、お指図】
 1.21日、お指図。
 「一寸にいくやない、一寸にいくやうでは一寸の道といふ、だん/\海もこし、山もこし、ろくぢの道をつけるは一寸にはいかん」。

【、お指図】
 2.6日、お指図。
 これまで段々指図/\で日々の処、危ない処も怖い処も知らし、こうなる道も知らし、指図順序、危なき道を通りたか、よう思やんすれば分かるやろ。たヾ一言のさしづ柔らかなもの、指図に間違いはあろまい。心真実の理を見分けるなら、間違うた理はあろまい」。

【本席の妻おさとが出直し】
 3.18日、本席の妻おさとが出直し(亨年60歳)。本席61歳の還暦祝いをされる時に妻おさとが俄かにお障りとなり、この日の出直しとなった。植田英蔵「飯降伊蔵伝」は次のように記している。
 「おさとは元治元年流産後の患いを教祖に授けられて以来30年、神恩を忘れることなく教祖を慕い、明治15年からお屋敷に伏せこんだ後は、生活の困苦と官憲の迫害の中を道に尽くし、陰に陽に本席を助けて道の台としてつとめきった生涯であった」。

 真柱の推挙で、増井りんが本席の守り役に任命された。

【、お指図】
 3.18日のお指図。
 わしは何時どこへ出帰るかは知れん。北の方へか、南の方へか。どちらへ出るやら、そこは未だ分からん。なれど、十二月二十日に生まれると日を切っておく。これだけ知らしおく。**に裏と表という理を楽しんで来た。(中略) 神一条指図一条、一つ治めにゃならん。(中略) もう又段々戻りて来る。十日の日一日で十分治めさす。(中略) 明らか道ついたら明らか道通らにゃならん。この道話してくれにゃなろうまい。(中略) これまで指図してある。失うて了えばどうもならん。何年後にこうこう映してある。紙を調べて見よ。皆な分かる」。
 *おさとの遺言で、「十二月十日が二十日に書き換えられている」とのこと。「明治27.11.17日のお指図」に関係してくる。

【、お指図】
 3.19日、お指図。
 「さあさぁ刻限々々、刻限遅れると皆遅れる。どきはきの道を通らにゃならん。さあさぁ一時々々心の理によって理が外れる。一つ/\十分聞き取れ。一度の話は二度はせん。刻限は間違わんで。くどう/\説いてある。これからは案じる事はない。刻限聞き遁(の)がし、見遁(の)がし、悟りと言う。悟りは言わん。刻限よいように悟ってならん」。

【、お指図】
 5.11日、お指図。
 「天然自然というところ成程と云う。面々承知して居れば、どんな慎みもできる。これよう聞き分けておかにゃならん」。

【、お指図】
 6.13日、神殿普請のお指図願い。
 「天然というは、縄を張って何間何尺定めたるようなもの」。

 7.12日夜、お指図。「中山会長(初代真柱)の御身上の願い」。
 「尋ねば指図。指図はこれまでいかなる事情、これまで指図、指図と言うたら言葉一つ。第一言葉ひとつの理が第一。(中略) 指図一寸も間違いあらせんで。間違いは/\間違いと思う理がこれ間違うてある。 内には真柱/\という。これまでない事ばかり始め掛けた。それぞれ筆に留めたる。色々の道も通ったやろ。すれば一日の日成程の日は見たであろ。よう聞き分け。又言葉諭すは入り込んでの諭、存命一つの理に諭する。皆聞いて居る。指図十をば十ながらきっしりしたるものなれど、聞きよう取りようで間違う。これ聞き分け。暑い時分も寒い時も皆同じ事。暑い時には暑い、寒い時分には寒い事知らす。よう聞き分け。これから一戸の思案持たず、よう指図こういう指図、そんなら直ぐと受け取る」。

【明治26年9月1日お指図】 
 9月1日、京都の羽根田文明なるもの「天輪王弁妄」と題する小冊子を著述し攻撃せしにより、反駁して宜しきや、又訴訟にても起こして宜しきや伺い。
 さあさぁ尋ねる処/\、いかなる事も皆これまでどういう事も諭したる。何時どういう事言い掛ける。始め掛ける。前々諭したる。一時尋ねる処、どういう事と思う。何も構わせん/\。よう聞き分け。何とかしたらどうかなろうか。相手を見て居るようなもの。今の一時世界の道を通したる。一時治める。これまで一寸振れたる。そこで通りたる理を心に治め。何を言うても聞いても今日の日が実際とさえ言うて居ればよい。これまでどういう事も聞かす。どうもならんから、世上の道を通したる。相手一つの理もなきもの。言う事も聞かず、どうもならんから世上の道を通したる。往還道、どんな邪魔があるとも知れん。何にも案じる事要らん。皆な心に治めてくれ。

 暫くして御諭し下され。
 どんな事目論でも何にもならん。善い事目論めば善い理が回る、悪い事目論めば悪い理が回る。この道賢い者からできた道やない。これから一つ定めてくれるがよい。

【お指図】
 10.5日、お指図。
 夜昼の理がわからにや修行に出て行くがよい、此やしきには五十そこ/\の年をとりてゐれど、それだけのあほはないぞ。

 「夜の道」、「昼の道」については、諸井政一が「正文遺韻」の中で次のように述べている。
 夜昼(よるひる)分からんやうではなにも分からんといふ。それ夜の道といへば暗いであろう。昼の道といへば明るいであろう。その明るい道を暗いと思ふて、つまづくかしらん、ふみかぶるかしらんと、案じてゐてはどうも道を通るに通られん。それ心からとてふみかぶつたりせんならん。夜の悪い道を通りながら、暗いと思はず、気をつけずにゐたことなら、どうであらう。何につまづくとも、つき当たるとも分からうまい。そこで道をきいても、聞き分けなかつたら、ちようど、夜の道と昼の道と分からんやうなものや。

【、お指図】
 10.17日、おたすけと医薬に付きお指図。
 「薬を以て治してやろうと云うやない。脈をとりて助けるやない。医者の手余りを助けるが台という。病人を放って置いてはならん。ここらにはそういう者はあろうまいなれど、もし千に一つでもありては道の疵(きず)、教えの理に無き理である。医者の手あまりといえば、捨てもの同様である。それを助けるのが教えの台と云う」。

【、お指図】
 10.28日、お指図。
 「指図という皆先のことばかり言うておく。なやめてなりと痛(いた)めてなりとはなした理にはこ ばす」。

 (お道の教勢、動勢)
 3.4日、村田長平(村田幸右衛門の息子)出直し(亨年47歳)。弘化4年(1847)、大和国山辺郡前栽村(現・奈良県天理市前栽町)生まれ。幸右衛門・イエの長男。豆腐屋・宿屋を営み、帰参者の定宿となる。妻かじはお屋敷に勤める。信者詰所の先駆けとなったとうふ屋旅館をお屋敷の片隅で経営していた。村田は、天皇を神とせず、教祖を神とし続けたので座敷牢へ入れられていたと云う。お指図の中に「大裏に入れられている村田長平が出たいと云っています。どう扱ったら良いでしょうか」と伺いが出されている。そうこうするうち悶々とした中で亡くなっている。
 3.18日、飯降おさとが出直し(亨年60歳)。天保5年(1834)11月、大和国式上郡小夫村(現・奈良県桜井市小夫)生まれ。文久1年(1861)、櫟本村(現・天理市櫟本町)伊蔵と再婚。元治1年(1864)産後の患いから入信。明治14年(1881)よりお屋敷に伏せ込む。扇・御幣のさづけ。長女よしゑ(1866‐1936)明治20年1月26日のおつとめで三味線をつとめる。二女まさゑ(1872‐1927)。二男・政甚(1874‐1937)明治20年1月26日のおつとめでかぐらをつとめる。
 この年、高知協会に所属する里見治太郎が釜山に渡って布教した。これが韓国天理教史の嚆矢とされる。里見の要請により高知分教会から里見半次郎を含む布教師三名が派遣され、1895(明治28)年には韓国人だけで二百名の信者を数えるようなった。明治20-30年代における日本の韓国進出と相まって、布教を目指す天理教の布教師が増えて行った。


 (当時の国内社会事情)

   1893年、出版法(出版条例1869廃止、政体変壊、国憲紊乱、安寧秩序妨害、風俗壊乱)公布される。


  (宗教界の動き)
 文部省大祭祝日用歌詞・楽譜を選定。学校行事の「陛下の御真影への最敬礼」、「両陛下の万歳奉祝」、「教育勅語の奉読」、「校長の訓話」などの基本形式を整える。
 太平記の南朝の忠臣などの諸事跡や実在を疑問視した重野安繹が帝国大学史誌編纂掛委員を罷免された。
 日本基督教婦人喬風会結成。内村鑑三無教会主義( 日本独自)。日本聖公会北関東教区設置。

 (当時の対外事情)
 

 (当時の海外事情)
 エジソン、映画を発明。





(私論.私見)