ふとまに考2

 (最新見直し2009.3.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、ふとまに歌のbV0から128を確認する。「ウィキペディアのホツマツタヱ」、「ほつまつたゑ 解読ガイド」その他を参照する。


70、モムク(もむく)         
 もにむくは やまとふもとの かたちより   本に向くば 山と麓の 形より   
 こころはなれて たからむなしき  心離れて 宝空しき
 (訳)

 「世を映ふる 始め終りの 慎まやか 道教ゆれば 大御神 褒めて賜はる 竈守」(13文)
 「結を知れるや 天地に生け 天地に還るぞ」(13文)
 「陰陽を結びて 人心 世に還る時 直ぐなれば また良く生まれ 汚欲は 敢え還らぬぞ」(13文)
 「欲離るは 棄てず集めず 技を知れ 宝集めて 蔵に満つ 塵や芥の 如くなり」(13文)
 「塵と集めて 余に迫り 羨むモノが 交む故に 魂の緒乱れ みやなくて 末守らぬを」(13文)
 「長らひ 世々に 楽しみて 尽くれば 還す 身は黄泉 心は天に 還え生まれ 幾度世々に 楽しめば」(ミ4文)

71、モエテ(もえて)         
 もにえては ほしおあかめて なからうる もにえては 星を崇めて 永ら得る  
 たらにつかえて ものりうるなり  父母(たら)に使えて もの理得るなり
 (訳) もにえては、天元神の星を崇めて寿命を得、父母に仕えてものの理を得るとしたものである。

 「天に還れば ミナカヌシ 及びヱ・ヒ・タ・メ ト・ホ・カ・ミも 天に配りて 星となす アメトコタチの 神はこれ」(ミ6文)
 「ミヲヤの傍に 八元神 守る トホカミ ヱヒタメの 兄弟の寿」(ミ6文)
 「傍にトホカミ ヱヒタメの 八神は人の 魂の緒を 膨み振らせて 永らえを 結び和せば」(フ序)
 「天の万の 星を慕めて ありのまま 住めば 喜び 研きぞありける」(フ11)

72、モネセ(もねせ)         
 ものねせは ゐけとむろとに をうなむち  籾の熟せば 埋けと室とに ヲウナムチ  
 たわらわらはせ みきそつくれり   俵咲わせ 酒ぞ造れり
 (訳)

73、モコケ(もこけ)         
 ものこけの むしはなかみの ふくろとり 籾の痩けの 虫は中身の 袋取り
 さなゑまつりに さるたなすかみ  稲苗祭に サルタなす神
 (訳)

 「四月より 大陽を招きて 夏を継ぐ 衣綿抜きて 月半ば  早開き祭る 稲荷神」(ミ7文)

74、モオレ(もおれ)          
 ものおれは ほこのひひきお おそれみて  モノ穢れば ほこの響きを 畏れみて 
 よそかおいわす みすきかすおれ  四十日を言わず 見ず聞かず居れ
 (訳)  もののけの障り(霊障)があれば、"ほこ(放く)" の言霊の力を信じて、40日間ほかし続けよ。相手になってはならぬ。触らぬ神に祟りなし。

75、モヨロ(もよろ)
 ももよろは かかみのをみに おこれとも   百・万は 鏡の臣に 熾(おこ)れども  
 ひとりもれなは こころみかけよ   一人漏れなば 心磨けよ
 (訳) 百・万に及ぶ大成は、鏡の臣が天地の神を世に纏ることなしには成されず。その一人が世を去ったならば心(身の鏡)を磨けよ。

 「人は元 ナカゴ・心端 日月なり」(15文)
 「これ身の鏡 曇り錆び 奪わるナカゴ 磨かんと ヤタの鏡に 向かわせて 磨く器は 元の神」(17文)
 「ナカゴの形 鏡ぞよ」(17文)
 「鏡臣 末え滅ぶれば 民離れ 日月踏まれず」(24文)
 「汝また 鏡の臣は 軽からず 神を都に 留むべし 我も守らん これなりと」(28文)
 ホツマツタヱ28文に 「サルタヒコ 水濯ぎに泡の 胸騒ぎ フトマニ見れば 『五六の味は  鏡熟なる 中 一人 憂い有り とて これ 祭り  受けぬ憂い』と驚きて」とあるが、この歌はフトマニの中には見当たらない。当モヨロの歌は、内容的にはそれに最も近い物であると思われる。この例に限らず、ホツマツタヱが引用するフトマニの歌は存在しない場合も多い。このことは、フトマニに収容されている歌は途中で入れ替えられている可能性を示唆する。

76、モソノ(もその)       
 ものそのは うけもちのたの つとめおも 没の園は ウケモチの饒の 努めをも 
 なかとにならは うえややむらん  中程に成らば 飢えや止むらん
 (訳) 不毛の地は、いくらウケモチ神が頑張っても限界というものがある。まあ半ばに実れば飢えは収まるだろうから、良しとせよ。

77、モユン(もゆん)       
 ものゆんに はたれやふれは ことのねの  もの弓に ハタレ破れば 琴の音の 
 やわしもゆんそ たうとかりける   和しも弓ぞ 尊かりける
 (訳) モノノベは弓にハタレを破る。妙なる音に心を和ます琴も弓(弦)ぞ。"ゆん(斎)" は尊きものなり。

78、モツル(もつる)      
 ものつるは まさかきはなの いさおしも 茂の尽るば 真栄き華の 功も  
 あたのやまひも もとにかえつる  篤の病も 元に返つる
 (訳)人の永らえが熟に尽きて世を去れば、めざましい華の勲功も、また重篤の病も、またふりだしに戻るのである。

 「結を知れるや 天地に生け 天地に還るぞ」(13文)
 「宝 集めて 蔵に満つ 塵や芥の 如くなり」(13文)
 「ツルギとは ツは木の齢 熟に尽きて 枯れる 熟の尽ぞ」(23文)
 「長らひ 世々に 楽しみて 尽くれば 還す 身は黄泉 心は天に 還え生まれ 幾度 世々に 楽しめば」(ミ4文)
 「熟の尽るに 位も業も 譲るとは 知るも知らぬも 定めつるかな」(フ14)

79、モヰサ(もゐさ)         
 ものゐさは おころのかめる はおあかめ   もの忌さば オコロの掻める 埴(は)を崇め 
 ゐもあらためて きさおいさめよ    居も新ためて 朽さを斎さめよ
 (訳) 敷地の埴が穢れたならば、オコロが掻き回す埴を祭り、また建家も気持も新たにして汚穢を清めよ。

 「腹・背・頭 足に従ふ 礎に 敷き座す床を いかすれと オコロの守と 名を賜ふ 弥々いかすりて 主屋守るかな」(21文)
 「トシノリタマメ ヤマサ守 オコロの守も 地に纏り 年月日々の 守はこれ」(ミ8文)

80、モナワ(もなわ)        
 ものなわの のりはむかしの まつりこと  下の縄の 法は昔の 政り事  
 ちなみもわさも ともにみちひく    因みも業も 共に導く
 (訳) 下民をきつく縛って統制したのは昔の政治。今は婚姻も仕事も共にして導く。

81、ヲヤマ (をやま)   
 をやまとの みちはすなおに いつわらて   大ヤマトの 道は素直に 偽らで   
 ひとのことのは にゑにゆくなり  人の言の葉 熟に行くなり
 (訳) 大ヤマトの道は、まっすぐで曲りやねじけのないこと。それは人の話す言葉さえ洗練するものである。

 「治まる世は 名の聞こえ 人の心端 およそ肥し 表に努め 裏安む」(17文)
 「曲松を 退き植え新木 培えば 直木となるぞ 親心 細々篤き 調の教え」(17文)
 「兼ねて思えば マス鏡 青人草も 直ぐとなる 人に於けらば 限りなし」(17文)
 「直からざれば 人ならず」(13文)
 「生れ素直に ヤマト道の教えに叶ふ スベラギの 八重垣の翁 賜ふ名も ヤマトヲヲコの御魂神」(23文)

82、ヲハラ(をはら)        
 をのはらは みちもつるきも かけさしと  大の祓は 道も連ぎも 欠けさじと 
 もとめさいわう をはらさしかみ 回め幸う 穢わらさじ神
 (訳) 大祓は、家業も世継も損なわせまいと、茅の輪となって幸いをもたらす、穢えさせぬ神。

 「セミの小川に 禊して 茅の輪に立たす 六月や 民長らふる 祓なりけり」(10文)
 「フツヌシの カトリの道を 悉く コヤネに授け 隠れます カシマの道の 奥も皆 コヤネに授く」(16文)
 「皇罷る 八十四歳 若宮 その夜 喪罷に入り 四十八夜至り 率川に 禊の輪抜け 宮に出づ」(31文)
 「(六月)末は尚 暑く乾けば 桃祭り 競い止むれば 一陰開く 熟瓜・茅の輪に 抜け尽くる 穢の祓ぞ」(ミ7文)
 「六月末は いよ乾き 桃に繁まつる 茅の輪抜け ヰソラを祓う 六月や」(ミ9文)

83、ヲキニ(をきに)        
 をのきにの いさおしおとに あるなれは  兄の貴の 功弟に あるなれば 
 ゐゑもさかいも さにそきにける   敬も栄も 下にぞ来にける
 (訳) テルヒコとキヨヒコ兄弟のことを言うか。

 「何事も 老民を立てて 新民の 欠けはハラより 償わす 故に万の内 睦じき 兄弟を名づけて ハラカラと 言う本在ぞ」(24文)

84、ヲチリ(をちり)        
 をのちりの たみはひおけす あらそひの 勢の繁りの 民栄を消す 争ひの 
 おとかみたれは をもやちるらん   乙が乱れば 主や散るらん
 (訳) 民の繁栄を損なう臣同士の勢力伸張の争い。副が乱れば主も衰えるだろうに。

 「勢の抗の 東・西・南に臣の 争ひも 西・南 長は病めて 抗や和ぐらん」(フ19)
 「勢の鋭りの 争う充つの 地の殊 君が平へに 引きや散るらん」(フ20)
 「経の抗の 争う臣の 理を 和せば民の 映ぞ来にける」(フ35) 
 「繁の抗の 経矛に充つの 争ひも 上が疎かに 肝や潰むらん」(フ115)

85、ヲヌウ(をぬう)          
 をぬうなる みははもすそも ほころひす  央和うなる 御衣は裳裾も 綻びず  
 つうしよこへの いともかしこし  ツウシヨコヘの いとも賢し
 (訳) 央君の召す御衣は裳裾さえも綻びず。また央君の執る政は末端までも綻びず。ツウシ・ヨコヘの何とも優れたることよ。

 「フトマニ見れば 方を知る ツウジ・ヨコベを 遣わして 民を乱らば その司 改め代えて 枯れを解く」(21文)
 「描き真延に 当て写し ツウヂヨコヘに 連り分けて 織姫替さり 踏む時に ヨコヘに分けて ツウヂ 引く」(23文)
 「八十侍の国に ツウヂ 置き モノノベ経を 教えしむ」(23文)
 「このクニツコに ヨコベ十人 添えて遍く 道分きて 清汚臣アタヒ ツウヂ経て 直ちに告ぐる」(23文)
 「紋繁ければ 味見えず 錦の紋を 織る如く ヨコベ・ツウヂに 経を分け 闇ちの床は 明り成す」(27文)

86、ヲムク(をむく)         
 をのむくは ほことかかみお あらかしめ  穢の向くば 矛と鏡を 新かしめ 
 むかうあたなく たたにをさまる 向う仇なく 直に治まる
 (訳) 穢が襲って来たならば、矛と鏡を新たにせよ。されば向かう仇なく直に治まる。
 この解釈が妥当しているとすれば、この歌は崇神天皇の治世以降に作られた可能性が高い。崇神天皇の時代にはアマテル神は既に世を去っているので、この歌もアマテル神が選したものではなく、後に入れ替えられた歌ということになろう。

 「鏡は民の 心入る 入れ物なれば ヤタ鏡 ツルギは仇を 近付けず」(23文)
 「イシコリトメの 孫鏡 アメヒト神の 孫剣  新に造らせ」(33文)
 「治せざるは 我が心あり 我が裔 オオタタネコに 祀らさば ひとしく平れて 遠つ地も 真に服ふ」(33文)
 「この君は 神を崇めて 穢病 治し 三種宝を 新むる その言宣は 大いなるかな」(34文)

87、ヲエテ(をえて)        
 をさめえて とにうるほせは かもしたう  治め合て 調に潤せば 上も慕う 
 ましてたみおや をえてなつらん   増して民をや 敬えて懐つらん
 (訳) 治め束ねて調和の恩恵を授ければ、臣も心寄せる。まして民は敬って懐いてくるだろう。

 「万の政りを 聞く時は 神も下りて 敬えば 神の御祖ぞ この道に 国治むれば 百司 その道慕ふ 子の如く これも御祖ぞ この子末 民を恵みて わが子ぞと 撫づれば還る 人草の 御祖の心」(27文)

88、ヲネセ(をねせ)        
 をのねせは めのまつりこと おきふしも 男の伸せは 女の政り事 起き臥しも
 わかぬまよひの をはねせにけり 分かぬ迷ひの 男は除せにけり
 (訳) 男を向上させる(立たせる)のは女の政事。起きてるのか寝てるのかも判らぬ迷男は、棄てるに然るべし。

89、ヲコケ(をこけ)        
 をのこけは みちにさまよう みのすみか 央の痩けば 道にさまよう 実の澄みが
 わさもやまいも こけやたすらん  禍も病も 痩けや治すらん
 (訳) 心が衰えば道にさまよう。したがってまた、心を清めることが禍も病も、衰えを治すことになるだろう。

 「これ身の鏡 曇り錆び 奪わるナカゴ 磨かんと ヤタの鏡に 向かわせて 磨く器は 元の守」(17文)
 「央の上れば 曇る鏡も 明からさま 上れずば鼠 猫や噛むらん」(フ90)
 「直の復れば 穢れを咎む 身の病みも ほつまに上ぐる 和や恐れん」(フ106)
  参照:ミヤビモトモリ

90、ヲオレ(をおれ)         
 をのおれは くもるかかみも あからさま  央の上れば 曇る鏡も 明からさま  
 おれすはねすみ なこやかむらん 上れずば鼠 猫や噛むらん
 (訳) 心が清まれば、曇る魂中心も明らかになる。清められなければ肉体の穢れが精神にも及ぶことになろう。

 「これ身の鏡 曇り錆び 奪わるナカゴ 磨かんと ヤタの鏡に 向かわせて 磨く器は 元の守」(17文)
 「ナカゴの形 鏡ぞよ 人見ぬとても 盗むなよ およその人は 知らねども 穢現るる 元の守」(17文)
 「央の痩けば 道にさまよう 実の澄みが 禍も病も 痩けや治すらん」(フ89)
 「直の復れば 穢れを咎む 身の病みも ほつまに上ぐる 和や恐れん」(フ106)
 参照:ミヤビモトモリ

91、ヲヨロ(をよろ)           
 をによろの こころはうちの さこくしろ  大に慶の 心は内の サククシロ
 うつひとはかみ かみはひとなり     現(う)つ人は神 神は人なり
 (訳) 大いに優れた心は、人の内なるサコクシロ(神の園・天国)である。よってその心境を実現する人は神である。神は人なり。

 「昔曰くは 人は神 神は人なり 名も褒まれ 満ち逹つ典の 神は人 人素直にて ほつま行く 真神なり」(40文)

92、ヲソノ(をその)          
 をのそのは やけてあわたの とりえあり 峰の園は 焼けて粟田の 取得あり  
 みつとりえねは そののもえくさ  水取り得ねば 繁の萌草
 (訳) 高地の耕地は、渇いても粟(鳥餌)の畑にする取得はある。でも全く水が取り得なければ、鬱蒼たる草叢に帰す。

93、ヲユン(をゆん)         
 をのゆんの まつりやにわに おそるれと  央の斎の 政り社庭に 畏るれど 
 うまよりことの たみおひくなり   馬より琴の 民を惹くなり
 (訳) 天の祝の一つである騎射の節は、政殿の庭で開催され、その時には琴の演奏会も行われる。大きな声では言えないが、主役の馬よりも脇役の琴の方が民を惹きつけるようである。

94、ヲツル(をつる)         
 をにつるの まつりははなの かにのこり  央に連るの 政りは端の 香に残り  
 やむまつしさも をにやつくらん   病む貧しさも 央にや継ぐらん
 (訳) 政りというものは中心に端が連られるものであるから、端にも中心の香りが残る。病む・貧しさ、といった香りもやはり中心のものを受け継いでしまうのだろう。だから端を見れば中が見えるのである。

95、ヲヰサ (をゐさ)          
 をのゐさの みちすみやかに ゐさむるは  央の潔の 道速やかに 諌むるは   
 あくたのちから ゐさはやのかみ  散くたの力 諌早の守
 (訳) 心を祓い清める道。速やかに心を直し調えるのは、何事にも執着しない "棄てず集めず" の能力。これを"諫早の守"という。

 「欲 離るは 棄てず集めず 技を知れ 宝集めて 蔵に満つ 塵や芥の 如くなり」(13文)

96、ヲナワ (をなわ)          
 をのなわの ゆうはさるたの つつまやか  表の縄の 結うはサルタの 慎まやか
 とりゐにほとお かくるかさなわ  取往に程を 掛くる枷縄
 (訳) 門の表に縄を結うのは、過剰を除く慎まやか。出入に制限を設ける枷縄。

 「撓わなる 万の疑ひ 汚和合して 願ひも満つる 神の注連縄」(フ128)

97、スヤマ(すやま)        
 のやまは むへもとみけり さちくさは 直の熟まば むべも富みけり 幸草は 
 みつはよつはの とのつくりせん   みつはよつはの 殿造りせん
 (訳) 直ぐなる者が直ぐに成長すれば、自然当然に栄えるのである。幸草(不明)は三つ花・四つ花の殿堂を造るじゃないか。

 「心素直の 人あらば 我が子の如く 取り立てて 満な足す時は 欲も無し」(13文)

98、スハラ(すはら)        
 すのはらの まつりゆたかに ことふけは  清の治の 政り豊かに 寿けば 
 はらとうるわう たみそいたけり   晴らと潤う 民ぞ至けり
 (訳) 清の治(キヨヒトの治)の、政が豊かに満ちて実れば "晴ら(蓬莱)と潤う民 (=ほつまの民)" と至り極まるのである。

 「二の孕の 宮は宝を 孕ませて 慕うホツマの 民ぞ生みける」(フ34)

99、スキニ(すきに)         
 すきにふき あにかひさこは よのうつわ  鋭き鈍き 兄が瓢は 万の器 
 おとかなすひは すきになるなり 弟が茄子は 杉に成るなり
 (訳) 鋭き(早き)と鈍き(遅き)。 兄(早)の瓢は万の器物。弟(遅)の小さな茄子は、遂には杉(直ぐな大木)になるのであった。
 「痩せ馬の先走り・痩せ馬の道急ぎ」「大器晩成」。   瓢と茄子は形が似る。瓢は大きいが中を繰り抜いて器物とするしか取得がない。茄子は小さいが美味い。テルヒコとキヨヒト兄弟を暗示しているのかもしれない。

 「鈍・均・鋭の 民現るも 例えば数の 器物 屑を捨てなで 鈍・鋭を 均し用いん 天の心ぞ」(17文 ) 
 「暗き子も 細かに教え 日を積みて 少しは通る 月を経て 篤く教えば 鈍去るる」(17文 )
 「培えば 十年に直る 萌しを得 三十年 弥々に 伸び栄え 百の旁木 三百の梁 五百は棟木ぞ」(17文)
 「篤き恵みの 緩法を 必ず倦むな 早るなよ 早きハタレに 赴かで」(17文)
 「南の馬は 小さくて 達し熟れ 早く 根が薄く 功成らず」(19−2文)

100、スチリ(すちり)        
 すのちりの すられのみつの ことふきに  下の精りの 擦られの瑞の 寿に
 なておさまりし すちりかみなり  平で収まりし 捩り神なり
 (訳) 地の騒ぎ(地震)の擦られ(往復・揺れ・振動)にも幸いに永らえを得る。今はおとなしく収まっている "捩り神" である。

101、スヌウ(すぬう)       
 すにぬうは そろまなみつの たままつり 親に祝うは ソロ胞衣見つの 魂祭り  
 めかにうすらく かたちぬうなり    隔に薄らぐ 形和うなり
 (訳) 親族で祝うは、ソロ(飯・子)と胞衣(蓮葉・祖)が再会する魂祭。久しさに薄らぐ面影を思い出すなり。

 「(七月) 十五日は上祖と 生魂に 胞衣の蓮食の 陰・陽 合えば 仰ぎ踊りて 気を受くる」(ミ7文)
 「シムの十五日祝 生霊魂 上くる 蓮飯 胞衣が法 仰ぎ踊れば 天気受くる」(ミ9文)
 「親の寄の 睦みは繁ろの 一回り 胞衣・ソロ 合みて 万の神座」(フ123)

102、スムク(すむく)         
 すにむくは きみはなやかに たみおこる  繁に向くば 君華やかに 民驕る
 のちのわさわひ すてにむくなり 後の災ひ 既に迎くなり
 (訳)

 「木綿・布・絹を 染め飾る これ為す人は 耕さで 暇欠く故に 田も粗れて たとひ実れど 乏しくて」(23文)
 「飾りより 驕りになりて 鋭き図る 果てはハタレの 国乱れ  民安からず」(23文)
 「故汚起りを 容易くに 許せば民も 皆な驕る これよりハタレ 現るる」(23文)
 「十万万年の 寿も ウヒヂニの代は 厳かに 飾る心の 寿も 百万年ぞ」(23文)

103、スエテ(すえて)         
 すおえては きりひにさむる ひえあれと 垂を得ては 鑽火に侍る 冷えあれど
 なかれのふねに さおそゑにける   流れの船に 棹ぞ得にける
 (訳) 下げ を得るは、熾し火から離れられない冷えの 下げ もあれど、 船魂のシマツヒコが得た筏の棹差しもまた下げである。

 「船は往にし方 シマツヒコ 朽木に乗れる 鵜の鳥の アヅミ川 行く 筏乗り 棹差し覚え 船と成す」(27文)

104、スネセ(すねせ)      
 すのねせは すへやますみの かみまつれ   添の捩せば 総ヤマスミの 神祀れ
 つまのみさほも ねたみねせれは  妻の操も 妬みねせれば
 (訳) 妻がねじけたならば、陰の源を治める総ヤマスミの神を祭るべし。妻の操は伸し、妬みは寝せれば。

 「七名は水埴の 本 領ける スベヤマズミの 神となる」(22文)
 「妹の捩せは 法に溢るる 青侍らや 若女の斜も 燻りなすらん」(フ24)

105、スコケ(すこけ)      
 すのこけの とかめはあるし めのこけは 住の痩けの 咎めは主 陰の痩けば 
 をころまつりて ゐおやかえらん をころまつりて 庵や返らん
 (訳) 生活の低下は主に責がある。土地が穢れたならばヲコロ神を祭れ。されば居住は元に戻るだろう。
 「中つ柱の 根を抱え また四所の 守りも兼ね 共に守れよ」(21文)
 「腹・背・頭 足に従ふ 礎に 敷き座す床を いかすれと オコロの守と 名を賜ふ」(21文)
 「住み寄ろし 兄オコロ 守らば 弟オコロ 片身に代り ひめもすに 宮の高殿の 暗所 中つ柱の 根に住みて」(22文)
 「トシノリタマメ ヤマサ守 オコロの守も 地に纏り 年月日々の 守はこれ」(ミ8文)

106、スオレ(すおれ)        
 すのおれは けかれおとかむ みのやみも 直の復れば 穢れを咎む 身の病みも
 ほつまにあくる にけやおそれん ほつまに上ぐる 和や恐れん
 (訳) 素直さが戻れば、心の穢れを警告する身の病みも、ほつまに高まる調和を恐れて逃げ出すだろう。「ヲコケ」「ヲオレ」とほぼ同じ内容。

 「これ身の鏡 曇り錆び 奪わるナカゴ 磨かんと ヤタの鏡に 向かわせて 磨く器は 元の神」(17文)
 「ナカゴの形 鏡ぞよ 人 見ぬとても 盗むなよ およその人は 知らねども 穢現るる 元の神」(17文)
 「央の痩けば 道にさまよう 実の澄みが 禍も病も 痩けや治すらん」(フ89)
 「央の上れば 曇る鏡も 明からさま 上れずば鼠 猫や噛むらん」(フ90)

107、スヨロ(すよろ)        
 すのよろは をけのとんとの かゆうらに 下の慶は 朮のどんどの 粥占に  
 のりゆみはしら うたうよろこひ    乗弓奔 歌う喜び
 (訳) 下界に生きる楽しみは、一月十五日の朮、どんどの粥占、二月の馬祭での乗弓、そしてまた歌う喜び。
 「十五日の朝は 霊守食の 小豆の粥に 穢病 除け 笹・朮・とんど 餅焼きて 粥柱なす 神現りの 粥フトマニや」(ミ7文)
 「十五日の朝祝ぎ 小豆粥 寒さに破る 腑穢病 清掛朮に どんど餅 穢去る神現り」(ミ9文)
 「二月は 陰陽 ほぼ和し 萌し生う 種浸し祭る 稲荷神 乗弓開き」(ミ7文)
 「二月や 駆射 試み 馬祭り」(ミ9文)

108、スソノ(すその)         
 すのそのの ももおたまわる にしのはは 精の園の 桃を賜る 西の母
 こゑたのしみの ふかきことほき 交楽しみの 深き寿(ことほぎ)
 (訳) 精の園(日本)の桃を賜る西の母。越国に交わす楽しみ(姉妹の契り・教えの授受・贈品の交換・国交)の深き慶び。

 「ウケステメ 根の国に来て タマキネに よく仕ふれば 実に応え ココリの妹と 結ばせて 和の道奥 授けます」(15文)
 「喜び帰る ウケステメ コロヒン君と 因み合い クロソノツモル 御子生みて 西の母上 また来たり」(15文)
 「その返えに 三千実の桃を 賜われば 花見の桃は 稀なりと 国苞になす」(24文)
 「ココリ姫 紋に織り和す 鳥たすき 天に捧げて また西の 母が土産と 世に残る」(24文)

109、スユン(すゆん)        
 すのゆんは きのうつたまと みのはこと   清の斎は 貴の現魂と 卑の地心と 
 かはいよこまお きわむほきなり   庇(かば)い汚曲(よこま)を 究む祝(ほぎ)なり
 (訳) 不詳。

110、スツル(すつる)       
 すのつるの ひとをはしもに めくりきて 垂の尽るの 一陽は十一月に 巡り来て 
 みつのねかひの はるやきぬらん  充つの願ひの 春や来ぬらん
 (訳)

 「ヱの嘗は北に 十一月の中 一陽を招けば 傾神 舵を北に率き 日を迎ふ」()
 「この初嘗は 今の宣 九星祭りて 陽回りに 黒豆飯の 力添ふ」(ミ7文)
 「ヱは陰の三つの 一陽神 日の充ち繁々げ  北に返す 一陽伏せても 天地地幸 トの神をして 初嘗会」(ミ9文)
 「垂に祝うは 陽回り備う 御祭 栄ゆりの胞衣の 神ぞ斎みける」(フ117)

111、スヰサ(すゐさ)        
 すのゐさは きりそめのきお なかはしら  住の潔(ゐさ)は 伐り初めの木を 中柱   
 かみはかしきの ゆうにゐさめて 神は赤白黄の 木綿(ゆう)に斎(ゐさ)めて
 (訳)

 「木を伐るは キヤヱの日好し 手斧初め ネシヱ礎 柱立て 中・隅柱 南向き 北・東・西 回り立つ」(21文)
 「先ず掃法は 地を平らし 赤白黄の木綿を 中に立て」(21文)

112、スナワ(すなわ)        
 すのなわの うむたまのをの ほしなれは 垂の縄の うむ魂の緒の 欲なれば 
 あめのまつりも ほしやうむらん    天の政りも 欲や生むらん
 (訳) 貧の連続によって、膿んだ魂の緒が起こす欲であるのだから、天の政(中央の政治)の良し悪しも当然、欲の原因と成り得る。

113、シヤマ(しやま)
 しのやまは たおうけもちの やつみみも  繁の山は 饒(たお)ウケモチの ヤツミミも   
 かせうほつみも ちからもるなり    カセウホツミも 力守るなり
 (訳) 二月と四月の稲荷神の祭、六月十六日の嘉祥の祭、八月一日の穂積の祭、いずれも豊饒の力を守る祝なり。

 「二月は 陰陽 ほぼ和し 萌し生う 種浸し祭る 稲荷神 乗弓開き」(ミ7文)
 「(四月半ば 早開き祭る 稲荷神 末は葵の 夫婦祭り」(ミ7文)
 「先に五月雨 六十日降り 稲苗みもちに 傷む故 告ぐるヲシカ人 穢直りの祓ひ  カセフの祭りなす」(31文)
 「十一年叢雲 蝕虫を 付くれば君の 自らに祓 カセフの祭りなす 故甦り 瑞穂 充つ よりて果実の祭なす」(31文)

114、シハラ(しはら )         
 しのはらは かみのふしみの たまくしお  繁の原は 神の伏しみの 魂奇を 
 あみのめくみの みやこたつなり    編みの恵みの 都建つなり
 (訳) 葦原は、二神の籠める尊き真心を編み入れて、天地を恵む中軸(都)が建つのである。

 「豊葦原の 千五百秋 瑞穂の田あり 汝行き 領すべし とて 経と矛と 授け賜る」(23文)
 「経はヲシテ 矛は逆矛 二神は これを用ひて 葦原に オノコロを得て ここに下り 八紘の殿と 中柱 立てて恵れば 央州徹る 真の調の教え」(23文)
 「かくぞ実心 尽し以て 民も気安く 成す国を オノコロ州と 名付くなり」(18文)
 「千五百の葦も 皆な抜きて 田となし民も 賑えば ヰヤマト徹る ヤマト国」(23文)
 「八一の謂は 中のヤとなる シのハラは 母と孕める ヤの局 内侍は中の 位なり」(27文)

115、シキニ(しきに)       
 しのきにの とほこにみつの あらそひも 繁の抗の 経矛に充つの 争ひも  
 あにかおろかに きもやつむらん    上が疎かに 肝や潰むらん
 (訳) 国守(臣)同士による勢力抗争も、君が疎かに放置するならば、政りの要(臣)は、潰し合いによって失われてしまうだろう。

 「経はヲシテ 矛は逆矛 二神は これを用ひて 葦原に オノコロを得て」(23文)
 「五腑六臓も 地の道 中臓は君ぞ 肝は臣 脾は民よ 肺垣 腎は平らす 腑副手」(17文)
 「勢の抗の 東・西・南に臣の 争ひも 西・南 長は病めて 抗や和ぐらん」(フ19)
 「勢の鋭りの 争う充つの 地の殊 君が平へに 引きや散るらん」(フ20)
 「経の抗の 争う臣の 理を 和せば民の 映ぞ来にける」(フ35)
「勢の繁りの 民栄を消す 争ひの 乙が乱れば 主や散るらん」(フ84フ35)

116、シチリ(しちり)
 しのちりの そしりもうそと おもひくさ  繁の塵の 謗りも嘘と 思ひくさ 
 ものぬしならて ものやちるらん    物主ならで モノや散るらん
 (訳) 我が繁栄など塵の如きなりという自己卑下も嘘とは思うが、くやしいけれども、実際オオナムチの他にモノノベを束ねられる者はないだろう。

 「出雲八重垣 オホナムチ 満つれば欠くる 道理か 額を玉垣 内宮と これ九重に 比ぶなり」(10文)
 「築く九重 玉垣の 内つの宮に 比べ越し」(ミ逸文)
 「卑の連の 末々に潤す ヲウナムチ 宮も肺も 噤みしの華」(フ62)
 「またミカツチは かしま直ち  稜威を現す モノノベの 灘和らに 戻すより 賜ふ守部は カシマ守」(10文)

117、シヌウ(しぬう)       
 しにぬうは もまわりそなう をんまつり 垂に祝うは 陽回り備う 御祭り
 さゆりのゑなの かみそうみける    栄ゆりの胞衣の 神ぞ斎みける
 (訳) 霜月に祝うは、陽の巡り(一陽来復)が備わる新嘗祭。栄えの基の神を尊ぶのであるぞよ。

 「十一月の中 一陽を招けば 傾神 舵を北に率き 日を迎ふ この初嘗は 今の宣 九星祭りて 陽回りに 黒豆飯の 力添ふ」(ミ7文)
 「ヱ は陰の三つの 一陽神 日の充ち繁々げ  北に返す  一陽伏せても 天地 地幸 トの神をして 初嘗会」(ミ9文)
 「垂の尽るの 一陽は十一月に 巡り来て 充つの願ひの 春や来ぬらん」(フ110)

118、シムク(しむく)         
 しのむくは かめもひつきも ちよにめの 繁の向くは 亀も日月も 千齢に見の  
 かかやくはなの ころやむくらん  輝く華の 頃や向くらん
 (訳) 運が回って来るというのは、長命の亀でも永遠なる日月でも、千年に一度という輝きの華を言うのであり、倦まず弛まず地道な努力を連ねる中に、忘れた頃に回って来るものである。

 「人法も 十年 ほぼ均る 三十の梁 五十は棟木の 功も 篤き恵みの 緩法を 必ず倦むな 早るなよ」(17文)
 「例ひ落ちても な恨めそ 陰の忠なせ この芽 出る 故はアスカを 落ちた時 忠を忘れず この故に 御孫に召され 忠なせば 遂に鏡の 臣となる」(28文)
 「繁の連るは 仕え尽くして 一日の 月満つ頃の 栄ゆに会うなり」(フ126)
  「シツル」とほぼ同義。 (※ 亀や日月が千年に一度見るという華に関しての記述は他所には見出せていない。)

119、シエテ(しえて)        
 しおえては をきなかあみに けゐのかみ  親を得ては 翁が網に 契の神  
 あにしらひけも ちゑてやわなり   兄シラヒゲも 鉤得て 和成り
 (訳) シホツツの翁に縁を得て、その堅網に運が開けて "契の神"。その兄も鉤を取り戻して親睦が成る。縁とは奇なるものよ。

 「骸をイササワケ宮 契の神 故は翁に 契を得て 恵り 開ける 鉤を得たり 門出の契ぞ 膳は」(27文)
 「我 長く 弟の駒して 糧 受けん ここに許して 迎ひ船 宮に帰りて 睦みてぞ去る」(25文)

120、シネセ(しねせ)        
 しのねせは むしはむははか はやかれか  繁の萎せは 蝕む病が 早枯か  
 みつやうらみて しねせあむらん  瑞や恨みて 垂稲編むらん
 (訳) 稲の衰弱は、ミモチ病による早枯れだろうか。瑞穂を恨みながら倒れた稲を刈り束ねることだろう。

121、シコケ(しこけ)
 しのこけの はとのまはけて のとやとつ 直の倒けの 曲の捩化けて 和や絶つ 
 ゆひねつのふむ あみりたおしれ    忌ひ・祈づの踏む 炙り・養を知れ
 (訳) 直の喪失である曲りが、拗じ化けると心身の調和を絶つ。こんな時は "忌"と"祈" の持つ効能を知りなさい。

 「ハタレとは 天にも居らず 神ならず 人の拗けの 研ぎ優れ 凝り熟て 六つの ハタレ成る」(8文)

122、シオレ(しおれ)
 しのおれは めくみあらわし かのおれは  父の在れは 恵み現し 母の在れは 
 めかおつくして あのくたらなり   冥加を仕して 老退く父母なり
 (訳) 父の存在は恵みを現し、母の存在はその恵みを子に尽くす。そして老いては去って行く父母なり。
 「天より慈き 地に編みて 連なり育つ 子の例 父の恵みは 頂く天 母の慈し 和する埴」(16文)

123、シヨロ(しよろ)      
 しのよろの もすみはそろの ひとめくり 親(し)の寄の 睦(もす)みは繁(そ)ろの 一廻り  
 まなそろあみて よろのかんくら 胞衣(まな)ソロ合(あ)みて 万の神座
 (訳) 生けるも罷るも親族が集まる盂蘭盆の親睦は年の一周り。蓮の葉と飯を合せて各家に神座が設けられる。(蓮の葉が神座となる)

 「(七月)十五日は御祖と 生霊に 胞衣の蓮食の 陰陽合えば 仰ぎ踊りて 気を受くる」(ミ7文)
 「シムの十五日祝 生霊魂 上くる蓮飯 胞衣が法 仰ぎ踊れば 天気受くる」(ミ9文)
 「親に祝うは ソロ胞衣見つの 魂祭り 隔に薄らぐ 形和うなり」(フ101)

124、シソノ(しその)       
 しのそのは つきのこまひく まめやかも しの園は 月の駒引く 豆夜明も
 ゐもかめくみの かてやあつらん   陰(ゐも)が恵みの 糧や充(あ)つらん
 (訳) 信濃の国からは、八月十五日の望月が馬を牽いてくる。九月十四日の豆名月にも、月の夜霊波に実る芋(坂井芋?)を持って来てくれるだろう。
 参照: 名所・旧跡を訪ねて ― 駒の里・望月 ―
 「日潤に生ゆる 潤の繁は 潤田の具え 夜潤波に 生ゆる和菜は 畑の種」(15文)
 「八月中 三陰に磨ぐ月 芋の子の 多を祝いて 九月は 大年告げる 菊の御衣 襲菊・栗 一夜御酒 小望月には 豆を供ふ」(ミ7文)
 「八月中より 三陰の磨ぐ 熟小望月 芋果月」()
 「九月満きの 菊咲き 大年菊の 散綿子 ささげて祭る 栗見酒 十五日前祭る 朗月 豆夜明宴 香味踊り」(ミ9文)

125、シユン(しゆん)        
 しのゆんは あらやうふやの おそわれも 垂(し)の斎は 新屋・産屋の 襲われも  
 ひきめかふらの しゆんなすなり  ひき目鏑の 清弓(しゆん)なすなり
 (訳) 垂の斎(衰の勇め)は、新屋・産屋での物の怪の障りも、蟇目鏑の清弓を放ちて祓うなり。

 「渡座を 民も祝ふに 情けなと ハハ矢を射れば シナトベに 吹き払ふ時 道を向ひ 共に入ります」(21文)
 「ホタカミは 臍の緒切るも ハラの法 物主鳴らす 桑の弓 ハハ矢蟇目ぞ」(26文)
 参照:桑の弓

126、シツル(しつる)         
 しのつるは つかえつくして ついたちの  繁(し)の連(つ)るは 仕え尽くして 一日の  
 つきみつころの ふゆにあうなり    月満つ頃の 栄(ふ)ゆに会うなり
 (訳) 結果というものは、仕え尽くした末についてくる。月の初めの尽力は、月の末頃に成果となって現れる。そういうものである。

 「人法も 十年 ほぼ均る 三十の梁 五十は棟木の 功も 篤き恵みの 緩法を 必ず倦むな 早るなよ」(17文)
 「例ひ落ちても な恨めそ 陰の忠なせ この芽出る 故はアスカを 落ちた時 忠を忘れず  この故に 御孫に召され 忠なせば 遂に鏡の 臣となる」(28文)
 「繁の向くは 亀も日・月も 千齢に見の 輝く華の 頃や向くらん」(フ118)

127、シヰサ(しゐさ)        
 しのゐさは つまのもかりお みくまのの   垂(し)の勇は 妻の殯(もかり)を 穢隈野の 
 かみのゐさめの あしそひきける  神の諫めの 足ぞ退きける
 (訳) 弱気の勇め... 妻との別れに耐えられず追って行くイサナギ。しかしクマノ神の死して尚の諌めに、足を退くのである。

 「イサナギは 追ひ行き 見まく ココリ姫 君これな見そ なお聞かず」(5文)
 「その夜また 神行き見れば 要真  容れず 恥見す 我が恨み 鬼霊八人に 追わしむる」(5文)
 「黄泉辺境 言立す イサナミ曰く 麗しや かく為さざらば 千頭を 日々に縊らん イサナギも 麗しや我 その千五百 生みて誤ち なき事を 守る」(5文)
 「別れ惜しくど 妻送る 夫は行かず 行けば恥 鬼霊に追わす 善し悪しを 知れば足引く ヨモツ坂」(5文)
 「イサナミ曰く 誤たば 日々に千頭 殺すべし イサナギ曰く 麗はしや 千五百の頭 生まんとて 生みて教える トの道を 受けて治むる 千五百村 トの道徹り 大年の 瑞穂得るなり」(23文)
 参照:言立ち

128、シナワ(しなわ)        
 しなわなる よろのうたかひ かになして 撓(しな)わなる 万の疑ひ 汚和(かに)合(な)して
 ねかひもみつる かみのしめなわ    願ひも満つる 神の注連縄
 (訳) 曲り・惑いである疑いの心で神に祈っても願いは決して叶わない。祈る者の心を勘案し取捨選択するのが締め縄である。

 「表の縄の 結うは去る多の 慎まやか 取往に程を 掛くる枷縄」(フ96)






(私論.私見)