「みちのだい第33号「教祖特集号」26-27頁」の「井筒梅治郎の娘たね手記」は次のように記している。
 「道の伸びるとともに、迫害はますます激しくなり、迫害の激しくなるとともに、人々は教会の公認を得ようと焦り、明治18年3月7日には、教会創立事務所に集まって会議を開いた。その席上、藤村成勝らは、会長幹事の選出に投票を用いることの可否、同じく月給制度を採用することの可否などを提案した。議論沸騰して容易に決しない時、その席上にいた梅治郎祖父が、激しい腹痛を起こして倒れてしまった。教祖にお伺いしたところ、『さあさぁ今なるしんばしら(真柱)はほそい(細い)ものやで、なれど肉の巻きよで、どんなゑらい(偉い/豪い)者になるやわからんで(分からんで)』、と仰せられた。この一言で、皆はハッと目が覚めた。竹内や藤村などと相談していたのでは、とても思召に添いがたいと気付いたのであった。『しんばしらの眞之亮(しんのすけ)』、と仰せられ、道の芯を明らかにしておられるのに、一時的にも、何の理もない人を責任者とすることは、まったく心の置き所が外れていることを、身上でもって皆々にお教え下されたが、こんな肝心な時に身上でもってお教え下さる、ありがたさを痛感するのである」。