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1949(昭和24).10月、「最終局面でのコウの手入れ問題」につき、現在の日本棋院囲碁規約(旧規約)が「部分死活論」(「死活は部分的に独立に判定されるべきだという説」)を明記した。この経緯には以下の悶着が介在している。
・本因坊秀哉と久保松勝喜代の論争
喜多文子(贈七段)の手記によれば、昭和初期に本因坊秀哉と久保松勝喜代(贈八段)のあいだである終局図での手入れに関して論争が起こった。
・呉清源一回目の手入れ問題遭遇
1948年7月、岩本薫和本因坊対呉清源十番碁の第一局
・呉清源二回目の手入れ問題遭遇
1959年1月、高川秀格本因坊対呉清源三番碁の第二局 |
■本因坊秀哉と久保松勝喜代の論争(池田敏雄「囲碁ルールについて」参照)
昭和初期、本因坊秀哉と久保松勝喜代(贈八段)間論争
http://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6030001.html
┌┬○○●○┬┬┐ ハマ:白石1、黒石0
├○┼○●○┼○○
├┼○●●●○┼┤
○○●┼┼●●○○
●●●┼┼┼●●○
○○●●●●┼●●
├○○○○●●┼┤
○┼○●●B┼●┤
└○◆A●┴┴┴┘ |
黒51◆とコウを取った局面。ここで、「コウに強いとき、コウをそのままに手入れせずに終局としてよいか?」と云う問題が出現している。コウ材に関しては黒が圧倒的に有利である。そこで、黒はAとBに手入れが必要かが論争になった。本因坊秀哉判定は「手入れは不必要」、久保松勝喜代判定は「手入れは必要」となり、見解が真っ二つに割れた。その他の専門家の意見も同じく割れた。現在の日本囲碁規約と旧規約は久保松勝喜代判定を支持し、黒がAとBに手を入れて終局とさせている。その結果、持碁になる。本因坊秀哉判定に基づいて黒がAにもBにも手入れ不要とし、Aも黒地と数えると黒の2目勝ちになる。 |
この問題は未だ決着がついていないと云うべきではなかろうか。私は第三の道の決着の仕方があるとして次のように考える。即ち、白が半コウを取り返す為にはコウ立てせねばならない。これは鉄則である。そこでコウ立てをするが、それは2目損になる。そこで、白がコウを取り返すと、黒はAにツグとBキリで黒5子が取られるのでBに手入れせねばならない。ここで1目損を強要される。そこで白が半コウをツグ。この結果は、白から見て2目損+1目得-半目得=半目損になる。これにより、白が半コウをツグ権利があるべきところ、その権利を放棄した方が賢いと云うことになる。故に、白は半コウツギ権利を敢えて行使しないことになる。しかし、ならば黒の手入れは不必要とすべきではなかろうか。白に不満があるのであれば、実際にコウ立てして半コウ損決着させれば良いだけのことである。白に半コウ損決着させることなく黒にA、B手入れをさせるのは白に2目(1目半?)丸儲けさせていることになる。私はこう裁定する。2017(平成29).4.23日 囲碁吉拝 |
次の図で黒Aと手入れせずに、黒◆を活石とみなし、終局としてよいか?
┌┬┬○●○┬┬┐ ハマ:白石1、黒石0
├○┼○●○┼○○
├┼○●●●○┼┤
○○●┼┼●●○○
○●●●┼┼●●○
○○●●●●┼●●
├○○○○●●┼┤
○┼○●●●┼┼┤
└○◆A●┴┴┴┘ 黒51◆とコウを取った局面 |
|
この問題は前図のような手入れ問題がセットになっていないだけ簡単である。白はコウを取り返すためにはコウ立てせねばならない。そこで実際にはコウ立てにならないコウ立てをすると2目相当の損になる。且つ黒は半コウAをツグ。この結果は、白から見て2目損-半目損=2目半損になる。これにより、白がコウ争い権を放棄することになるので白のオツギください宣言を待って黒がツゲば良いだけのことになる。
2017(平成29).4.23日 囲碁吉拝 |
■呉清源一回目の手入れ問題遭遇
呉清源は昭和の前半に二回も手入れ問題に遭遇している。1回目は、1948年7月、岩本薫和本因坊対呉清源十番碁の第一局。問題になったのは次の終局図。
白:呉清源八段 黒:本因坊薫和(岩本薫) コミ:なし
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬●○○○○○┬○ アゲハマ
●●●●●┼┼●●┼●●○●○○○┼○ 白石20
○○●○○●●○○●●○○●●○○○┤ 黒石23
○┼○○○○○○○●●○○●●●●○○
○○○●◇●○○●●●●●┼┼┼●●●
●┼○●●●○●●○●○┼┼┼●○┼┤
├○○●○●●○○○○●●●┼┼●●●
├○●●○○○○┼┼○●○○●●○○●
○○●┼●○┼┼┼●○○○●●○○○○
○●●●●○┼┼●○○○○○●●○●┤
○○●┼●○●┼●○○●●●●○○┼┤
●●┼○●○┼○○●●●┼●●○○●┤
●●○┼●○┼○●●A○●○●●○┼┤
○●●┼●○●○○●●●○○○○○┼┤
○○●●┼●○○●●┼●●●○●○○┤
○┼○●●●●○○○●●○●○●●○○
├○○○●●○○┼○○○○●●┼●●○
●○○●●●●●○┼○●●●┼┼●┼●
└┴○○●┴●○○┴○○●┴┴┴┴●┘ 最終手は白328◇
総譜は次を見て下さい。
http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_kisi/teire1.html
ここで黒Aの手入れが必要かどうかが問題になった。岩本薫はコウは黒が強いので黒Aの手入れは必要ないと主張した。これは「秀哉・久保松論争」と本質的に同じ問題である。本局は手入れの有無が勝敗に関係しなかった。黒が手を入れれば白2目勝ち、手を入れなければ白1目勝ち。立会人の瀬越憲作八段(当時)が「白の1目ないし2目勝ち」と異例の裁定を下し、主催紙の読売新聞もそのように発表した。しかし、日本棋院編、小事典シリーズ10「早わかり用語小辞典」(1983年)の216pによれば後日談があり、「あとで本因坊秀哉名人時代の日本棋院内規があり、それによると「手入れを要しない」ということであって本の主張どおり白の1目勝ちと訂正された」。いわゆる「秀哉判定」である。本因坊秀哉時代は「秀哉判定」が日本棋院内規になっており、手入れ不要となった。この判定は注目に値する。 |
■呉清源二回目の手入れ問題遭遇
1959.1月、高川秀格本因坊対呉清源三番碁の第二局。手入れ問題が勝敗に直結する深刻なものになっている。問題になったのは次の終局図。
白:呉清源九段 黒:本因坊秀格(高川格) コミ:4目半
┌┬┬○┬●┬┬●●○┬○┬┬┬┬┬┐ アゲハマ
├┼○┼○●●┼●○○○┼○┼┼○┼┤ 白石12
├○●○○●┼┼┼●○○┼○○○●○┤ 黒石19
├┼●●○◇●┼┼●○●○○○●┼○┤
├┼●○○○○●●●●●●○●●┼┼┤
├○○┼○●●●┼●○○○○┼┼○┼┤
├○┼┼┼○○●●┼○○┼┼●●┼┼┤
├○┼○○○┼●●●●●○○●○┼┼┤
├○┼┼┼○○○●○●○┼●○○○┼┤
├○○○○●○●○○○A●┼●○○○○
○○●●●●○●●○┼┼┼●●○●○●
●●●●○○●●●○○┼┼┼┼○●○●
●┼●○┼○●●○○○┼○○○●●●●
├┼○┼●○●●○○●○○●●●●┼┤
├┼┼┼┼●┼┼●●●○●●┼┼●┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼●●●○○┼●┼┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼○●┼●┼○○●●┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●○○●┼○○●
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴●○┴○┴●┘ 白244◇の局面
総譜は次を見て下さい。
http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_kisi/teire2.html
この局面でAに手入れ問題が発生している。この局面で白がAに手を入れないと黒A以下本コウにする手段が残る。白がAに手を入れずに終局すると白の半目勝ち。白がAに手を入れて終局とすると黒の半目勝ち。この手入れ問題は勝敗に直結する深刻なものになっている。白の呉清源が手入れ不要を主張したため黒245はA。この後、次の局面になった。
┌┬●◇●●┬┬●●○┬○┬┬┬┬┬┐ アゲハマ
├┼○┼○●●┼●○○○┼○┼┼○┼┤ 白石15
├○●○○●┼┼┼●○○┼○○○●○┤ 黒石25
├┼●●○○●┼┼●○●○○○●┼○┤
├┼●○○○○●●●●●●○●●┼┼┤
├○○┼○●●●┼●○○○○┼┼○┼┤
├○┼┼┼○○●●○○○┼┼●●┼┼┤
├○┼○○○┼●●●●●○○●○┼┼┤
├○┼┼┼○○○●○●○○┼○○○┼┤
├○○○○●○●○○○┼┼○●○○○○
○○●●●●○●●○┼○○●●○●○●
●●●●○○●●●○○●●┼●○●○●
●┼●○┼○●●○○○○○○○●●●●
├┼○┼●○●●○○●○○●●●●┼┤
├┼┼┼┼●●○●●●○●●┼┼●┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼●●●○○┼●●○┤
├┼┼●┼┼┼┼┼○●┼●┼○○●●┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●○○●┼○○● 白268◇コウ取り、
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴●○┴○┴●┘ 黒269パスの局面
左上にコウ争いが起きている。黒はコウ立てがないのでパス。白はそのままで良いのかコウをつがなければいけないのか?と云う問題が発生している。白はコウをつぐと半目負けになる。このときには日本棋院囲碁規約(旧規約)が制定されており、「一手コウ」=「本コウ」は手入れが必要となっていた。立会人の長谷川章八段(当時)の判定によって、白の呉清源が譲歩して手をいれ、黒の高川本因坊の半目勝ち(244手完)となっている。 |
この裁定にも問題を感じる。黒がコウ争いをパスしたのであるから白がコウ勝ちとなった訳である。コウ勝ちした方はコウを有利に処理する権利を持っていると云うべきであり、この場合にはツガナイ方が1目得する訳だからツグ必要がないとすべきだろう。
2017(平成29).4.23日 囲碁吉拝 |
この問題が次のように解説されている。
1948年7月の「呉清源一回目の手入れ問題遭遇」の時点では、本因坊秀哉判定が力を持っていました。コウ材有利ならば、コウをそのままに手入れせずに終局としてよかった。しかし、1949年10月に日本棋院囲碁規約(旧規約)が制定され、本因坊秀哉判定は否定されることになりました。1948年7月の「呉清源一回目の手入れ問題遭遇」では、本因坊秀哉名人時代の日本棋院内規が呉清源側に不利な判定を導くことになりましたが、幸運にも勝敗には影響しませんでした。1959年1月の「呉清源二回目の手入れ問題遭遇」の時点では、本因坊秀哉判定は否定されており、その結果またしても呉清源側に不利な判定となり、呉清源は半目負けになってしまいました。 |
■後日談
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E4%BB%8F%E3%81%AE%...
からの引用。
1959年の呉清源 - 藤沢朋斎の三番勝負第2局において、呉が全局死活論での対局を申し入れた。呉が日本棋院所属棋士ではないために可能だった提案である。藤沢はこれを了承し、例外的なルールでの対局が行われた例となった。全局死活論は「コウ材有利ならば、コウに手入れ不要」となり、現在の日本囲碁規約や旧規約が支持する部分死活論では「手入れ必要」となる。 |
■現代の囲碁ルール問題
現在、日本で囲碁を打っている人たちの大部分は「コウザイ有利でも、コウには手を入れて終局としなければいけない」と信じていると思います。この「手入れ必要」の判定は「死活は部分的に独立に判定されるべきである」という部分死活論から導かれている。部分死活論では終局図での死活判定を対局中とは異なるルールで行なわなければいけなくなる。この意味で部分死活論は自然な考え方ではありません。
詳しくは最近の私の次の日記を見て下さい。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...
しかし、昭和の前半のあいだに部分死活論が力を持つようになりました。さらに、1989年には日本囲碁規約が制定されており、その第七条は部分死活論を正当化するための仕組みになっています。その内容は非常に分かり難く、曖昧で欠陥さえあります。しかし、現在の日本ではアマチュアの囲碁大会でも日本囲碁規約を採用している場合が多いようです。
2003年にドイツの Robert Jasiek さんは日本囲碁規約の曖昧な点や欠陥を修正した Japanese 2003 Rules を発表しました。
http://home.snafu.de/jasiek/j2003.html
こちらをよく理解しておけば日本囲碁規約の欠点を回避しながら、日本囲碁規約による判定をそのまま残すことができます。しかし、問題は Jasiek
さんによる Japanese 2003 Rules を理解できる人はかなり少ないと予想されることです。日本囲碁規約とその修正については最近の私の日記を見て下さい。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...
今の日本で囲碁を打っている人の大部分は部分死活論に基づいた終局手続きに慣れているものと思われます。正確を期すならば Jasiek さんの Japanese
2003 Rules を使えばよい。日本国内だけで通用するローカルルールであればこれで問題は解決しているとみなすこともできます。しかし、囲碁の国際大会で使用するルールをどうするか、について議論するときに、日本棋院側が日本囲碁規約(もしくはその修正版)を他国に押し付けようとするときには問題が生じます。もしかしたら日本棋院側は「日本の文化としての碁」を広めるために日本囲碁規約も広めようとしているのかもしれませんが、果たしてそれは正しいやり方でしょうか?
この問題についても最近の私の日記を見て下さい。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...
この状況を放置しておくと、日本の囲碁がルール的にも文化的にも国際的に孤立してしまう可能性さえあると思います。
地とハマの計算で勝負を決する囲碁のルールを「日本式」と呼ぶことにしましょう。全局死活論を正当化する合理的な日本式ルールはすでに1968年に池田敏雄氏によって提案されています。このルールは単純でわかり易く、国際ルールにも向いています。最近の日記で池田囲碁ルール試案「日本式I、II」の解説もしておきました。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...
以上です。 |