01話から20話

 (最新見直し2010.06.02日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「二宮尊徳 『二宮翁夜話』」の「二宮翁夜話 (巻之一)」、「現代語新翻訳 気軽に読みたい人のための 二宮翁夜話 スーパー・マルチ・タレント 二宮尊徳が教えてくれる人の生き方 中小企業診断士 茂呂戸志夫」の「巻の一」を参照する。編集の都合上、1話から20話を採録する。ひとまず転載し、追々にれんだいこ風に書き換えて行くことにする。

 2010.05.19日 れんだいこ拝


【二宮翁夜話 巻之一目次、福住正兄筆記】

 巻の1

第一話 誠の道の諭し 誠は、天地の間の現実の活動の中にある。それを見出して、人の世のために活用せよ
第二話 天理と人道の違いの諭し 天道と人道、天理には善悪の区別は無い。人道は、人に役立つもの便利なのを善とする
第三話 中庸の諭し 人道は、天理に従い、天理に逆らう
第四話 分限の戒めの諭し 人道は、欲を押さえ、情を制して、努力することで完成する。それが推譲の精神のもととなる
第五話 人道作為の道の諭し 人道は、維持に努めるべき道。天理に従う部分もあるが、殆どが作為の道である
第六話 克苦の諭し 人道は私欲に克って、努力して守るべきもの
第七話 人道の罪人の諭し 傍観者は罪人
第八話 神儒仏合一の諭し 真理に至る入り口は幾つもあるが、真理は一つ
第九話 小を積んで大をなすの道の諭し 物の値段や賃金が高いのは、それだけの力があるからである。それをうまく活用できないで他の国へ出て行くのは、間違っている
第十話 奉仕の精神の諭し 信念に基づいて一生懸命に努力し、決して見返りを求めてはならない
第十一話 分限と中庸の諭し 学問のための空疎な学問ではなく、世の中のためになることを実行できる学問こそ価値がある
第十二話 国家復興の道の諭し  天下国家の安寧と繁栄も自分の足元から
第十三話 吝(リン)か倹かの諭し 倹約や蓄えは、異変や事故に備えるためのもの
第十四話 「積小為大」の諭し 大きなことは、小さなことの集まり
第十五話 基礎より積むべしの諭し 小さなことから始める
第十六話 富国の道への諭し 富ませる元は貯蓄
第十七話 節約の諭し 出を制することが富裕への道
第十八話 神楽芸の諭し 技術を持った大神楽は、儒者に勝る
第十九話 命あってのもの種の諭し 物よりも命を惜しめ
第二十話 先に奉仕すべしの諭し 先に奉仕をすれば、あとからついてくるものがある

【二宮翁夜話 巻之一、福住正兄筆記】
 1、誠の道の諭し

 翁曰く、それ誠の道は学ばずして自(おの)ずから知り、習わずして自ずから覚え、書籍もなく記録もなく、師匠もなく、而して人々自得して忘れず。これぞ誠の道の本体なる。渇して飲み飢えて食らい、労(つか)れて寝(いね)醒(さ)めて起く。皆この類(たぐい)なり。古歌に「水鳥のゆくもかへるも跡たえて されども(「経れども」)道は忘れざりけり」(良寛の歌)と云えるが如し。それ記録もなく、書籍もなく、学ばず習わずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。

 それ我が教えは書籍を尊まず。故に天地を以て経文とす。予が歌に「音もなくかもなく常に天地(あめつち)は 書かざる経をくりかへしつ ゝ」と読めり。かくのごとく日々、繰返し繰返して示さるゝ天地の経文に誠の道は明らかなり。かかる尊き天地の経文を外(ほか)にして、書籍の上に道を求める学者輩(やから)の論説は取らざるなり。能(よ)く々目を開きて、天地の経文を拝見し、これを誠にするの道を尋ねるべきなり。

 それ世界、横の平(たいら)は水面を至れりとす、竪(たて)の直(すぐ)は、垂針(さげぶり)を至れりとす。凡そかくの如き万古動かぬものあればこそ、地球の測量もできるなれ。 これを外にして測量の術あらんや。 暦道の表(ひょう)を立てゝ景(かげ)を測るの法、 算術の九々の如き、 皆自然の規(のり)にして万古不易のものなり。このものによりてこそ、天文も考うべく 暦法をも算すべけれ。この物を外にせばいかなる智者といえども 術を施すに方なからん。それ我が道も又然り。

 天、言(もの)、而して、四時(しいじ)行われ百物成る処の不書の経文、不言の教戒、則ち米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実法(みの)るが如き万古不易の道理により、誠の道に基きて之を誠にするの勤めをなすべきなり。
 ※補講※ 
 論語 陽貨「天何言哉、四時行焉、百物生焉」(天何をか言うや、四時行なわれ、百物生ず)。
 孔子が門人の子貢に、私が何も言わなくとも、自然界に学ぶべき教えはある。言葉だけを頼るな、と言った時の言葉。
 論語 中庸「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也」(誠なるものは天の道なり。これを誠にするものは、人の道なり。誠なるものは、勉めずしてあたり、思わずして得、従容として道にあたる、聖人なり。これを誠にするものは、善をえらびて固くこれを執るものなり) 
 
 尊徳は、この夜話の全編を通して、「論語」、「大學」、「中庸」等からの言葉を引用しているが、それらを十分に咀嚼して用いている。書籍の受け売りではなく、書籍の中で述べていることを参考にして、自身の思想として紡ぎだしている点が注目されるべきであろう。且つ尊徳の説話は、農道のみならず商道その他社会全般に及んでおり、単なる「農」の人だけでなかったことが証明される。尊徳の偉さは、自身の立脚する農の持ち場から、主として当時の社会の財政再建を通しての世直し、世の立て替えを企図していたことに認められる。
 2、 天理と人道の諭し

 翁曰く 、それ世界は旋転してやまず。寒往けば暑来り、暑往けば寒来り、夜明れれば昼となり、昼になれば夜となり、又万物生ずれば滅し、滅すれば生ず。譬えば銭を遣(や)れば品が来たり、品を遣れば銭が来るに同じ。寝ても醒(さめ)ても、居ても歩行(あるい)ても、昨日は今日になり今日は明日になる。田畑も海山も皆その通り。ここにて薪(たきぎ)をたきへらすほどは山林にて生木(せいぼく)し、ここで喰いへらす丈(だけ)の穀物は田畑にて生育す。野菜にても魚類にても、 世の中にて減るほどは田畑河海山林にて生育し、生れたる子は時々刻々年がより、築(つき)たる堤は時々刻々に崩れ、掘りたる堀は日々夜々に埋(うずま)り、葺きたる屋根は日々夜々に腐る。これ即ち天理の常なり。

 然るに人道は、これと異なる也。 如何(いかん)となれば、風雨定めなく、寒暑往来する。この世界に、毛羽なく鱗介(りんかい)なく、裸体(はだか)にて生れ出で、家がなければ雨露(あめつゆ)が凌がれず、衣服がなければ寒暑が凌がれず。ここに於て、人道と云うものを立て、米を善とし、莠(はぐさ)を悪とし、家を造るを善とし、破るを悪とす。皆人の為に立てたる道なり。よって人道と云い、天理より見る時は善悪はなし。その証には、天理に任する時は、皆荒れ地となりて、開闢(かいびゃく)の昔に帰る也。如何となれば、これ則ち天理自然の道なれば也。それ天に善悪なし。故に稲と莠(はぐさ)とを分(わ)かたず、種ある者は皆生育せしめ、生気ある者は皆発生せしむ。人道はその天理に順(したがう)といえども、その内に各区別をなし、稗(ひえ)莠(はぐさ)を悪とし、米麦を善とするが如き。皆人身に便利なるを善とし、不便なるを悪となす。ここに到りては天理と異なり。如何となれば、人道は人の立つる処なれば也。人道は譬えば料理物の如く、三倍酢の如く、 歴代の聖主賢臣料理し塩梅 (あんばい)して拵らえたるもの也。されば、ともすれば破れんとす。故に政(まつりごと)を立て、教えを立て、刑法を定め、礼法を制し、やかましくうるさく世話をやきて、漸く人道は立つなり。然(しか)るを天理自然の道と思うは大なる誤り也。能く思うべし。

 ※補講※ 

 尊徳は、この説話で、天理と人道を採り上げている。天然自然の摂理である天理を聞き分けすること、天理に合わせて人道を打ち立てることの必要を説いている。但し、人道は、天理をそのままに引きうつすことではないと戒めている。

 3、中庸の諭し

 翁曰く、それ人道は譬えば、(小川に懸けられた)水車の如し。その形半分は水流に順い、半分は水流に逆(さから)いて輪廻す。丸に水中に入れば廻らずして流るべし。又水を離るれば廻る事あるべからず。それ仏家に所謂(いわゆる)知識の如く、世を離れ欲を捨てたるは、譬えば水車の水を離れたるが如し。又凡俗の教義も聞かず義務もしらず、私欲一偏に着(ちゃく)するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し。共に社会の用をなさず、 故に人道は中庸を尊む。水車の中庸は、宜(よろし)き程に水中に入て、半分は水に順い、半分は流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり。人の道もその如く天理に順いて種を蒔き、天理に逆ろうて草を取り、欲に随(したがい)て家業を励み、欲を制して義務を思うべきなり。

 ※補講※ 

 中庸とは、朱子の「中とは不偏不倚(ふい、気持ちが片寄らないこと)で、過不及の無いこと、庸とは平常の意味」。

 4、分限の戒めの諭し

 翁曰く、それ人道は人造なり。されば自然に行わるゝ処の天理とは格別なり。天理とは、春は生じ秋は枯れ、火は燥(かわ)けるに付き、 水は卑(ひきき)に流る。昼夜運動して万古易(かわ)らざるこれなり。人道は日々夜々人力を尽し、保護して成る。故に天道の自然に任すれば、忽(たちまち)に廃(すた)れて行われず。故に人道は、情欲の侭(まま)にする時は立たざるなり。譬えば漫々たる海上道なきが如きも、船道(ふなみち)を定め、これによらざれば岩にふるゝ(座礁する)也。 道路も同じく、己が思うままにゆく時は突き当り、言語も同じく、思ふまゝに言葉を発する時は忽ち争(あらそい)を生ずる也。これによりて人道は、欲を押え情を制し勤め々々て成る物なり。それ美食美服を欲するは天性の自然、これをためこれを忍びて家産の分内(ぶんない)に随わしむ。身体の安逸奢侈を願うも又同じ。好む処の酒を扣(ひか)へ、安逸を戒め、欲する処の美食美服を押え、分限の内を省(はぶ)いて有余を生じ、他に譲り向来に譲るべし。これを人道と云うなり。

 ※補講※ 

 尊徳は、この説話で、分限の戒めを説いている。分限の戒めとは、欲望の調御を云う。欲を押さえた結果、時間や財産に余裕が出た時には社会へ活用すべしとしている。これを推譲と云う。(推譲に付いては、第七十九話で詳しく述べている)

 5、人道作為の道の諭し

 翁曰く、それ人の賤(いやし)む処の畜道は天理自然の道なり。尊む処の人道は天理に順うといえども 、又作為の道にして自然にあらず。如何となれば、雨には濡れ日には照られ風には吹かれ、春は青草を喰い秋は木の実を喰い、有れば飽くまで喰い無き時は喰(くらわ)ずに居る。これ自然の道にあらずして何ぞ。居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作りて米粟を貯え、衣服を製して寒暑を障(ささ)え、四時共に米を喰うが如き。これ作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる明らか也。それ自然の道は、万古廃(すた)れず、作為の道は怠れば廃る。然るにその人作の道を誤って、天理自然の道と思うが故に、願う事成らず思う事叶わず。終(つい)に我が世は憂世なりなどゝいうに至る。それ人道は荒々たる原野の内、土地肥饒にして草木茂生する処を田畑となし、これには草の生ぜぬようにと願い、土性瘠薄(せきはく)にして草木繁茂せざる地を秣場(まぐさば)となして、ここかしこには草の繁茂せん事を願うが如し。ここを以て、人道は作為の道にして自然の道にあらず、遠く隔りたる所の理を見るべきなり。
 ※補講※

 尊徳は、この説話で、人道作為の道を諭している。
 6、克苦の諭し

 翁曰く、天理と人道との差別を、能く弁別する人少し。それ人身あれば欲あるは則ち天理なり。田畑へ草の生ずるに同じ。堤は崩れ堀は埋(うづま)り橋は朽(くち)る。これ則ち天理なり。然れば、人道は私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、堤は築立(つきたて)、堀はさらい、橋は掛け替えるを以て道とす。かくの如く天理と人道とは格別の物なるが故に天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す。されば人道は勤(つとむ)るを以て尊(とうと)しとし、自然に任ずるを尊ばず。それ人道の勤むべきは、己に克(かつ)の教えなり。己は私欲也。私欲は田畑に譬えれば草なり。克つとは、この田畑に生ずる草を取り捨つるを云う。己に克つは、 我が心の田畑に生ずる草をけづり捨て、とり捨て、我が心の米麦を、繁茂さする勤め也。是を人道という。論語に、己に克ちて礼に復(かえ)るとあるは、この勤めなり。

 ※補講※

論語顔淵「克己復礼為仁」(己にかちて、礼にかえるを仁となす)

 7、人道の罪人の諭し

 翁常に曰く、人界に居て家根(やね)の漏るを坐視し、道路の破損を傍観し、橋の朽ちたるをも憂えざる者は、則ち人道の罪人なり。

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、「不作為、無作為の罪」について述べている。

 8、 神儒仏合一の諭し 

 翁曰く 、 世の中に誠の大道は只一筋なり。神と云い 儒と云い仏と云う、皆同じく大道に入るべき入口の名なり。或は天台と云い真言と云い法華と云い禅と云うも、同じく入り口の小路の名なり。それ何の教え何の宗旨と云うが如きは、譬えばここに清水あり、この水にて藍(あい)を解きて染(そ)むるを紺やと云い、 この水にて紫を解きて染むるを紫やと云うが如し。その元は一つの清水也。紫屋にては我が紫の妙なる事、天下の反物染むる物として紫ならざるはなしと誇り、紺屋にては我が藍の徳たる洪大無辺也。故に一度この瓶(かめ)に入れば、物として紺とならざるはなしと云うが如し。それが為に染められたる紺や宗の人は、我が宗の藍より外に有り難き物はなしと思い、紫宗の者は、我が宗の紫ほど尊き物はなしと云うに同じ。これ皆いわゆる三界城内を、躊躇して出る事あたはざる者也。それ紫も藍も大地に打ちこぼす時は、又元の如く紫も藍も皆脱して本然の清水に帰る也。

 そのごとく神儒仏を初め、心学性学等枚挙に暇(いとま)あらざるも、皆大道の入り口の名なり。この入り口幾箇(いくつ)あるも至る処は必ず一の誠の道也。これを別々に道ありと思うは迷い也。別々也と教えるは邪説也。譬えば不士山に登るが如し、先達に依りて吉田より登るあり、須走(すばしり)より登るあり、須山より登るあり と云えども、その登る処の絶頂に至れば一つ也。かくの如くならざれば真の大道と云うべからず。されども誠の道に導くと云うて誠の道に至らず無益の枝道に引き入るを、これを邪教と云う。誠の道に入らんとして邪説に欺(あざむか)れて枝道に入り、又自ら迷いて邪路に陥るも世の中少からず。慎まずばあるべからず。

 ※補講※

三界(さんがい) 三種の迷いの世界(欲界、色界、無色界) 

 9、小を積んで大をなすの道の諭し

 越後国の産にて笠井亀蔵と云う者あり。故ありて翁の僕たり。翁諭して曰く、 汝は越後の産なり、越後は上国と聞けり。いかなれば上国を去りて他国に来れるや。亀蔵曰く、上国にあらず、田畑高価にして田徳少し。江戸は大都会なれば、金を得る容易(たやす)からんと思うて江戸に出づと。翁曰く、 汝過(あやま)てり。それ越後は土地沃饒(よくじょう)なるが故に食物多し、食物多きが故に人員多し、人員多きが故に田畑高価なり。田畑高価なるが故に薄利なり。然るを田徳少しと云う。少きにあらず、田徳の多きなり。田徳多く土徳(どとく)尊きが故に、田畑高価なるを下国と見て生国を捨て、他邦に流浪するは大なる過ちなり。過ちと知らば、速(すみやか)にその過ちを改めて帰国すべし。越後にひとしき上国は他に少し。然るを下國と見しは過ちなり。

 これを今日、暑気の時節に譬えば、蚯蚓(ミヽズ)土中の炎熱に堪え兼ねて、土中甚(はなはだ)熱し、土中の外に出でなば涼しき処あるべし、土中に居るは愚(ぐ)なりと考え、地上に出でて照り付けられ死するに同じ。それ蚯蚓は土中に居るべき性質にして、土中に居るが天の分なり。然れば何程熱(あつ)しとも外を願はず、我が本性に随い、土中に潜みさえすれば無事安穏なるに、 心得違いして地上に出でたるが運のつき、迷(まよ)いより禍を招きしなり。それ汝もその如く、越後の上国に生れ、 田徳少し、 江戸に出でなば、 金を得る事いと易からんと思い違い、自国を捨てたるが迷いの元にして、みづから災を招きしなり。 然れば、今日過ちを改めて速に国に帰り、小を積んで大をなすの道を勤むるの外あるべからず。心誠にここに至らば、おのづから安堵の地を得る必定なり、猶(なお)迷いて江戸に流浪せば、詰まりは蚯蚓の土中をはなれて地上に出でたると同じかるべし。能くこの理を悟り過ちを悔い能く改めて安堵の地を求めよ。然らざれば今千金を与うるとも無益なるべし、我が言う所必ず違(たが)わじ。 

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、諺にある「隣の糂汰味噌」(となりのじんだみそ、他人の物は何でも自分のよりも良く見える)ということを引き合いにして、軽はずみに自国を捨ててしまってはいけない、と教えている。

 10、 奉仕の精神の諭し

 翁曰く、 親の子における、農の田畑に於る、我が道に同じ。親の子を育つ。無頼(ぶらい)となるといえども養育料を如何せん。農の田を作る、凶歳なれば、肥代(こやしだい)も仕付料も皆損なり。それこの道を行わんと欲する者はこの理を弁(わきまえ)るべし。吾始(はじめ)て、小田原より下野(しもつけ)の物井の陣屋に至る。己が家を潰して、四千石の興復一途(いちず)に身を委(ゆだ)ねたり。これ則ちこの道理に基けるなり。

 それ釈氏は、生者必滅の理を悟り、 この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日の如き道を弘めたり。只この一理を悟るのみ。それ人、生れ出でたる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり。長生と云えども、百年を越(こゆ)るは稀なり。限りの知れたる事なり。 夭(わかじに)と云うも寿(ながいき)と云うも、 実は毛弗の論(わずかな違い)なり。譬えば蝋燭に大中小あるに同じ。 大蝋と云えども、火の付きたる以上は四時間か五時間なるべし。 然れば人と生れ出でたるうえは、必ず死するものと覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲け、一年活きれば一年の益也。故に本来我が身もなきもの、我が家もなきものと覚悟すれば跡は百事百般皆儲けなり。

 予が歌に「かりの身を元のあるじに貸し渡し 民安かれと願ふこの身ぞ」。それこの世は、 我、人ともに僅(わずか)の間の仮の世なれば、この身は、仮の身なる事明らかなり。 元のあるじとは天を云う。この仮の身を我が身と思わず、生涯一途(ず)に世のため人のためのみを思い、 国のため天下の爲に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免れ富有になり、土地開け道、橋整い安穏に渡世の出来るようにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕願い祈りて、おこたらざる我がこの身である、と云う心にてよめる也。これ我(われ)畢生(ひっせい)の覚悟なり。我が道を行わんと思う者は知らずんばあるべからず。
 ※補講※

 尊徳は、この説話で、人の生き方に於ける心構えについて諭している。親が子育てを例に挙げ、見返りを求めてはならないと厳しく戒めている。寿命の例を挙げ、僅かの命を社会に奉仕すべきだと説いている。
 11、分限と中庸の諭し

 儒学者あり。曰く、孟子は易(やす)し中庸は難(かた)しと。翁曰く、予(われ)文字上の事はしらずと云えども、これを実地正業に移して考うる時は、孟子は難し中庸は易し。いかんとなれば、それ孟子の時道行れず、異端の説盛んなり。故にその弁明を勤めて道を開きしのみ、故に仁義を説いて仁義に遠し、卿等(きみたち)孟子を易しとし孟子を好むは、己が心に合うが故なり。卿等(きょうら)が学問するの心、仁義を行なわんが為に学ぶにあらず、道を蹈(ふ)まんが為に修行せしにあらず、只書物上の議論に勝ちさえすれば、それにて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言い伏すれば、それにて儒者の勤めは立つと思えり。

 それ聖人の道、豈(あ)に然るものならんや。聖人の道は仁を勤むるにあり、五倫五常を行うにあり。何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや。人を言い伏するを以て勤めとせんや。孟子は則ちこれなり。かくの如きを聖人の道とする時は甚だ難道也。容易になし難し、故に孟子は難しと云う也。それ中庸は通常平易の道にして、一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑(ひきき)より高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行い易し。譬えば百石の身代の者、勤倹を勤め五十石にて暮し、五十石を譲りて国益を勤むるは、誠に行い易し。愚夫愚婦にも出来ざる事なし。この道を行えば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり。神の道、聖人の道、 一挙にして行わるべし。至って行い易き道なり。故に中庸と云いしなり。予(われ)人に教うるに、吾が道は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となすと教ゆ。豈(あに)中庸にして行い易き道にあらずや。

 ※補講※

 中庸「君子之道、辟如行遠必自邇、辟如登高必自卑」(君子の道は、例えば遠きに行くに、必ずちかきよりするがごとく、例えば高きに登るに必ずひくきよりするがごとし)

 孟子(前372〜289)の時代は、戦国時代。孟子は各地で自説を諸侯に説いたが受け入れてもらえなかった。やむを得ず郷里に戻って、古典の整理と著作に励んだ。五倫とは、人の守るべき五つの倫理、人倫。父子(親)・君臣(義)・夫婦(別)・長幼(序)・朋友(信)。五常とは、一般には、人が常に行うべき正しいこと。仁、義、礼、智、信。また、父(義)母(慈)兄(友)弟(恭)子(孝)。

 尊徳は、この説話で、指導者は、判り易く、実行し易いことを人に説けと教えている。世の中には、良く弁が立つ人に出会うと、そのことだけで優秀な人材と思い込んでしまう人が多い。いわゆる、ハレーション効果と言われる現象に幻惑されてしまうのである。尊徳は、弁よりも実行力、行動力が大事と諭している。

 12、 国家復興の道の諭し 

 翁曰く、道の行はるるや難(かた)し、道の行れざるや久し。その才ありといえども、その力なき時は行われず。その才その力ありといえども、その徳なければ又行われず。その徳ありといえども、その位(くらい)なき時は又行われず。然れども、これはこの大道を国天下に行うの事なり。その難き勿論なり。 然れば何ぞ、この人なきを憂えんや。何ぞその位(くらい)なきを憂えんや。茄子(なす)をならするは茄子作り能くすべし、馬を肥(こや)すは馬士(まご)能くすべし、一家を斉(ととの)うるは亭主能くすべし。 或いは兄弟親戚相結んで行い、或は朋友同志相結んで行うべし。人々この道を尽し、家々この道を行い、村々この道を行わヾ、豈(あ)に国家興復せざる事あらんや。    

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、良きことを学べば行うことが肝要であることを諭している。尊徳は、この説話では引用していないが、後のところでは、「大學」から、「一家仁なれば、一国仁に興る」を引用し、一家が治められない者に一国が治められる訳は無いとしている。最小単位の一家が正しく治められ、仁が実現していれば、やがてはそれが波及して、国も自動的にそうなるとしている。

 13、吝(リン)か倹かの諭し

 翁曰く、世の中に事なしといえども、変なき事あたわず、これ恐るべきの第一なり。 変ありといえども、これを補うの道あれば、変なきが如し。変ありて是を補う事あたわざれば大変に至る。古語に、三年の貯蓄(たくわえ)なければ国にあらずと云えり。兵隊ありといえども、武具軍用備わらざればすべきようなし。只国のみにあらず、家も又然り。それ万(よろづ)の事有余(ゆうよ)無ければ、必ず差し支え出で来て家を保つ事能わず。然るをいはんや国天下をや。人は云う、我が教え、倹約を専らにすと。倹約を専らとするにあらず、変に備えんが爲なり。人は云う、我が道、積財を勤むと。積財を勤むるにあらず、世を救い世を開かんが爲なり。古語に、 飲食を薄うして 孝を鬼神(きじん)に致し、衣服を悪(あし)うして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑(いやしう)して力を溝洫(こういき)に尽すと。能く々この理を玩味せば、吝(りん)か倹か弁を待(また)ずして明らかなるべし。  

 ※補講※  

 論語 泰伯「菲飲食、而致孝乎鬼神、悪衣服、而致美乎黻冕、卑宮室、尽力溝洫」(いんしょくをうすくして、こうをきしんにいたし、いふくをあしくしてびをふつべんにいたし、きゅうしつをひくくしてちからをこうきょくにつくす)
 (飲食を切り詰めて神々に真心を尽くし、衣服を質素にして祭りの前垂れと冠を立派なものにし、住まいを粗末にして灌漑の水路のために力を尽くす) 

* 黻冕(フツベン)=礼服の、ひざかけとかんむり。 
* 溝洫(コウイキ)=「コウイキ」とあるが、漢和辞典によれば、「コウキョク」である。田間のみぞ。<ママ>は引用者が付けたもの。ここに「古語」とあるのは、 『論語』(泰伯篇)にある孔子の言葉。

 14、「積小為大」の諭し

 翁曰く、大事をなさんと欲せば、小なる事を怠らず勤むべし、小積りて大となればなり。凡そ小人の常、大なる事を欲して小さなる事を怠り、出来難き事を憂いて 出来易き事を勤めず。それ故、 終(つい)に大なる事をなす事あたわず。それ大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。譬えば 百万石の米と雖(いえど)も粒の大なるにあらず。万町の田を耕すも、その業(わざ)は一鍬づゝの功にあり。千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(ひともっこ)の土よりなる事を明かに弁えて、励精(れいせい)小さなる事を勤めば、大なる事必ずなるべし。小さなる事を忽(ゆるがせ)にする者、大なる事は必ず出来ぬものなり。

 ※補講※  

 尊徳は、この説話で、「積小為大」の教えを説いている。尊徳の基本的な思想を構成する大事な諭しである。これを「塵も積もれば山となる」という風に捉えたり、「ケチ」の教えと理解するのは間違いである。尊徳は、総てのものごとは、最小単位から構成されることは間違いの無い事実であるから、その最小単位に眼を向けて、そこからしっかりと組み上げていかなければ、目的とするものごとの完成はおぼつかないという旨を主張している。これが「積小為大」である。

 15、 基礎より積むべしの諭し

 翁曰く、万巻の書物ありといえども、無学の者に詮(せん)なし。隣家に金貸しありといえども、我に借りる力なきを如何せん、向いに米屋ありといえども、銭なければ買う事はならぬ也。されば書物を読まんと思わゞ、いろはより習い初めるべし。家を興さんと思わゞ、小より積み初むべし。この外に術はあらざるなり。  

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、何事も
初歩から確実に進めて行くことが大事であると教えている。

 16、富国の道への諭し   

 翁曰く、多く稼いで、銭を少く遣(つか)い、多く薪(たきぎ)を取って焚く事は少くする。これを富国の大本、富国の達道と云う。然るを世の人これを吝嗇(りんしょく)と云い、又強欲と云う。これ心得違いなり。それ人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(とうと)ぶが故なり。それ貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道なり。親の身代を子に譲るも、則ち貯蓄の法に基(もとい)するものなり。人道は言いもてゆけば貯蓄の一法のみ。故にこれを富国の大本、富国の達道と云うなり。

 ※補講※

 17、節約の諭し 

 翁曰く、米は多く蔵につんで少しづゝ炊き、薪(たきぎ)は多く小屋に積んで焚く事は成る丈少くし、衣服は着らるるやうに扱(こし)らえて、なる丈着ずして仕舞いおくこそ、家を富(とま)すの術なれ。則ち国家経済の根元なり。天下を富有にするの大道も、その実この外にはあらぬなり。  

  ※補講※

 18、神楽芸の諭し

 翁、宇津氏の邸内に寓す、邸内稲荷(いなり)社の祭礼(まつり)に大神楽(かぐら)来たりて、建物の戯芸(ぎげい)をせり。翁、これを見て曰く、凡そ事この術の如くなさば、 百事成らざる事あらざるべし。 その場に出(いず)るや少しも噪(さわ)がず、 先ず体を定めて、両眼を見澄(すま)して、棹の先に注し、脇目も触らず、一心に見詰め、器械の動揺を心と腰に受け、手は笛を吹き扇を取りて舞い、足は三番叟(さんばそう)の拍子を蹈(ふ)むといえども、その歪みを見留(みとめ)て腰にて差引す。その術至れり尽せり。手は舞うといえども、手のみにして体に及ばず、足は蹈むといえども、足のみにして腰に及ばず。舞うも躍るも両眼は急度(きっと)見詰め、心を鎮め、体(たい)を定めたる事、大学論語の真理、聖人の秘訣、この一曲の中に備(そなわ)れり。然るを之を見る者、聖人の道と懸隔すと見て、この大神楽の術を賤しむ。儒生の如き、何ぞ国家の用に立たんや。嗚呼(あぁ)術は恐るべし。綱渡りが綱の上に起臥して落ちざるも又、これに同じ。能く思うべき事なり。

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、まず観察を正しく細密に行なうことが総ての問題解決の基本であることを教えている。

 19、命あってのもの種の諭し 

 翁曰く、松明(たいまつ)尽て、手に火の近付(づ)く時は速(すみやか)に捨つべし。火事あり、危(あやう)き時は荷物は捨てて逃げ出すべし。大風にて船くつがえらんとせば、上荷を刎(はね)るべし。甚しき時は帆柱をも伐るべし。この理を知らざるを至愚と云う。 
 ※補講※
  20、先に奉仕すべしの諭し 

 川久保民次郎と云う者あり。翁の親戚なれども、貧にして翁の僕たり。国に帰らんとして暇(いとま)を乞う。翁曰く、それ空腹なる時、他にゆきて一飯をたまわれ。予、庭をはかんと云うとも、決して一飯を振舞う者あるべからず。空腹をこらえて、まず庭を掃かば或いは一飯にありつく事あるべし。これ己を捨てて人に随うの道にして、百事行われ難き時に立ち至るも、行わるべき道なり。我、若年初(はじめ)て家を持ちし時、一枚の鍬(くわ)損じたり。隣家に行きて鍬を貸してくれよと云う。隣の翁曰く、今この畑を耕し菜を蒔かんとする処なり。蒔き終らざれば貸し難しと云えり。我家に帰るも別に為すべき業(わざ)なし。予、この畑を耕して進ずべしと云うて耕し、菜の種を出されよ、序(ついで)に蒔(ま)きて進ぜんと云いて、耕し且つ蒔きて、後に鍬を借りし事あり。隣の翁曰く、鍬に限らず何にても差し支(つか)えの事あらば遠慮なく申されよ。必ず用達べしと云える事ありき。かくの如くすれば、百事差し支えなきものなり。

 汝国に帰り、新(あらた)に一家を持たば、必ずこの心得あるべし。それ汝未(いま)だ壮年なり。終夜(よもすがら)いねざるも障(さわ)りなかるべし。夜々寝る暇(ひま)を励まし勤めて、草鞋(わらじ)壱足或は二足を作り、 明日開拓場に持出し、草鞋の切れ破れたる者に与えんに、受くる人礼せずといえども、 元寝る暇にて作りたるなればその分なり。礼を云う人あれば、それだけの徳なり、又一銭半銭を以て応ずる者あればこれ又それ丈の益なり。能くこの理を感銘し、連日おこたらずば、何ぞ志の貫かざる理あらんや。何事か成らざるの理あらんや。我、幼少の時の勤めこの外にあらず、肝に銘じて忘るべからず。又損料を出して、差し支えの物品を用弁するを甚(はなはだ)損なりと云う人あれど、しからず。それは事足る人の上の事なり。新(あらた)に一家を持つ時は百事差し支えあり。皆損料にて用弁すべし。世に損料ほど弁理なるものはなし。且つ安き物はなし。決して損料を高き物、損なる物と思う事なかれ。

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、人との付き合いの中では、先に相手に奉仕をするようにしていくべきだと教えている。現代では、「配置薬業」という名称になったが、いわゆる「富山の置き薬」商法がそれである。この商法では、必要な時に直ぐに薬が手に入るということで、商売でありながら、お客さまに感謝をされる、ありがたい立場にあると共に、一度置いてもらえば、それこそ、その家が続く限り、孫子の代までの固定客になってもらえる有り難さの、両方が一気に成立する素晴らしい商法である。現代においても、お客様への信頼を前提とした事業運営を行う企業は、日本ばかりでなく、世界中において、社会に歓迎され、繁栄している。






(私論.私見)