少し前に、碁吉クラブの懇親会の話題の中で、取り上げかけながら、図書館から借りて来た書物のため、一時返却で手元を離れたのをきっかけに、頓挫していたが、再び借りてきて、読み始めた。著者の秋山氏は、囲碁観戦記者として、主に朝日新聞の名人戦を担当。ペンネーム「春秋子」として知られる。囲碁ライターとして、週刊碁をはじ他の囲碁雑誌にも登場・執筆。著書も「囲碁とっておきの話」のほか、編集記述を務めて「藤沢秀行全集」「藤沢秀行 飛天の譜」「囲碁百名局」などを出されている。また季刊の個人通信誌「凡鳥庵だより」も発行。それよりすごいのは、日本棋院・囲碁殿堂ノミネート委員に選出されていることである。本文の初頭には「千数百年にわたる日本史上の巨人たちをまとめて、棋風と棋力を推理してしまおうと思い至るようになりました。残された作品だけが推理の材料。しばらくは僕の遊びに付き合ってください」とある。
最初に登場するのは、紫式部と清少納言。源氏物語には対局場面がいくつも出てくる。空蝉(うつせみ)の巻もその一つで、それを取り上げている。ここでは紫式部にしぼることにする。以下本文に入る。
「17歳の源氏が空蝉と義理の娘の軒端荻(のきばのおぎ)の対局をのぞき見る場面。源氏は前に一度契った人妻の空蝉に恋いこがれて、その邸を訪ねたのです。”碁打ちはてて、けちさすわたり、心と(疾)げに見えて、きはぎはしうそう(騒)どけば、奥の人はいと静かにのど(和)めて、”「待ち給へや。そこはぢにこそあらめ。このわたりのこう(劫)をこそ」などいへど、「いで、この度は負けにけり。隅のところどころ、いでいで」と、および(指)をかづめて、とお(10)はた(20)みそ(30)よそ(40)など数ぞふるさま、伊予の湯桁も、たどたどしかるまじう見ゆ。”
「三つの囲碁用語が出てきました。劫は問題ないとして,"けちさす"と"ぢ"が大問題。・・・まず、"けち"ですが、従来は"欠"を当てました。ダメのことです。"けちさす"は岩波の大系では、"駄目に碁石を詰めて塞ぐこと。駄目即ち欠とは両方の境界にあって,どちらの所有にもならぬ目をいう"としています。しかしこの解説が駄目なのは、すぐあとに劫が出てくることからも分かります。駄目をつめてから劫をやるなんて明らかにおかしい。では"けち"とは何か、渡辺さんは(今までの解釈は間違っていると、一刀両断に斬って捨てた古代史家)結すなわちヨセのことだといいます。結着(決着)の結。けちさすは、結差すで、ヨセを打つです。大賛成ですね」。
「話はそれますが、紫式部が活躍した百年ほど前の醍醐天皇の時代に、寛蓮という僧がいました。わが国で初めて碁聖と称され、天皇と賭碁を打って金の枕を取り上げた(今昔物語)とされる僧です。碁聖寛蓮は"碁式"を編纂して醍醐天皇に献じたといわれます。碁式は現存しませんが、三百年後、つまり紫式部の二百年後に僧玄尊が著した"囲碁式"に内容が受けつがれました。碁の礼法や戦術を説明した書です。囲碁式は<群書類従>の遊戯部に掲載され、現在に伝わっています。その囲碁式の結事(ケチのこと)の条には、"半番過る程より結を心にかけて、結鼻(けちばな)をとりて敵に一手も先手を取らせじと次第を案じつづけてさす也。(中略)所詮勝負、結により能くさせば、二十目などの負けをさしよする也"とあります。結鼻がよく分かりませんが、ヨセのはなを取る・・・先手を取るのと同じことでしょう。中盤を過ぎたらヨセを考えに入れ、敵に一手も先手をとらせないよう打つべきだ。つまるところ勝負は、ヨセをよく打てば二十目の負けだって指し寄せることができる、となります」。
「どうです?これで"けち"が"結"であり、ヨセのことと納得できますね。つまり、現代の研究者より紫式部は碁の術語をはるかに正確にわかっていたのです。もう一つ"ぢ"の問題があります。地としたり、持ち合いの意味で引き分け(ジゴ)としたりで、ほとんどがソッポです。そこは地ですよではちょっと変だし、そこはジゴですよでは大いにおかしい。ぢに持を当てるのはいいとして、これをセキと解釈しなくては話が通じないのです。囲碁用語で持と出てきたらセキのこと。中国の碁の詩でも持はセキです。紫式部にとっては常識だったのですね。(中略)僕が"碁打ち果てて・・・"以下の部分をきちんと意訳しておきます」。
「碁はあらかた打ち終わり、ヨセに入ったあたり、軒端荻は心せく様子で、たいそうざわついていたが、奥にいた空蝉はもの静かな調子でやんわりと、"ちょっとお待ちなさい。そこはセキですよ。こっちのコウが残ってますよ"という。しかし軒端荻が、"この碁は負けたわ。さあさあ、この隅もあの隅も教(数?)えましょうよ"と、指を使って、十、二十、三十、四十、と地の計算をする様子は、伊予の道後温泉の湯船(数の多いことで有名)を数えるような調子である」。
「源氏物語は空蝉の巻以外にも、姉妹が桜の木を賭けて対局したり(竹河)、天皇と薫の三番勝負があったり(宿木)、浮舟と老尼の心あたたまる対局があったりで(手習)、囲碁シーンがいっぱいです。もちろん囲碁用語もちりばめられ、紫式部が碁に造詣が深かったことをうかがわせます。囲碁用語を正確につかいこなすのは意外にむずかしい。たとえば、ハネかオサエか、アテか切りか、僕でも迷う場合があります。当時の用語をきちんとつかった紫式部は立派な有段者でしょう。たぶん三、四段か。宮廷サロンの女官はそう忙しくないはずだから,碁に費やす時間はたっぷりあったと思います。あるいは五段くらいだったかもしれません・・・」。(続く)
このあと清少納言にはいるが、ここまでで、秋山氏がいかに源氏物語を熟読吟味されたかが分かり、あらためて、その学究の深さに感動したものである。 |