みき教理の白眉慧眼考

 (最新見直し2012.03.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「みき教理の白眉慧眼称揚」について記す。

 2012.03.13日 れんだいこ拝


【みき教理の構造考】
 既に、イエスキリスト、釈尊仏陀、陽明学、マルクス主義、二宮尊徳、大原幽学、山田方谷ら同時代の農政家、天照大神、卑弥呼等との親疎性を確認したが、ここでは、みき教理の骨格と本質的な意義、その白眉、慧眼ぶりを拝察したいと思う。みき教理の論理構造式及び各論毎の詳解は下記サイトで確認するとして、ここでは「みき教理」の全体像を俯瞰することにする。但し、これを解析するのは困難を極める。特に宗教的な教説と思想的な教説とが混然一体となって混じり合っており、これを同時的に解説するのは無理である。そういう訳で、ここでは敢えて宗教的な教説を剥離させ思想的な教説に特化させた上で、その構造式を確認することにする。みき教理をこのように解析するのも例がなく、その意味でも困難性が倍加する。

 「お道の理論研究
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/rironco.htm)

 「教義各論原形
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/kyogigenkeico/kyogigenkeico.htm)

 みき教理の原形を範疇 (はんちゅう、カテゴリー) 化すれば、原理論、思案論、諭し論、実践論、指針論、回天論、甘露台論の七層から成るように思われる。思想的なものは何事も理論と実践に分かれる。理論なき実践はあり得ず実践なき理論もあり得ないので、理論と実践を機械的に分離することはできない。俗に、理論と実践を二項対立させる傾向があるがナンセンスと云わざるを得ない。これを正しく見れば、理論と実践はあざなえる縄の如くの関係にあり、専ら理論の面から見るのか実践の面から見るのかの両方向からの考察が必要であるように思われる。ここでは、この七層を理論の面から追跡してみることにする。それによると、前半の原理論、思案論、諭し論までが理論的理論で、実践論、指針論、回天論、甘露台論が実践的理論と云うことになるかと思われる。

 各層を個別性質要素的に見れば、原理論とは、みき教理の内実理論である。いわば核になる御教えと云うことになる。ここで、人間創造の親神の人間創造の思惑、これを受け入れる道人の心構えが諭される。

 みき教理をどのように拝するべきかが問われるが次の思案論である。思案論は、原理論により要請される実践論の間に架橋する媒介論1である。ここでは、「貸しもの.借りものの理」、「心の自由、誠真実の理」、「心遣いによる神のご守護、助かりの理」が問われる。これを思案論1とする。次に、埃論、財物不執着論、因縁論、人間思案論、身上.事情論、手入れ論が問われる。これを思案論2とする。心の入れ替え論、胸の掃除論、「神の働きによる不思議のご守護論」、出直し論。これを思案論3とする。手引き論、心定め論、たんのう(足納)論、成人論。これを思案論4とする。これを媒介論1とする。

 これに続く諭し論が媒介論2となる。ひながた論、応法の理論、鏡屋敷論、お道論。これを諭し論1とする。「どこが違うか因縁論」。これを諭し論2とする。男女隔て無し論、夫婦治め和合論。これを諭し論3とする。徳積み論、「御恩奉じ理立て論、尽し運び論」、ひのきしん論。これを諭し論4とする。働き論、事業商売論。これを諭し論5とする。

 この媒介論を経て実践論に移る。みき教理では助け論となる。実践論は個々の実践論から始まり集団的なものへと高次化する。つとめ論、「授け、用木論」、救済論。これを助け論その1とする。お助け論、助け合い論。これを助け論その2とする。匂いがけ論、「神のお働きによる助けのご守護論」。これを助け論3とする。故に、この段階の実践論を仮に純正実践論とする。次に集団的な指針論、回天論、甘露論となり、実践ハ―ドルが次第に上がって行くことになる。

 集団的な実践論の最初が指針論である。布教論、講を結べ論。これを指針論1とする。「お道の組織論、規約論」、順序論、節芽論、路銀論。これを指針論2とする。

 次に回天論に入る。「上、高山批判の社会観」。これを回天論1とする。「唐、天竺批判と日本賛美の世界観」。これを回天論2とする。胸の分かり、「屋敷、胸の掃除」。これを回天論3とする。普請論、人材結集論、真柱論、棟梁論。これを回天論4とする。一手一つ論、仕切り論、神の自由自在の働き論、「世直し、世の立替え論」。これを回天論5とする。

 次に甘露台論で完結する。ぢばの理、甘露台の理。これを甘露台論1とする。神楽づとめ。これを甘露台論2とする。繁盛論、115歳定命論。これを甘露台論3とする。「陽気づくめ、陽気暮らし論」。これを甘露台論4とする。 この体系の他に個別的な科学観、労働観、天地自然観、災害観、医術観がある。更に神の思惑論、刻限論、予言論等がある。

 みき教理は一応このように見取り図することができるのではなかろうか。実際には純然と分けられるようなものではないが要素的に識別するとこういう仕分けが可能になるということである。みき教理がこのような重畳理論になっていることが分かれば良い。留意すべきは、この構造式を他の思想のそれと比較すると、理論と実践を真に総合せしめた類例のない高次なものであることが分かろう。みき教理の機能性は、社会理論に特化しているマルクス主義なぞは足元にも及ばない。自ずと陽明学的な知行合一になっていることにも驚かされよう。

 2012.3.14日 れんだいこ拝

【みき教理の白眉、慧眼、炯眼称揚】
 「みき教理の構造考」を踏まえて、その白眉、慧眼、炯眼を確認しておく。

 みき教理の白眉の第一は、天地創造譚を創造したことにある。しかもそれは、既に「天地創造譚としての元の理考」で確認したが、ユダヤ―キリスト教の天地創造譚に匹敵する明らかに異質の天地創造譚を創造したことに意義と価値が認められる。詳しくは「天地創造譚としての元の理考」に記したので、ここでは繰り返さないことにする。

 みき教理の白眉の第二は、神と人間の関係を人間界の親子のような家族的愛情関係として捉え、即ち、神が人間創造の親神として、親が子を思う慈愛の神として立ち現われていることにある。神は家族の親であり、無償の慈愛に包まれている。そもそもの神概念に於いて、天地創造者にして主宰者ではあるが、ユダヤ-キリスト教的な絶対権力者にして命令者的には捉えられていない。むしろ命令的な指令を何一つしない、神と人との徹底談義を促す存在である。「この世をはじめた神のことならば、世界一列皆我が子也」(4.62)、「一列の子供可愛いそれゆえに、いろいろ心つくしきるなり」(4.63)、「どのような助けするのも真実の、親がいるから皆引き受ける」(7.101)、「親神にとっては、世界中は皆我が子、一列を一人も余さず助けたいのや」。かく母性的神像を説いている。これも有り難い御教えと云うべきであろう。この神概念の違いは、人類創造譚に於ける「元の理」と同様にユダヤ―キリスト教式のものではない別の神の在り方を論を対置しているところに意味と意義が称賛される。

 みき教理の白眉の第三は、神の姿を人間的姿かたちのものではなく、いわば摂理のようなものとして捉えられていることにある。原文は分からなくなったが次のように宣べている。概要「神というては特別にあるものではない。あるといえばある、ないといえばない。しかれども成ってくる理のうちに神が見えてくるのや、成って来る理が神や」。お筆先には次のように記されている。「この世は理で責めたる世界なり、何かよろずを歌の理で責め」(1.21)。「段々と何事にてもこの世は、神の体や思案してみよ」(3.40、3.135)、「この道は、どういう事に思うかな。この世を治める真実の道」。

 みき教理の白眉の第四は、結局は「元の理」で説き明かされており重複することになるのであるが、人間存在の意味と意義について宗教的に説き明かしていることにある。「宗教的に」と形容したのは、西欧的な思想、哲学的にと区別する意味がある。即ち、西欧的な思想、哲学的な思弁によってではないが、まことに原日本的な感応的方法に於いて人間存在の意味と意義を西欧学的用語で云う真理へと辿り着いている。どう宣べたのか、これを確認する。

 みき教理は、人の存在根拠と生きる目的について、次のような鮮やかな諭しを与えている。筆者には、これほどに素敵な教説はないと思う。即ち、「元の理」によれば、人間を含む天地創造の任に当たった月日親神は、原始の泥海を見て何やら「味気ない」と思し召された。そこで、「一つ人間と云う者を拵えて、その人間が陽気に勇んで暮らすふりを見て、共に楽しみたい」と思いついた。これにより人間創造計画が始まった云々。ここに、人の存在根拠と生きる目的が教示されている。即ち、人間創造主が、「一つ人間と云う者を拵えて、その人間が陽気に勇んで暮らすふりを見て、共に楽しみたい」として人間を拵えた以上、拵えられた人間の存在根拠と生きる目的は、創造主の思いに適うことが相応しい。遺伝子がそのようにセットされていることになる。しかしてそれは「陽気に勇んで暮らす」ことであると云うことになる。「人が勇めば神も勇む」とも諭されている。

 古来、洋の東西を問わず、人の存在根拠と生きる目的が喧々諤々され今日に至っているが、どのような名だたる哲学者、思想家、宗教家、政治家、芸術家をもってしても説き明かされていない。それを、みき教理は、いとも簡単に人間創造主の思いに適うよう「陽気に勇んで暮らす」ことであると説く。これは、西欧学問が帰納法的に解を見いだすのを特徴としているとしたら、その手法で辿り着いた解ではない。いわば演繹法的な方法で得た解のように思われる。筆者的には、帰納法的と演繹法的との優劣が分からないので、このことに問題はない。どのような方法によろうとも、人の存在根拠と生きる目的をこのように示唆したみき教理に軍配を挙げるべしと思っている。

 みき教理の白眉の第五は、「二つ一つの理」に認められる。とは、二つの相反する対照的なものが、二つでありながら和して働くところに生成発展の元がある、生産的な力が現れると見なす理法を云う。ちなみに、「二つ一つ」とは、二つのものが同一のものに合体するということではない。それぞれが独自性(異なる働き)を持ちながら、助け合い、補い合い、支えあって活動して調和している、世の中の全てのものがこの理法に基づいているという理法である。これを「天の理」と云い、宇宙秩序、自然世界、人間社会、人間身のうちに貫通しているとも見なしている。これが親神の守護の理であると説く。或る意味で弁証法的な理論であることも興味深い。

 みき教理の白眉の第六は、「元の理」譚で明確にしているように人間存在の根本を類的共同性に据えて、人は類として共同しており、皆な兄弟であるとしている。「この世を初(はじ)めた神の事ならば、世界一列皆我が子なり」(お筆先4.62)、「世界中一列は皆兄弟や、他人というは更にないぞや」(13.43)。故に、人は始源としての類的共同性に相応しく思惟し行動し生活するのが相応しいと云うことになる。

 みき教理の白眉の第七は、そのように生きる目的が規定された人の生きる方法として、「助け合い」こそ親神の思し召しに適うとして指針させているところにある。これを簡略に「人を助けて我が身助かる」とも宣べている。この意味は、通説的な「人を助ければ、廻り回ってお返しがあり、いずれ我が身に恩が返ってくる」と功利的に解するべきではない。みきの諭しはもっと深く、「人を助けると云う行いのうちに不即不離で助けている者が助かっている」と効能的に拝聴すべきであろう。これについては、末尾の「人を助けて我が身助かる論の真意考」で再考する。

 みき教理の白眉の第八は、そういう助け合いの理の本源性に目覚めた道人による、より高次な助け合い方式として「一手一つの理」を指針しているところにある。「一手一つの理」とは文字通り「一手一つになって互いに支え合う理」を云うのであるが、これは強制されるものではない、自ずと体得し自由自主自律的に獲得されるべきものとしている。いわば組織論、実践論の諭しになるが有益な御教えではなかろうか。

 みき教理の白眉の第九は、人間存在の源基に於いて、ユダヤ―キリスト教式な罪の観念、仏教式な業、因縁の観念、その他その他の戒律観念の呪縛から解き放していることである。人間存在の根底に、そのような脅迫性の心理を持ち込まず、よしんば間違いを積み重ねたにせよ、それは埃であり、掃いて拭けば取れる、それが又積もり又掃除すべしとする「埃の理」を説いている。この理も又「元の理」から導き出されているのだが、親神の人間創造に当たっての思いには、罪の観念、因縁の観念のような呪縛性のものはないと示唆していることになる。有り難い御教えではなかろうか。
 
 これに関連して、ユダヤ―キリスト教及び仏教的及びその他諸々の宗教が前提としているところの地獄、天国思想を抑制している。仏教的な精神界の複雑多岐な思弁をも排して、「貸し物、借り物の理」、「八つの埃の理」を説いて諭している。要するに、必要以上に難しく説かない、神の名を以て脅迫しないところに特徴がある。難しく解かなかったからと云っても内容は高次高度なものであるなら、むしろ模範にすべきではなかろうか。みき教理は全体に「簡明にして深遠な諭しの理」に特徴がある。

 みき教理の白眉の第十は、原日本の「祓の思想」を汲んでいるところにある。みき教理によれば、「座りつとめ」で表現される際の御歌に「悪しきを払うて助けたまへ てんりん王のみこと」、「悪しきを払うて助けせきこむ 一列澄まして甘露台」と「払い」の言葉が述べられている。見落としがちであるが、「払い」は「祓い」であり、「禊(みそぎ)」の思想を核としていることが分かる。これが如何に重要なことかは、みき教理の古神道との疎通性に照らして明らかになる。これを逆に云えば、みき教理が古代からの伝統的な禊思想を受け入れていることが判明すると云うことになる。

 このことは、みき教理の思想的位置づけを確認する意味で重要である。みき教理を神道、仏教、ユダヤ-キリスト教、その他宗教のどの圏内で理解するのかが問われ、そのどれにも属さないとする見解があるが、果たしてそうだろうか。筆者は、みき教理は、神道の内の古神道に属すると見立てる。この祓思想が根拠の一つである。これを理解するには神道に対する素養を要する。神道は、古神道、天皇制神道、近代天皇制神道の三構造に分岐しており、みき教理は古神道に属すると見立てたい。

 このことは天理教の教派神道十三派の加盟と離脱経緯に関係する。天理教は、出雲大社教、御嶽教、黒住教、金光教、實行教、神習教、神道修成派、神道大教、神理教、扶桑教、禊教、大成教と共に神道十三派に加盟していた。明治28年、教派神道の各派はその連合会(現・教派神道連合会)を結成し、この会は戦後も存続し現在に至っている。途中で大本教が加盟し、大成教、天理教が脱退し、現在は12教団により構成されている。 天理教は神道ではないということで離脱した。しかしながら、「神道ではない」とする時の観点が重要である。筆者は、天皇制神道ではないと云う意味では同意するが、天皇制神道以前の古神道との繋がりに於いては連綿とその正統を継承していると見立てたい。、

 みき教理の白眉の第十一は、その親神は、ユダヤ―キリスト教最高神のエホバ神による「地に充ち自然を支配せよ」なる自然支配思想を説いていない。むしろ自然の摂理を聴き分け、その摂理との即応的な共生を指針させている。今日的な言葉でいえばエコ思想に貫かれている。みき教理では、人と人との類的共同性のみならず、人と自然との共生性をも同時的に指針させていることを窺うべきであろう。地球環境の破壊が著しい現代に於いては慧眼、炯眼と評すべきであろう。

 みき教理の白眉の第十二は、男女平等の理を説いて居るところに認められる。「雄松雌松に隔てない」と説き、男女同権対等質のものであるとしている。これは、当時の身分制社会に対する否定にも繫がって行くことになる。女性の月経についても「月のものに汚れはない」と述べ、不浄説から発生したと思われるお産に対する迷信から解放している。これにより、「帯や(安産)の神様」として登場することになった。

 みき教理の白眉の第十三は、夫婦和合の理を説く。御神楽歌の十一下りは「夫婦揃うてひのきしん これが第一もの種や」とある。みき教理は、「この道は、夫婦の道」と云われているほど夫婦の和合、円満、協働を尊ぶ。これを陽気暮らしの基本としている。夫婦の性交を「命の宿し込み」として重視し、あるがままに理解しようとしている。性交そのものの神聖性、淫し性をそのままに拝すると同時に親神の人間創造時の思惑、親神の働きを味わい、その理を聞き分ける意味があるように思われる。故に、神楽勤めでは甘露台を囲んで性交を真似る。これを万づの始まり元一日としている。みき教理のこの性交観が淫し邪教の批判を浴びることになった。しかしよくよく思案すると淫し邪教視する側にこそ非があると云うべきだろう。

 みき教理の白眉の第十四は、労働の喜びを詠うところに認められる。労働を対価的に金銭報酬の尺度で測るだけではなく、生かされている喜び、奉仕できる喜びを称揚している。その極致の姿かたちとして「ひのきしん」を呼び掛けている。「ひのきしん」とは、「有り難くも今日生かされていることを感謝し、守護主の親神の御恩に報いる日々の無償労働寄進」を云う。更に、「労働(働き)は傍々を楽にさせる意味での傍楽(はたらく)を本旨とする」、「朝起き、働き、正直」を旨とするよう諭している。商売人には「高く買い、安く売りなさいの理」を諭し、八方良しの事業哲学を説いている。

 みき教理の白眉の第十五は、「成人の理」にある。みき教理では、信仰生活の階梯を「成人」という言葉で例え話ししている。これによると、「成人」とは、身体的発達と精神の発達の両面から成り立っているものであり、「元の理」を聞き分ける度合いにより
「成人」が促されることになる。

 
みき教理の白眉の第十六は、「世直し、世の建て替え論」にある。「高山に暮らしているも谷底に、暮らしているも同じ魂」(13.45)、 「この世界高山にても谷底も、親のたにわ子供ばかりや」(14.53)。

 
これら全てを総合するのが「甘露台の理」である。これこそみき教理の到達点であり、これを行う「おつとめ」こそ理論と実践の総合的な象徴であり且つ営為とされていた。それは、甘露台の周りで行う「元の理」に基づく神楽つとめにより、このミニチュアな「元一日の霊能」を起点として世間に次第に攪拌せしめていくものと期待されていた。この実践原理も又慧眼、炯眼と云うべきではなかろうか。

 人類宿し込みの「おじば」に甘露台を据えようとし、官憲によりその工事が中止させられ、解体させらた時、教祖みきは格段の立腹と残念の意を表明している。この時の弾圧により、人類は、ここにあたら惜しい真正の甘露台による神楽つとめを具現する機会が失われた。これは恐らく永遠に失われたことを意味する。これこそまさに惜しい、人類史上の大損失と云う気持ちが禁じえない。

 みき教理を説けば際限がなくなる。取り敢えず凡そ以上の十二の特徴で確認しておくことにする。あたかも「古池や かわず飛びこむ 水の音」を説くのと同じ理になり紙数を尽しても尽せないと云うことになる。

 2012.3.14日 れんだいこ拝

「人を助けて我が身助かる論」の真意考
 天理教教義の有名な句の一つに「人を助けて我が身助かる」の御教えがある。この御言葉をどう拝するべきだろうか。これについて愚考しておく。

 「人を助けて我が身助かる」には幾通りかの拝し方があるのではなかろうか。ごく普通には、人を助ければ回り回って必ずお返しがあるとの諭しと受け取ることができる。これを仮に功利的な受け取り方即ち功利論と命名する。もう一つ、人間の存在の仕方自体が「人を助けて我が身助かる」的共同体の裡にあるとの御教えとも解することができる。これを仮にフォイエルバッハ的「類的共同性存在」の概念的受け取り方即ち共同体論と命名する。もう一つ、実はこれを云いたかったのだが、人を助けること自体の裡に助ける側が逆に助かっていると云う御教えもあるのではなかろうか。これを仮に効能的受け取り方即ち効能論と命名する。「人を助けて我が身助かる」には少なくともこの三通りの拝し方があるのではなかろうか。他にもまだ、れんだいこに気づかない拝し方があるのかも知れない。

 なぜ、このことを指摘するのかと云うと、功利論的な拝し方のみで受け止めたり説かれている気がするからである。これでは教祖の教理の真意が十分理解されていないと思う。この教理の神髄はむしろ効能論の方にあるのではなかろうか。効能論を通せば次のようなことが見えてくる。病気の人は共通して概ね自分自身のみの苦からの解放に囚われており、その分意識が自身に閉じこもっており、視野が狭く人に役立とうとする意識が弱い。これに対して、快活な人は共通して概ね家族なり世間に役立つことを願い、これを生き甲斐として生き生きと生活している傾向が認められる。つまり、功利的な人助けでなく、人助けすることによりいつしか自身が健康に恵まれていると云う不思議が見て取れる。

 れんだいこがこのことに気づいたのは次の体験による。或る時、車で雪の山坂道を下っていた。既に二時間近く走っていたのでタイヤに付着した雪が氷状になりスリップし易くなっていた。そのことを深刻に思わず帰路を急いでいたところ、坂道でブレーキが利かず、スピードが次第に上がり遂にガードレールに衝突する破目になった。この時、れんだいこは、ガードレールの先に電信柱があることを認め、それが助手席の連れ合いの方向に向かっていた為、咄嗟に連れ合いの顔を庇おうとして身を被せた。この数秒、否1秒のコンマ何秒の刹那に連れ合いの顔を見たところ、ポカンとして事態に気づいていなかった。ズドーンと衝突した。幸いバンパーとエンジンルームまでが大破し、電信柱が車内にまで迫ることはなかった。ぶつかった瞬間、ハンドルが激しく突きだしていた。もしも、れんだいこが身をそのままにしていたら胸を強打していただろう。幸いに、れんだいこは連れ合いを庇って身を外していたので突き指程度で済んだ。事故は有り難くなかったが大難を小難にすることができた。

 暫くして気づいた。れんだいこの連れ合いを助ける行為が、連れ合いのみならずれんだいこの身をも救ったのではなかろうか。ここに教理の「人を助けて我が身助かる」の極意を見た気がした。そうか、「人を助けて我が身助かる」とは、人を助ける行為が即助ける人をも救っているのかと。してみれば、通説の功利論的受け取り方は浅いのではなかろうかと。以来、れんだいこは、この御言葉を効能論的に理解している。効能の果てに功利的なものがあろうとなかろうと、そういうことにはお構いなく効能的に理解せんとしている。そういう眼で見れば、確かにボランティア的な活動している者に元気達者な者が多いことに気づく。なるほどと得心している。剣術の極意とされる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」も、近い教えではなかろうか。

 ところで、「人を助けて我が身助かる」の理合いを学ぶ上で、身の内の助け合い構造をも知っておく必要がある。どういうことかと云うと、身の内の諸機関、諸組織が互いに助け合っており、その様は不思議でもある。恐らく、科学が極めようとしても更に奥深くに神秘を見続けることになるだろう。次に、その身の内が身の外と相関している理を知る必要がある。身の外自体も全体として見ればそれなりに助けあっている様を見て取ることができる。こうなると、身の内と身の外との助け合いの理をも知る必要があろう。こうして、「人を助けて我が身助かる」の御教えは、これを考察すれば次第に奥深く入り込む味わい深い御教えとなる。最近のエコロジー論にも繋がってくるのではなかろうか。

 この点で、西欧思想は、東洋思想の、中でも日本思想のこの奥深い御教えに対して叡智が不足しているように思われる。即ち、日本人は、自信を持って日本思想を学び、且つ世界の諸思想を咀嚼せよと云うことになる。取り敢えず以上記しておく。

 2010.12.22日 れんだいこ拝





(私論.私見)