増野鼓雪教理補足考

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「増野鼓雪教理/立教の意義及び組織」をものしておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


増野鼓雪教理/十柱の神々と十種ノ神宝についての考察
 
 十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(一)
 天保9年10月26日夜、教組に十柱の神々が次々と天下った。神々といざなみの命といざなぎの命との約束の年限が満ちた九億九万九千九百九十九年の時を経て人類の表に出現した出来事であった。しかし元の神、実の神は、それまでは十種ノ神宝を御神体とする布留の御霊として現れ、日の本や世界、そして人類を裏から守護していたのである。物部一族は地場が出現する以前、はるか縄文時代より現在の地場の地となっている日の本、生屋敷にてこの十種ノ神宝を大切に代々祀り継承していた。

 ※尚、今回の考察は増野鼓雪の文章からの引用ではなくブログ読者が親神の天啓を更に深めるために執筆者が考察した文章です。
 十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(二)
 布留の伝え

 布留社石上天上皇大神宮
中御殿 国常立尊 天照大神宮
可美葦牙彦男尊 正一位也
天御中主尊 天児屋根命
東御殿 国狭槌尊 天八下魂命
西御殿 豊国主尊 天三下魂命
東中殿 泥土煮尊 天合魂命
沙土煮尊
西中殿 大戸之道尊 天八百日魂命
大苫邊尊
東御殿 面足尊 天八十万魂命
かしこ根尊
西御殿 伊弉諾尊
伊弉冉尊
高皇産霊命
神皇産霊命
 石上神宮は往古、天上皇大神宮と呼ばれ、中御殿には国常立尊を天照大神宮として祀り、西御殿には伊弉諾尊である高皇産霊尊を天照大神として祀り、また他の十柱の神々もぞれぞれの御殿で祀り、日の本の信仰の中心地となり民を治めていた。
 十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(三)
 十種(とくさ)の大祓い(布留倍之祓いとも云う)

 高天原に神づまります皇神等(すめかみたち)い顕(あらわ)し給ふ。十種瑞津(みつ)の寶(たから)を以て天照国照彦(あまてるくにてるひこ)天火明(あめほあかり)櫛玉(くしたま)饒速日尊(にぎはやひのみこと)に授け給う事教えて曰(のたまわ)く、いましこの瑞津の寶を以て中津国に天降り蒼(あお)生(ひとぐさ)を鎮(しず)め納めよ。蒼生(あおひとぐさ)及び万物(よろづのもの)の病疾(やまいのこと)あらば神寶(かんだから)を以て御倉板(みくらいた)に鎮め置きて魂魄(みたま、こんぱく)鎮め祭りを為して、瑞津の寶を布留倍(ふるえ)。その神祝(かんほぎ)の詞(ことば)に曰(いわ)く、甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)巳(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みづのえ)癸(みづのと)一二三四五六七ハチ九十(ひふみよいむなやこと)にの音布留部由良由良(ふるへゆらゆら)。かく祈りせば死(まかる)とも更に蘇生(いき)なんと教え給う。天神(あめのかみ)御祖(みおや)御詔(みことのり)をかけ給いて天磐船(あめのいわふね)に乗りて河内の國河上のいかるが峯(みね)に天降り座(ましまし)て大和の國のひ尾(ひき)の山の麓(ふもと)白庭(しろにわ)の高庭(たかにわ)に遷(うつ)し座(ましまし)て鎮斎(いつき)奉(まつ)り給う。号(なづけ)て石神大神(いそのかみ)と申し奉り、代々(よよ)神寶を以て万物の為に布留部に神辞(かんごと)を以て司(つかさ)と為し給う故に布留御魂神(ふるみたまのかみ)と尊敬し奉り、皇子(すめみこと)大連(おおむらじ)大臣(おとど)その神武(かみたけき)を以て斎(いつき)に仕え奉り給う。物部(もののべ)の神社(かみやしろ)天下(あめがした)万物(よろづのもの)の*類(たぐい)化出(なりいでん)大元の神寶は所謂(いわゆる)*都鏡(おきつかがみ)邊都鏡(へきつかがみ)八握生剣(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)死反(まかるがえし)の玉足(たまたるたま)道反(みちがえし)の蛇比禮(おろちのひれ)蜂比禮(はちのひれ)品品物(くさぐさのもの)の比禮(ひれ)、更に十種(とくさ)の神甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)巳(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みづのえ)癸(みづのと)一二三四五六七ハチ九十(ひふみよいむなやこと)にの音布留部由良由良(ふるへゆらゆら)と由良かし奉(たてまつる)る事の由縁(よし)を以て平けく聞し食(め)せと命寿(いのちなが)く子孫繁栄と常盤(ときは)堅盤(かたは)に護り給い幸(さきわい)し給い加持奉る神通神妙神力(じんつうじんみょうじんりき)かじ。
 排尾の山とは桃尾の山のこと

 饒速日尊は神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされる。それは現在の天理市、桃尾の瀧を有する滝本の山(桃尾山)といわれている。滝本の山が別名ニギハヤヒ山といわれていたことからも考察できる。十種神とは十種類の神々であり、その神々は十種ノ神宝に御鎮座し、その霊力で死者すら蘇ることができたといわていた。つまり、人間に身体を貸している元の神、実の神である十柱の神々のことであったのだ。天保9年10月26日夜、教祖に次々と天降った神々は、裏の守護から表に現れて、万委細の元を人類に教え始める御宣託のための出現であった。

増野鼓雪教理/立教の意義及び組織
 
 立教の意義及び組織(一)
 本教のその立教の目的に於て、一は世の立替を標榜し、一は地場の理を現す、即ち親里の理を表現しているのである。この二つの目的は、神意の上に於ては、同一の性質を有しているものであって、道はこの二つの目的を如実に実現し、完成せんがために開かれたものである。こゝに本教立教の真意義が含まれ示されているのである。ところが、翻って遠き本教の過去を顧みたらんば、教祖在世中は、種々なる事情のめに布教が不可能になり、ひいて教祖御帰幽と共に、本教は神道本局に隷属して、教会制度と云うものを形造ったのである。そしてそれは現在にまで及んでいるのであるから、この制度は実に研究すべき重大なる問題であって、現在の教会制度そのものが、果して教祖立教の精神を、社会に実現するために最も当を得たものであや否やと云うことは、吾々の斉しく省察しなければならぬ緊急な問題である。しかし当時を考えて見れば、それ以外には布教を容易ならしむる道はなかったので、この教会制度なるものを、採用するになったのである。

 かくの如く本教は神道本局に隷属して、逐次今日の如く発達をして来たのであるが、本教が神道本局より分離する際に、教内の制度はその内容に於て、大体従前に制度をその儘踏襲して、今日に及んでいるのである。けれども独立と同時に、新たに政府より本教管長に対して、教内に於ける一切の統治権を委任することになったので、その結果として、従来の教区取締から、教会組合の制度に変わっていった、教会管治制度なども多少変更さられて、本部所在地に天理教々庁というものを置かれ、延いて各教会組合のあった所へは、教務支庁と云うものを設けられる様になったのである。
 立教の意義及び組織(二)
 けれども信仰の中心制度になるべき教会組織に至っては、以前の元のまゝに制度と踏襲して、大教会、教会、分教会の如き外形的要素には多少の変遷はあったとはいへ、その根本的組織に於ては、全然如如等の変革をも見ず、そのまゝ今日まで推進して来たのである。かくの如く、本教の発達と共に、漸次その制度に幾多の変遷を重ねて来たのであるが、翻って考えれば、この制度なるものは、果たして何時まで固定せしめねばならぬものであるか否かは、大いに考うべき問題である。

 制度と云うものは、丁度人間の着ている衣服の様なものであって、衣服は何時も同じ物ばかり着けて居らねばならぬと云うことはないのでる。時に応じて季節に適ったいろに変へねばならぬ様に、制度そのものを、亦その時代に変化に応じて変えて行かねば、却ってその制度のために、活発な精神の運動を遮られて沈滞を来す虞があるのである。この意味から見て、現在の時代もと本教現在の制度とは果たして調和しているのであろうか、これ実に研究を要すべき問題なのである。


 前にも述べた様に、本教現在の制度は内から創造せられ発達して来たのではないのであって、当時の時代に余儀なくされて制定されたものなのである。
ところがその制度に制定さられた明治23年頃の時代と、大正10年の今日の時代とは、社会の情勢に於て大いなる相違がある。第一その当時於ては、貴族的に、封建的、官僚的な思想が充満していたに対して、今日の時代は民主的、平民的、平和的な思想が横溢しいたのである。故に現在本教以外から本教を観る時、それらの人は本教々義乃至信仰に於ては、共鳴する多くのものを見出すであろうが、しかしその制度に対しては、甚だ不愉快に感じを抱くことには、拒むことのできない事実なのである。これによって観れば即ち制度が精神を抑圧している点の、少ないのを感ずるのである。従ってこの際、制度の調査を、行うことは本教として緊要なことであるのである。しかしながら、制度は常にその精神より表はれねばならぬものである。故に新制度は新精神より表はれ、新しい施設は、新しい信仰から生まれのである。

 従ってこの際、制度の改善改革に先立ちて、まづ吾人の精神を教祖立教の大精神に立返らすべき必要があるのである。第一その一つである地場の理を現すには、各人の心に本部をして尚一段の深義を闡明せしむると共に、また本部に関する一切のことを、より以上に重要視せしむる様に涵養しなければならぬ。第二としては、助一条の目的を達成せんが為めに、受訓をして一層有意義ならしむべく、その方法を講ぜなければならぬのである。かくして、真の信仰が復活し、新時代と新社会に共鳴する様な新精神の上に立って、制度が表現して来るのである。ここに於て始めて本教立教の精神を宇内に宣揚することができるのである。





(私論.私見)