こうして、「みき」は、「神の社」となった。「神の社」について、お筆先は次のように記している。
いまなるの 月日のをもう 事なるわ
口は人間 心月日や |
十二号67 |
しかときけ 口は月日が 皆な借りて
心は月日 皆な貸している |
十二号68 |
本部教理では、この時より、「みき」に月日親神の心入り込んで、これより以降、「みき」は、それまでの農家の主婦、中山家の嫁妻を離れ「神の社」になられることとなった、としている。「みき」を貰い受けした神は後に「月日」と言い表されることになるので、「月日の社」に貰い受けされたと言い換えることもできる。教理では、これより世界助けの「だめの教え」が開教されて行くことになったとしている。
但し、れんだいこ教理によれば、この後の軌跡を見ていけば分かるが、この時点で開教とは云えない。確認すべきは、「みき」が「元の神、実の神」に貰い受けされ「神の社」となったことは事実としても、その意味するところは在家のままの信仰一条(これを仮に「神一条」と記す)の生活に入ったということであって、開教は更に更に先のことである。踏まえるべきは、この時を境にみきの生活は一変し、「神の社」に貰い受けされた「みき」が、以降その身を隠すことになるまでの50年間の自らの身の道すがらを神一条とし、その「ひながた」を通して、又は口で「お諭し」を、筆でお筆先を通して教えを説き明かしたことであろう。これにより、今日天理教と称される信仰の教義体系が宣べ伝えられることとなったということである。「みき」は、今ここにその端初に立つこととなった。これを、「みき」の宗教的精神史の第11行程として確認しておこうと思う。
後年、「みき」はお筆先の執筆に向かい、その冒頭で、自身の立場を次のように宣べることになる。それまでの中山家の一員としての立場から解き放たれた「みき」は後年、その思いを「三千世界の一列の救済」に向け、「よろずよ八首」を謡う。その中で次のように説き明かしている。
「よろづ世の 世界一列 見はらせど 胸のわかりた ものはない(1首)。その筈や 説いて聞かした ことハない 知らぬが無理でハ ないわいな(2首)。このたびは 神が表へ 現われて 何か委細(一切)を 説ききかす(3首)。この所 大和の地場の 神がた(館)と 云うていれども 元知らぬ(4首)。この元を 詳しく聞いた ことならバ いかなものでも 恋しなる(5首)。聞きたくバ 訪ねくるなら 云うて聞かす よろづ委細(一切)の 元なるを(6首)。神が出て 何か委細(一切)を 説くならバ 世界一列 勇むなり(7首)。一列に 早く助けを 急ぐから 世界の心も 勇さめかけ(8首)」。 |
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