ロッキード事件の概要1-1(ロッキード事件勃発)

 更新日/2021(平成31→5.1栄和元/栄和3).2.7日

 これより以前は、【ロッキード事件の伏線考】に記す

 (れんだいこのショートメッセージ)

 「ロッキード事件」とは、当時の日本の最高権力者であった田中角栄首相が、米国航空機製造会社ロッキード社の代理店である商社丸紅の請託を受け、全日空に、ロッキード社の新型旅客機であるトライスターの選定を承諾させ、その謝礼として5億円を受け取ったとされた、いわゆる現職首相の受託収賄罪事件のことを云う。

 「ロッキード事件」は、現役総理が直接手を染めた戦後最大の疑獄事件として、その前にも後にも比類の見ないやり方で徹底追及されていくことになった。
「ロッキード事件」は、日米を股にかけて一大政治化したこと、特に日本では右翼から左翼まで、自民党から共産党まで、マスコミから検察、裁判所まで、労組から市民団体まで奇妙なまでに結束一致して、戦後最大の異能政治家であった田中角栄氏の政界追放を徹底的に策動したという点での金字塔となっている。

 
れんだいこの主張はこうである。

 「ロッキード事件」は、「現代世界を牛耳る米英ユ同盟の断と指揮の下、戦前的保守本流権力側がこれに呼応し、法を捻じ曲げ且つ悪行の限りを尽くした事件捏造であり裁判であったと後世総括されるだろう。この観点は今はまだ曙光にある。このことを証明する為に本サイトと掲示板が少しでも役立てば幸いである。以下追跡するが、『初めから有罪ありきで始まり、その経過と結果が将来に禍根を残す裁判となった様(さま)』、『検察という国家権力そのものを相手に、たった一人で百年戦争を挑んだ角栄の執念と無念の様』が伝わってくるだろう。

 この一連の経過を聞き分ける観点のポイントは次のことにある。弁護士出身で法務大臣経験者でもある古井喜實氏は「首相の職務権限」で次のように述べている。

 「裁判にイデオロギーが先行すれば人民裁判になる。人情が絡めば大岡裁きになる。どっちも間違いだ。法と良心に従い、証拠を固め、黒白を決しなければならない。田中角栄は果たして正しく裁かれているだろうか」。

 古井氏は、「田中角栄は果たして正しく裁かれているだろうか」と、当時より裁判に警鐘を鳴らしている。

 田中弁護団の中核であった木村喜助弁護士は「田中角栄の真実」で次のように述べている。

 「主張の骨組みが、正しい証拠によって動かせない事実、又は動かしがたい事実が発見され、それが基本となっているか。その骨組みを包む肉体が、経験則や論理法則によってしっかり構成されているか、検察の主張や判決が動かせない事実を骨組みにしているか否か、全体として正しい証拠評価と経験則、論理法則等で肉付けされているか否か」。

 折も折、2000.12.19日読売新聞(編集委員・水野雅之)に、木村喜助弁護士が最近著した「田中角栄の真実」の出版記念パーティーが、12.13日、都内のホテルでささやかに開かれたと伝えられている。発起人・後藤田正晴で、当の後藤田氏、田中弁護団の一員であった保岡興治(前自治省)、田中真紀子(前科学技術庁長官)らが各人各様のスピーチをした模様である。この声がなぜ掻き消されるのか、ここに現代を覆う闇があるやに思われる。

 
「ロッキード事件」は後遺症として「負の遺産」を我が社会にもたらす事になった。一つは、司法の独立と政治の不介入原則の溶解であり、二つは、マスコミの煽動と司法の暴走であり、三つ目は、裁判の長期化であり、その他判決論旨の精緻さの喪失もそうであろう。その影響は、社会の全領域に今も攪拌されつつある。 

 2003.9.16日再編集 れんだいこ拝



【ロッキード事件勃発時の動き】
 ロッキード事件発生時の動きを見ておくことにする。「ロッキード事件」は突如勃発させられた。その舞台となったのがチャーチ委員会である。では、チャーチ委員会とは何者か、これにメスを入れた論考は少ない。結論から言うと、キッシンジャーの陰謀と密接に関わっている機関ということになる。論考は少ない中で、我々が目にするのはこれを逆に説く論考ばかりである。これでは学んで馬鹿になるばかりであろう。

 チャーチ委員会は、1973.9.11日、チリで、サルバドール・アジェンダ大統領政権がアウグスト・ピノチェト将軍らの軍事クーデターにより崩壊した。この事件の背後に国際ユダ邪の陰謀があった。1974年、これを調査するという名目で、多国籍企業小委員会が上院外交委員会の下に設置され、チャーチが委員長に選出された。この最中にウォーターゲート事件が最終局面を迎え、1974.8月、ニクソンが議会で弾劾される雲行きとなり、その決議の前に大統領を辞任した。翌1975年、上院に情報活動調査特別委員会が発足し、チャーチが委員長を兼務した。こうして、二つのチャーチ委員会が生まれた。この流れが、キッシンジャーの陰謀とどう関わるのか具体的な動きは漏らされるべくもなかろうが、ロッキード事件の流れを作り出していくことになる。この検証は追々にやっていくことにする。

【ロッキード事件の勃発、チャーチ委員会での突然の発表】
 1976(昭和51).2.4日、米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会(民主党のチャーチ上院議員を長とする「通称チャーチ委員会」)が開かれ、チャーチ委員長は冒頭次のように述べた。
 意訳概要「これから公聴会を開催します。本日は、ロッキードの決算会社のアーサー・ヤング会社をまず取り上げ、続いて、ロッキードの責任ある役員達からヨーロッパ及び日本で行われた外周及び疑問の多い政治的な支払いについて述べていただこうと思う。極めて遺憾なことであるが、ロッキードが、日本に於いて、有名な右翼軍国主義集団のリーダーを代理人として雇い、過去数年にわたつて数百ドルを、給与及び手数料として支払っていたことを明らかにするであろう」(月間ゲンダイ「ロッキード疑獄事件の全貌」より)。
(私論.私見) 「チャーチ委員長は冒頭挨拶」について
 これによれば、後に続く「公聴会証言」の内容が事前に確認されていたことになる。

 その公聴会証言で、ロッキード社の会計監査に当たった会計士W・フィレンドレーによってロッキード社の対外秘密工作が漏洩され、 「ピーナッツ100個(暗号領収書、ピーナッツ1個は100万円で、100個は1億円)などロッキード社不法献金の証拠資料」となる公聴記録が突如発表された。

 
フィンドレーは次のように証言した。
 「米ロッキード社が新しく開発したジャンボジェット機L1011トライスター航空機売り込みのため巨額の工作資金を日本、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア、スウェーデン、トルコなどに流していた」。
 概要「ロッキード社は日本の全日空にトライスター機を売り込むに当たって、その裏金を政商・小佐野、右翼の大物である児玉誉士夫、総合商社の丸紅を仲介として、政府高官たちに1千万ドル(当時の円換算30億円)の工作資金を流した。うち708万5000ドル(当時のレート換算で約21億円相当)が児玉に秘密コンサルタント料として渡った」。

 2.6日、ロッキード社の前副社長アーチボルド・カール・コーチャンが同じ委員会での公聴会尋問に答えて次のように証言した。
 概要「児玉に払った21億円のうち、いくらかが国際興業社主小佐野賢治に渡ったと思う。我が社の日本での代理店丸紅の伊藤宏専務に渡った金は5億円であり、そのうちから日本政府関係者複数に支払われた。そうした支払いの必要性を私に示唆したのは丸紅会長の桧山広か、専務の大久保利春だった」。

 この爆弾証言が、ロッキード事件の幕開けとなった。米国SEC によるロッキード社の極秘賄賂工作の暴露は、電波に乗せられたちまち全世界に報道された。
(私論.私見) 「フィレンドレーの公聴会証言」について
 「フィレンドレーの公聴会証言」が明らかにしたのは、「ロッキード社の対外秘密工作」であり、概要「ロッキード社が全日空へのトライスター機売り込みに当たって、表向きを総合商社の丸紅、裏方に政商・小佐野、児玉誉士夫を通じて政府高官達に日本円で約30億円の工作資金を流した。そのうち約21億円相当が児玉に流れた」というものであった。

 この限りに於いて、「フィレンドレーの公聴会証言」はさほど異様ではない。問題は、ここから先は巨額の工作資金が渡った児玉ルートの使途の解明に向うのが常識的であろうところ、児玉に渡ったとされる資金の追跡の方には向わなかったことにある。ここに中曽根が暗躍していたことは間違いない。ところが、中曽根に向わず急転直下、角栄の詮索に向うことになる。ここに「闇」を見るのはごく当たり前のことだろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【ロッキード事件漏洩経過のミステリー】
 この漏洩の経過がミステリーであった。事件の陰謀性を糊塗する為に、次のような偶発で事件が発覚したと伝えられた。
 「ロッキード社の海外不正支払いを追及しようと目の仇としている公聴会機関に、出所も差出人も不明で、ロッキード社の売り込み商戦時の不正工作極秘資料の入った小包が、米上院チャーチ委員会に間違って配達され、それを開けてみるとくだんの資料が入っていた」。

 つまり、事件は偶発で発覚したというシナリオになっている。これに対して、角栄失脚事件疑惑派は次のように指摘する。ロッキード社の丸秘資料が、誤って届けられるなどということがあり得べきかどうか(「郵便の誤配達」)、それが開封されるなどということがあり得べきかどうか(「郵便の誤開封」)疑惑されるべきであるが、ここに目が向かうことなく大事件へと発展していくことになった。
ここには、ロッキード事件がまさにオカルト的に登場したという、初動時のあり得べからざる経過がある。これがロッキード事件の胡散臭さ第1弾である。

 この疑惑に対し、角栄失脚事件扇動派は、最近次のように反論している。
 チャーチ委員会で、ブラムの上司に当たる首席法律顧問を務めたジェリー・レビンソンは、「資料をくれたのは、アーサー・ヤング会計事務所である」として、その経過を次のように説明している。
 「事件発覚当時、ロッキード社は自社の監査法人であるアーサー・ヤング会計事務所に、資料は絶対に第三者に渡すなと命令していた。しかし、上院議会からアーサー・ヤング会計事務所に対して資料を提出するよう召喚状が来た。ロ社からの要請に応えようとすれば、議会侮辱罪で訴追されかねない。かといって顧客の意向を無視しておおっぴらに上院に提出するわけにもいかない。アーサー・ヤング会計事務所は立場に窮した」。
 「ある日、ロ社の顧問弁護士と会議をしていたとき、突然アーサー・ヤング会計事務所の顧問弁護士(ホワイト・アンド・ケース法律事務所)が箱を持ってやってきた。彼は私の秘書にそれを手渡して帰っていったんです。開けてみると、なんとロ社の資料が入っていました。後日、アーサー・ヤング会計事務所はロ社に謝罪し、資料を配達した弁護士を強く非難したそうです。しかしもちろん、これは嘘っぱちで、最初から仕組んだことですよ」。
(私論.私見) 「角栄失脚事件扇動派の最新の反論としての『弁護士手渡し説』」について
 つまり、角栄失脚事件扇動派は最近になって、「チャーチ委員会への誤配達」ではなく、真相は「アーサー・ヤング会計事務所の顧問弁護士による資料漏洩」であったと云い始めている。当初の「偶然の僥倖的漏洩説」が批判されたとなるや、真相はこうであった、何ら不自然は無かったことを論証し始めている。流布されている「誤配説」批判に対する批判のつもりらしいが、この経過にしたって不自然過ぎることには何ら変わりなかろう。それより何より、末尾の「最初から仕組んだことですよ」の言に重みがあろう。

 「顧問弁護士の持ち込み説」でもって「郵便の誤配達説」を打ち消し、得意がっているが、この輩の読解力には根本的に瑕疵があると云わざるを得ない。「顧問弁護士の持ち込み説」は、これはこれで元の問題つまり「意図的仕掛け説」に戻ってしまう。あちら隠せばこちら立たず、こちら隠せばあちら立たずの自己撞着に陥っていよう。

 この手合いと100年論争してもくだらない議論にしかならないだろう。この問題を真に解決する為には、「ロッキード事件は仕組まれたもの」を打ち消す論拠がいるんだよ。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【朝日新聞の外電スクープ】
 翌2.5日、朝日新聞が「ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金」と云う見出しの25行程度のベタ記事を報じた。この時点では、朝日新聞一紙の報道であった。記事文面は次の通り。
 ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金【ワシントン4日 アメリカ総局】

 米上院の多国籍企業小委員会(チャーチ委員長、民主党)は4日の公聴会で米ロッキード航空会社が多額の違法な政治献金を日本ろ、イタリア、トルコ、フランスなどに行っていたことを公表した。総額は1970年から75年の間に2億ドルにのぼると見られる.同小委員会で明らかにされたリストによると、数年前から1975年末までに708万5000ドル(約21億円)が日本の右翼政治家、児玉誉士夫氏に贈られている。同委員会では、この金がどのように使われたのかについては明らかにしていない。また、同リストによると322万3000ドル(約10億円)がロッキードの日本エージェントとして丸紅に支払われている。また、さらに日本の広報関係のI-D会社に215万ドルが支払われており、同委では「これは日本の報道関係者へ都合の良い記事を流すために使われたのではないか」と推定されている。

【マスコミ各社の一斉トップ紙面報道の不自然さ】
 ところが、この日の昼を境にニュースが燎原の火の如く広がった。新聞各社が夕刊で報道し始めた。夕刊には「ロッキード社の会計管理をしている公認会計士のウィリアム・フィンドレーが、児玉誉士夫に渡した金の一部が「日本政府当局者に対して使われた」と明言した、と大きく報じられた。疑惑の目を向けられたのは中曽根幹事長だった。この日の昼、自ら「今の段階ではノーコメント」と談話を発表している。

 翌2.6日、各紙こぞって一面トップで「ロッキード事件」勃発を載せている。この「各紙こぞって一斉に」という報道の仕方に「?」が有りはしないか。これがロッキード事件の胡散臭さ第2弾である。
(私論.私見) 「ロッキード事件勃発一斉報道」について
 ここに外圧が機能しているのか、児玉―中曽根ラインと関係の深い読売新聞社社長ナベツネ(渡辺恒雄)の暗躍があるのか、それらが複合しているか、それは分からないが当らずとも遠からずの観がある。

 ところで、平野貞夫氏の「ロッキード事件、葬られた真実」は、「ロッキード事件勃発一斉報道」はなく、朝日新聞が二面の総合面に僅か25行程度のベタ記事扱いで報道したのみであると記している。れんだいこの理解と食い違うが、当日の各紙を検証すればはっきりするであろう。れんだいこの認識に間違いがあるとすれば、「一面トップ一斉報道」がいつ為されたのかを検証すればよい。そのような事実があったように記憶している。どなたか検証してくれれば良い。2006.12.14日、確認したところ、まず翌日の夕刊で続いて朝刊でということが真相のようである。

 2006.10.7日 れんだいこ拝

 
朝日新聞は、「ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金」という見出しで、次のように報じている。
 「米上院の多国籍企業小委員会(チャーチ委員長、民主党)は4日の公聴会で米ロッキード航空会社が多額の政治献金を日本、イタリア、トルコ、フランスなどに行っていた事を公表した。総額は1970年から75年の間に2億ドルにのぼると見られる。同小委員会で明らかにされたリストによると、数年前から1975年末までに708万5千ドル(約21億円)が日本の右翼政治家、児玉誉士夫氏に贈られている。同委員会では、この金がどのように使われたのかについては明らかにしていない。また、同リストによると322万3千ドル(約10億円)がロッキードの日本エージェントとして丸紅に支払われている。また、さらに日本の広報関係の1ーD会社に215万ドルが支払われており、同委では『これは日本の報道関係者へ都合の良い記事を流すために使われたのではないか』と推定されている」。
 
 朝日新聞社東京本社社会部の「ロッキード事件 疑惑と人間」は、「この記事が、日本中を怒りと驚きと混乱に叩き込む大疑獄の号砲であった」と自画自賛している。

 2.6日午後2時頃、衆院予算委員会が開かれ、全ての審議がロッキード事件がらみとなった。三木首相は、「日本の政治の名誉にかけても、この問題を明らかにする必要がある」と表明した。


【国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根会談】
 朝日新聞編集委員の奥山俊宏記者の著書「秘密解除 ロッキード事件」は中曽根幹事長が積極的に米国政府と接触する様子をより詳細に紹介して次のように記している。
 「ロッキード事件発覚翌日、偶然来日していた国務省日本部長ウイリアム・シャーマンと会談している。単なる表敬訪問となるはずの面会だったが、結果的に話の中心は、ロッキード事件になった。 その内容は、同日、米国大使館を通じて国務省に公電として伝えられた。それによると、『このようなことがらについて(米国の)国内問題として調査するのはいいことかもしれませんが、他国を巻き込むのは別問題であり、慎重に検討されるべきです。米政府にはこの点を認識してほしい。この問題はたいへん慎重に扱って欲しい』と中曽根が釘を刺している」。

【ウイリアムシャーマンと中曽根会談に於ける宮顕談義の奇怪考】
 サイト「法螺と戯言」の2010.12.15日付けブログ「中曽根氏の宮本顕治氏についての照会」が、「上記は、世間をあっと驚かせたことからよく知られています。この書類を発見した朝日記者の手によるとおもわれるのが「世界」の論説です。この記事にまことに興味­深い表現があるのです」と述べた後、「秘密解除・ロッキード事件(「月刊誌「世界」2011年1月号)」より次の1節を転載している。

 「翌六日、東京にいた国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根が接触した。事前に表敬のために予定されていた接触だったが、話題はロッキードになった。駐日大使館から国務省にその日のうちに送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されていた。それによれば、中曽根がまず触れたのが日本共産党のスパイ査問事件だったとされている。共産党委員長の宮本顕治はこの事件で監禁致死や死体遺棄などの罪に問われて戦中に有罪判決を受けたが、戦後まもなく復権していた。民社党委員長春日一幸は一月二十七日の衆議院本会議でその経緯を取り上げて『真相を明らかにすべき』と迫った」。

(私論.私見) 「国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根会談の宮顕談義の奇怪」について
 国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根会談の際に宮顕談義がされていることの奇怪を解ける者が居るだろうか。「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK105」の凡人氏の2011.1.20日付け投稿「中曽根氏による米国日本部長への宮本氏に関する照会(ブログ:法螺と戯言)」が、サイト「法螺と戯言」氏の「中曽根氏の宮本顕治氏についての照会」を紹介している。これを確認しておく。
 http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/
 話を本論に戻します。終戦直後、殺人事件の犯人として獄舎につながれていた宮本顕治氏を、一介の政治犯として釈放する決断に際し、占領軍が担保したものは何であったか? 多分、米国政府公文書館に関連する資料が秘匿されているのだろうと思います。そして、中曽根氏が1976年2月6日に、敢えて米国担当官に尋ねたことからわかるように、米国CIA日本人エージェントである正力松太郎氏ですら、その資料には触れることができていなかったようです。1974年―76年当時の大方の論調は「宮本氏が共産党を守りたいとの一心で心ならずも小畑氏の殺害にいたってしまったのであり、そのこと自体は誠に不幸な事件であった。」というものでした。現在の共産党もその論調に乗じて、「宮本事件」と聞くとヒステリックに「反共攻撃」というセリフで以って反応します。したがって、中曽根氏から「傷害致死」を「チクチク」と突かれようと真っ向から反撃できるはずでしたが、すでに書いたように共産党の反応そして対応はまったく異なっていました。中曽根氏は上記共産党の表向きの主張とは異なる「何か」を得ようとして、米国大使館日本部長に「宮本事件」を照会したのです。2009年7月ごろであったでしょうか、中曽根氏は不破氏と対談しています。紙上に掲載されなかった対話でこの事が話題になったか否かはさだかでありません。現時点では、この「何か(something secret)」を知ることができません。しかし、それを推察するに格好の考察がHPで閲覧できます。
 marxismco/
nihon/miyakenco/
rinchizikenco/rinchizikenco.htm
 
 このレンダイコ氏の考察は誠に衝撃的です。1945年10月に釈放される以前、つまり獄中にあった時期、宮本氏は既に官憲が左翼に送り込んだスパイであったというのですから、まずは「眉唾」と思う人も少なくないようです。しかし、上記HPはその考察に膨大な資料文献を渉猟・読破しており、読後には強い説得力で、その結論に納得させられます。

 実際、このように考えると、殺人罪との併合罪で獄舎に繋がれていた宮本氏が治安維持法犯としてのみ釈放され、半年後には、その殺人犯としての罪も「復権証明」の発布でもって消滅してしまうことの謎が、まずは氷解します。そして、であればこそ、1976年、事情を薄々感知していた中曽根氏が米国政府からあわよくば真相証拠を得て、宮本氏と氏が率いる共産党に揺さぶりをかけた事情も呑み込むことができます。実際、中曽根氏の思惑通り事は進んだのです。繰り返しますが、共産党はその際の出刃包丁にひるみ、P3C追及をやめ、以後は中曽根氏の仇敵である田中角栄氏とその思想的系譜に繋がる小沢一郎氏の追及「政治と金」をお題目のように唱えつつまい進するのです。そしてこのことが、中曽根氏とその背後にある国際金融資本への忠誠の証しともなっているのです。いずれ、書きますが共産党の検察糾弾忌避にもそのことがまざまざと見て取れるのです。
 「それはさておき、このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃は、1995年1月の雑誌「マルコポーロ」廃刊事件に匹敵するものでした。この廃刊雑誌の一記事では、第二次世界大戦の末期ナチスがしでかしたとされる「ユダヤ人600万の虐殺、とりわけアウシュビッツでの大量ガス虐殺」は物理的にありえないことを論証したものでした(西岡昌司氏)。宮本事件とマルコポーロ事件が私に教えてくれたことは、「巨大な虚偽は、真実としてまかり通る」、というかってヒトラーが言ったとされる歴史の真実でした」。
 
 同志を得た思いである。きちんと書けばきちんと読み取ってくださる方が居ると云うことが分かった。励みにしようと思う。それにしても、ロッキード事件勃発直後、事件の真性の容疑者である中曽根幹事長が国務省ウイリアムシャーマンと秘密会談し、その席上で「中曽根がまず触れたのが日本共産党の『スパイ査問事件』だったとされている」と云う奇怪をどう読み取るべきだろうか。ロッキード事件の展開は、事件の真性の容疑者である中曽根幹事長に向かわず、田中前首相の首相犯罪として喧伝されて行った。その際に最も精力的に立ち働いたのが宮顕であった。この裏に何があったのか詮索するのが普通の感性だろう。日共の政治訴追運動の胡散臭さを嗅ぎ取るのが普通の頭脳であろう。こう問わず、日共式政治訴追運動を正義運動と合点する者はよほどオツムが粗脳と云うことになるのではなかろうか。

 2011.1.22日 れんだいこ拝

【チャーチ委員会でのコーチャン証言】
 予算委終了直後、アメリカ時間2.6日、チャーチ委員会の公聴会で、ロッキード社のアーチボルド・コーチャン副会長が新たに「小佐野賢治、桧山広丸紅会長、大久保利春丸紅専務らが関わっていた」と発言した事が日本に伝わった。

 その後の判明からして奇妙な事は、田中角栄の刎頚の友と云われていた小佐野の名前が挙げられていた事である。小佐野の名前が出たことで、ロッキード事件は、児玉-中曽根ラインの疑惑に加え、小佐野-角栄ラインの疑惑が加わった。且つ、児玉-中曽根ラインの疑惑が隠匿され、小佐野-角栄ラインの疑惑一辺倒へ向かうのがその後のロッキード事件の流れとなる。これを偶然と見るか、操作された仕掛けと見るべきか。

【チャーチ委員会疑惑】
 「コーチャン証言」をこき出したチャーチ委員会の特異性は、「チャーチ議員CIAの職員説」に見て取れる。通常であればこの種の企業問題は上院の証券取引委員会で取り上げるのが通例のところ、自分の委員会で取り上げることを強く要求してチャーチ委員会が始められたという経過があった。これがロッキード事件の胡散臭さ第3弾である。

 一連の経過に不審を持ったジャーナリスト高野孟氏は次のように明らかにしている。
 「この疑問を追及するためにチャーチ委員会のメンバー、関係者達を精力的に回ったが、いずれも徹底した取材拒否で、疑問は解明できなかった」(田原総一朗「田中角栄は『無罪』だった」諸君2001.2月号)。

【「コーチャン証言」疑惑】
 この時の「コーチャン証言」、「フィンドレー証言」、「クラッター証言」が田中角栄逮捕に繋がっていくことになる。その胡散臭さに就いては「『コーチャン証言』、『クラッター証言』をどう見るべきか考」に記した。最肝要な点のみ抜書きすれば、次のように云える。白井氏は、「田中内閣打倒に対するアメリカの遠隔操作」を指摘している。

 
「コーチャン調書」は、文面が開示されていない。漏洩されている箇所を読み取ると、トライスターとP3Cの売り込みについて明らかにしているが、その文面でさえ必ずしも角栄逮捕に繋がる証言に成り得ていない。にも拘らず無理やり角栄に結び付けられていった「闇」の部分があるように思われる。児玉疑惑で明けたロッキード事件のその後の誘導の不自然さが判明しよう。

 
一部漏洩されている「コーチャン調書」によれば、児玉に渡った金額は21億円になる。ならば、角栄に渡ったとされる5億円に目が向くよりも主たる16億円の方にこそ関心がもたれるべきであろう。これには軍用機P3C購入問題が絡んでおり、公金の使途である以上より責任も重い。もしP3Cの方が追求されたなら確実に児玉―中曽根ラインが捕捉されることになる。

 東京事務所代表クラッター氏の「クラッター証言」になると凡そ使えるような代物ではない。にも拘らず、「クラッター証言」が決め手にされていくことになる。

 元来は、金額的にも桁違いに多く公金不正という観点からも、P3C問題の方が事件としてはより深刻で犯罪性が高いであろう。にも関わらず、P3Cについてはいつの間にか捜査線上から消えてしまい闇に隠されていくという経過を見せていくことになる。検察は、P3Cの方を「(55年体制の)底が抜ける」としてむしろ隠匿し、5億円詮議の方へ網を掛けていった。こうして、「ロッキード問題」は、「5億円授受」のトライスター売り込み商戦に限ってつまり角栄が受け取ったとされるロッキード社の5億円収賄の究明へと雪崩れ事件化されていくことになる。


 
果たして「コーチャン調書」は、正確に史実を語っていたのだろうか。仮にそのように主張しつつ供述していたとしても、その証言が田中角栄逮捕に繋がっていくに足りるものであったのであろうか。無理やり田中に結び付けられていった「闇」の部分があるのではなかろうか。これが「コーチャン調書」とその政治主義的な利用に纏いついている疑惑であり、ロッキード事件の胡散臭さ第4弾である。

 
このことに関して、平野貞夫氏の見解が宮崎氏の「民主主義への原価」に次のように紹介されている。
 「中曽根―児玉ラインが全く解明されなかったことが、現在の日本の政治とカネの問題を象徴している。角栄の5億円授受は、所詮民間航空機会社の経費である。だが、中曽根と児玉については防衛庁の軍用機問題。その集金の手法は現在にいたる自民党の集金ノウハウの集約であり、鈴木宗男方式の原型であった」。
(私論.私見) 「平野見解」について
 平野説は「角栄の5億円授受説」を肯定した上で、「中曽根ー児玉の防衛庁への軍用機購入問題の未解明問題」を問題視していることになるが、問題は、「角栄の5億円授受説」が冤罪であり、「中曽根ー児玉の防衛庁への軍用機購入問題」の方がホンボシだったとしてそこが不問にされたとしたら、この事件は一体どういうことになるのか、暫し胸に手を当てて考えてみよう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【ロッキード事件証言者コーチャンの隠匿ミステリー】
 こうして、この道筋は、ひたすら「5億円が丸紅によって賄賂として田中総理に渡された経過の解明」へと向かっていくことになる。この解明の道筋は、無数の新手法、新解釈、新判断、新判例等々、捜査から裁判終結までまさに、異例づくめで進展していくことになる。

 
この火付け役コーチャン氏は、以降は表に出てくることは無い。その後のマスコミの取材に当たっても徹底して逃げ隠れし続けることになった。ここも胡散臭いところである。これをロッキード事件の胡散臭さ第5弾としたい。「コーチャンの胡散臭さ」については別サイト『コーチャン証言』、『クラッター証言』をどう見るべきか考に記した。

【「ピーナッツ領収書の怪」】
 続いて、ヒロシ・イトーなる人物のロッキード社宛金銭領収書と思われる「ピーナッツ100個受領」などと書かれた、いわゆる「ピーナッツ・メモ」が表に出てきて、このメモは4枚あって逐次出され、合計5億円とされる。当然、この5億円の宛先の政府高官とは誰かの詮議に向かうのが自然で、マスコミ主導で沸き返る騒ぎへと発展していくこととなった。

 しかし、木村喜助氏の「田中角栄の真実」が明らかにするところによると、「ピーナッツ100個受領」と書かれたいわゆる「ピーナッツ・メモ」の原本は、被告の弁護人に見せられることは無かった、とのことである。
(私論.私見) 「『ピーナッツ・メモ』の原本不開示」について
 これは重大な指摘である。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【大物右翼政界フィクサーの裏の顔が露出する】
 この時わが国の新聞紙面でもって、大物右翼政界フィクサーとして知られていた児玉誉士夫がロッキード社の秘密代理人となり、多額のコンサルタント料をもらっていた事が暴露される。ちなみに、「児玉には60年代から仕事をしてもらっていた」とのロッキード社会計監査人・W・フィンドレー証言が為されている。 

 朝日新聞東京本社社会部の「ロッキード事件 疑惑と人間」は、秘密代理人契約が1969(昭和44).1.15日であったことを記している。この日、世田谷等々力の児玉邸で、ジャパンPR社長・福田太郎を通訳として児玉とロッキード日本支社長クラッターとの間で秘密コンサルタント契約が為されたことを明らかにしている。

 同6.1日、児玉は年間5千万円のコンサルタント料の他に、1・P3Cを50機以上売り込んだ際の報酬は25億円、2・大韓航空へのトライスター売り込みの成功報酬は10億円という別途成功報酬権を明記した契約に改定した。


 なお、1959年時点で、日本の次期戦闘機選定に際して、一旦は決定していたグラマン社製のG-98J11が土壇場で、ロッキード社製のF104に変更されている。これに児玉が暗躍したと云われている。
(私論.私見) 「大物右翼政界フィクサー児玉誉士夫の正体」について
 このことの意味することも重大である。単純に云って、常日頃民族派右翼を自称しているその筋の親分が、実はアメリカのスパイであったというトンデモ事件が暴露されたという構図である。世の中はそんなものかも知れない、もって銘しておくべきであろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【三木首相異常はしゃぎの不自然さ】
 三木首相は、「日本の政治の名誉にかけて真相を明らかにする必要がある。手の届く限りの材料を集め、法規に触れるなら厳重に処置しなければならない」とぶちあげた。このぶちあげの背景にあったものは何か。政界浄化だけが三木首相を突き動かしたものであるのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第6弾である。

 2.6日、衆議院予算委員会で、ロッキード事件に関する緊急質疑が行われた。三木首相が、真相解明についての決意を次のように語った。
 「日本の政治の名誉にかけても真相を究明する」、「事件の解明は全ての政治課題に優先する」。

 「金権腐敗政治を根底から改革するため」というのが錦の旗印であった。この時、三木首相は側近に次のように語ったと伝えられている。

「ほどほどにという人もあるが、真相を究明して、それで三木内閣がどうなろうとかまわないじゃないか」。
「田中まで、どうやってもっていくかがヤマだ。田中は死に物狂いの抵抗をしてくるだろう。これは、俺と田中の勝負だ」

 この時、野党各党は、1・政府側は関係書類を提出せよ。2・児玉ら5人を証人喚問せよ、と要求した。 

 2.7日、三木首相は、井出官房長官を私邸に呼び、「日本の政治の名誉のために、事態の究明を十分に行わなければならない」と指示した。同日、自民党緊急役員会が開かれ、党内に「ロッキード問題特別調査委」(委員長・浜野清吾)を設置することを決めた佐藤文生代議士派米、証人喚問反対方針を打ち出す。

 三木首相は、「高官名を含む一切の資料の提供を、米国に求める」よう宮沢喜一外相に指示した。こうして、事件は、ロッキード社・丸紅・全日空を当事者として、これに政商と政府高官が絡んだ収賄事件に発展していくこととなった。

 
こうして、三木首相―稲葉法相―宮沢外相―中曽根幹事長ー松野頼三政調会長ラインが「逆指揮権発動」でこれを後押ししていくことになる。一体、同じ党派内で「逆指揮権発動」なぞ有り得るものだろうか。何が誰がこれを推進したのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第9弾である。

 三木を推挙した椎名は、「一点の惻隠の情さえ見られない」と苦りきった。以降自民党内は大混乱へひた走っていくことになり、反三木派は「三木降し」へと向かうことになる。

 2012年に刊行された「中曽根康弘が語る戦後日本外交」の中で、中島琢磨が、その点を問いただしている。それに対する中曽根の答えは次の通り。
 「アメリカ側には、田中勢力の打倒においては、三木に期待していたところがあったのでしょう。田中は石油を世界中から獲得するために、中東だけではなく、ソ連、ノルウェー辺りの石油にまで日本が手に入れようと動き出しているので、アメリカ石油資本が田中は敵(エネミー)だと認識して、彼をやっつけろと。そういう動きがアメリカ議会やアメリカの政治にありました。嘘か本当か知らんが、そういう情報もありましたね」。
(私論.私見) 三木首相異常はしゃぎの不自然さについて
 「角栄が米国の虎の尾を踏んだために葬られた」(田原総一朗)説を中曽根自身が暗に追認していることになる。その理由を資源問題に矮小化させているが、「三木首相異常はしゃぎ」の背後事情を認めている点で貴重である。

【野党各党、マスコミ各社の異例の速さの特別委編成】
 「ロッキード事件の勃発」はすぐさまわが国の政界に波及した。野党がこの問題を追求、マスコミは連日この問題を報道、国会内外で激しい攻防が展開される。

 2.5日、社会党が午前の国会対策委で、「ロッキード政治献金調査特別委」(委員長・上田哲)設置を決める。

 2.6日午前、共産党が「ロッキード問題真相追求委」設置。同午前、民社党が「ロッキード問題調査特別委」設置。同午後、公明党が「ロッキード調査特別委」設置、直ちに黒柳明参議院議員ら3名が派米された。

 2.7日、社会党は、予算委員会での証人喚問に自民党が応じない場合、全ての審議を拒否することを決めた。

 朝日新聞社は、2.7日に早くもロッキード特別取材班を編成し、「総力を挙げて取り組む」との意思統一をしている。

 2.8日、民社党、2.9日、社会党、2.10日、共産党が調査団を派遣。各党とも相当の資料を渡され、約一週間後帰国する。

【鈴木卓郎の「共産党取材30年」の指摘】
 ロッキード事件に異例にはしゃいた三木首相に負けず劣らず、この時日共の宮顕は疑惑の徹底解明を呼号し、政界に「左」からの影響を与え続ける。何故宮顕は異常にはしゃいだのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第7弾である。

 鈴木卓郎の「共産党取材30年」に次のように記されている。
 「助かったのは『スパイ査問事件』を追及されていた共産党である。『査問事件』のナゾは解かれたわけではないが、要するに話題はロッキード献金の方へ移ってしまい、話題としては急速にしぼんだ。宮本を獄中から釈放したのはマッカーサーであった。今度はロッキードが宮本を世論の総攻撃から救った。これで宮本は二度『アメリカ帝国主義』に助けられたことになる。なんとも運の強い皮肉な共産党委員長といわざるを得ない」。
(私論.私見) 「宮顕の奇妙な救済」について
 鈴木卓郎の「これで宮本は二度『アメリカ帝国主義』に助けられたことになる」は、興味深い指摘である。鈴木卓郎の「共産党取材30年」の指摘の如く「戦前党中央委員小畑リンチ致死事件問題」で窮地に陥っていた宮顕がこれにより劣勢挽回していくことになった。日頃、対米従属論で反米闘争を構える宮顕が裏で米英ユ同盟と通底している様が見えてくる。これをどう整合的に理解すべきだろうか。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

 2.9日、自民党は、政府・与党連絡会議で、証人喚問要求に応じ、2.16、2.17日に行うことを決める。証人は、児玉、小佐野、檜山、松尾、伊藤、大久保、若狭、渡辺の8名を予定した。


【久保卓也事務次官発言】
 2.9日夜、防衛庁の久保卓也事務次官が、記者会見で次のような発言をしている。
 「PXL(次期対潜哨戒機)国産化の白紙還元は、国防会議議員懇談の開催直前、当時の後藤田正晴官房副長官と相沢英之大蔵主計局長が田中首相同席のもと決めたもので、防衛庁事務当局はその時まで知らされていなかった」。

 この「久保発言」に対し、すぐに後藤田、相沢両氏が抗議し、久保事務次官は発言を撤回し、自ら訓戒処分に附した。しかしそれにしても、なぜこの時期こういう発言が為されたのか、それが「久保発言に纏わる疑惑」である。「久保発言」は、児玉ルート案件と考えられていたPXL導入疑惑に角栄を加える事により「角栄マター」とする流れを作った。

【外務省の動き】
 2.11日、新任の駐米大使として、東郷文彦氏がワシントンに着任した。東郷氏は、国務副長官インガソルを訪ね、三木首相の要請を重ねて伝えた。

【児玉喚問不能】
 2.5日、ロッキード事件が勃発したこの日、児玉は既に雲隠れしていた。マスコミ各社は児玉の行方を追跡したが足取りが杳として知れなかった。

 2.12日、東京女子医大教授・喜多村幸一氏が記者会見し、概要「児玉は自宅にて加療中で面会謝絶。児玉の病状から判断して、証人として国会に出頭することは無理である」と発表した。

 この件に関し、事件から25年後、元東京女子医大脳神経外科助教授・天野恵市氏が、月刊誌「新潮45」(平成13.4月号)に「児玉誉士夫の『喚問回避』に手を汚した東京女子医大」というタイトルの手記を寄稿し、当時の内情を暴露した。
 「重要参考人である児玉誉士夫を国会に呼んで証人喚問を行う。そう決定した国会に提出された主治医・喜多村の診断書では、児玉は重症の脳梗塞であり、そのため証人喚問には応じられないとされていた。しかし、マスコミの独自調査では、児玉は重症ではなく、最近も埼玉県の久邇カントリークラブでゴルフをしている。ゴルフ場まで車で児玉を送迎したのではないかとされる運転手は、マスコミの取材後に自殺した」。
(私論.私見) 「児玉喚問不能の政治的意味」について
 「児玉喚問不能」の政治的意味は、ロッキード事件に於ける本来の究明ルートである「児玉ー中曽根ーナベツネラインルート」への捜査が向わず、無理矢理に角栄ルートへ向うことを意味する。その後の喧騒は、全てこのレールを上滑りさせていくことになる。

 これより以降は、【ロッキード事件の概要1-2(ロッキード事件訴追史)】に記す





(私論.私見)