出雲王朝御代の草花、樹木考 |
更新日/2016.10.3日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「出雲王朝御代の草花、樹木考」をものしておく。 2013.07.16日 れんだいこ拝 |
【出雲王朝時代の草花樹木/桜について】 | ||||||||||||||||||||||||||||
「桜」について。読売新聞調査研究本部主任研究員・佐藤良明「300種類以上もある桜」その他参照。 桜は国花となっており、それほど思い入れの深い花としての地位を得ている。その種類はヤマザクラ、シダレザクラ、カスミザクラなど300種以上に及ぶ。桜には人の手が加わっていない野生種と、人の手で増殖する栽培品種がある。野生種は更に種間雑種といって人の手は経ないものの自然の中で違う種が交配して誕生するものがある。 簡単な見分け方は次の通り。ポイントは花の色と若葉である。
なじみ深いのがソメイヨシノで、全国の公園や街路、堤防に植えられている桜のほとんどを占める。ヤマザクラやシダレザクラなどが大半を占める京都市(京都御所周辺)のように例外エリアはあるものの、桜と言った時には普通はソメイヨシノをイメージする。ソメイヨシノの原産地ははっきりわからないが、江戸時代、植木職人が多く暮らしていた染井村(現在の東京都豊島区駒込付近)から売り出された「吉野桜」が始まりと考えられている。奈良県の桜の名所・吉野山にちなんで名づけられているように思われる。JR駒込駅の近くには、発祥の地をPRする記念碑もある。 ソメイヨシノの名前が初めて文献に記録されたのは1900年(明治33年)にさかのぼる。東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の藤野寄命という人物が、日本園芸会雑誌で命名を報告した。上野公園に多く植えられていた「吉野桜」とされる桜を詳しく観察したところ、吉野山に多いヤマザクラとは花と葉の形態が異なっていることに気がついた。吉野桜と呼ばれているが本当は違うのではないか。藤野はそう考えた。そして、染井村から売り出された吉野桜という言い伝えを古老から聞き、二つの名前を合わせて「ソメイヨシノ」と名前をつけたのが始まりだった。 ソメイヨシノの増殖は接ぎ木の手法をとっている。増やしたい親木から「穂木」という枝を切り、台木と呼ばれるソメイヨシノの木につなぎ合わせて育てる。木が大きくなったら、そこからまた穂木を採取して接ぎ木して育てるという手順を繰り返している。ソメイヨシノ登場以前に桜の代名詞だったヤマザクラは、花見ができるほど多くの花がつくサイズ(高さ10メートル前後)まで成長するのに10年はかかるが、ソメイヨシノは5年ほどで見栄えのするサイズに育つ。成長が早くて花が大きく見栄えがいい。この特徴は花見の名所を作る側からすれば好都合で、これが明治時代以降、ソメイヨシノが全国に普及した理由とされている。 |
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日本神話上の桜譚を確認する。木花咲耶姫(このはさくやひめ)が主人公で、古事記では木花之佐久夜毘売、日本書紀では木花開耶姫と表記する。記紀神話上の木花咲耶姫は大山祇の命(おおやまづみのみこと)系譜の木花咲耶姫であり、これとは別の木花咲耶姫が日本列島津々浦々に存在し、いずれもが美女伝説、桜譚と絡んでいる。こう構図を構え理解せねばならないのではなかろうか。 木花咲耶姫(このはさくやひめ)神話の代表的なものは、天照大神の息神である二二ギの尊(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻になった木花咲耶姫(このはさくやひめ)である。姉のイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)との神話、ニニギの尊(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻としてホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)を生む神話がある。これについては「れんだいこ撰日本神話譚その5、天孫降臨神話考」に記す。他に次のような神話がある。 木花咲耶姫(このはさくやひめ)がニニギの尊と結ばれる際に、父の大山祇の命(おおやまづみのみこと)が二人の結婚を喜び、母である草祖草野姫(くさのおやかやのひめ)と共に「若く美しい夫婦に相応しい贈り物」として「誰もが二人を思うような、いつまでも世に残る美しい物」を見定めていたところ、雲の隙間から春の新緑に染まる日本列島が見え、柔らかな緑一面に優しい花の色が加われば、より一層華やかになるだろうとの思いから桜を選んだ。その花ビラを「日本がある限り春を染め続けよ」と、列島のあらゆる所に風に乗せてまき散らした。以来、桜は新緑の柔らかな緑と共に春を告げる日本の花となった。 この神話の出典が分からない。それはともかく、前段にはさほど意味がなく、後段の「春を染める花として桜が見定められ、風に乗せてまき散らされ植樹された」の件が興味深い。 木花咲耶姫(このはさくやひめ)と富士山との関係を伝える神話もある。富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)は、全国で千以上に及ぶ浅間神社の総本社で、浅間大神と称される木花咲耶姫を祭神としている。木花咲耶姫をご神体やご祭神にしている神社の多くは、桜をご神木としている。浅間大社の由緒によれば、第7代孝霊天皇のころ、富士山の噴火により人々が恐れて逃げ出したことから国が荒れ果て、後に、第11代垂仁天皇が木花咲耶姫を富士山の麓に祭って山霊を鎮めたのが起源といわれる。木花開耶姫が富士の頂上から種をまいて花を咲かせたと伝える神話もある。 2013.7.18日 れんだいこ拝 |
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【出雲王朝時代の草花樹木/桧(ひのき)について】 |
【出雲王朝時代の草花樹木/松について】 |
【出雲王朝時代の草花樹木/竹について】 |
(私論.私見)