古道大意2


 (最新見直し2013.12.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、平田篤胤の著書の「古道大意1」を確認しておく。出所は「務本塾・人生講座」の「現代語訳・古道大意(4)」、「現代語訳・古道大意(5)」、「現代語訳・古道大意(6)」、「」である。ここに謝意を申し上げておく。

 2013.12.14日 れんだいこ拝


【古道大意1】
 「現代語訳・古道大意(4)」を転載する。
 上 巻 2-1

  さてこの書物に、天地をお初めになされた神々の御事実を始めその他の事実に、ことごとくの総ての始め、道の趣(おもむき)が備わっているのです。されば本居翁(もとおりおう)の歌に「上つ代のカタチヨク見ヨイソノ上(かみ)フルコトブミはマスミの鏡」と詠まれたのです。「上つ代(かみつよ)のカタチヨク見ヨ」とは上代(かみよ)の有様を良く見るがよい。その上代(かみよ)の有様をよく知ろうと思うには、古事記を読みさえすれば、真澄の鏡(ますみのかがみ)に曇りがないように明らかに、上代の真の道を知ることができるという意味です。


  さて私の講説(こうせつ)はこの通り明らかに知ることができる事実を本として、古の道、神の御上を申し上げれば、天武天皇、元明天皇、この二代の厚いお心もおぼしめしもこもっている。だからどなたさまもそのお心得でお聞き下さい。こちらは身分の卑しい者ですが、その申すことは、神の御真実、畏くも古の天皇(すめらみこと)が深く厚いおぼしめしで、自らの御口から誦みうかべ、お伝えあそばれたものですから、実になおざりにならないことなのです。

  「『古事記』と『日本書紀』の成り立ち」

  さて、世間には神の道を学ぶと言う人がいくらかあって、それらはもとより大方の世間の人も日本書紀のみ尊び、その第一、第二を「神代の巻」と言って、この二巻を別の版にし、俗の神道者などはうるさいほどに注釈をして、世の始めや神の御事実を知るには、これをおいて他に書物はないように思っていますけれども、それは心得違いです。詳しい訳は、師が古事記伝の始めにつぶさに記しておかれました。
                         
 そのあらましを申しますと、まず日本書紀とは、和銅五年正月に古事記を御書き取られてから八年後、第四十四代元正天皇の養老四年五月、勅命によって一品舎人の親王(みこ)が記述されて奏上されたものです。その以前に著された古事記があるその上に、重ねてこれを著された訳はどうなのかというと、古事記は先に申した通り上代(かみよ)の趣を素直に、ありのままに伝えようと、天武天皇が厚くおぼしめしたこと、太安万侶(おおのやすまろ)もその大きな御心を心として、書き記したものですから、ただありのままであり、中国(唐)の国史というものの体裁とは似ても似つきませんでした

 その頃は公にも中国(唐)の学問が盛んであり、お好みなされましたから、古事記の余りにもただありのままに、飾ることもなく、評論することもなく、浅々と聞こえることを不満に思われ、更に広く物事を考え、年表もつくり、また中国風の言葉などを飾りつけもして、漢字の文章を作り、中国(唐)の国史に似た国史としようとして、お書きなれたものです。大体このような御趣旨で書かれたものであるため、まるっきり中国(唐)風であり、はなはだ古の事実を失っていることが多いのです。そもそも心と事実と言葉とは、みな一体となっているべきものですが、それ故に上代(かみよ)には上代の心と事実と言葉のありようがあり、後世には後世の心と事実と言葉があります。

 また中国(唐)には中国(唐)の心と事実言葉があるのです。ところがあの日本書紀には後世の心でもって上代のことを書き記し、中国(唐)の言葉をもって我が国の心を書き記されたため一体となっておらず、ここで古の真実を取り失ってしまったことが多いのです。

  又古事記はいささかも私意を加えず、古からの言い伝えをそのままに記されたものですから、その心も出来事も言葉も、皆な上代の真実に適っています。これは一途に古の言葉を主として記されたためです。すべて心も出来事も、言葉をもって伝えるものですから、書物はその記した言葉が主となる大切なものです。従って日本書紀は飾った漢文で書かれているために、古の真実を見失い、かつ後世に惑いを生じさせたることを一つ二つ申し上げます。
     
 まずその「神代の巻」の始めに、「古天地未剖 陰陽不分 混沌如鶏子」と言っているところから「然後神聖生其中焉」とあるところまでは、中国の書『淮南子(えなんじ)』というもの、また『三五暦記』などというもの、その他の書の文章をもかれこれ取り合わせて、飾りに加え入れた撰者の意向で、日本の古の伝説ではないのです。この続きの文「故曰開闢初  洲壌浮漂  譬猶遊魚之浮水上也」云々とあるのは、これが真の上代の伝説で、故に曰わくとあるがため、それより上は、撰者が新たに加えられた文章であることが知られます。もしそうでないのなら、その「故に曰わく」と書かれてあることが何の意味とも分からないのです。

  冒頭の文は以下のすべてに勝るものです。その冒頭の文を中国(唐)風に書いたために、わが国の古伝説とは趣が違って聞こえるのです。したがってここは古言の読みをつけて読むまでもなく、ただ序文として扱うのがよいのです。既に古人も釈日本記に「日本書紀三十巻に序なし」と言ってるのです。そもそも天地の始めて現れた有様は、実にわが御国の伝説の如くであろうものを、何としてかうるさくはかりごとをなし、異国の伝説を借用し、冒頭に用い上げたことなのです。今この二つを比べて見るに、中国風の方は、道理が深く聞こえて、まことにそうであったろうと思われます。古伝の方は物足らず浅々と聞こえるために、誰も彼もが、あの中国籍の説にのみ心を引かれて日本書紀の御撰者の舎人(とねり)親王をはじめ、代々の識者も、今に至るまで皆な惑わされたのです。それがためにこの漢文の所を、道の真意と理解し、うるさくうっとうしいほどに注釈を書き散らし、秘伝の口伝えと言い騒いでおったものですが、まったく浅ましく幼稚なものです。又「乾道は独化す、此の純男を成す所以」と言い。又「乾坤の道は相い参而と化す。故に此の男女を成す」とあります。これらの類の文も撰者の心でもって『易経』の「十翼」などの文を採って、新たに加えられた、利口ぶった文です


  またイザナギノカミを陽神と書き、イザナミノカミを陰神と書かれたことなどもよろしくありません。これはこの頃は上も下も、ひたすらに中国(唐)めいたことが喜ばれた世であったからでこそ、このように書かれたことで、はなはだ後の世の禍根となったのです。その理由は後世の生半可な中国通の学者どもも、同じく悦んで、その生半可な学問故にイザナギノカミ、イザナミノカミを、ただに仮に名前を設けただけのもので、ご神体があるものではなく、実は陰陽造化(いんようぞうけ)を指して言ったものなのだと理解しました。ある者は周易の理論でもって説き、陰陽五行でもって説くこととなったために、神代のことはみんな仮の作り事のようになり、古の伝え説はことごとく中国の思想に奪われ果て、真実が見えないようになってしまったのです。


  そもそも撰者はそのようなことまでは、お気づきはなされず、ただ文の中国(唐)風になることを好まれて、飾ることのみにこだわられたようですが、この文書どもは後世に至って、さまざまな邪説を招く媒介となり、真実の道の顕(あらわ)れがたくなった根本となったのです。なおこの他に、くどく用いた図りごとを飾り文として加え、事実と紛らわしくなったことが少なくないのです。

  或いは神の御名などまでも、中国の異形の物の名に書き換えたり、中にもはなはだしいのは、神武天皇の御巻に「弟猾大設牛酒 以労饗皇師焉」と書き、崇神(すじん)天皇の御巻に「盍命神亀 以極致災之所由也」と書かれた撰者の御心は、ただ漢文の飾りばかりではあるけれども、後の人はこれを真実と思い、牛酒とあるからには牛肉を食し、神亀とあれば占いに亀を用いたことだと思ってしまいますから、学問の害となることです。

 牛を食べ、占いに亀を用いるなどは、中国で行われることです。また景行天皇の時代「ヤマトタケルノミコトが東国を征伐にご出立遊ばすところへ、天皇が鉄の斧をヤマトタケルノミコトに授けて言った」云々と書かれたが、およそ古にはこのような時には「矛」(ほこ)か「剣(つるぎ)」などこそ賜ったことこそありますが、「鉄の斧」を賜ったことなどあり得ません。そのためにこれも古事記には、「ヒイラギの八尋の矛(やひろのほこ)を賜る」とあり、これこそが真実のことです。それを強いて中国(唐)風にしようとして「鉄の斧」と書かれたもので言葉を飾ったぐらいならまだ許される方もありましょうが、このように物までも替えて書かれたのでは余りのことです。猶このような事例がおびただしくあるのです。

  しかしながら、ここに日本書紀の優れているところを申しますと、まず神代の伝説を精粗異同にかかわらず、「ある書に曰わく」として、ことごとく古伝のままに並べ上げられていることです。また神武天皇より以後の、代々の事実を詳細に記されていることによって、めでたい御事実が多く伝わり、彼の中国(唐)風の飾りの文面を除いては、世の中のありとあらゆる書の中で、この書ほど尊く大切なものはないのです。だから師の翁の歌に「マツブサに何で知らまし古を ヤマト御記の世になかりせば」と詠まれたのはこのためです。これらをもって古事記と日本紀と、互いに得失差別のあることを知るのがよろしいのです。

  ところが、昔より世の中の人はおしなべて、ただこの日本書紀のみ尊び用いられます。代々の学者もこれには大変に心を砕かれ、「神代の巻」にはうるさいほどに注釈が多くあるのは、古事記をおろそかにして、心を用いるべきものとは思わず、捨て置いたのはどうしたことだと言えば、世の中の人はただに中国(唐)思想にのみこだわって、わが国の古意を忘れ果てたためです。

 そのはなはだしいのに至っては、古事記を日本紀の下書きのように思っている人さえあります。これらは一向に事の本質を知らないためであり、言うに値しないものです。ここに我が鈴の屋の翁は、その中国(唐)思想の良くないことを悟り、上代の正しい事実を、曇りのないマスミの鏡で見るようによく見極め、古の本質を見るべきものは古事記であることを世に伝え、古事記伝という類まれな四十四巻を書き著しました。「古事記の尊さを知るには、まず日本書紀の飾が多いことを知らなければ、中国思想に迷う病が去りがたく、この病が去らなければ古事記の良いところが表れない。古事記の良いところが知らないのでは、古の学の正しい道は知ることはできない」と、いうことを見いだされて、日本書紀を古事記の後に立てられたものです。「かりそめにも我が国の学問に志す者は、ゆめゆめこのことを思い誤らないようにして下さい」と、親切に言い置かれたのです。

  さてこの日本紀の題名は、日本書紀と書いてありますけれども、やはり俗に言い習わしたとおり日本紀と称して、「書」の字がないのが本当です。しかしながら、その『日本紀』という題号も必ずしも納得できるものではありません。それはまず中国(唐)の国史の漢書唐書などという名前にならって、国の号を標榜したものであるものですが、中国は時代毎に国の名前が替わるため、その時代の国の名前をつけなければ分かりづらいためです。ひるがえって我が国の天皇の御系統は、天地と共に遠く長く続かれ、替わることがないことによって、国の名をあげ、分けて言う必要がないためです。


 しかしながら、日本紀としたのは、何に対してのことかといえば、ただ中国(唐)に対してのことと見えます。そうなれば中国(唐)を内とし、我が国を外とした題号であり正しくないのです。この後次々と記された我が国の歴史なども、又これに習って名づけられ、文徳三代の実録にさえこの国の名前をつけられたのは、全くもって理解しておらないためです。それを後代の人がかえってこれを高い名前だと思うのはいかなる心でしょう。このことは師の翁も、くれぐれも言い置かれましたが、実に理解不足なことです。


  「神国のいわれ」

  さて世間の人が、誰も彼もこの国をさして「神国」と言い、また我々は「神の末裔」だ、などと言うが、実にこれは世間の人が申すとおり、間違いのないことです。我が国は「天ツ神(あまつかみ)」の特別なお恵みによって、神がお生みなされ、万国の外国とは天地の違いであり、引き比べることはできない、大変にありがたい国です。だから「神国」に相違なく、又われわれ卑しい男女に至るまでも、神の末裔に違いないのです。ではあるが惜しいことには、その「神国」、また「神の末裔」なるいわれの元を知らないでいる人が多いのです。それは全くにもムチャクチャな話で、せっかく「神国」に生まれ、「神の末裔」だと言っても仕方のないことです。

 それよりも更に「神国」とも「神の末裔」とも知らず、そんな志もなく、いわゆる空々寂々としている人は、それはそれで仕方がありませんけれども、かりそめにも神のありがたい謂われを聞こうとして、このように受講なされるというのは、既に志があるというものです。いやしくも人と生まれて、真の道を知りたいという志があるならば、ここで一つ誠の所を調べおきたいものです。
        
 既に中国(唐)の人ですら、『礼記(らいき)』に「真の道を行く人というものは、その先祖の美を選び定め、その事を明らかにして、後の世に表れるようにするものだ。然るにその先祖に、善事の有ることを知らずにいるということは、不明と申して道理に暗いというものだ。またその先祖に善事があることを知っていながら、それをよく明らかにし、世に伝えようと思わないのは、それを不仁という。いわば先祖に不実不幸というものだ。これが誠の道をも辿ろうと思う人の恥ずべき事だ」と、申しております。何と中国(唐)の人すらこうですのに、このありがたい「神国」に生まれて、「神の末裔」とある日本人がその元の謂われを知らずにいては、何と口惜しいことではないでしょうか。                                   

 実に我が国の人に限って、中国、インド、ロシア、オランダ、シャム、カンボジア等の国に至るまで、すべてこの天地にありとあらゆる万国の人とは、まるで訳が違い、尊く優れていることです。それは、まず我が国を「神国」と言い初めたのは、もともと我が国の人が自分達を誉める為に言い出したことではないのです。まずその起源を言えば、万国を開闢(かいびゃく)なされたのが、皆な神代の尊い神々であって、その神たちのすべてが我が国でお生まれなされましたから、即ち我が国は神の御本国であるのだから、「神国」と称するのは、実に宇宙あげての公論であるのです。

 更には論がないことですが、その古伝が伝わらず知らないはずの国々までも、自然と御威光が輝いて「神国」であることを知っていることは、もと今の韓国が三韓と言って、新羅,高麗、百済と言った時代に、我が国が世にも不思議なありがたい国であることを、韓国に聞き伝わりました。我が国はその韓国からは東に当たるために、韓国の人が東の方に、日本という「神国」が有ると言って、大いに恐れ敬ったもので、その言葉がついつい世に広まって、今では世間一般に、知る人も知らない人も「神国、神国」と言うようになったものです。これは中国(唐)の人ながらも、よく言い当てたことで、その「神国」に違いないという訳は、神代の事を学ぶとよく分かることが出来ます。

 上巻 2-1に続く
 「現代語訳・古道大意(5)」を転載する。
 上巻 2-2 「神代の神々」

  それはまず、世界はたいそう広く大きく、国も勿論たくさんあります。その中で我が国ばかりを「神国」だということは、どうもうぬぼれだと言うように聞こえますけれども、先に言ったように万国の公論で、それに違いないと言う証拠を、今詳しく申しましょう。

  先ずもって世の初め、神々からの言い伝えに、この天地がないことは、元より申すに及びませんが、日月も何もなく、ただ虚空といって大空ばかりでしたが、その大虚空(おおぞら)というものは、更に更に果てしなく大きいことで、実は口では何とも言いようがなく、限りがないことであります。その限りのない大虚空の中に、アメノミナカヌシノカミと申す神がおわします。次にタカミムスビノカミ、またカミムスビノカミと申し上げる二柱の、いともいとも奇く不思議な神様があらせられたのです。さてこの二柱のムスビノカミのその奇しく神妙なる御徳によって、その果てしもなく限りもない大虚空の中へ、その形状が言うに言われぬ「一つの物」がまず生じて、その「一つの物」が何もない虚空の中に漂っている様子が、たとえば雲の一村が繋がるところがなく、浮いているようであったということです。
                          
 ところがその「一つの物」から「葦の芽(あしのめ)」のように、ピラピラと角が出て上ったものがある。そのアシカガビと言うのは「葦の芽」ということで、即ちその立ち上った形が「葦の芽」が吹き出すようであったため、このように申し伝えたものです。さてその上った物の様子はどんなものだといえば、これはどんな物であったという言い伝えがないものだから申されないことながら、試しに申せば、清く澄み明らかなものです。なぜそのように申すかと言えば、これが即ち、後に「日」となったもので、後に天照大御神(あまてらすおおみか)として、そのお体のお光りが透徹(とうてつ)されて、目の前に、「天ツ日」と拝み奉るをもって知ることが出来るのです。

   さて、この物が萌え上がり、昇るほどに、上に上って、したたかに広く大きくなる。たとえば山から雲の湧き出る時は細かく、いわば葦の芽が芽吹くともいうように見えること、上に上って限りなく広くなるようなものです。我が国の古、即ち神代に「天ツ国」とも、「高天原」とも申し、またただ「天(あめ)」とばかり申したものです。これらの訳は、この次のところで申すとよく分かりますから、それまでお待ちいただきたい。

   さて、始め「葦の芽」のように萌え上がったときに、それによってお生まれになった神様があります。ウマシアシカガビコノカミと申し上げます。またその萌え上がって天となった、そのずっと上の所へ、お出来になった神の御名を、アメノトコタチノカミと申し上げます。さてかの元の所、即ち「葦の芽」のように萌え上がって、天(あめ)となりましたものの、根となっている所より、下へ垂れ下がったものがあります。これによってお出来なされた神の御名をクニノトコタチノカミと申します。それに追いすがって御出来あそばした神の御名をトヨクニヌシノカミと申します。この垂れ下がったものが後に切り離れて「月」となるのです。

  さてまた、上にあるでもなく下にあるでもなく、その元のところへ、始めてお生まれになったのがウエジニノカミと申す男神と、スヒジニノカミと申す女神が御出来なされました。その次をツヌグイノカミ、イグヒノカミと申します。その次をオオトノジノカミ、オオトノベノカミと申し、その次をオモダルノカミ、カシコネノカミと申します。この次が人々がよく知っているイザナギノカミイザナミノカミとお生まれになったのです。

  さて始めに申したアメノミナカヌシノカミより以下、このイザナギ、イザナミノカミまで、十七神の御名に、ことごとく深い訳があるのです。これをよく心得ておきますと、その神々それぞれの神妙なる道理もよく分かるのです。そうですが、先にお断りしているとおり、ただその道を駆け足で通るがために、これは別途に詳しく述べるつもりです。ただしこのうちミムスビノカミ(皇産霊神)の御名の意義だけは、今の今、必ず心得ねばならない訳がありますので、これをひと通り申し上げます。

  「ムスビノカミ」

  それはまず、そのような虚空の中へ、始めに「一つの物」が出来た、その中より「葦の芽」のように萌え上がって、天となったことも、神々がお生まれになったのも、この後イザナギ、イザナミノカミの、御国を御生みかためなされて、月日の神を始め、諸々の神々がお生まれになって、各々がそれぞれに主宰なされておられますけれども、その元はみなこのミムスビノカミ(皇産霊神)の御徳によってなのです。それがどうして分かるのかといえば、その訳が御名の上に備わっているのです。それはまず、タカ(高)というのも、カミ(神)いうのも、ミ(御)と言って、この神の御徳をたいへんに誉めたたえたものです。

 また、ムス(産)と言うのは、産するという字、また生ずるという字という意味で、物を生ずる、造り出すということです。 古歌に「我が君は千代に八千代に サザレ石の  巌となりて 苔のむすまで」と言うのは、苔の生えるまでということで、即ちそれと同じ詞であります。また今の世にも、ムスコ、ムスメなどというのも、即ち、我から生じた子どもと言うのであり、神代の古言が残っているのです。又ムスビのビは、奇々妙々であって、言うに言われない、測りも知れない尊いことをいう古言であって、目の前に、この世をお照らしになる太陽を日と言うのも、よくよく見れば見るほど、たいへんに不思議で尊く、奇々妙々なものであるため、日とは言うのです。ムスビノカミは天地をさえ、お造りあそばす程の、奇々妙々な御神徳を具えておられる神さまですからこそ、日という言葉でもって申し上げたものです。

  御名の意味を簡単に申せば、天という高い所においでになって、世に有りとあらゆる事物を生じさせる、奇々妙々に尊い神と申すのです。又御名の上で知るばかりでなく、それはだんだんに分かりますが、イザナギ、イザナミの二柱の神へ、アメノヌホコ(天ノ沼矛)という、御矛を下されて、「この漂える国を造り固めよ」と仰せられて御下しなされたのを始めとして、世の中の諸事を主宰なされる訳が、神代の事実の上で明らかに見えているのです。

   又事実に見えてあるばかりでなく、神武天皇より二十四代に当たる、顕宗天皇の御代の三年春二月に、日の神、また月の神様が人に託されて、アヘノオミコトシロと言う人へ、お諭しなされるには、「我がミオヤのタカミムスビノカミは、天地をさえ造ったご功績がありますので、神領の民地を差し上げられよ。もしその通り差し上げられたならば、我は幸福を守ろう」とお諭しなされたのです。これによって神領の民地を差し上げられ、それぞれ仰せつけられて、御祭りあそばし、またここかしこへその神社を御建てあそばしたなどの、確かなことなどもあるのです。                                    
 さてこの時の、日の神、月の神のお諭し言葉に、タカミムスビノカミを我が御オヤと仰せられましたが、この御(み)オヤと申すのは、簡単に申せば、ご先祖さまのことです。いったい日の神、月の神は、イザナギノカミの御子におわしながら、タカミムスビノカミを我が先祖と仰せられるのはどうした訳なのかといえば、諸々の神々をお生みなされましたが、元を正せば、皆なこのタカミムスビ、カミムスビノカミのムスビの御霊に依らないものはないのです。

 そのために、日の神、月の神様でさえムスビノカミ様を、我が御オヤと仰せられたものです。既に神代の巻にはムスビノカミ様に、御子が千五百座おられましたということがあります。チイホというのは千五百と書いてありますけれども、千五百に限ったことではありません。これはただ数の限りなく多いことを、古言にはチイホ(千五百)とかヤオヨロズ(八百万)とかいう例で、あらゆる神たちを、皆この御神の御子だと申しても、実はよろしいようなものです。その訳は神も人も、皆この御神の産み御生じなされる、奇々妙々なる御神徳によって出来るからなのです。

  『拾遺集(しゅういしゅう)』というのは、三代集の一つで、朝廷の御撰集なのですが、その中に、「君見れば ムスビの神ぞうらめしき つれなき人を なぜつくりけん」と言う歌があります。この歌の意味は、さて君は情けない方だ、そう情けなくされる君を見るたびに、ムスビの神様が御恨めしく存じます。その訳はなぜこのようにつれない人を、御生み出しなされたのかと、しみじみと思います。という意味です。これはもともと恋の歌ではあるけれども、この時分までは、この神様の御徳を、世間の人もよく覚えておったため、このような歌も詠んだものです。

 なんとミムスビノカミと申す御名の訳といい、神代の古事をお記しなされた事実の上に、何事も基本は、皆なこの二柱のムスビの神妙なる御霊によるいわれが、明らかに見えました。月の神、日の神がお諭しで言うには、我が御オヤのタカミムスビノカミは、天地をお造りなされたご功績があります。確かに御聡しなされたことなどで、この神の御徳のありがたいことも、実に天におられて、世の中を主宰しておられる訳もよく分かるのです。

  さあ、これ程にもよく道理の見えていることでも、中国(唐)やインドの学問を、悪くし損なった学者や、又は学問がなくても、生半可に生まれついた輩などは、その己が生まれ出たことも、直ちにこのお神のムスビノカミの御霊によって出来た物であることをわきまえず、なおしつっこく疑わしく思って、それはこの国だけの昔話で、本当にそうなのか、信じられないなどと思うものです。そのような輩には、まだまだ申し聞かすことがあるのです。なんと我が国ばかりでなく、諸々の外国に子供が生まれるのも、又悪いながらも国らしくなり、それぞれに物のできるのも、皆この神の御霊(みたま)によることで、その証拠には、その国々に各々その伝えがあるのです。それはまず中国(唐)の古伝説に、この神の御事を、上帝とも天帝とも、あるいは皇帝と名づけて、その神が天上におられて、世を主宰し、人もその御霊によって生じ、また人の性に、仁義礼智というような、誠の心を具えておるのも、みなこの上帝のなされることだという伝えが、このように伝わっているのです。

  これは中国(唐)の書物でも、ぐっと古く、『詩経』、『書経』、『論語』などというものを見ても、よく眼を開いて見るとよく分かるのです。但し中国(唐)は、小ざかしい国柄ですから、それをおかしくたとえ話のように、曲がった説もあるけれど、そのことは先年に『鬼神神論』という書を著して詳細に論じておきました。またインドの古伝説に、ムスビノカミの御事を「大梵自在天王」と称し、また「梵天王」とも言い伝え、これもやっぱりその神が「タウリ天」と言い、至って高い天上においでになり、世の中を主宰しております。もっとも天地も人間万物も、みなこの神の造ったもので、この神ほど尊い神はありませんと、上古から言い伝えたものです。

 ところがはるか後の世に、釈迦という人が出て、仏道ということを、己の心をもって作り始め、神通といって、実は幻術ですが、その幻術をもって人を惑わし、その「梵天王」「帝釈天」のようなことではなく、それを供に連れるほどの、大変に尊い仏というのがあると言って、大それた妄説を広めたものです。インドでは、昔から博識な坊主もいくらか出たものではありますが、釈迦の妄説に目がくらんで、この訳を言った者は一人もいないのです。これらの仔細は仏道の講説で申し上げるつもりです。
またインドよりはるか西の方にも、多くの国があって、その国々にもそれぞれに、天ツ神の天地を始め、人や万物をも御造りなされたという伝えがそれぞれにあります。これもオランダの書物を見るとよく分かるのです。

  さあなんとこの通り、世界中が言い合わせたように、天ツ神が天におわして、万物を産みなされたという言い伝えが、横訛りながらあることを考え合わせますと、我が国の古伝説との薄からない縁があることが分かります。そのように世の中には神々は大変に多くおいでで、この御神はその大本にましまして、特別に尊くおわします。そのムスビノカミの御徳は、申し上げるのも今更ながら、数ある中でも仰ぎ奉るべき、崇め奉るべきはこの神様です。

  そのために、神武天皇の御代に、天皇が自ら鳥見の山中に、祭りの場をお立てあそばして、御祭りなされ、また八柱の神々を、朝廷の御守り神と御祭りなされましたが、その第一に、このミムスビの二柱を御祭りなされ、次ぎにタマツメムスビノカミ、次ぎにイクムスビノカミ、次ぎにタルムスビノカミ、この外はオオミヤノメノカミ、ミケツカミ、コトシロヌシノカミ、以上八柱です。即ち「神祇官の八柱」と申し上げるのはこれです。この中にも、タマツメムスビ、イクムスビ、タルムスビの三柱はイザナギノオオカミの司命の御霊の神でおわしますから、別に詳しく考え置いたものです。

 さてこれほどまでにもムスビノカミを重く御祭りなされ、また右に申すとおり、中国、インド、黒人の国々でさえ、この神の御徳を第一と崇め奉りますのに、その神国に生まれ、神の末裔である我が国の人がよくわきまえて、身を清め奉ろうとしないのは、余りにけしからないことで、余りにも勿体なく、畏れ多い限りです。とは申しますものの、世間の人が皆な、古の学問をするものでもありませんから、これはどうかと言えば、世間の人が足りないのではなく、今までの代々の学者が、理由なく中国(唐)を曳きづり、仏教の小ざかしさに惑わされ、この神の御徳に気づかず、不勉強で、この神の御徳を世間に説き聞かせなかったためです。ただし、その生半可な学者どもは、それにしても、近くはよく世の中の人の言うことに、これは御天道様がなされる事だの、或いはお天道様がこの方を、このようにお生みなされたと言っていますが、その天道さまと言うのは、何の事かも知らないで申すのはムチャクチャで申しているのです。これは古には、この神の御徳をよく理解しておって、あの『拾遺集』の歌に「君見れば ムスビノカミぞ 恨めしき れなき人を  なぜ造りけん」と言った趣旨の、言葉と心が残っているのです。何はともあれ、この神の尊びあがめ奉るべきいわれを聞かないうちは仕方がありませんが、このように聞いて、なるほどと思ったならばあがめ奉るのがよろしいのです。なぜと申せば、これはくどいようですが、天地をさえ御造りあそばし、また全てのことを司られ、諸々の神々も、この恩徳によってお生まれなされたものです。天地のあらん限りどころではなく、未だ天地がなかった以前より、おわしましましたことを見れば、たとえ天地が如何になりますとも、世に果てしなくおいでになって、幸いを恵給い、お互い釈迦も孔子も、ネコも杓子もみなこのムスビノカミの妙なる御霊によって、生れ出たことですから、基本を忘れてはならないという、誠の道をたどるのです。


 中国(唐)のように、古伝説の確かでない民族ですら、孔子などは「罪を天に獲れば、祈る所なし」と言いましたが、この意味は天帝即ち天ツ神の御咎めを得ては、外に祈る所はありません。なぜならば、天ツ神は諸々の神の君であられるのですから、もうどうにもならないという意味です。なお孔子のこの言葉の意味は『鬼神新論』という書を著して詳細に論じてあります。もったいなくも、返し返しもこの御神の御徳は、朝夕に忘れ奉らぬように、このことは必ず心得られるがよろしいのです。
 

 上巻2-3に続く
 「現代語訳・古道大意(6)」を転載する。
 上巻 2-3  「学問は温故知新と活見」

  さて又先年に伊勢平蔵、平の貞丈先生という人がおりました。この人は天明の末当たりまで世におられた人で、有職古実の学問、又は武士道の学びに秀でられた先生で、世にこの家の学風を伊勢流と言われました。なぜならば足利の盛んな時分、殿中内外の古実を司られた伊勢守より、以来連綿として今もなお旗本衆で、その古実として伝来しておるために、伊勢流と申すのです。さてこの貞丈先生の申された言葉に、「書物を見るには、古の眼、今の眼ということを心得て読まなければならないものだ」。

 その古の眼と言うのは、古の書物を常に多く見なれて、古代の風儀をよく見知った眼を言うのです。また今の眼と申すのは、今の世の常時のならわしを見なれて、古代のならわしを一向に見知らない眼を言うのです。さて、古の眼をもって、今の世の趣を見れば、今の慣(なら)わしが明らかに分かります。今の眼をもって、古代の事を見るときは、古代のことも、今の慣わしの如く見なすために明らかにならず、疑わしいことばかりあって分からないものです。

 たとえば、古い書物に、「金百両とあるのは、練金というものを、秤目(はかりめ)で百両のことなのだが、今の眼をもって見れば、金の小判百両のように見えるのだ。また古い書に、八丈の絹とあるのは、尾張の国から出た物で、長さが八丈の絹なのですが、今の眼をもって見れば、八丈島より出る絹と同様に思ってしまう。このような類が、数え切れないほどに多いのだ」と言い残されたのです。

 これは学問の上ばかりでなく、今日の事業をしていくにも、本を知ったと知らないとでは、大きく思慮の違うことがあるのです。ことに学問と申すものは、何の上にも及ぼし、用に立ち、働きをつくるためのものであるから特別のものです。まず古きことを尋ね明らかにして、高い所に上って行って、それから下を見下ろす時は、今の世の低く新しいことは、さして骨をおらずに分かるものです。こうですから、孔子も「故き温ねて、新しきを知らば、以って師たるべし」とも言ったのです。
             
 今の世は己の身の上にも不思議なことは幾らもありますが、通常のことに馴れていますから、その身をも不思議とも思わず、たまたま神異なることでもありますと、多いに惑いを生じることが多いのです。ところが古の学問をする者は、古といえば、この上ない天地の初めから、奇妙で不思議で神妙なことといえば、この上もない天地をさへ始められた神々の御事実をよく明らめるために、この上の高いことはないのです。だから神代の神の御上を、今の眼をもって、今の凡人を引きずって疑うような、頑固な心は起こらないのです。                                               
 これを及ぼすときは、何のことにも行き渡ることで、とかく何の学問、何の事でも、ぐっと高い所をやっておくのがよろしいのです。たとえば本歌と言って真の歌を詠むものは、連歌は何の苦もなくできます。連歌をよくする人は発句が何の苦もなく出来ることを見ても、とかく人は高いことを覚えるのがよいのです。貞丈先生が言われたことは、「書物を読んで、その文の意味を説くにただ一方にばかり偏って、外に通じわたらなければ偏見と言って、片寄った書物の読み方だというものです。また文の意味を考えるに転用旁通といって、この事に当たっても、あちらの事に当たっても滞りのないのが活見と言って、眼を生かして書物を見ると言うものです。

 また偏見の片寄った見ようの人は、憤?という事を起こし発明するようなことはありません。活見と言って眼を生かして書物を見る者は、事を起こし、発明する憤?の勢いがある」と申されました。これは学問の上ばかりではない、諸事に行き渡ることで、今の世に漢学をする人々、また中国(唐)思想の狭い悪癖がついた人などは、多く今の眼をもって古を考えたり、彼を考えるのにこれをもって考えるというように、活見するの人も少ないのです。どうぞそうならないようにしたいものです。
  「神とは」

  さて、我が国の言葉に、すべて「カミ」と申すのは、古の心を尋ねれば、古の御典(おふみ)に見える、天地の諸々の神達を始めとして、それを奉られた社(やしろ)にまします御霊(みたま)を申します。また人は当然ですが、鳥獣草木の類、海山など、その他何でもあれ、尋常でない優れた徳があって、かしこみ恐るべき物を「カミ」と申すのが古のあり方です。その優れたというのは、尊いこと、善いこと、勇ましいことなどの、すぐれたことばかりを言うのではなく、悪いもの奇妙なものでも、世の中で特殊で畏きものを神と申すのです。

 さて人の中の神は、先ずカケマクモカシコキ天皇(すめらみこと)の代々、みな神におわすことは申すまでもないことで、それは万葉集を初めとして、古くより歌にも、遠ツ神とも称して、凡人とは遥かに隔たり、尊くカシコくおわすますためでございます。このようにして次々と神となる人、古も今も有りますことで、また天下の下に広く流通したことでなくとも、一国一郡一村一家の内にも、ほど程に神なる人はいるのです。

   さて神代の神たちも多くはその代の人で、その代の人は皆な神々(こうごう)しくあったがために神代と申します。また人でなく物では、雷は常に鳴る神と言いますので、本より神であることには異論がありません。また龍、天狗、狐などの類も特殊で不思議で畏れ多いものであるために、これも神です。また虎や狼も神と申したことは、日本書紀や万葉集等に見えます。イザナギノカミ 桃子にオオカムヅミノミコトという名を賜り、またお首の玉をミクラタナノカミと申されたなどのこともあります。また神代記や俗に中臣祓(なかとものはらい)と伝えられている大祓の詞にもあるとおり、磐根(いわね)、木の根、草の根などが神代にものを言ったことがあります。これも神です。
                       
 また海山などを神と言うことも多いのです。それはその御霊(みたま)の神を言うのではありません。直にその海をも、山をも指して神と申したもので、これらも山は高くそびえ、海は深く渡るにも越すにも大変に畏(かしこ)きものであるがために神と申したのです。そもそも神と申す古の心を尋ねますと、このような種々様々で、貴いのもあるが賎しいものもあり、強いものもあるが弱いものもあり、善いこともあるが悪いこともあります。心も行いもそのさまざまに従ってとりどりです。その貧しく賎しい中にも段階があって、最も賎(いや)しい神の中には、徳が少なくて、凡人にさえ負けるものさえおります。それはあの狐などは怪しいことをなすことは、いかに賢く巧みな人といえども、及ぶべきもなく、実に神です。

 しかしながらまた常に犬などにさえ制せられる賎しい獣です。そのような類の一向に賎しい神の上をのみ思い比べて、いかなる神といえども、道理をもって向かえば恐れることはない思う人も世の中には多いのですが、これらは尊いことと、賎しいこと、その威力に大きな違いがあることをわきまえていない間違いです。

  さてこのようなわけですから、神と申すものは、とんと一様に定めては申しがたいものです。そうであるから世の人は神様を、外国のいわゆる佛菩薩、聖人などと同類のもののように心得て、その理論で神を推し量ろうとするのははなはだしい間違いです。悪く、邪な神は何事も道理と違った所業のみが多いのです。また善い神だと申しても、事に当たって、正しい道理でなければ、程度によっては、お怒りなさるときは、御荒(すさ)びなさることもあります。それは宗神天皇の時代に三輪の大物主神(おおものぬしのかみ)の疫病を御払いなされたことなどを思いだしていただきたいのです。悪い神でさえ喜んで御心をなごました時は、幸(さきわ)いを御恵み下さることが、もう絶えてなくなったというのでもありません。

 また人の上にとっては、その所業がそのときは悪く思われることも、本当は善いこともあります。善いと思われることも、本当は悪いことであることもあるのです。すべて人の智には限りがあって、真実のことは知り得ないことであって、とにかく神の御上はみだりに推し量って言うべきものではないのです。ましてや善いも悪いも。特に尊く優れた神々の御上に至っては、いとも不思議で奇々妙々におわすますために、さらに人の小さい知恵でもってその真実は千重(ちえ)の内の一重(ひとえ)も測り知ることは出来ないのです。ただその尊さを尊び、かしこきをかしこみ、恐るべきを恐れるべきです。

   「日本のカミ・中国の神」

 さて我が国の古、カミというのは、右のような意味であるのを、はるか後の時代に、中国(唐)の文字が渡ってきて、その「カミ」という言葉へ「神」の字を当てたものです。これはよく当たっていると申しますが、七八分は当たり、二三分は当たっていません。それには訳があります。それはまず、我が国で「カミ」と言うのは、必ずその実物をさしてのみ言うのであって、紛らわしいことはないのです。しかしながら中国(唐)で「神」の字の使い方は、実物の神を指して言うばかりではなく、ただそのものを誉めて不思議というような意味にも用います。たとえば神剣(しんけん)というときは不思議な剣ということ、神亀(じんき)といえば不思議な亀ということになるのです。我が国で神と言うときは、必ず実物を指して言いますから、ここに違いがあるのです。                                               
 ただし また一つ我が国の言葉に「神何」と神の字を上につけて言うことがあります。それは神ワザ、神ハカリ、神イザナギノカミなどの類であります。いずれにしても誉めて言う、いわゆる尊称です。もっともこれは「カミ」と言わないで「カム」と読むのです。一体我が国は言葉の国で、元は神字の「カナ」のみあって、中国(唐)の漢字のような道理のある字はなく、言葉のみを旨として伝えてきたところへ、漢字が渡って来て、その漢字を我が国の言葉へ当てたものですから、道理の分かりやすいのも出来ましたが、折り合いがつかない言葉も多くあります。それは段段とお聞きになるうちに、追々とご理解がいくことです。しかしながら世の常の学者等が、このような訳も知らないで、漢字の道理にばかりしがみつき、それに馴れてしまっています。私が真実を説けば、誤りがあることもおびただしいのです。

 
上巻 3-1に続く






(私論.私見)