1985年8月12日、日航所属ボーイング747SR100型JA8119号機は、日航の定期便として羽田~千歳503便、羽田~福岡363便を経て、366便として福岡から17時12分に東京・羽田空港に到着している。航空機関士を除き事故時とは別の運航乗務員により運航されている。17時17分、18番スポットで123便(東京ー大阪)として飛行準備のための点検等が行われた。出発予定時刻は18時00分。燃料3時間15分を搭載していた。
東京航空局東京空港事務所に提出された同機の飛行計画は、計器飛行方式、巡航速度467ノット(真対気速度)、巡航高度24,000フィート、目的地大阪空港への経路は三原、相良、シーパーチ、W27、串本VORTAC、V55、信太VOR/DME、大阪NDBまでの予定所要時間は54分、持久時間で表された燃料搭載料は3時間15分であった。
出発予定時刻は18時00分のところ、何故に12分遅れになったのか。これにつき詮索されていないが、奇妙なことではなかろうか。これを、「第2の異変奇怪/定刻より12分遅れの離陸」とする。
東京航空局東京空港事務所に提出された同機の飛行計画は、計器飛行方式、巡航速度467ノット(真対気速度)、巡航高度24,000フィート、目的地大阪空港への経路は三原、相良、シーパーチ、W27、串本VORTAC、V55、信太VOR/DME、大阪NDBまでの予定所要時間は54分、持久時間で表された燃料搭載料は3時間15分であった。
6時03分 | 東京飛行場管制所/15L滑走路へ。123便/了解。 |
同4分 | 123便がスポット18から移動を開始し、滑走路15に入った。この時刻が出発時間とみなされる。 |
11分 | 客室のスクリーンやTVの画像が救命胴衣等の説明が終わり、機体下部カメラによる滑走路の画像に切り替わる。乗務員が一斉に座席に座り離陸に備える。高濱機長が客室に挨拶放送。副機長が管制塔から離陸許可を貰う。 羽田管制塔/Japan Air 123 Clerd For Take Off Run Way 03(羽田コントロールよりJAL123、03滑走路にて離陸を許可する)。123便/Japan Air 123 Roger.Cler Take Off(JAL123、了解)。高濱機長が副機長に着陸許可を貰った旨の確認。エンジンの出力を徐々に出し、エンジン回転計が60パーセント付近になったところで一旦止め、全エンジンの計器が安定していることをクルー三人全員が確認。離陸推力ボタンを押し離陸開始。自動でエンジンの出力が上がり、ゆっくりと滑走を始め、徐々にスピードが離陸速度まで加速されていく。機士が速度計を読み上げ副長が呼応する。 「V1!」(緊急停止可能速度)。「VR!」(離陸可能速度)。副長が操縦桿を引き離陸した。 |
12分 | 東京ターミナル管制所/浦賀へ誘導。高度13,000ftを維持せよ。123便/了解。123便が定刻より12分遅れに羽田を離陸。 ※「12分遅れ」の理由は明らかにされていない。 |
出発予定時刻は18時00分のところ、何故に12分遅れになったのか。これにつき詮索されていないが、奇妙なことではなかろうか。これを、「第2の異変奇怪/定刻より12分遅れの離陸」とする。