第58部 | 1874年 | 77才 | 「山村御殿問答」、「中教院の節」 |
明治 7年 |
更新日/2019(平成31→5.1日、栄和改元).9.20日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「山村御殿問答、中教院の節」を確認しておく。 2007.11.30日 れんだいこ拝 |
【山村御殿問答】 | |||||||||
「大和神社、石上神宮神職との神祇問答」の余波として、奈良県庁から、仲田、松尾、辻の3名に対して差紙が届けられた。当時、奈良県庁は、興福寺一乗院の建物に仮住まいしていたが、3名がその県庁へ出頭すると、社寺掛の稲尾某が待ち受けており、3名を別々に取調べ、信心するに至った来歴を問いただした。
と答えられた。この時の問答が概要として伝えられている。それによると、教祖は次のように仰せられた。
稲尾某は、「そこまで、お前の神が真実の神だというのなら、この方が4,5日他を廻って来る間に、この身に罰をあたえてみよ」と云った。その途端、教祖は次のように言い放たれた。
しかし、護身のために汲々として、自分の職責を事なく進めたい以外に何ものもない俗吏などに、真実の親の心がわかろうはずがない。恐れを知らぬ教祖の態度は、かえって神経病としか思えなかったらしい。立会いの医者に脈をとらすと、医者は驚いて、「この人は老体ではあるが、脈は十七、八歳の若さである」と言った。この一言は、お供の面々にとって、どんなに大きな喜びであっただろう。まさに、教祖が常人ではないことを、医者の診断によって証言されたのである。「我々の教祖は、何時何時までも変わらぬ若さとお元気で、我々をお導き下さるのだ」と、この信念が、どれほど当時の人たちに力強い思いを与えたことであろう。
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「伏見文秀女王の山村御殿への呼び出し」につき、通説教理は次のように説いている。
しかし、伏見文秀女王の履歴を確認するに、事はそう簡単なものではない。「孝明天皇と宗忠神社」(真弓常忠、神楽岡・宗忠神社発行、1992.10.18日初版)によれば次のことが判明する。伏見文秀女王は皇室内の熱心な黒住教の庇護者兼帰依者であられた。後に備前岡山大元の宗忠神社の社名額を書かれている御方である。あるいは他にも宗忠詠歌の道歌を認(したた)められている。してみれば、黒住教の庇護者兼帰依者としての伏見文秀女王が、「中山みき教理」に対する関心を深め、直々に確認したいとの要望もあり、「山村御殿への呼び出し」となったと拝するべきではなかろうか。それ故に「教祖が元始まりの話しを諄々と宣べられ」、「今日は芸のあるだけを許す」と相なったのではなかろうか。そういう意味で、通説教理の底浅さを確認すべきだろう。天理教史及び天理教教理を理解するのに同時代の創始宗教との関連をも見ながらでないと正確な理解にならないことを肝に銘ずるべきだろう。 |
【中教院の節】 | ||||||||
翌12.25日(陰暦11.17日)、奈良中教院より、信仰差し止めの通知と辻、仲田、松尾の三名の呼び出し状が届いた。興福寺金堂の奈良中教院へ三名が出向くと、「転輪王という神はない」、「繰り返すが天理王という神などない。神を拝むなら、大社の神を拝め。世話するなら中教院を世話せよ」、「二度と再び、あの婆さんの教えを説いてはいかん」と、信仰差し止めの旨を勧告された。その足でお屋敷へやって来て、幣帛、鏡、みす等の祭具を没収するという事件が起った。これから後、県庁は、お屋敷へ参拝人が出入りしないよう、取締りは一層厳重を極めるようになった。これを「中教院事件の節」と云う。
諸井政一「正文遺韻抄」87頁「中教院へ呼出」は次のように記している。
「辻忠作文書」は次のように記している。
教祖は、この中教院の干渉に関して、
と、月日親神の「立腹残念」であるとのお言葉を誌されている。 「辻忠作文書初代真柱様へ提出の別席之御話」(明治31年)は次のように記している。
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【教祖、「月日」と改める】 | ||||
教祖は、「山村御殿問答」、「中教院の節」を受けて、12.21日のお筆先より、それまで用いられた「神」の文字表現を「月日」と改め一段と親神の理を明かされた。明治13年に「をや」と改めるまで使われることになる。「月日」とは、「天地日月、森羅万象」を縮めたもので、新政府の天皇神との違いを際立たせる必要からの表現変更であったとも拝察される。この頃のご執筆と思われるが、お筆先第六号には次のように誌されている。
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教祖が、「神」を「月日」と改められた背景には、「山村御殿問答」、「中教院の節」の遣り取りで、神表現は天皇家の祖先を崇める為に使われるものであって、教祖の説くがごとき転輪王を神と唱えるのは不敬であるとの達しが為されたのではなかろうか。教祖もまた維新政府が押し進める天皇制神道教理との紛らわしさを避けるため「月日」と表現を改めることになられたのではなかろうか、と拝察させていただく。 |
(私論.私見)