344 気質・気性・性格論

 れんだいこ思想がもし評価されるなら、その気質論によってであると考えている。それほど自負している「れんだいこの気質論」の考究に入る。あらかじめ結論を申せば、ホッブスの「万人の万人に対する闘い」とマルクスの「階級闘争論」の中に「れんだいこ風気質論」を組み合わせた観点を特徴としている。

 これは、次のように言い表せられる。「人は、階級的な社会的諸関係の中にある。しかしこれはいわば客観分析に過ぎない。その階級的社会的諸関係の中にあって人はどう他と区別される個性化、自律化を見せるのかが問われているテーマである。よって、『人は、階級的な社会的諸関係の中にある』は半面の真理であって、残りの半面に言及せずんば何もいっていないのに等しい。

 人は、同一的階級内においては自ずと仲間同士となるのかというとそうでは無い。マルクス主義以降ここに長い間誤解が生ぜしめられてきている。階級的な諸関係とは社会的な生産関係の、それに纏わる物質的基礎を解析したものでありそれ以上の意味を持っていない。故に、階級内の個々の人間関係の対立とか序列とかを無化させる規定ではない。その種の理解は、マルクス主義をしてあまりに平板なユートピア思想に導くものであり、むしろ危険である。

 もう一つ、人は各自の気質と思想の類縁で生活仲間を寄せようとしており、これは階級的障壁を一定越えており総じて越えていないという認識が肝要である。そういう相互関係の中で、ホッブス的『万人は万人に対する闘い』をしており、その過程で他の個人との集団との妥協的調整関係に在る。人は、こうした総合的関係の中で、生活の受苦、遺伝子の連携、生命の充足を、寿命の期間においてある種の摂理に随いつつ人生していく。

 問題は次のことにある。人は各々の歴史をかく刻んで居るが、その歴史を即自的に歩むのか向自的に切り拓くのか止揚せんと創造的に生きるのか、それもまた能力に応じて生活している。そうした人間的諸活動の様々な形態の中で、党派運動が求める政治的形態は、人間的諸能力の最高形態であり、あらねばならぬ。但し、最高形態であるが故に危さとも背中関係に在ることが知られねばならない」。

 「れんだいこの気質論」は動態的であり、その研究はこれからますます盛んになるだろう。れんだいこはそういう意味で没階級的気質論一般にも注目している。但し、世上のものはその限界をも併せて認識していかないと却って有害となることを心得ておくべきだろう。実際には、社会の層としてのあるいは階級としての分析と個々人の気質論、集団の気質論との兼ね合い的理解こそ望まれているのではなかろうか。

 そういう認識を前提として無理やり図式化させると次のような観点が生まれる。気質論のその一として「純個性的な気質・気性論」に興趣が注がれる。その発展系として「血液型社会政治学論」にも興趣が注がれる。気質論のその二として気候風土、地域の「地縁型社会政治学論」も興趣が注がれる。気質論のその三として「民族、国家的な政治学論」にも興趣が注がれる。その四として人類史的な「歴史の歩み的な政治学論」にも興趣が注がれる。

 次のことを付言しておく。「人間の情操というものは、主にその社会的環境によって規定されるもので、決して生物学的遺伝情報に決定されるものではありません。社会学的性格を生物学的用語で説明することには無理があります。その地域の人たちの社会的性格が、生物学的遺伝情報で決定するとのまともな論文があれば、是非見せてもらいたいくらいです」なる発言が罷り通るのは許し難い。あまりにも粗雑な論旨であろう。

 れんだいこは次のように言い換えて訂正しておく。「人間の情操というものは、生物学的遺伝情報に半ば規定され、社会的環境によって半ば規定されている。そのどちらかを選んで決定論にすることは誤りである。社会学的性格を生物学的用語で説明する必要はないし、その逆も然りであろう。

 『その地域の人たちの社会的性格が、生物学的遺伝情報で決定するとのまともな論文があれば、是非見せてもらいたいくらいです』とはこれまた話を飛躍させすぎている。ここで問題にしているのは『個人としての人間の情操』の規定要因であり、『その地域の人たちの社会的性格』ではない。いきなり『その地域の人たちの社会的性格』を持ち出すのは、論法として卑怯であろう。語るのなら別立てですれば良かろう。ちなみにれんだいこが言及すれば、『その地域の人たちの社会的性格』は有るといえば有る。無いといえば無い。見えてくるに応じて理解すればよかろう。その程度のものとして有る、と考える」。


 2002.11.1日、2004.105日再編集 れんだいこ拝




【「純個性的な気質論」】
 人間の気質性向を二項対立で表現することが出来る。これは誰しも程度の問題であり、実際には傾向の度合いで計るのが良い。以下列挙してみる。

 陰性と陽性、消極的と積極的、内面的と外向的、心配性と楽観派、臆病と自信過剰、引っ込みと開放、内助の功型とリーダー型、地味好みと派手好み、訥弁と早口、病弱と精力絶倫、短駆と長身、細身と太身、飲めない口と飲兵衛、下手と上手、器用と不器用、ノロマとセカセカ、優柔不断と積極果敢、熟考型と先走り実行型、潔癖と性タレ、鑑賞派と実践派、


 これらはどちらがどう良いというのでは無い。
 気性、気質、性格、体質
 気質 分裂質と躁鬱質(陽気型−、陰気型)外向性、内向性。軽躁病、躁病。

 気性 気質を土台として子供時代に作られる。
 強気、弱気、勝気
 強気 自信が強く積極的
 勝気 我が強く、負けず嫌いで虚勢を張る。嫌なことがあると胸が苦しくなったり、体の調子が悪くなりやすい。
 弱気 内向的で消極的。
 ヒステリー反応
 逃避傾向
 補償行為
 過補償
 劣等感
 エディックス・コンプレックス(母親への愛情、父親に対する敵意)
 習慣
 性格
 行動様式つまり、考え方、感じ方、活動の仕方で、文化的条件に支配される。習慣によってつくられる。
 カイン的(同胞相克型)コンプレックス
 


林紘義著作集第四巻