れんだいこ撰日本神話譚その5、天孫降臨神話考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).8.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本神話は、「天地創造譚(元始まり譚)」、「国土、諸神創生譚」、「高天原王朝、天照大神(アマテラスオオミカミ)譚」、「国譲り譚」に続いて「天孫降臨譚」を記す。天照大神が、孫の邇邇芸の命(ニニギの命)に命じて日向(今の宮崎県)の高千穂の峰に降臨させた時の神話である。これを仮に「日本神話その5、天孫降臨譚」と命名する。これは5編より成る。


【日本神話その5の天孫降臨譚その1、アマテラスの降臨命令とニニギの命の登場譚】
 アマテラスは、出雲王朝を征伐したあと、天孫降臨を指令する。これを命じられたのがニニギの命であった。次のように記されている。これを仮に「日本神話その5の天孫降臨譚その1、アマテラスの降臨命令とニニギの命の登場譚」と命名する。
 「出雲王朝との国譲り戦で勝利したフツヌシとタケミカヅチは高天原に凱旋し、葦原墓国を平定したことを報告した。アマテラスは、オシホミミの命に、葦原中国を統治するよう命じた。オシホミミの命は、タカミムスヒの娘のヨロヅハタトヨアキツシ姫の命との間に生まれ成人していた子の天津彦火のニニギの命に役目を譲った。アマテラスは、オシホミミの命の進言を受け入れ、「ニニギの命よ、そなたが葦原中国を支配することを委任いたします。さっそく天降るように」と命じた。こうして、アマテラスの命で、ニニギの命が天降ることになった。

 アマテラスは、出発に当り、ヤタの鏡と草薙の剣と八坂の勾玉(まがたま)を授け、これをお守りとして祀るよう言い渡した。これを三種の神器と云う。最後に稲穂を渡し、高天原の稲を葦原の中国の食物とせよと命じた。オモヒカネには祭事と政事を執るよう言い渡した。他にアメノコヤネ(中臣氏の祖神)、フトダマ(忌部氏の祖神)、アメノウズメ(猿女氏の祖神)、イシコリドメ(鏡作の祖神)、タマノオヤ(玉作の祖神)が従った。他にアメノオシヒ(大伴氏の祖神)、ヒコホノ二ニギ、アメノイワトワケ、タジカラヲ、アメツクメの各命が随伴した 」。

 天孫降臨の時、アマテラスが発した神勅は「天壌無窮の神勅」と云われる。これを日本書紀、古事記その他で確認しておく。
古事記  「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」。
書紀  「葦原の千五百秋の瑞穂の國は、是(これ)、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きまして治らせ。行矣(さきくませ)、寳祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、當(まさ)に天壌と窮まりなけむ(なかるべし)」(日本書紀第一、一書岩波日本古典文学大系)。

 「天壌無窮の神勅」をどう解するべきか。「天地が窮まるまで、即ち天地の初めから永遠に、食物に困らない豊かな国を創り、しかも王者として君臨せよ」との御教えとしている。
 オシホミミの命=。ニニギの命=邇邇芸命、瓊瓊杵命。アメノコヤネ=、中臣氏の祖神。フトダマ=、忌部氏の祖神。アメノウズメ=、猿女氏の祖神。イシコリドメ=、鏡作の祖神。タマノオヤ=、玉作の祖神。アメノオシヒ=、大伴氏の祖神。ヒコホノ二ニギ=。アメノイワトワケ=。タジカラヲ=。アメツクメ=天津久米命。
(私論.私見)
 「ニニギの命の登場とアマテラスの降臨命令譚」は、天孫族が、出雲王朝を屈服せしめた報を受け取ったアマテラスにより打ち出された葦原中国平定の降臨命令の様子を伝えている。

【日本神話その5の天孫降臨譚その2、サルタ彦の水先案内人登場譚】
 ニニギの命一行の天孫降臨に当たって、道先案内人としてサルタ彦が登場する。次のように記されている。これを仮に「日本神話その5の天孫降臨譚その2、サルタ彦の水先案内人登場譚」と命名する。
 「ニニギの命が天降り始め、地上へと続く道が八本に分岐する天の八またのところに差し掛かったとき、「その鼻の長さ七握、背の高さ七尺あまり、正に七尋というべきでしょう。また口の端が明るく光っています。目は八咫鏡のようで、照り輝いていることは、赤酸漿に似る容貌の者が上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす」見たことのない一人の神が道に立った。古事記には「天から地へ通じるいろいろな道が集まった要の場所に居て、光って上は高天の原に輝き、下は葦原の中つ国に輝いている神がありました」と記す。

 アメノウズメが呼ばれ何者であるか探った。この時、アメノウズメはサルタ彦に対し「胸を露わにむき出して、腰ひもをへその下まで押し下げ」踊っている。
アメノウズメ  「これからアマテラス様のお孫様が天降りする道に、遮るごとくにそこに立っておられるあなたはどなたですか?」。
サルタ彦  「私は国つ神のサルタ彦(猿田昆古)と申します。アマテラス様のお孫様が天降りされるとお聞きして先導したいと思い、こうして出てきたのです」。

 かくて、サルタ彦が水先案内することになった」。

 天孫族の不審を解いた猿田彦の命は広矛を受け、皇御孫ニニギ命一行を日向高千穂へ案内すると共に、陸路、海路の導き守神となる。なお、アメノウズメは、サルタ彦との関係からその後「猿女君」(さるめのきみ)を名乗ることになる。
 サルタ彦=猿田昆古。
(私論.私見)
 「サルタ彦の水先案内人登場譚」は、高天原王朝の天孫降臨に当って、サルタ彦が水先案内することになった経緯を伝えている。「上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす」とは、高天原と葦原中国の双方に事情通であったという意味であろう。思うに、独眼流れんだいこ観点だが、サルタ彦は、大国主の命が形成した統一出雲王朝前の原出雲王朝の統領ではなかろうか。この間、原出雲勢力は統一出雲王朝に冷や飯を食わされており、天孫族の降臨に際して誼を通じる事で原出雲王朝の再興を図ろうとしていたのではなかろうか。こう理解すれば、サルタ彦が水先案内人として登場したことや、その後の動き、使い捨てにされる末路等が整合的に理解できることになる。

【日本神話その5の天孫降臨譚その3、ニニギノ命の一行が日向の国高千穂の峰に天孫降臨譚】
 ニニギの命一行が、日向の国の高千穂の峰に降臨する。次のように記されている。これを仮に「日本神話その5の天孫降臨譚その3、ニニギノ命の一行が日向の国高千穂の峰に天孫降臨譚」と命名する。
 「ニニギの命の一行はサルタ彦の先導で天の八重雲を押し分け天降り、筑紫の日向の国の高千穂の峰の久士布流多氣(日本書紀では「日向の襲の高千穂峯」)に降臨した。ニニギの命は、アメノホシヒ(天忍日)の命とアマツクメ(天津久米)の命を左右に従え、『この地は韓国に向い、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、この地は甚だ吉き地なり』と詔り、大地にしっかりと足を踏み下ろした。大伴の連の祖アメノオシヒと久米の直の祖アマツクメの二人が出迎えた。天孫族はこの地に御殿を建て、高天原に氷椽(ひぎ)を高くかざしてアマテラスを祀った。日向国風土記に拠れば、迎えた土地の神が、「尊の御手を持ちて稲千穂を抜きて籾(もみ)と為し、四方に投げ散らし給わば、必ず開晴(あか)りなむ」と申し、その勧めに従って稲をあちこちに植えたところ、天開晴(あか)りて日月照り光るようになった。新嘗祭、大嘗祭の儀はこれによる」。

 「筑紫の日向の国の高千穂の峰」は、現在の宮崎県の高千穂の峰に比定されている。但し、異説として現在の鹿児島県境の霧島(1573m)を高千穂とする伝承もあり、本居宣長の「古事記伝」は「この高千穂は、霧島山を云うなり」と記している。この地の霧島神宮の由緒がこれを証しており、日本書紀の降臨記述にある「日向の襲(そ)の高千穂のくしふる二上峰(ふたがみみね)」とあるのは九州随一の高山である霧島連峰を示唆している、と云う。
(私論.私見)
 「ニニギノ命の一行が日向の国高千穂の峰に天孫降臨譚」は、ヤタの鏡と草薙の剣と八坂の勾玉(まがたま)が三種の神器であること、筑紫の日向の国の高千穂の峰に天孫降臨したことを伝えている。これにより、高天原族は天孫族とも云われることになる。以降、仮に天孫族と云いかえることにする。

 ここで、留意すべきは、「筑紫の日向の国の高千穂の峰に天孫降臨した」背景事情であろう。しかもサルタ彦が手引きしている。これはどういうことか。思うに、大国主の命系出雲王朝の後押しする邪馬台国連合が全国津々浦々に強固に形成されており、九州においても然りで、元出雲王朝の皇統を引くサルタ彦の権威でようやく「日向の国高千穂の峰」に受け入れ先を見つけたと云うことではなかろうか。

 補足【戦前歴史教科書の記述考】
 1911(明治14)年の文部省発行の尋常小学校用の歴史教科書(「復刻国定教科書 尋常小学校日本歴史」、大空社)は、この経緯を次のように表記説明している。
 「天照大神は天皇陛下の遠きご先祖なり。その御威徳の極めてあまねきこと、あたかも天日の輝けるが如し。伊勢の皇大神宮はこの大神をまりつ奉る宮なり。大日本帝国は初め大神が御孫ににぎの尊をして治めしめ給いし国なり」。
(私論.私見)
 この記述は間違いではない。但し、出雲王朝との抗争史、国譲りに言及せねば正確とは云えないだろう。それと外来渡来性がすっぽり抜け落ち居ている点で問題のある記述と云えるだろう。

 2008.4.7日 れんだいこ拝

【日本神話その5の天孫降臨譚その4、ニニギの命とコノハナサクヤ姫の結婚譚】
 ニニギの命一行が日向の国の高千穂の峰に降臨後、ニニギの命は大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と結婚する。この経緯が次のように記されている。これを仮に「日本神話その5の天孫降臨譚その3、ニニギの命とコノハナサクヤ姫の結婚譚」と命名する。
 「この地で、ニニギの命は、オオヤマヅミ神の娘のコノハナサクヤ姫と出会い一目惚れした。或る日のこと、ニニギの命は海岸で美しい大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘のコノハナサクヤ姫に出会った。ニニギの命はたちどころに恋をして結婚を申し込んだ。が、一存では答えられないので父に話してくれるように頼んだ。そこで、さっそくニニギの命がオオヤマヅミ神に求婚の挨拶に出向いたところ、姉の石長姫(いわながひめ)共々貰い受けるならばとの条件が出された。了承したニニギの命の下へ、盛りだくさんの引出物を添えて、咲耶姫と長女のイワナガ姫を一緒に嫁がせた。ニニギの命は器量良しのコノハナサクヤ姫とは同衾したが、器量の良くなかったイワナガ姫は相手にせずそのまま返した。オオヤマヅミ神は、『イワナガ姫を嫁にすれば、ニニギノミコトの命は雪が降り風が吹こうとも常に岩のように永遠に変わらない命を持つはず。コノハナサクヤ姫だけを選んだということは、木の花のように栄えるが、寿命は木の花のようにはかないものになるだろう』と予言した」。
 コノハナサクヤ姫=木花咲耶比売。イシナガ姫=石長比賣、イワナガ姫。ホデリの命=火照命。ホスセリの命=火須勢理命。ホオリの命=火遠理命、
(私論.私見)
 「ニニギの命とコノハナサクヤ姫の結婚譚」は、ニニギの命がオオヤマヅミ神の娘コノハナサクヤ姫と結婚した事を伝えている。これは、天孫族がオオヤマヅミ族系と同盟関係に入った事を伝えている裏メッセージであろうと悟らせていただく。オオヤマヅミ神が天孫族の最初の同盟となった。

【日本神話その5の天孫降臨譚その5、コノハナサクヤ姫の出産譚】
 コノハナサクヤ姫は身ごもる。ニニギの命は国津神の子ではないかと疑いながら出産の時を迎える。この経緯が次のように記されている。これを仮に「日本神話その5の天孫降臨譚その5、コノハナサクヤ姫の出産譚」と命名する。
 コノハナサクヤ姫は身ごもった。このことを伝えられたニニギの命は、一夜の契りで孕むとは信じ難い。もしやその腹の子は国つ神の子ではないのかと疑った。コノハナサクヤ姫は、戸が一つもない産屋をさくり、その中で子を生むことにした。そして、『私の孕んだ子がもし国つ神の子であるならば焼け死ぬでせう。天つ神の御子であるならば如何なる危険が待ち受けていようとも何事も起らないでせう』と云い置いて、身の潔白を証す為に産屋に火を放った。火はみるまに産屋を包み、燃え上がった。炎の中で、姫は3人の子を産んだ。火の盛んに燃える中で、海幸彦のホデリの命、中頃にホスセリの命、火勢の弱まる頃に山幸彦のホオリの命兄弟を生んだ。ホオリの命の又の名をアマツヒコホホデミと云う」。
(私論.私見)
 「コノハナサクヤ姫の出産譚」は、オオヤマヅミ神−コノハナサクヤ姫族が国津神族と繋がりがあり、ニニギの命がこれを疑惑している様を伝えている。これは興味深いことで、出雲の大国主の命とオオヤマヅミ神の同盟振りが伝えられているからして、この史実を裏メッセージとているものと思われる。




(私論.私見)