真之亮をはじめ親戚連合と教祖の問答はその後も10数時間続いた。その間教祖は、重態の中でも、つとめの大切さを淳々と説き続けられた。こうして、教祖と応法派の練りあいは延々と続いて行くこととなった。
ここまで迫られては、もはや絶対に抜き差し成らぬところであるが、真之亮の心からは、なおも教祖の身上と「お道」の存続に対する懸念とが離れない。それは言うまでもなく、国の掟を無視しておつとめを敢行した場合の結果に対する心配であった。真之亮は、このたびの一連のお伺いにより、問い詰め切るとの覚悟であったものと思われる。こうして、第五弾の問いかけを発した。「講習所を立て、一時の処おつとめのできるように、さして貰いとう御座ります」と申し上げた。当局の公認をとって、安心してつとめをさせていただきたいという申し出であった。これに対して、教祖は、
「安心がでけんとならば、先ず今の処を、談示談示という処、さあ今という、今と言うたら今、抜き差しならんで。承知か」 |
という厳しいお言葉であった。
神意はこうであった。法律があるゆえに親神様の仰せの「おつとめ」に踏み切ることができない。今の窮状を切り抜けるために講習所でも立てて、法に触れずに「おつとめ」のできるような措置を講じた上で、というようなのんびりしたことを言っているが、事態はもはやそんな悠長な考えを許さない。もう、今と言うたら、今すぐに踏み切らねばならぬ、抜き差しならぬところに迫っているのだ。この重大時機をどう考えているのか、「今はおつとめ優先、応法のこと後回し」を厳しく仰せになられた。二者並立的な真之亮の願いを二者択一的に捉えた上で、つとめの優先をせき込まれた教祖であった。
ここまでのお伺いを通して、真之亮にも、ようやく教祖の仰せ下さる通りに事を運ぶ以外の道がないことがわかりかけてきた。即ち、事態は既に弥縫策や糊塗手段で解決されるものではない。時間の猶予もない。残された道はただ一つ、教祖の仰せ通りに踏み切る以外はないということがはっきりと悟れた模様となった。
真之亮の第六弾の問いかけが発せられた。「つとめつとめと御急き込み下されますが、ただ今の教祖の御障りは、人衆定めで御座りましょうか、どうでも本づとめ致さねばならんで御座りますか」と押して尋ねた。この伺いには、親神のお急き込みを受けて立とうとする上から、つとめを為す要点を確かめておられる積極性が窺える。教祖は、こうした真之亮の気分をお受取下されてか、
「さあさあそれぞれの処、心定めの人衆定め。事情なければ心が定まらん。胸次第心次第。心の得心できるまでは尋ねるがよい。降りたというたら退かんで」 |
と懇切にお答え下された。
神意はこうであった。即ち、ただ今、教祖がお急き込み下されているところは、心定めの人衆定めである。この大ぶしに当って、親神が急き込んでいるところをしっかり心に悟り取って、これを受けて立つ心定めをすることが大切である。そして、そのお前たちの心の定まったところによって、人衆を定めるのである。難しい事情があるからこそ、真剣な心定めができるのであって、事情がなければ、なかなか真の心定めというものはできるものではない。だから、この節に当ってしっかりと心定めをするのがよい。その上はすべてお前たちの心次第、胸次第である。この点をよく聞き分けて、どこまでも神一条に、つとめ一条に進むよう。まだ、これでも得心ができなければ、心に納得のいくまで尋ねるがよい。すべて教えておこう。神が降りたといったら退かぬ。取り返しのつかぬことにならぬ前に、しいっかりと聞いておけ云々。教祖は、お伺いの筋に合わせてかくも懇切にお教えになられた。
13日の明け方から始まったこのお伺いは、押しての願い、押しての願いと回を重ねること7回、無我夢中で遣り取りされた。
教理では、どうすれば教祖の御身上健やかになっていただけるであろうかということを廻っての問答であったと受け取るが、既に見てきたように、それは煎じ詰めると、「お道」の存続のさせ方を廻っての、応法派の論理に対する教祖と応法派代表真之亮との火花を散らした問答であった、と受け取るのが正確であろう。この間、既に何時しか一昼夜の時が流れていた。この問答を通じて、教祖は、一貫して抜き差し成らぬ時の迫っていることを確認せしめ、いよいよ早くと心定めをおせき込み下されたのである。
14日の明け方、教祖の御身上またまた悪しき模様に拝された。これに打ち驚き、続いて押しての願いとして、教祖の御身上の平癒を願ったところ、御身上御不快の中にも関わらず、
「さあさあ如何なる事情、尋ねる事情も分かりなくば知らそ。しっかり聞き分け。これこれよう聞き分け。もうならん、もうならん、もうならん。難しいことを言い掛ける。一つ心に取って思案せ。一時の事情、どういう事情を聞き分け。長らく49年以前、何も分からん中に通り来た。今日の日は、世界世界なるよう」 |
と懇切に御教え下された。
神意はこうであった。即ち、事情があれば、如何なることでも尋ねが良い。分からぬことは、どんなことでも教えてやるから、しっかり聞き分けるがよい。だが、親神のせきこんでいるつとめの勤行は、もう一刻の猶予もならん。親神は、お前逹にとって、まことに難しいことを言い掛けるようだが、一つ心に悟り取って、よくよく思案せねばならない。今、ここに迫りきっているつとめの儀ばかりは、どんなことがあってもこれを聞き分け、実行せねばならん。もう長らく、49年も以前から、親は世界一列助けの親心からこの道を教え、また急き込み続けてきたのであるが、お前たちは、その深い親の心は何もわからずに今日まで通ってきたのだが、もう今日は、この助け一条の道を広い世界に及ぼさなければならぬ時が迫っている。いよいよ親神の珍しい助けが広い世界に出るのである。親神の珍しい助けが広い世界に及ぶのである。「今日の日は、世界世界なるよう」とは、「今こそ教えが世界に及ぶ、助けが世界に及ぶのだ」の意である。つまり、万難を拝してつとめに踏み切るように、との激しいお急き込みであらせられた。
これを受けて真之亮は、「協会本部をお許し下された上は、いかようにも親神様の仰せ通りにします」と応えている。教祖は次のように仰せられた。
「さあさあ事情なくして一時定めでき難ない。さあ一時今それぞれ、この三名の処で、きっと定め置かねばならん。何か願う処に任せ置く。必ず忘れぬようにせよ」。 |
教祖は、最終的に「何か願う処に任せおく」と真之亮の願いを聞き入れた。が、「きっと定め」おくことがその前の前提であると釘をさしている。
「さあさあ一時今から今という心、三名の心しいかりと心合わせて返答せよ」 |
と三名の決意を尋ねられた。「三名の者(真之亮と梶本、前川)が、本当に心を合わせてつとめができるか答えよ」とのお言葉であった。これへの返答は明らかにされていないが、合点を証したとは推測し得る。
次に、真之亮は伺った。「この屋敷に道具雛型の魂生まれてあるとの仰せ、この屋敷を指して、この世界始まりのぢば故天降り、ない人間ない世界をこしらえ下されたとの仰せ、上(かみ)も我々も同様の魂との仰せ、右三か条のお尋ねあれば、我々何と答えて宜しくございましょうや。これに差し支えます。人間には法律に逆らうことは叶いません」。教祖はこう答えている。
「さあさあ月日がありてこの世界あり。世界ありてそれぞれあり。それぞれありて身の内あり。身の内ありて律あり。律ありても心定めが第一やで」。 |
神意はこうであった。即ち、全ての始まりは親神である。その後に世界が生まれ、人が生まれている。その後に人の世に法律なるものがつくられている。この順序を履き違えてはならない。法律が何を為そうとも、親神の思いを聞き分けてその意向に添おうとする心定めが何より大事である。つまり、「あらゆるものの上に親神を置く」という宣言であり、この順序は変わらない、それ故親神の意向に添う処世を為すとの心定めが一番肝心であると言い聞かせたことになる。
もはや、真之亮は覚然と理解せざるを得なかった。そして、云う。「我々身のうちのことは承知致しましたが、教祖の御身の上を心配致します。さぁという時は、いかなるご利益を下されましょうか」。教祖はこう答えている。
「さあさあ実があれば実があるで。実といえば知ろうまい。真実というは、火、水、風」。 |
お言葉は短かったが、教義のエッセンスを端的に述べられていた。人の誠真実は神が拾い、引き受け、守護していただける。
「さあさあ実を買うのやで。価を以って実を買うのやで」。 |
親神の思し召しに叶う誠真実で処世せよ。教祖のこの言葉をもって長い長い問答は終わりを告げた。
教祖の身上は、この日を境にやや快方に向かわれた。1.18日夜から連日「神楽手踊り」が執り行われた。2.17日の夜まで続けられることになる。未だ深夜に密かに行われていた「つとめ」ではあったが、それでもつつがなく行われた。道人は、厳寒の中にも水行をし、教祖の平癒を心から願った。不思議なことに、官憲の介入はこの間一度もなかった。時には身を起こし、教祖は下駄を履いて庭へさえ出て行かれた。
1.24日(陰暦正月元旦)、この日の教祖のご気分は大層よく、年賀に集まった一同に次のように仰せられた。
「さあさあ十分練った練った。この屋敷始まってから、十分練った。十分受け取ってあるで」。 |
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