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今は修養科などでも、「その子どもさんの名前は、何という名前の人や」ということはお聞きにならないと思います。ところが別科当時とか、私(矢持氏)たちが教祖伝を学んだ当時には、「これは何という人や」と言って、その〈教祖が〉おたすけになった人の名前を明らかにしておりました。そして〈天理〉本通りを通っていて、「あの家が教祖伝に出てきた、あの人の子どもさんの家や」とか、口々に言うわけです。そんなことが善いことであるはずがありません。ところが、そういったことは既に、明治32年のおさしづに、『そんなこと言ってはいかん』というお指図が出ているのです。
『人間わが子までも寿命差し上げ、 人を救けたは第一深きの理、これ第一説いている』
おさしづ 明治32.2.2
教祖が、『自分の娘の命も差し上げます。それでも足りなかったら自分の命も差し上げます』そのような願いをかけてお救けになったという話なんです。『これは天の理に適う、大変深い話なんだ。そして、おまえたちもおたすけ
の上で、色々と説いているであろう』。 『説いているなかに、救けてもろた人はまめ(この場合は元気、健康)でいる。救けてもろただけで恩は知らん。年は何十何才、諭している』(おさしづ 明治32.2.2)
『救けてもろただけで、あの人、恩知らへんねん。年は何十何歳で、どこにいはんねや。こういう諭しをしている』というわけですね。
『今までは、ただこういう理で救けた、という理しか説かなんだ。 わが子までの寿命まで差し上げて、救けてもろた理はすっきり知らん。何ぞ道のため尽したことがあるか。理の諭しようで、道の理をころっと理が違うてしまう。ほんに、救けてもろた効はない。言わば、ほんの救け損のようなもの。 わが子まで亡くなっても救けた人の心、これが天の理に適い、わが子まで差し上げて救けてもろた恩分からん。世上から見て、何を言うぞいなあ、というようになる。人が誰それ、年が何十何才は言うまでやなあ。たすけ一条の台という、こら諭さにゃならん。遠く所やない。ほんの、そこからそこへや。救けてもろた恩を知らんような者を、話の台にしてはならん』(おさしづ 明治32.2.2 )
こういうおさしづなんです。大体の意味を悟らせて頂きますと、教祖は、『今までは「こういう理で救けた」という理しか説かなんだということは、「わが子二人までも命を差し上げて救けた」こともある。ところが、そのお説き頂いたお話を段々それをほじくり出していって、「わが子の寿命まで差し上げて救けてもろたことは、あの人すっきり知らへんやないか。何ぞ、道のために尽したことがあるのか。ご恩報じしたことがあるのか」という風に詮索していったら、道の理がすっきり違うてしまうんや。私たち、おたすけをさせてもらって、「こんなに真実尽しておたすけさせてもろたのに、あの人は何のご恩も知らん、おかしな人じゃ」と、そういうものの言い方(説き方、諭し方)をしたならば、「本当に正しいおたすけ人としての、ものの言い方(説き方、諭し方)になっているであろうか」ということにもなってくる。そうすると、「ほんの救け損のようなもの。教祖、わが子の命まで捨てて救けはった。それに、何のご恩報じもせん、というのやったら、まるっきり救け損やないか」、そういう言い方(説き方、諭し方)もできてくる。
けれども、親神様の方から言いたいのは、わが子まで亡くしても救けた人の心、これが天の理に適うということです。わが子を差し上げてまで救けた教祖の行(おこな)い、それが天の理に適うたのであって、恩の分からん者の話まで、それに付け加えると、せっかく教祖がお救けになった話にキズがつく。世上から見て、「何を言うぞいなあ(何を言うてんねん)」というようになる。「その人は、年は何十何才で、まだ、どこどこに住んでいる」というようなことまで言うてはならない。わが子の命まで亡くして救かってもらったという話は、たすけ一条の台になる。だからこれは諭さにゃならん。教祖がお救けになったという人は、遠い所の者やない、ほん目の前にいる人や。救けてもろた恩を知らんような者を、話の台にしてはならない。
この辺のところ我々は、このおさしづを拝しますと、救けさせてもろうた、救かってもろうたということや、それからその人が、救けてもろうたご恩報じの上から斯々然々(かくかくしかじか)の通り方をされて、このように一段と成人して下さったという話は、たすけ一条の話の台になるが、救けてもらっても恩が分からないで、かえって後ろ足で砂をかける、というような場合が実際にはあるけれども、それは話の台にしてはならない。そういう意味のおさしづだと思うのです。
貴重な文献の価値を貶めないよう、教祖が黒疱瘡からお救けになった方のお名前を伏せず隠さず公開しますが、お道の人間として、上記の親神様の思召に背かぬよう、教祖のたすけ一条の台を汚さぬよう、宜しくお願い致します。
〈参考〉改訂 正文遺韻
参考記録 梅谷先生
天で月日様の心、ぎ・み様を引き寄せて、『なんと世界を澄ます模様は』と言うて相談かけたら、『かぐら両人入れ、つとめを始め、これで末代治まりがつく』とお答えなされた。それからこの模様。
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