正岡子規は、野球殿堂にも入っていると聞くと、うなずく人よりも何故といぶかる人のほうが多いが、実は日本にベースボ-ルが導入された時から熱心で若き時には野球の選手であり、ポジションは捕手であったという。幼名(のぼる)にちなんで野球(のぼーる)の雅号をもちいたという。
ベースボールを野球と翻訳される4年も前のことである。このほか、バッター、ランナー、フォアボール、ストレート、フライボール等の外来語を、打者、走者、四球、直球、飛球、などと訳したのは子規である。このように日本に野球を知らしめた先人の一人でもある。"まり投げて見たき広場や春の草〟"九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす〟等の野球に関する句や歌も詠んでいる。
子規の囲碁に関する本文に戻ることにする。「夏の句は一つしか見つからなかった。〝碁の音や 芙蓉の花に 灯のうつり„フヨウにはいつも悩まされます。アオイ科フヨウ属のことか、ハスの別称か。夏の子規庵にはアオイが咲いていたような気がします。どちらにしても、聴覚と視覚を総動員した佳句だと思います。さらに花をもってきたことで嗅覚の含みもあり、きれいにまとまっています」。
「秋の句は多すぎて取捨に迷います。子規流を続けてどうぞ。〝淋しげに 柿食うは碁を 知らざらん〟"勝ちそうに なりて栗剥く 暇かな〟 "柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺〟を持ち出すまでもなく、果物を詠み込むのは得意中の得意。しかし対照的ですね。淋しげには、楽しく対局している傍らで、碁を知らずに座興に加われない気持ちをみごとに代弁している。後句は、しめしめ勝てそうだぞ、手拍子を戒めるためにも盤上の手を休め、栗をむこうか、ですね。この感じ、愛棋家なら分かります」。
「秋といえば月。碁と月を同時に詠んだ佳句もあります。〝月さすや 碁を打つ人の 後ろまで〟しっとりとして、なかなかいい。子規庵でのひとこまでしょう。子規は観戦者なのか、碁を打つ人の相手なのか、はっきりしませんが、仮に前者としておきます。観戦の目をふと休めたら、あまり明るくない電灯の部屋に、庭をとおして月の光が差し込んできた。実際に月の光を見たのではなく、畳に映った木影や対局者の影で気が付いたのですね。もうこんな時間になったのかという軽い驚きも隠されています。"碁にまけて 厠に行けば 月夜かな〟負けてトイレに駆け込んで用を足し,冷静になったとき、はじめてみごとな月に気がついた。新鮮な感動が分かりやすく表現されています」。
「夜から昼に転ずるとこんなのもあります。"昼人なし 碁盤に桐の 影動く〟視覚専門。子規一人の部屋の碁盤に桐の葉影が差し、時間とともに動く。孤独で淋しい句だと思います。続いて同傾向の二句を。"焼栗の はねかけてゆく 先手かな〟"蓮の実の 飛ばずに死にし 石もあり〟どちらも碁の用語を弄しただけの駄句と評する向きもあるけど,見方が狭いですね。碁のことばは表現が豊かですぐれている。もっと俳句にとりいれられていいと思います。前句の"はねかけ"は"跳ね掛け"か。栗を焼くとポンとはじけ、はねかかったようになる。それを碁のハネてカケるをかけているのです。ただハネてカケるのが具体的にどんな手段を指すのかよく分からない。ハネカケはハネカケツギの省略形とみることもでき、これならはっきりしたイメージが浮かびます。ハネカケツギが先手になるというのです。語呂合わせですがこれはこれでよろしい」。
「蓮の実は、飛ぶと死ぬが、碁のことば。ハスの実のようには飛ばずに、死んでいく石もある。先の短い人生と"死に石"を重ねて、せつないですね。冬は一句。"真中に 碁盤据えたる 毛布かな" 子規庵の病床でしょう。万年床の毛布の上にドカット碁盤を置いて、門人と対局したり囲碁談義に興じたりする子規先生の姿が彷彿とします。いままでの句と違って力強さがあり、実に楽しそうです。門人とは誰か。碁が一番強かったのは河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)です。専門棋士の鹿間千代治七段と三子で打ったというから、現在のアマチュア六段は下らないでしょう。碧梧桐に五、六子で教わったのが高浜虚子。虚子は初、二段というところか。もちろん、二人とも碁の句を残しました」。
「まったくの独断ですが、子規先生の棋力は碧梧桐と虚子の中間、つまり三、四段ではないかと想像します。根拠はないけれど、碁が好きで好きで万年床にまで碁盤を持ち込んだほどだから、どこからも文句のこない棋力判定でしょう。碁の句をたくさんつくってくれた功績を加味すれば、六段を差し上げてもいいですね」と結んでいる。歴史を彩った大人物が囲碁に熱中していた姿が、かくも身近にせまるとなんともいえない感動を覚える。 |