この悲劇を人々が振り返って熟考(nachdenken)し、そこから学ぶ(lernen)ための場所となる「亡命博物館」(Exilmuseum)を建設するためのベルリン市民の運動が昨日、大きく前進し、コンペの勝者、コペンハーゲンのDorte
Mandrupさんの建築事務所による素晴らしいデザインがお披露目となりました。写真はDeutsche Welleのニュースサイトから転載させていただきました:
https://www.dw.com/…/deutsches-exilmuseum-in-ber…/a-54573138
このデザインは、いかがでしょうか?
ベルリンからの多くの亡命者が利用し、そして、ユダヤ人住民を強制収容所に送ったアンハルト駅(Anhalt Bhf.)の廃墟を活かして、駅のファザードが正面来るデザインで、私も、「やはり、重要な歴史博物館、追悼施設はその重要性にふさわしく、美的にも優れていなければならないな」とうならされました。
式典では、この計画の後援者であり、2009年にノーベル文学賞を受賞した作家ヘルタ・ミュラー(Herta Müller)が改めて、亡命者が味わった絶望、平穏な日常を奪われた不条理さを世界に訴えました。
もう一人の後援者である、ヨアヒム・ガウク前大統領もスピーチし、「亡命者たちが辿った運命は、私たちが彼らの悲しい運命に同情、共感する機会を与えてくれるに違いない。あるいは、亡命を選んだ彼らの決然とした生き方に驚嘆するきっかけをも与えてくれるに違いない」(Die
Schicksale der Exilanten gäben Anlass für Mitgefühl, aber auch für "Bewunderung
der gelebten Entschlossenheit".)と名文を寄せています。
私も大学時代、ベルリン観光をするなら必ず訪れなければならない場所として、同級生には、旧東ドイツの秘密警察(Staji)が政治犯を拘留していた刑務所など、負の歴史を伝える博物館nなどを勧められました。完成した暁には、この「亡命博物館」もそういった場所に加えられることは間違いないでしょう:
https://www.stiftung-hsh.de/geschichte/stasi-gefaengnis/
さて、今年の終戦記念日、日本ではまた、自国の被害中心の報道を延々と流しているのでしょうか…。
今晩のニュースを見た後、Wikipediaでざっと、日本における戦争関連の博物館について調べてみましたが、数が相当少ないです。(どこもなんだか古臭い)いくつかHPをざっと見たところ、日本の加害の歴史よりも、空襲の被害など、日本の被害の歴史の展示が多いような気もします:
https://ja.wikipedia.org/…/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%8…
一方、ドイツにおけるナチスによる加害の歴史、犠牲者を追悼する施設、博物館の数は圧倒的です。200を超えた時点で、私も数えるのをやめてしまったほどです:
https://de.wikipedia.org/…/Liste_der_Gedenkst%C3%A4tten_f%C…
もちろん、ドイツ全土に隈なくあるナチス・ドイツの加害の歴史を伝える博物館、犠牲者のための追悼施設のすべてが、この「亡命博物館」のように大規模なわけではありません。エアランゲンの隣街、フュルト(Fürth)にあるユダヤ博物館も、もともとはユダヤ人一家の邸宅だった建物を改装した建物で、さほど大きくはありません。
ドイツ国内では、ユダヤ人がいたるところで身近な場所で迫害、追放されたが、大日本帝国軍の加害の歴史は、日本国内で起こったわけではないから、歴史博物館、追悼施設は建設しづらかったなどという言い訳は、本当に通用するものなのでしょうか?
だって、関東大震災の際に「東京で」起こった朝鮮人虐殺の追悼施設でさえ、横網町公園にはありませんよ?!一角にほんの小さなお堂でも、何かを建てることだってできたかもしれないじゃないですか。
ドイツの「亡命博物館」のニュースを受けて、ベルリン市民が、ドイツ中の人たちがその計画の崇高さ、建築の美しさに喜ばしい気分でいるのとは対照的に、私は日本の終戦記念日のことを思い、とても暗澹たる気持ちでいます。
私たちはせめて、大日本帝国、天皇の臣民(ドイツのニュースは「天皇の軍隊」という呼称をよく使います)が味わった空襲の悲劇よりも、侵略された国々の人々がどれほど尊厳を踏みにじられ、恐怖を味わったのかを振り返り、思いを馳せ、そこから学びましょう。