ロッキード事件の概要1−3(日米合同国策捜査発動)

 更新日/2021(平成31→5.1栄和元/栄和3).2.7日
 これより以前は、【ロッキード事件の概要1−2(事件訴追史)】に記す

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ロッキード事件の概要1−3(日米合同国策捜査発動)」を記す。史上お笑い草となる日米合作国策調査が始まる。これをとくとご覧あれ。

 2003.9.16日再編集 れんだいこ拝


【ロッキード問題調査特別委員会発足】

 5.14日、ロッキード問題調査特別委員会発足。5.15日、超党派議員団(田中伊三次団長)が訪米。


【第77通常国会衆院本会議が満期終了】
 5.24日、第77通常国会の衆院本会議が終了した。通常国会が延長されずに終わったのは戦後初めてであった。
Re:れんだいこのカンテラ時評その95 れんだいこ 2005/09/08
 【角栄のこの声を聴け】

 1976.5.24日、第77通常国会の衆院本会議が満期終了した。通常国会が延長されずに終わったのは戦後初めてであった。この年の2.4日、ロッキード事件が海の向こうから仕掛けられ、日本政界は大混乱に陥っていた。

 れんだいこはちなみに、ロッキード事件とは、児玉ー中曽根ーナベツネ派の悪事を角栄ー小佐野に切り替えて弾劾していった政治謀略であったとみなしている。これに呼応した検察、最高裁、マスコミ、宮顕ー不破系日共の胡散臭き生態をも見据えねばなるまい。

 それはさておき、5.25日、角栄は、ホテル・ニューオータニで田中派の国会終了慰労会パーティーを開いた席上で、次のように挨拶している(現代政治研究会「田中角栄 その栄光と挫折」)。
 「きのうをもって、150日の国会会期は終わりました。こうしてグループを組んでいる一座が、一息ついて『一杯飲もう』ということは、長い日本人の伝統で、いい催しで、ここに日本人の良さがあります。

 私も戦後30年の国会を見てきましたが、150日で終わった例はあまりない。150日は長いが、それ以上延長するという悪い習慣が、だんだん定着してきました。(国会改革の持論をひとしきり述べた後)

 こんな顔ぶれが集まったところで、自由にしゃべれないのだったら、民主主義なんぞ、あったもんじゃありません。いろいろ党内には派閥はあるけれど、オープンなのはわが7日会だけである。時と場合によっては、本当のことが言えなければダメであります。

 戦後30年、悪い慣例ばかりが残って、自民党が『悪い、悪い』と言われるが、悪いばかりじゃない。何万年という人類の長い歴史の中で、日本は退歩することはないし、人類の流れに停滞をもたらしてはなりません。これが政治の要諦です。

 参院選挙は一年前、衆院は6ヶ月前ーそれだけになったら、もう選挙戦は始まったも同然と言われます。これからは、お互いに選挙に当選するために努力しましょうよ。

 (ガラッパチ調に一変して)議席を持たないで、どんなに高い理想を持っていても、社会が悪い、制度、環境が悪い、ロッキードが悪いと言っていても始まりません。議席は自らの努力を持って確保するものなり。

 いよいよ危なかったら、私を呼んでください。人集め、見世物になるから(云々)。あと、どう集票するかは、諸君自らの力だ。こんな時期にガタガタすることはない。自ら国家の求めに応じて任ぜよーです。そのためには、私は見世物にもなる。

 我が派には、西村英一先生、橋本登美三郎先生以下、日本のための政治を推進する自民党の総裁候補はたくさんいる。田中総裁の時は、あまり政治は良くならんかったが、これからは、政治が退歩しないーそんなスタートにしてもらいたい。

 私は今日、皆さんに一杯ずつ注いで、黙って帰ろうと思ったが、つい長々としゃべってしまいました。ご健闘を!30年、ここまで努力してきた日本を、退歩させないこと、そのためには諸君が引き続き議席を確保することーその為に頑張ろう」。
(私論.私見) 「この時の角栄スピーチ」について
 「この時の角栄スピーチ」も又角栄のらしさが随所に出ている。且つ寸分無駄が無く味わい深い。戦後憲法秩序を尊重し、三権分立下の議会制民主主義を称揚し、政権党による責任政治を引き受けることこそ政治家の本領とする立場からコメントしている。

 現在を何万年という人類の長い歴史の流れに於いて捉え、日本の良き伝統をも見据え、「日本は退歩することはないし、人類の流れに停滞をもたらしてはなりません。これが政治の要諦です」と云う。逆に云えば、「戦後30年、ここまで努力してきた日本の今後の退歩」を危惧していることになる。れんだいこには、まことに識見であるように思われる。

 田中派を最も自由闊達な議論の許容された派閥であることを誇っている。自由な議論こそが民主主義の要諦基盤であることを指摘し、「時と場合によっては、本当のことが言えなければダメであります」と断じている。

 ここから先のコメントはもう不要だろう。思えば、こういう歴史眼と政治能力を持つ角栄を日本政治史上から追放したのがそも間違いであった。あれから30年、日本は角栄が心配した通り、途方も無くダメな国に変質せしめられてしまった。

 「改革」という名の下に、ペテン師達によって更に悪い国にさせられようとしている。口先や見せ掛けだけではなく、誰が売国奴シオニスト被れで、誰が愛国愛民族士か見極め、相応しいもてなしをせねばなるまい。

 9.11まもなく結果が出る。小ネズミ政権に群がった一族徒党は崖っぷちに追い込まれている。我々の青票で、稀代の愉快犯首相の結末に相応しい愉快なサプライズ・ピリオドが打たれるだろう。れんだいこは今から楽しみにしている。

 2005.9.8日 れんだいこ拝

 5.24日、第77回通常国会が閉会したこの日、東京地検特捜部が作成した嘱託申立書が、最高裁を通じて外務省に届けられ、ワシントンへと運ばれた。


【日米合同調査の動き】
 この時、奇妙なほどにタイミングよく「日米合同体制」が敷かれている。(詳細割愛)

 以下、新野哲也氏の「角栄なら日本をどう変えるのか」を参考にしつつ論を述べる。この時、日本の司法当局が、次の四点に付き原則を確立しておれば、「ロッキード事件」は不発となったであろう。
 外国における告発や証拠をもって起訴はできない。ましてや一国の元首相に向けてをや。
 反対尋問が不可能な証言は採用できない。
 外国の要請による事件摘発に応ずることは、主権国家の否定に繋がる故にできない。
 「国際謀略」がらみの事件には慎重を要する。

【東京地検の対応】

 嘱託尋問採用問題」で別途論ずる。

 ロッキード闇献金の日本政府高官への贈収賄を立件する為に、贈賄側の取調べが必要となった。東京地検に特別捜査本部が設けられ、贈賄側の裏づけを急ぐことになった。しかし、この場合、贈賄側の主犯であったコーチャン・ロッキード社副社長やクラッター、エリオットらはアメリカにいて、日本の検察機構は手を出せなかった。

 こうして、東京地検の検事(堀田力主任検事ら)を「法務省特使、捜査検察官」の肩書きで渡米させ、コーチャンやクラッターらの取り調べに向わせた。堀田自身の言に拠れば、アメリカ当局は捜査に非常に協力的であった。著書「壁」文中に、「こんなに協力して頂けて、日本の法務省も検察庁もどんなに喜ぶことか、想像できません」と感謝の言葉を述べた、とある。しかし、更なる捜査を押し進めるためには、越さねばならない法的「壁」があった。

 東京地検は、外国の裁判所に対して証人調べを依頼しようとする。ところが、わが国の刑事訴訟法には、外国の裁判所に対して証人調べを依頼する明文規定がなかった。となると、「明文に無いことはできない。この原則は崩してはならない」(石島泰弁護士)となり、捜査は暗礁に乗りあがるべきところであるが、この時の検察は、何かに憑かれたようにいともたやすくこれらの難問を突破せしめて行くことになる。

 この当時、検察は安原美穂氏が刑事局長をしていたが、同氏の指揮の下に、米国の裁判官による証人尋問を、司法・外交ルートを経由していわば強引にこじ開けていくことになった。この時、安原氏とアメリカ側との間にどのような気脈が通じていたのか知る由も無いが、アメリカが望む通りに司法担当者を差し向け、望む通りに米国の裁判所に証人尋問を嘱託していくことになる。

 その経過はこうである。東京地検は、刑事訴訟法上の裁判官による起訴前の証人調べの制度を利用していくことになった。この時、「コーチャンらがもし黙秘権を行使して証言を拒んだ場合であっても、同人らに対し『起訴しない』という約束をして証言させるように」という「不起訴約束による供述誘引」策を便宜した。

 布施検事総長と高瀬東京地検検事正が連名で不起訴宣明した(「第一次宣明」)。その文面には次のように記されていた。

 「証言内容又はこれに基づき入手する資料中に、仮にな日本国の法律に抵触するものであるとしても、証言した事項については右各証人を起訴しないことを宣明する」。

 これが嘱託尋問といわれるものであるが、その手法的是非が詮議されるべきであったにも関わらず、論ずるよりも行動を先走らせることになる。この「嘱託尋問問題」は、ロッキード事件の胡散臭さ第14弾である。

 この手法は、米国では法律に明文規定がある。但し、一方的な「刑事免責」を保証した上での証言という「刑事免責」(イミュニティ)は、法の公平性を欠く強引な取り調べ方法であるので、被疑者やその弁護人による反対尋問権を行使させることを要件とする等厳重な制約の下で認可されている。法治国家の筋としてそうなるべきであろう。

 ところが、この時東京地検は、「反対尋問権無き起訴免責による嘱託尋問」という、凡そ法の精神に反し法治国家に相応しくない前代未聞のやり方で「コーチャン証言を引き出していくことになった。
「反対尋問権無き起訴免責による嘱託尋問」の形にしてまで突っ走った「背後の意思」は何であったのだろうか、これがロッキード事件の胡散臭さ第15弾である。


【米国地裁の対応】

 米国地裁の裁判官は更に役者が上であった。この嘱託尋問を行う係りとして、カリフォルニア州中央地区連邦地方裁判所によりケネス・N・チャントリー(上級裁判所退任判事)を執行官、副執行官に司法省特別検事ロバート・クラーク、連邦検事キャロライン・M・レイノルズを任命した。チャントリー執行官らは、コーチャン、クラッター、エリオット等を裁判所に出頭させた。だが、コーチャンらは、うっかりしゃべると贈賄側として日本で刑事訴追を受ける恐れがあることを理由に証言を拒否したと伝えられている。

 裁判所判事ウォーレン・J・ファーガソンは、コーチャンらの証言を採取した上で、日本に「刑事免責」制度が無いことを踏まえた上で、「この不起訴の約束によるコーチャンらの証言調書の引渡しには、日本の最高裁のオーダー又はルールを必要とする、それがあるまで証言調書は引き渡さない」と、東京地検にドッジ・ボールを投げ返している。これを仮に「ファーガソン裁定」とする。

 つまり、検察の「不起訴宣明」だけでは安心ならず、最高裁のそれを取り付けよという念の入れ方である。いかに「異常な刑事免責制度を押し付けようとしていた」か、米国側は熟知していたということになる。


【藤林益三が最高裁長官に就任】
 5.25日、 藤林益三・最高裁判所判事(1970.7.31日就任)が最高裁長官に就任する。1977.8.26日、最高裁判所長官を退任、同11.3日、勲一等旭日大綬章受章。

 藤林氏の履歴概要は次の通り。

 1907.8.26日、京都府船井郡五ヶ荘村田原(後の南丹市日吉町)出身。実家はまゆから糸を採ったり、材木を川で京都に運ぶ仕事をしていた。家業が衰え、父が亡くなり、3歳で園部村の叔父宅に母、姉一人と一緒に引き取られた。郷里の篤志家の援助で、園部尋常高等小、京都三中(後の京都府立山城高等学校)、第三高等学校、東京帝国大学。1931年、東京帝国大学法学部を卒業後、1932年に弁護士登録。協和銀行、日本興業銀行の顧問弁護士を務め企業法務の弁護士とした活躍する。「破産法の権威」、「会社更生の達人」として業界で知られる存在となる。東京都労働委員会公益委員を務める。1970.7.31日、最高裁判事となる。1976.5.25日、第7代最高裁判所長官に就任。「初の弁護士出身の最高裁長官」となる。長官としての任期は、定年まで残された1年数ヶ月のみの、いわばショートリリーフだった。直後、渦中のロッキード事件で、アメリカの贈賄側の調書を入手するために検事総長が確約した関係者の不起訴を、最高裁としても保証する異例の「不起訴宣明書」を提出している。検察がロッキード社のコーチャン元社長に向けて「捜査の結果、たとえ日本の法律に触れる行為が判明したとしても起訴しない」と予告する『不起訴宣明』について、起訴便宜主義(刑訴法248条)を不当に拡張するものではないか問題となったが、最高裁は「公訴権は検事にある。検事が起訴しないとアメリカ側にした約束は永続性を有する」とする裁判官決議を出した。1977(昭和52)年、70歳の時、「津地鎮祭違憲訴訟」(神社行事への公金支出と政教分離)の裁判長を務め、異例の最高裁判所長官としての反対意見を出している。津市による地鎮祭主催は政教分離を定める憲法違反との立場を執った(藤林・団藤など違憲派5人、合憲派10人)。後に、彼は、「自らの法律家としての人生は、まさに、この判決のためにあったようなもの」と回述しているほど、この判決の執筆に力を入れたと言われる。1977.8.26日、 最高裁判所長官を退任、同11.3日、勲一等旭日大綬章受章。 2007.4.24日、稲城市の病院で心不全により死去(享年99歳)。

 夫人は明治の文豪、巖谷小波の末娘。熱心な「無教会主義キリスト教」の信徒であり、毎日曜に「東京聖書読者会」で聖書研究会を続けていた。
(私論.私見) 
 この時期の藤林最高裁判事の最高裁長官就任は通常人事だったのだろうか。「無教会主義キリスト教」とはネオシオニズム系のユダヤ教徒に近い線である。

 2011.7.29日 れんだいこ拝

【最高裁の対応】

 東京地検は、「ファーガソン裁定」を受けて、日本の最高裁に「不起訴宣明書」を出すよう促している。最高裁は、ここでもその手法的是非が詮議されるべきであったにも関わらず、論ずるよりも行動を先走らせることになる。経過不明であるが、すぐさま藤林益三最高裁長官以下15名の最高裁判事全員一致による「不起訴宣明書」を提出している。次のように宣明されていた。

 「右確約が将来にわたり我が国のいかなる検察官によっても順守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する」。

 その意味するところは、「証言内容に偽りがあっても、偽証罪の告発を受けないという保証付与」であった。アメリカの国内法では偽証責任が問われるが、日本の最高裁の「不起訴宣明」があれば、日米間の司法取決めにより、証人が偽証した場合でも咎められることが無い、日本の裁判所はアメリカ側に偽証かどうかを確かめることが出来ないという裏付けを与えたことになる。つまり、「不起訴宣明書」は、偽証免罪符的な免責効果を持つ異例の逃げ道を用意したことになる。恐るべき違法脱法行為と云えよう。

 
こうした東京地検と最高裁と米国裁判所の遣り取りは、全く「違法を正すべき職責を任務とする機関の対応としては自制すべきであった」が、結果的にこうした不当な手法を合意させ、ごり押しのまま米国裁判所にコーチャンらの証人尋問をさせることに向かった。
この「不起訴宣明」経過は、「アメリカと日本の司法官僚の出来レース」ぶりを物語っており、ロッキード事件の胡散臭さ第16弾である。

(私論.私見) 「最高裁の不起訴宣明書」について
 恐怖せねばならぬことは、これらのいずれもが法の番人の世界で起こった取り締まり側からの法の蹂躙であるということである。この経過は、法の建前というものが、ここ一番になると如何に政治主義的にかなぐり捨てられるのかを語って余りあるであろう。ちなみに、角栄死去後の榎本らの上告審では、最高裁は嘱託尋問調書を証拠から排除している。それを思えば、極めて政治的な動きを見せたことが裏付けられる。

 
ちなみに、逆の事例を考えてみれば分かりやすい。コーチャン等の嘱託尋問のようなことが仮にアメリカから日本に要請されて、日本の裁判官が日本にいる日本人に対して将来ともアメリカの法廷に出廷しなくても良いからと保障して尋問調書を作った場合に、アメリカの法廷がそのような調書を認めることがあるであろうか。蛇足であろうが、絶対にない!。

 奇妙なことは、この時の尋問事項があらかじめ田中総理との絡みに設定されている節がある。更に奇妙なことは、コーチャンの答弁は「5億円は丸紅に渡されたが、その先が誰に渡されるのか、はっきりしなかった」と述べているにもかかわらず、コーチャンが角栄への贈賄を証言したとフレームアップさせられ、波紋を広げていくことになったことである。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

最高検検事伊藤栄樹の当時のコメント
 最高検検事・伊藤栄樹は、当時次のようなコメントを発表している。
 「ロッキード事件は、世界各国にまたがる国際的な疑獄だった。ロッキード社は、オランダのユリアナ女王の夫君であるベルンハルト殿下やイタリアのタナツシ国防相をはじめ、約10ヶ国にのぼる首脳に賄賂を贈ったと伝えられたが、的確に処理したのは日本だけです。日本の検察の威信は、世界的にも評価されはじめている」。
(私論.私見) 「伊藤栄樹のコメント」について
 なんと云う「呆け方」だろう。諸外国は、胡散臭さを感じ取り自制した訳であり、馬鹿げた「不起訴宣明」に手を染めなかっただけのことであろうに。とはいえ、伊藤栄樹はこのおべんちゃらの功で出世階段上り詰めていくことになる。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【今日なおこの時の情報不開示の奇怪】

 なお、この件につき最近2002.5.23日付けの日経新聞に興味深い記事が載った。以下転載する。

 「ロッキード事件で、コーチャン氏ら関係者三人の嘱託尋問調書を巡り、刑事免責を伴う『宣明書』を最高裁が出した際の裁判官会議録などについて、大部分を不開示としたのは知る人ぞ知る権利の侵害として東京都内の団体職員の男性(41)が22日、国に慰謝料など130万円の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。

 訴状によると、男性は2001.5月、最高裁が1976.7月に開いた裁判官会議録や、宣明書に関し法務省、検察当局、米国の裁判所と折衝した記録など4件の文書開示を請求した。しかし、最高裁は同月、一部を除いて不開示を決定した」。

 最高裁広報課「個別具体的な事件についてのコメントは差し控えたい」。
(私論.私見) 「最高裁の不起訴宣明書経緯」はなぜ明らかにされないのかについて
 こうして、今に至るも、「最高裁の不起訴宣明書経緯」は明らかにされない。つまり、今日なおこの時の最高裁の奇妙な動きについて公表為し得ないと云う立場を取っていることが判明する。何故なのか。この時の最高裁、検察、法務省等司法当局は、未だ自己切開為し得ないほど変調な軌跡を描いたということであろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝
 
Re::れんだいこのカンテラ時評682 れんだいこ 2010/03/09
 【小沢キード事件を逆手に取り、ロッキード事件の闇を追撃せよ】

 歴史は摩訶不思議である。東京地検特捜部は、ロッキード事件の再来的な小沢キード事件を仕掛け、こたびは初めて一敗地にまみれた。第二弾を画策しつつあるようだが、そうは思い通りには参らぬ。れんだいこは、こたびの小沢キード事件を逆手に取り、ロッキード事件の闇を追撃せんと思う。こうすることにより、小沢キード事件の謀略性を露わにしたいと思う。人民大衆的に検察捜査の特徴を見破り、二度とこの手の国策捜査ができないようにしたいと思う。
 
 具合が良いことに朝日新聞の連続スクープ「ロッキード事件『中曽根氏がもみ消し要請』米に公文書」、「三木元首相、ロッキード疑獄で米に密使 『自民出て総選挙』を示唆 米政府文書」が出てきた。これにより、ロッキード事件における時の首相、幹事長が名うてのプロ陰謀家キッシンジャーの掌のままに踊らされていたことが判明した。こうなったら、朝日が連続するか、どこの新聞社でも良いから次のスクープに向かわねばならない。これを伝えておく。但しちと手強い。

 ロッキード事件の闇でまだ解明されていないことがある。たくさんあるが双璧のド級のものを挙げておく。一つは、嘱託尋問によるコーチャン証言に対する布施検事総長と高瀬東京地検検事正が連名で出した「不起訴宣明」、続く最高裁の「不起訴宣明書」の怪である。同書は、「右確約が将来にわたり我が国のいかなる検察官によっても順守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する」と認めている。

 これによれば、「仮にコーチャン証言の内容にウソ偽りがあっても、偽証罪の告発を受けない」という奇怪な保証付与となっている。日米間の司法取決めにより、証人が偽証した場合でも咎められることがないと云うのだ。こんな裏取引で角栄は嵌められたことになる。この「不起訴宣明」経過は、「アメリカと日本の司法官僚の出来レース」ぶりを物語っており、ロッキード事件の胡散臭さの動かぬ証拠となっている。

 恐怖せねばならぬことは、これらのいずれもが法の番人の世界で起こった取り締まり側からの「上からの法の蹂躙」であるということである。この経過は、法の建前というものが、ここ一番になると如何に政治主義的にかなぐり捨てられるのかを語って余りあるであろう。ちなみに、角栄死去後の榎本らの上告審では、最高裁は嘱託尋問調書を証拠から排除している。それを思えば、極めて政治的な動きを見せたことが裏付けられる。

 かくて、このような段取りを経てコーチャン証言が始まった。奇妙なことは、この時の尋問事項があらかじめ角栄との絡みにのみ設定されている節がある。更に奇妙なことは、コーチャンの答弁は「5億円は丸紅に渡されたが、その先が誰に渡されるのか、はっきりしなかった」と述べているにもかかわらず、コーチャンが角栄への贈賄を証言したとフレームアップさせられ、波紋を広げていくことになったことである。実にマスコミの言論大砲の威力は大きい。

 この件につき2002.5.23日付けの日経新聞に興味深い記事が載った。それによると、「ロッキード事件で、コーチャン氏ら関係者三人の嘱託尋問調書を巡り、刑事免責を伴う『宣明書』を最高裁が出した際の裁判官会議録などについて、大部分を不開示としたのは権利の侵害として東京都内の団体職員の男性(41)が22日、国に慰謝料など130万円の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。訴状によると、男性は2001.5月、最高裁が1976.7月に開いた裁判官会議録や、宣明書に関し法務省、検察当局、米国の裁判所と折衝した記録など4件の文書開示を請求した。しかし、最高裁は同月、一部を除いて不開示を決定した」とある。この方は今頃元気にしているだろうか、気になる。

 こうして、今に至るも、「最高裁の不起訴宣明書経緯」は明らかにされない。つまり、今日なおこの時の最高裁の奇妙な動きについて公表為し得ないと云う立場を取っていることが判明する。何故なのか。この時の最高裁、検察、法務省等司法当局は、未だ自己切開為し得ないほど変調な取引に応じたということであろう。この取引を支持する側で群がった者がその後順調に出世し、逆は登用の道を閉ざされた。これはマスコミ界も然りである。今日、ロッキード事件で角栄糾弾のペンを逞しゅうした者ばかりが出世し、逆の者は窓際に追いやられたり退職の道を敷かれた。

 長くなったので以上でとどめる。というか連れが誘いに来たのでこれで止める。まだ大きなのがあるが次回とする。

 2010.3.9日 れんだいこ拝 

【田中角栄逮捕の経過と概要―ひたすら田中逮捕へと誘導されていくことになった】

証人喚問が始まる
 6.2日、「衆議院ロッキード問題に関する調査特別委員会」で証人喚問が始まり、6.24日まで6回、延べ12名の証人を喚問した。

 6.3日、政府が、ロ社の3幹部に免責保証を決定。


【三木首相と安原刑事局長が謀議
 6.5日、日本経済新聞夕刊は次のように伝えた。(秦野章・氏の「角を矯めて牛を殺すなかれ」参照)
 「この日の正午過ぎに、法務省の安原刑事局長が、東京南平台の私邸に三木首相を訪ね、コーチャン氏らロッキード社関係の社員証人の免責問題について、『日本では免責制度はないが、起訴猶予処分の枠内で事実上免責する方向でアメリカ連邦地裁と現在交渉中である』と報告した。これに対し、三木首相は、『法律の枠内で処理するなら、法務、検察当局に任せる』と述べ、事実上ロ社三証人の免責を認める考えを示した」。

 これに対し、秦野章・氏は、次のように批判している。
 概要「首相が刑事局長を自宅に呼んで指図することは本来あってはならない。首相は法務大臣と協議するのが筋である」。
(私論.私見) 三木首相の職務権限過剰行使について
 これこそ三木首相の職務権限過剰行使として問題にすべきではなかろうか。

 2006.3.19日 れんだいこ拝
 

【田原論文「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」登場】
 6.10日、田原論文「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」が月刊誌中央公論の1976年7月号に掲載された。その発売日がこの日である。
(私論.私見) 田原論文登場の日時考
 田原論文「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」は6.10日発売の中央公論の1976年7月号に掲載されている。それは7.27日の田中逮捕の約1カ月半(47日)前になる。田原は後年、この論文について次のような説明をしている。
 「田中角栄はオイルメジャー依存からの脱却を図って、積極的な資源外交を展開した。そのことがアメリカに睨まれて、アメリカ発の『ロッキード爆弾』に直撃された、という問題提起であった」。
 しかし、この説明はオカシイ。6.10日以前に「『ロッキード爆弾』に直撃された」と記していることになるが、この時点では田中角栄逮捕はまだ見えていない。即ち、逮捕予見が不自然に早過ぎる。どういう事情、情報によるものなのだろうか興味津々。

【福田太郎急死する】
 6.10日、ロッキード社と児玉を繋いだ通訳の福田太郎氏が肝硬変となり急死した。福田氏の死亡は、児玉ルートの捜査を困難にさせた。

新自由クラブ結成される
 6.14日、河野洋平山口敏夫ら自民党議員6名が「自民党は長老支配のもと密室的な権力闘争に終始している」と批判して離党、

【検事総長室で田中逮捕が決定される】
 6.19日、検事総長室の定例会議の席上、検事総長・布施健、高橋、東京高検検事長・神谷尚男、東京地検検事正・高瀬礼二による四者会談で、田中逮捕を決定した。「Xデー」を6.22、23、25のうちに決め、最終選択は東京地検の判断に任された。この時点で、嘱託尋問の成果を引き出せて居らず、いわば見切り発車であった。

 6.21日、連邦地裁に上訴されていたコーチャンらの異議申立審理で、堀田検事らは6.30日の三木首相とフォード大統領会談で、三木首相が真相究明の決意を示すとして、異議申立却下を要請。


【検察の初動攻勢/容疑者逮捕】

 国会喚問後の6月末ごろから7月初旬にかけて、偽証容疑の議院証言法違反や外為法違反で関係者が次々と逮捕されていった。

 6.22日、突然逮捕が始まった。東京地検が、丸紅関係者として専務・大久保利春を議員証言法違反で逮捕した。警視庁が、全日空関係者として専務・沢雄次、経理部長・青木久頼、業務部長・植木忠夫の3名を外為法違反で逮捕した。国会側の告発前の逮捕は初めてで、各党は慣例無視と国会侮辱との理由で抗議した。

 6.24日、丸紅前専務・伊藤宏は逮捕されていなかったものの、警視庁で11時間を越えて事情聴取されていた。この時の警視庁の取調べの様子がリークされ、警視庁と東京地検の気まずい関係が増幅された。


【三木首相が東京地検特捜部ロ事件担当検事で渡米中の堀田力・氏に政治圧力】
 6月頃、三木首相が、東京地検特捜部の同事件担当検事で渡米中だった堀田力・氏に「どのぐらいでケリが付くのか」と国際電話で捜査状況を問い合わせていたことが判明した。堀田氏が明らかにしたが、質問には回答しなかったとも述べている。同社は、「現場の検事への照会は極めて異例で、事件解明に政治生命を賭けていた三木氏の執念をうかがわせる」とコメントしている。堀田氏は翌月6日から始まるコーチャン元ロ社副会長への嘱託尋問のため、米ロサンゼルスにいた。(2006.7.26日付け山梨日々新聞「三木氏『いつケリ付く』 ロ事件田中逮捕30年」)
(私論.私見) 
 三木首相のこの行為は、三権分立制度の根幹を毀損せしめていよう。

 2006.7.26日 れんだいこ拝

【三木首相が第二回目の主要先進国首脳会議に出席のため出発
 6.24日、三木首相が、プエルトルコで開かれる第二回目の主要先進国首脳会議に出席のため出発。三木首相はこれに出席した後アメリカに向かった。三木首相の主な目的は、「ロッキード事件の追及に関し、アメリカ側からより多くの協力を得る」ことだった。

ロサンゼルス連邦地裁で、嘱託尋問始まる
 6.25日、ロサンゼルス連邦地裁で、嘱託尋問始まる。

【新自由クラブ結成される】
 6.25日、河野、西岡、山口、小林、田川、参院議員・有田一寿の6名が離党届けを中曽根幹事長に提出し、新自由クラブを結成した。

【コーチャンの嘱託尋問の様子】
 6.28日、東京地検特捜部・堀田力、同・東条伸一郎は、日本の捜査史上前例のない「司法共助」に基づき、ロサンゼルス連邦地裁で、ロ社前会長コーチャンに対する嘱託尋問二日目に入った。この時、知日派の米国ミシガン州立大学教授B・J・ジョージが臨席し、概要「日本の法制には刑事免責制度がない。起訴便宜主義をもって免責に代えることができるという日本検察当局の主張には法理論上疑義が残る」と主張した。

【三木首相がフォード大統領と首脳会談】

 6.30日、三木首相はサンファン・サミットに出席した帰路ワシントンに回り、フォード大統領と首脳会談。日本側から三木首相、宮沢外相、アメリカ側からフォード大統領、キッシンジャー国務長官、レビ司法長官が出席した。

 この時の会議資料では、ロッキード事件の処理が、経済分野と並ぶ主要議題になっていた。三木首相は、ロッキード事件究明の協力を要請したと伝えられているが、この会談記録は、25年を下経た2001年現在今でも非開示であり、国家機密扱いとなっている。公文書保管所のスタッフは今日においても、「その記録は国家安全保障上の理由で公表されない」としている。

 とはいえ、次のことが透けて見えてくる。1・ロッキード事件をP3C哨戒機などの軍用機の解明に向わせないこと。2・民間機購入のトライスター疑惑解明に向かい、角栄逮捕まで漕ぎ着けること。B・児玉逮捕から突破口を開くこと。これにつき、米国は日本政府の捜査に徹底的に協力、支援することを約束する。

 1997年に公開されたキッシンジャー・レポートは、この時三木首相が、キッシンジャーともフォード大統領とも「ロッキード事件についての全般的な意見交換」をしたことを伝えている。興味深いことは、田中首相に対する絶賛且つ警戒的レポートとは対照的に、「彼の政策はしばしば詳細に欠け、実質的な内容より広報宣伝的要因から生まれる場合が多い。三木が成功した分野は数少ない」と軽視酷評されている。

 月刊ペン10月号は、「日米首脳極秘会談で決まった田中逮捕」との見出しで次のような記事を掲載している。

 「席上、三木首相が、この上の格段の協力、配慮を要請したのに対し、同席のレビ司法長官は特に協力的で、日本側最高裁の、コーチャンら3証人の供述内容に対し免責を保証するならば、嘱託尋問とは別に司法省の手で特別に3証人の田中に関連する証言をとってもよいことを明らかにした。

 これに対し三木首相は、帰国してから最高裁の同意を得ることを条件にレビ司法長官の提言を承認したので、レビ長官は直ちに司法省刑事局のクラーク特別検事に電話で連絡打ち合わせ、7.17日に同特別検事をロスアンゼルスに派遣して、その日のうちに証言を取ることを約し、更にスチーブンス連邦地裁判事も、その証言内容を日本政府に伝えることについての証人もとりつけた。

 こうして7.23日(日本時間7.24日)、日本側の免責保証を確認して、証言内容を日本側に伝えてきたが、その時司法省によれば、その内容は田中逮捕の決め手になるものなので、これで三木政権は田中逮捕は決定的であることを強く意識した、と思われる印象を得たとしている」。

 7.3日、サンフランシスコで同行記者団と懇談、「ロッキード事件が解明されない限り今後の政治日程は立てられない」、「『三木下ろし』には断固戦っていく」と繰り返した。この頃から、「ロッキード事件の徹底究明に自分の政治的生命を賭ける」と強気に出始めた。

Re::れんだいこのカンテラ時評683 れんだいこ 2010/03/10
 【小沢キード事件を逆手に取り、ロッキード事件の闇を追撃せよその2】

 ロッキード事件の闇の超ド級のその2は、1976(昭和51).2.4日のロッキード事件勃発4ヶ月後の機の熟した頃の6.30日、三木首相が、プエルトルコで開かれた第2回目の主要先進国首脳会議に出席後ワシントンに向かい、フォード大統領と首脳会談している、その会談内容である。米国側はキッシンジャー国務長官、レビ司法長官、日本側からは宮沢外相が出席している。

 この時の会議資料が30有余年を経た2010年現在でも非開示であり、国家機密扱いとなっている。公文書保管所のスタッフは今日においても、「その記録は国家安全保障上の理由で公表されない」としているとのことである。発表されているのは、ロッキード事件の処理が経済分野と並ぶ主要議題になっていたこと、三木首相がロッキード事件究明の協力を要請したと伝えられているだけである。

 よって推測するしかない。れんだいこが推理するのに、1・ロッキード事件をP3C哨戒機などの軍用機の解明に向わせないこと。2・民間機購入のトライスター機購入疑惑解明に向かい、角栄逮捕まで漕ぎ着けること。3・児玉逮捕から突破口を開き児玉は始末すること。4・これにつき米国は日本政府の捜査に徹底的に協力支援することを約束する云々ということになる。

 1997年に公開されたキッシンジャー・レポートは、この時三木首相が、キッシンジャーともフォード大統領とも「ロッキード事件についての全般的な意見交換」をしたことを伝えている。興味深いことは、田中首相に対する絶賛且つ警戒的評とは対照的に、三木首相に対しては「彼の政策はしばしば詳細に欠け、実質的な内容より広報宣伝的要因から生まれる場合が多い。三木が成功した分野は数少ない」と軽視酷評していることである。要するに、頭が良くないと云っていることになる。故に利用しやすいと云う裏意味であろう。これはユダヤ流リアリズムの為せる技であろう。

 月刊ペン10月号は、「日米首脳極秘会談で決まった田中逮捕」との見出しで次のような記事を掲載している。「席上、三木首相が、更なる格段の協力、配慮を要請したのに対し、同席のレビ司法長官は特に協力的で、日本側最高裁のコーチャンら3証人の供述内容に対し免責を保証するならば、嘱託尋問とは別に司法省の手で特別に3証人の田中に関連する証言をとってもよいことを明らかにした。

 これに対し三木首相は、帰国してから最高裁の同意を得ることを条件にレビ司法長官の提言を承認したので、レビ長官は直ちに司法省刑事局のクラーク特別検事に電話で連絡打ち合わせ、7.17日に同特別検事をロスアンゼルスに派遣して、その日のうちに証言を取ることを約し、更にスチーブンス連邦地裁判事も、その証言内容を日本政府に伝えることについての証人もとりつけた。

 こうして7.23日(日本時間7.24日)、日本側の免責保証を確認して、証言内容を日本側に伝えてきたが、その時司法省によれば、その内容は田中逮捕の決め手になるものなので、これで三木政権は田中逮捕は決定的であることを強く意識した、と思われる印象を得たとしている」。

 7.3日、三木首相は、サンフランシスコで同行記者団と懇談し、「ロッキード事件が解明されない限り今後の政治日程は立てられない」、「『三木下ろし』には断固戦っていく」と繰り返した。この頃から、「ロッキード事件の徹底究明に自分の政治的生命を賭ける」と強気に出始めた。

 以上の経緯で、れんだいこが何を云いたいのか。それは、この時の首脳会談内容が、卑屈な三木、威猛々なキッシンジャーの構図で、日本側からすれば何ともさもしい親分子分的屈辱的なやり取りになっている可能性を疑うことにある。月刊ペン10月号は、この点での言及がからきしできていない。このようなものとしてロッキード事件が仕掛けられ、あろうことか主犯の中曽根が免責され、角栄が冤罪的に処断された。これが歴史の真相ではなかろうかと思うからである。歴史はこういう風に真相を隠し、どうでも良いような情報を開示するのが相場である。よって、表の資料からだけでは真相に迫れない。常に一定の推理力を媒介せねば真相が見えてこないと云う仕掛けにある。

 こういう推理力を陰謀論で片付けて得意がる者は、能力欠損者と云うべきではなかろうか。幾らものものしい肩書をしていても、それはコケ脅しに過ぎない。否能力欠損者ほど肩書に拘る習性がある。東京大学だの名誉教授だの客員何がしだのにはこういう手合いが多い。と云うのは云い過ぎだろうか。

 もとへ。こういう胡散臭い事例が多過ぎるロッキード事件を再検証し、角栄の無実を明らかにせねばならない。そろそろそういう時期に至っているのではなかろうか。翻って、同じようにはがい締めされようとしている小沢をエールせねばならない。悪い奴らは習性で死ぬまで同じようなことをする。新しい人材が必要とされる所以がここにある。新しい血で歴史を読み直さなければ、幾ら読んでも読むほどにバカになる。

 こう捉えると、鳩山が自らのマミー政治資金問題を棚に上げ、小沢に説明責任を求めるなど片腹痛過ぎる。記載しなかった方が、記載しても故人献金であった方が、記載した方に説明責任を求めるなど、悪い酒でも飲んでいるのではなかろうか。自民党が小沢と鳩山に説明責任を求めて国会を空転させるなどもっと片腹痛い。手前らの不祥事なら掃いて捨てるほどあろうに。よくもおめおめとマジメ顔して正義ぶれることだわ。とか何とか言っておこう。

 2010.3.9日 れんだいこ拝

 7.2日、ロス連邦地裁所長代理のファーガソンが、コーチャンらに対する日本側の刑事免責を有効と認めるかどうかの判断に付き、有効と裁定した。

 7.2日、連邦地裁が、嘱託尋問を非公開で行う。但し、証言調書は、日本之最高裁がルール叉はオーダーによって刑事免責保証するまで引き渡さないことなどを決める。


【ロッキード事件関係者の大物逮捕が始まる】
 7.2日、東京地検が、丸紅前専務・伊藤宏を偽証罪で逮捕。同日、警視庁が、児玉秘書・太刀川恒夫を殖産住宅前会長・東郷民安に対する強要罪容疑で逮捕。

 7.4日、稲葉法相が、毎日新聞記者とのインタビューで「横綱級は2ヶ月以内に」とロッキード事件での大物逮捕を予告した。田中が逮捕されるのはそれから3週間後になる。
 「自分は中央大学の法学部教授を務めたこともあって今までの法務大臣とは違う。歴代大臣の中では法解釈、法の適用についての判断は僕が一番確かだと自負している。僕は大相撲横綱審議委員を務めていたこともあるが、今まで逮捕した連中なんぞ相撲に例えれば十両か幕下の13枚目か14枚目くらいのものだ。これからどんどん好取組が見られますよ。横綱が出てくるのは、これも推定だがもう少しかかりますな。とにかく奥の奥の神棚まで掃除するよ」(石原慎太郎「天才」136P)。

 7.6日、連邦地裁で、コーチャンらの嘱託尋問始まる。7.7日の尋問で、田中角栄との関係を証言する。


【ロッキード事件関係者の大物逮捕相次ぐ】
 7.7日、東京地検が、全日空取締役・経営管理室長・藤原享一を外為法違反で逮捕。7.8日、全日空社長・若狭得治を外為法違反、偽証罪で逮捕。7.9日、全日空副社長・渡辺尚次を偽証罪で逮捕。

 7.13日、丸紅前会長・檜山広を外為法違反で逮捕。大久保前専務が偽証罪で、沢専務ら全日空関係者3名が外為法違反で起訴された。7.19日、丸紅総務課長・毛利秀和、運転手・松岡克浩を証拠隠滅容疑で逮捕。児玉の友人、水谷文一を処分保留のまま釈放。7.20日、丸紅秘書課長・中井篤也を証拠隠滅容疑で逮捕。7.23日、伊藤前専務を偽証罪で起訴。

 この間児玉も起訴されたが、病状のためか逮捕は免れている。
(私論.私見) 「児玉不逮捕」について
 ロッキード事件であろうがP3C事件であろうが、児玉が全てのカギを握っている。そのキーパーソンを常に表に出さないまま、ロッキード事件が次第に角栄包囲網へと形成されていく。この辺りを見んと真相が一向に出てこんわな。

 
2005.1.11日 れんだいこ拝

【最高検の布施健検事総長が、最高裁宛てに「宣明書」を提出】

 7.21日、最高検の布施健検事総長が、最高裁宛てに「宣明書」を提出した。池見猛・編著「国益上、田中元首相の無罪を求む」がこの原文を掲載している。これを転載しておく。

 「過般東京地方検察庁検察官がした請求に基づき、東京地方裁判所裁判官が米国管轄司法機関に対し嘱託したア―チボルド・カール・コ―チャン、ジョン・ウィリアム・クラッタ―、アルバート・ハイラム・エリオット三名に係る証人喚問は、現在中部カリフォルニア連邦地方裁判所に於いて実施されているが、既に、当職及び東京地方検察庁検事正は、当該証人喚問の際、右各証人の証言及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に、日本国の法規に抵触するものがあるとしても、当該証言をした事項については、右証人三名を日本国刑事訴訟法第248条によって起訴する旨並びに右意思決定は当職及び右検事正の後継者を拘束するものである旨を宣明している。本件につき、捜査及び最終処理をする唯一の機関である東京地方検察庁の検事正が正式に右のような措置をとり、これが右各証人に伝達され、これにより当該証人尋問が実施された以上、かりそめにも、将来右の措置に対する公訴が提起されることは全く有り得ないものであり、当職は、ここに改めて、前記三名の証人に対しその証言及びその証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として日本国領土内で公訴を提起しないことを確約する。

 昭和51年7月21日 最高検察庁 検事総長 布施健

 最高裁判所 御中」。

 7.24日、最高裁は、臨時最高裁裁判官会議を開き、コーチャンらに対して「不起訴の宣盟書」を発出することを決める。直ちにロスアンゼルスの連邦地裁に提出され、同日、コーチャンらの証言調書が日本の捜査等で使用できることになる。池見猛・編著「国益上、田中元首相の無罪を求む」がこの原文を掲載している。これを転載しておく。

 「本年5月22日付け書面により日本国東京地方裁判所裁判官が中部カリフォルニア合衆国連邦地方裁判所に対してした証人ア―チボルド・カール・コ―チャン、同ジョン・ウィリアム・クラッタ―及び同アルバート・ハイラム・エリオットの嘱託尋問に関し、すでに、日本国最高検察庁検事総長及び東京地方検察庁検事正は、それぞれ、日本国において解明中のロッキード事件に関する右各証人らの証言内容又はこれに基づき入手する資料中に仮に日本国の法規に抵触するものがあるとしても証言した事項については右各証人を起訴しないと宣明し、東京地方裁判所裁判官は、この事実を確認の上、嘱託書二の五項の記載をしたものであるが、本年7月22日改めて検事総長から最高裁判所に対し、別添写しのとおり、前記三名の証人に対しその証言及びその証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として日本国領土内で公訴を提起しないことを確約する旨の宣明書が提出された。

 最高裁判所は、前記の諸事情にかんがみ、検事総長の右確約が将来にわたり我が国のいかなる検察官によっても遵守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報の理由として公訴を提起されることはないことを宣明する。この宣明は、裁判所法第12条の規定に基づき、最高裁判所前裁判官が一致してしたものである。

 昭和51年7月24日 最高裁判所長官 藤林 益三」。

【三木首相―稲葉法相ラインの異様な角栄訴追運動】
 7.27日午前6時半頃、稲葉法相が三木首相に電話を入れ、「実は、法務省の安原美穂刑事局長から、田中前首相に対して、外国為替法違反容疑で逮捕したいので許可願いたい旨の電話があり、許可しました」と伝えている。三木首相は、「おお、そうか、おおそうか---」と繰り返した、と伝えられている。 

【警視庁が、児玉追及に入る】
 この頃、警視庁は、児玉追及の突破口として、殖産住宅前会長・東郷民安を事情聴取に着手している。7.2日、児玉の秘書・太刀川恒夫を東郷に対する強要罪容疑で逮捕し、殖産住宅も捜査を受け、帳簿類が押収された。この事件は、警視庁が検察と違う動きをしていたことを示しているように思われる。

 7.22日、強要罪で起訴。
(私論.私見) 「検察庁と警視庁の思惑の差異」について
 捜査当局のここまでの動きで、「検察庁と警視庁の思惑の差異」が認められる。検察庁は何としてでも角栄逮捕に一瀉千里であり、警視庁はむしろ児玉ー中曽根ラインの摘発に向おうとしていたように見受けられる。事実、ロッキード事件は、検察庁と警視庁の闘いでもあったように思われる。この点に付き論及されることが無いが。

 2005.9.3日 れんだいこ拝

【田原総一朗が、「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」論文を発表する】
 田中角栄入門」に、興味深い記述が為されている。この頃、評論家の田原総一朗が、1976.7月号の中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」論文を発表した。その中で、ロッキード事件は田中角栄を失権させるためにアメリカがしくんだ謀略だと次のように述べている。
 「キッシンジャー国務長官やチャーチ議員が、日本の政治家で最も警戒しているのは田中角栄で、彼の資源外交を、キッシンジャーは『反ユダヤ的行為』だと決め付け、。チャーチ議員のスポンサーであるロックフェラーは。田中角栄氏が首相時代に、彼についての資料を密かに集めさせた形跡があるということだ云々」。  

 そのゲラ刷り原稿のいきさつについて次のように記している。
 田原総一郎の「アメリカの虎の尾を踏んだ角栄」のゲラは事前に中央公論から小長啓一のもとに回ってきた。小長はこれは書きすぎで、「手を入れないといかんかな」と思ったが、田中角栄が「大筋いいんじゃないか」ということで特に異論を差し挟まなかった。かくて論文発表となったという。このことを小長自身が「発掘田中角栄」(新潟日報)のなかに書いている。
(私論.私見) 田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」について
  田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」は当然の観点の披瀝であるが、当時の気違い染みた角栄批判網の勢いにかき消されてしまった。そのことはともかく、そのゲラ原稿が事前に小長啓一と田中角栄に見せられていたとのことである。角栄が「大筋いいんじゃないか」と述べた、ともある。ということは、角栄は、ロッキード事件の仕掛け人としてアメリカの影を捉えていたということになる。

 2005.9.9日 れんだいこ拝

 これより以降は、【ロッキード事件の概要2(角栄逮捕ー保釈)】に記す





(私論.私見)