第43部 | 1866年 | 69才 | 古市代官所へのお出まし、応法の理の動き1 |
慶応2年 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.12日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「古市代官所へのお出まし、応法の理の動き1」を確認しておく。 2007.11.30日 れんだいこ拝 |
【教祖の古市代官所へのお出まし】 | |
この頃、おぢば近郊の農民達ばかりでなく、古市代官所、和邇(わに)代官所など、諸藩の藩士の中にもお屋敷へ参拝する者が多くなっていた。その半面、お道に対する反対攻撃も激しくなっていた。こうなると、管轄の古市代官所としてもお屋敷や教祖の動向に関心を持たざるを得なくなった。こうして「教祖の古市代官所へのお出まし」となった。その時の様子を、「御教祖伝史実校訂本中二」が次のように記している。
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「教祖の古市代官所へのお出まし」につき、稿本天理教教祖伝が「神祇管領の公認」の項で次のように記している。
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【「応法の理の動き」を廻る三派鼎立】 |
この代官所における取り調べの結果から、人々の集う参詣所としての公認を受けておかねば万事不都合であるとの考えが、秀司やその周辺の信者たちの間に生み出されることとなった。こうして、布教上の摩擦を避け、妨害や迫害からの難を逃れる為の公認運動が推し進められて行くこととなった。いわゆる「応法の理」とも云える動きである。教祖は、この動きに対し、「この屋敷の神は元の神、実の神や。吉田神祇管領の配下の神ではない。そんなところへ願いでるやない。神が退く」と強く叱り、「元の神、実の神におわす親神の教えが公許を受けねば広められぬなどというのは教えの根幹に触れる不都合」として公認化の動きを退けた。してみれば、「応法の理の動き」は、教祖存命中に、その指示に服さぬ動きであったことになる。こうして、「お道」は早くも草創期において教祖及び教祖に忠誠一途の教祖派と、教祖の意に反してでも「応法の理」に向かおうとする応法派と、その間にたって事の成り行きを見守ろうとする中間派の三派に分かれることとなった。世俗の権力と妥協をはかるこの「応法の理」 の道の選択はこの時に端を発し、以後様々に形を変えつつ「お道」の歴史の上に何度も繰り返されることとなる。 |
【吉田神道考】 | ||||||||||
この時の公認運動の経過について見ておこうと思う。この当時、京都の吉田神祇管領家が、神道の認可に関わる一切を管理、監督していた。ここで吉田神道について一瞥しておく。 吉田神道とは、唯一神道あるいは卜部神道という吉田神社の祠官吉田家に伝わる神道であり、戦国時代吉田兼倶(1435~1511)によって組織された。従来神祇界の中心であった神祇伯/白川家に対して神祇長上なる称号を作り、地方の神社に位階を授け、神職への免許を発行した。江戸時代に入ると白川家を越えた勢力を擁することとなり、全国の神職の多数を吉田神道の下におくこととなった。こうして当時の神道の許認可権限を持つ家元のような格を維持していた。石上神宮や大和神社、大神神社などの大社はその管轄外ではあったが、それぞれ固有の関わり方で影響を受けていた。 1665(寛文5).7月、「諸社禰宜神主法度(ねぎかんぬしはっと)」を定めた。その内容は要約次の通り。 (櫟本分署跡参考館発行の「教祖伝資料集」の「吉田家の大和国の神職支配と天理教」参照)
更に、1674(延宝2)年、幕府は装束着用に加えて遠国神職の官位を天皇に申請すること(執奏)を吉田家に許している。とはいえ、幕府は、吉田家の神職支配の独占を許した訳ではなく、白川家など他の伝奏も認めていた為、吉田家と白川家の支配争いが激化していくことになる。1718(享保3)年、吉田家は、大和国の神社31社を所属させている。大和神社、石上神宮(布留社)、大神神社(三輪社)の三社は、独自のかかわり方で吉田家の支配に組み込まれていた。1757(宝暦7)年、8月、神祇伯白川雅富王が諸国社家を白川家に属させようとしたことについて、神祇権大副・吉田兼雄は、伝奏広橋兼胤に訴えを起こしている。こうした争いの中、吉田家は積極的に幕府に働き掛け、1782(天明2)年、自らに有利な寛文法度を再触れさせることに成功している。1791(寛文3)年、初めて吉田家関東役所が設置される。これは、幕府による吉田家を利用しながらの新興神職層の掌握、その支配強化政策であった。1814(文化11)年から白川、吉田両家は神職配下支配について、朝廷において争論を起こしている。 |
【この当時の教祖の予言】 | |
なお、この当時教祖は、予言的な意味において、次のようなお言葉を為されている。
針金とは、後の電信、空を飛ぶとは、航空機、山の上の灯とは、電力事業の発達のことであろう。こうした予言的面も教祖の特徴となっている。 |
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この逸話に関連する「みちのだい叢書より(その八) 」を転載しておく。
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(私論.私見)