21話から40話

 (最新見直し2010.06.02日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「二宮尊徳 『二宮翁夜話』」の「二宮翁夜話 (巻之一)」、「現代語新翻訳 気軽に読みたい人のための 二宮翁夜話 スーパー・マルチ・タレント 二宮尊徳が教えてくれる人の生き方 中小企業診断士 茂呂戸志夫」の「巻の一」を参照する。編集の都合上、21話から40話までを採録する。ひとまず転載し、追々にれんだいこ風に書き換えて行くことにする。

 2010.05.19日 れんだいこ拝


【二宮翁夜話 巻之一目次、福住正兄筆記】

 巻の1

第二十一話 自己錬磨の諭し 内に誠があれば外に現れる。現れれば必ず認められる
第二十二話 経験智の諭し ことに長じた人は、ものごとの真(まこと)を外見からでも見分けられる
第二十三話 報徳法方の諭し 人は、事業が社会のために行なわれることを自覚し、それを子孫に伝えて行くことが大事な使命であることを知れ
第二十四話 推譲の教えの諭し 分度を知り、推譲の心を持つことが一家永続の源
第二十五話 店卸しの諭し 決定と注意が、ものごとをうまく運ばせる決め手
第二十六話  万事相対弁証法の諭し  対立するものごとは、本来一体であるが、対応する人の拠って立つ場に応じて、捉え方は変わる
第二十七話 禍福の理の諭し 禍福は表裏一体。人のためになることをすれば福となる
第二十八話 段々の理の諭し 事業においては、易しい部分から取り組む
第二十九話 算用の諭し 天理、天命とはいえ、その影響を変化させることは可能
第三十話 御恩返しに報いるの諭し 薄きに対しても、厚きを以って応えよ
第三十一話 勤惰性情の諭し 言葉の内容にその人の思考方向が見える。常に、善、良、上を志向する考え方を持つ
第三十二話 聖人の奥ゆかしさの諭し 聖人も、自分で聖人とは名乗っていない。他人が認めた結果、そう呼ばれるだけである
第三十三話 家宝取り扱いの諭し 老舗は、過去の人達の努力の上に成り立っている。それを今の自分の力で成り立っていると勘違いするな。また乱世と平時は同じではないから、時代に応じた考え方が必要
第三十四話 権勢謙虚の諭し 家禄や役職上の地位に、他人は頭を下げる
第三十五話 仕法遣い方の諭し 事業の初期に余力が出たときには、貯めることよりも、事業を効果的に進めるために、有効に使うことを考えよ
第三十六話 過ぎたるは及ばざるの諭し 過ぎたるは及ばざるが如し
第三十七話 内省の諭し 他人に意見をする前に、自分の心に意見せよ
第三十八話 仁政の諭し 分を守り、社会に譲ることが、仁徳であり、仁の多い社会は繁栄の道を進む
第三十九話 実践の諭し 学んだことを、仁の実現の為に活用して行くことが大切
第四十話 帝王学の諭し

入ってくることは、出たものが戻ってくること。先に出すことこそ大事


【二宮翁夜話 巻之一、福住正兄筆記】
 21.、自己錬磨の諭し 

 年若きもの数名居れり。翁諭して曰く、世の中の人を見よ。一銭の柿を買うにも、 二銭の梨子(なし)を買うにも、 真頭(しんとう)の真直(ますぐ)なる瑕(きず)のなきを撰(え)りて取るにあらずや。又茶碗を一つ買うにも、色の好き形の宜(よ)きを撰り撫(な)でて見、 鳴らして音を聞き、撰りに撰りて取るなり。世の人皆然り。柿や梨子は買うといえども悪(あ)しくば捨てて可なり。それさえもかくの如し。 然れば人に撰(えらば)れて、聟となり嫁となる者、或いは仕官して立身を願う者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕多き身を以て、上に得られねば、上に眼がないなどゝ上を悪(あし)く云い、人を咎(とがむ)るは大なる間違いなり。自らかえり見よ。必ずおのが身に瑕ある故なるべし。

 それ人の身の瑕とは何ぞ。譬えば酒が好きだとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、 勝負事が好きだとか、 惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕あるべし。買手のなき勿論なり。これを柿梨子に譬えれば真頭(しんとう)が曲りて渋そうに見ゆるに同じ。されば人の買わぬも無理ならず、能く勘考すべきなり。古語に、内に誠あれば必ず外に顕(あら)わるゝとあり。瑕なくして真頭の真直(ますぐ)なる柿の売れぬと云う事、あるべからず。それ何ほど草深き中にても薯蕷(やまいも)があれば、人が直(すぐ)に見付て捨ててはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻(うなぎ)鰌(どじょう)も、必ず人の見つけて捕える世の中也。されば内に誠有て、外にあらわれぬ道理あるべからず。この道理を能く心得、身に瑕のなき様に心がくべし。  
 ※補講※ 

 尊徳は、この説話で、自分を磨いていけば、必ず社会は見出してくれるのであるから、常に勉強、修練に努めるべきであると諭している。尊徳の説くように、果物一つを買うのにも、良く吟味するのであるから、人を雇う際に、あるいは人を登用するに際して、十分な吟味をしてその人の資質や性格などを見抜こうとするのは、当然のことである。特に企業経営にあっては、人件費は、最大のそして継続した費用となるのであるから、機械の購入の時よりも厳しくなって当然であろう。それに対応できるように、知識や技能を高めると同時に、人品骨柄という項目に関しても、十分に高めていくことを意識し、修練していかなければならないのである。
 22、経験智の諭し

 翁曰く、 山芋掘は、山芋の蔓(つる)を見て芋の善悪(よしあし)を知り、 鰻(うなぎ)釣りは、泥土の様子を見て鰻の居る居らざるを知り、 良農(りょうのう)は草の色を見て土の肥痩(こえやせ)を知る。みな同じ。いわゆる至誠神の如しと云うものにして、永年刻苦経験して発明するものなり。技芸にこの事多し、侮るべからず。  

※補講※ 

 中庸「至誠如神」(しせいはしんのごとし)
 (完璧な誠を持った人の働きは神のようだ) 

 尊徳は、この説話で、何事も道の専門家に対して敬意を払うよう諭している。

 23、報徳法方の諭し

 翁、多田某に謂(いい)て曰く、我、東照神君の御遺訓と云う物を見しに、曰く、我れ敵国に生れて、只父祖の仇(あだ)を報ぜん事の願いのみなりき。祐誉(ゆうよ)が教えに依(よ)りて、国を安んじ民を救うの天理なる事を知りてより今日に至れり。子孫長くこの志を継ぐべし。もし相背くに於ては我が子孫にあらず。民はこれ国の本なればなりとあり。しかればその許(もと)が遺言すべき処は、我れ過ちて新金銀引替御用を勤め、自然増長して驕奢に流れ、御用の種金(たねきん)を遣(つか)い込み大借に陥り。身代破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因(よ)って莫大の恩恵を受け、 かくの如く安穏に相続する事を得たり。この報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半ばを推し譲り、世益を心掛け、貧を救い、村里を富ます事を勤むべし。もしこの遺言に背く者は、子孫たりといえども子孫にあらざる故、 速に放逐すべし。 婿嫁は速に離縁すべし、我が家株(かかぶ)田畑は、本来報徳法方のものなれば也と子孫に遺物(ゆいげん)せば、神君の思召と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり。その子孫、徳川氏の二代公三代公の如く、その遺言を守らば、その功業量るべからず。汝が家の繁昌長久も又限りあるべからず。能く々思考せよ。

 ※補講※ 

 尊徳は、この説話で、事業は社会的存在、というよりは、社会の恩恵を受けて成り立っているものであるから、利益の社会への還元を意識していかなければならない、と諭している。現代の企業人の安易な自己本意の哲学を、尊徳は確実に本気で怒っていることと思われる。

 24、推譲の教えの諭し

 翁曰く、農にても商にても、富家(ふけ)の子弟は、業として勤むべき事なし。貧家の者は活計の為に勤めざるを得ず。且つ富を願うが故に自ら勉強す。富家の子弟は、譬えば山の絶頂に居るが如く、登るべき処なく、前後左右皆眼下なり。これに依りて分外の願を起し、士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、終(つい)に滅亡す。天下の富者皆然り。ここに長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只我が道の推譲の教えあるのみ。富家の子弟、この推譲の道を蹈(ふ)まざれば、千百万の金ありといえども、馬糞茸(ばふんたけ)と何ぞ異らん。それ馬糞茸は季候に依りて生じ、幾程もなく腐廃し世上の用にならず、只徒(いたず)らに生じて徒らに滅するのみ。世に富家と呼ばるゝ者にして、かくのごとくなる、豈(あに)惜しき事ならずや。

  ※補講※ 

 推譲(すいじょう) 尊徳の思想の根幹的考え 詳しくは第七十九話を参照されたい。 

 25、店卸しの諭し

 翁曰く、百事決定(けつじょう)と注意とを肝要とす。如何となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて事はなる物なり。小事たりといえども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉(ことごと)く破る。それ一年は十二ヶ月也、然して月々に米実法(みの)るにあらず。只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰(くら)うは、人々しか決定して、しか注意するによる。これによりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法るとも、人々その通り決定して注意せば決して差し支えあるべからず。 凡そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出(いず)るなり。されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)この位の事にすれば、年末に至て余るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし。これに心付(づ)かず、うかうかと暮して、大晦日に至り始めて驚くは、愚の至り不注意の極(きわまり)なり。ある飯焚(めしたき)女が曰く、一日に一度づゝ米櫃の米をかき平均(なら)して見る時は、米の俄(にわか)に不足すると云う事、決してなしといえり。これ飯焚女のよき注意なり。この米櫃をならして見るは、則ち一家の店卸(たなおろ)しに同じ、能く々決定して注意すべし

  ※補講※  

  決定(けつじょう)とは、あることをこうと決めて信じて疑わずに動かさないことを云う。

 尊徳は、この説話で、ことを進める際には、前以て環境を十分に調査し、対応できる意思決定に基づいた計画を作成し、それを周囲の変化に注意を払いながら確実に実行していけば、殆どのことは乗り切っていけるのであるから、良い計画造りを行なうようにと教えている。

 26、 万事相対弁証法の諭し 

 翁曰く、善悪の論甚(はなはだ)むづかし。本来を論ずれば善も無し悪もなし。善と云いて分つ故に悪と云う物出来るなり。 元(もと)人身の私より成れる物にて人道上の物なり。故に人なければ善悪なし、人ありて後に善悪はある也。故に人は荒蕪(あれち)を開くを善とし、田畑を荒すを悪となせども、^(い)鹿(しか)の方にては、 開拓を悪とし荒すを善とするなるべし。世法盗(ぬすびと)を悪とすれども、盗中間(なかま)にては盗を善としこれを制する者を悪とするならん。しかれば、如何なる物これ善ぞ、如何なる物これ悪ぞ。この理明弁し難し。この理の尤(もっと)も見安きは遠近なり。遠近と云うも善悪と云うも理は同じ。譬えば杭(くい)二本を作り、一本には遠しと記し一本には近しと記し、この二本を渡して、この杭を汝が身より遠き所と近き所と、二所に立つべしと云い付(つ)くる時は、速かに分る也。

 予が歌に「見渡せば遠き近きはなかりけり おのれおのれが住処(すみど)にぞある」と。この歌善きもあしきもなかりけりと云う時は、人身に切なる故に分らず、遠近は人身に切ならざるが故によく分る也。工事に曲直を望むも、余り目に近過る時は見えぬ物也。さりとて遠過ぎても又眼力及ばぬ物なり。古語に、遠山(とおきやま)木なし、遠海(とおきうみ)波なしと云えるが如し。故に我が身に疎き遠近に移して諭す也。それ遠近は己が居る処先(ま)ず定りて後に遠近ある也。居る処定らざれば遠近必ずなし。大坂遠しと云わば関東の人なるべし、関東遠しと云わば上方の人なるべし。禍福吉凶是非得失皆(みな)これに同じ。禍福も一つなり、善悪も一つなり、得失も一つ也。元一つなる物の半ばを善とすれば、その半は必ず悪也。然るにその半に悪なからん事を願う。これ成り難き事を願うなり。それ人、生れたるを喜べば、死の悲しみは随(したがい)て離れず、咲きたる花の必ずちるに同じ、生じたる草の必ず枯るゝにおなじ。

  涅槃経(ねはんきょう)にこの譬えあり。或人の家に容貌(かおかたち)美麗(うるわしく)端正なる婦人入り来たる。 主人如何なる御人ぞと問う。婦人答て曰く、我は功徳天(くどくてん)なり。我至る所、吉祥(きっしょう)福徳(ふくとく)無量なり。主人悦んで請(しょう)じ入る。 婦人曰く、我に随従の婦一人あり、必ず跡より来る、これをも請ずべしと。主人諾(だく)す。時に一女来る、容貌醜陋(しゅうろう)にして至って見悪(にく)し、如何なる人ぞと問う。この女答て曰く、我は黒闇天(こくあんてん)なり、我至る処、不詳災害ある無限なりと。主人これを聞き大に怒(いか)り、速やかに帰り去れと云えば、この女曰く、 前に来れる功徳天は我が姉なり、暫くも離るる事あたわず、 姉を止(とど)めば我をも止めよ、我をいださば姉をも出だせと云う。主人暫く考えて、二人ともに出(だしやりければ、二人連れ立ちて出で行きけり、と云う事ありと聞けり。これ生者必滅会者定離(えしゃじょうり)の譬えなり。死生は勿論、禍福吉凶損益得失皆同じ、元(もと)禍と福と同体にして一円なり。吉と凶と兄弟にして一円也、百事皆同じ、只今もその通り、通勤する時は近くて良いと云い、火事だと云うと遠くてよかりしと云う也。是を以てしるべし。

 ※補講※  

尊徳は、この説話で、万事相対弁証法の理を諭している。

 27、禍福の理の諭し

 禍福二つあるにあらず、元来一つなり。近く譬えれば、庖丁を以て茄子(なす)を切り大根を切る時は福なり。もし指を切る時は 禍(わざわい)なり。只柄(え)を持て物を切ると、誤(あやま)って指を切るとの違いのみ。それ柄のみありて刃無ければ庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ又用をなさず。柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常なり。然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす。されば禍福と云うも私物にあらずや。水もまた然り。畦(あぜ)を立てて引けば、田地を肥(こや)して福なり、畦なくして引くときは、肥(こえ)土流れて田地やせ、その禍たるや云うべからず。只畦有ると畦なきとの違いのみ。元同一水にして、畦あれば福となり、畦なければ禍となる、富は人の欲する処なり。然りといえども、己が爲にするときは禍これに随ひ、世の為にする時は福これに随う。財宝も又然り、積んで散ずれば福となり、積で散ぜざれば禍となる。これ人々知らずんばあるべからざる道理なり。

  ※補講※ 

 尊徳は、この説話でも、対立概念について、別な例を取り上げて、人道の維持のためにどのようにすれば良いかを諭している。

 28、段々の理の諭し

 翁曰く、 何事にも変通と云う事あり、しらずんばあるべからず。則ち権道(けんどう)なり。それ難きを先にするは、聖人の教えなれども、これは先仕事を先にして、而して後に賃金を取れと云うが如き教えなり。ここに農家病人等ありて、耕(たがやし)耘(くさぎり)手後れなどの時、草多き処を先にするは世上の常なれど、右様の時に限りて、草少く至って手易き畑より手入れして、至て草多き処は最後にすべし。これ尤も大切の事なり。至て草多く手重(ておも)の処を先にする時は大に手間取れ、その間に草少き畑も、皆一面草になりて何(いづ)れも手後れになる物なれば、草多く手重き畑は、五畝や八畝は荒すとも侭(まま)よと覚悟して暫く捨て置き、草少く手軽なる処より片付くべし。しかせずして手重き処に掛り、時日を費す時は、僅の畝歩の為に、惣体の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり。国家を興復するも又この理なり。しらずんばあるべからず、又山林を開拓するに、大なる木の根は、そのまま差し置きて、回りを切り開くべし。而して三四年を経れば、木の根自ずから朽(く)ちて力を入れずして取るゝなり。これを開拓の時一時に掘取らんとする時は労して功少し。百事その如し。村里を興復せんとすれば、必ず抗する者あり。これを処する又この理なり。決して拘(かかわ)るべからず障(さわ)るべからず。度外に置きてわが勤めを励むべし。

 ※補講※

 権道(けんどう)とは、手段は多少道に外れるが、結果から見ると道にあっている処理方法。目的を達するためにとる臨機応変の処置、方便を云う。

 尊徳は、この説話で、人道に基づいた臨機応変は、決して悪ではないと説いている。その内でも、「積小為大」ということを、業務執行活動に取り入れていくことは、非常に有効なことであるとして勧めている。但し、「積小為大」は「塵も積もれば山となる」ということだけの意味ではない。業務処理の手順としても奨励していることに留意すべきである。

 29、算用の諭し

 翁曰く、今日は則ち冬至なり、夜の長き則ち天命なり。夜の長きを憂いて、短くせんと欲すとも、如何ともすべなし、これを天と云う。而してこの行灯(あんどん)の皿に油の一杯ある、これも又天命なり。この一皿の油、この夜の長きを照すにたらず。これ又如何ともすべからず。共に天命なれども、人事を以て、灯心を細くする時は、夜半にして消ゆるべき灯(ともしび)も暁に達すべし。これ人事の尽さゞるべからざる所以なり。譬えば伊勢詣でする者東京(えど)より伊勢まで、まづ百里として路用拾円なれば、上下廿日として一日五十銭に当る。これ則ち天命なり。然るを一日に六十銭づゝ遣(つか)う時は二円の不足を生ず。これを四十銭づゝ遣う時は二円の有余を生ず。これ人事を以て天命を伸縮すべき道理の譬え也。それこの世界は自転運動の世界なれば決して一所に止らず、 人事の勤惰に仍て、天命も伸縮すべし。たとへば今朝焚(た)くべき薪(たきぎ)なきは、これ天命なれども、明朝取り来れば則ちあり。今水桶に水の無きも、則ち差し当たりて天命なり。されども汲(く)み来れば則ちあり。百事この道理なり。

  ※補講※

 この説話で、江戸を東京と呼び、貨幣単位を円、銭としているのは、「夜話」が出版された明治当時の人々の理解に合致するようにしたためである。尊徳の時代には、地名は江戸であり、貨幣の単位は、両、分、朱、貫、文であった。

 30、御恩返しに報いるの諭し

 翁、常陸国青木村のために力を尽されし事は、予が兄大沢勇助が、烏山藩の菅谷某と謀りて、起草し、小田某に托し、漢文にせし、青木村興復起事の通りなれば、今贅(ぜい)せず。扠(さて)年を経て翁その近村灰塚(はいつか)村の興復方法を扱われし時、青木村、旧年の報恩の爲にとて冥加(みょうが)人足と唱え、毎戸一人づゝ無賃にて勤む。翁これを検(けん)して、後に曰く、今日来り勤る処の人夫、過半二三男の輩(ともがら)にして、我が往年厚く撫育せし者にあらず。これ表に報恩の道を飾るといえども、内情如何(いかん)を知るべからず。されば我れ、この冥加人足を出だせしを悦ばずと。青木村地頭の用人某(それがし)、これを聞きて我れ能く説諭せんと云う。翁これを止(とど)めて曰く、これ道にあらず。たとえ内情如何(いか)にありとも、彼旧恩を報いん爲とて、無賃にて数十人の人夫を出だせり。内情の如何を置いて、称せずばあるべからず。且つ薄きに応ずるには厚きを以てすべし。これ則ち道なりとて人夫を招き、旧恩の冥加として、遠路出で来(きた)り、無賃にて我が業を助くる。その奇特(きとく)を懇々賞し、且つ謝し過分の賃金を投与して帰村を命ぜらる。一日を隔(へだて)て村民老若を分かたず、皆未明より出で来て、終日休せずして働き賃金を辞して去る。翁又金若干(そこばく)を贈られたり。

  ※補講※

 尊徳は、この説話で、指導者、発注者等、上位の地位に居ると考えられている人は、相手の好意を上回る謝意を持って対応することが、望ましいと教えている。

 なお、この説話に登場する「小田」とは、幕吏としての尊徳の上司に当たる、下谷根津に屋敷のあった勘定奉行配下普請組元締・小田又蔵のことである。弘化四年二月二十四日の日記に高野丹吾が青木村関係の書類を、小田宅に一覧のために持参したところ、しばらく預かりたいといわれたので、置いてきたと記されている。烏山藩元家老菅谷八郎衛門も小田宅に何度か出入りしていることが、日記や菅谷の手控えから覗える。小田又蔵は、漢文の素養があったと見え、菅谷を始めとした何人かが、尊徳の業績を幕府上層部に上奏する事を狙って、その力を借りて書類造りを行なっていたようである。

 31、勤惰性情の諭し

 翁曰く、一言を聞ても人の勤惰は分る者なり。東京(えど)は水さえ銭が出ると云うは懶惰(らんだ)者なり。水を売リても銭が取れると云うは勉強人なり。夜は未だ九時なるに十時だと云う者は、寝たがる奴(やつ)なり。未だ九時前也と云は、勉強心のある奴なり。すべての事、下に目を付け、下に比較する者は、必ず下り向の懶惰者也。たとえば碁を打て遊ぶは酒を飲むよりよろし、酒を呑むは博奕よりよろしと云うが如し。上に目を付け上に比較する者は必ず上り向なり。古語に、一言以て知とし一言以て不知とすとあり、うべなるかな。
 ※補講※
 論語 子張「一言以為知、一言以為不知」(一言を以って知とし、一言を以って不知とす)
 (一言でも賢い人と判るし、一言でも愚かな人であると判る)

 尊徳は、この説話で、人が発する言葉は、その人が志向する方向が表れるものである。従って、いつも、上向きの志向を維持すると共に、言葉を発する際には十分注意するようにと教えている。人が発する言葉の意味するところは、常に一つの傾向に沿っていることが多いことは間違いない。このことも、第二十一話に取り上げられた、「誠於中、形於外」(うちにまことなれば、そとにあらわる)の一形態である。
 32、聖人の諭し

 翁曰く、聖人も聖人にならんとて、聖人になりたるにはあらず、日々夜々天理に随い人道を尽して行うを、他より称して聖人と云いしなり。堯舜も一心不乱に、親に仕え人を憐み、国の為に尽せしのみ、然るを他よりその徳を称して聖人と云えるなり。諺に、聖人々々と云うは誰(た)が事と思ひしに、おらが隣の丘(きゅう)が事かと云えへる事あり。 誠にさる事なり。 我れ昔鳩ヶ谷駅を過し時、同駅にて不士講に名高き三志と云う者あれば尋(たず)ねしに、三志と云いては誰もしるものなし。能く々々問い尋ねしかば、それは横町の手習師匠の庄兵衛が事なるべしと云いし事ありき。これにおなじ。

※補講※

聖人も、自分で聖人とは名乗っていない。他人が認めた結果、そう呼ばれるだけである。

 ※三志 小谷庄兵衛 不二講の指導者 従来の富士山信仰を超越して、人の生き方に、社会への謝恩、助け合い、奉仕、という概念を導入し、多くの人達にそれを実践するように説いている。尊徳の桜町での活動の初期に三志の教えを受けた人達が多数協力している。三志も桜町の尊徳を訪ね、尊徳も宇都宮まで出掛けたりして面会している。

 33、家宝取り扱いの諭し

 下館侯の宝蔵(ほうぞう)火災ありて、重宝(じゅうほう)天国(あまくに)の剣(つるぎ)焼けたり。官吏城下の富商中村某(それがし)に謂(いい)て曰く、かく焼けたりといえども、当家第一の宝物なり。能く研ぎて白鞘(しらさや)にし、蔵に納め置かんと評議せり、如何(いかん)。中村某焼けたる剣を見て曰く、尤もの論なれど無益なり。たとえこの剣焼けずとも、かく細し、何の用にか立たん。然る上にかく焼けたるを、今研ぎて何の用にかせん。このままにて仕舞置くべしと云えり。翁声を励まして曰く、 汝大家の子孫に産(うま)れ、 祖先の余光に因りて格式を賜り、人の上に立ちて人に敬せらるゝ。汝にして、右様の事を申すは、大なる過ちなり。汝が人に敬せらるゝは、太平の恩沢なり。今は太平なり、何ぞ剣の用に立つと立たざるとを論ずる時ならんや。それ汝自ら省(かえ)り見よ。汝が身用に立つ者と思うか、汝はこの天国の焼剣(やけみ)と同じく、実は用に立つ者にあらず、只先祖の積徳と、家柄と格式とに仍りて用立つ者の如くに見え、人にも敬せらるゝなり。焼身(ヤケミ)にても細身にても重宝と尊むは、太平の恩沢この剣の幸福なり。汝を中村氏と人々敬するは、これ又太平の恩徳と先祖の余蔭(よいん)なり。 用立つ、用立たざるを論ぜば、汝が如きは捨てて可なり。たとえ用立たずとも、 当家御先祖の重宝(じゅうほう)、古代の遺物、これを大切にするは、太平の今日至当の理なり。我はこの剣の為に云うにあらず、汝がために云うなり、能く々沈思せよ。

 往時水府公、寺社の梵鐘(つりがね)を取上げて、大砲に鋳(ヰ)替へ玉いし事あり。 予この時にも、 御処置悪(あ)しきにはあらねども、未だ太平なれば甚だ早し、太平には鐘や手水鉢(てみずばち)を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らすべし。事あらば速(すみやか)に取りて大砲となす、誰か異議を云わん。 社寺ともに悦んで捧ぐべし。かくして国は保つべきなり。もし敵を見て大砲を造る、いわゆる盗(ぬすびと)を捕えて縄を索(な)うが如しと云わんか。然りといえども尋常の敵を防ぐべき備えは、今日足れり。その敵の容易ならざるを見て、我が領内の鐘を取て大砲に鋳る、何ぞ遅からんや。この時日もなき程ならば、大砲ありといえども、必ず防ぐ事あたわざるべし、と云し事ありき。

 何ぞ太平の時に、乱世の如き論を出ださんや。かくの如く用立たざる焼身をも宝とす、況(いわん)や用立べき剣に於てをや。然らば自然(おのずと)よろしく剣も出で来たらん。されば能く研ぎあげて白鞘(しらさや)にし、元の如く腹紗(ふくさ)に包み二重の箱に納めて重宝とすべし。これ汝に帯刀を許し格式を与うるに同じ、能く々心得べしと、中村某叩頭(こうとう)して謝す。時九月なり。

 翌朝中村氏発句(ほっく)を作りて或人に示す。その句「じりじりと照りつけられて実法(みの)る秋」と。ある人これを翁に呈す、翁見て悦喜(えっき)限りなし。曰く、我昨夜中村を教戒す。定めて不快の念あらんか、怒気内心に満(みた)んかと、ひそかに案じたり。然れども家柄と大家とに懼(おそ)れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事覚束(おぼつか)なしと思ひたれば、止むを得ず厳に教戒せるなり。然るに怒気を貯へず、 不快の念もなく、虚心平気にこの句を作る、その器量按外にして大度見えたり。この家の主人たるに恥(はじ)ず、この家の維持疑いなし。古語に、我を非として当る者は我師也とあり。且つ大禹(たいう)は善言を拝すともあり、汝等も肝銘(かんめい)せよ。それ富家(ふか)の主人は、何を言ても御尤御尤と錆付(さびつく)者のみにて、礪(と)に出合て研ぎ磨かるゝ事なき故、慢心生ずる也。 譬えば、ここに正宗の刀ありといえども、 研ぐ事なく磨く事なく錆付(さびつく)物とのみ一処におかば、忽(たちまち)腐れて紙も切れざるに至るべし。その如く、三味線(しゃみせん)引や太鼓持などゝのみ交り居りて、それも御尤これも御尤と、こび諂(へつら)うを悦んで明し暮し、争友(そうゆう)一人のなきは、豈あやうからざらんや。
 

 ※補講※

 筍子 修身「非我而当者、吾師也」(われをひとしてあたるものは、わがしなり)
 (私の非を指摘してくれる人は、私の先生である。) 
 孟子 公孫丑上「禹聞善言則拝」(うぜんげんをきいてすなわちはいす)
 (禹は参考になる良いことを聞いて直ちに拝礼をした) 

尊徳は、この説話で、旧家の主が尊敬され、その発言が重要視されるのは、代々築かれてきた信頼の賜物であり、当人の功績を評価してのことではないことを自覚しなければならないと教えている。老舗は、過去の人達の努力の上に成り立っている。それを今の自分の力で成り立っていると勘違いするな。また、乱世と平時は同じではないから、時代に応じた考え方が必要と諭している。。※ 中村家は、現在も筑西市(茨城県 旧下館市)に商家として続いている。

 34、 権勢謙虚の諭し

 翁、高野某を諭して曰く、物各(おのおの)命(めい)あり数(すう)あり、猛火の近づくべからざるも、薪(たきぎ)尽き)れば火は随(したがっ)てきゆるなり。矢玉の勢い、あたる処必ず破り必ず殺すも、弓勢(ぜい)つき、薬力(やくりょく)尽くれば叢(くさむら)の間に落ちて、人に拾わるゝにいたる。人もその如し、おのれが勢い、世に行はるゝとも、己が力と思うべからず。親先祖より伝へ受けたる位禄(いろく)の力と、 拝命したる官職の威光とによるが故なり。それ先祖伝来の位禄の力か、職の威光がなければ、いかなる人も、弓勢の尽きたる矢、薬力の尽たる鉄炮玉に異ならず。草間に落て、人に愚弄さるゝに至るべし、思わずばあるべからず。

 ※補講※ 

※ 中村藩 相馬氏が藩主 相馬藩と呼ばれることもある。現福島県相馬市付近

 35、仕法遣い方の諭し

 同氏は、相馬領内衆に抽(ぬき)んでゝ、仕法発業(ほつぎょう)を懇願せし人なり。よって同氏預りの、成田坪田二村に開業也。仕法を行う僅(わずか)に一年にして、分度(ぶんど)外の米、四百拾俵を産み出だせり。同氏蔵を建てて収め貯え、凶歳の備えにせんとす。翁曰く、村里の興復を謀(はか)る者は、米金を蔵に収むるを尊まず、この米金を村里の為に、遣い払うを以て専務とする也。この遣い方の巧拙によって興復に遅速を生ず。 尤も大切なり。凶荒予備は仕法成就の時の事なり。今卿(きみ)が預りの、村里の仕法、昨年発業。これより一村興復、永世安穏の規模を立つべきなり。まずこれこそ、この村に取りて急務の事業なれと云う事を、能く々協議して開拓なり、道路橋梁(きょうりょう)なり、窮民撫育なり、尤も務むべきの急を先にし、又村里のために、利益多き事に着手し、害ある事を除くの法方に、遣(つか)い払うべし。急務の事皆すまば、山林を仕立てるもよろし、土性転換もよろし、非常飢疫(きえき)の予備尤もよろし。卿等(きみら)能く々思考すべし。

 ※補講※

 積小為大の方式を活用して、小さな組織単位だけで良いから、見本としての単位を選定し、その単位に全力を投入して、思い切ってばっさりと変えれば、少なくともその部分は変革が出来る。他の単位の人達がそれを見れば、変革の可能性について確信を持つようになる。そこで、すぐさま、二倍程度の組織単位部分を対象範囲と決めて、そこに全精力を注いで、素早く変革を行なう。その後もまた、二倍にして変革をするという風に、波紋が広がるように素早く広げていくと、全体の改革に到達することが出来る。ここでは、手をつけた部分は、必ず、ドラスティックに切り替えるということを守れば、間違いなく全体の変革を達成出来る。

 36、過ぎたるは及ばざるの諭し

 某氏事をなして、過(すぐ)るの癖(へき)あり。翁諭して曰く、凡そ物毎に度と云う事あり。飯(めし)を炊くも料理をするも、皆宜しき程こそ肝要なれ。我が法方も又同じ。世話をやかねば行れざるは、勿論なれども、世話もやき過ぎると、 又人に厭(いと)はれ、如何(いかに)して宜しきや分らず。 先ず捨ておくべしなどゝ、云うに至るもの也。古人の句に、「さき過ぎて 是さへいやし梅の花」とあり、云い得て妙なり。百事過ぎたるは及ばざるにおとれり。心得べき事也。

 ※補講※

 論語 先進「過猶不及也」(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
 37、 内省の諭し

 浦賀の人、飯高六蔵、多弁の癖あり、暇を乞うて国に帰らんとす。翁諭して云う。汝国に帰らば決して人に説く事を止(や)めよ。人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見せよ。己が心にて己が心に異見するは、柯(か)を取りて、柯を伐るよりも近し。元(もと)己が心なればなり。それ異見する心は汝が道心なり、異見せらるゝ心は汝が人心なり。寝ても覚ても坐しても歩行(あるい)ても 離るゝ事なき故、行住坐臥油断なく異見すべし。 もし己(おのれ)酒を好まば、多く飲む事を止めよと異見すべし。速に止(や)めばよし、止めざる時は幾度(いくたび)も異見せよ。その外驕奢の念起る時も、安逸の欲起る時も皆同じ。 百事かくの如くみづから戒めば、これ無上の工夫なり。この工夫を積んで、 己が身修(おさま)り家斉(ととの)いなば、これ己が心己が心の異見を聞きしなり。この時に至らば、人汝が説を聞く者あるべし。己修(おさまっ)て人に及ぶが故なり。己が心にて己が心を戒しめ、己聞かずば必ず人に説く事なかれ。且つ汝家に帰らば、商法に従事するならん。土地柄と云い、累代の家業と云い至当なり。さりながら汝売買をなすとも、必ず金を設(もうけ)んなどゝ思うべからず。只商道の本意を勤めよ。 商人たる者、商道の本意を忘るゝ時は、 眼前は利を得るとも詰り滅亡を招くべし。能く商道の本意を守りて勉強せば、財宝は求めずして集り、富栄繁昌量(はか)るべからず。必ず忘るゝ事なかれ。

 ※補講※

 論語 憲問「脩己以安人」(おのれをおさめてもってひとをやすんず)
 (修行して自分を磨いた後に人を教え、安らかにさせる) 

 ※ 弘化  天保と嘉永の間の四年間の短い年号 この時期、尊徳は既に幕吏となっていた。
 38、仁政の諭し

 嘉永五年正月、翁おのが家の温泉に入浴せらるゝ事数日、予が兄大沢精一、翁に随(したがい)て入浴す。翁、湯桁(ゆげた)にゐまして諭して曰く、それ世の中汝等が如き富者にして、皆足る事を知らず。飽くまでも利を貪(むさぼ)り、不足を唱うるは、大人(だいにん)のこの湯船の中に立ちて、屈(かが)まずして、湯を肩に掛けて、 湯船はなはだ浅し、 膝にだも満たずと罵るが如し。もし湯をして望みに任せば、小人(しょうにん)童子(どうじ)の如きは、入浴する事あたはざるべし。これ湯船の浅きにはあらずして、己が屈まざるの過(あやまち)なり、能くこの過ちを知りて屈まば、湯忽(たちまち)肩に満ちて、おのづから十分ならん。何ぞ他に求むる事をせん。世間富者の不足を唱うる、何ぞこれに異らん。それ分限を守らざれば、千万石といえども不足なり。一度過分の誤りを悟りて分度を守らば、有余(ゆうよ)おのづから有りて、人を救うに余りあらん。それ湯船は大人は屈んで肩につき、小人は立て肩につくを中庸とす。百石の者は、五十石に屈んで五十石の有余を譲り、千石の者は、五百石に屈んで五百石の有余を譲る、これを中庸と云うべし。 もし 一郷(いっきょう)の内一人、この道を蹈(ふ)む者あらば、 人々皆分を越ゆるの誤りを悟らん。人々皆この誤を悟り、分度を守りて克(よ)く譲らば、一郷富栄にして、和順ならん事疑いなし。古語に、一家仁なれば一国仁に興ると云えり。能く思うべき事なり。

 それ仁は人道の極みなり。儒者の説甚だむづかしくして用をなさず。 近く譬えれば、この湯船の湯の如し。これを手にて己が方に掻けば、湯我が方に来るが如くなれども、皆向うの方へ流れ帰る也。これを向うの方へ押す時は、湯向うの方へ行くが如くなれども、又我方へ流れ帰る。少しく押せば少しく帰り、強く押せば強く帰る。これ天理なり。それ仁と云い義と云うは、向こうへ押す時の名なり。我が方へ掻く時は不仁となり不義となる、慎まざるべけんや。古語に、己に克ちて礼に復(かえ)れば天下仁に帰す、仁をなす己による、人によらんや、とあり。己とは、手の我方(わがかた)へ向く時の名なり。礼とは、我が手を先の方に向くる時の名なり。 我方へ向けては、仁を説くも義を演(のぶ)るも、皆無益なり、能く思うべし。それ人体の組立(くみたて)を見よ。 人の手は、我方へ向きて、 我為に弁利に出来たれども、 又向うの方へも向き、向うへ押すべく出来たり。これ人道の元なり。鳥獣(とりけもの)の手は、これに反して、只我方へ向きて、我に弁利なるのみ。されば人たる者は、他の爲に押すの道あり。然るを我が身の方に手を向け、我が為に取る事而已(のみ)を勤めて、先の方に手を向けて、他の為に押す事を忘るゝは、人にして人にあらず。則ち禽獣なり。豈(あ)に恥かしからざらんや。只恥かしきのみならず、天理に違(たが)うが故に終(つい)に滅亡す。故に我、常に奪うに益なく譲るに益あり、譲るに益あり奪うに益なし。これ則ち天理也と教える。能く々玩味すべし。

 ※補講※  

 大学「一家仁、一国興仁」(いっかじんなれば、いっこくにじんおこる)
 (指導者がわが家を仁徳で満たせば、その指導者の下にある一帯が仁徳で満たされる)
 論語 顔淵「克己復礼為仁、一日克己復礼、天下帰仁焉、為仁由己、而由人乎哉」(おのれにかちてれいにかえればじんをなす、いちにちおのれにかちてれいにかえれば、てんかじんにきす、じんをなすことおのれによる、しこうしてひとによらんや)
 (自分に打ち克って世の中の本質に従えば、仁が行なえる。一日でも世の中の本質に立ち返れば、世界中が仁で満たされる。仁を行うのは自分だ、どうして人頼みにできようか) 
 39、実践の諭し

 翁曰く、学問は活用を尊ぶ。万巻の書を読むといえども、活用せざれば用はなさぬものなり。論語に、里は仁をよしとす、撰(えら)んで仁に居らずんば焉(いづくん)ぞ智を得ん、とあり。誠に名言なり、然といえども、遊歴人(ゆうれきじん)や店借人などならば、撰んで仁の村に居る事も出来べし。されど田畑山林家蔵を所有する何村の何某なる者、如何なる仁義の村があればとて、その村に引越す事出来べきや。さりとてその不仁の村に不快ながら住居ては、智者とは云われざる勿論なり。さて断然、不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者ありとも我は是を智者とは云わず。書を読んで活用を知らざる愚者と云うべし。如何となれば、何村の何某と云わるゝ程の者、全戸を他村に引移す事容易にあらず、その費用も莫大なるべし。この莫大の費金を捨て、住み馴(な)れし古郷を捨てる、愚にあらずして何ぞ。

 そレ人に道あり、道は蛮貊(ばんばく)の邦といえども行わるゝ物なれば、如何なる不仁の村里といえども行れざる事あるべからず。自からこの道を行いて、不仁の村を仁義の村に為して、先祖代々其処に永住するをこそ智と云うべけれ。この如くならざれば、決して智者と云うべからず。然してその不仁の村を、仁義の村にする、甚だ難からず。先ず自分道を蹈(ふ)んで、己が家を仁にするにあるなり。己が家仁にならずして、村里を仁にせんとするは、白砂を炊(かしい)で飯(めし)にせんとするに同じ。己が家誠に仁になれば、村里仁にならざる事なし。古語に曰く、一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(ゆずり)あれば一国譲に興る。又曰く、誠に仁に志せば悪なし、とある通り、決して疑いなきものなり。

 それ、ここに竹木など本末入交り、竪横(たてよこ)に入り乱れたるあり。これを一本づゝ本を本にし、末を末にして止ざる時は、終に皆本末揃(そろ)いて整然となるが如し。古語に、直(なお)きを挙げて諸(もろもろ)の曲がれるを措(お)く時はよく曲れる者をして直からしむ、とある通り、善人を挙げ直人を挙て、厚く賞誉(しょうよ)して怠らざる時は必ず四五ヶ年間を出ずして、整然たる仁義の村となる事、疑いなきものなり。世間の富者、この理に闇(くら)く書を読んで活用を知らず、我家を仁義にする事を知らず、徒(いたず)らに迷いを取りて、村里の不仁なるを悪み村人義を知らず、人気悪し風儀悪しと詈(ののし)り、他方に移らんとする者往々あり、愚と云うべし。

 さて村里の人気を一新し風俗を一洗すると云う事、尤も難(かた)き事なれども、誠心を以てし、その法方を得れば、左程難き事にはあらざるなり。先ず衰貧(すいびん)を挽(ばん)回し、頽廃(たいはい)を興復するより手を下し方法の如くして漸次(ぜんじ)人気風儀を一洗すべし。さて人気風儀を一新なすに機会あり。譬えば今ここに戸数一百の邑あり。その中四十戸は衣食不足なく、六十戸は窮乏なれば、一邑その貧を恥とせず。貧を恥とせざれば租税を納ざるを恥ず、借財を返さゞるを恥ず、夫役を怠(おこた)るを恥ず、質(しち)を入るを恥ず、暴を云うを恥ず。この如くなれば、上の法令も里正の権も行れず、法令行れざる時は悪行至らざる処なし、何を以て之を導かん。ここに到ては法令も教諭も皆益なきなり。又百戸の中、六十戸は衣食不足なく、四十戸は貧窮なる時は、教えずして自ずから恥を生ず。恥を生ずれば、義心を生ず、義心生ずれば、租税を納めざるを恥ぢ、借財を返さゞるを恥ぢ、夫役を怠るを恥ぢ、質を入るを恥ぢ、暴を云うを恥るに至る。ここにに至りて法令も行れ、教導も行れ、善道に導くべく、勉強にも趣(おもむか)しむべし。その機かくの如し。

 譬えば権衡(ハカリ)の釣合の如し、左重ければ左に傾むき、右重ければ右に傾むくが如く、村内貧多き時は貧に傾き、悪多き時は悪に傾く、故に相共に恥なし。富多き時は富に傾き、善多き時は善に傾く、故に恥を生ずれば義心を生ず。汚俗を一洗し、一村を興復するの業、只この機あるのみ、知らずばあるべからず。如何なる良法仁術と云うとも、村中一戸も貧者無からしむるは難しとす。如何となれば、人に勤惰(きんだ)あり強弱あり智愚あり、家に積善あり不積善あり、しかのみならず前世の宿因もあり、これを如何とも為べからず。この如きの貧者は、只その時々の不足を補うて、覆墜(ふくつい)せざらしむるにあり。

 ※補講※ 

 論語・里仁「里仁為美、択不處仁、焉得智」(さとはじんをよしとなす、えらんでじんにおらずんば、いずくんぞちなることをえん)
 (人として住む村は、仁徳にあふれる村が良い。そのような村に住んでいなければ、知恵ある人とは言わない)
 大学「一家仁、一国興仁、一家譲、一国興譲」(いっかじんなれば、いっこくじんにおこり、いっかじょうなれば、いっこくじょうにおこる)
 論語・里仁「苟志於仁矣、無惡也」(まことにじんにこころざせば、あしきことなし)
 論語 為政「擧直錯諸枉、則民服」(なおきをあげて、もろもろのまがれるにおけば、すなわちたみふくす)

 尊徳は、この説話で、勉強するのは、それを実地に生かすためである。生かすことができないのなら、その勉強は無用の長物でしかない、と教えている。知っていることと、出来ることとは別のものである。そのことは、色々な分野で当てはまり、それぞれの分野で、知っているができないという人は沢山いる。しかし、指導者としての立場にある人は、それではいけない。達人の域に達している必要はないが、一通りは実行して見せられるだけの段階には、至っていなければならないのである。尊徳は、この説話で、人の意識を変えるのにもっとも有効な方法について述べている。それは、「擧直錯諸枉、則民服」である。表彰制度を活用してそれを実行するのである。この方法の基本的な考え方も、「積小為大」である。この説話は、総ての組織・団体において、人心の一新に活用できる教えである。

 40、帝王学の諭し

 翁曰く、それ入るは出たる物の帰るなり、来るは押し譲(ゆず)りたる物の入り来るなり。譬えば、農人田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用い、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法りを得る事、必ず多き勿論なり。然るを菜を蒔きて、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り穂を出せば穂をつみ実がなれば実を取る。この如くなれば決して収獲なし。商法も又同じ。己が利欲のみを専らとして買人の為を思わず、猥(みだ)りに貪(むさぼ)らば、その店の衰微、眼前なるべし。古語に、人心は惟危(あやう)し道心惟微(かすか)なり。惟精惟一允(まこと)にその中を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり。これ舜(しゅん)禹(う)天下を授受するの心法なり。上として下に取る事多く、下困窮すれば上の天禄も永く終るとあり。終るにはあらず、天より賜りたるを天に取上げらるゝなり。その理又明白なり、誠に金言と云うべし。然りといえども、儒者の如く講じては、今日上、何の用にもたゝぬ故、今汝等(なんじら)が為に分り安く読みて聞かせん。支那(から)の咄しと思うて、迂闊(うかつ)に聞かず、能く肝に銘ぜよ。人心惟危(あやう)し道心惟微(かすか)なりとは、身勝手にする事は危き物ぞ。他の為にする事は、いやになる物ぞと云う事なり。惟精惟一允(まこと)に其の中を執れとは、能く精力を尽し、一心堅固に二百石の者は百石にて暮し、百石の者は五十石にて暮し、その半分を推し譲りて、一村の衰(おとろ)えざる様、一村の益々富み益々栄える様に勉強せよ、と云う事なり。四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云う事と心得べし。帝王の咄しなればこそ、四海と云い、天禄と云うなれ。汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし。能く々肝銘せよ。

 ※補講※ 

 中庸「人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中者」(じんしんこれあやうく、どうしんこれかすかなり、これせいこれいち、まことにそのちゅうをとれ) 
 論語 尭日「允執其中、四海困窮、天禄永終」(まことにそのちゅうをとれ、しかいこんきゅう、てんろくながくおえん)





(私論.私見)