巻の一(1〜20)

 (最新見直し2010.06.02日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「二宮尊徳 『二宮翁夜話』」の「二宮翁夜話 (巻之一)」、「現代語新翻訳 気軽に読みたい人のための 二宮翁夜話 スーパー・マルチ・タレント 二宮尊徳が教えてくれる人の生き方 中小企業診断士 茂呂戸志夫」の「巻の一」を参照する。1話から20話を採録する。ひとまず転載し、追々にれんだいこ風に書き換えて行くことにする。

 2010.05.19日 れんだいこ拝


【二宮翁夜話 巻之一目次、福住正兄筆記】

 巻の1

第一話 誠の道の諭し 誠は、天地の間の現実の活動の中にある。それを見出して、人の世のために活用せよ
第二話 天理と人道の違いの諭し 天道と人道、天理には善悪の区別は無い。人道は、人に役立つもの便利なのを善とする
第三話 中庸の諭し 人道は、天理に従い、天理に逆らう
第四話 分限の戒めの諭し 人道は、欲を押さえ、情を制して、努力することで完成する。それが推譲の精神のもととなる
第五話 人道作為の道の諭し 人道は、維持に努めるべき道。天理に従う部分もあるが、殆どが作為の道である
第六話 克苦の諭し 人道は私欲に克って、努力して守るべきもの
第七話 人道の罪人の諭し 傍観者は罪人
第八話 神儒仏合一の諭し 真理に至る入り口は幾つもあるが、真理は一つ
第九話 小を積んで大をなすの道の諭し 物の値段や賃金が高いのは、それだけの力があるからである。それをうまく活用できないで他の国へ出て行くのは、間違っている
第十話 奉仕の精神の諭し 信念に基づいて一生懸命に努力し、決して見返りを求めてはならない
第十一話 分限と中庸の諭し 学問のための空疎な学問ではなく、世の中のためになることを実行できる学問こそ価値がある
第十二話 国家復興の道の諭し  天下国家の安寧と繁栄も自分の足元から
第十三話 吝(リン)か倹かの諭し 倹約や蓄えは、異変や事故に備えるためのもの
第十四話 「積小為大」の諭し 大きなことは、小さなことの集まり
第十五話 基礎より積むべしの諭し 小さなことから始める
第十六話 富国の道への諭し 富ませる元は貯蓄
第十七話 節約の諭し 出を制することが富裕への道
第十八話 神楽芸の諭し 技術を持った大神楽は、儒者に勝る
第十九話 命あってのもの種の諭し 物よりも命を惜しめ
第二十話 先に奉仕すべしの諭し 先に奉仕をすれば、あとからついてくるものがある

【二宮翁夜話 巻之一、福住正兄筆記】
 1、誠の道の諭し

 翁曰く、それ誠の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚へ、書籍(シヨジヤク)もなく記録もなく、師匠もなく、而して人々自得して忘れず。これぞ誠の道の本体なる。渇して飲み飢えて食らい、労(ツカ)れて寝(いね)さめて起く。皆この類(たぐい)なり。古歌に「水鳥のゆくもかへるも跡たえて されども道は忘れざりけり」(良寛の歌、但し「されども」は「ふれ(経れ)ども」が正しい)といへるが如し。それ記録もなく、書籍(シヨジヤク)もなく、学ばず習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり。

 それ我が教えは書籍を尊まず。故に天地を以て経文とす。予が歌に「音もなくかもなく常に天地(アメツチ)は書かざる経をくりかへしつ ゝ」とよめり。かくのごとく日々、繰返し繰返してしめさるゝ、天地の経文に誠の道は明らかなり。掛るる尊き天地の経文を外(ホカ)にして、書籍の上に道を求むる学者輩(ハイ)の論説は取らざるなり。能く々目を開きて、天地の経文を拝見し、之を誠にするの道を尋ぬべきなり。

 それ世界横の平(タイラ)は水面を至れりとす、竪(タテ)の直(スグ)は、垂針(サゲブリ)を至れりとす。凡そかくの如き万古動かぬ物あればこそ、地球の測量もできるなれ。 これを外にして測量の術あらむや。 暦道の表(ヒヨウ)を立てゝ景(カゲ)を測るの法、 算術の九々の如き、 皆自然の規(ノリ)にして万古不易の物なり。この物によりてこそ、天文も考ふべく 暦法をも算すべけれ。この物を外にせばいかなる智者といへども、 術を施すに方なからん。それ我が道も又然り。

 天言(モノ)いはず、而して、四時(しいじ)行はれ百物成る処の不書の経文、不言の教戒、則ち米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実法(ミノ)るが如き、万古不易の道理により、誠の道に基きて之を誠にするの勤めをなすべきなり。
 ※補講※ 

 論語陽貨「天何言哉、四時行焉、百物生焉」(てんなにをかいうや、しじおこなわれ、ひゃくぶつしょうず)。

 孔子が門人の子貢に、私が何も言わなくとも、自然界に学ぶべき教えはある。言葉だけを頼るな、と言った時の言葉)

 論語中庸「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也」(まことなるものはてんのみちなり、これをまことにするものは、ひとのみちなり。まことなるものは、つとめずしてあたり、おもわずしてえ、しょうようとしてみちにあたる、せいじんなり。これをまことにするものは、ぜんをえらびてかたくこれをとるものなり) 


 尊徳は、この夜話の全編を通して、「論語」、「大學」、「中庸」等からの言葉を用いて色々な説明を行っているが、それらを十分に咀嚼して用いている。書籍に頼りきらないで、且つ書籍の受け売りをしないで、書籍の中で述べていることを参考にして、自身の思想として紡ぎだしている。「夜話」の全編を通して、尊徳の説話において例示されるものは農業の現場の話題を中心としているが、後年(天保十三年)、治水土木技師としての技量を買われて当時の老中水野越前守の意により幕府に登用された事実を見ても、単なる「農」の人だけでなかったことが証明される。尊徳の偉さは、自身の立脚する農の持ち場から、主として当時の社会の財政再建を通しての世直し、世の立て替えを企図していたことに認められる。
 二  天理と人道の諭し

 翁曰く 、それ世界は旋転してやまず。寒往けば暑来り、暑往けば寒来り、夜明くれば昼となり、昼になれば夜となり、又万物生ずれば滅し、滅すれば生ず。譬えば銭を遣(や)れば品が来り、品を遣れば銭が来るに同じ。寝ても醒(さめ)ても、居ても歩行(あるい)ても、昨日は今日になり今日は明日になる。田畑も海山も皆その通り。ここにて薪をたきへらすほどは、山林にて生木(せいぼく)し、ここで喰い(へらす丈(だけ)の穀物は、田畑にて生育す。野菜にても魚類にても、 世の中にて減るほどは、 田畑河海山林にて、生育し、生れたる子は、時々刻々年がより、築(つき)たる堤は時々刻々に崩れ、掘りたる堀は日々夜々に埋(うづま)り、葺きたる屋根は日々夜々に腐る。これ即ち天理の常なり。

 然るに人道は、これと異也。 如何(イカン)となれば、風雨定めなく、寒暑往来するこの世界に、毛羽なく鱗介(りんかい)なく、裸体(はだか)にて生れ出で、家がなければ雨露(あめつゆ)が凌がれず、衣服がなければ寒暑が凌がれず。ここに於て、人道と云う物を立て、米を善とし、莠(はぐさ)を悪とし、家を造るを善とし、破るを悪とす。皆人の為に立てたる道なり。よって人道と云い、天理より見る時は善悪はなし。その証には、天理に任する時は、皆荒地となりて、開闢(カイビャク)のむかしに帰る也。如何となれば、これ則ち天理自然の道なれば也。それ天に善悪なし、故に稲と莠(ハグサ)とを分(わか)たず、種ある者は皆生育せしめ、生気ある者は皆発生せしむ。 人道はその天理に順(したがう)といへども、その内に各区別をなし、稗(ひえ)莠(はぐさ)を悪とし、米麦を善とするが如き、皆人身に便利なるを善とし、不便なるを悪となす。ここに到りては天理と異なり。如何となれば、人道は人の立つる処なれば也。人道は譬えば料理物の如く、三倍酢の如く、 歴代の聖主賢臣料理し塩梅 (あんばい)して拵らへたる物也。 されば、ともすれば破れんとす。故に政(まつりごと)を立て、教えを立て、刑法を定め、礼法を制し、 やかましくうるさく、世話をやきて、 漸く人道は立つなり。然(しかる)を天理自然の道と思ふは、大なる誤也、能く思ふべし。

 ※補講※ 

 尊徳は、この説話で、天理と人道を採り上げている。天然自然の摂理である天理を聞き分けすること、天理に合わせて人道を打ち立てることの必要を説いている。但し、人道は、天理をそのままに引きうつすことではないと戒めている。

 三 中庸の諭し

 翁曰く、それ人道は譬えば、(小川に懸けられた)水車の如し。その形半分は水流に順い、半分は水流に逆(さからい)て輪廻す。丸に水中に入れば廻らずして流るべし。又水を離るれば廻る事あるべからず。それ仏家に所謂(いわゆる)知識の如く、世を離れ欲を捨てたるは、譬えば水車の水を離れたるが如し。又凡俗の教義も聞かず義務もしらず、私欲一偏に着(ちゃく)するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し。共に社会の用をなさず、 故に人道は中庸を尊む。水車の中庸は、宜(よろし)き程に水中に入て、半分は水に順い、半分は流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり。人の道もその如く天理に順いて種を蒔き、 天理に逆うふて草を取り、欲に随(したがい)て家業を励み、欲を制して義務を思ふべきなり。

 ※補講※ 

 中庸とは「中とは、不偏不倚(ふい、気持ちが片寄らないこと)で、過不及の無いこと、庸とは平常の意味」朱子

 四 分限の戒めの諭し

 翁曰く、それ人道は人造なり。されば自然に行はるゝ処の天理とは格別なり。天理とは、春は生じ秋は枯れ、 火は燥(カワ)けるに付き、 水は卑(ヒキヽ)に流る。昼夜運動して万古易(カハ)らざる是(これ)なり。人道は日々夜々人力を尽し、保護して成る。故に天道の自然に任すれば、忽に廃(すた)れて行はれず。故に人道は、情欲の侭(まま)にする時は、立たざるなり。譬えば漫々たる海上道なきが如きも、船道(フナミチ)を定め是によらざれば、 岩にふるゝ(座礁する)也。 道路も同じく、己が思ふ侭にゆく時は突当り、言語も同じく、思ふまゝに言葉を発する時は忽ち争(あらそい)を生ずる也。これによりて人道は、欲を押へ情を制し勤め々々て成る物なり。それ美食美服を欲するは天性の自然、これをためこれを忍びて家産の分内(ブンナイ)に随はしむ。身体の安逸奢侈を願ふも又同じ。好む処の酒を扣(ひか)へ、安逸を戒め、欲する処の美食美服を押へ、分限の内を省(はぶい)て有余を生じ、他に譲り向来に譲るべし、是を人道といふなり。

 ※補講※ 

 尊徳は、この説話で、分限の戒めを説いている。分限の戒めとは、欲望の調御を云う。欲を押さえた結果、時間や財産に余裕が出た時には社会へ活用すべしとしている。これを推譲と云う。(推譲に付いては、第七十九話で詳しく述べている)

 五  人道作為の道の諭し

 翁曰く、それ人の賤(いやし)む処の畜道は天理自然の道なり。尊む処の人道は天理に順うといへども 、又作為の道にして自然にあらず。如何となれば、雨にはぬれ日には照られ風には吹かれ、春は青草を喰い秋は木の実を喰い、有れば飽くまで喰い無き時は喰(くらわ)ずに居る。これ自然の道にあらずして何ぞ。居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作りて米粟を貯へ、衣服を製して寒暑を障(ささ)へ、四時共に米を喰うが如き。これ作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる明か也。それ自然の道は、万古廃(すた)れず、作為の道は怠れば廃る。然るにその人作の道を誤って、天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず思ふ事叶はず。終(つい)に我世は憂世なりなどゝいふに至る。それ人道は荒(クワウ)々たる原野の内、土地肥饒にして草木茂生する処を田畑となし、これには草の生ぜぬようにと願ひ、土性瘠薄(セキハク)にして草木繁茂せざる地を 秣場(マグサバ)となして、ここかしこには草の繁茂せん事を願ふが如し。ここを以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔りたる所の理を見るべきなり。

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、人道は人が作り上げたものであることを忘れて、天道と同じように既にそこに存在している、と勘違いすることから、欲を制御しないままに、満たされないことへの不満を大きくしていく弊害があると、述べている。人道はあくまでも、天の法則、原理には従うものの、作為に基づくものであるので、それを維持していくには一層の自制と努力が必要となると教えているのである。我々は、ややもすると、自欲、我欲を制御するのを忘れて、今の楽しさ、今の繁栄ばかりを追い求め、後年への配慮を欠くこともある。今、多量のエネルギーを欲しがりながら、他方では、他人が力を尽くしてくれて、かけがえのない地球を守ってくれるのでは、と考えているようなことなのである。それでは未来の人道に、大きな欠陥を残してしまうことになりかねない。また、貪りに似た開発途上国からの物品の輸入活動は、それらの国々の未来を傷つけているかもしれないのである。自制、推譲という行動が必要な時であることを認識させられる。

 六 克苦の諭し

 翁曰く、天理と人道との差別を、能く弁別する人少し。それ人身あれば欲あるは則ち天理なり。田畑へ草の生ずるに同じ。堤は崩れ堀は埋(うづま)り橋は朽(くち)る。これ則ち天理なり。然れば、人道は私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、堤は築立(つきたて)、堀はさらひ、橋は掛替(かけかえ)るを以て道とす。かくの如く、天理と人道とは格別の物なるが故に、天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す。されば人道は勤(つとむ)るを以て尊(とうと)しとし、自然に任ずるを尊ばず。それ人道の勤むべきは、己に克(かつ)の教えなり。己は私欲也。私欲は田畑に譬えれば草なり。克つとは、この田畑に生ずる草を取り捨つるを云う。己に克つは、 我心の田畑に生ずる草をけづり捨て とり捨て、我心の米麦を、繁茂さする勤め也。是を人道といふ。論語に、己に克ちて礼に復(かえ)る、とあるは、この勤めなり。

 ※補講※

論語顔淵「克己復礼為仁」(おのれにかちて、れいにかえるを、じんとなす)

 七 人道の罪人の諭し

 翁常に曰く、人界に居て家根(やね)のもるを坐視し、道路の破損を傍観し、橋の朽ちたるをも憂えざる者は、則ち人道の罪人なり。

 ※補講※

 二宮尊徳は、この説話で、「不作為、無作為の罪」について述べている。

 八  神儒仏合一の諭し 

 翁曰く 、 世の中に誠の大道は只一筋なり。神(シン)と云い 儒と云い仏といふ、皆同じく大道に入るべき入口の名なり。或は天台といひ真言といひ法華といひ禅と云うも、同じく入口の小路の名なり。それ何の教え何の宗旨といふが如きは、譬えばここに清水あり、この水にて藍(アイ)を解きて染(そ)むるを紺やと云ひ、 この水にて紫をときて染むるを紫やといふが如し。その元は一つの清水也。紫屋にては我が紫の妙なる事、天下の反物染むる物として、紫ならざるはなしとほこり、紺屋にては我が藍の徳たる洪大無辺也、故に一度この瓶(かめ)に入れば、物として紺とならざるはなしと云が如し。それが為に染められたる紺や宗の人は、我が宗の藍より外に有り難き物はなしと思ひ、紫宗の者は、我宗の紫ほど尊き物はなしと云に同じ。これ皆いわゆる三界城内を、躊躇して出る事あたはざる者也。それ紫も藍も、大地に打こぼす時は、又元の如く、紫も藍も皆脱して、本然の清水に帰る也。

 そのごとく神儒仏を初め、心学性学等枚挙に暇(いとま)あらざるも、皆大道の入口の名なり。この入口幾箇(いくつ)あるも至る処は必ず一の誠の道也。これを別々に道ありと思ふは迷ひ也。別々也と教えるは邪説也。譬えば不士山に登るが如し、先達に依て吉田より登るあり、須走(スバシリ)より登るあり、須山より登るあり といへども、その登る処の絶頂に至れば一つ也。かくの如くならざれば真(シン)の大道と云べからず。されども誠の道に導くと云て、誠の道に至らず。無益の枝道に引入るを、これを邪教と云う。誠の道に入らんとして、邪説に欺(あざむか)れて枝道に入り、又自ら迷ひて邪路に陥るも、世の中少からず、慎まずばあるべからず。     

 ※補講※

三界(さんがい) 三種の迷いの世界(欲界、色界、無色界) 

 九  小を積んで大をなすの道の諭し

 越後国の産にて笠井亀蔵と云者あり。故ありて翁の僕(ボク)たり。翁諭して曰く、 汝は越後の産なり、越後は上国と聞けり、 如何(いか)なれば上国を去りて、他国に来れるや。亀蔵曰く、上国にあらず、田畑高価にして、田徳少し。江戸は大都会なれば、金を得る容易(たやす)からんと思ふて江戸に出づと。翁曰く、 汝過(あやま)てり、 それ越後は土地沃饒(ヨクジヤウ)なるが故に食物多し、食物多きが故に人員多し、人員多きが故に田畑高価なり、田畑高価なるが故に薄利なり。然るを田徳少しと云ふ。少きにあらず、田徳の多きなり、田徳多く土徳(ドトク)尊きが故に、田畑高価なるを下国と見て生国を捨(すて)、 他邦に流浪するは大なる過ちなり。過ちとしらば、速(すみやか)にその過ちを改めて、帰国すべし、越後にひとしき上国は他に少し、然るを下國と見しは過ちなり。

 これを今日、暑気の時節に譬へば、蚯蚓(ミヽズ)土中の炎熱に堪兼(タヘカネ)て、土中甚(はなはだ)熱し、土中の外に出(いで)なば涼しき処あるべし、土中に居るは愚(グ)なりと考へ、地上に出(いで)て照り付られ死するに同じ。それ蚯蚓は土中に居るべき性質にして、土中に居るが天の分なり。然れば何程熱(アツ)しとも、外を願はず、我本性に随ひ、土中に潜みさへすれば無事安穏なるに、 心得違ひして、地上に出(いで)たるが運のつき、迷(マヨヒ)より禍を招きしなり。それ汝もその如く、越後の上国に生れ、 田徳少し、 江戸に出(いで)なば、 金を得る事いと易からんと、思ひ違ひ、自国を捨(すて)たるが迷の元にして、みづから災を招きしなり、 然れば、今日過ちを改めて速(スミヤカ)に国に帰り、小を積んで大をなすの道を、勤(ツトム)るの外あるべからず、心誠に爰(コヽ)に至らば、おのづから、安堵の地を得る必定なり、 猶(ナホ)迷(まよい)て江戸に流浪せば、詰(ツマ)りは蚯蚓の、土中をはなれて地上に出(いで)たると同じかるべし、 能(よく)この理を悟り過を悔ひ能(よく)改めて、安堵の地を求めよ。然らざれば今千金を与ふるとも、無益なるべし、我(わが)言ふ所必ず違(タガ)はじ。 

 ※補講※

 尊徳は、この説話で、諺にある「隣の糂汰味噌」(となりのじんだみそ、他人の物は何でも自分のよりも良く見える)ということを引き合いにして、軽はずみに自国を捨ててしまってはいけない、と教えている。

 一〇   奉仕の精神の諭し

 翁曰く、 親の子における、農の田畑に於る、我が道に同じ。親の子を育つ。無頼(ブライ)となるといへども養育料を如何せん。農の田を作る、凶歳なれば、肥代(コヤシダイ)も仕付料も皆損なり。それこの道を行はんと欲する者はこの理を弁(わきまえ)るべし、吾始(はじめ)て、小田原より下野(シモツケ)の物井の陣屋に至る。己が家を潰して、四千石の興復一途(いちず)に身を委(ゆだ)ねたり。これ則ちこの道理に基けるなり。

 それ釈(シヤク)氏は、生者必滅の理を悟り、 この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日の如き道を弘めたり。只この一理を悟るのみ。それ人、生れ出(いで)たる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり。長生といへども、百年を越(こゆ)るは稀なり、限りのしれたる事なり。 夭(わかじに)と云(いう)も寿(ナガイキ)と云うも、 実は毛弗の論(わずかな違い)なり。譬えば蝋燭に大中小あるに同じ。 大蝋といへども、火の付(つき)たる以上は四時間か五時間なるべし。 然れば人と生れ出(いで)たるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲け、一年活きれば一年の益也。故に本来我身もなき物、我家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲なり。

 予が歌に「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」。それこの世は、 我(われ)人(ひと)ともに僅(わずか)の間の仮の世なれば、この身は、かりの身なる事明らかなり。 元のあるじとは天を云う。このかりの身を我身と思はず、生涯一途(ヅ)に世のため人のためのみを思ひ、 国のため天下の爲に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免れ富有になり、土地開け道(ミチ)橋(ハシ)整ひ安穏に渡世の出来るやうにと、それのみを日々の勤とし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざる我(わが)この身である、といふ心にてよめる也。これ我(ワレ)畢生(ヒツセイ)の覚悟なり。我が道を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず。
 ※補講※

 尊徳は、この説話で、人の生き方に於ける心構えについて諭している。親が子育てを例に挙げ、見返りを求めてはならないと厳しく戒めている。寿命の例を挙げ、僅かの命を社会に奉仕すべきだと説いている。
 一一 分限と中庸の諭し

 儒学者あり。曰く、孟子は易(やす)し中庸は難(かた)しと。翁曰く、予(われ)文字上の事はしらずといへども、これを実地正業に移して考ふる時は、孟子は難し中庸は易し。いかんとなれば、それ孟子の時道行れず、異端の説盛んなり。故にその弁明を勤めて道を開きしのみ、故に仁義を説いて仁義に遠し、卿等(キミタチ)孟子を易しとし孟子を好むは、己が心に合ふが故なり。卿等(ケイラ)が学問するの心、仁義を行なわんが為に学ぶにあらず、道を蹈(ふま)んが為に修行せしにあらず、只書物上の議論に勝ちさへすれば、それにて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言い伏すれば、それにて儒者の勤めは立つと思へり。それ聖人の道、豈(あ)に然る物ならんや。聖人の道は仁を勤むるにあり、五倫五常を行ふにあり、何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや。人を言い伏するを以て勤めとせんや。孟子は則ちこれなり。かくの如きを聖人の道とする時は甚だ難道也。容易になし難し、故に孟子は難しといふ也。それ中庸は通常平易の道にして、 一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑(ひきき)より高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。譬えば百石の身代の者、勤倹を勤め五十石にて暮し、五十石を譲りて国益を勤(つとむ)るは、誠に行ひ易し。愚夫愚婦にも出来ざる事なし。この道を行へば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、 神の道、聖人の道、 一挙にして行はるべし、至て行ひ易き道なり、 故に中庸といひしなり。予(われ)人に教ふるに、吾道(わがみち)は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となすと教ゆ、豈(アニ)中庸にして行ひ易き道にあらずや。

 ※補講※ 

孟子(前372〜289)の時代は、戦国時代。孟子は各地で自説を諸侯に説いたが受け入れてもらえなかった。やむを得ず郷里に戻って、古典の整理と著作に励んだ。五倫とは、人の守るべき五つの倫理、人倫。父子(親)・君臣(義)・夫婦(別)・長幼(序)・朋友(信)。五常とは、一般には、人が常に行うべき正しいこと。仁、義、礼、智、信。また、父(義)母(慈)兄(友)弟(恭)子(孝)。

 「君子之道、辟如行遠必自邇、辟如登高必自卑」(くんしのみちは、たとえばとおきにいくに、かならずちかきよりするがごとく、たとえばたかきにのぼるにかならずひくきよりするがごとし)中庸

尊徳は、この説話で、指導者は、判り易く、実行し易いことを人に説け、と教えている。判り易く説けるということは、実行したことがあるか、実行するために勉強して良く理解した結果である。自分で実行出来ないことは判りやすく説けないのである。後の説話でもたびたび出てくるが、尊徳が良く説いている「積小為大」ということも、「中庸」を原点としているものと考えられる。

世の中には、良く弁が立つ人に出会うと、そのことだけで優秀な人材と思い込んでしまう人が多い。いわゆる、ハレーション効果と言われる現象に、幻惑されてしまうのである。特に、企業の経営者にその傾向が強い。企業活動は、弁論大会ではないのであるから、弁よりも実行力、行動力が大事なのであり、そのことも重々承知しているが、ついつい、自分に無いものに出会うと、それが立派に見えてしまい、惑ってしまうのである。再度、実行力優先ということを確認したいものである。

 一二    国家復興の道の諭し 

 翁曰く、道の行はるるや難(かた)し、道の行れざるや久し、その才ありといへども、その力なき時は行はれず。その才その力ありといへども、その徳なければ又行れず。その徳ありといへども、その位(くらい)なき時は又行れず。然れども是は是大道を国天下に行ふの事なり。その難き勿論なり、 然れば何ぞ、この人なきを憂へんや。何ぞその位(くらい)なきを憂ヘんや。茄子(ナス)をならするは茄子作り能くすべし、馬を肥(こや)すは馬士(マゴ)能(よく)すべし、一家を斉(トヽノ)ふるは亭主能(よく)すべし。 或いは兄弟親戚 相結んで行ひ、或は朋友同志相結んで行ふべし。人々この道を尽し、家々此道を行ひ、村々此道を行はヾ、豈(アニ)国家興復せざる事あらんや。    

 ※補講※ 

尊徳は、この説話で、国家運営であっても、国民一人を最小構成単位として国家が成り立っているのであるから、特別に大きな単位の事ばかり考えるのではなく、小さな単位の集まりと考えて、対処したほうが良いと教えている。

国家というものが、個人の集まりであるという視点から外れた時の政治は、国民の最大厚生の実現という本来目的から外れて、国家が国民を従えるという思考の政治に向ってしまうことを、尊徳は経験から良くわかっている。それは、尊徳が、桜町での業務執行の途上で小田原藩に提出した辞任許可申請に、書かれていることを見ても判る。

尊徳は、この説話では引用していないが、後のところでは、「大學」から、「一家仁なれば、一国仁に興る」を引用し、一家が治められない者に一国が治められる訳は無いとしている。最小単位の一家が正しく治められ、仁が実現していれば、やがてはそれが波及して、国も自動的にそうなるとしているのである。

 一三   吝(リン)か倹かの諭し

 翁曰く、世の中に事なしといへども、変なき事あたはず、これ恐るべきの第一なり。 変ありといへども、これを補ふの道あれば、変なきが如し。変ありて是を補ふ事あたはざれば、大変に至る。古語に、三年の貯蓄(たくわえ)なければ国にあらず、と云えり。兵隊ありといへども、武具軍用備らざればすべきやうなし。只国のみにあらず、家も又然り。それ万(よろづ)の事有余(ユフヨ)無けば、必ず差支へ出来(いでき)て家を保つ事能はず。然るをいはんや、国天下をや。人は云ふ、我が教え、倹約を専らにすと。倹約を専らとするにあらず、変に備えんが爲なり。人は云ふ、我道、積財を勤むと、積財を勤(つとむ)るにあらず、世を救ひ世を開かんが爲なり。古語に、 飲食を薄うして 孝を鬼神(きじん)に致し、衣服を悪(アシ)うして美を黻冕(フツベン)に致し、宮室を卑(いやしう)して力を溝洫(コウイキ<ママ>)に尽すと、 能々(よくよく)この理を玩味せば、吝(りん)か倹か弁を待(また)ずして明かなるべし。  

 ※補講※  

 「菲飲食、而致孝乎鬼神、悪衣服、而致美乎黻冕、卑宮室、尽力溝洫」

(いんしょくをうすくして、こうをきしんにいたし、いふくをあしくしてびをふつべんにいたし、きゅうしつをひくくしてちからをこうきょくにつくす)(飲食を切り詰めて神々に真心を尽くし、衣服を質素にして祭りの前垂れと冠を立派なものにし、住まいを粗末にして灌漑の水路のために力を尽くす) 論語 泰伯

* 黻冕(フツベン)=礼服の、ひざかけとかんむり。 
* 溝洫(コウイキ)=「コウイキ」とあるが、漢和辞典によれば、「コウキョク」である。田間のみぞ。<ママ>は引用者が付けたもの。  ここに「古語」とあるのは、 『論語』(泰伯篇)にある孔子の言葉。

 一四 「積小為大」の諭し

 翁曰く、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり、凡(およそ)小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず。それ故、 終(つい)に大なる事をなす事あたはず。それ大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。譬えば 百万石の米と雖(いえど)も、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、その業(わざ)は一鍬づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(ひトモツコ)の土よりなる事を明かに弁へて、励精(レイセイ)小さなる事を勤めば、大なる事必(かならず)なるべし、小さなる事を忽(ゆるがせ)にする者、大なる事は必ず出来ぬものなり。 

 ※補講※  

 尊徳は、この説話で、「積小為大」の教えを説いている。尊徳の基本的な思想を構成する大事な諭しであるが、時として、これを「塵も積もれば山となる」という風に捉えて、尊徳の思想は、ちまちま、ケチケチとした考えであると批判する人が出てくる。しかし、それは大きな誤りである。尊徳は、総てのものごとは、最小単位から構成されることは間違いの無い事実であるから、その最小単位に眼を向けて、そこからしっかりと組み上げていかなければ、目的とするものごとの完成はおぼつかない、という事を主張しているのである。それが、「積小為大」なのである。一つ前の説話にあるように「ケチ」の教えとは違う。

 一五   基礎より積むべしの諭し

 翁曰く、万巻の書物ありといへども、無学の者に詮(せん)なし、隣家に金貸しありといへども、我に借(カ)る力なきを如何せん、向ひに米屋ありといへども、銭なければ買ふ事はならぬ也。されば書物を読(ヨマ)んと思はゞ、いろはより習ひ初(はじ)むべし、家を興さんと思はゞ、小より積(つ)み初むべし。この外に術はあらざるなり。  

 ※補講※

初歩から、確実に進めて行くことが大事であると、教えてくれているのである。

 一六 富国の道への諭し   

 翁曰、多く稼いで、銭を少く遣(つか)い、多く薪(たきぎ)を取って焚く事は少くする、これを富国の大本、富国の達道といふ。然(しか)るを世の人これを吝嗇(りんしょく)といひ、又強欲と云う。これ心得違ひなり。それ人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(とうと)ぶが故なり。それ貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道なり。親の身代を子に譲るも、則ち貯蓄の法に基(もとい)する物なり。人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云うなり。

 ※補講※

 一七 節約の諭し 

 翁曰く、米は多く蔵につんで少しづゝ炊き、薪(たきぎ)は多く小屋に積んで焚く事は成る丈少くし、衣服は着らるるやうに扱(コシ)らへて、なる丈着ずして仕舞ひおくこそ、家を富(とま)すの術なれ。則ち国家経済の根元なり。天下を富有にするの大道も、その実この外にはあらぬなり。  

  ※補講※

 一八 神楽芸の諭し

 翁、宇津氏の邸内に寓す、邸内稲荷(いなり)社の祭礼(まつり)に大神楽(かぐら)来りて、建物の戯芸(ぎげい)をせり。翁、これを見て曰く、凡(およ)そ事この術の如くなさば、 百事成らざる事あらざるべし。 その場に出(いず)るや少しも噪(サワ)がず、 先(ま)ず体を定めて、両眼を見澄(スマ)して、棹の先に注(チウ)し、脇目も触(フ)らず、一心に見詰め、器械の動揺を心と腰に受け、手は笛を吹き扇を取て舞ひ、足は三番叟(さんバサウ)の拍子を蹈(ふ)むといへども、その ゆがみを見留(ミトメ)て腰にて差引す、その術(ジユツ)至れり尽(ツク)せり、手は舞ふといへども、手のみにして体に及ばず、足は蹈むといへども、足のみにして腰に及ばず、舞ふも躍るも両眼は急度(キツト)見詰め、心を鎮め、体(タイ)を定めたる事、大学論語の真理、聖人の秘訣、この一曲の中に備(ソナハ)れり。然るを之を見る者、聖人の道と懸隔すと見て、この大神楽の術(ジユツ)を賤しむ。儒生の如き、何ぞ国家の用に立(タヽ)んや。嗚呼(アヽ)術は恐るべし、綱渡りが綱の上に起臥して落(おち)ざるも又、これに同じ。能(よ)く思ふべき事なり。

 ※補講※

この説話を通して、尊徳の観察眼の素晴らしさに驚かされる。まず、観察を正しく、細密に行なうことが、総ての問題解決の基本であることを教えられる。

 一九  命あってのもの種の諭し 

 翁曰く、松明(タイマツ)尽(つ)きて、手に火の近付(ちかづく)時は速(すみやか)に捨(すつ)べし、火事あり、危(アヤウ)き時は荷物は捨(ステ)て逃出べし、大風にて船くつがへらんとせば、上荷を刎(ハヌ)べし、甚しき時は帆柱をも伐るべし、この理を知らざるを至愚といふ。 
 ※補講※
  二〇 先に奉仕すべしの諭し 

 川久保民次郎と云者あり、翁の親戚なれども、貧にして翁の僕たり。国に帰らんとして暇(いとま)を乞ふ。翁曰く、それ空腹なる時、他にゆきて一飯をたまはれ。予、庭をはかんと云うとも、決して一飯を振舞ふ者あるべからず。空腹をこらへて、まず庭をはかば或は一飯にありつく事あるべし。これ己を捨てて人に随ふの道にして、百事行はれ難き時に立至るも、行はるべき道なり。我、若年初(ハジメ)て家を持(もち)し時、一枚の鍬(クワ)損じたり。隣家に行(ゆき)て鍬をかし呉(くれ)よといふ。隣の翁曰く、今この畑を耕し菜を蒔かんとする処なり。蒔終らざれば貸し難しといへり。我家に帰るも別に為すべき業(ワザ)なし。予、この畑を耕して進ずべしと云て耕し、菜の種を出されよ、序(ツイデ)に蒔(まき)て進ぜんと云て、耕し且蒔て、後に鍬をかりし事あり。隣翁曰く、鍬に限らず何にても差支(サシツカヘ)の事あらば、遠慮なく申されよ。必ず用達べしといへる事ありき。かくの如くすれば、百事差支なきものなり。汝国に帰り、新(あらた)に一家を持たば、必ずこの(心得あるべし。それ汝未(いまだ)壮年なり。終夜(ヨモスガラ)いねざるも障(サハ)りなかるべし、 夜々寝る暇(ヒマ)を励(はげま)し勤めて、草鞋(ワラジ)壱足或は二足を作り、 明日開拓場に持出し、草鞋の切れ破れたる者に与えんに、受くる人礼せずといへども、 元寝る暇(ヒマ)にて作りたるなれば其分なり、 礼を云人あれば、それだけの徳なり、又一銭半銭を以て応ずる者あれば是又夫丈の益なり、能()くこの理を感銘し、連日おこたらずば、何ぞ志の貫かざる理あらんや、何事か成ざるの理あらんや。われ幼少の時の勤めこの外にあらず、肝に銘じて忘るべからず、又損料を出して、差支の物品を用弁するを甚(ハナハダ)損なりと云人あれど、しからず。それは事足る人の上の事なり、新(あらた)に一家を持つ時は百事差支へあり。皆損料にて用弁すべし、世に損料ほど弁理なる物はなし。且つ安き物はなし、決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ。

 ※補講※

二宮尊徳は、この説話で、人との付き合いの中では、こちらが先に相手に奉仕をするようにしていくべきだと教えている。

現代では、「配置薬業」という名称になったが、いわゆる「富山の置き薬」商法がそれである。この商法では、必要な時に直ぐに薬が手に入るということで、商売でありながら、お客さまに感謝をされる、ありがたい立場にあると共に、一度置いてもらえば、それこそ、その家が続く限り、孫子の代までの固定客になってもらえる有り難さの、両方が一気に成立する素晴らしい商法である。現代においても、お客様への信頼を前提とした事業運営を行う企業は、日本ばかりでなく、世界中において、社会に歓迎され、繁栄している。







(私論.私見)