正岡子規と囲碁

 更新日/2019(平成31、5.1栄和改元).5.18日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここに、「」を転載しておく。

 2005.6.4日 2013.6.04日再編集 囲碁吉拝


 「元たばこ屋夫婦のつれづれ」の2012.2.8日、「正岡子規の棋力は三・四段か?」転載(少し編集替えしております。文意は変えておりません)。
 正岡子規は、野球殿堂にも入っていると聞くと、うなずく人よりも何故といぶかる人のほうが多いが、実は日本にベースボ-ルが導入された時から熱心で若き時には野球の選手であり、ポジションは捕手であったという。幼名(のぼる)にちなんで野球(のぼーる)の雅号をもちいたという。

 ベースボールを野球と翻訳される4年も前のことである。このほか、バッター、ランナー、フォアボール、ストレート、フライボール等の外来語を、打者、走者、四球、直球、飛球、などと訳したのは子規である。このように日本に野球を知らしめた先人の一人でもある。"まり投げて見たき広場や春の草〟"九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす〟等の野球に関する句や歌も詠んでいる。

 子規の囲碁に関する本文に戻ることにする。「夏の句は一つしか見つからなかった。〝碁の音や 芙蓉の花に 灯のうつり„フヨウにはいつも悩まされます。アオイ科フヨウ属のことか、ハスの別称か。夏の子規庵にはアオイが咲いていたような気がします。どちらにしても、聴覚と視覚を総動員した佳句だと思います。さらに花をもってきたことで嗅覚の含みもあり、きれいにまとまっています」。

 「秋の句は多すぎて取捨に迷います。子規流を続けてどうぞ。〝淋しげに 柿食うは碁を 知らざらん〟"勝ちそうに なりて栗剥く 暇かな〟 "柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺〟を持ち出すまでもなく、果物を詠み込むのは得意中の得意。しかし対照的ですね。淋しげには、楽しく対局している傍らで、碁を知らずに座興に加われない気持ちをみごとに代弁している。後句は、しめしめ勝てそうだぞ、手拍子を戒めるためにも盤上の手を休め、栗をむこうか、ですね。この感じ、愛棋家なら分かります」。

 「秋といえば月。碁と月を同時に詠んだ佳句もあります。〝月さすや 碁を打つ人の 後ろまで〟しっとりとして、なかなかいい。子規庵でのひとこまでしょう。子規は観戦者なのか、碁を打つ人の相手なのか、はっきりしませんが、仮に前者としておきます。観戦の目をふと休めたら、あまり明るくない電灯の部屋に、庭をとおして月の光が差し込んできた。実際に月の光を見たのではなく、畳に映った木影や対局者の影で気が付いたのですね。もうこんな時間になったのかという軽い驚きも隠されています。"碁にまけて 厠に行けば 月夜かな〟負けてトイレに駆け込んで用を足し,冷静になったとき、はじめてみごとな月に気がついた。新鮮な感動が分かりやすく表現されています」。

 「夜から昼に転ずるとこんなのもあります。"昼人なし 碁盤に桐の 影動く〟視覚専門。子規一人の部屋の碁盤に桐の葉影が差し、時間とともに動く。孤独で淋しい句だと思います。続いて同傾向の二句を。"焼栗の はねかけてゆく 先手かな〟"蓮の実の 飛ばずに死にし 石もあり〟どちらも碁の用語を弄しただけの駄句と評する向きもあるけど,見方が狭いですね。碁のことばは表現が豊かですぐれている。もっと俳句にとりいれられていいと思います。前句の"はねかけ"は"跳ね掛け"か。栗を焼くとポンとはじけ、はねかかったようになる。それを碁のハネてカケるをかけているのです。ただハネてカケるのが具体的にどんな手段を指すのかよく分からない。ハネカケはハネカケツギの省略形とみることもでき、これならはっきりしたイメージが浮かびます。ハネカケツギが先手になるというのです。語呂合わせですがこれはこれでよろしい」。

 「蓮の実は、飛ぶと死ぬが、碁のことば。ハスの実のようには飛ばずに、死んでいく石もある。先の短い人生と"死に石"を重ねて、せつないですね。冬は一句。"真中に 碁盤据えたる 毛布かな" 子規庵の病床でしょう。万年床の毛布の上にドカット碁盤を置いて、門人と対局したり囲碁談義に興じたりする子規先生の姿が彷彿とします。いままでの句と違って力強さがあり、実に楽しそうです。門人とは誰か。碁が一番強かったのは河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)です。専門棋士の鹿間千代治七段と三子で打ったというから、現在のアマチュア六段は下らないでしょう。碧梧桐に五、六子で教わったのが高浜虚子。虚子は初、二段というところか。もちろん、二人とも碁の句を残しました」。

 「まったくの独断ですが、子規先生の棋力は碧梧桐と虚子の中間、つまり三、四段ではないかと想像します。根拠はないけれど、碁が好きで好きで万年床にまで碁盤を持ち込んだほどだから、どこからも文句のこない棋力判定でしょう。碁の句をたくさんつくってくれた功績を加味すれば、六段を差し上げてもいいですね」と結んでいる。歴史を彩った大人物が囲碁に熱中していた姿が、かくも身近にせまるとなんともいえない感動を覚える。

 「元たばこ屋夫婦のつれづれ」の2012.2.8日、「近代俳句と短歌の大詩人・正岡子規の囲碁」転載(少し編集替えしております。文意は変えておりません)。
 紫式部・清少納言・松尾芭蕉と続けてきましたが、今度は正岡子規です。NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」に登場した正岡子規、その映像が覚めやらぬ中でのことで、これまた興味津々である。碁のうた 碁のこころの著者に深い敬愛をこめてその扉を開く。

 「さて正岡子規(1867~1902)については、いまさら付け加えることもないでしょう。近代俳句と短歌を確立した大詩人です。"あんな顔で詩人であるわけがない〟と、子規や斉藤茂吉をバカにした哲学者がいましたが、大きなお世話ですよ。顔ではなく、句や歌をみなくては」。

 「僕が子規を敬愛するのは、短い生涯の中でたくさんの碁の句を詠んでくれたからです。数えたことはないけれど、全部で二十句近く。碁の句はベースボールを詠んだ歌とともに、子規の異彩をはなった双璧といえるでしょう。そうそう、子規は野球殿堂に入っている。今年は日本棋院創立八十周年を記念して〝囲碁の殿堂„ができるそうですが、子規をぜひいれてほしいですね」。

 注・・・今年とは2004年(平成16年)、日本棋院が創立八十周年記念事業の一環として設立。11月にオープンしている。囲碁の普及と発展に貢献された人物を顕彰するために、野球殿堂を参考に設立したという。今までに殿堂入りした人は次の通り。徳川家康。本因坊算砂。本因坊道策。本因坊秀策。本因坊丈和。大倉喜七郎。本因坊秀和。本因坊秀甫。本因坊秀栄。本因坊秀哉。瀬越憲作。木谷実。岩本薫。・・・呉清源が殿堂入りしてないのは、最初に打診されたときに「いまだ修業中の身だから」と辞退されたためである。

 注釈で離れた本文に入る。「子規の碁の句、春夏秋冬別にどんどん紹介します。まず春。"碁に負けて 忍ぶ恋路や 春の雨〟子規を代表する碁の句ですが,初めて見たときの僕の評価はそう高くはなかった。なんとノーテンキなと感じたほどです。負け碁と忍ぶ恋と春の雨がどう関係するのか。上五は〝碁に負けて〟ではなく"物言わず"でも"肩寄せて"でもいい。子規先生にしては底が浅くはないか。しかし、今はこの句の良さが分かりかけてきました。忍ぶ恋も春の雨も妖艶なおもむきがあります。それを碁という異質なもので包んだのがポイント」。

 「三十五歳で亡くなる三年前の作ですが、このころ結核性カリエスが進行し,外出もままならない状態でした。とすると忍ぶ恋路は当時の体験ではなく、元気なころの思い出か、病床での想像の産物でしょう。一方、碁を打つことは可能でした。可能と不可能を同時に詠んだ子規の気持ちを考えると、なにやらせつなくなる。恋や愛をうたうことが少なかった子規だけにこの句は貴重です。俳句そのものが恋や愛は苦手なんですね」。「春からもう一句。"下手の碁の 四隅かためる 日永哉" 子規自身のことですね。堂々と、へたといえる人は、そんなにへたじゃない。まあこれだけで子規の棋力は判定できません」。(今回はここまで)





(私論.私見)