外交官・杉原千畝

 更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「親ユ家日本人考/外交官・杉原千畝考」をものしておく。


【杉原千畝】
 杉原千畝氏は、ナチスから逃れてきたユダヤ人たちにビザを発給しようとしたが、日本の外務省から「ビザを出してはいけない」と言われていたにもかかわらず独断でビザを発給し、帰国後は外務省から解職された(杉原千畝記念館サイトより)。

 リトアニアにある杉原千畝記念館を訪問しました。杉原さんの勇気ある人道的行動を、同じ日本人として、大変誇りに思います。 pic.twitter.com/3WA2uXhrqk

— 安倍晋三 (@AbeShinzo) 2018年1月14日
 Nov. 24, 2015「交流文化クロニクル」の「第四回 素敵な日本人へ ユダヤ人避難における役割」。
 01、「命のビザ」、その先に  第二次世界大戦中、命のビザを手にしたユダヤ人を日本へ

 2015年、日本は終戦から70年を迎えました。今、世界各地では当時の記録を、世代を越え継承することに高い関心が集まっています。そのひとつに「命のビザ」があります。第二次世界大戦の最中、ユダヤ人の命を救うため日本人外交官・杉原千畝(1900~1986)が発給し続けたビザの記録です。昭和15(1940)年、杉原千畝は副領事として赴任していたリトアニアで、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に政府の方針に背き日本通過のビザを発給し続けることで彼らの亡命を助けました。現在、杉原が執務にあったリトアニアの旧日本領事館は「杉原千畝記念館」として一般公開され、この功績は海外でも多くの人々に知られています。杉原のビザを手にしたユダヤ人の多くは、その後大陸を横断し、海を渡り、日本へ。そこから世界各地へ脱出し命をつなぎました。この大陸から、日本への船での輸送斡旋を担ったのが、「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」(以下、ビューロー)。現在のJTBグループでした。荒れ狂う海上でこの輸送斡旋に従事した記録が残っています。交流文化クロニクル第4回では、このユダヤ人避難でJTBグループが果たした役割と職員たちの記録を紹介したいと思います。

 02、4000人の命を運ぶ 荒れる海、困難な旅路、多くの命を運んだユダヤ人の輸送斡旋

 重大な決断

 昭和15(1940)年春、一件の依頼がジャパン・ツーリスト・ビューローのニューヨーク事務所に入りました。それはヨーロッパから日本経由でアメリカへ向かうユダヤ人の輸送斡旋協力の依頼でした。依頼前年の9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦が勃発。ナチス・ドイツはユダヤ人を弾圧、強制収容所へと送り込みました。当時その迫害から逃れるため西欧への脱出路を断たれた多数のユダヤ人が、唯一の逃げ道であった旧ソ連領に続々と押し寄せていました。彼らの多くは杉原が発給した日本通過のビザを持っていました。この知らせを受け在米ユダヤ人協会は同胞を一人でも多く無事に助け出したいとアメリカ政府の許可のもと、旅行会社のウォルター・プラウンド社(のちのトーマス・クック社)を通じビューローに協力を依頼してきたのです。

 ヨーロッパからシベリア鉄道で終点のウラジオストクに到着するユダヤ人たち。そこから日本へ渡る唯一の避難経路は船でした。船舶で日本海を縦断し、福井県の敦賀(つるが)港で日本に入国。神戸や横浜へ移動の後、アメリカ・サンフランシスコを目指しました。ビューローはこのユダヤ人のウラジオストクから敦賀までの海上輸送とその斡旋を依頼されたのでした。

 当時の日本にとってドイツは重要な友好国。ナチス・ドイツから逃れるユダヤ人を日本の特定の機関が助けることは、時局をかんがみて様々な問題を引き起こすことも考えられました。それは、日独伊三国同盟が締結されるわずか数カ月前のことだったのです。ジャパン・ツーリスト・ビューローの本社でも、依頼を受けるべきか、さまざまな議論が交わされたといいます。最終的に人道的見地から依頼を引き受けることに決定しました。

 命がけの輸送斡旋

 ウラジオストク―敦賀間の航路に添乗員を派遣し上陸地の敦賀には駐在員を配置、まず海上輸送の体制を固めました。さらに日本入国後のユダヤ人乗客の移動にも万全の体制で臨みました。港から敦賀駅までのバス輸送の準備、さらに敦賀駅から神戸や横浜へ向けて出発する臨時列車の手配も行いました。

 昭和15(1940)年9月10日最初の船が敦賀港を出航。ユダヤ人乗客を迎えるため ウラジオストクへと向かいました。極東の港湾都市ウラジオストクまでは片道2泊3日の道のり往復で約1週間の旅程です。記録では4名の職員が交代で乗船、休みなく添乗斡旋にあたっています。当時入社2年目でこの業務に最も多く従事した職員大迫辰雄が当時の様子を回想録に残しています。

 それによれば、困難を極めたのが日本海を縦断する航海だったようです。季節が秋から春にかけての冬場。冬の日本海は時化(しけ)が多く船は揺れに揺れ、また「船酔いと寒さと下痢に痛めつけられた」と振り返っています。さらにその揺れはとても眠れたものではなかったと語り、食堂では「用意した皿、調味料台などがテーブルの上を前後左右にすっ飛び、万事休す。」と記述に残しています。

 乗船した職員同様、乗り込んだ400名以上のユダヤ人にとっても、その道のりは決して楽なものではなかったことがうかがえます。また大陸近くの海では機雷により不運にも沈没していく船もあったといいます。当時の状況を考えると、乗員にとっても乗客にとってもまさに命がけの航海だったともいえます。この海上輸送は、翌年の独ソ戦の開始によりヨーロッパからシベリア経由での避難経路が断たれるまで約10か月に渡り続けられることになります。

 03 素敵な日本人へ 「素敵な日本人へ。」一人のビューローマンに贈られた乗客からのメッセージ

 重要な船内業務

 ウラジオストクから敦賀までの海上輸送を開始させたビューロー。大迫たち職員は輸送斡旋以外にもう一つ重要な役割を担っていました。米国在住の親戚・友人からユダヤ人協会へ託された保証金。それを預かり名簿と照らし合わせ乗客の中にいる該当者へ手渡すことでした。そのお金は日本到着後アメリカへの脱出を支える貴重な資金となりました。

 その業務は日本到着後、最終目的地への移動を滞りなく進めるため、ウラジオストクから敦賀までの航海中に行われました。船の添乗にあたる職員は2泊3日という限られた時間の中で約400名にのぼる乗客の氏名と送金額のリストを照合、ひとりひとりへの給付の手配や授受の有無を確認していく必要がありました。「多くの航海中、殆どの難民は船酔い状態。悪臭漂う三等船室で一人一人をチェックすることは大変な仕事であった。」大迫は記録に残しています。

 荒れ狂う海の上、膨大なリストの中からひとりずつ名前を聞いて回り本人を探し出すのは容易なことではありませんでした。なにより苦労したのは言葉の問題でした。アメリカからの依頼を受け英語に堪能な職員で添乗員たちは構成されていました。しかしヨーロッパ各国から逃れてきた多くの乗客は多種多様な言語を話し英語を話せる方は非常に少なかったのです。職員たちがこの業務を全うできたのはユダヤ人乗客の協力によるものでした。乗客の中から英語を話せる方を探し出し通訳をお願いしたのです。どんな困難な環境でも、与えられた業務を全うする。それは現在のJTBグループにも受け継がれる職務姿勢のひとつです。そこにはその思いに共感し賛同してくれる協力者の存在が欠かせません。当時の職員たちの懸命な働きが乗客の皆さんの協力を生み出していったのではないかと考えています。

 民間外交の担い手として

 「私たちビューローマンのこうした斡旋努力とサービスが、ユダヤ民族の数千の難民に通じたかどうかは分からないが、私たちは民間外交の担い手として、誇りをもって一生懸命に任務を全うしたことは確かである」。回想録の中で大迫はこう結んでいます。『民間外交の担い手』という言葉。それは業務だけに留まらず困難な旅路でも常に乗客の心に寄り添うことを目指しました。大迫が残した当時のアルバムにその姿勢を垣間見ることができます。

 女性のユダヤ人乗客と大迫が甲板に並んで写ったスナップ写真。大迫が隣に寄り添う女性客は安心した笑顔をカメラに向けています。別のページには7人の乗客のポートレートが並んでいます。それは大迫が添乗した際にユダヤ人乗客から贈られたものです。裏側には大迫に宛てて様々なメッセージがつづられています。ポーランド語で書かれたある女性客のメッセージです。「私を思い出して下さい。素敵な日本人へ」。懸命に働いた大迫をはじめとした職員たち。乗客に寄り添い忘れられない交流を生み出すことにも気を配りました。その努力と姿勢が言葉をこえ、お客様の心へ届いたのではないかと考えています。

 04 どんな状況でも職務を全うする どんな困難なときも常にお客様に寄り添い、その笑顔と喜びを

 民間外交官という言葉を胸に取り組んだユダヤ人避難の輸送斡旋。ウラジオストクから約4000名のユダヤ人が海を渡り、晴れて敦賀に降り立ちました。そしてその後日本を経由し最終目的地アメリカへと無事旅立っていきました。国や情勢がいかなるものであっても、目の前のひとりひとりの大切なお客様に寄り添い懸命にお手伝いをする。どんな状況でも常に職務を全うするという気持ちがそこにはあります。その思いは時代をこえ、日本を代表するという志のもと現在のJTBグループに受け継がれているのです。

(取材協力/北出明氏)
参考文献/北出明著『命のビザ、遥かなる旅路―杉原千畝を陰で支えた日本人たち』(交通新聞社新書)『観光文化 別冊2006 July』(財団法人日本交通公社)


【杉原千畝の美談フェイクニュース考】
  2018/5/10、「杉原千畝の美談はフェイクニュースだった!?」。
 wikipediaを見ると、「第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃
れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救った」と書かれている杉原千畝だが、DHCテレビによる髙山正之・馬渕睦夫・大高未貴の鼎談を見るとどうやら作り話的な要素があるらしいので、関連する部分を文字起こししたい。
 杉原千畝の美談

 まずは、杉原千畝の美談がどういうものか概略を紹介したい。映画「スギハラチウネ」の解説によれば、「日本政府の命令に背いてナチスに迫害されたユダヤ難民に日本通過のビザを発給し、6000人の命を救った」とある。書籍「杉原千畝物語―命のビザをありがとう (フォア文庫)」によれば、「千畝は迫害されたユダヤ人を救うため、外務省の命令にそむいて、自分の意志で日本通過のビザを発給しつづけ、六千人のユダヤ人の命を救ったのです。心の命令にしたがった外交官杉原千畝の生涯。愛と感動のノンフィクション。」となっている。著者は杉浦千畝の妻と長男だ。19件あるレビューのほとんどは「感動した」というものだが、1件だけ「反日NHKによるフィクション」と書いてある。
 杉原千畝について、DHCテレビの関連部分の文字起こし。動画はこちら。杉浦千畝に関しては、41分ぐらいから話が始まる。
馬渕睦夫  例の杉原千畝事件ってのがあったでしょ?あの時私はイスラエルにいたんですね(※引用者注:馬渕氏は1991年から1995年まで在イスラエル日本大使館公使だった)。イスラエルにいましたからね、日本で突然、杉原千畝がわーわーって言われたから、一体なんぞやと全部調べ直した。それでメディアで言われているのと全く事実は違うということを調べて、仕事でたまたま日本に帰ったらね、あるテレビ制作会社のディレクターが「ぜひお話しを伺いたい」と来たんですよ。それで「わかりました」って言ってね、この時とばかりに全部、「日本政府はビザは拒否していないと。出してもいいけれども、所持品を持っているとかね、最終行先地のビザがあるとかチェックして出すように。杉原は別に、その後も出世してるんですね。勲章まで貰っている。最後は外務省の人員整理で辞めたと。そういう話をね、とくとくとして「わかりました」ってそのディレクターが帰ったらね、できあがったメディアは例の日本政府がビザを出したらいけないっていうのにね、それに挑戦してビザを出した、英雄だなんてやってて。
居島一平  杉原さんが上司の意に逆らって、という物語にされているんですね。
馬渕  そうそう。みんなそれやってる。残念ながらいまだにそれはね、何度も名前だして悪いけど産経も改めてない。改めてないですよこれは。だけどあれはね、学校の副読本になっているけども全部誤りなの。でもそれは一切、日本の全部が、メディアがそういう風にね、「日本政府がNOと言ったのにそれに逆らった人道主義者だ」と報道して、フェイクの事実を作ってしまった。だからその時に私が思ったのは、まさに全てのメディアが同じ報道をするのはこれは危ない。で、今は日本の全てのメディアが反トランプなんです。これも危ない。必ず裏があるんですね。だからね、我々はその一つね、フェイクニュース、フェイクニュースなんだけれども、ものによっては産経・読売と他と違うとかあるんです、それはいいんです、健全だからね。だけども、産経読売も含めて同じことを言うと、これは危ない。これは危険だということをあらためて感じましたね。
大高未貴  よっぽどその、杉原千畝に関してユダヤ人を日本人が救出したということに関して、例えば満州国でユダヤ人にゲートを開けた樋口さん(引用者注:樋口季一郎)とか安江さん(※引用者注:安江仙弘)、ゴールデンブックにも名前が載ってます。(引用者注:ゴールデンブックとは、ユダヤ人が大切にする聖典で、主にユダヤ民族出身の世界的人物名を記載したもの)
高山正之  東条英機も入れていいよね。
大高  そうですよね。そういったことがタブーならしくて、私もあるイスラエルの団体でユダヤ人救出についての講演を依頼されたことがあって、で、この樋口さん安江さんのことに触れたいって言った時に、「それはやめてくれ」って言われたことがあるんです。あくまでも、杉原千畝が日本の国策に反して日本のシンドラーとして頑張ったという美談で、そこから逸脱して欲しくないという強い圧力があり、底知れぬ不気味さと怖さを感じたんですね。ある団体のね。なんでそういうことするんでしょうかね?
高山  やっぱりね。もし、満州国で、オトポールだっけ?あそこから多く人を入れた、しかもその杉原千
畝もそうだけど、目的地がきちんとアメリカなりなんなりあって、しかも無い人には上海の疎開地、あそこにも入れるというんで、結局全部便宜を図ってやって、あの時代に片方ではユダヤ人を救うんだとかいうのは、実際そんなことは口先では言ってるんだけど、実際に別にキリスト教徒でもないユダヤ教徒でもない日本が全て手筈をやって、満州のことをばらしたらね、認めたら、上海に入れてやったルート、それから上海からアメリカまで開いてやったルート、そういうのもどんどん出てきちゃうわけよ。そうするとあの時代、一番人道国家というのは日本だったんだって、しかもね、オトポールの事件では当時はもう絡んでるから、それがどうしてね、東京裁判で死刑になるのかっていう(引用者注:東条英機のことだと思われる)、またこれ問題になるわけで、もう杉原千畝だけでいいと、あと話は広げるなっていうのは、やっぱりさっき大使(※馬渕のこと)がおっしゃったようなさ、ある意向があってその意を踏み外させないし日本のジャーナリズムもその範囲で勝手にやんなさいと。
大高  でも日本側はそこをわかっておいて、しれーっとしてね、映画でも作ればいいと思いません?日本とユダヤの友好の物語でもなんでも。
居島  樋口季一郎さん主役にしてね。
大高  満州の国境で震えているユダヤ人の映像から入って、そこで関東軍の心の葛藤も入れて、それで感動的にゲートを開けて、そっからね上海からユダヤ人がどれだけアメリカ、新天地に渡っていって第二の人生を歩めたかって映画にするだけでもいいと思うんですけど。
居島  すごく絵になりますよね。
高山  葛藤は無かったと思うよね、だって瀋陽・奉天にはちゃんと交響楽団があってユダヤ人の人たちがたくさんやってたしね、そのうちそこに来たシロタなんとかっていうの(引用者注:ベアテ・シロタ・ゴードンの父のことか?)、わざわざ日本に招いて日本で居住させているわけだから、悪いものは何もないわけ。だけどあの時代にやっぱりほら、セントルイス号事件みたいにアメリカがユダヤ人の入国を拒否して、キューバにも拒否させて追い返して、それで強制収容所で死なせてしまったっていう事実が平行してあるんだから。対して日本では、いわゆる博愛というかね、人種差別の無い対応をしてきた。それをまさに映画化すればもうこれに勝るものはないやね。
大高  このせっかくの日本の美談を、中国がちゃっかり乗っ取って、中国が助けたみたいなね、フェイクニュース、嘘を、上海に記念館を作ってね。もう黙ってたらなんでも日本の功績を自国の功績にすり替えてしまって。
(引用者注:上海犹太难民纪念馆Shanghai Jewish Refugees Museum)。
高山  それは何、ユダヤ人は問題にしないの?ユダヤ人が日本に助けてもらったのに、あのブルーメンソール(引用者注:マイケル・ブルーメンソール)だっけ?彼は中国人と一緒にね、あの爆撃を受けたのを救助して歩いたんだって、日本が憎いみたいなことを言っているわけだよ。お前幻見てるのか?と。お前が来た時には既にもう中国にはね、日本を襲うような爆撃もないし日本はやってもいない。そういう事実があるだろと。あれをやっぱりね日本の新聞が書いてアメリカに「お前何でこんな嘘つくの?」っていうのをやればいいんだよね。
馬渕  それがね、私からも申し上げた、つまりフェイクニュース=フェイクヒストリーなんですね。だから今のようなフェイクヒストリーが横行しているわけです。日本が正しかったということはね、いわゆる「正しい歴史」は決して認められないということですね。それを遡ればね、今の人種問題ですけど、遡れば又あのウィルソン(引用者注:ウッドロウ・ウィルソン)に行くんですよ。ウィルソンは反対していたんですよ、あの国際連盟規約に人種平等の条項を入れよって日本が主張していたんです。
居島  パリ講和会議で。
馬渕  紆余曲折ありましたけどね。最終的に決をとったんです、採択を。そしたら過半数取ったんです。そしたらウィルソンが何か言っていると。何て言ったかというと「こんな重要な問題は全会一致が必要だ」って葬っちゃったんですよ。日本はだから、それ以来というかずっとですけどね、そういうその人道国家であってね、人種平等国家なんですよ。でもその日本を叩いて原爆で殺したから、そういう日本が人道国家であることがわかると具合が悪いんですよ。原爆を落とした人は戦犯ですからね。彼らこそ本当の意味での戦争犯罪を犯した人たちです。それをばらされると困るから、ずっと戦後70年、ずーっと日本は縛り付けておかなきゃならない、しかしね、私が思うのはそれも70年、80年が限度でね、永遠には嘘で縛り付けることはできないからね。だからやっぱりね、トランプが出てきたっていうのはね、日本にとっては僥倖なんです、これは。
居島  嘘の歴史も金属疲労をおこしますからね。
馬渕  だからリンカーンが言ったようにね、一人の人間を永遠に騙すことはできると。全ての人間を一時的に騙すことはできると。しかし全ての人間を永遠に騙すことはできないという有名な言葉がありますけどね。そうなんです。そういう今まで連合軍、アメリカが作り上げてきた嘘がね、嘘の歴史がいよいよばれ始めてきたと。そういう時期にあるんですね。ですからこそメディアはね、日本のメディアもしゃかりきになってそれを押し止めようとする。だから正しい歴史を取り戻そうとした安倍さんなり稲田さんなりを引きずり降ろそうとして、稲田さんは結局ね、引きずり降ろされたけれども、総理もそうでしょ、だからそれをやられたら困るんですよ。日本のメディアも困る。だって日本のメディアは嘘の歴史観の上に立ってるメディアですからね、残念ながら。
 鼎談は続くがとりあえずここまで。 本当は杉原が特別だったのではなく、多数の日本人が人種平等を訴えたりユダヤ人救出に一役買っていたのに、それを杉原一人の功績にし、かつ日本政府を悪役にすることで戦前の日本を貶めようという意思が働いていることが読み取れるかと思う。

 下記記事によれば、杉原は「日本の提示条件を満たさない避難民の日本行き乗船を、ウラジオストクで拒否せよ」と意見具申しており、日本国政府の方針に忠実に従っていた普通の外交官だったことが読み取れる。参考記事:「杉原千畝」で日本人はダマされるな!

 コメント
 ななし より: 2017-09-23

 結局は慰安婦問題と同じで、『日本政府が悪い』とする東京裁判史観・自虐史観による洗脳の一部なんですよね。いわゆるグローバルメディアが手動して、今もまだフェイクニュースというかポスト・トゥルースを撒き散らしているようですし。パプアニューギニアの日本軍問題といい、最近のロヒンギャ問題といいホント誰の利益になるんでしょうね。
 nextir35 より: 2017-09-23

 戦勝国側が、戦勝国にも悪い面があったといったん認めた上で未来志向の国際関係を築かないと事態は変わっていかない気がします。そういう意味で、しがらみのないトランプさんに期待です。
 匿名 より: 2017-09-26

 東条英機がユダヤ人を助けていようが死刑であることには変わりないでしょう。少しぐらいいいところを知られてもいいと思いますけどね。
 nextir35 より: 2017-09-26

 そうですね。1938年、樋口季一郎中将は、独断でソ満国境のオトポールにたどり着いたユダヤ人をハルビンに受け入れています。ドイツからこの件でクレームが入り、東条英機は樋口を呼び出しますが、樋口に「五族協和」「八紘一宇」の理念を説かれ、不問に付しました。

 杉原千畝を顕彰し植林された木が一部消失 記念碑も所在不明に」。

 第2次大戦中に外交官・杉原千畝は「命のビザ」で数千人のユダヤ人を救った杉原を顕彰してイスラエルで松など400本が植林されたが、一部が消失した。伐採された可能性が高く、記念碑も撤去されて所在不明だと12日に分かった。「提供社の都合により、削除されました。概要のみ掲載しております」。

【ヘブライ文化研究者/小辻節三(こつじてつぞう)】
 1940年、第二次世界大戦のさ中、欧州の多くのユダヤ人が外交官・杉原千畝の発給したビザを使ってナチスドイツによるホロコーストから日本に逃れた。しかし短期ビザだったため欧州へ強制送還される恐れがあった。小辻氏は当局に掛け合ってユダヤ人の滞在延長を認めせ、米国などへの渡航を助けた。数千人が助けられたと云われる。当時の日本政府がドイツと同盟関係にあったことから小辻氏はスパイ容疑で拘束され、拷問を受けたこともあったという。1973年に74歳でなくなるまで全国を講演して回るなど、ユダヤ人に対する偏見解消に尽力した。死後はエルサレムに埋葬され、杉原と並びユダヤ人の恩人とされている。次女/てる子。




(私論.私見)