仁徳天皇は大后が紀伊国に行っている間に、ヤタノワキイツラ女と同衾した。そんなこととは露知らず、大后は船一杯に御綱柏を積んで都に戻ろうとしていた。この時、仁徳天皇の浮気を知らされた。大后は大いに怒り、天皇を怨み、船に乗せてあった御綱柏を全部海に投げ捨ててしまった。皇居には戻らず、山代国に向かったて。この時、歌を歌った。
つぎねふや 山代河を 河上り 我が上れば 河の辺に 生ひ立てる 鳥草樹(さしぶ)を 鳥草樹の木 其(し)が下に 生ひ立てる 葉広ゆつ真椿 其が花の 照りいまし 其が葉の 広りいますは 大君ろかも |
(山代河をさかのぼって私が上って行くと、川のほとりに生い立っている鳥草樹(さしぶ)よ。鳥草樹の木、その下に生い立っている葉の広い神聖な椿、その花のように照り輝いておられ、その葉のように広くゆったりとしておられるのは、わが大君であるよ) |
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そして、山代をめぐり、奈良山の入り口について、こう歌った。
つぎねふや 山代河を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯 大和を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり |
(山代河を宮をめざして私がさかのぼっていくと、奈良を過ぎ、大和を過ぎて、私が見たいと思う国は、葛城高宮、私の家のあたりです) |
かく詠った皇后は実家に戻ってしまった。そのことを聞いた仁徳天皇は人を遣わし、歌を送った。
山代に い及(し)け鳥山 い及けい及け 我が愛(は)し妻に い及き遭はむかも |
(山代で皇后に追いついておくれ、鳥山よ。追いつけ、追いつけ。私のいとしい妻に追いついて会っておくれ) |
それでも皇后が戻らないと見るや、さらに人を遣わした。
みもろの その高城なる 大韋(ゐ)古(こ)が原 大猪(ゐ)子が 腹にある 肝向ふ 心をだにか 相思はずあらむ
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(みもろ山の高い所にある大猪子が原、その名のとおり、大きな猪の腹にある肝せめて心にだけでも、私を思っていてくれないものだろうか) |
さらに、歌を歌いなんとか皇后に戻ってもらおうとした。
つぎねふ 山代女(め)の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕(ただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ |
(山代の女が木の鋤を持って打ち耕して作った大根、その大根のように白い腕を私が枕としなかったのならば、私を知らないといってもよいだろう) |
それでも皇后は天皇のもとには戻らなかった。
天皇の使者口子が皇后の実家に派遣された。雨だった。雨脚が強まり、豪雨になっても口子は戸口で平伏して皇后の返事を待った。 あまりの豪雨に庭にたまった雨水が腰までつかってしまっていた。そして、口子は赤い紐をつけた青色の服を着ていたが、庭にたまった水が赤い紐を浸し、青い服が真っ赤に染め上がってしまった。皇后のクチ姫にして、口子の妹はこう歌った。
山代の 筒木の宮に 物申す 我が兄(せ)の君は 涙ぐましも |
(山代の筒木の宮で、皇后に物を申し上げようとしている私の兄君を見ていると私は涙がこぼれそうです) |
口子、口日売、およびヌリノミの三人はどうすれば皇后が天皇の元に戻るかどうかを話し合った。相談の後、クチコは天皇の元に戻り、こう報告した。 「皇后がここを出て行った訳ですが、ヌリノミの飼っている虫で、一度は這う虫になり、一度は繭になり、一度は飛ぶ鳥になり、三色に変化する不思議な虫がいます。皇后はこの虫を見に行ったに違いありません」。「そうか、そんなに不思議な虫ならば私も見に行こうと思う」。こうして皇居から川をさかのぼってヌリノミの家に入り、あらかじめヌリノミから三色に変わる虫をもらった皇后のいる部屋に向かった。 「こちらにその虫がございます」。「そうか」。そういうと全てを察した天皇はこう歌った。
つぎねふ 山代女(め)の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝(な)が言へせこそ うち渡す やがはえなす 来入り参来れ |
(山代の女が、木の鍬を持って、耕して作った大根、その色つやのさわさわではないが、さわがしくあなたが言いさわがれるので、遠くに見渡されるよく 茂った桑の枝のように、多くの供人を引き連れてやってきたのです) |
こうして皇后は天皇の元に戻っていった。
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