広辞苑の囲碁記述-消えた名棋士の名/考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).1.10日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「広辞苑の囲碁記述-消えた名棋士の名/考」をものしておく。

 2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).1.10日 囲碁吉拝


【広辞苑から消えた名棋士の名/考】
 将棋ライターの松本博文氏の0日付け「広辞苑から消えた名棋士の名/考」転載(意味を変えないよう留意しながら囲碁吉文法で書き直した)。
 広辞苑掲載の囲碁・将棋関係者は少ない?

 「琴棋書画」の「棋」という字は囲碁、将棋いずれの意味もあるが、この場合は囲碁のこと。2018年1月12日に出版された広辞苑第7版には以下のように説明されている。【琴棋書画】(きんきしょが)とは、手を使う四つの芸術すなわち琴(音楽)、囲碁、書道、絵画。雅人の風流韻事、士君子のたしなみとされ、画題として中国で好んで描かれ、日本でも教養とされている。

 ところで、四芸を比較すると、広辞苑の囲碁記述がお粗末すぎるのではないか? 囲碁の中山典之七段(1932-2010)は、著書「昭和囲碁風雲録[上]」(岩波書店刊、2003年初版)で次のように嘆いている。

 ここに一つの例を示そう。岩波書店の広辞苑と言えば、日本を代表するほどの権威のある辞書であるが、その項目に、古今の第一人者とされる本因坊道策の名がなかった。棋聖秀策の名も出ていない。もちろん木谷実の名はない。ところが、音楽家や書家、画家の名前となれば、私などが聞いたことがない名前まで、ゴマンと出ている。琴棋書画にたずさわる者としては、まことに不公平であるから、事あるごとに岩波さんに抗議してきた。私は岩波新書で『囲碁の世界』(引用者注:1986年刊、岩波新書)という本を書いたことがあり、岩波さんとは多少の縁がある。

 ここで中山七段が嘆いているのは、広辞苑第4版(1991年刊)までの話である。江戸時代の碁打ちの本因坊道策、本因坊跡目秀策は、史上最強を論じる際に必ずと言ってよいほどに名が挙げられる強豪である。また木谷實(1909-75)は「昭和の棋聖」と呼ばれた呉清源(1914-2014)のライバルである。本因坊秀哉名人の引退碁の相手として、川端康成『名人』にもその対局姿を描かれている。門下からは大竹英雄、加藤正夫、石田芳夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲、小林覚など現代を代表する数多くの英才が輩出されている。 ところが、その道策、秀策、木谷ほどの打ち手が広辞苑に掲載されていない。これはどういうことか。愛棋家とって腹立たしいことこの上ない。

 中山氏は同書で続いて次のように述べている。
 あまりにうるさい、と言うのだろう。1998年に広辞苑が第5版に改まるに際し、私に囲碁の項目を担当して欲しいという依頼があった。私の主張が漸く入れられるのが嬉しいのでお引き受けし、道策、丈和、秀策、秀栄、元丈、知得、道知、秀和、幻庵などなど、名棋士の項目をこしらえて差し出したのだが、許可されたのは、道策と秀策。それと丈和先生をもぐり込ませるのがやっとだった。広辞苑には、人名の採否を決定する委員会があり、その議決賛同がなければ辞書に登場しないのである。だから、大学者の先生方が碁を知らなければそれまでの話。碁は日本文化、ないし、日本の芸能、芸術として認められていないのである。しかし、まあ、今回はこれで良しとしよう。たった三人だけだが、棋聖と言われた道策、丈和、秀策が広辞苑に登場した。ゼロと三とでは限りない差があるのだから……。

 囲碁を愛してやまない筆者の熱い筆致が伝わる。補足すると、第5版以前の第4版までに囲碁の棋士の名が一人も掲載されていなかったというわけではない。筆者が確認した限りでは、本因坊算砂、安井算哲(やすい・さんてつ)、渋川春海(しぶかわ・はるみ、しゅんかい)、本因坊秀哉の名は早くから見つけることができる。渋川春海は碁打ちとしても知られ、広辞苑にもその旨が記されている。しかしそれ以上に貞享暦 (じょうきょうれき)を作った暦学者として有名で、高校の日本史でも、その名を習うことがある。最近では、冲方丁(うぶかた・とう)さん作の時代小説のベストセラー『天地明察』の主人公としても脚光を浴びた。安井(保井)算哲は、囲碁四家の安井家の人で、江戸時代初期を代表するトップクラスの打ち手。渋川春海はその長子に当たる。

 ところで、将棋は広辞苑にどのように記述されているのだろうか。筆者が調べた限りでは、長い間に渡ってわずかに関根金次郎(13世名人)だけが立項されていた。大橋宗桂(1世名人)などの名はない。第4版に至ってようやく演劇や映画で取り上げられ、歌にもうたわれた阪田(坂田)三吉が追加されている。将棋史上最も有名な人物といえば現在は羽生善治。記述は定かでない。

 囲碁と将棋は、徳川家康の時代、本因坊算砂と大橋宗桂以来、並び称される。中山七段は、囲碁の打ち手の取り上げられ方が少ないと嘆いているが、将棋の方はもっと少ない。中山七段が岩波書店に強力にプッシュしたためか、第5版からは囲碁に関する人物の掲載が増えた。そして、そのおかげでか、将棋に関する人物の掲載も増えた。第6版までに取り上げられている人物の一覧は次の通り。

 広辞苑にも記された名棋士8人(Yahoo!ニュース 2018年1月8日)

 https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20180109-00080287/

▲大橋宗桂(1555-1634、初代)

○本因坊算砂(1559-1623、「本因坊」の項)

○中村道碩(1582-1630、世襲名「井上因碩」の項)

○安井算哲(1589?-1652、初代)

○渋川春海(1639-1715)

○本因坊道策(1645-1702)

▲伊藤宗看(1706-61、三代)

○本因坊丈和(1787-1847)

▲天野宗歩(1816-59)

○本因坊跡目秀策(1829-62)

▲関根金次郎(1868-1946)

▲坂田三吉(1870-1946)

○本因坊秀哉(1874-1940、「本因坊」の項)

▲木村義雄(1905-86)

▲升田幸三(1918-91)

▲大山康晴(1923-92)

 囲碁8人。将棋8人。第6版から第7版にかけては、筆者がアプリで検索して確認した限りでは変化はなかった。囲碁界で「昭和の棋聖」と称された呉清源は確実に追加されるものと予想していたがハズレた。


 消えた名棋士の名

 ところで、項目は立てられてはいないが、地文において将棋指しの名が掲載されている個所がある。

 いしだりゅう【石田流】

 将棋の駒組みの一つ。江戸初期の盲人棋士石田検校の創案。後手の場合、飛車は3筋の四段目、その背後に桂をおき、端1筋の三段目に角をおく構えが正規の組方。(出典/広辞苑第7版)

 検校(けんぎょう)とは、「盲人の最上級の官名」(『広辞苑』第7版)のことです。古来、将棋界には、盲目の強豪が存在してきた。石田検校は、それほど強いというわけではなかったようだが、「石田流」の創始者としてその名を永遠に残した。他には幕末、天野宗歩と好勝負を演じた石本検校などが有名である。広辞苑で「検校」と名のつく人は、筆者が数えた限りでは15名。そのほとんどが琴や三味線など音楽に秀でた人物である。

 さて、「石田流」の他にもうひとつ、将棋関係者の名が記されている項目を見つけた。それが第5版(1998年)から立項された「永世名人」である。(以下、引用中、漢数字を算用数字に直した個所がある)
 えいせいめいじん【永世名人】

 将棋棋士の名誉称号。5期以上名人位を保持した者に引退後贈られる。第14世名人木村義雄以前は一世一代。第15世名人は大山康晴、第16世は中原誠10段。(出典/広辞苑第5版)

 「中原誠10段」という表記を正確に記せば「十段」。十段は、九段の上に制度的に設けられた段位というわけではなく、かつて存在したタイトル戦の名称である。中原誠16世名人は、当時「永世十段」の称号を名乗っていたので、このような表記となったと思われる。

 広辞苑では、日本人の場合、どれだけ著名であっても、存命中には項目を立てないという原則がある。なぜか。初版(1955年刊)の編集中、存命中の文豪の志賀直哉を入れるかどうか、もし入れるとしたら、他にどの文豪も入れるべきかという議論となり、収拾がつかなくなって、最後は編集主幹の鶴の一声で、日本人は物故者のみと決まったのだという。そこで、地文にリストアップされていくという方式を取れば、中原誠16世名人のように、存命中の大棋士でも広辞苑に掲載される。第6版(2008年)では、そのリストに谷川浩司現九段の名が加わった。

 えいせいめいじん【永世名人】

 将棋棋士の名誉称号。5期以上名人位を保持した者に引退後贈られる。第14世名人木村義雄以前は一世一代。第15世名人は大山康晴、第16世は中原誠、第17世は谷川浩司(襲名は引退後)。(出典/広辞苑第6版)

 第6版刊行前の2007年には森内俊之現九段が18世名人の資格を得た。時期的には間に合ったと思われれるが、第6版ではその名は加えられていない。翌2008年には、羽生善治現竜王が19世名人の資格を得た。では、2018年に発行された第7版で「永世名人」の項はどうなったか?

 えいせい‐めいじん【永世名人】

 将棋棋士の名誉称号。5期以上名人位を保持した者に通常は引退後贈られる。第14世名人木村義雄以前は一世一代。(出典/広辞苑第7版))

 ああ……。森内18世、羽生19世の名が加えられていないどころか逆に大山15世、中原16世、谷川17世まで削られている。1992年に亡くなった大山15世は別に項が立てられている。しかし、中原16世、谷川17世の名は広辞苑からは当面消えてしまった……。将棋愛好者の一人としてなんとも残念な思いがする。最近の広辞苑は10年ごとに改訂がおこなわれている。これから10年後は2028年。もしそのタイミングで広辞苑第8版が改訂されるとすれば、「永世名人」の項はどう変化しているのだろうか。またそれまでに新たな永世名人は誕生しているのだろうか。
 松本博文

 フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『あなたに指さる将棋の言葉』(セブン&アイ出版)など。
(私論.私見) 広辞苑その他の事典の囲碁将棋記述の軽薄さについて
 思うに、「広辞苑その他の事典の囲碁将棋記述の軽薄さ」は、マクロでみれば、日本人の知的啓蒙になる営為は極力妨げるべしとする当局奥の院筋からの検閲通達があって、これが影響しているのではないかと勘繰りたい。但し、だからといって、手をこまねいていて良いのではない。抗議は当たり前のことである。もう一つ、案外これが大事なのだが、協会側が、広辞苑その他の事典の囲碁将棋記述担当委員会があるものとして、その担当者に読ませる教本を市井提供していない故の執筆貧困という原因があるのではなかろうか。それを思えば、囲碁吉の囲碁史考は貴重なインターネット書になりつつあると自負する。将棋の方でも読んで将棋が分かり面白く為になるガイドブックを生み出すべきである。既にあるのかも知れんが。







(私論.私見)