十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(一) |
天保9年10月26日夜、教組に十柱の神々が次々と天下った。神々といざなみの命といざなぎの命との約束の年限が満ちた九億九万九千九百九十九年の時を経て人類の表に出現した出来事であった。しかし元の神、実の神は、それまでは十種ノ神宝を御神体とする布留の御霊として現れ、日の本や世界、そして人類を裏から守護していたのである。物部一族は地場が出現する以前、はるか縄文時代より現在の地場の地となっている日の本、生屋敷にてこの十種ノ神宝を大切に代々祀り継承していた。
※尚、今回の考察は増野鼓雪の文章からの引用ではなくブログ読者が親神の天啓を更に深めるために執筆者が考察した文章です。 |
十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(二) |
布留の伝え
布留社石上天上皇大神宮
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左 |
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中御殿 |
国常立尊 |
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天照大神宮 |
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可美葦牙彦男尊 |
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正一位也 |
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天御中主尊 |
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天児屋根命 |
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東御殿 |
国狭槌尊 |
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天八下魂命 |
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西御殿 |
豊国主尊 |
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天三下魂命 |
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東中殿 |
泥土煮尊 |
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天合魂命 |
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沙土煮尊 |
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西中殿 |
大戸之道尊 |
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天八百日魂命 |
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大苫邊尊 |
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東御殿 |
面足尊 |
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天八十万魂命 |
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かしこ根尊 |
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西御殿 |
伊弉諾尊 |
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伊弉冉尊 |
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高皇産霊命 |
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神皇産霊命 |
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石上神宮は往古、天上皇大神宮と呼ばれ、中御殿には国常立尊を天照大神宮として祀り、西御殿には伊弉諾尊である高皇産霊尊を天照大神として祀り、また他の十柱の神々もぞれぞれの御殿で祀り、日の本の信仰の中心地となり民を治めていた。 |
十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(三) |
十種(とくさ)の大祓い(布留倍之祓いとも云う)
高天原に神づまります皇神等(すめかみたち)い顕(あらわ)し給ふ。十種瑞津(みつ)の寶(たから)を以て天照国照彦(あまてるくにてるひこ)天火明(あめほあかり)櫛玉(くしたま)饒速日尊(にぎはやひのみこと)に授け給う事教えて曰(のたまわ)く、いましこの瑞津の寶を以て中津国に天降り蒼(あお)生(ひとぐさ)を鎮(しず)め納めよ。蒼生(あおひとぐさ)及び万物(よろづのもの)の病疾(やまいのこと)あらば神寶(かんだから)を以て御倉板(みくらいた)に鎮め置きて魂魄(みたま、こんぱく)鎮め祭りを為して、瑞津の寶を布留倍(ふるえ)。その神祝(かんほぎ)の詞(ことば)に曰(いわ)く、甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)巳(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みづのえ)癸(みづのと)一二三四五六七ハチ九十(ひふみよいむなやこと)にの音布留部由良由良(ふるへゆらゆら)。かく祈りせば死(まかる)とも更に蘇生(いき)なんと教え給う。天神(あめのかみ)御祖(みおや)御詔(みことのり)をかけ給いて天磐船(あめのいわふね)に乗りて河内の國河上のいかるが峯(みね)に天降り座(ましまし)て大和の國のひ尾(ひき)の山の麓(ふもと)白庭(しろにわ)の高庭(たかにわ)に遷(うつ)し座(ましまし)て鎮斎(いつき)奉(まつ)り給う。号(なづけ)て石神大神(いそのかみ)と申し奉り、代々(よよ)神寶を以て万物の為に布留部に神辞(かんごと)を以て司(つかさ)と為し給う故に布留御魂神(ふるみたまのかみ)と尊敬し奉り、皇子(すめみこと)大連(おおむらじ)大臣(おとど)その神武(かみたけき)を以て斎(いつき)に仕え奉り給う。物部(もののべ)の神社(かみやしろ)天下(あめがした)万物(よろづのもの)の*類(たぐい)化出(なりいでん)大元の神寶は所謂(いわゆる)*都鏡(おきつかがみ)邊都鏡(へきつかがみ)八握生剣(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)死反(まかるがえし)の玉足(たまたるたま)道反(みちがえし)の蛇比禮(おろちのひれ)蜂比禮(はちのひれ)品品物(くさぐさのもの)の比禮(ひれ)、更に十種(とくさ)の神甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)巳(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みづのえ)癸(みづのと)一二三四五六七ハチ九十(ひふみよいむなやこと)にの音布留部由良由良(ふるへゆらゆら)と由良かし奉(たてまつる)る事の由縁(よし)を以て平けく聞し食(め)せと命寿(いのちなが)く子孫繁栄と常盤(ときは)堅盤(かたは)に護り給い幸(さきわい)し給い加持奉る神通神妙神力(じんつうじんみょうじんりき)かじ。
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排尾の山とは桃尾の山のこと
饒速日尊は神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされる。それは現在の天理市、桃尾の瀧を有する滝本の山(桃尾山)といわれている。滝本の山が別名ニギハヤヒ山といわれていたことからも考察できる。十種神とは十種類の神々であり、その神々は十種ノ神宝に御鎮座し、その霊力で死者すら蘇ることができたといわていた。つまり、人間に身体を貸している元の神、実の神である十柱の神々のことであったのだ。天保9年10月26日夜、教祖に次々と天降った神々は、裏の守護から表に現れて、万委細の元を人類に教え始める御宣託のための出現であった。
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