【れんだいこの共謀罪読解俯瞰図】 |
(最新見直し2005.10.29日)
【1、はじめに】 |
小泉政権は、郵政民営化法案に続いて現代版治安維持法と評されるべき共謀罪を重要法案として位置づけ国会に上程した。目下審議が始まっている。盗聴法から個人情報保護法、住基法、共謀罪へと流れる一連の新法創設は何を意味しているのか。取り返しがつかない暗黒社会が到来するように思われるが、その背景には何があるのか。小泉政権ははなぜ急ぐのか、ここを疑惑せねばならない。 |
【2、共謀罪の定義】 | ||||||
共謀罪とは、「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)解説『共謀罪』」によれば、次のように定義されている。
山下幸夫(弁護士)の「共謀罪とは何か」は次のように記している。
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【3、法案の登場経緯】 | |
共謀罪はどのようにして生み出されたのか。どうせ元々はネオ・シオニストの悪企みから発生しているに違いない。仮にそうでなくても、途中から連中に都合の良いように捻じ曲げられていくに違いない。そういう先入観を持って覗いてみる。当たらなければ良いけども。 法案の歴史過程を追跡して見る。
1999.3月の政府間特別会合に於いても、「共謀または予備の諸行為を犯罪化することは、わが法制度に首尾一貫しない」と述べており、条約批准には消極的姿勢を見せていた。が、ともかく同年12月署名した。 |
【4、法案の中身】 |
許し難いことに、小泉政権が創設しようとしている共謀罪はもっとハレンチである。「国際組織犯罪法」の批准にともなう国内法整備を名目に導入しようとしているが、政府・法務省が提出した法案には、同法が適用範囲としている「越境性」と「組織性」の2つの要件(同条約3条)のうち「越境性」が抜け落ちており、「組織性」の要件もきわめて緩和し法の網を広げている。つまり、「国際的かつ組織的犯罪集団を対象とする」という限定を越えて、純然たる国内事項にも適用できるような取締り法案へと飛躍させている。 「国際(越境)的な組織犯罪」としての国際マフィア、国際テロリストの取締りという垣根を取り払い、もっと幅広く純国内の政治犯罪、国家犯罪に対する恐るべき、1・予防検束型、2・事前規制型、3・治安立法型となっており、まさに「現代版治安維持法」として策定しようとしている。つまり、国際的国内的両面に適用できる一石二鳥法案としている。先の国会では、与党議員からも、「(創設されようとしている我が国での)共謀罪の規定は、条約と範囲が違うのでは」と危ぐする声が出ている。 しかも、法案は4年以上の禁固の刑罰を定めたすべての犯罪について適用できるため、道路交通法違反、税法違反、水道法や消費税法違反などまでを含む6百法以上(当初557法と言われていたが、現在は620法に及ぶことが確認されている)の法律に適用されるようにつくられている。 その手法として、警察や検察が「共謀があった」と認定しさえすれば、具体的行為の無い「犯罪」実行前段階に於いて、取締まりや捜査に着手できるとしているので、つまり権限が大幅に強化されており、いわば当局に万能権力が与えられたことになる。この法案が法律となれば、警察や検察は、テロや組織犯罪の防止を口実にして各種団体にどんどん介入できることになる。これを組織弾圧と云う。 こうなると、政党、市民団体、労働組合、宗教団体など、あらゆる団体の活動が対象にされる。市民の人権は無論のこと近代法原理が保障した団結権、争議権、反対権、抵抗権を侵害する最悪の悪法となっている。これが法案の内容である。 実際には、国内外の不都合事情に対して、適用基準が曖昧故に当局の胸先三寸のさじ加減で取締りが為されていくようになるだろう。その結果、アノミーな無秩序社会に成ることが予想される。 |
【5、法案の審議過程】 |
小泉政権は、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法の創設に熱心に取り組んでいる。2003年に初めて通常国会に提出したが、しかし、こうした法案であるから容易には国会を通過しない。野党や市民団体、日本弁護士連合会が強く反発し継続審議を繰り返している。改正案は既に3度国会に提出され、いずれも廃案となっている。そして今国会に再々度上程された。概要は、「小泉政権による法案化の流れ」に記す。 |
【6、法案の法的問題性その1、「内面関与の問題」】 |
共謀罪がなぜトンデモな悪法なのか。それは、近代が中世から抜け出る過程で血みどろの闘いの中から獲得してきた「個人の内心に於ける思惟の自由、言論・表現・出版・集会・結社の自由」を直接的に侵害するからである。今や天下を恣(ほしいまま)にしつつあるネオ・シオニストがこの悪巧みを仕掛けている。 ネオ・シオニストは、中世から近代の過程で、ゲットーからの解放、市民権獲得に向けて闘いを組織し、その際中心的役割を果たしてきた。これを歴史過程で見れば、彼ら自身が最も恩恵を受けてきた経緯がある。これは、ネオ・シオニストの「歴史的正」の面である。ところが、その後彼らはますます勢力化し、今や世界中で支配ネットワークを構築している。その彼らが天下を取るや手のひらを返し、「個人の内心に於ける思惟の自由、言論・表現・出版・集会・結社の自由」を抑圧し始めたことになる。これがネオ・シオニストの「歴史的本性」である。 彼らは遂に、近代法的諸権利の果実を食い散らし、彼らの漫画的世界支配秩序青写真を押し付けるためにその牙を剥き出しにし始めた。ここに、国連決議を経て世界各国で共謀罪が導入されつつあるという裏事情がある。今やはっきりネオ・シオニストの「歴史的負」の面を捉えねばならない。 |
【6、法案の法的問題性その2、「基本的人権抑圧の問題」】 | |||
近代刑法は、イタリア・ルネサンス以来の近代原理に則り、罪刑法定主義、証拠主義、公正な裁判主義、拷問の禁止等々の諸原則を確立してきた。近代刑法は概ねこれらの諸原則に則り準用されてきた。日本の戦後憲法は、近代原理に則った史上最高度の内容を記しており、刑法に於いても戦前の治安維持法下の行き過ぎを諌め、わざわざ憲法の中に条文化している。当然の事ながら刑法はこれに準則するよう強いられている。よって、戦後日本の刑法はこれまでのところ事前謀議を処罰する規定を持たない。 戦後日本の刑法は、人をして罪を問う為には「現実的危険性をもつ行為としての犯罪の実行着手」を構成要件としている(同法43条本文)。これが近代刑法概念の芯となっている。その後、治安上の観点から「共謀共同正犯条項が生み出されたが、「犯罪の実行」を構成要件とするという弁えを保持しており、為に共謀共同的犯罪が発覚しても、内乱陰謀(同法78条)などの個別の構成要件に該当しない限り事前の強制捜査をすることができないという制限下に置いている。これは、近代刑法の原則である「実行行為に直接つながる行為をすることによって、法益侵害(構成要件の実現)の現実的危険性を引き起こしたから処罰される」という公理に従がっている故にである。 但し、判例上では、取締り当局側をして有利に運ばせてきた経緯がある。今日の「共謀共同正犯」の理論の運用状況からすれば、共謀すなわち意思の連絡については、明示の意思連絡でなくても、黙示の意思連絡で足りる、との解釈まで歩を進めてきている。こうなると、お互いの顔を見合わせてうなずくとか、いわゆる「あうん」の呼吸で為された場合にも処罰対象されることになる。しかしこれが乱用されるまでには至っていない。 こたびの共謀罪の創設は、この判例を更に押し進め、これを明文にまで高め、否更に「みなし捜査」、「おとり捜査」まで可能としている。「当局に好ましからぬ何らかの共同行為を共謀すること自体」を犯罪に問うことが出来るようにしている。法案第6条の2による共謀罪は、次のように規定している。
「団体の活動として、犯罪を実行するための組織による遂行を共謀した者は懲役などに処する」、これが法案の骨子であり、この論法により国家権力が正当に人や組織の秘密に容喙し得るとなると、現憲法下では認められてきた「内心の自由、思想・良心の自由」を侵し、基本的人権抑圧、大衆運動弾圧の凶暴法となることは間違いない。共謀罪の規定は多義的にして曖昧であるからしてこうなると法律の一人歩きとその副作用を心配せねばならないであろう。 |
【6、法案の法的問題性その3、「犯罪の構成要件の曖昧問題」】 |
何が犯罪とされるのか、その構成要件も曖昧である。究極、権力者の恣意的運用により多方面に被害を及ぼす恐れが強い。(これについては、該当条文が確認され次第に俎上に乗せることにする) |
【6、法案の法的問題性その4、「共謀立証性の問題」】 |
どうやって共謀を立証するのか、ここも曖昧である。歴史を見れば、「コンスピラシー(Conspiracy、陰謀)」だらけである。これまでは、そのことを踏まえつつ取締りにもある種の弁えをもってきた。それがここへきて何故に「実際の犯罪行為がなくても計画を話し合っただけで罪に問える」ようにしようとしている。 共謀罪の本質は、立証不能な架空の罪状によって処罰することができるという超法規的法令にある。戦前の治安維持法や予防拘禁制に通じている。果たして、捜査当局にそういう権力を与えてよいものだろうか。 |
【6、法案の法的問題性その5、「密告減免問題」】 |
共謀を密告すれば刑が減免されることになっており、「密告社会につながる」点でも問題がある。共謀罪法案では、犯罪を未然に防止する為との理由付けで、「実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する」との但し書きがあり、密が奨励されている。これに「おとり捜査」も可能となれば、どういう社会になるのだろうか。 |
【6、法案の法的問題性その6、「常時監視社会、スパイ問題」】 |
初期段階での捜査は、「通信傍受等の新たな捜査手法」を生み出し、盗聴捜査が当たり前となる時代が来る。無数の情報協力者(スパイ)を合法的に棲息させてしまう。「壁に耳あり、障子に目あり」の警察監視社会の到来は疑いようがない。住基ネットを活用すれば、住民相互が互いに監視するシステム「一億総スパイ化」を作りだすことさえ可能となる。 |
【6、法案の法的問題性その7、「政治的弾圧の問題」】 |
この規定が、各種反対運動、組合運動、示威運動、政党や宗教団体の運動等々に適用されると、殆どの運動が法の網に掛かるようになる。デッチアゲさえ可能になろう。 |
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つまり、小泉政権により押し進められようとしている共謀罪は、近代原理及び刑法の諸原則を否定し、憲法の保障する諸権利を真っ向から否定する反動法である。これが法律となると今後は、犯罪行為前段階での謀議自体が問題にされ犯罪とされることになるが、戦後憲法及び刑法秩序の法体系を狂わすことは自明である。 まさに、レイプ履歴犯にしてバター犬小泉首相によって、「2005.9.11総選挙」で国会がレイプされたが、のみならず戦後法総体までもがレイプされようとしていることになる。これに抗する為には、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という憲法尊重擁護の義務条項を楯に闘うことであろうか。 実に、小ネズミは、よろづ法秩序の破壊に異常に興奮するサイコパスである。延暦寺焼き討ちの妄念でこれを推進しつつあるように見える。れんだいこは、歴史法廷に立たせ、こやつの人格からきたところの全ての政策を裁かねばならぬと考える。 |
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最後に、人民の団結権、抵抗権、武装権、革命権とのからみを愚考して見る。それらは現憲法下では曖昧にされているが、これを逆に云えば担保されているとも云える。単純な意味での一般刑犯罪には馴染まない筈であるが、当局側から見て好ましいものではないので、法律的権利にならざる歴史的権利と云える。 「歴史の弁証法」によれば、その時代の反政府運動は、社会進歩上は有益な事例が多い。歴史を遡れば、現下の政権もかっては反政府側の系譜を引いており、そうやって元一日を辿れば「歴史とは反政府が政府になる事例の連綿」であることになる。これを弁えるから、賢明なる政府は、度の過ぎた強圧政治を抑制してきている。れんだいこは、歴代政府は、そういう歴史の弁証法を弁える度量を保持してきた、と考える。戦後ハト派政治とは実にそういう時代であった。 今回の共謀罪は、いわばこの歴史弁証法観が否定され、時の政権が徹底的に政敵を摘発していく恣意性に道を拓いている。政敵に対してそうなら当然、「人民の団結権、抵抗権、武装権、革命権」など即犯罪とされ、万能的捜査権を与えたことになる。「立証不能な架空の罪状を作り上げ、被疑者側に無罪の証明を促す倒錯的超法規的処罰法令、これが共謀罪の本質である」。 その結果は、ネオ・シオニストの提灯持ちばかりが跋扈し、彼らイエスマンのわがままし放題社会、労働農民大衆の貧困と疲弊社会を生み出すことになろう。あぁ嫌な時代だ。すぐ先に見えている。 2005.10.11日 れんだいこ拝 |
【又しても読売の御用性プロパガンダ】 | ||||||||
2005.10.16日、読売新聞は、「読売社説2、『共謀罪』法案 早期成立へ必要な修正を急げ」で又もや御用論説を掲載している。これを検証する。冒頭で次のように述べている。
続いて、気になる事を述べている。
続いて、法案修正の必要性について次のように述べている。
続いて、これが云いたかったことなんだろう。次のように述べて締め括っている。
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【河北新報の良識】 | ||||
2005.10.15日、河北新報社説「『共謀罪』審議入り/決して容認できない内容だ」は、読売社説とは対照的に良識を記している。これを検証する。
続いて次のように主張している。
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【愛媛新聞の良識】 | |
2005.10.21日、愛媛新聞社説「共謀罪 乱用防止に欠かせぬ抜本修正」は、読売社説とは対照的に良識を記している。これを検証する。
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【れんだいこの共謀罪読解俯瞰図、れんだいこの共謀罪粉砕決起文】 |
共謀罪法案は、最近の事前規制の流れから生まれており、次第に網が被せられ、政治犯に向おうとしていることが判明する。それも一挙にドラスティックなものにしており、小ネズミサイコパスならではの策動である。れんだいこは、小ネズミ政権が策動した一切の法案を無効にさせ、差し戻しを要求する。一体、こやつがやったこと、やろうとしてことは全て気違い沙汰である。 2005.10.28日、米国防総省が米海軍横須賀基地(神奈川県)に日本で初めて原子力空母を配備すると発表し、小ネズミはこれを追認した。一国の統治責任者としてあり得べからざる追従であり、与太っているとしか考えられない。日本人民とその左派運動をなめきっている。セイバイあるのみであろう。 2005.10.29日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)