長歌()。「
『万葉集』を訓(よ)む(その355)」その他参照。
発句
「打蝉等 念之時尓」は
「うつせみと 念(おも)ひし時に」と訓む。「打蝉等」は、199番歌の異伝と同句。「打蝉」は「うつせみ」と訓み、13番歌に「虚蝉」の表記で、24・150番歌に「空蝉」の表記で既出。「この世」または「この世に生きている人」の意。「等」はト。「念之時」は196番歌に既出。「念」は「念(おも)ひ」。「之」はシ。「時」は「とき」と訓み、時間の流れのなかで、上の連体修飾に対応する一部分をいう。「尓」はニ。[一云
宇都曽臣等 念之] は[一に云ふ うつそみと 念(おも)ひし]と訓む。「宇都曽臣」は196番歌に既出。「宇都曽」は、ウツソ。「臣」の訓は「おみ」だが、ここはミを表すのに用いたもので、「宇都曽臣」で以て「うつそみ」と訓む。本文と異伝の違いは「うつせみ」と「うつそみ」の違いでしかなく、この異伝の表現は213番歌に同じ。「うつせみ」は、「うつしおみ」→「うつそみ」→「うつせみ」と変化した語で、「うつし」は「顕」、「おみ」は「人」で、「この世に生きている人」がもともとの意であることがわかる。
2句
「取持而 吾二人見之」は
「取(と)り持(も)ちて 吾(わ)が二人(ふたり)見(み)し」と訓む。「取持」は「取(と)り持(も)ち」と訓む。「とりもつ」は「手に取って持つ。手に握る」ことをいう。「而」はテ。「吾二人」は、「吾」にガを読み添えて「吾(わ)が二人(ふたり)」と訓み、作者と妻を指す。「見」は「見(み)」。「之」はシ。「取(と)り持(も)ちて 吾(わ)が二人(ふたり)見(み)し」は「私たちが二人で手に取って見た」の意で、「槻の木のこちごちの枝」を修飾する。
3句
「走出之 堤尓立有」は
「走(はし)り出(で)の 堤(つつみ)に立(た)てる」と訓む。一字目は、原文【走(そうにょう)+多】の字であるが、この字は『玉篇』に「走也」とあり、「走」と同義なので代用する。「走出」は「走り出(で)」と訓み、「家から走り出たすぐの所。門口に近い所」の意。「之」はノ。「堤(つつみ)」は「包むものの」意から「湖沼・川・池などの岸に沿って、水があふれないように土を高く築いたもの。土手。堤防」の意となったもの。「尓」は二。「立有」は「立(た)てる」。
4句
「槻木之 己知碁知乃枝之」は
「槻(つき)の木(き)の こちごちの枝(え)の」と訓む。「槻木」は「つきのき」と訓み、植物「けやき(欅)」の古名。「之」はノ。「己」はコ、「知」はチ、「碁」はゴで、「己知碁知」で以て、代名詞「こちごち」を表す。「こちごち」は、「こち(此方)」を重ねたもので、どこと具体的にささず、不特定の二つ以上の方向ないし領域を指示する(不定称)語。「あちらこちら。あちこち。ほうぼう」の意。「乃」はノ。「枝」は、今まで既出の四例は全て「松(濱松・玉松)が枝」で、「まつがえ」と訓んだ。ここも「え」と訓むが「えだ」と同じ意。「之」はノ。
5句
「春葉之 茂之如久」は
「春(はる)の葉(は)の 茂(しげ)きが如(ごと)く」と訓む。「春葉」は、「はるのは」と訓み、春に芽吹く若葉のことを言ったもの。「之」はノ。「茂」は「茂(しげ)き」。次の「之」はガと訓む。「如」(199番歌他に既出)は、比況の助動詞「ごとし」の語幹。それにク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)が付いた「如久」で以て、「ごとし」の連用形「如(ごと)く」を表したもの。「春の葉の 茂(しげ)きが如く」は、次の「念(おも)へりし」の比喩で、「春の若葉の繁っているように、しきりに深く」の意。
6句
「念有之 妹者雖有」は
「念(おも)へりし 妹(いも)には有(あ)れど」と訓む。「念有之」は、「念(おも)へりし」と訓む。「妹」は亡くなった妻を指す。「者」はハ。ここはその前に、断定の助動詞「なり」の連用形二を補読して二ワと訓む。二ワは、「あらず」「あれど」など多く否定または逆接の表現と呼応するが、ここもその例。「雖有」は「有(あ)れど」と訓む。「念(おも)へりし 妹(いも)には有(あ)れど」は「しきりに思いを寄せた妻ではあったが」の意。
7句
「憑有之 兒等尓者雖有」は
「憑(たの)[頼]めりし 兒(こ)らには有(あ)れど」と訓む。「憑有之」は「念有之」と同じ形。「憑(たの)[頼]めりし」と訓む。「憑」は既出。名義抄には、「憑。タノム・ヨル・イカル・サカリニ・イキドホル・オホイナリ・アツラフ・ヨ(リ)トコロ」の〉とある。「兒等」は「兒(こ)ら」と訓み、12句の「妹」と同じく、亡くなった妻のこと。「等」はラ。人を表わす名詞や代名詞に付いて、謙遜また蔑視の意を表わす。なお、自分に対する謙遜の気持は時代を下るとともに強くなり、相手や他人に対する用法は、古代では愛称、中世頃からは軽蔑した気持を表わす。ここは愛称。「尓者雖有」は「には有(あ)れど」で、ニを「尓」で表記している。二句対をなし、同じ内容を少し言葉を変えて対句にすることによって、意味を強めると同時に調子を整えている。
8句
「世間乎 背之不得者」は
「世間(よのなか)を 背(そむ)きし得(え)ねば」と訓む。「世間」は、漢語で「せけん」で、『史記』の李斯伝に「夫(そ)れ人生まれて世間に居るや、譬(たと)へば猶ほ六驥(りくき)を騁(は)せて、決隙(けつげき)(わずかのすきま)を過ぐるがごとし」とあり、「この世。世の中。」の意。ここでは「世間(よのなか)」と訓む。「乎」はヲ。「背」は「背(そむ)き」。「そむく」は「背(そ)向く」で、ある方向に背を向けることを言う語で、ここは「道理・常識などに合致しない。さからう。反対する」の意。ここの「之」はシ。「不得者」は「得(え)ねば」と訓む。「世間(よのなか)を・背(そむ)きし得(え)ねば」は、「人は必ず死ぬというこの世の道理に背くことができなくて」の意。
9句「蜻火之 燎流荒野尓」は「かぎろひの 燎(も)ゆる荒野(あらの)に」と訓む。「蜻火」は「かぎろひ(陽炎)」を表すための義訓字で、「蜻蛉火」とも書かれる。「かぎろひ」は「ゆらゆらと揺れるようなやわらかな光」をいう。それを蜻蛉(とんぼ)の羽の繊細なかがやきとして表現したのが「蜻蛉火」「蜻火」と言う表記であろう。「之」はノ。「燎流」は「燎(も)ゆる」と訓む。連体形であることを明示するために活用語尾のルを「流」で表記したもの。「燎」は名義抄に「燎。フスブ・ヤク・トモシビ・モユ・タク」の訓みを記す。「かぎろひのもゆ」は「ほのおのような光を放つ」ことをいい、古くから使われた表現で、古事記の歌謡にも「埴生坂
我が立ち見れば かぎろひの 毛由流(モユル)家群 妻が家のあたり」と歌われている。「荒野」の「荒(あら)」は語素で、主として名詞の上について、これと熟合して用いられ、「人手の加わっていない、自然のままの」の意を表わす。従って「荒野(あらの)」は「自然のままのさびしい野」をいう。「尓」はニ。
10句「白妙之 天領巾隠」は「白妙(しろたへ)[栲]の 天領巾(あまひれ)隠(かく)り」と訓む。「白妙之」は、「白妙能」、「白妙乃」の表記で既出。ここは次の「天領巾」にかかる。「天領巾隠」は旧訓アマヒレコモリであったのを『萬葉考』にアマヒレガクリと改訓して以降、諸注これに従っているが、「天領巾」が何を意味するかについては諸注で説が分かれている。諸説について『萬葉集全注』に簡潔にまとめられているのでそれを引用しておこう。「代匠記に「秋風の吹きただよはす白雲はたなばたつめの天つ領巾かも」(10・二〇四一)を引いて「白雲カクレトイヘルカトオホシケレハ」(精撰本)と記すのは、白雲をさして天領巾と言ったと見る説で、澤瀉注釈に継承されている。また、略解には「白たへの天ひれ隠は、葬送の旗をいふ。柩の前後左右に旗をたて持行さま也と宣長説也」とし、檜嬬手には柩を覆ふ蓋を「天領巾」と表現したものと解している。古義に「歩障」とするのは、和名抄の「葬礼圖云布帷以障婦人 今按俗用歩障是」から考えついた事らしい。こうした諸説に対して、攷証に「本集八の歌(天河原尓、天飛也)領巾可多思吉と見江たれば、幅も広く丈も長きものと見ゆ。されば、ここに天領巾隠といふはすべて失し人は天に上るよしにいへる事、集中の常にて、こゝはいまだ葬りのさまなれどもはや失しかば、天女にとりなして天つ領巾にかくるよしいへるにて、まへにもいへるが如く、領巾は長き幅もゆたかなるものなれば、これを振おほはヾ容もなかばはかくれぬべければ、天ひれがくりとはいへるなるべし」と天女の領巾説を主張し、講義にそれを受けて、「天領巾といへるは天女の空を飛ぶにまとへる天衣をさしていへる為に天領巾といひしなるべし」と天女の羽衣と解せられることが記されている。古典大系にも「天ヒレは天女の羽衣のようなもの。これを着て昇天したと考えたのであろう」との注を見る。古典集成にもこの天女の羽衣説は受け継がれているようだが、古典全集には「天領巾隠り」について「妻の死を象徴的に表現した語句」と言うのみで、具体的に立ち入った記述がない。右の諸説の中では、攷証に始まる天女の羽衣説が語句としてもっとも無理のない解と思われる。同時に、人麻呂がどのような現実を踏まえて、こうした美しいイメージを創出したかを考えると、代匠記に言う雲や、略解に言う旗などからの想像とも解されるだろう(中西進『柿本人麻呂』)」。「白妙(しろたへ)[栲]の・天領巾(あまひれ)隠(かく)り」は、妻がこの世を去って、その霊魂が天上に上がるイメージを、「白い領巾に身を隠して(包んで)」と表現したもので、「天領巾」は天空を飛翔する霊力を持つものと考えられる。
11句「鳥自物 朝立伊麻之弖」は「鳥(とり)じもの 朝立(あさた)ちいまして」と訓む。「鳥自物」は「鳥(とり)じもの」。「じもの」は、「鴨(かも)じもの」、「鹿(しし)じもの」として既出。接尾語で、形容詞語尾「じ」に「もの」が付いたもの。「…のようなもの、…であるもの(として)」の意である。「鳥(とり)じもの」は「鳥のように」の意で、次の「朝立つ」を修飾する。「朝立」は「朝立(あさた)ち」。「伊麻之弖」はイマシテ。「伊麻之」で以て、「います」の連用形「いまし」を表す。「弖」はテ。「鳥(とり)じもの 朝立(あさた)ちいまして」は「鳥のように、朝早く家をお立ちになって」の意。鳥が朝ねぐらを飛び立つのを喩えとして、朝早く家を出ることを表したのである。
12句「入日成 隠去之鹿齒」は「入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば」と訓む。「入日(いりひ)」は、「夕方、西の方に沈もうとする太陽。夕日。落日。また、落日の光」をいう。「成」はナス。「なす」は、名詞、時には動詞の連体形に付いて、「…のように、…のごとく、」などの意で、語源的には、「似(に)す」、あるいは「成(な)す」とも関係があるかともいわれる。「入日(いりひ)なす」は、「入り日のように」の意で、入り日が隠れてゆくところから、人の死をいう「隠る」にかかる枕詞。「隠」は「隠(かく)り」。「「死ぬ」ことをいう。「去」は、「過去」の二字熟語が示すように、「ときがすぎる、むかし」の意を持つことから、完了の助動詞ヌに宛てたものかと思われる。ここは二と訓む。「之鹿」でシカを表す。「齒」はハの訓仮名であるが、ここではバに用いたもの。「去之鹿齒」は珍しい用字で、本歌の異伝である213番歌では「西加婆」とあり、「にしかば」と訓むことは間違いない。「ば」に「齒」を用いたのは「鹿」からの連想であろうか。「入日なす 隠りにしかば」は「入り日のように山の陰に隠れてしまわれたので」の意。
13句「吾妹子之 形見尓置有」は「吾妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)に置(お)ける」と訓む。「吾妹子之」は既出。「子」は親愛の意を表す接尾語で、「わぎも、わぎもこ」は、自分の、妻や恋人である女性、または広く女性を親愛の気持をこめて呼ぶ語。ここは亡き妻を指す。「之」はガ。「形見」は「かたみ」と訓み、「死んだ人、または遠く別れた人を思うよすがとなるもの。死後または別後にその人のものとして残されたもの。遺品や遺児」の意。「尓」は「~として」の意。「置有」は「置ける」と訓む。「吾妹子が 形見に置ける」は「わがいとしい妻が形見として置いていった」の意。
14句「若兒乃 乞泣毎」は「若兒(みどりこ)の 乞(こ)ひ泣(な)く毎(ごと)に」と訓む。「若兒」は、ワクコ・ワカコ・ワカキコなどの訓みもあるが、本歌異伝の213番歌に「緑兒」とあることからミドリコと訓むのがほぼ通説になっているのでそれに従う。「みどりこ」は、三歳くらいまでの幼児をいい、『正倉院文書』の戸籍には、一歳から三歳までの幼児を緑児・緑女と記している。「乃」はノ。「乞泣」は、「乞(こ)ひ泣(な)く」と訓む。「こひなく」は「物をねだって泣く」ことをいう。「毎」は接尾語「ごと」に二を補読して「毎(ごと)に」と訓む。「ごとに」は、名詞や動詞の連体形などに付いて、連用修飾語となる。その物、またはその動作をするたびに、そのいずれもが、の意を表わし、「…はみな。どの…も。…するたびに」などに置き換えられる。「若兒の 乞ひ泣く毎に」は「みどり児が物を欲しがって泣くたびに」の意。
15句「取與 物之無者」は「取(と)り與(あた)ふる 物(もの)し無(な)ければ」と訓む。「取與」は、「取(と)り與(あた)ふる」と訓む。六音の字あまりになるが、句中に単独母音を含むので異例とすべきものではない。ここの「物」について、宣長は『玉の小琴』に「物は玩物にて泣をなぐさめむ料の物也」と記している。「之」はシ。「無者」は「無(な)ければ」と訓む。「取り與ふる・物し無ければ」は「取って与える物とてないので」の意。
16句「烏徳自物 腋挟持」は「をとこじもの 腋(わき)挟(はさ)み持(も)ち」と訓む。「烏徳」は諸写本に「鳥穂」とあるが、『萬葉考』に「鳥」は「烏」、「穂」は「徳」の誤字として「をとこ」と訓んじたもの。「鳥穂自物」ではいかにも解釈し難いことや、本歌の異伝である213番歌の該当箇所も「男自物」となっているので、「をとこじもの」と訓むことは間違いないと思われる。しかし、なぜ「男」を「烏徳」の表記に変えたのかが分からないし、「烏」は訓仮名「を」として用いられているが、「徳」の字を仮名に用いた例はないことなど疑問は残る。ただ、「徳」も、人名に「徳太里(とこたり)」と書かれた例があるので「とこ」に宛てたものと考えることはできる。今は、諸註釈に従って「烏徳自物」を原文として「をとこじもの」と訓んでおく。「じもの」は21句「鳥じもの」で既出だが、「鳥じもの」を「(鳥ではないが)鳥のように」と解したと同じ様には、ここを「(男ではないが)男のように」と解することは出来ない。ではどのように解すれば良いか。橋本四郎「上代の形容詞語尾ジについて」(萬葉十五號)が、この「男じもの」を「犬じもの」(886番歌)と比較して論じているのでそれを見てみよう。橋本は「犬ジモノではジはどちらかといへば肯定に近いといふ面が強調されて譬喩に用ゐられたのであるが、ここでは決して譬喩の役割は果たしてゐないし、ジ自体もあくまで否定であるといふ面で強調されてゐると見られる。『体言』+『ジモノ』といふ同一形態をもつが故に同一の点で理会せねばならぬ理由はない。ジの表現性をある幅をもつ線的なものとすれば、彼と此とはその極端に位置するものと言へる」として、「この場合のジは、男らしくないと反省する気持と、それに対して男だと反撥する気持の複合したもの、いはば否定しつつ否定しきれない気持を表現し得てゐるといへるであらう」と述べている。橋本の言うように「をとこじもの」は「男らしくもなく。男なのに。男の身で」などと解するのが正解であろう。「腋(わき)」は「胸の側面で、腕のつけねのすぐ下の部分。わきの下」をいう。「挟」は「挟(はさ)み」。「持」は「持(も)ち」。「挟(はさ)み持(も)つ」は「抱えるように抱く」ことをいう。「をとこじもの・腋(わき)挟(はさ)み持(も)ち」は「男の身で、腋に抱えて」の意。
17句「吾妹子与 二人吾宿之」は「吾妹子(わぎもこ)と 二人(ふたり)吾(わ)が宿(ね)し」と訓む。「吾妹子」は亡き妻。「与」はト。「二人」も既出で作者と妻を指す。「吾宿之」は138番歌に既出。「吾」はガを補読して「吾(わ)が」と訓む。「宿」は「宿(ね)」。「ぬ」は「寝る」の意。「之」はシ。「吾妹子(わぎもこ)と 二人(ふたり)吾(わ)が宿(ね)し」は「わがいとしい妻と二人で寝た」の意。
18句「枕付 嬬屋之内尓」は「枕(まくら)付(づ)く 嬬屋(つまや)の内(うち)に」と訓む。「枕付」は「枕(まくら)付(づ)く」と訓み、「つまや」にかかる枕詞。真淵の『冠辭考』に「夫婦(メヲ)は房(ネヤ)に枕を並付(ナラベ)てぬるが故にいへり」とある。「嬬屋(つまや)」は「夫婦の寝室。ねや。閨房。また、夫婦のために設けた家」をいう。「之」はノ。「内(うち)」は「空間的、平面的に、ある範囲や区画、限界などの中」の意で、外側でないほうをいう語。「尓」はニ。「枕(まくら)付(づ)く 嬬屋(つまや)の内に」は「(枕付く)《枕を並べた》妻屋の中で」の意。
19句「晝羽裳 浦不樂晩之」は「晝(ひる)はも・うらさび晩(く)[暮]らし」と訓む。「晝羽裳」は、「晝者母」及び「晝波毛」と「はも」の表記は異なるが同じ。「晝」(昼の旧字)は「ひる」で「太陽が空にあるあいだ。日の出から日没までの間」をいう。「羽裳」はハモ。「特に取り立てて提示しようとするものに、強い執着や深い感慨を持ち続けている場合に使う」(『岩波古語辞典』)連語「はも」を表す。「浦不樂晩之」は、「裏佐備晩」と同じく、うらさび晩(く)[暮]らし」と訓む。「浦不樂」で以て、「うらさび」を表わす。「うら」は「こころ」の意で、「裏、浦」と同語源であるところから「浦」の字を宛てたもの。「不樂」は、「うらさぶ」の「心楽しまず」という意を漢文表記したもの。「晩之」は、「晩(く)[暮]らし」で、「晩」は「暮」と声義が近く通用されたもの。「くらす」は「日が暮れて暗くなるまで時間を過ごす」ことを言うが、他の動詞の連用形に接続して、その行為を一日中し続ける意を表わす。ここも上の「うらさび」に接続して「一日中心さびしく過ごす」ことを意味する。
20句「夜者裳 氣衝明之」は「夜はも 氣衝(いきづ)き明(あ)かし」と訓む。「夜者裳」は、「夜者毛」、「夜羽毛」と「はも」の表記は異なるが同じ。「夜(よる)」は「日没から日の出までの時間。太陽が没して暗い間」をいう。「者裳」はハモ。「氣」は「気」の旧字体で、「呼吸、息」の意を持つ。名義抄にも「氣。イキ・ケハイ」とある。「衝」の本義は「つく、あたる」であるが、名義抄には「衝。マジハル・ツク・チマタ・ヨコタフ・オコリ・ユク・ムカフ・シル・フム・オリ・ツイカサヌ・キル・ヒトシ・ウルハシ・マトヒス・カサヌ」と多くの訓みが記されている。ここでは「氣衝」で以て、「いきづく」の連用形の「氣衝(いきづ)き」を表す。「いきづく」は「ためいきをつく。嘆息する」の意。「明之」は、「明(あ)かし」と訓む。「あかす」は「夜が明けるのを待ち過ごす。眠らないで夜を過ごす」ことをいう。「晝(ひる)はも うらさび晩(く)[暮]らし」と「夜はも 氣衝(いきづ)き明(あ)かし」は、「昼は一日中、心さびしく暮し」、「夜は夜で、ため息のつき通しで」の意で二句対をなす。
21句「嘆友 世武為便不知尓」は「嘆けども せむすべ知らに」と訓む。「嘆友」の「嘆」は「嘆(なげ)け」。「友」はドモ。「世武為便不知尓」の「世武」はセム。「為便」はスベと訓み、「なすべき手だて。そうすればよいというしかた。手段。方法」の意。多く打消を伴って用いられ、ここもその例。「不知尓」は「知らに」と訓む。「不知」だけでは「知らず」とも「知らに」とも訓まれるので「尓(二)」を添えて「知らに」と訓むことを明示したもの。
結句「戀友 相因乎無見」は「戀(こ)ふれども 相(あ)[逢]ふ因(よし)を無(な)み」と訓む。「戀」は「恋」の旧字で「戀(こ)ふれ」と訓む。「友」は逆接のドモ。「相」を「あ[逢]ふ」と訓む。「因」は囲就の意。「①むしろ。②常に臥蓆(がせき)として用いるもので、よる、たよる、つねにの意となる。③常に用いることから、もと、ちなみに、ふるいの意となる」とある。名義抄は「因。ヨル・ヨリテ・チナミ・ユヱ・ヨシ・ハタス・ツク・タネ・カソフ」の訓みを示す。ここの「因」は「よし」と訓み、「かかわりを持つための方法。手段。てだて。すべ」の意に用いられている。「乎無見」はヲナミ(「を無(な)み」)と訓む。原因・理由(~ガ~ナノデ)を表す。「嘆(なげ)けども せむすべ知らに」と「戀(こ)ふれども 相(あ)[逢]ふ因(よし)を無(な)み」は、「嘆くのだが、どうしてよいかわからず」、「恋しく思うのだが、逢うすべもないので」の意で、これも二句対をなしている。