囲碁将棋の棋譜著作権大手振り闊歩批判論

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).6.29日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「囲碁将棋の棋譜著作権考」をしておく。「Re囲碁・将棋棋院の著作権川下非適用精神の真っ当さについて」との併せ読みが良い。

 2005.6.4日 囲碁吉拝


【著作権狂と闘う】 
 2005年頃、本サイトの冒頭で、「これは便利、プロの棋譜がネットで見られます。その心がうれしいやね」として推奨サイトを紹介していたところ、2014年1.22日現在、紹介サイトの殆どで「サイト消滅」、「ブロック措置」されており手習いできなくなっている。残ったサイトでも、辛うじて棋譜を見るには見られるがコピーをできなくしているものが多い。いつからかように措置されたのか分からない。何故にかようなことをするのか解せないが、こういうことをする馬鹿は死ぬまで治らん、死んでも治らんだろうなと思う。著作権登場の歴史的背景と意味の正確な理解を知らぬまま、単なる風潮に合わせて文明権利だの先進国権利だのと唱えながら著作権を振り回す芸当が流行っているが、愚頓愚昧である。そういう野郎野女は、事の本質に対する分別が曇っているから、学も仕事も経営も囲碁も決して上達できない。これを囲碁吉が請合っておく。

 新聞社の棋戦の棋譜も見られなくなっている。これも例の著作権狂の為せる技であろう。その点、中国の棋譜は見られる。どちらがアホウかそのうちはっきりするだろう。著作権狂の無知蒙昧に汚染されている限り文化と云う文化が廃れることがはっきりしよう。本質的な意味でのアホウが人の世の上に立たないことを祈る。

 知人が「囲碁 梁山泊」(2015玄冬号)をプレゼントしてくれた。何気なく読んでいると、森正夫氏の「囲碁データベースの構築(下)」に出くわした。気に入った箇所を引用(転載)しておく。
 「囲碁データベースの現状が低調なのは、蓄積され、信頼性があり、活用できる、公開された、データが存在しないことで、原因は棋譜に著作権があるという、日本棋院(及び関西棋院)の見解にあるのではないだろうか。技術的には、昔に比べて高度な分析ができ、使い勝手の良いデータベースの構築が可能と思う。誰もが利用できる、開かれた囲碁データベースの構築は、アマチュアばかりでなく、プロ棋士にとっても喫緊の案件と思う」。
 「(将棋の場合)年間二千局ほどの棋譜がインターネットで、全てパソコンで検索できるようになっている。前日行われた将棋をすぐに知ることができるとともに、過去十年分、約2万局の棋譜がデータ化されており、棋士別、棋戦名、局面などからも検索できる。全てのデータが早く、公平に行き渡る。情報が平等に入るようになったのは一つの進歩である。(中略)また、『局面指定』はよく使う。ある局面が過去にあったかどうか検索するのだが、自分が指した将棋を見て、『あのときはこんなふうに指せたのか』、『こういう手だったのか』と新しい発見をしたりする」(羽生善治「決断力」)。
 「(将棋の場合)データベースには1974年から今日までの約9万局が収められており、局面ごとに勝率まで算出されるすぐれものだ。このデータベースを有効活用できるかが、棋士同士の勝敗をも左右している」(渡辺明「勝負心」)。
 「プロ棋士は総譜を見れば楽に手順を追えるという。しかしアマチュアはそうはいかない。プロでもコウが多発する譜では、手順を追うのが大変だと思う。棋譜をパソコンで再生すれば、一手一秒に設定すれば総手数300手の棋譜を5分ほどで鑑賞できる。類似布石を検索できるようになれば、研究に大きな助けになるだろう。日本の囲碁ファンが、棋譜の閲覧を制限されている一方、中韓のファンは日本の棋譜を自国のサイトで自由に閲覧できるという矛盾は解消されなければならない。その為にも世界中の棋譜を手軽に検索できるデータベースの一日も早い出現が望まれる」。
(私論.私見)
 御意御意。こうなったら性分で、囲碁吉が自前で作成してオープンにしてやらぁ。そう決意した。

 2014.1.22日 囲碁吉拝

【著作権狂の論理構造考】 
 棋譜著作権は次のような問題を内包している。
棋譜は両対局者の共同著作物である。著作権を行使するには、そのつど対局相手との確認が必要になるのか。特に国際棋戦の場合にはこの作業は複雑なものとなるが如何。
棋譜を遺した棋士と棋院との関係で、どちらが権利を持つのか。どう関係せしめるのか。
棋院と棋戦主催者との関係で、どちらが権利を持つのか。どう関係せしめるのか。
研究者や愛好家の単独的棋譜学習につき、棋士、棋院、棋戦主催者等の権利者は制限できるのか。
碁会所や囲碁教室の集団的棋譜学習につき、棋士、棋院、棋戦主催者等の権利者は制限できるのか。
棋士や出版社の商業的棋譜利用につき、棋士、棋院、棋戦主催者等の権利者は制限できるのか。

 「棋譜の著作権」については、大きく分けて次の5通りの態度が考えられる。
棋譜の著作権を認めず主張もしない。
棋譜の著作権を認めるが主張しない。
棋譜の著作権を認め主張するが、棋譜の利用者に対して権利行使(動画削除を求めるなど)をしない。
棋譜の著作権につき曖昧な態度をとる。
棋譜の著作権を認め主張し、棋譜の利用者に対して権利行使(動画削除を求めるなど)をする。

 上記を念頭に棋譜著作権問題は囲碁の日本棋院と将棋の日本将棋連盟の対応振りを確認しておくと、日本棋院と日本将棋連盟では捉え方が少し違う。日本将棋連盟は、「1」の立場で「棋譜に著作権はない」としていた時期もあったが、次第に「3」の立場で「棋譜に著作権あり。但し権利行使を控えめにする」とし始め、最近では「4」の「棋譜に著作権あり。よって権利行使を積極的にする」と云う風に次第に強権著作権論に傾斜しつつある。但しスタンスが一定していない。


 2012.2.22日頃、ニコニコ動画に投稿された将棋動画が日本将棋連盟による著作権侵害の申立により著作権侵害として削除される事例が発生している。

 これに対し、日本棋院は、かっては日本将棋連盟同様に「1」の立場で「棋譜に著作権はない」としていた時期もあったが、一橋大学広報誌「HQvol.24」(2009年10月発行)の平本弥星六段記事によると、同氏は1998年に棋士会副会長になり、「棋譜著作権の問題を解決する為に棋譜の著作権は日本棋院に属せしめる。対局者は対局料を対価として対局棋譜の著作権を日本棋院に譲渡する。但し、原著作権は対局者にあり、自分の著書に使うという場合などは自由とする」ことを確認させることに尽力した云々。この頃より日本将棋連盟同様に「3」ないし「4」の立場に移行したものと思われる。

 2016年4月時点の日本棋院HPの「棋譜データ・画像について」は次のように記している。
 本ホームページ内の棋譜、画像類を他のホームページ上で掲載したり、メール・CD・プリント等で配布することはできません。

 棋譜に関するご注意

 有料・無料を問わず、ホームページ等で承諾なしに棋譜を公開、配布することは認めておりません。棋譜は著作物です。個人でお楽しみいただく範囲でのご利用となります。新聞・書籍・web 上などの掲載譜(総譜・部分図含)から独自または他のソフトで入力または再入力して、棋譜を公開、配布することはできません。

 凡そ上記の如く変遷しているようである。世界的に見てチェスの棋譜に著作権はないとのことである。次のように解説されている。
 「FIDE(世界チェス協会)が、数年前チェスの棋譜を管理下におこうとして、猛反発を受けた。FIDEは、棋譜に著作権を与えることが可能であるかどうかを真剣に検討したが、それは無理であった」。

 なお、新聞社がスポンサーになることにより「掲載権」を主張し始め罷り通っている。「月刊棋譜」は勝手にプロの棋譜を売っているが連盟はこれを訴えてはいない。その他様々な問題が介在している。例えば、棋譜に著作権はないにしてもコメントがついたら著作権ありで、著作者の意向、了承抜きに利用ではない云々とする主張がある。これは、文章著作権の問題であるが、これも著作権法の指示する通りの著作者及び出典、出所の明示があれば足りる、仮に訴えられても親告罪であるとすべきだろう。

【れんだいこの棋譜著作権なぞ認めるわけにはいかないの心考】 
 「棋譜に著作権なし」の法理として、「棋譜は野球のスコアブックと同じ事実を記録(facts)しただけのもので著作権法で保護する対象にはならない」とするものがあるようであるが、私はこの説を採らない。もっと堂々と「棋譜は著作権に馴染まない。パブリックドメインとして公開されるべきである」とする法理を掲げて棋譜著作権を否定排斥すべきと思っている。通説化しつつある「棋譜著作権を認めた上での緩やかな規制論」は悪しき折衷主義に過ぎないと思っている。

 その論拠はこうである。囲碁界将棋界の棋譜著作権導入史は、典型的なユダ邪商法である強権著作権論を業界内に持ち込んだだけの、業界の発展に阻害となる方向での負の歴史であるに過ぎない。よってこれに被れる度合いに従い業界が不活性化させられるようになる。そういう意味で、韓国、中国の棋院が強権著作権論を導入しないのは正しい。強権著作権論に被れて染められた日本は今や韓国、中国のはるか後方で子ども扱いされ始めている。これを改めるには、日本棋院が強権著作権論の汚染から逃れ棋譜の縦での歴史的共有、横での全人民的共有へ向けて鋭意努力し直す以外にない。あるいは裏技として韓国、中国の棋院に日本のそれよりもっとどぎつい著作権論を扶植し、容易なことでは棋譜がみられないよう仕掛けするしかない。

 棋譜著作権立論の根本は、囲碁将棋界の隆盛に向けて有益なりしやと問うところから始めるべきで、さすれば棋譜の歴史的共有、人民大衆的共有の必要が導き出され、さすれば著作権なぞ入り込む余地のないことに気づく。棋譜著作権導入は、ジャスラック式音楽著作強権論に影響されたお調子もんが、訳のわからないままにあるいは一知半解のままに横槍入れているだけのことである。囲碁将棋界はこれまでもそうであったように不断に愛好者を量産し、愛好者、専門棋士の質を上げ、この量質のらせん的発展の流れの中で好況的運営を目指すべきで、それで足りる。その理想的運営が日本大相撲協会である。その昔、名横綱貴乃花が引退後に理事長ポストを狙った際、日本大相撲協会を前近代的経営批判していたが、これなぞは全くの逆裁定である。であるからして首尾よくは進展しなかったのも理の当然である。もとへ。「量質のらせん的発展」こそが文化発展の方程式であり、目先の金貨を追わないのが鉄則である。専門棋士の生活、棋院の運営は、この方程式の中で保証される。逆は逆である。�

 そういう意味では、日本のかっての棋道、華道、茶道等の家元制を見習うべきであり、僅かの会費を幅広く集めることで業界収入の基礎とし、その他様々な事業、イベント、業界用品販売等々で生計を立てるべきである。間違っても棋譜著作権なぞに染まるべきではない。それは丁度、本屋の立ち読みを禁止してハタキを持って立ち読み客を追い出す所為に似ている。立ち読み客は未来の本の購読者であるのに、それを追い出したらやがて尻すぼみするようになるのが道理である。本屋としては立ち読み客をも包容しながら売上増を目指すことこそ本懐とすべきだろう。

 2017.2.18日 囲碁吉拝

 2017.7.9日、【将棋や囲碁の棋譜に著作権(著作物性)はないという傾向である】」その他参照。
 1 囲碁将棋の棋譜の著作権の有無の統一的見解はない

 囲碁将棋の棋譜が著作物に該当するかどうかにつき統一的な見解がない。こう確認すべきである。棋譜は、言語的な意味では著作物で創作物であろうが、著作権法的な意味での著作物にすべきかどうかが問われている。仮に著作物であるとすれば、棋譜をSNSなどで伝える(拡散する)ことは著作権侵害となる。著作物としなければ大いに利用しあうべきであり著作権の侵害とはならないとなる。要するに真っ向から対立している。これをどう裁くべきかが問われている。

 2 著作物の定義と列挙の規定では判断できない

 著作物に該当するものが何であるかについては著作権法に定義の規定がある。簡単にいえば、思想や感情を創作的に表現したものを云う。文芸・学術・美術・音楽の範囲に属するという要件も必要とされている。これを踏まえて、著作権法には具体的な著作物の例がたくさん示されている。しかし、これらを踏まえても棋譜を著作物に該当するかしないかを明確に判断できない。公的で統一的な見解もない。

 3 加戸守行氏は棋譜を著作物として認める

 加戸守行氏は著書「著作権法逐条講義 6訂新版」(著作権情報センター、2013年p120)の中で、棋譜を著作物として認めている。その理由として、「著作物は著作権法10条に例示されているものに限られない」、「著作権法10条の例示以外の著作物について例としては、碁や将棋の棋譜がある」、「棋譜も私の理解では対局者の共同著作物と解されます」としている。但し、棋譜を著作物として認めるべき理由の説明をしていない。法律論のやり取りなのにその根拠論を開陳しないケッタイな法理論となっている。

 4 渋谷達紀氏は棋譜を著作物として否定する

 渋谷達紀氏は著書「知的財産法講義2第2版」(有斐閣、2007年p24)の中で、加戸守行の肯定説を批判し、棋譜を著作物として認めることを否定している。その理由として、「表現の形式が駒の動きの集合なので創作的な表現ではない」、「棋譜は、勝負の1局面を決まった表現形式で記録したものであり創作性の要件を欠く。即ち著作物ではない」、「棋譜は事実の記録である。新聞などに掲載されている棋譜について、事実の伝達(雑報)(著作権法10条2項)とみるべきものである」と立論している。詰将棋の棋譜についても、「一般的な棋譜と同様に著作物ではない」としている。

 5 中山信弘氏は棋譜を著作物として認めていない

 中山信弘氏は著書「著作権法 第2版」(有斐閣、2014年p84)の中で、肯定説、否定説を紹介している。但し、自身の見解を明確には示していない。一方、「著作物の例示以外の著作物は実際にはほとんどない」という指摘をしており、全体としては棋譜を著作物としては否定する方向性であるように読める。

 6 チェスでは世界的に棋譜の著作権を否定する傾向

 チェスについては、「あ 国際チェス連盟(FIDE) 」が「棋譜は著作物ではないという見解」を打ち出しており、世界的に多くの団体が棋譜の権利(著作権)を否定している。つまり著作権法上の著作物としての取り扱いを否定している。但し、日本チェス協会(JCA)は「棋譜は著作物(主催者の財産)であるという見解」を示し、棋譜を財産として認める見解を示している。

 以上が棋譜の著作物性についての主要な見解(学説)である。傾向として、棋譜は著作物として否定される傾向にある。
 7 れんだいこ見解はまた違う

 れんだいこ見解は、棋譜を言語的な意味では立派な著作物であるとするが、著作権法的な意味では、「著作権になじまない。故に著作権フリーの交通自由往来を旨としている。人類は既に悠久の歴史の期間を無償提供し合い、互いの切磋琢磨の題材にし合ってきた伝統を誇っている。この伝統が保全されるべきで、商売の種にすべきではない」としている。凡そ稽古ごとの場合、著作権には馴染まない。我々は人生たかだか百年余の限りの中で精進し芸を競っている。その短い期間の営為を、著作権界壁により上達が齟齬されるのは迷惑千万ではなかろうか。よって、囲碁将棋の棋譜の著作権を否定せんとしている。この論理論法の方がスッキリ正論の構えではなかろうか。

【棋譜著作権を廻る各界の見解】
 2011.4.24日、「棋譜と著作権についていくつか(続)」参照。
 日本棋院における棋譜の著作権の扱い


 囲碁の平本弥星六段が、2009年10月に発行された母校の広報誌の記事中で棋譜の著作権について語っています。その内容は下記のPDFファイルで無料で読むことができます。「個性は主張する One and Only One」(PDFファイル)(一橋大学 | 広報誌「HQ」: vol.24)。

 日本棋院の事業運営に関わっていた平本六段は、1994年の段階でインターネットを活用した棋譜データベースの構想を描き、その事業化にあたっての障害になる棋譜著作権の「棋譜の著作権者が誰かという問題」に取り組んだ。次のように述べている。

 「日本棋院の最大の収入源は、棋戦の契約金です。新聞社を筆頭とする棋戦の主催者に棋院が提供するのは、棋譜の第一掲載権です。棋譜の著作権まで主催者に譲渡しているわけではありません。では、著作権は誰の所有になるのか。具体的には、対局者なのか、日本棋院なのかということです。従来は、この点を曖昧にしたまま、棋戦契約をしてきました。しかし、データベース化した棋譜で事業を行うためには、日本棋院が著作権を確保することが不可欠になります」。


 日本棋院には、「棋士会」という棋士の互助機関がある。棋士会は、棋院の運営に直接かかわることはないが棋院の重要な決定について意見や同意を求められ、棋士の総意はしばしば運営に反映される。平本氏は棋譜著作権の棋院所属化推進を意図して、1998年、棋士会の副会長に立候補した。次のように述べている。

 「棋譜著作権の問題を解決するには、正式な規定に“棋譜の著作権は日本棋院に属する”という一項を明記する必要があります。従来の対局管理内規には、この他にも様々な問題点がありながら、関係者は避けて通っていたのです。私は、棋譜著作権問題の解決を念頭に置き、新たな対局管理規定を制定するために立候補しました」。


 平本氏は副会長に選出され、以降、規定の文案作成、棋院内の委員会でのすり合わせ、棋士総会の議事進行まで一手に引き受けて、原案通り対局管理規定を成立させた。次のように述べている。

 「著作権に詳しい弁護士を日本棋院顧問弁護士に迎え、作業を進めました。内容を噛み砕いて説明すると、『対局者は対局料を対価として、対局棋譜の著作権を日本棋院に譲渡する』というものです。このことは、対局管理規定の冒頭に明記されています。ただ、原著作権は対局者にありますから、たとえば自分の著書に使うという場合などは自由です」。

 但し、上記の記事ではそもそも棋譜に著作物性があるかどうかという検討はしていない。日本棋院は公式サイトの中で「棋譜は著作物です」と主張している。そこで、棋譜が著作物であることを前提する立場から、それをどう処理すべきかという問題に絞って検討しておく。棋譜に著作物性があることを前提にするなら、その原著作者が対局者であることは明らかである。そのため、日本棋院が棋譜を集約してデータベース化し公開するには、契約によって、対局者から許諾を得るかまたは著作権を譲渡してもらう必要がある。日本棋院では、対局者が日本棋院に著作権を譲渡し、新聞社などの棋戦主催社はそれを紙面に掲載する許諾を得る形での契約が結ばれている。

 ところで、「ただ、原著作権は対局者にありますから、たとえば自分の著書に使うという場合などは自由です」としている。通常は、著作権を譲渡してしまったら、原著作者といえども著作権者の許諾なしに著作物を複製・上演などすることはできない。これを原則とするなら、原著作権者の権利を残していることになる。こうなると、では他の棋士の棋譜は著書の中で自由に利用できないのかと云う問題が発生する。この「対局管理規定」がどこかで公開されているかどうか検索してみたがわからない。日本将棋連盟のそれは棋譜の著作物性を主張するのかどうか不明確な態度を保っている。

 YouTubeでの動画削除


 2010.10月、NHKからYouTubeに対し著作権侵害の申し立てが行なわれた。これを確認する。

 YouTubeの名記譜解説シリーズの中の羽生-加藤戦に対し、NHKからYouTubeに対し著作権侵害の申し立てが行なわれ、アクセスできなくなりました。ただ単に有名な5二銀の記譜をPC上で並べて解説をしたもので、NHKの映像など一切使用していません。


 この文章のとおりだとすると、NHK杯戦の棋譜を除いて、放送された映像を利用していないにもかかわらず、NHKから著作権法違反とみなされたということになる。YouTubeは中身を検討せずにそれに応じている。NHKのような放送事業者は著作隣接権を主張している。
日本棋院は棋戦主催社著作権を譲渡していない。これは日本将棋連盟でも同様と思われる。これを踏まえて、NHKは放送事業者として番組に関する著作隣接権を有している。著作権法98条に次のような規定がある。

 放送事業者は、その放送又はこれを受信して行なう有線放送を受信して、その放送に係る音又は影像を録音し、録画し、又は写真その他これに類似する方法により複製する権利を専有する。


 これによれば、棋譜の著作物性のいかんにかかわらず、NHK杯戦の録画や録音を許諾なしにYouTubeにアップロードすることは著作権法違反になる。しかし、これが棋譜の複製にまで及ぶかどうかは必ずしも明らかではない。これを強く主張すれば将棋ソフトでの再現ができなくなる。
件の動画では棋譜に解説を加えていた。解説を加えることによって棋譜部分は著作権法で認められた引用であると主張することができる余地がある。その場合は、引用が必要最低限に収まっているかどうかが問題となるが、具体的個別的にケース・バイ・ケースで判断されるべきだろう。

 4月27日追記:takodoriさんのコメント「HIDETCHI(@HIDETCHI)/2010年10月05日 - Twilog 」は次の通り。

 NHKから連絡が入りました。今回の侵害申し立ては、自動検索を使って一括で行なわれたものであり、映像を使用していないのなら全く問題ない、とのことです。今回の件においては、棋譜の権利を主張する意図では全くなかったようです。


 ということで、結局、問題なしということになった。上記の文章はあまり意味がなかったということになりますが、仮想的状況での考察という意味で残しておく。(追記ここまで)

 Wikipediaの「棋譜 - Wikipedia」記述は次の通り。日本将棋連盟のこの問題に対する態度について現在は次のように書かれている。

 日本将棋連盟は、過去には法的根拠は無い(棋譜に著作権は無い)とした上で、収入問題に発展しかねないので頒布を控えてほしいとの「お願い」をネットコミュニティに対して行っていたが、最近では、棋譜に著作権ありとして、許諾を得ない掲載や転載を禁じているケースもあり、必ずしもスタンスは一定していない。一時、江戸時代の棋譜に著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。著作権は別にして、将棋連盟の主な収入が棋譜掲載の権利によることから、棋戦スポンサーである新聞社の優先掲載権に対して一定の配慮を行うというポリシーを取る棋譜掲載サイトも多いが、一方で全く配慮せず自由に掲載するサイトもあり対応はまちまちである。 また、大規模な棋譜データベースサイトも運営されている。


 この記述は2010年12月28日に書かれたもので、それ以前は次のように書かれていた。

 日本将棋連盟は、棋譜は創作性のある表現であるとし、許諾を得ない掲載や転載を禁じている。一時、江戸時代の棋譜に著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。アマチュアにとっては自由に扱えるほうが望ましいが、将棋連盟の主な収入が棋譜掲載の権利によることが問題を複雑化させている。法律上問題はなく堂々と利用すべきとの意見から、より高い水準の将棋を見るには現状のままが望ましいという声まで様々で、未だ定まった判例はなく、アマチュアの将棋の取り扱いも様々である。


 ここでは、日本将棋連盟が棋譜の著作物性を主張しているかのように書かれているが、公式サイト(shogi.or.jp)上では、棋譜の著作権に関する記述はない。そのほかの公式文書と言えそうなものは「サイト利用規約:大和証券杯ネット将棋公式ホームページ」しかなく、現状では、日本将棋連盟が棋譜の著作権を主張しているとする根拠には弱いと考えられる。

 2010年12月28日に次のような文章が追加された。

 棋譜に著作権があるのか否かについては、過去さまざまな議論が行われており、法律の専門家の中にも著作権ありとする見解があったが、2007年に渋谷達紀による著作権を否定する見解が出されて以来、知財法の専門家の間では棋譜に著作権無しとみなされている。一方で、ゲームを統括する団体によっては、独自の判断から著作権ありと主張している場合もある。但し、裁判に訴えた事例は無い為、いまだ判例は存在しない。


 加戸守行「著作権法逐条講義 五訂新版」(2006年、著作権情報センター)は、著作権法10条第1項の例示に収まらない著作物の例として、「例えば碁や将棋の棋譜」、「棋譜も私の理解では対局者の共同著作物と解されますけれども、本条第1項各号のどのジャンルにも属しておりません」と書かれている。これに対して、渋谷達紀「知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法」(2007年、有斐閣)がその見解を批判している。2007年の渋谷「知的財産法講義II」の出版以降に新たに棋譜の著作物性を肯定する見解は出されていない。加戸守行「著作権法逐条講義 五訂新版
は「最も信頼のおけるわが国著作権法の解説書」と宣伝されているように、影響力の大きな解説書である。中山信弘『著作権法』(2007年、有斐閣)。

 毎日新聞2011年3月15日付夕刊に、棋譜の著作権に関する記事「Crossroads:棋譜の著作権 ネットなどで出回り問題に」(リンク切れ)が掲載された。新聞でこの話が正面から取り上げられるのは、私の知る限りでは初めて。記事は、囲碁の棋譜約6万局を集録したCD-ROMが日本棋院に無断で販売されていて困っているという話から始まる。次のように記されている。

 囲碁の日本棋院、関西棋院、将棋の日本将棋連盟は、棋譜は2人の対局者を著作者とする著作物であると主張する。著作物であれば、著作権が発生する。各団体は著作権者の代行者という立場を取る。新聞や雑誌などで棋譜が使用される場合は、タイトル戦の開催契約などで処理済みという解釈だ。また日本棋院は「所属棋士の棋譜を出版するなどにあたり、棋士の同意を要しない」など5項目の規定を設けている。


 上記の書き方では、著作権が対局者から日本棋院に譲渡されていないように読めるので、平本弥星六段の話とも食い違っている。また、ここで、将棋の日本将棋連盟も棋譜が著作物であると主張していると書かれているが、記事中で日本将棋連盟に取材した形跡はなく、何を根拠にそのように述べているか不明である。
続いて、著作権に関する著書のある弁護士の福井健策氏に話を聞いている。

 −−そもそも棋譜は著作物なのか?
福井  著作物であるかどうかのポイントは、それが創作的な表現といえるかどうか。たとえば、野球の試合展開は、面白い表現を追求するというより、いかに勝利の確率を上げるかを追求した結果。表現面での創作性はなく、著作物とはいえません。将棋や囲碁の棋譜も、懸命に勝利を追求した結果を、一定のルールで克明に記録したもの。いわば事実の記録物ですから、著作物には当たらないのでは。原則として、勝負を求めるたぐいのゲームとそれを記録するものは著作物に当たらないケースが多い。
−−囲碁の大竹英雄名誉碁聖は“大竹美学”といわれ、美しい手を求める棋士で知られる。武宮正樹元本因坊も「たとえ負けても、そんなひどい形の手は打てない」と常々言っている。それでも単なるデータ?
福井  面白い考えですね。私は囲碁をたしなみませんが、もし次の一手を、勝つためでなく、美しさのため、また、見る人への面白さのため選択するのであれば、その対局は「試合」ではなく「作品」であって、著作物となる可能性はあります。たとえれば、フリージャズセッションを再現した楽譜のようなものでしょうか。ただ、そこまでいえる対局や棋譜は極めてまれでしょう。ハードルは高いと思います。

 福井氏は、可能性を完全に排除するわけではないものの棋譜の著作物性に関して否定的な見解を述べている。この記事を見ると、「知財法の専門家の間では棋譜に著作権無しとみなされている」という状況に近づきつつあるのかなという感触がある。この見解が新聞記事の形で掲載されたのは大きな意味がある。

 この記事に関して、「著作権法コンメンタール 上下」(東京布井出版、編著)などの著書がある弁護士の小倉秀夫氏はTwitterで次のように述べている。
 指将棋の棋譜については著作物性は明らかにないでしょうね。そんなもの認めたら「初手から○○手まで」過去の棋戦と一緒だと著作権侵害になっちゃう。


 このような見解が、『著作権法逐条講義(五訂新版)』で棋譜の著作物性に肯定的な見解があることを踏まえてのものなのかどうか。もし、『逐条講義』に反論する形でこのような否定的見解が出ているとすれば、より強い意味を持つものになる。例えば、Twitterで「くだらない話を福井健策弁護士が一刀両断の巻。むしろ、ネットで販売されてるとかいうCD-ROMの方がデータベース著作物に該当したりして(笑)」というコメントがされている。

 弁護士の伊藤雅浩氏の「棋譜の著作権 ネットなどで出回り問題に - Footprints 」が次のように記している。

 棋譜の著作権を殊更に主張しなければならない場面はそれほどないように思える。要するに,プロ棋士の対局結果にアマチュアが学ぶ(再現することを含む。)ことは問題がないわけだし,解説などの付加価値を付けたものについては,著作権によって保護される。これで十分ではないだろうか。


 このように、福井氏の見解に賛同するコメントが多く見つかったのとは対照的に、この見解を疑問視する意見は見つけることは難しい。


 週刊囲碁2022.7.4日号12面の「議論!棋譜の著作権」を確認しておく。韓国の棋譜著作権問答史を記事にしている。それによると次の通りである。
2007 金*春 国会議員で囲碁愛好家 廃案 37名の同僚議員と発議。
2008 李美卿 廃案
2015 *勲 廃案
2016 曹薫* 廃案

2007 金*春 国会議員で囲碁愛好家 廃案 37名の同僚議員と発議。
 1は次の通り。「棋譜が著作権法の保護対象であることを明確にし、棋譜の著作者(棋士)の権利を保護すべきだ」。これに対し、肯定的意見、否定的意見がクロスしたまま国会閉会と共に廃案にされた。
2008 李美卿 廃案
 2は次の通り。議論が深まらなかった。
2015 *勲 廃案
 3は次の通り。議論が深まらなかった。
2016 曹薫* 廃案

 4は次の通り。2016-2020年まで国会議員を勤めた曹薫*9段が「歌の場合、作詞・作曲への著作権が明示されている。しかし棋譜の著作権は韓国棋院で管理されているだけで、保護されないままだ」と指摘し、棋譜の著作権に関する法的枠組みを設けるべきだと発議したが、結論が出ず廃案となった。

 問題は次のところで議論されている。
著作権の保護対象は一局の全体か一部か。
アマチュアの対局も含まれるのか。
序盤が過去の棋譜と同じ手順で進行した場合、著作権侵害に当たるのか。
棋譜は両対局者の共同著作物である。著作権を行使するには、そのつど対局相手との確認が必要になるのか。特に国際棋戦の場合にはこの作業は複雑なものとなるが如何。




(私論.私見)