「3月4日になると、不思議なことに、それまで臨床尋問にも耐えられないとされてきた児玉誉士夫が、東京地検の取調べを受けた。松田昇検事と小木曽国隆検事が、主治医の喜多村孝一東京女子医大教授の立会いのもとで児玉を取調べ、ロッキード社とコンサルタント契約をしていたこと、報酬として5千万円を受け取っていたことを認めさせた。所得税法違反の時効が3月15日に迫っていた。
2月26日の段階では、児玉邸に派遣された医師団は、口もきけない状態と診断していた。平野貞夫氏は、『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)において、「実際は21億円もの莫大な報酬を受けているにもかかわらず、たった5千万円の脱税ですませてくれるというのだから、立ちどころに治ってしまったのであろう」と書いている。
中曽根康弘幹事長は、3月3日に、前尾繁三郎衆院議長に、「安易に国会議員の氏名を出さないように、各党に善処するよう」要請した。普通は、宇野宗佑国対委員長が、各委員会で徹底させれば済む話であるが、わざわざ前尾議長に申し入れたのは、議長の名前で押さえ込もうという意図であったと思われる。
とすると、中曽根幹事長は、児玉に対する東京地検の取調べがあることを知っていたのではないか、ということになる。児玉の取調べに喜多村教授が立ち会っていることから、地検から児玉サイドに、事前に連絡があったはずである。その情報が、中曽根幹事長に知らされたのだろう。それは、児玉事務所の太刀川恒夫秘書ではないか、と平野氏は推測する。太刀川秘書は、かつて中曽根の書生を務め、深い関係があった。
児玉側から中曽根幹事長に情報が流れるとすれば、その逆もあり得るだろう。とすれば、証人喚問や医師団派遣の情報が、児玉側に事前に伝えられていたとしても不思議ではない。4日の地検の取調べが成功したのを見て、予算委員会は再度、臨床尋問を児玉側に要請する。しかし、太刀川秘書は、「地検の取調べで病状が一気に悪化した」として、臨床尋問を断った。
アメリカ側ではどういう状況だったのか?3月3日(日本時間4日)、アメリカ証券取引委員会(SEC)のヒルズ委員長が、ロッキード事件に関し、「日本への資料提供は、捜査目的に限定し、アメリカSECの調査を妨げないこと」と発言する。さらに5日には、インガソル国務副長官が、「政府高官などの氏名は、司法当局が起訴を決定するまで、公表してはならない。また公表については両国司法当局間での協議が必要である」と明言した。つまり、フォード大統領に親書まで送って「政府高官の氏名を公表したい」とした三木首相に対して、アメリカ側は、「氏名を公表するなら資料を提供しない」と意思表示したのである。
3月5日、中曽根幹事長ら自民党の首脳が集まり、自民党としてのロッキード事件への対応を再検討し、以下のように決めた。①フォード大統領の返書を待って対処し、本会議で政府の所信をただす。日米相互間の内政不干渉の原則を貫く。②事件の究明は、検察、警察、国税等の関係機関において徹底的に行い、国会においては調査特別委員会を設置して活動を再開する。③予算並びに法律案成立に関し、国会審議の促進を図る。
自民党首脳部は、アメリカ側から捜査資料が提供された場合は、「非公開」にするとした。即時公開を表明している三木首相と真っ向から対立する結論である。「風見鶏」と評されていた中曽根幹事長の面目躍如である。自民党が「非公開」の立場をとれば、野党は国会審議に応じないだろう。予算審議がストップし続ければ、三木政権は崩壊する。
3月12日に、フォード大統領からの返書が届く。その骨子は、『アメリカと日本の両国政府が司法間の取り決めを行い、アメリカの捜査当局が保管する関連情報を、非公開(秘密)扱いにして、日本の捜査当局に提供する」というものであり、三木首相と主導権争いをしていた検察の主張そのままであった」。