第44部 1866年 69才 急速な教義形成、つとめの歌と手振りの教え
慶応2年

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).9.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「急速な教義形成、つとめの歌と手振りの教え」を確認する。時は幕末の政情時、教祖は精力的に教義形成に向かわれている。つとめの歌と手振りを教え、道人の仕込みに入っている。これを思うに、「下からの幕末維新」であり、もっと注目されるべきではないかと思う。この方面からの研究が全く為されていない。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【つとめの歌と手振りの教え】

 「大和神社事件の節」に出あっただけで講社が途絶えてしまった文久時代の人々では「お道」の発展は覚束なかった。いつ乱暴狼藉者が闖入して来るかわからない物騒な環境の中にも堅い信仰を持ち続けてきた慶応時代の信徒を得て、漸く発展の軌道に乗ることとなった。この頃の信者になって初めて教祖のいかなるお言葉もがっちり受け止め、どんな中にも貫き通るだけの信仰的素養が胚芽していた。その意味では教祖にとって説き甲斐のある時代を迎えたことと思われる。こうした状況によってか、教祖は、1866(慶応2)年の秋口から、親神の思し召しのままに、教義の執筆にとりかかられることとなった。以降、教祖の著述活動は明治15(1882)年に至るまでの凡そ16年間に及ぶことになる。この時分から、「お道」の教義体系の確立期に入ったといえる。その最初のご執筆は「つとめの地歌」で、「悪しき払いのお歌」とも云われる。

 「悪しきを払い たすけたまへ 一列澄ます かんろだい」

 と、つとめの根本義ともいうべきお言葉が定まり、次いで、このつとめの地歌に合わせての「手振り」が教えられることとなった。ここに「お道」最初の「おつとめ」の形式が確立した。これまでは、線香をたてて、それが尽きるまで、拍子木を打って、「南無天理王命」を繰り返すというのが礼拝の仕方であったが、「つとめの地歌」とそれに続く「手振り」の教えによって、「お道」の信仰礼拝要領の確立へと歩が進むこととなった。「つとめの地歌」はその後訂正されていくことになる。「ぢば定め」の頃には、「助けたまへ」が「助けせきこむ」となり、「悪しきを払い 助け急き込む 一列澄ます かんろだい」と変わり、明治15年「一列澄ます」が「一列澄まして」と改められている。

 この心 真から分かり ついたなら
 この世始まり 手をつけるなり
五号29

 これを解説すれば次のような特徴があった。「お歌」は、「短い平易な和歌句」になっており、日本の伝統的な和歌の韻を踏んでおり、万感の思いが込められていた。それも極力ひらがなで歌われている。その時代に使われている意味の通じるお言葉であることも特徴で、要するに寄り集う百姓衆に分かり易く胸を打つ教えであった。

 具体的に解析するに、「あしきを払い 助けたまへ」は、一見するともっぱら神に頼み祈願する諦観的なお言葉とも受け取れるが、人が持っている悩みや苦しみの原因となる心の悪しきほこりを払い除け、心澄まして神に祈り願うことを通じて、神の自由自在の御働きの発動を引き出そうというより積極的な意味合いが込められているものと拝察し得る。「あしきをはらうて たすけたまへ 天理王命」を21遍唱える理は、人間には21の悪しき節がある故に、この21節をとる為に21遍唱える理也」との諭しがある。


 
のみならず、「お歌」には「手振り」がつけられることになった。「お歌」と同意同義的な「手振り」が教えられた。「あしきを払い」で胸先三寸を払い、「助けたまへ」で祈念の姿を表し、「てんりわうのみこと」で手招きする手振り振り付けが確立された。こうして、口から唱和する「お言葉」と、全身で表現する「身振り」共どもで、悪しき心を払い、自身と世界を助けたいという祈念を込めて転輪王を手招きし、その心になって生きますと誓い、日々の心定めを涵養する作法が確立されたものと拝察させて頂く。この「おつとめ」は、後に「お歌」と「立ち踊り」による「おつとめ」が確立されることになり、それと区別する意味もあって、座ったままの「おつとめ」であることから「座りつとめ」とも云われる。


【おつとめ考】

 教祖の確立した「おつとめ」形式は、「平易なお言葉」と「お言葉と同義同意的な手振り」心身一如の知行合一的祈念にしているところに特徴が見られる。教祖の非凡、のみならず例のない宗教家としての面目躍如として拝察させて頂く。以来、「お道」においては、祈願にも、感謝にも、又報告、決意の表明など親神に対して思いを述べる時、必ず御言葉と手振り、身振りを伴うつとめを行うこととなった。

 このつとめ 何の事やと 思うている
 よろず助けの 模様ばかりを
二号9
 この助け 今ばかりとは 思うなよ
 これ末代の こふきなるぞや
二号10
 つとめでも 初め手踊り 又神楽
 一寸(ちょっと)の細道 つけてあれども
四号74
 今までに ない事ばかり 言いかけて
 よろづ助けの 勤め教える
六号29

 小滝透氏は「おやさま」の中で次のように述べている。

 「一般に、人が絶対者との交流を願う時、言葉や身振りを伴った宗教儀礼を必ず行う。あるいは、絶対者の存在を感知するため、様々な行(修行)により、自己の直感を磨き上げる。それは、我々の身の回りでも至る所に見受けられる。仏教を例に取れば、勤業があり、声明(しょうみょう)があり、和讃(わさん)があり、真言があり、題目があり、念仏がある。あるいは、座禅があり、回峰行があり、断食があり、護摩焚きがある。だから、天理教の場合にも、独立した教団として成り立つためには、いずれはこうした形式を教えなければならなかった。それがいよいよ具体的な形をとって現われてきたのである」。

【つとめ論】
 お道教義では、「おつとめ」が重要な意味を持つ。教祖は、「つとめの理が神」とも宣べている。してみれば、「おつとめ」とは、「おつとめ」によってたすける心と行いを知ることで本当の信仰に目覚める手引きとも拝することができる。「つとめ」につき、仏教では、「お経を読み、念仏、お題目を唱える」ことを意味する。教祖の説く「おつとめ」は、「元の理つとめ」と「お願いつとめ」に分かれる。「元の理つとめ」とは、「元の理」を象(かたど)った「つとめ」のことであり、教祖が語った創世神話(元始まりの話)に貫かれている「理」を汲み取り、その元一日に立ち帰ることで生命の始原力を得ようとしているように思われる。

 教祖は、神が原始の海=泥海の只中から人間を創り上げた軌跡を克明に語った。ここでは、神が神人和楽を実現すべく、気の遠くなる時間の中で人間を創造していった様が描かれている。この話を通じて、教祖は、人間の根源的存在理由を解き明かした。そして、その誕生の地を「親里」と呼んだ。
 
 生命が生まれるための調和を十に分析して説明されている。人間の本性にはこの調和を保って喜ぶ性質がある。人の喜びを見て楽しむ性質がある。助け合わないといづんでしまう心と身体になっている。これが人間の本性であると教え、自覚を促した。この理を「おつとめ」によって象徴して教えた。「陽気勤め」とは、人間がその本性にあった働きをして、陽気づくめの心で難渋をたすけて皆の喜ぶ世界に世直しする生き甲斐を求めるつとめのことを云う。南無転輪王を思念し、人間更正の方途を明らかにしたのが「おつとめ」と拝察することができる。

 「おつとめ」には次のような社会思想的意味もある。即ち、これまでの世は弱肉強食の、倒し合い、支配する者とされる者とが差別的に関わり合う世界であるが、「おつとめ」が内在させている思想を学べば、ピラミッド型の支配秩序社会から「かんろだいを中心とした地球儀のような球体秩序を社会」への転換を望むようになり、それも無理にするのではなく自然に理解して納得した上での世直しに向うことになる。そういう「生き方の切り替え転換」まで鼓動させている。

 更に云えば、そういう「生き方の切り替え転換」し転輪王の心になって難渋をたすける人となった道人の日々の生命力の源泉として「つとめ」が意義づけされている。

 御神楽歌には次のように記されている。

 四ツ ようこそつとめに ついてきた
 これが助けの もとだてや
六下り目四つ
 五ツ いつもかぐらや 手踊りや
 末では珍し 助けする
六下り目五つ

 お筆先には次のように記されている。
 この先は 神楽づとめの 手をつけて
 皆な揃うて つとめ待つなり
一号10
 皆な揃うて 早くつとめを するならば
 そばが勇めば 神も勇むる
一号11
 立毛が 勇み出るよと 思うなら
 神楽つとめ 手踊りをせよ
一号14
 このつとめ なんの事やと 思うている
 よろづ助けの 模様ばかりを
二号9
 この先ハ 段々つとめ せきこんで
 よろづ助けの もよふばかりを
二号21
 つとめでも 初め手踊り 又神楽
 一寸(ちょっと)の細道 つけてあれども
四号74
 これからは この世始めて ないつとめ
 段々教えて 手をつけるなり
四号90
 このつとめ 世界ぢううの 助け道
 をしでもものを ゆはす事なり
四号91
 日々に つとめの人衆 しかとせよ
 心しづめて 早く手をつけ
四号92
 このつとめ 何の事やと 思うている
 世界をさめて 助けばかりを
四号93
 この道が 確か見えたる ことならば
 病の根は 切れてしまうで
四号94
 この世ふを はじめかけたも 同じこと
 めづらしい事を してみせるでな
六号7
 このよふを はじめてからに ないつとめ
 またはじめかけ 確かをさめる
六号8
 今までに ないことばかり 云いかけて
 よろづ助けの 勤め教える
六号29
 日々に 早くつとめを せきこめよ
 いかなる難も 皆な逃れるで
十号19
 どのような 難しくなる 病でも
 つとめ一条で 皆な助かるで
十号20

 つとめさい ちがハんよふに なあたなら
 天のあたゑも 違う事なし

十号34
 どのように むつかしくよふ 見えたとて
 陽気つとめで 皆な助けるで
十二号61
 このほこり 掃除するのハ むつかしい
 つとめなりとも かゝりたるなら
十三号22
 神が出て 世界ぢううを 働らけば
 どんなつとめも 恐みないぞや
十三号55
 早々と 心揃うて しいかりと
 つとめするなら 世界をさまる
十四号92
 つとめても ほかの事とわ 思うなよ
 助けたいのが 一ちよばかりで
十六号65





(私論.私見)