ロッキード事件の概要1-2(ロッキード事件訴追)

 更新日/2021(平成31→5.1栄和元/栄和3).2.7日

 これより以前は、【ロッキード事件の概要1-1(ロッキード事件勃発)】に記す

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ロッキード事件の概要1-2(ロッキード事件訴追)」を記す。ロッキード事件の性急な誘導のされ方を見よ。これがキーワードとなる。

 2003.9.16日再編集 れんだいこ拝


【ロッキード事件の訴追開始】
 以降、今日から見て我が国の政治には珍しい、強力且つ迅速に国家権力が発動した。こうした例は後にも先にも無いと思われる。つまり、並々ならぬ決意が為されたことが判明する。その意思者は誰か。それはれんだいこにも軽断はできない。しかし、そういう影の存在なくしてはありえないことだけは分かる。これがロッキード事件の胡散臭さ第8弾である。

【日米両政府共同による事件徹底究明の声明】
 1976(昭和51).2.11日、福田一国家公安委員長が、三木首相に「政府は全力を上げて真相究明に乗り出すべきだ」と異例の申し入れ。

 2.12日、井出官房長官が、記者会見で、「外務省に対し、米上院外交委員会の多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)より入手できるあらゆる資料を収集するよう指示した。これには政府高官の名も当然含まれる」と発表した。同日、キッシンジャー米国務長官が、国務省で記者会見し、「金を受け取った外国政府高官の氏名暴露は、その国の安定を乱し、重大な結果をもたらす。政府高官の名前の公表には反対する」とコメントした。

 2.14日、アメリカ上院のチャーチ委員会が、日本に関する未公開資料の一部を公表した。但し、公開された資料には、キッシンジャーの発言通り政府高官を示唆するものは含まれていなかった。但し、ロッキード社のP3C対潜哨戒機とエアバスのトライスター売込みを廻って、丸紅や児玉らに金が流れた証拠としての領収書が公開されていた。

【中曽根幹事長の指示で、佐藤文生がワシントンDCで秘密交渉】
 2.11日朝、中曽根幹事長の指示で、自民党幹部の佐藤文生がワシントンDCに行き、東アジア・太平洋担当の国務次官補フィリップ・ハビブと面談している。 佐藤は、日本政府高官の名前に関する議論に触れ、「自民党は自らの立場を守らなければならない」と述べたと公文書に記録されている。在日米大使館内でも、灰色高官の候補についての分析が行われ、中曽根は現職の党幹部の中で「もっとも脆弱に見える」とされ、「ワシントンで具体的な情報が明るみに出れば辞任となる可能性がある」と同じく公文書に記録されている。(奥山「秘密解除」)

【「児玉領収書」の奇怪さ】
 ところで、いわゆる「児玉領収書」は偽造の疑いがあるとの指摘が為されている。ならば、誰が何の為に偽造したのか。あるいは、児玉の与り知らないところで誰かが児玉名で受け取っていたのであろうか。いずれにせよケッタイナ話ではある。これがロッキード事件の胡散臭さ第11弾である。

 日本生産性本部常任理事、児玉氏とは40年来の親友の白井為雄氏の「ロッキード事件恐怖の陰謀」(暁書房、1977.2.5日初版)が次のように指摘している。
 概要「いわゆるコーチャン証言、フィンドレー証言は、児玉への支払いを明言しているものの、それを証拠立てるものが無い。児玉が発行したと云われている46枚の領収書は、ゴム印、日付印、認印、チェックライター、共々に偽造の可能性がある。現金授受を証言したとされる福田供述にも疑義がある。誰一人物的具体的証拠を明らかにしている者は居ない。未だに児玉ルートの解明は出来ていない」。
 概要「児玉ルートは米国上院多国籍小委員会におけるロ社の前社長コーチャンや、ロ社の会計検査人のフレンドリーや、前東京支社長クラッターらの証言をもって17億円の巨額の金が渡ったと断定されているが、多くの疑惑が有る。どうしても児玉を贈収賄の犯人に仕立てて児玉を社会的にも道義的にも抹殺しなければならない深い事情があったとしか考えられない」。

 白井氏は、以上のような疑惑を述べながら、次のような重大な可能性を示唆している。
 概要「曰くつきの領収書で児玉への鐘の流れを追跡していくと、一番集中しているのは47年の10月末から11月にかけてである。丁度この頃は、11.13日の衆議院の解散、12.10日の総選挙に重なっている。これとの絡みを窺うほうが自然ではなかろうか」。
(私論.私見) 「児玉領収書問題」について
 つまり、児玉が、ロッキード社の秘密エージェントであったことは疑いないが、数次にわたって頻繁に小出し出金されている領収書を精査すると偽造が判明し、少なくとも児玉自身が受け取っていないと看做すべきであると云う。ならば、誰の手に渡ったのか。中曽根ラインが詮索されねばなるまい。あるいは、そもそも出入金の無い捏造文書なのか、そもそもロッキード社の迂回献金であって本国米国へ還流していたのか、ということにもなる。「児玉領収書問題」にはそういう胡散臭さが付き纏っている。

 2005.7.15日 れんだいこ拝

【最重要人物の児玉誉士夫の不出頭届け】
 こうして、児玉への疑惑が取りざたされる中、児玉夫人名の「前尾衆議院議長」宛名の書留封筒が届けられた。開封すると、「不出頭届け」とあり、喜多村教授の診断書「脳血栓による脳梗塞後遺症の急性悪化状態云々」が添付されていた。

 これにつき、「夢幻と湧源」の2009.3.3日付けブログ「ロッキード事件⑥…児玉誉士夫の病状診断」が次のように記している。

 「ロッキード事件では、民間旅客機のトライスターだけでなく、自衛隊の次期対潜哨戒機(PXL)の導入を巡っても疑惑がもたれていた。この件に関して、防衛庁の久保卓也事務次官が、記者会見で、PXLの国産化が白紙還元されたのは、昭和47(1962)年の国防会議の開催直前に、当時の後藤田正晴官房長官、相沢英之大蔵省主計局長が、田中首相同席のもと決めたもので、防衛庁事務当局はその時まで知らなかった、と発言した。この久保発言は、後藤田・相沢両氏から抗議を受けて撤回し、自ら訓戒処分を受けるが、この発言によって、「児玉ルート」と考えられていたPXL疑惑も角栄マターということになっていった。

 ロッキード事件が発覚した2月5日、児玉は既に行方をくらましていた。留守番役は、「3日から伊豆の温泉に行っているが、保養先まで連絡されては気が休まらない、と連絡先を告げずに出かけた」と答えている。チャーチ委員会はアメリカ時間の4日から始まったが、その前々日から、「連絡先も告げずに保養に出かける」というのは、偶然だろうか? ロッキード社から、「秘密代理人」の児玉に対して、「公聴会で名前が出るかも知れない」と連絡があったのではないか? マスコミは、証人喚問前に児玉に取材をしようと必死に探したが、児玉の行方は不明だった。

 12日になると、児玉誉士夫の主治医という東京女子医大の喜多村孝一教授が、「児玉様の症状から判断いたしまして、証人として国会に出頭することは無理です」と記者に語った。児玉は自宅にて加療中で、面会謝絶だという。14日に、児玉誉士夫の妻の「睿子」を差出人とする前尾繁三郎宛の書留封書が届いた。開封すると、児玉誉士夫の「不出頭届」とある。喜多村孝一教授の診断書が添付されていた。「脳血栓による脳梗塞後遺症の急性悪化状態により……」。


【政界の反応/証人喚問その1】

 2.16日、衆議院予算委員会で、ロッキード疑獄についての証人尋問が開始された。これについて、平野貞夫氏は「ロッキード事件」(講談社)の中で次のように解説している。

 「議院証言法(議員に於ける商人の宣誓及び証言等に関する法律)に基く証人喚問制度は人権保護が不十分で、法的な不備が多かった。例えば、正当な理由無しに宣誓を拒否するだけで罪に問われたり、いったん喚問に応じると一切の偽証が罪となる。弁護士も同席させない。叉、黙秘が許されない為、政治テクにも利用されやすかった。実際、昭和40年(1965年)の電源開発問題で自殺者が出たこともあり、この11年間、証人喚問は行われていなかった」。

 全日空ルートで、田中角栄の刎頚の友と云われる国際興行社主・小佐野賢治を始め、全日空社長・若狭得治、同副社長・渡辺尚次、大庭。丸紅ルートで、社長・桧山広、松尾・大久保・伊藤。ロッキード社側で鬼俊良日本支社支配人らが国会に証人喚問され、テレビ中継された。

 午前10時、トップバッターとして小佐野証人の質疑が始まる。約2時間に及び、小佐野氏は、ロ社の対日工作との関係を全面否認した。「記憶にございません」と15回にわたり返答し話題を投げた。小佐野氏は全日空のトライスター選定に関して「工作していない。米国上院の証言虚偽だ」と言明している。

 午前の証人喚問が終わり休憩時間に入った。この時、休憩時間を利用して緊急理事会が開かれ、「児玉の不出頭届け問題」が話し合われた。国会医師団を派遣して「本当に病気」なのかどうか確かめる事になった。

 午後、若狭証人、渡辺証人の質疑に入る。両名とも、概要「トライスター採用に当たって外部からの圧力はなかった。トライスター選定は正当な行為だった」と強調した。証人喚問の模様はテレビで生中継された。日本中が注目した国会中継の視聴率は30%を越えたと云われている。

(私論.私見) 小佐野国際興行社主の「記憶にございません」発言について
 小佐野国際興行社主の「記憶にございません」発言について、当時の報道ぶりと、それに伴う世論は責任逃れの偽証と受け取った。しかし、真実は、「小佐野国際興行社主の真底からの記憶にございません発言」だったのではなかろうか。今にしてそう思う。だとすれば、世論誘導的マスコミの尻馬に乗って正義弁をぶつ癖を改めねばなるまい。

【最重要人物の児玉誉士夫の病床尋問】
「喜多村診断書」の信憑性が疑惑され、児玉を自宅で診察するという衆議院予算委員会決定された結果、慈恵医大教授の上田泰、同大講師の下条貞友、東邦大学教授の里吉栄次郎の3名の医師が派遣されることになった。

 2.16日、病気を理由に国会の証人喚問不出頭を届けていた事件の最重要人物・児玉誉士夫は、世田谷の自宅で尋問(臨床取調べ)が行われた。結果、「重症の意識障害で、口も聞けない状態であり、国会での証人喚問は無理」と報告された。

 この病床尋問の不自然さが暴露されている(目下、資料蒐集中)。
児玉はなぜ病床に隔離されたのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第10弾である。


 元東京女子医大脳神経外科助教授・天野恵市氏は、2001(平成13).4月号月刊誌「新潮45」の手記の中で、この時の裏事情を次のように暴露している。
 意訳概要「国会医師団が児玉邸に調査に行く日の午前、主治医の喜多村医師と天野医師は児玉邸に行き、フェノパールとセルシンをアンプル注射した。この薬には強力な睡眠作用と全身麻酔作用があるので、この注射を打てば完全に眠り込んだ状態になり、診察など不可能になる。案の定、国会医師団の診断結果は、『重症の意識障害で口も利けないから、国会の証人喚問など無理』ということになった」。

 これにつき、「夢幻と湧源」の2009.3.3日付けブログ「ロッキード事件⑥…児玉誉士夫の病状診断」が次のように記している。
 「16日から証人喚問が始まった。トップバッターは、小佐野賢治だった。小佐野は、野党の質問に対して、「記憶にございません」を連発した。「記憶にございません」は、後に流行語になった。今ならば、流行語大賞間違いなしだろう。全日空の若狭社長は、トライスターの選定に関し、小佐野の推薦は受けていないと証言し、渡辺副社長も、機種選定途中で軌道修正はしていず、大庭哲夫前社長の交代も関係ない、と断言した。

 そういう国会の状況の中で、児玉に対する国会からの医師団派遣が、予算委員会の理事会での話題になった。「本当に病気なのかどうか、確かめるべきだ」という野党の主張を自民党も了承した。医師団の構成について、理事会で結論が出ず、前尾衆議院議長に一任する、ということになった。事実上の選考は、平野氏が担当することになる。平野氏は、衆院事務局と提携している東京慈恵会医科大学の医局と交渉することにし、医師団の派遣は、16日中になるか17日の午前中になるかわからないので、それだけの時間を確保できる人を条件とした。上田泰慈恵医大教授、下条貞友同大講師、里吉栄次郎東邦大学教授の3名が選ばれた。

 医師団の派遣をいつ行うか? もし、児玉の主治医の喜多村東京女子医大教授が虚偽の診断書を書いているとすれば、今日(16日)中にそれが確認できれば、17日の予算委員会の証人喚問に間に合う。午後7時には、当日中の医師団派遣が決定し、各医師に連絡がついて、医師団が世田谷の児玉邸に着いたのが午後10時前だった。午後11時過ぎ、児玉を診断した医師団から報告が入った。「重症の意識障害で、口もきけない状態であり、国会での証人喚問は無理……」。驚くべき内容だった。

 平野氏は有名なメモ魔である。自分のメモをもとに、時系列で事象を整理している。
・午後0時11分からの予算委員会理事会で医師団派遣を決定
・午後4時、医師団メンバーが決定
・午後6時前、理事会再開。医師団メンバーを了承
・午後7時、当日中の医師団派遣を決定
・午後10時前、医師団が児玉邸で診断
こういう時系列でみれば、医師団が買収されているような可能性はあり得ず、児玉が口もきけない状態にあることは事実に違いない。

 しかし、児玉の動きは、余りにも出来すぎていた。5日にロッキード事件が発覚した時には、前々日から伊豆へ保養に出かけて連絡が取れなくなっていた。8日に証人喚問が決定したときには、児玉の所在は不明だった。12日に、児玉は自宅で高脂血症の悪化によって自宅で倒れ、診察した主治医の喜多村教授は、「茶飲み話ぐらいならできる」としたが、夜になると「口もきけないので国会への出頭は無理だ」と前言を変える。14日の夕刻には、妻名義で「不出頭届」が書面で送付される。この日は土曜日で、議長が対処できない時間だった。16日には証人喚問が始まるが、児玉の「不出頭届」の精査は、この日に行わざるを得なかった。16日の夜10時に国会から派遣された医師団によって、17日の喚問は不可能と診断された。誰にしても、何らかの謀略があったと考えざるを得ないだろう」。


 続いて、「夢幻と湧源」の2009.3.16日付けブログ「ロッキード事件⑪…中曽根幹事長の『陰謀』」が次のように記している。
 「この時、天野氏が、喜多村教授に、「何を注射するのですか」と聞くと、喜多村教授は「フェノバールとセルシンだ」と答えた。いずれも強力な睡眠作用と全身麻酔作用があるものだ。天野氏が、「そんなことをしたら、国会医師団が来ても患者(児玉)は、完全に眠り込んだ状態になっていて診察できない」というと、喜多村教授は、「児玉様は、僕の患者だ、口を出すな」と激怒して病院を出て行った。数時間後、国会医師団が児玉邸に行き、診察した。児玉は、喜多村診断書の通りで、重症の意識障害下にあり、口も利けないで国会証人喚問は無理ということになった。

 セルシン・フェノバール注射で発生する意識障害・昏睡状態と、重症脳梗塞による意識障害は酷似しており、狸寝入りとは異なっている。血液・尿を採取すれば意識障害が薬物性のものであることを証明できるが、医師団の目的は、児玉の診察であって、薬物性の意識障害を証明することではなかった。

 この喜多村教授による児玉への注射は、誰の意向だったのか? 昭和51年2月16日午前中に、児玉誉士夫の主治医である喜多村孝一教授と天野恵市助教授は、「その日中に、国会医師団の派遣がある」ことを知っていた。その日、医師団の派遣を巡って、予算委員会理事会は紛糾しており、医師団の派遣が決まったのが16日正午過ぎだった。医師団のメンバーが決まったのが午後4時で、医師団派遣の調整をしたのは、平野貞夫氏自身だった。平野氏はメモ魔で、自身のメモをもとに、当日の状況を再現している。意図的に虚構を書く理由もないだろうから、平野氏の『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)に書かれていることは確かな事実と考えていいだろう。

 医師団派遣が16日中と決定したのは、夜の7時だった。ところが、喜多村教授は、午前中にすでに「医師団が本日中に児玉邸に来る」ことを確信していた。児玉誉士夫の主治医は、なぜこのような「機密」を知っていたのか? 誰かが「医師団を今日中(16日中)に派遣する」というシナリオを作り、指示を出し、それを喜多村教授に伝えていたのではないか。夕方には既にマスコミが児玉邸に張り付いていたから、それまでに「仕事」を済ませておくことが必要である。国会派遣医師団が、喜多村教授の違法注射を見抜けなかったのは、喜多村教授の行為を知らなかったからで、喜多村教授が児玉邸に来訪し、注射をしている事実を知っていれば、薬物性の意識障害の可能性についても考慮したと思われる。

 このような「陰謀」の黒幕は誰か? 国会運営を事実上仕切れる立場にいて、児玉サイドとコンタクトできる人間は? 平野氏は、中曽根康弘自民党幹事長(当時)と特定している。与党幹事長は、国会運営の総指揮官であり、すべての情報が集中する。平野氏は、天野氏の手記を見て、中曽根幹事長に対する疑惑を「確信」したと書いている。

 国会医師団の派遣時期はどう決まるか? 野党側は、派遣を16日に行うことを求めており、中曽根康弘幹事長が、「自民党は16日中に派遣したい」と指示を出せば、100%の確率で決まったはずである。3月4日には、中曽根幹事長は、前尾繁三郎衆院議長を尋ねて、『ロッキード事件でむやみに政治家の名前を出さないよう』クギを指している。翌日の5日には、児玉誉士夫は検察の臨床尋問を受けているが、それを事前に知っていたかのような中曽根幹事長の動きである。このことは、児玉サイドの情報が中曽根に入ってきていることを意味している。とすれば、中曽根サイドから、児玉サイドにも情報が流れていたと考えられるだろう。両者を繋ぐのは、中曽根の書生から児玉の秘書になった太刀川恒夫である」。


 続いて、「夢幻と湧源」の2009.3.16日付けブログ「ロッキード事件⑫…中曽根幹事長の証人喚問の茶番性」が次のように記している。
 「児玉誉士夫が証人喚問を受けた場合、最もダメージを受けるのは誰か? それは、児玉との繋がりの深い中曽根康弘幹事長であった。その中曽根幹事長が、積極的に「児玉喚問」を推し進めるというように態度を変えた。何が中曽根の判断を変えたのか?

 結局、児玉誉士夫は、「病気」を理由に、喚問に不出頭ということになった。国会から派遣した医師団も、「児玉が病気で出頭に堪えられない」ことを認めた。医師団が故意に違った診察結果を発表することはあり得ない。それにしても、タイミングが良すぎる病気である。

 メモ魔・平野貞夫氏は、詳細なメモを書いていた。その「平野メモ」と天野恵市氏の『手記」を照らし合わせると、陰謀の実態が浮かび上がってくる。天野氏の手記は、2月16日の午前中の時点で、「医師団派遣が本日中にある」と確信していた。平野メモでは、16日中の医師団派遣が決まったのは、午後7時だった。このことは何を意味しているか?

 児玉を証人として喚問させないための政治謀略があったとしか考えられない。そして、それを仕組めた人物は、1人しかいない。中曽根康弘自民党幹事長である。4月13日に、衆院ロッキード問ダインに関する特別委員会は、中曽根の証人喚問を行ったが、茶番というしかない事態であった。特別委員会の委員長は、中曽根の忠臣の原健三郎だった。そして、原委員長は、委員長でありながら自民党を代表して尋問するという前代未聞のことをやった。中曽根証人の正当性を一方的に証言させるものであった。八百長以外のなにものでもない。

 中曽根は、リクルート事件にも登場する。しかし、この時も、事実上の捜査終了後に証人喚問に応じるという不条理なことをやってのけたのだった。重大な疑獄事件から政治家が逃れることを放置してきたのが、日本の政治であり、司法だったのである、と平野氏は嘆く。「かんぽの宿」で露呈した疑獄の真相も、西松建設の違法献金という大本営発表の流れの中で、闇に葬られてしまうということなのだろうか?

 平野氏は、捜査当局が中曽根への追及を手控えたのは、自民党政権が崩壊してしまえば、政権を担当しうる政党が日本に存在しなくなると恐れたからではなかろうか、と推測している。捜査当局の判断で、被疑者への追及の姿勢が変わってくる事例があった、ということである。平野氏は、捜査当局のそのような姿勢を、エスタブリッシュメントの、勝手な思い込み、驕りと批判している。仮に、現在進行中の西松建設献金問題の捜査手法に、政権交代が好ましくないという思い込みによる影響があるとすれば、それはやはり驕りと批判されなければならないだろう。

 ロッキード事件において、三木首相は「正義の味方」としての立場を演じた。そのハイライトは、「刑事訴訟法47条但書」である。三木首相に、この知恵をつけたのは誰だったのか? 平野貞夫『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)では、衆院法制局のOBの証言として、衆院法制局にいた川口頼好という名前を上げている。ロッキード国会の攻防には、さまざまな形で高級官僚の意向が反映していたということになる」。

(私論.私見)

 本稿中段で、「平野氏は、捜査当局が中曽根への追及を手控えたのは、自民党政権が崩壊してしまえば、政権を担当しうる政党が日本に存在しなくなると恐れたからではなかろうか、と推測している。捜査当局の判断で、被疑者への追及の姿勢が変わってくる事例があった、ということである。平野氏は、捜査当局のそのような姿勢を、エスタブリッシュメントの、勝手な思い込み、驕りと批判している」とある。平野氏がそのように理解しているとしたなら、国際ユダ邪論の欠如の為せる技であり皮相と云うしかない。実際には、「中曽根は仲間ゆえに救う、角栄は反目ゆえに再起不能にするまで叩く」のスタンスで臨んだ国際ユダ邪の意思とシナリオを窺うべきだろう。

 2.16日、ID社のシグ・片山社長が、ロサンゼルスで記者会見し、「ロッキード社に頼まれて領収書を作ったが、資金の流れには関係がない」と発表した。


【政界の反応/証人喚問その2】

 2.17日、丸紅の4幹部(桧山、松尾、大久保、伊藤)が証言台に立った。大久保、伊藤両専務の発言の食い違いが目立ち、取締役を辞任した。

 2.16ー17日の第一次証人喚問が終わると、野党は直ちに第二次喚問を要求した。


【三木首相、布施検事総長の指揮権発動】
 2.18日、三木首相が宮沢外相に対し、「外交ルートを通じてアメリカ側に、全ての資料を日本側に提供するよう要請しろ」と命じた。

 同日、検察も首脳会議を開き、布施健検事総長が次のように檄を飛ばしている。
 概要「アメリカに資料が有り、アメリカで突如勃発した事件だから、捜査が難しいことは、よくわかる。しかし、ここで検察が捜査に取り組まなければ、検察の威信は失われてしまう。みんなで、真剣に取り組もう」(堀田力「壁を破って進め」)。

【検察の反応/異例の熱意】
 検察は、異例の熱意と決意で「ロッキード事件」の捜査に乗り出していくことになる。最高検検事・伊藤栄樹が音頭取りの要となり采配を振るっている。伊藤栄樹のプロフィールは、「東京地検を皮切りに法務省畑を歩いた後、47年東京地検次席検事、50年最高検察庁検事、52年法務省刑事局長、54年法務事務次官、60年に検事総長になった典型的な『充検』のエリート」。この伊藤と国税庁のドン磯辺とがじっ魂の中で呼吸を合わせていくことになる。

 この時の検察庁の布陣は次の通りである。法務省刑事局長・安原美穂、同刑事課長・吉田淳一、同刑事局総務課長・堀田力、捜査主任検事・吉永祐介。検事総長・布施健、最高検次長・高橋正八、最高検検事・伊藤栄樹、東京高検検事長・神谷尚男、東京地検検事正・高瀬礼二、同次席検事・豊島英次郎、特捜部長・川島興、特捜部副部長・石黒久*、特捜部・小林幹男、地検検事・松田昇・田山太市郎、高野利雄(論告求刑)。

 2.10日、検察が捜査着手を表明。「刑事事件として立件できるかどうかを含め、事実を解明する必要がある」。
 
 2.16日、東京地検が捜査準備の検討会。

 2.18日、最高検、東京高検、東京地検による初の検察首脳会議が開かれ、警視庁、国税庁も調査を急ぐ方針を固める。席上、東京高検検事長の神谷尚男が、「ここで検察が立ち上がらなかったなら、20年間、国民の信頼を失う」と鼓舞発言した。

 2.24日、日本の捜査史上初めての三庁合同捜査体制が発足した。ロッキード事件は、この当事者の審理の都合上から、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートの三ルートに分けられて追及されていくことになった。

丸紅ルート (贈賄側)  桧山広会長(事件当時・社長)、松尾泰一郎社長、大久保利春専務(事件当時・専務)・伊藤宏専務(事件当時・社長室長)。
(収賄側)  田中角栄元首相、榎本敏夫・田中利男秘書官
全日空ルート (贈賄側)  若狭得治社長・渡辺尚次副社長・大庭哲夫前社長。
(仲介側)  小佐野賢治国際興業社主。
(収賄側)  橋本登美三郎運輸大臣・佐藤孝行代議士。
児玉ルート (仲介側)  児玉誉士夫。

【警視庁の反応】
 検察の動きに比して、警視庁は困惑していた。その原因は、事件が海の向こうからやってきて、この種の事件捜査の常道である内偵が全く出来ていないうちに事件化していくことにあった。、警視総監・土田国保は、「政治先行、世論主導型事件」であることから慎重な指揮をとった。

 生活課管理官・藤田重広警視をキャップとする「資金流入ルート解明班」が編成された。2.20日、東京地検から一斉捜索の連絡を受け、2.21日頃、警視庁新館5Fにこもって活動し始める。

【「行政調査新聞」の鋭い指摘】
 「行政調査新聞」は早くより「ロッキード事件」に疑惑を投げかけている。以下、同社の 「田中事件の本質とロッキード事件の真相」より抜粋する。
 理解できないのは、捜査側の素早い対応だけではない。普通、疑獄事件捜査は、検察・警察の合同捜査で進められる。捜査の記録は検察・警察ともに二部づつ作られ、それぞれが各一部をもつのが習わしである。だが、ロッキード事件の捜査については、捜査の総括資料が警視庁にないという。警視庁にあるロッキード事件の資料は単なる事件概要資料だけで、捜査二課を中心に百四十余人の捜査員を投入して行ったロッキード事件捜査の総括資料が警視庁にないというのである。

 何故か。その理由は部外者の知るところではないが、釈然としない多くの疑問を感じる。ロッキード事件で逮捕された被疑者は総勢十八人である。その内訳は、東京地検の逮捕十四人、警視庁の逮捕は四人である。疑獄事件の場合、中心人物の逮捕は地検が行っているが、その他の被疑者は概ね警視庁の担当である。にもかかわらず、ロッキード事件については、"合同捜査"の先例を度外視して、十八名中十四名までが東京地検逮捕である。

 捜査の段階と同じく、被疑者の逮捕もなぜか検察中心に進められた。捜査、逮捕で、補助役に回された警視庁は、その他のケースでも無視され続けた。捜査続行中、コーチャン証言に関係したアメリカ側の秘密資料が検察側に届けられた。届けられた資料について、警察側はツンボ座敷におかれた。不公平な扱いに業を煮やした土田警視総監が検察に異議を申し入れた結果 二週問後、検察は秘密資料の写しを警察側に渡したが、資料の重要部分七百ページがカットされており、資料からアメリカ側の秘密事項全般 を読み取ることはできなかったという。検察・警察の対立を恐れた警視庁は、このことについて関係者に緘口令を敷いた。発覚から捜査着手、捜査から捜査の続行、起訴になるロッキード事件の全般 は、まったくの異例づくめだった。

 終始検察中心の捜査で、重要捜査については警察側の介入さえ拒否し、捜査内容の外部流出を検察は極端に恐れた模様である。捜査の段階で、被疑者のしぼりこみ、関係者の一人ひとりの扱い、職務権限の解釈等々で、謎に満ちた多くの具体例もあるが、ここでは省くとして、ロッキード事件の「検察・警察合同捜査」は、実は、検察主導、警察補助協力の捜査だった。

 慣習を無視した検察側の態度は、一体何を意味しているのか。第三者は知る由もないが、このようにして行われた捜査と、捜査結果 によって田中元首相は逮捕され、そして起訴された。法律の定めるところにより、東京地方裁判所は、ロッキード事件丸紅ルートの公判を、五十二年一月二十七日に開始した。検察が裁判所に提出した資料は、前掲した捜査によって得たもので、外部の闖入を一切拒否して作りあげた資料だった。

 ロッキード事件捜査に関し検察側が取った頑なな姿勢は、関係者にとっていまでも深い謎である。検察のこのような姿勢は、後日、ロッキード事件のアメリカFBI謀略説、日中親密化を恐れるソ連国家保安委員会KGBの謀略説、果 ては経済で世界を企むユダヤ資本の謀略説まで取沙汰される原因となった。外国の謀略説はどこまでが真で、どこが偽であるか確かめる手だてはないが、ロッキード事件についてその背後に「巨大な力」があったことは否定できない。

 初公判開始から七年、実に百九十回の公判を重ねて、百九十一回目の判決の日となった。10・12判決は、衆知の通り被告全員有罪の宣告だった。総理の犯罪を裁くとして喧伝されたこの日の判決は、裁判史上消し去ることのできない汚点を残した。判決の法律的解釈は措くとして、判決の意味するところは、正に中世の魔女裁判を思わせるもので、そこには法律の公正性、司法の独立性を窮わせる要因は一点たりとも認められない。

 この判決がいかに欺瞞に満ちたものであったかを証すものとして、判決後に記者会見した検事総長の言葉から読み取ることができる。検察側の勝利宣言であった当日の発言は、検察捜査、公判維持全般 が、「国民の強い支持と支援によって行なわれた」に貫かれていた。この言葉は根底において間違っている。少くとも法治国家の法運用は、法律に従わなければならない。わが国の法体系は三権分立で、司法に対する立法、行政の介入は許されていない。

 検察の立場および裁判も、この法体系から見れば完全に独立した性格をもち、いかなる勢力、権力とも関係してはならない筈のものである。しかるに、検事総長の発言は、明確に第三勢力、すなわち「国民」が関与したことを明らかにしている。では検事総長に問いたい。若し、国民一般が無関心が、反対かの場合、貴方は捜査、公判維持をどのようにしてやるのか、と。

 戦後多くの冤罪事件が法廷史を汚した。ある事件で被告人が裁かれた場合、この裁判が世間の注目を浴びず、また関心を呼ぶものでなかったから波は有罪と断定された。しかし再審裁判は、世間の注目するところとなり、「国民が彼を支持」したから無罪にしたとでも弁解するであろうか。司法の活動は、警察、検察、裁判の全過程で完全に独立したものでなければならない。 捜査、公判が公正であればあるほど、国民の支持も支援も必要としない。

 裁判の目的は「真実の発見と公正な審理」に尽きる。当初から検察による不当な捜査と、不公平な公判運用に振り回されたロッキード事件は、裁判においても同じ扱いを受け、参考人の証言、証拠品の採否についても、検察側の圧倒的優位 のうちに進められた。この不公平な公判運用は、金銭授受に関する証言と証拠物件真贋の鑑定、さらにアメリカから届けられた「嘱託尋問調書」の証拠採用決定に見ることができる。

 二・三の法律的解釈は、次章に譲るとして、10・12有罪判決は、起訴時点の疑惑をそのまま受け継いだ形で進められ、ロッキード事件そのものがもつ多くの疑問、疑惑を一切解明しないまま判決にいたっている。判決直後、法相の経験がある古井喜実氏は、「この裁判は間違っている」と明言し、検察の偏見と独断による公判維持を批難した。検察のいう国民の支持は、同時に、検察の独断とファッショを示す言葉である。果 してこの判決に全面的な支持を与えたのは、全国民であっただろうか。検察の不可思議な捜査、裁判所の検察寄り公判運営に疑問をもち、その結果 として判決に疑念を抱いた者は、検察のいう「国民」の中に含まれていないのだろうか。

 ロッキード事件の10・12判決の背景には、いろいろな力が働いていることは前にも述べた。それが故に、ロッキード事件判決はあのような道理に反したものとなり、「無茶苦茶判決」と批判されるに至ったといえる。国民支持による国民寄りの「判決」は、人民裁判の道理である。検察総長の発言、司法関係者の発言、少なくとも、ロッキード事件裁判が人民裁判であったことを裏付けている。

 民主主義の原点は、国民が「主」であることにある。だが、いくら主であっても、法律という厳粛な世界に、国民が世論という武器を携えて土足のまま入り込むことは許されない。判決後に発表された田中「所感」は、この判決は「政治に暗黒を招く」と述べている。

 田中元首相に限らず、10・12判決をそのまま鵜呑みにすることは、政治はもちろんのこと、社会全般 が暗黒化するかも知れない危険を大いにはらんでいる、10・12判決は、法のありかたを改めて国民に問いかける判決であった。


【国税庁の反応/異例の熱意】
 当時の東京国税局長は磯辺律男(その後、博報堂取締役相談役)であり、最高検検事・伊藤栄樹と呼吸を合わせながら査察部に内偵開始を指示し、特捜部長の川島興にも連絡を取り態勢を整えた。磯辺は、金額明示の無いピーナッツ個数領収書を金銭領収書と見なす裁定指揮を執り、脱税額を確定させた。

 磯辺律男について、新野哲也氏は「角栄なら日本をどう変えるか」の中で、次ぎのようにプロフィールしている。
 「磯辺律男は『大蔵省の事件屋』という異名をとった脱税査察のスペシャリストだった。国税庁査察部長、東京国税局長から国税庁長官になったエリート」。

 この磯辺律男がロッキード事件で果たした得意な役割について次のように述べている。
 「国税局が押収したデータを東京地検特捜部に提供したと伝えられた。国税庁が脱税容疑で回収した角栄の徴税資料を、そっくり地検へ持ち込んだというのである。事実なら、これが角栄を起訴に持ち込む重要な決め手となったはずである。私は、このデータが文芸春秋の編集長だった田中健五を通じて立花隆に渡ったと考えている。『金脈研究』にかかる資料は、国税庁の部外秘書類から抜き出さなければ手に入らない類のものだからだ」。
 2012.2.12日、ロッキード事件で陣頭指揮した磯辺律男(いそべ・りつお、元国税庁長官、元博報堂社長)が腎盂(じんう)がんのため死去、89歳。昭和23年に大蔵省(現財務省)入省。東京国税局長などを経て52年に国税庁長官に就任。同国税局長時代には東京地検特捜部と連携し、ロッキード事件の脱税摘発の陣頭指揮をとった。58年に博報堂社長に就任し、平成6年から12年まで同社会長。全国警察官友の会会長、日本損害保険協会副会長なども歴任した。

【ジェームズ・ホジソン駐日米国大使の国務省公電】
 2.20日、ジェームズ・ホジソン駐日米国大使が、国務省に公電を送っている。
 2010(平成22).2.12日、朝日新聞朝刊一面に、1本のスクープ記事「ロッキード事件『中曽根氏から もみ消し要請』米に公文書」が掲載された。スクープをものにしたのは朝日新聞編集委員の奥山俊宏記者で、米国で公文書を徹底的に読み解き発信した。後に、ロッキード事件を新たな視点から検証してまとめた「秘密解除 ロッキード事件」を著している。スクープの文面は次の通り。
 「ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に『この問題をもみ消すことを希望する』との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると『自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある』という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は『ノーコメント』としている」。
 「中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい(KURUSHII)政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。  さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消す(MOMIKESU)ことを希望する」に変更したとされる》  ちなみに、この公電では、「苦しい」と、「もみ消す」は、その英単語に続いて敢えてローマ字表記の日本語が記されている」。
 奥山俊宏記者はスクープの背景を次のように説明している。
 概要「『検証 昭和報道』という朝日新聞の大型企画の一環で、ロッキード事件を再検証しようということになりました。それで、私は米国公文書館に通って、ロッキード関連の秘密解除文書を探しました。それがMOMIKESUと記された公文書を発見したきっかけになりました。文書は膨大で、且つあちこちに散らばっている。ホワイトハウス、国務省、司法省、国防総省、証券取引委員会、裁判所、議会など機関ごとに文書は整理されているが、それ以上はおおざっぱな目録を見ながら勘を働かせて見当をつけ、根気よく一枚ずつチェックするしかない。その上、歴代大統領にゆかりのある地それぞれに国営図書館があって、ホワイトハウスの内部文書はすべて、そちらに移される。そこへも足を運ばなければならない。 MOMIKESUを中曽根が依頼した文書を見つけたのもフォード大統領図書館(ミシガン州アンアーバー)だった」。
 2012年に刊行された「中曽根康弘が語る戦後日本外交」の中で、中島琢磨が、MOMIKESU発言を問いただしている。それに対する中曽根の答えは次の通り。
 「アメリカ人に対して『もみ消す』なんていう言葉を使うはずがありませんね。私と大使館の間に入った翻訳者がそう表現したのかもしれないが、日本の政局も考えて、仮に摘発するにしても、扱い方や表現の仕方を慎重に考えてくれと伝えたつもりです」。

【国会の反応/異例の速さでアメリカ政府上院に対して資料提供を求める決議案採択】
 2.20日、野党主導により「アメリカ政府上院及び米国政府に対して、政府高官名を含む一切の未公開資料の提供を求める。特使の派遣等を含めた本問題の解明のための万全の措置を構ずべきである」とする「ロッキード問題に関する決議案」が合意された。

 2.23日、衆議院本会議で、野党に押される形で決議案が採択された。これを受け、三木首相は、「異常な熱意」を示し、同日午後、衆院本会議で、三木首相は決意表明に立ち、「フォード大統領宛三木親書」を送るつもりであることを次のように明らかにした。
 「政府高官を含めて一切の未公開資料を提供されるように、私自身からも直接フォード大統領に書簡で要請致します」。
 「国権の最高機関である国会の全会一致の決議は、極めて重い意味を持つものであります。政府は、ロッキード問題に関する決議の意を体し、事態究明のため最善の努力を行うことを、この機会に重ねて表明いたします。なお、国会がこうした異例の措置をとりました国民的総意を十分理解してもらうよう、私自身からも直接、直ちに、書簡をもって、フォード大統領に要請いたします」。

 米政府に対して、政府高官名を含む全資料の提供を要請する「フォード大統領宛三木親書」を認めた。次のような文面であった。
 概要「フォード大統領閣下、去年の夏、私どもは日米両国が永遠の友人であることを確認し合いました。今、両国はロッキード問題とい不愉快な問題に直面しています」。 
 概要「大統領閣下、昨日、日本の国会は重大なる決議を行いました。これを同封し貴政府に伝達します。国権の最高機関たる国会が、こうした異例の決議を行ったことは、それほど日本の国会が、今回のロッキード事件の事態究明を重大視しているからであります。関係者の名前があればそれを含めて、すべての関係資料を明らかにすることのほうが、日本の政治のためにも、ひいては永い将来にわたる日米関係のためにもよいと考えます云々」。

 同夜、東郷大使に打電し、三木首相の「正式文書の到着を待つまでも無く、出来るだけ早く米政府に伝えよ」の指示を伝えた。2.24日、フォード大統領に親書を送り、事件に関係するあらゆる資料の提供を要請している。 

 この経過のエピソードが田原総一朗「田中角栄は『無罪』だった」(「諸君」2201.2月号)で次のように明かされている。
 概要「(評論家の藤原弘達が、私に興味深い話をしてくれた)三木さんから電話があって、電気を消して新聞記者たちを帰すから、その後に首相公邸に来てくれと頼まれてね。仕方なく僕は行った。フォード大統領に、資料をくれという親書を出す直前だったかな。三木さん、僕に、『親書を出すのと、出さないのとどちらがいいと思うか』と言い出した。僕は、とっさに答えに困って、『いい、悪いとはどういうことか』と、ためらいもなく聞いた。あの人、見かけによらず、神経が太いんだよ。そこで僕は、『どちらにしても長続きはしないが、親書を出せば、田中角栄は確実に潰せる』と答えた。三木さん、満足そうにうなずいていた」。
(私論.私見) 「政治評論家・藤原弘達の役割」について
 藤原弘達がダシに使われている様子が分かる。

【三木の親書問題について、大平蔵相の感想】
 三木の親書問題について、大平蔵相は次のような感想を漏らしていたことが伝えられている。しかし、この声が掻き消される。
 「実務者が厳正中立に真相の解明にあたり、真相が解明されれば、司直の手で処断する。これが一番良い解決の道で、なぜ政治のマターにしなきゃいかんのだ。政治はブレーキを踏んでもいけないが、アクセルを踏んでもいけない」。椎名も、「出来るだけ事を荒立てないようにうまく収めるのが円熟した政治家というものだ。特に外国から及んできた政治家がらみの事件は、後世の為にも慎重に対処しなければならない」。

【検察庁、警視庁、国税庁の三庁合同捜査体制による本格捜査が指導する】

 2.24日、検察庁、警視庁、国税庁の三庁は、三庁合同捜査体制を敷き本格捜査に乗り出した。延べ380名を動員して、丸紅本社、児玉、大久保、伊藤の自宅など37箇所を家宅捜索。この時、検事総長・布施健自ら「検察庁としては、今後、全力を挙げて事実の解明に努力する所存である」と声明している。

 2.6日の事件勃発後僅か18日のスピード捜索であり、何とも手回しの良い動きであることが判明しよう。いわゆる基礎がためが出来ていたとは到底思えない。強力な指示で、ターゲットの本命角栄に一刻も早く辿り着かんが為に異例に三庁合同捜査体制捜査が敷かれ、捜査に着手したと思われる。
いずれにせよ空前絶後の国家権力機関の総発動であった。これがロッキード事件の胡散臭さ第12弾である。

 三庁合同捜査体制のあまりに迅速な対応について、
 「田中事件の本質とロッキード事件の真相」は次のように語っている。

 「ふり返ってロッキード事件の経過を検証すると、そこにはロッキード事件でしか見ることができない数々の疑問につき当る。米上院多国籍企業小委員会で、コーチャン・クラッター両ロッキード社関係者が証言したのは、51.2.4日だった。この証言を受けて、検察庁、警視庁それに国税庁が合同調査体制を組んだのが2.24日、そして5ケ月後の7.27日には田中元首相を検察庁が逮捕している。事件発生からわずか5ケ月後に中心人物を逮捕するなどは、従来の疑獄事件に見ることのできなかった素早い対応である。とくに、コーチャンの証言の直後、検察・警察・国税が、一糸乱れぬ 動きを示し、二十日後には合同調査本部を設け、数百人におよぶ捜査員を定めて捜査に着手している。従来の疑獄事件捜査は、事件発覚から中心人物の逮捕まで相当の期間を必要とした。また特別 合同捜査本部の設置は、各庁の意見調整に手間取り短時期内の設置はできなかった。ロッキード事件の捜査では、数々の例を破って、あたかも予定された行動のごとく、検察・警察・国税が動いた。しかも事件が表面化したのは国内ではなく多くの外交的枠組の違いがあるアメリカだった。国内の疑獄事件でさえ、事件の表面化までに相当な期問を要するのに、外国に端を発した事件が、このような短期間に国内の事件に発展した理由は常識的にみて理解できない」。

 新野哲也氏の「角栄なら日本をどう変えるか」で、この時国税庁が果たした役割について次のように述べている。

 「(児玉邸への家宅捜索について)『アメリカで公表された資料以外には何も無かった』という堀田の言葉が真実なら、捜索差押令状を出した裁判所を含め、この時司法当局は異例のスピード捜索を行ったことになる。18日間という時間だけでは無い。380名もの捜査官や査察官を動員した強制捜査に十分な根拠がなかった―という意味でも極めて異例の捜査だったのだ。むろん、警察・検察だけではこんな捜査はできない。裁判所も捜索令状をださなかったろう。容疑が不十分なうえに、家宅捜索したところで贈収賄の証拠が簡単に出てくるとは思えないからだ」。

 「ところが国税当局が絡むと、事情がガラリと変わってくる。脱税容疑なら『納税申告に載っていない収入があった』という疑いだけで国税局は捜査権を行使できる。それに警察と検察がのっかかった。合同捜査にすれば―国税庁の後にくっつといて検察が強制捜査を行い、脱税容疑で一気に起訴までもってゆける。証拠などいらなす。そのときに押収した資料をもとに国税庁が告発すれば、検察はそれを根拠に起訴までもってゆける。裁判では通用するはずもないピーナッツ領収書のコピーも、国税庁が脱税の証拠として裁判所に認めさせた。脱税から収賄をひっぱりだすのはそれほど難しいことではない。締め上げれば、大抵の被疑者は、検察サイドの主張をいったんは呑むのだ」。


 「検察庁と国税庁が組めば、どんな難事件でも、とりあえずは突破口が開かれる。脱税調査権を用いれば、簡単に強制捜査ができるからだ。これに裁判所が組めば『鬼に金棒』である。脱税容疑で強制捜査に踏み込み、検察が起訴して裁判所が検察の言い分を鵜呑みにすれば『検察ファッショ』などすぐにできてしまう。実はそれが、ロッキード事件の基本性格なのである」。

【第二次証人喚問の動き】
 2.24日、三木首相と野党各党合意で、第二次証人喚問の人選が進められた。この時挙げられた氏名は次の通り。田中角栄、後藤田正晴、相沢英之、海原治、大庭哲夫、福田太郎、鬼俊良(ロッキード・エアクラフト社日本支社支配人)、石黒規一、シグ片山(ユナイテッド・スチール社社長)、メリカ在住のアーチボルド・コーチャン、児玉誉士夫、小佐野賢治、若狭得治、桧山広、大久保利春、伊藤宏。

 2.26日、荒船清十郎予算委員長の裁断で、3.1日に児玉、大庭、福田、鬼、コーチャン、シグ片山、若狭、大久保、伊藤の喚問を行う事が決まった。

【児玉関連捜索開始】
 2.23日、予算委員会理事会は、再度児玉誉士夫邸に医師団を派遣することを決定し、国会への出頭が不可能ならば、臨床尋問でも構わないという方針を打ち出した。

 2.24日、東京国税局査察部が東京地検特捜部とともに、東京都世田谷区の児玉私邸など関係個所を脱税の疑いで捜索開始。北海道拓殖銀行築地支店の児玉口座が秘密口座も含めて徹底的に洗われた。1972.10.31日にロッキード社が児玉に4億3500万円支払っており、その一部と思われる1972.11.2日の8200万円入金が確認された。


 後の児玉公判での冒頭陳述で、児玉がロッキード社から得たコンサルタント料は、1972年11億8700万円、1973年1億3800万円、1974年7100万円、1975年2億9950万円の合計16億9550万円とされている。

 3.13日、東京地検が、児玉を所得税法違反で東京地裁に起訴。この頃までは、児玉に捜査の重心が置かれていたことが分かる。

 興味深いことは、児玉宅捜査で、角栄の名刺や年賀状さえ見つからず、「何のつながりもなかった」ことが逆証明されたことであろう。事実、小佐野を通じての間接的な遣り取りならいざ知らず、角栄は児玉に近づこうとせず、従って面識が無かった。これとは対照的に、中曽根はよほどじっ懇の間柄であった。
(私論.私見) 「児玉宅捜査で判明した児玉と角栄の没交渉ぶり」について
 ここも大事なことであろう。右翼の顔をしていながら実は米国系企業のエージェントであったという表と裏の顔を持つことが判明した児玉が懇意にしていたのは中曽根ーナベツネであって、角栄はむしろ反児玉派ともいうべき系流にあり、敢えて挙げれば田中清玄と近い。

 児玉派は60年安保闘争に右翼的に介入したが、清玄派はこれを掣肘しむしろブントに資金提供していた。そういう具合に両派は対立していた。その清玄と懇意であったのが角栄であり、拠って児玉邸に角栄の名刺も年賀状も見つからなかった、ということは頷けることになる。この構図を何人の人が知っているのだろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【三木首相のフォード大統領宛親書】
 2.25日、海部俊樹官房副長官が、「フォード大統領宛三木親書」を議長公邸に持参した。野党、マスコミは、三木首相のこの政治姿勢を評価した。同日、アメリカ政府は、「日本の検事派遣の受け入れ」を正式に了承した。

 これに対し、椎名党副総裁は次のように述べている。
 「三木は、これこそクリーン三木の出番というのではしゃいでいる。あの親書のやり方はおかしい。党内には反発も出始めている。俺は、もう三木とは関係ない。向こうから連絡もないしな」(朝日新聞東京本社社会部「ロッキード事件 疑惑と人間」)。

Re::れんだいこのカンテラ時評681 れんだいこ 2010/03/07
 【朝日新聞のロッキード事件続スクープ、三木首相のキッシンジャーとの秘密交渉】

 2010.3.7日、朝日新聞(奥山俊宏)が、2.12日の「ロッキード事件『中曽根氏がもみ消し要請』 米に公文書」記事に続き同じくメガトン級の「三木元首相、ロッキード疑獄で米に密使 『自民出て総選挙』を示唆 米政府文書」記事を掲載した。
(ttp://www.asahi.com/national/update/0306/
TKY201003060351_01.html)

 「このほど秘密指定が解除された米政府の内部文書でわかった。日米関係の裏面史がまた一つ明らかになった」として、ロッキード事件に纏わる三木首相の怪しげな挙動史実を明らかにした。これを確認する。やはりこういう記事を掲載するのは朝日なんだな。読売、産経、毎日にはできない。格が違う。やっぱり朝日は購読せんといかんな。毎日が面白くなくなったから乗り換えよう。

 2.24日、三木首相は、フォード米大統領宛にロッキード疑惑に関する全資料の提供を求める親書を送った。その2日後、米政府・国家安全保障会議のピーター・ロッドマン氏に、若泉敬(けい)・京都産業大学教授から電話があった。ロッドマン氏の報告文書によれば、若泉氏は「三木首相がキッシンジャー長官との秘密会談にあたらせるため、平沢氏を『個人的な秘密代理人』に指名した」と伝えた。平沢氏は外交官やNHK解説委員を歴任し、三木氏の外交ブレーンだった。若泉氏は沖縄返還交渉などで佐藤栄作首相の密使を務めた人物で、その後も米政府と連絡を保っていた。

 3.5日、三木首相の密使として平沢氏がワシントンでキッシンジャー米国務長官と極秘会談した。国務省の記録によれば、米側は資料提供の条件として「秘密扱い」を求め、平沢氏の同意を得た。両者でフォード返書の文案を検討し、表現をいくつか削除した。

 3.12日、返書が日本政府に届いた。両政府は、米国が資料を秘密扱いで日本の検察に渡すことで、同月23日に合意。捜査や訴訟にのみ使うのが条件で、「法執行の責任を有しない政府機関に開示されてはならない」と規定された。

 4月上旬、資料が届く前、平沢氏はロッドマン氏に電話し、三木首相からキッシンジャー氏へのメッセージを伝えた。「元首相、現職閣僚、与党幹事長のだれかが事件に関与しているかどうか極秘・緊急に知りたい」という内容だった。この際、平沢氏は「米側の返答次第では、三木首相は無党派の改革案を掲げ、内閣からも党執行部からも離れて国民の信を問うという、前例のない選択肢を実行に移すだろう」と述べた。しかし、米側は4月10日、「日本政府と最近合意した手続きによらなければならない」として、要請を断った云々。

 ざっと以上のような内容である。この情報が如何に大事なのか、それは、時の日本国首相が、国際金融資本の筆頭使用人であるキッシンジャーの顔色窺いながら二人三脚でロッキード事件を仕掛けて行った裏舞台があきらかにされたことにある。朝日の先の記事は中曽根の挙動不審を伝えた。こたびの記事によると三木然りとなり、何と時の首相と幹事長が揃ってキッシンジャー指揮下にあり逆指揮権発動したことが判明したことになる。

 且つ更なる犯罪性は、同時期のロッキード事件―ダグラス・グラマン事件に於いて明らかに児玉―中曽根―ナベツネラインの犯罪を濃厚にしていたのに、これを免責させ、敢えて前首相の田中角栄の金権腐敗訴追へと捻じ曲げ誘導し、これに立花隆を筆頭とする御用評論家、マスコミ各紙各誌、日共、社会党、労組が大包囲網を形成し翼賛合唱したことにある。その凄まじさは、カラスが鳴かない日はあっても角栄糾弾の声がしない日はないと云われるほどの喧騒となったことで分かろう。

 ロッキード事件から30年を経過し、こうして次から次へと真相が現れるようになった。誰か、角栄の冤罪の紐を解かんか。可哀そうでならぬ。れんだいこ史観によれば、角栄政治とは大国主政治であった。大和王朝前の倭国時代の日本列島に於いて善政を敷いていた部族連合国家たる出雲―三輪王朝時代の王朝楽土型政治の20世紀後半型復刻版であった。それ故に人民大衆が今も大国主同様に角栄を懐かしむ。その角栄を理不尽に葬った反角栄連合派の醜態をこそ咎めるべきであろう。誰か、こう共認せんか。

 付言しておけば、角栄は戦後日本政治史上のハト派対タカ派抗争軸上のハト派の総帥であった。その角栄が捕縛はがい締めされるに及び日本が国際金融資本にはがい締めされ、今日の如く惨憺たる中国、韓国の後塵を拝する貧相国家となってしまった。戦後日本の社会主義的要素は民営化の名の下に次々毀損され、ハゲタカファンドの餌食にされてしまった。ハト派は内治を重視する。公共事業を重視するのはその為である。タカ派は外治に利用される。公共事業を抑制し、国際金融資本の命ずるままに国富を献上する。

 今まではこう説いてきたが、これからは内資派と外資派に分類しようと思う。外治と云う用語は戦前には当てはまるが戦後には似合わないからである。戦後日本のタカ派には外資派の方がよりぴったりする。今や日本政治は、ハト派(内資派)対タカ派(外資派)が抗争している。新党だろうが旧党だろうが、これでふるいにかければ動きが良く分かろう。

 2010.03.07日 れんだいこ拝

【堀田検事、米国へ派遣される】
 2.25日、アメリカ政府は、「実務的な打ち合わせの為の日本の検事派遣の受け入れ」を正式に了承した。

 2.26日、堀田力・法務省検事局参事官・検事が、検察庁、警視庁、国税庁の三庁一斉強制捜索の二日後に、米国へ派遣された。堀田氏は、半年前、一等書記官として3年半にわたる在米日本大使館勤務から帰国したばかりであった。

 2.27日、堀田氏が、アメリカ国務省で開かれた司法省、国務省、SECなどの合同会議に日本代表として出席し、ロッキード事件の捜査資料提供に関する協議を行った。

【児玉の東京女子医大への隔離】
 2.26日、児玉邸に派遣された医師団から「臨床尋問も無理」との報告が為された。2.27日、児玉は、主治医の喜多村教授の勤務する東京女子医大に搬送される。2.28日、児玉から、再度の診断書付きのの「不出頭届」が提出され受理される。同日、米国籍にして米国在住のコーチャンとシグ片山から出頭しない連絡が入る。 

【衆議員予算委員会で第二次証人喚問】
 3.1日、再開された衆議員予算委員会(委員長・荒船清三郎)で、全日空前社長の大庭哲夫、ロッキード・エアクラフト・アジアリミテッド日本支社支配人の鬼俊良、全日空社長・若狭得治、丸紅専務・大久保利春、丸紅専務・伊藤弘ら9名の第二次証人喚問が行われた。この時、全日空現社長・若狭と前社長・大庭との対決証言が為された。大庭は、トライスターの競争相手であるDC10を買おうとしていたが、M資金(マーカット資金)問題で座を追われた経緯を持っていた。

 「全日空現社長・若狭と前社長・大庭との対決証言」で、大庭が「ダグラス社のDC10を購入しようとしていた。三井物産も立ち会って、昭和45年3月ごろオプションをした。退任の判断をしたとき、若狭と渡辺副社長にオプションの処理を依頼した」と証言したのに対し、若狭が概要「そういう引継ぎの事実はない。DC10は、昭和47年、5、6、7月に立て続けに事故があり採用から外れた。ロッキード社のトライスター導入は純粋に技術的な見地から決められたもので、正規の手続きを踏んでいる。政治的圧力や金銭で決められるものではない」と否定したところがハイライトであった。

 3.3日、中曽根幹事長が、宇野国対委員長を引き連れ、前尾衆議院議長に次のように申し入れしている。

 「ロッキード事件の国会の調査に当たって、安易に議員の氏名を出して誤解を与えることがないように、各党に善処するよ要請したい」。

【東京地検が、児玉の臨床取調べを行う】

 3.4日、東京地検が、児玉の臨床取調べを行う。松田昇検事と小木曽国隆検事が主治医の喜多村教授立会いのもと、取り調べた。1・児玉がロッキード社とコンサルタント契約していたこと、2・報酬として5千万円を受け取っていたことを認めさせた。21億円の報酬が5千万円の脱税で済んだことになる。

 夢幻と湧源」の2009.3.7日付けブログ「ロッキード事件⑧…中曽根幹事長の動き」が次のように記している。

 「3月4日になると、不思議なことに、それまで臨床尋問にも耐えられないとされてきた児玉誉士夫が、東京地検の取調べを受けた。松田昇検事と小木曽国隆検事が、主治医の喜多村孝一東京女子医大教授の立会いのもとで児玉を取調べ、ロッキード社とコンサルタント契約をしていたこと、報酬として5千万円を受け取っていたことを認めさせた。所得税法違反の時効が3月15日に迫っていた。

 2月26日の段階では、児玉邸に派遣された医師団は、口もきけない状態と診断していた。平野貞夫氏は、『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)において、「実際は21億円もの莫大な報酬を受けているにもかかわらず、たった5千万円の脱税ですませてくれるというのだから、立ちどころに治ってしまったのであろう」と書いている。

 中曽根康弘幹事長は、3月3日に、前尾繁三郎衆院議長に、「安易に国会議員の氏名を出さないように、各党に善処するよう」要請した。普通は、宇野宗佑国対委員長が、各委員会で徹底させれば済む話であるが、わざわざ前尾議長に申し入れたのは、議長の名前で押さえ込もうという意図であったと思われる。

 とすると、中曽根幹事長は、児玉に対する東京地検の取調べがあることを知っていたのではないか、ということになる。児玉の取調べに喜多村教授が立ち会っていることから、地検から児玉サイドに、事前に連絡があったはずである。その情報が、中曽根幹事長に知らされたのだろう。それは、児玉事務所の太刀川恒夫秘書ではないか、と平野氏は推測する。太刀川秘書は、かつて中曽根の書生を務め、深い関係があった。

 児玉側から中曽根幹事長に情報が流れるとすれば、その逆もあり得るだろう。とすれば、証人喚問や医師団派遣の情報が、児玉側に事前に伝えられていたとしても不思議ではない。4日の地検の取調べが成功したのを見て、予算委員会は再度、臨床尋問を児玉側に要請する。しかし、太刀川秘書は、「地検の取調べで病状が一気に悪化した」として、臨床尋問を断った。

 アメリカ側ではどういう状況だったのか?3月3日(日本時間4日)、アメリカ証券取引委員会(SEC)のヒルズ委員長が、ロッキード事件に関し、「日本への資料提供は、捜査目的に限定し、アメリカSECの調査を妨げないこと」と発言する。さらに5日には、インガソル国務副長官が、「政府高官などの氏名は、司法当局が起訴を決定するまで、公表してはならない。また公表については両国司法当局間での協議が必要である」と明言した。つまり、フォード大統領に親書まで送って「政府高官の氏名を公表したい」とした三木首相に対して、アメリカ側は、「氏名を公表するなら資料を提供しない」と意思表示したのである。

 3月5日、中曽根幹事長ら自民党の首脳が集まり、自民党としてのロッキード事件への対応を再検討し、以下のように決めた。①フォード大統領の返書を待って対処し、本会議で政府の所信をただす。日米相互間の内政不干渉の原則を貫く。②事件の究明は、検察、警察、国税等の関係機関において徹底的に行い、国会においては調査特別委員会を設置して活動を再開する。③予算並びに法律案成立に関し、国会審議の促進を図る。

 自民党首脳部は、アメリカ側から捜査資料が提供された場合は、「非公開」にするとした。即時公開を表明している三木首相と真っ向から対立する結論である。「風見鶏」と評されていた中曽根幹事長の面目躍如である。自民党が「非公開」の立場をとれば、野党は国会審議に応じないだろう。予算審議がストップし続ければ、三木政権は崩壊する。

 3月12日に、フォード大統領からの返書が届く。その骨子は、『アメリカと日本の両国政府が司法間の取り決めを行い、アメリカの捜査当局が保管する関連情報を、非公開(秘密)扱いにして、日本の捜査当局に提供する」というものであり、三木首相と主導権争いをしていた検察の主張そのままであった」。


 3.4日、アメリカ連邦証券委員会(SEC)のヒルズ委員長は、日本側の資料提供について「捜査目的に限定すること」を条件にすると言明した。さらに、米国上下両院経済合同小委員会で、インガソル国務副長官が、「政府高官の名前は司法当局が起訴を決定するまで公表しないこと」、「その公表については日米政府間協議が必要であること」を資料提供の条件にすると正式表明した。

 3.5日、自民党総務会が、三木首相を同席の上、「ロッキード事件への対応が性急過ぎる」と突き上げている。


 3.9日、中曽根幹事長の指揮下で自民党の首脳会議が開かれ、ロッキード事件の徹底究明路線を堅持すると共にアメリカ側から提供される捜査資料を「非公開」とすることを申し合わせる。


【「フォード大統領返書」が届く】
 3.12日、米大統領フォードの返書が届く。次のように認められていた(「三木内閣総理大臣演説集,81-82頁」)。

 私は貴下の二月二十四日付書簡を受領した。私は、ロッキード社の日本における活動について申し立てられている疑いを遅滞なく解明したいとの貴下の願望を完全にともにしていることを確言したい。米国政府は本件の捜査をさらに進めようとの貴下の努力を引き続き支持するものである。

 国務省は、上院及び証券取引委員会が保有している日本に関連する利用しうるすべての情報に対する貴下の要請を、上院及び証券取引委員会に送付した。私は、貴国政府が上院多国籍企業小委員会からの提供を要請した資料のうち多くのものはすでに提供されていると信ずる。われわれは、証券取引委員会がその調査の過程で収集してきている情報を貴国政府と分ち合うための取極を行う用意がある。

 私は、そのような取極をつくるために、日米両国政府の当局者が遅滞なく会合することを示唆したい。このような手続は、日本からの法執行当局者が米国の法執行当局者と緊密に協力し、米国の捜査・調査機関の保管する関係情報を秘密扱いの下に入手することを可能にしよう。証券収引委員会の法的及び行政的慣行上、調査に関連するいかなる資料もその調査が完了するまで公開しないこととなっている。そのような情報が時期尚早に明らにされることは、その調査を害し、また、米国において究極的にとられ得る法執行措置を害することとなる可能性が十分あろう。そのことは、また、関係する個人が究極的に刑事訴訟の被告人となるか否かにかかわらず、その個人の権利を害することとなり得よう。米国の法制及び慣行上の前記の基本的要件は尊重されなければならない。もちろん、日本の法制及び慣行上の基本的要件が尊重されなければならないことも同様である。この諸原則が保護されるならば、私はわれわれが効果的に協力し得るものと確信している。

 私がここで説明しているような取極は、貴国政府が本件に関する調査を支障なく進めることを可能にするであろう。私は、このような取極が貴下にとり満足の行くものであろうことを希望する。

 総理大臣閣下、私は、本件ができるだけすみやかに解明されることが日米両国の利益にかなうものであるとの貴下の考えに全く同感である。私は、また、腐敗行為についての新しいルール作りが必要であると貴下が述べられたことを歓迎し、そのような行為の除去を目的とする国際合意を作るための米国提案を日本国政府が支特し得ることを希望する。総理大臣閣下、最後に、私は、この不幸な事件が、アジア及び世界の平和と進歩にとって引き続き極めて重要である日米両国間の基本的かつ恒久的な友情を損うことはないと確信しており、貴下もこのことを確信しておられるものと信ずる。


 その骨子は、「日米政府間の司法取り決めに従い、米国側から提供される情報を非公開秘密扱いにする条件で日本の捜査当局に提供する」ことにあった。

 三木首相は、ロッキード問題閣僚連絡協議会と、続いて臨時閣議を開き、「フォード返書」に対して概要「趣旨理解による迅速且つ徹底的な解明」基本方針を定めた。

【「日本調査団」が派遣される】
 3.15日、稲葉法相の鶴の一声で、法務事務次官・塩野宣慶、刑事課長・吉田淳一、刑事局付き検事・渡辺尚・氏が米国に派遣され、ダレス空港に到着。東郷駐米大使の引き回しで、司法長官・E・H・レビ、刑事局長R・ソーンバーク、証券取引委調査部次長キム二ーなどにあいさつ回り。

【「三木首相と司法当局の密談」】
 3月、堀田氏は事件の米側資料の受け取りに必要な司法共助協定締結に向け、当時法務省刑事局長の安原美穂氏とともに、官邸を訪問し、三木氏と会った。このときも三木氏は「起訴はいつできる」などと尋ねたという。(2006.7.26日付け山梨日々新聞「三木氏『いつケリ付く』 ロ事件田中逮捕30年」)

 3.19日、日米間で「司法共助協定」に合意する。3.22日、井出官房長官が、「ロッキード事件に関する日米司法当局の取り決めを、日本時間3.24日午前8時に正式に調印する」と発表した。

Re::れんだいこのカンテラ時評671 れんだいこ 2010/02/12
 【朝日新聞スクープ「中曽根幹事長のフォード大統領宛秘密文書」公開される】

 朝日が久しぶりにメガトン級のスクープをものにした。当の記者は恐らく意図的故意に控えめに記事にしているので、そこを忖度して、何が明らかになったのか「我々の言葉」で推理せねばならない。れんだいこは、かく読み解く。

 2010.2.12日、朝日新聞(奥山俊宏、村山治)が、「ロッキード事件『中曽根氏がもみ消し要請』 米に公文書」記事を配信している。これは、米ミシガン州のフォード大統領図書館蔵の米政府公文書として秘密指定されていた「中曽根幹事長の米国国務省宛秘密文書」が2008.8月に解除され、その内容を朝日新聞がスクープしたものである。文書は、「ジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し」として保存されている。全文は公開されていない。

 この文書が差し入れされた当時の状況は、2.4日のロッキード事件発覚により特捜体制で事件解明が始まった時期にして与野党挙げて政府に真相解明の要求が為され、これを受けて2.18日、三木首相が、「政府高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると表明した喧騒下にあった。

 三木首相表明直後の3.18日晩、中曽根幹事長は、米国大使館の関係者に接触し、次のようなメッセージを米政府に伝えるよう依頼している。文書によると、中曽根氏は、三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある。日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」、「できるだけ公表を遅らせるのが最良」、「この問題をもみ消すことを希望する」と述べている。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書いてあり、中曽根幹事長の幕引き工作の動きを露骨に記している。

 翌19日の朝、中曽根氏は再度会談し、その際「田中と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得た」と明かしている。その上で、「場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と念押ししている。2.20日、当時の駐日米大使・ジェームズ・ホジソンが、中曽根幹事長の意向を国務省宛てに秘密公電として送り、これが長らく保存されていた。秘密指定解除により、こたびのスクープとなった。

 「文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明だ」と報ぜられている。「結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された」ともコメントされている。

 さて、これをどう窺うべきか。れんだいこは、ロッキード事件の根幹に結びつくメガトン級の貴重記事だとみなしたい。朝日新聞記事は、中曽根幹事長が「高官名リスト公表の揉み消し」を図ったことを伝えているが、それは表向きの話であろう。れんだいこの解するところ、この秘密公電の真意は、「中曽根へ嫌疑が向かわないよう、角栄に嫌疑を向かわせるよう」懇請したところにあると思われる。そのやり取りの一端が垣間見える貴重文書とみなしたい。即ち、時の中曽根幹事長が、ロッキード事件捜査の根幹に関わる秘密協定を米国国務省と取り交わしていた動かぬ秘密文書と位置付けたい。しかも、その内容たるや、中曽根自身の嫌疑を角栄になすくろうとしていることが判明する。そういう内容を持つ「当時の中曽根自民党幹事長発言の米国国務省宛て秘密文書」が明るみになった意義は大きい。

 これが中曽根の正体であることが分かればよい。愛国者気取りで今日までつつがなく過ごしているが、中曽根こそが真正の売国奴であり、愛国気取りは正体を隠す覆面に他ならない。これを思えば、愛国者然とせぬままお国に奉公し、ロッキード事件ではがい締めされそのまま閉居させられた真の愛国愛民族者・角栄が気の毒でならない。

 この中曽根式指揮権発動のシナリオに基づき角栄包囲網が発動され、政財官学報司の六者機関が応答したのが、「その後のロッキード事件の動き」となった。となると、いかにも正義ヅラしてヘラルド的に立ち働いた立花、日共とは何者ぞ、ということになる。目白御殿を御用提灯持って包囲した社共、労組の角栄訴追運動の胡散臭さが問われねばならない。角栄糾弾に口角泡を飛ばしたエセ正義者の見識を問わねばならない。

 こたびの小沢キード事件が全く同じ構図で作動していることも考えると、「中曽根、立花、日共の正体見たり枯尾花」でとどまる訳にはいかない。ロッキード事件そのものの再精査が必要となったと云うべきではなかろうか。併せて、現下の小沢キード事件を未だにネチネチと追求せんとしている手合いを、その眼で見ることが必要なのではなかろうか。このシオニスタン連合を一網打尽にせねばならぬのではなかろうか。

 こうなったら国会の証人喚問大いに結構。石川は堂々と所信を表明し、何のどこが問題なのか、責める側の腐敗をも突きながら切り返せばよい。ジャーナリスト松田光世氏が明らかにした政治資金規正法の意味と意義に基づき、虚偽だとする側の知の虚偽を衝き返せばよい。

 松田氏は次のように説いている。

 「入出金は、政治団体の帳簿に記載することが義務付けられているが、収支報告書には、寄付のみを抜き出して記載する。そこには違いがあるのは当然で、そこまで公表すると政治活動の自由が損なわれるという与野党の暗黙の了解の下で、政治資金規正法は運用されてきた。検察は今回、その一線を越えた。入出金をすべて収支報告書に記載しないと現職国会議員でも逮捕、起訴するという検察の方針は、明らかに政治資金規正法の立法の趣旨を逸脱したものだ。検察の言うとおりなら、政治団体の会計帳簿自体の公開を義務付ければいいのであって、わざわざ収支報告書を作って公開する意味はない」。

 凄い指摘だと思う。東京地検よ、答えて見よ。立花―日共流のネチネチウソ詭弁術に比して、一刀で袈裟斬りする鋭さがある。

 2010.2.12日 れんだいこ拝

【「児玉邸に小型飛行機が突入」】
 3.23日、元ポルノ俳優・前野光保が特攻スタイルで小型飛行機に乗り、児玉邸に突入し死亡する。

【日米政府間に「司法共助協定」が調印される】
 3.24日、日本側は野宣慶法務事務次官、アメリカ側は司法省のリチャード・ソーンバーク刑事局長が、「ロッキード・エアクラフト社問題な関する法執行についての日米司法共助協定」を調印した。「資料は捜査や裁判の手続きにのみ使用すること」、「国会に対して開示しないこと」と記されていた。留意すべきは、この取り決めで、「嘱託尋問司法取引」に道が開かれた事であった。

 憲法違反性の強いこの調印に対し、当然の如く野党は反発した。この頃、「ロッキード事件」は既に一人歩きし始めた。

 平野貞夫氏の「ロッキード事件、葬られた真実」は次のように記している。
 「この瞬間、田中角栄の逮捕は確定した。なせなら、この通称『日米司法取り決め』は、田中角栄を逮捕するためだけに作られた条約だからである」。

【「社会党の裏取引」】
 3.24日午後3時、衆議院事務局の実力者・平野貞夫氏が、前尾氏が衆議院議長に就任した時の社会党国会対策委員長・楯兼次郎議員と極秘会談している。三木内閣総辞職を廻る遣り取りが為され、その後で次のような申し出が為されている。平野貞夫氏の「昭和天皇の極秘指令」が次のように暴露している。
 「三木政権のあと、この事態を収拾できる政治家は前尾議長をおいてない。私の恩師の岩井章も前尾さんの人格を尊敬して立派な政治家だといっている。『立場としては野党だが、陰ながら前尾政権をつくることに協力する』とまで云っているのだよ。そこで相談だが、運動資金を出せないだろうか」。

 平野氏は、次のようにコメントしている。
 「驚いたことに、前尾政権をつくるための運動資金の話を持ち出してきたのだ。これが当時の社会党左派の遣り口だった。究極のウルトラCで自民党との連立を果たした村山富市うじらにも、このDNAが受け継がれていたのに違いない」。

【椎名副総裁不明を恥ず/「三木はしゃぎ過ぎ」批判】
 こうした「ロッキード事件」の一人歩きに対して、自らの裁定によって三木首相を誕生せしめた椎名副総裁は、三木首相がロッキード事件を政権維持の道具に使おうとしていると凝視し、その尋常ならざる「ロッキードはしゃぎ」に不快を覚え、三木を首相に指名した責任を痛感し、「三木下ろし」を画策していくことになった。

 3.19日、椎名副総裁が、「財界総理」の土光敏夫経団連会長を訪れ、倒閣の意を伝えるとともに新政権作りの準備工作に着手した。


 3.30日、東京紀尾井町のホテル・ニューオータニの山茶花荘に、椎名自民党副総裁、田中派の二階堂、大平派の鈴木、田中系の小坂が会合し、「政局の転換」について打ち合わせる。椎名は、外相・宮沢の主宰する平河会の集会に出席し、三木首相を「はしゃぎすぎ」と批判し、政局の見通しを次のように語った。
 「三木のもとでの解散は絶対ないよ。絶対にやらせない。解散は秋だ。今国会中に三木がやると云っても、閣議で署名しない閣僚が、一杯出てくる。皆も解散風に動揺してがたがたしないでくれ」。

【角栄の「ロッキード釈明」弁明】

 4.2日、田中は、砂防会館で、田中派7日会の臨時総会で「私の所感」を発表し疑惑を否定した。かく「ロッキード釈明」をしているが、この田中釈明も掻き消されてしまった。角栄の「ロッキード釈明」は次の通りである。

 ロッキード釈明   昭和51年4月2日

 一、国際通貨危機や石油問題の発生によって、国際的にも国内的にも、激動が4、5年続きました。経済の安定、不況からの脱出など、国民が今国会に期待したものは、たくさんあります。我々は戦後20年に終止符を打ち、新しいスタートを切るよう強く求められています。その意味で、私は今こそ、与党、野党を問わず、内外に山積する諸問題と正面から取り組み、具体的な施策を国民に打ち出すべき国会にしなければならないと考えておりました。

 二、しかるところ、ロッキード問題によって、国会審議は完全に停滞し、政局は予想もできない混迷に陥りました。いうまでもなく、ロッキード問題は、徹底的に究明されなければなりません。また私は、真理の解明が必ず為されるものと確信しており、それを心から望んでおります。本件については、すでに日米両国政府の間で、資料の提供など相互協力について合意が得られました。国内捜査権はすでに発動されております。今後の問題の解明は挙げて当局の努力に待つべきであり、それが三権分立を基本とする民主国家の原則であります。我々もまた当局を信頼すべきであります。

 三、政治は今、経済的混迷の中で、景気の回復を軌道に乗せるよう、国民から緊急に求められています。一部では雇用不安、社会不安の発生も予想されております。我々は国民の要請に応えなければなりません。今為すべきは昭和51年度予算案、及び関係法案を一日も早く成立させるため全力を傾けることであります。このため党執行部が明確なる方針を打ち出し、行動に出れば、我が7日会は率先して、これに全面協力すべきであります。

 政府、自民党は今こそ一体になって、この難局処理に当たるため結集しなければなりません。議員個人の立場や派閥の思惑を先行させることは厳に慎むべきであります。政府、自民党に課せられた政治責任を、いかに果たすかという責めに対してのみ、我々は決断し行動すべきであると考えます。

 四、今日、ロッキード問題を廻り、あらゆる揣摩臆測(しまおくそく)が乱れ飛んでいることは、きわめて遺憾であります。しかし真相は必ず解明されます。また、私は自分自身に対し、ひそかに誇りを持っております。各位に置かれましても、今後の政局に臨むに当たっては、自信を持って、堂々と行動されるよう願いたいのであります。

 五、ロッキード問題に関連して、私のことがいろいろ取沙汰され、各位にも少なからず迷惑を掛けていることと思います。私が今日まで発言に慎重であったのは、一党の総裁、とくに一国の代表として公的な立場にあった者は、その職を離れてからも言動に慎重を期さなければならないと判断していたからであります。

 しかし、今日の状況からみて、私がこれまでの状態を続けることは、私自身、政治家としての責任を果たす上で障害になるばかりでなく、各位の今後の政治活動に影響を及ぼしかねないと考えるに至りました。従って、このさい若干の発言をしたいと思います。

 六、昭和47年8月、ハワイで行われた日米両国首脳会談で、ロッキード問題に関して何らかの取引があったのではないかという言動が見受けられます。この会談については、当時発表された「日米共同声明」に、すべてのことが盛り込まれており、私として、これに付け加えるものは何もありません。また航空機の問題については、鶴見・インガソル会談に関する発表がすべてであります。互いに一国を代表する首脳会談の席で、一民間航空会社の問題が議論されるなどあり得るはずもなく、事実、まったくなかったことをあきらかにしておきます。

 七、いわゆる久保発言についていえば、四次防大綱を読み、これを二次防大綱と比較して分かるように、政府がPXLの国産化を決めたことは一度もありません。PXLの輸入か国産かの問題は、我が国最高の専門家が英知を傾けて決定すべきものであります。政治が介入する余地の全くない問題であることは、2月21日、坂田防衛庁長官の「久保発言は事実誤認」という発言によって明確になったと思います。

 
小佐野賢治君は、私の古くからの友人ですが、互いの交際の中で、公私のけじめをはっきりさせてあります。今回の問題は一小佐野君との関連はまったくありません。なお私は、この15、6年間、児玉誉士夫氏と会ったこともなく、公私いずれの面に於いても付き合いがないことは、世間衆知の通りであります。

 八、今回の問題が発生して以来、巷(ちまた)には憶測や独断にもとづく無責任な言動が横行しております。憲法に保障された基本的人権、プライバシーの権利などを論ずるまでもなく、こうした風潮は、真の民主体制を維持し、発展させていく上で、はなはだ憂うべき現象であります。しかし、伝聞、風説、噂、デマなどにもとづく奔流のような言動に対し、ひとつずつ反論を加え、完璧な対応をすることは困難なことであります。時の流れの中で真実が明らかにされることと思います。

 しかるところ、先日、社会党の石橋書記長が遊説先で演説し、私の名誉を傷つける発言をしたことが一部に報道されたことは、ご承知のことであります。一党の責任者の発言として黙過できないので、二階堂代議士を通じただちに抗議したところ、同書記長から、「報道は事実を伝えていない」旨の釈明がありましたので申し上げておきます。

 九、この際、私のいわゆる資産形成について一言いたします。この問題については、公正な第三者による事実調査と確認などの作業が続けられておりますので、結果が確定すれば、これを明らかにし、世の指摘に応え得るものと考えます。

 十、現在、政府も党執行部も局面の打開に尽くしておりますが、本年度予算成立のメドさえ立っていないのが国会の実情であります。我が7日会も、政府、党執行部と渾然一体となり、難局の打開に全力を傾けるべき時を迎えました。国権の最高機関たる国会は、今や、その責任を果たし、国民の負託に応えるべき関頭(かんとう)に立っておると思います。

 我々は、戦後30年の長い間、困難な国政処理に当たり、今日の我が国を築きあげてまいりました。我々は、そうした実績と誇りの上に立ち、全党員一致結束して、限りない前進をすべき時であります。ご清聴を感謝いたします。
(私論.私見) 「角栄の『ロッキード釈明』」について
 今日冷静に見るに、角栄は終生疑惑を否定している。それを居直りと受け取る向きもあろうが、この強い否定の仕方から見て冤罪説は傾聴するに十分に値するのではなかろうかと思われる。

 
今日角栄を擁護する者の中にも、5億円授受をあったとしてそれでも角栄を支持するというスタンスの者が多い。しかし、真実角栄は貰っておらず全くの濡れ衣的冤罪として見直してみる余地があり過ぎるのではなかろうか、というのがれんだいこ見解である。もしこれが真相だったとなると、角栄政界追放過程に荷担した者は、相応の責任を負わねばならないであろう。少なくとも坊主ザンゲで済まそうとするのは虫が良すぎよう。

 考えて見れば、角栄は、民族派的誇りの強い党人派政治家であり、国内の金はともかく外国のエージェント機関から金を貰うことに対しては慎重であった、と考えることが十分可能である。確かに角栄は、金配りの名人であった。しかし、金の集め方にはナイーブであり、それが証拠に財界に頭を下げて出向くことを良しとしなかった。ある種の拘りを持ち、筋道の通らない金の調達を避けており、秘書軍団にも徹底させていたことが明らかにされている。児玉、中曽根の如き口と腹が異なる作風を最も軽蔑する人士でもあった。こういうことを勘案すると、角栄の否定にこそ真実があり得る、と私は考えている。

 
ロッキード社からカネがばら撒かれたことが事実だったとしても、それが誰に渡ったのかまではコーチャンは証言していない。私には、角栄には渡っていない可能性のほうが高いように思われる。後に見るが、現金授受の様子は漫画的且つスリラーもどきであり、当時そのような危ない目をして金を貰う作法は角栄及びその秘書軍団にはなく、仮にそのような受け渡しがあったとしても、意図的に角栄にすりかえられている可能性がある。これが、ロッキード事件の胡散臭さ第13弾である。

 
2005.1.11日 れんだいこ拝

【この頃の角栄の事件感覚】
 中沢雄大著「角栄のお庭番 朝賀昭」のP255が、この頃の角栄の見解を証言している。これを採録しておく。
 「これを受けて三木首相は全容解明を期す為に、『直ちに書簡でフォード大統領に要請する』と表明した。東京地検が米国に堀田力検事ら二人を派遣するなどして、法制度の異なる米国から関係資料を入手した。政府高官のイニシャルは『T』とされ、やがてオヤジさんの名前が取りざたされるようになる。

 佐藤さんは神妙な面持ちで、オヤジさんに尋ねていた。『まさか“T”というのは、アンタじゃないでせうね? ロッキードなんかからカネを受け取っていないでせうね?』。これにはオヤジさんも色をなして怒った。『バカッ。俺がそんなものをもらうと思うかい? そんな外国の航空会社から、なんで一国の総理大臣が一私企業の為に(骨を折り)、金をもらわなければいかんのだ』。『貰っていたなら、政治資金で、ちゃんと処理するので言ってくださいよ』。『俺を信用しろ。絶対にないと言ったらないんだ。全日空の若狭なんて、運輸事務次官時代から知っているが、俺にろくに挨拶もしない。そんな奴とまともに付き合うはずがないッ』。長年の苦楽を分かち合った夫婦のように、言うべきことは毅然と言える間柄なのだ。二人のやり取りを聞いて、私も少し安堵した。しかし、日を追うごとにオヤジさんと田中派の社会的立場は悪化していった」。
(私論.私見)
 これを仮に「角栄と佐藤昭の『T』問答」と命名する。このやり取りから理解すべきは、角栄自身の貰っていない証言の正しさであろう。こういうところを下手に勘ぐって、勘繰らねばならないところを素直に読む、世のへこさま野郎野女と対決せねばならないとつくづく思う。

 2014.7.5日 れんだいこ拝

【児玉CIAエージェント説が漏洩される】
 4.2日、角栄が「ロッキード事件では私は潔白だ」と疑惑を否定した声明効果を打ち消すように、新聞各社は、米国からの児玉情報(「ニュー・リパブリック」誌のロッキード事件レポート)を一面トップで伝えた。次のような情報が流されていた。
 「児玉誉士夫は巣鴨拘置所を出所した1948年以来、CIA(米国中央情報局)と協力関係にあった。最初の接触は米占領軍情報部を通じて行われ、その関係は最近まで長年にわたって続いた。児玉を通じて政府高官に金が流れており、その中にはCIA資金も含まれていた疑いがある」。
 「CIAが行う秘密工作の為に、資金を移すトンネル機関としてディーク社という会社がある。1969.6月にディーク社はロッキード対日工作の為替業者になった。それは、児玉がロッキード社の秘密代理人となった半年後だった。それから1975.1月まで合計27回、総額約830万ドルがディーク社を通じ日本に持ち込まれた。そのうち約700万ドルが児玉の手に渡っていた。ディーク社とCIAの関係は、ワシントンの諜報界で機密扱いだった。日本の極右主義者や政府高官へのロッキードの秘密工作を、CIAは知っていたと思われる」

 同日、ニューヨーク・タイムズが、次のような記事を掲載している。
 概要「ロッキード社の賄賂工作を、ワシントンのCIA本部は、駐日大使館のCIAチャンネルを通じ、1950年代の後半には把握していた。事件が発覚したとき、CIAの東京支局は、その経過について本部と密接に連絡を取り合っていた。全ての動きはワシントンの承認を得て行われていた」。

 同日、ケネディ政権時代の国務次官補・ロジャー・ヒルズマン氏の話として、「日本の一つ以上の政党にCIAからの資金が供給されていると知らされていた」と報じた。

 前尾衆院議長は、平野氏に対し次のように吐露している。
 「政党の背後には複雑なものがある。僕が自民党の幹事長をやっている時も、CIAをはじめ、外国からの資金提供の話がいろいろなところから持ち込まれたものだ。しかし、僕は全部断った。どんなに苦しくても、政治に外国の資金を使ったら終りなのだが、このことのけじめがつかない人がいたということだ」。

【三木首相の執拗な角栄包囲網発言】
 4.3日、三木首相は、記者会見を開き、次のように述べた。
 「疑惑の政府高官が不起訴になった場合でも、その氏名を公表する道は塞がれていない。刑事訴訟法47条の但し書きに、そういう規定がある」。

 角栄の名前公表をちらつかせた牽制であり、両者は一歩も引けない戦いに突入した。

【中曽根ー松野ラインの暗躍】
 4.3日、中曽根幹事長が、「CiA資金の自民党流入説は事実無根である」としても、ニューヨーク・タイムズ紙とロジャー・ヒルズマン、ニュー・リパブリック誌に抗議電報を打つ。

 4.5日、中曽根幹事長の音頭で、与野党5党幹事長書記長会談が始まった。ロッキード問題に関する特別委員会の設置による厳正究明、予算を始め緊要な法律案の審議再開による国会正常化を申し合わせた。

 同夜、自民党の中曽根幹事長、松野頼三政調会長、民社党の塚本三郎書記長、河村勝ロッキード問題調査特別委員長の四者会談が開かれている。

 4.8日、三野党の国対委員長会議が行われ、野党総意として三木首相に党首会談を申し入れている。

 4.8日、衆院予算委員会は、自民党と民社党の二党のもの出席で、昭和51年度総予算を賛成多数(賛成238票、反対17票)で可決した。予算委員会に全会派が出席せずに可決したのは、戦後憲法下の憲政史上初めてのことだった。


【日米で資料取引始まる】
 4.8日、東京地検特捜部資料課長・田山太市郎と米国司法省知能犯課特別検事・ロバート・クラークが、路上で、割符確認のうえで米側資料を遣り取りした。4.9日、米国司法省刑事局長ソーンバークが、「資料引渡し完了」を発表した。米国から持ち帰られた資料は、地検内の極秘金庫に納められ、堀田検事を中心に解読を進めていった。

【米資料で政府高官の筆頭に田中角栄の名前が挙げられる】
 4.10日、アメリカに派遣されていた東京地検が、ロッキード事件の日本関連資料を持って、羽田空港に降り立った。SEC(米連邦証券取引委員会)よりの資料が東京地検特捜部に届けられる。ロッキード社の対日不正工作の全貌を徹底的に調べ上げ、全文2860ページに及ぶ詳細な資料となっていた。その中で、コーチャンが疑獄の構造を証言し、政府高官の筆頭に田中角栄を意味する「TanaKa」を挙げていた。

 これにつき、2006.7.28日付け毎日新聞は、社会欄29面に次のような記事を掲載した。
 「『戦後最大の疑獄』と呼ばれるロッキード事件で、76年2月の発覚当初から、ロ社が対潜哨戒機P3Cの導入を働き掛けた疑惑が『事件の核心』とも指摘されたが、東京地検特捜部が事件化を断念した経緯が、複数の捜査関係者の証言で判明した。

 特捜部は当初、防衛庁幹部らから事情聴取するなど、P3Cを廻る疑惑も捜査したが、同年4月に米国から届いた『政府高官名』を示す資料にP3C関連がほとんど無く、証拠上の理由でトライスター機売り込みにシフトしたという。田中角栄元首相逮捕から30年を経て、事件の謎の一つが説き明かされた」。
 「対潜哨戒機を巡っては72年2月、海上自衛隊の次期対潜哨戒機を国産化すると政府が閣議決定しながら、同10月の国防会議議員懇談会(議長・田中角栄首相)で白紙撤回。74年12月に輸入の方向が強まり、ロ社のP3C輸入につながった。丸紅は72年11月、ロ社とP3Cの売却手数料授受契約を結び、73年7月には児玉誉士夫・元ロ社代理人とロ社との間で、『50機の確定契約があった場合、ロ社は児玉に25億円を支払う』との誓約が結ばれた」。
 「当時の捜査関係者によると、76年2月の米議会での事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めたという」。
 「同年4月、米証券取引委員会(SEC)から提出された全2860ページに及ぶ資料が日本の検察当局に届けられ、この中には『TanaKa』をはじめ政府高官名が記された人脈図などが含まれていたが、P3Cの対日工作を示す資料は見当たらなかったという」。
 「また、児玉代理人の脱税を巡る捜査でも、P3Cに関するロ社側からの資金提供を裏付ける証拠はなく、かなり早い段階で、トライスター機導入を巡る捜査に重点を置いていたという。1機当りの金額は当時、トライスター数十億円に対しP3Cは100億円前後と言われ、採用された場合の導入機数もP3Cの方が多く見積もられ、ロ社にとってP3Cの方が『うまみ』は格段に大きかった」。
 「このため、田中元首相への資金提供があれば、P3Cの受注工作資金との見方が当初あった。一方で、日米安保条約という国策も絡むP3C疑惑の立件見送りは『米国謀略説を裏付ける』などさまざまな憶測を呼んだうえ、『事件の本質に迫れなかった』などとロ事件の評価につながる議論の下地にもなっていた」。
(私論.私見)
 このスクープの意義は大きい。しかし、これを理解しない者も多いだろう。これによると、「SEC(米連邦証券取引委員会)よりの資料が東京地検特捜部に届けられた」ことにより、ロッキード事件は自衛隊の対潜哨戒機P3C購入に伴う贈収賄事件が本筋のところ、全日空の民間機トライスターの購入に纏わる贈収賄事件へと無理矢理誘導されたことが判明する。

 こたびの記事の値打ちは、「事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めた」ことを明らかにしたことに有る。ということは、当初は、東京地検特捜部は、P3C事件の方に関心を示していたところ、SEC報告書によりその方面の捜査を打ち切り、示唆されていた「TanaKa」人脈図の解明に一本化したことになる。

 堀田検事の美談は無論、時の検察、裁判所の裏仕掛けが暴露されたことになる。思えば、この時点から「アメリカつまりユダヤいいなり」になっていたということになる。

 2006.7.29日 れんだいこ拝

【日共が、阿吽の呼吸で「ロ事件関係の疑惑の高官28名リスト」発表】
 日共が、赤旗紙上に「ロ事件関係の疑惑の高官28名リスト」を掲載。但し、断り書きとして「この中には潔白な人間がいるかもしれない」と付している。

 白井為雄氏は、「ロッキード事件恐怖の陰謀」の中で次のように記している。
 概要「日本共産党は正に思想的カメレオンであります。ジギルとハイドの顔と心を持つ二重人格の党であります。特に常日頃、明けても暮れても反米闘争を展開してきた日本共産党が、何故ロッキード事件に関しては、アメリカ側について事件の追及をしているのだろうか。この日共の反米から親米に移行したことに、深い不満と不信をもつことは当然ではないでしょうか」。

【最高検察庁が「角栄逮捕を意思統一」する】
 4.11日、最高検察庁の検事総長室に検察首脳7人、即ち布施健・検事総長、高橋正八・次長検事、神谷尚男・東京高検検事長、龍川幹男・東京高検次席検事、高瀬礼二・東京地検検事正、豊島英次郎・東京地検次席検事、佐藤忠夫最高検刑事部長が集まり、田中角栄逮捕へ向けて意思統一した。

【最高検察庁が「角栄逮捕を意思統一」する】
 4.11日、参議院議員の野末陳平氏が、次のような「ロッキード事件に関する質問主意書」を提出している。
 質問主意書質問第九号 ロッキード事件に関する質問主意書

 右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。

  昭和五十一年四月十九日 野 末 陳 平

  参議院議長 河 野 謙 三 殿


   ロッキード事件に関する質問主意書

 米国上院多国籍企業小委員会でコーチャン証言がおこなわれ、日本がロッキード・ショックにみまわれてから、すでに二ケ月余が経過している。この間、国会や報道で取り上げられたわが国の民主政治の根本にかかわる重大な疑惑は、なにひとつ解明されることなく国民の政治にたいする不信感はつのるばかりである。

一 いまや政府は、検察・捜査当局が現在までの捜査によつて知り得た真実を中間報告として明らかにすることによつて、国民の政治不信をいくらかでも除くよう努めるべきであると考えるが、政府は、その意志があるかどうか、見解を明らかにされたい。

二 中間報告の内容は、現在進行中の捜査の妨げにならない範囲でおこなわれて当然であるが、例えば、これまでの事情聴取はどんな人物に対しておこなわれているのか、これまで国会で問題となつた全日空のL一〇一一導入、防衛庁のPX-L白紙還元などにまつわる疑惑がどの程度解明されたかについては、ぜひ明らかにされたい。

三 二次にわたる国会の証人喚問で証人らの証言のなかには、自家撞着し、あるいは、証人同士の証言が喰い違う部分が少なくなかつたように思われる。これまでの検察・捜査当局の調べのなかで、これら証言が虚偽であることがすでに明らかになつている事実があるならば、これを一日も早く発表し、国会が有する偽証告発権に協力すべきであると考える。政府当局のお考えをお聞かせ願いたい。

四 三木総理は、四月三日の記者会見の席上、灰色高官名の公表について「不起訴の場合でも公益上、必要と認められれば、公表の道がとざされているわけではない」と、刑事訴訟法第四十七条の但し書きを引用しているが、

(イ) この場合「公益上の必要」とはどのような情況を考え、誰がその判断を下すのか、
(ロ) 公表にはどのような手続きが必要か、
(ハ) 実際に高官名を公表するのは誰か、

につき、それぞれ明らかにされたい。

五 政府は、さきの国会の決議を無視して、米国との協定により、米側資料の秘匿を守つているが、近い将来、国会がさらに、灰色高官名の公表を決議した場合、これに従い、ただちに高官名の公表にふみきる決意があるか、見解を伺いたい。
 政府の誠意ある回答を期待する。

  右質問する。

(私論.私見)

 当人は正義ぶっているつもりだろうが、所詮は政治素人の芸能人上がりに過ぎない。安っぽい正義感を利用され、将棋の駒として使われているに過ぎない。野坂昭如然りである。

 2009.1.24日 れんだいこ拝

 4.13日、衆院ロッキード問題に関する調査特別委員会は、中曽根幹事長の証人尋問を行った。ところが、尋問したのは、中曽根の忠臣として知られる且つ特別委員会委員長の原健三郎であった。野党側は児玉や太刀川との関係を追及したが尋問そのものが芝居染みていた。中曽根はこうした八百長尋問により切り抜けた。


【中曽根幹事長の「テレホン・サービス問題」】
 4.13日、日共機関紙赤旗が、中曽根幹事長が選挙区へ流していた「テレホン・サービス」の内容を報道し、物議をかもした。「テレホン・サービス」は次のようなメッセージを流していた。これを「中曽根幹事長のテレホン・サービス問題」と云う。
 概要「3月のある時期から民社党と話し合いし、4.10日に予算を通すという盟約を作った。この功績も責任も全部私に属す云々」。

 これにより、中曽根幹事長は、4.15日、民社党の塚本書記長に文書で陳謝した。更に、同夜、前尾議長を訪ね謝罪した。
(私論.私見) 
 この事件の裏意味は分からないが不自然なことではある。

【5党の呉越同舟の動き】
 4.17日午前10時、衆議院議長公邸で、前尾・河野衆参両議長と三野党党首会談(社会党は成田知巳、公明党は竹入義勝、共産党は宮本顕治)が開かれた。共産党の宮本委員長は国会議員ではなかったが、特段の異議も出ず出席した。午後2時、三木首相と両院議長が会談。午後6時、石橋社会党書記長、不破共産党書記局長、矢野公明党書記長の三野党書記長階段が開かれ、「正常化には厳しい条件を付け、徹底的に三木政権と自民党から妥協案を引き出す」ことで合意した。

 4.19日、衆院議長公邸で、両議長立会いで、三木首相と成田(社会党)、宮本(共産党)、竹入(公明党)の4党首会談。

 4.20日10時30分、「国会正常化に対する衆参両院議長の覚書」が各党に内示され、午後11時、「国会正常化に対する衆参両院議長の覚書裁定文」がまとまり、各党の根回しが続く。

 4.21日午後2時30分、憲政史上初となる衆参両院議長立会いによる5党党首会談が開かれた。この時、共産党の東中光雄議運理事が席順について藤野事務総長に注文をつけている。両院議長に向って右側に三木、春日、左側に成田、宮本、竹入という席にせよとの申し出であった。平野氏は、「昭和天皇の極秘指令」の中で次のように記している。
 「案の定というか、結局、共産党の宮本委員長が『春日君は三木首相の隣り、成田君と竹入君はこっち』という調子で、次々指名して取り仕切った」。

 三木首相が、会談の最後に次のように述べ締め括った。
 「両院議長の裁定内容を前向きに処理し、政党間の信義を守る決意である。ロッキード事件究明は迅速且つ徹底的に進め、政府特使の派遣は多国籍企業全体の問題も任務に加え、法案の審議促進を図りたい」。

 この会談の意義につき、日共が次のように述べている(「2010.1.21日付け赤旗、小沢氏疑惑の究明へ政治的道義的責任含め国政調査権の行使を」)。
 「ロッキード事件が国政の大問題となったとき、衆参両院議長裁定で当時の5党首が会談して合意(1976年4月21日)した項目の中には、『国会は、政治的道義的責任の有無について調査する』という確認があり、これが真相解明へのレールを敷くことになった」。

 4.23日、警視庁刑事部長・中平和水は、東京地検次席検事・豊島英次郎を訪ね、検察当局が米国から入手した資料の一回目の引渡しを受けた。検察が入手した約3千ページの15分の1のコピーで、表紙に「極秘・ナンバー1」と記されていた。表向きは警視庁特別金庫に保管されたが、実際には総監公社へ運ばれ、神奈川県警捜査二課長・兼元俊徳則が抜擢され、翻訳されていった。


【角栄が亡父・角次の13回忌法要のため西山町に2年ぶりに帰省】

 4.24日、角栄は亡父・角次の13回忌法要のため西山町に2年ぶりに帰省した。大勢の支持者を前に次のように述べている。

 「皆さんとお会いできて本当に幸福でありますッ。私はねぇ、百姓の子だから、緊張に対する訓練ができておらんかった。前回の法事は忙しくてやらなかったら、母親は足が痛くなったり、私の口まで曲がってしまったッ。一番高いところに上がれ、と言われたが、上がってみると、なんやかんやと言われるからかなわんね。もう総理大臣になりたいとか。知事になりたいとかの気持ちはありませんッ。少し慎重にやろうと思っているッ」。

【昭和天皇の動き】
 平野氏は、「昭和天皇の極秘指令」の中で次のように記している。
 「ロッキード事件による国会紛糾を『両院議長裁定』で収拾した直後、前尾議長は核防条約の承認を与野党に熱心に働き掛けていった。事実、核防条約は4.28日の衆議院本会議を通過し、5.24日の参院本会議で承認成立した。核防条約の承認は、ロッキード事件で倒れたこの国会で唯一の成果だったのである。6年に亘って国論を二分し、与野党がそれぞれの内で対立を続けていた国際的課題が、一挙に解決することになったのだ」。

【椎名副総裁が「三木下ろし」始め、マスコミが批判する】

 椎名が次のように動いている。5.7日、「機は熟した」として田中前首相と会談、5.9日、大平蔵相と会談。5.10日、福田副総理と会談し、国会終了後の三木退陣で合意をとりつける。この時の椎名の腹の内が次のように明かされている。

 「ロッキード事件がシーメンス事件のように大疑獄の観を呈し、大きな動揺を政財界に与えているのに、首相の姿勢は見ようによっては、まるで水を得た魚のように生き生きと、ほとんどこれを楽しむような気持ちさえみられるのは、大自民党を率いるうえで、いかにも残念なことだ。『一点の惻隠(そくいん)の情さえ見られない』勇み肌の心構えは、政界の最高指導者としていかにも至らざる態度ではないだろうか」。

 しかし、マスコミは、こうした椎名の動きを「ロッキード隠し」と疑い、「おかしな『三木退陣要求の動き』」(毎日新聞)、「三木退陣論の虚構」(朝日新聞)、「理解できぬ自民の『三木退陣要求』」(読売新聞)との論調で、椎名工作を批判した。三木首相は、こうしたマスコミ世論の支持を背景に、「ロッキード疑惑の徹底究明を断行する」、「辞任も衆院解散もしない」と述べ、一瀉千里に田中角栄追い込みに狂奔していくこととなった。

(私論.私見) 「マスコミの変則政治主義」について
 マスコミは、不偏不党的なことを云うが、この時の「ロッキード隠し批判の大合唱」は政治主義ではないのか。当時の記者には責任が有る。今からでも弁明してみたまえ。それが真実正義に基づいておればまだしも、今日的米英ユ同盟のお先棒かついではしゃいでいただけだったらどうする。ペンの責任つうのを少しは考えたらどうかね。それと、いっそのこと各社とも政治主義的対応有りと公言して特徴の有る見解出した方が却ってスッキリするわな。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

 これより以降は、【ロッキード事件の概要1-3(日米合同国策捜査発動)】に記す





(私論.私見)