石好み(4)、囲碁上達法2、アマ高段者編

 (最新見直し2015.1.9日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで「石好み(4)、囲碁上達法2、アマ高段者編」を記しておく。

 2015.1.9日 囲碁吉拝


【「菊池康郎氏の囲碁論」考】
 全日本囲碁協会理事長 緑星囲碁学園代表 菊池康郎氏の「囲碁の力」(2015年01月05日)転載。
 囲碁の魅力とは

 見た目がむずかしそうでとっつきにくい。ところがやってみるとルールは意外に簡単でやさしく覚えられ、しかも面白い。というのが初めて囲碁を覚えた人の感想でしょう。初心の頃は面白いように上達しますし、そこに、好きとやる気と根気、この三つの「き」が加われば、どんどん腕が上がります。石が取れる嬉しさ、勝ったときの喜び、これが面白さの原点です。こうして囲碁の楽しさにとりつかれれば、例外なくもっと強くなりたい、もっと勝ちたいと希いますし、そのための努力をすればするほど奥の深さが感じられ、興味が尽きない。これが囲碁の魅力の原点でしょう。

 ところで、囲碁が四千年以上の昔に中国で生まれて今日まで、戦乱に堪えて綿々と受け継がれてきたのは、いったいなぜでしょう。そこには、優れたゲーム性とともに、いま一つ、大切な側面があるからだと私は思います。古来、中国には琴棋書画(きんきしょが)という言葉があり、文化、教養、芸術を代表させています。その中で棋は囲碁にあたり、四大芸の一つとして位置付けられてきました。また日本では礼節を重んじる伝統文化であり、知性、理性、感性を磨くよすがとして、人間性の向上に深く関っている面が注目されています。この点やや抽象的ですが、囲碁に係っておられる人たちは間違いなく実感していることでしょう。さらに、囲碁には脳の活性化、ストレス解消といった健康面の改善に役立ち、また周囲とのコミュニケーションを促進させる働きがあるなど、副次的な効果が多数認められています。これらの利点があいまって、囲碁の魅力になっていると思われます。

 心を鍛える囲碁

 囲碁は、その対局を通じていろいろな思いが脳裡を駆けめぐり、心が揺れ動かされます。ときには高揚し、あるときは絶望するなと、悲喜こもごもの刺激を受けながら、その間に精神面の鍛えがなされるようです。具体的に精神力と呼ばれるものをランダムに挙げてみましょう。思考力 集中力 記憶力 判断力 注意力 決断力 反発力 忍耐力 胆力 コミュニケーション力などなど、さまざまです。これらの要素はウェイトの違いこそありますが、芸の分野では共通したものでしょう。武道、スポーツにも通じるものがあります。

 そして重要なのは、体験を通じて磨かれ身に付けた精神力は、とりもなおさず日常の生活面でも大いに役立つことです。この点、囲碁が人間性の向上に大きな役割りを担っているといわれる所以でもあります。囲碁が青少年の人格形成に役立つということは早くからいわれてきましたが、現在では多くの学校で囲碁が取り入れられるなど、教育面からも注目を集めています。

 囲碁上達の土台

 視点を変えて、精神力と囲碁上達との関連に話を移しましょう。結論からいいますと、精神面を強化することこそ囲碁の上達に欠かせない土台だ、というのが私の考えです。上達のためには技術の習得はもちろん大切ですが、土台となる精神面の充実がなければ、いくら技術を積み重ねようとしても砂上の楼閣のようなもので、充分身に付けることがむずかしいのです。

 一例として、緑星学園の青少年向け指導の一端を参考までに挙げさせていただきましょう。学園では、生徒たちの成長の度合を姿勢面、精神面、技術面に分けて判断しています。姿勢面では、近ごろとくに気になる挨拶や返事。これに関しては、ちゃんとできなければやり直しをさせ、対局態度のような行儀面とあわせて、かなり厳しくしつけをしてきました。精神面は、前掲した精神力の項目を反省させ、何がたりないかを自分で見つけるようにします。ときには、姿勢面をも含めてレポートを提出させます。技術面については、ヒントは与えますが、内容についてはあれこれと説明をしないようにしています。自分で考えて解決するという自立性を重んじるためです。

 以上は青少年指導の一例で、まわりくどいようですが、急がぱ回われで、足が地についた指導を心がけております。一九七九年(昭和五四年)に発足した緑星学園は、その後多くの子女を育ててきましたが、永年の経験から技術偏重の指導方法を脱して、以上のような方針をとっています。これまでの経験からも、その方向は間違っていなかったと確信しております。

 脳を活性化する囲碁療法

 だいぶ前から、囲碁はポケ防止にきくといわれてきました。それに加えて、脳の活性化につながる囲碁の効能について、昨今、医学的に解明する試みがいろいろな方面でなされています。社会問題にもなってきた認知症の予防法なども、今後の進展が期待されます。会報第1号以来、医学的見地からの執筆をお願いしている脳神経科医師の飯塚あいさんの研究記事は、広く注日されることになりました。近い将来、認知症をはじめとする囲碁療法が脚光を浴びることになれば、社会への貢献とともに、囲碁界にとっても大きな福音となるにちがいありません。今後、囲碁による健康面への効果、さらには広範囲な囲碁と医学の関係などについては、当協会の目玉の一つになりうると考えています。

 今後の展開

 先般、当全日本囲碁協会(略称全碁協)では懸案のホームベージを開設し、会報とともに全国的な広報治動をおこない、あわせて会員としての参加を呼びかけております。さいわい、多くの有志のかたに当協会の趣旨をご理解いただいて、目下、会員数は急増中です。

 今後の予定については、次の一手として全碁協主体のユニークな棋戦の開催を考えています。個人戦のほかにペア碁、団体戦、ネット対局など。これらの催しによって会員同士の連携を密にし、外部との交流を深めます。さらに講演会、親睦会など、できるところから手がけてゆきたいと思います。そして将来的には、全国の碁会所、囲碁教室の倍増計画を実施して全国的な交流の輪を広げたい。さらに海外への親善ツアーなど、夢多き企画を打ち出してゆきたいと考えています。

 旧来の慣習にとらわれず、斬新な発想を採り入れます。そして、勝った負けたのゲームだけに終らせず、囲碁の持つ素晴しさを掘り起こして心の糧とする。これが当面の全碁協の石の方向です。
 ●菊池俊郎アマ名人の「囲碁に強くなる本」(金園社、1985年)の「上達への秘密作戦」より
 概要「碁と一緒にいる気持ちが大切。生活の中に碁でうずめた時間を設けること。『習うより慣れろ』という言葉は、当然ながら碁にも当てはめられる。上達のためには三つの『き』が必要。1.好きであること。2.やる気をおこすこと。3.根気良く続けること。この三つの『き』がそろっていさえすれば碁は強くならないはずはない。強くなる三つの方法とは、打つ、見る、教わることです。特に見ることでは、自分より強い人の碁を見るのが上達の有効な手段です。教わるには、上手と打つ、悪いところを手直ししてもらうこと、自分の打った碁を見てもらうことです。本を読むことも大事で、見ることと教わることの両面を持っています。当然のことながら、強くなるためには、かなりの碁キチにならねばならないことだけは確かなようです」。

【「安藤邦男氏の囲碁論」考】
 人生を囲碁にたとえれば ー囲碁人生論ー 安藤邦男」(「囲碁と人生」)という小エッセイがサイトアップされている。これを転載しておく。
 一年ほど前のこと、所属するある囲碁会の懇親会の席上で、議論が持ちあがったことがある。ある人が「人生は囲碁に似ている」といい、出席者の多くがそれに同調した。ところが酒席には、むやみとからむ人間がいるものである。その男、「いや、そうではない。囲碁のほうが人生に似ている」と主張してゆずらない。両派に分かれて侃々諤々、議論は果てしなく続いた。結局、「どちらにせよ、同じことではないか。囲碁と人生の間には大きな類似関係があることは確かだ」ということで決着がついた。そのとき話されたいくつかの論点に、日ごろ自分なりに考えていることをつけ加えて、まとめてみることにした。題して「囲碁人生論」である。

 テレビの小中学生全国囲碁選手権戦を見ていつも感じることだが、盤面から見る彼らの緒戦の戦いぶりは専門家のそれと見分けがつかないほど立派である。解説する棋士も、非の打ちようがないと褒めていた。しかし、それにはわけがある。というのは、一局の囲碁の打ち始めは専門用語で「序盤」と呼ぶが、ここでは定石の力が大いに物をいう。「定石」をしっかり習得しておけば、序盤に関するかぎりある程度までは立派な碁が打てる。だから、定石とは人生における「読み、書き、そろばん」のようなものだといえる。「少年期」にこの基礎的能力を十分身につけておけば、その後の教育の場で大きな成果を収めことができるし、社会に出てからもそれなりに役立つ。

 ところが、「中盤」になると、事情は違ってくる。ここでは、定石はもはや無力である。地を取るか、勢力を張るか、戦いを挑むか、妥協するか、すべては緻密な読みの力と、全局的バランス感覚と、それを実行する決断力とにかかっている。ここで、棋力の差が歴然と現れてくる。人生でいうならば、自立する「青年期」から働きざかりの「壮年期」にかけての時期にあたる。この時期、就職、結婚など、いくつかの関門をくぐりぬけると、人は会社や家族のために身を粉にして働く企業戦士になる。そこで物をいうのは、専門的知識・技能、先を読む力、仲間との協調性、そしてそれらを可能にする体力と決断力である。

 さて、中盤が過ぎると、いよいよ「終盤」になり、「ヨセ」の段階に入る。戦いは終わり、すでに大勢は決している。ここでは相手の地を少しでも減らし、自分の地をわずかでも広げるという、地味な陣取り合戦がつづく。いうまでもなく、ここは人生でいう「高年期」である。そろそろ引退を考える時期か、すでに引退して余生を楽しんでいるころである。いまはただ、これまで築いてきた己が城を現状のまま維持し、それを子孫や後輩に伝える仕事が残されているだけである。

 こうして眺めてくると、囲碁においても、人生においても、いちばん重きをなすのは中盤であり、青・壮年期であることがわかる。人生の青・壮年期は、時間的にも一生のうちの大半を占めるし、ここでの生き方如何がその後の人生の幸不幸の決め手となる。同じように囲碁でも、中盤戦は勝敗の天王山をなすところであり、それだけに碁を打つ楽しみ、醍醐味はここを措いてはほかにない。

 中盤はまた、人の性格がもっとも現れるところである。人は戦いのとき、本心を露わにするもの。性格だけでなく、好き嫌い、価値観、主義主張など、いうなればその人の個性が如実に顕れる。多彩な個性が限られた盤面に凝縮して表現されるという意味で、一局の囲碁はまさにひとつの芸術作品と呼ぶにふさわしい。

 芸術作品といえば、文芸の歴史に発展史観なるものがある。古典主義から浪漫主義が生まれ、やがてそれは現実主義に移行するという図式である。ここで自分の囲碁の経歴をふり返ってみると、あまりにもこの図式どおりであることに気づく。文芸の発展段階説は、人間の成長段階説にも当てはまることを知って驚いている。

 すなわち、20代のころ、わたしは「囲碁は調和」であると説く呉清源九段や「囲碁は美学」だと主張する大竹英雄九段などに惹かれ、彼らの棋譜を並べて勉強したものである。その形式美を愛する棋風は、文芸でいう古典派に通じるものがある。一方、形式や実利にとらわれず、ひろく中原を目指す武宮正樹九段や苑田勇一九段の「宇宙流」、それにひと頃の藤沢秀行九段の豪放な棋風などは、夢を求めるロマン派の名に値する。働き盛り、打ち盛りの壮年期、わたしはこのタイプの碁に熱中した。

 この流儀に対照的なのが、地に辛く、実利を追うタイプの石田芳夫九段や趙治勲九段である。その堅実性を考えれば、現実派と呼ぶのが相応しい。この人たちが本領を発揮するのは、中盤よりむしろ終盤の「ヨセ」である。「ヨセ」では、人は多少ともレアリストになるものである。人生の終盤で、わたしはいま自分がこの派に近いことを痛感している。

 一局の碁と人の一生はかくも似ている。しかし、そこには大きな相違もある。囲碁は、一目の違いで勝敗を決する厳しい戦いであり、ときには試合半ばの「中押し」で勝敗を決することもある。しかし、人生はもっと大らかで、ゆったりしている。それは1目や2目の違いにはこだわらないし、10目や20目の差があっても勝ち負けを云々することはない。目の数の価値は人によってそれぞれ違う。たとえ1目の地しかないときでも、相手の10目の地に匹敵することもある。「長者の万灯より貧者の一灯」である。

 わたしはいま、高年期に入って、これまで打ってきた人生の囲碁を目算している。勝ち負けはもはやどうでもよい。途中で投げるほどの大敗を喫することもなく、これまで打ってこられた仕合わせを味わっている。そして、終局の前に何とか自分の棋譜を残したいと思っている。

 人生の棋譜とは、いうまでもなく自分史である。  (平成16年10月21日)

【囲碁上達法】
 詰碁と棋譜並べは大して上達の役に立たない(11)」 を転載しておく。
 ※囲碁上達法のウソ

 そんな話から入ったのは、非常に眉唾な囲碁の上達法をプロ棋士が勧めていると思うからである。「詰碁とプロの棋譜並べ」をプロが勧めるのは、おそらく多くのプロがそう言っているから無難であること、それより基本的で大事なことが自分たちにとってあまりに当然すぎて盲点になっていること、プロの棋譜を買ってもらわないと商売にならないから、の3つの理由からだろう。私は以前からこの上達法に疑いを持っていた。実際、詰碁や棋譜並べをかなりやっていても全然強くならない人をたくさん見た。私のことで言うと、田舎の県代表になる直前まで、日本棋院の基本死活辞典以外の詰碁はほとんどやった事もなかったし、プロの棋譜などあまり手に入らなかったから棋譜並べもほとんどしていない。詰碁と棋譜並べを一生懸命やり始めたのは県代表になってからである。これが確信に変わったのは、将棋の真剣師である大田学さんの言葉を知ったからである。大田先生は将棋で強くなる方法を聞かれると「上手と熟考して指し、それを自分で研究すること」と答えたとのこと。30歳を過ぎて将棋を覚え、日本一の真剣師になった師の言葉はプロ棋士とは全然違うが、間違いないと思う。 

 ※囲碁3大上達法

 私が考える囲碁の一番重要な上達法は以下の3つ。1、真剣に熟考して打つこと。2、打った碁をしっかり検討すること。上手と打ったら手直ししてもらうこと。3、上手の打つ碁を生で見て学ぶこと。

 まず1。詰碁や手筋の問題はできても実戦は別。実戦の読みの力は実戦でしか身につかない。ただ、初段くらいになったら日本棋院の基本死活辞典の丸暗記は必要と思う。次に2。敗因を自分なりに分析する。どんなに研究しても答えは出ないかも知れない。しかし研究しておけば、上手に教えてもらったり人の碁を見て開眼する機会が必ず来る。3。生の碁を見るのが大事。どの手をノータイムで打ったか、どこで長考して手をひねり出したか、それが貴重な情報になる。それが出来ないのに、雲の上の棋士のしかも数字しかない棋譜から学ぶなんて出来っこない。1~3をしていれば、自分の弱点が見えてくるはず。そうしたらその勉強をすれば効果が高いだろう。受験勉強も同じ。「どんな本を読んだら強くなる?」かは自然に見つかるものだと思う。


【囲碁上達法】
 小幡照雄の正法眼蔵第三十七、春秋ノート」の囲碁に関する下りを転載しておく。
 「慶元府(きんげんふ)天童山(てんどうざん)宏智(わんし)禅師、丹霞(たんか)和尚に嗣す。諱(いみな)は正覚(しようがく)和尚、云く、『若論此事、如両家相似。汝不応我著、我即瞞汝去。若恁麼体得、始会洞山意。天童不免下箇柱脚。裏頭看勿寒暑、直下滄溟瀝得乾、我道巨鼇能俯拾。笑君沙際弄釣竿』(もしこの事を論ぜば、両家の著碁(じやご)するが如くに相似なり。汝、我が著(ちやく)に応ぜずば、我、即ち汝を瞞じ去らん。もし恁麼(いんも)に体得せば、始めて洞山(とうざん)の意を会(うい)すべし。天童免れず箇の柱脚(ちゆうきやく)を下すことを。裏頭を看(み)るに寒暑なし、直下に滄溟瀝(そうろうした)み得て乾きぬ。我が道は巨鼇(きよごう)能く俯して拾ふ。笑ふべし、君が沙際(しやさい)に釣竿(ちようかん)を弄することを)。

 しばらく著碁(じやご)はなきにあらず。作麼生是両家。もし両家著碁といはば、八目なるべし。もし八目ならん、著碁にあらず、いかん。いふべくは、かくのごとくいふべし。著碁一家(じやごいつか)、敵手相逢(てきしゆそうふ)なり。しかありといふとも、いま宏智道の你不応我著《你、我が著に応ぜず》、こころをおきて功夫すべし。身をめぐらして参究すべし。你不応我著といふは、なんぢ、われなるべからずといふなり。我即瞞汝去(我即ち汝を瞞し去らん)なり。すごすことなかれ。泥裏有泥(でいりゆうでい)なり。踏者(とうしや)あしをあらひ、また纓(えい)をあらふ。珠裏有珠(しゆりゆうしゆ)なり、光明するに、かれをてらし、自をてらすなり」。

【囲碁上達法】
 「一般的アマの上達の軌跡」を転載しておく。
 “囲碁はどうしたら強くなるか”囲碁を覚えた人は誰しもその方法を得ようと人に聞いたり、自分で試行錯誤するもので、私も初段の頃出張の帰りに電車の中で会ったアマの県代表クラスの人に「どうしたら強くなるんですか」と聞いたことがある。そのときはほほえみを浮かべてだまって回答をもらうことができなかった。また、5段のころ、あるこれも県代表クラスの人に同じ質問をしたことがある。このときは「NHKの対局をビデオに撮って2回見ること」と言われた。プロの多くは詰碁を勧める。さて、ここに「一般的アマの上達の軌跡」として私のたどってきた囲碁の関わりを記したのは、上達しようと思われるみなさんに一つの参考としてもらえればと思ったからである。

18才のときである。同じ部屋の野口が「碁、知っとる?」と聞いてきた。囲碁は中学のとき中学校の宿直の先生からルールを教えてもらった程度であったが、知ってることには違いがないので、「うん、知っとる」と言ったら「では、やろう」とどこからか碁盤と石を持ってきた。いざ始めてみると、敵はピョンピョントんでくる。今の一間トビである。こちらは石をくっつけてノビることしか知らない。当然のことながら大負けである。

 そのことがあって悔しいので次の日に本屋に行って碁の本を探した。坂田栄男本因坊の新しい定石と中盤の攻めとシノギだったと思う。授業中も隠れて見るくらい一所懸命だったので、すぐその野口には勝てるようになった。 学生寮から歩いて30分のところに日宇という小さな町があって、そこに碁会所があった。古い民家の二階で、そこに顔を出すようになって2年後には1級になっていた。大会でもらった優勝賞品の小瓶のビール半ダースをズボンのポケットやら上着のポケットに入れて寮に持ち帰ったことがある。寮は酒、たばこは禁止されていた。一番南の棟の四階の自室に持ち帰り悪友たちとこっそり飲んだ。空き瓶は捨てるところがないので窓から隣の工場跡地の空き地に投げ込んだことを覚えている。よくそんな悪いことをしたものだ。今思うと冷や汗が出る。そこの席主に君は三段にはなれる、と言われた。その頃の三段は今の五段くらいだろうか。あまりうれしくなかった。

 学生時代は高専なので卒業は20才だが、卒業するまで「囲碁クラブ」の入段試験というのに毎月応募した。あれは当選すると初段の免状がただでもらえることになっていて、なんとか当たらないものかとずっと続けたが結局当たらなかった。社会人になって本州の静岡県磐田市の工場に配属になってそこに住み着くことになるのだが、会社に入ってからは「磐田囲碁クラブ」に数回行った程度でやめてしまった。辛気くさい、暗いというイメージがあるし、女の子にも縁がないし若者の遊びでない雰囲気があった。

 結婚してしばらくして、また始めた。1年ほどたったころ日本棋院の月刊誌「囲碁クラブ」の入段試験に当選して免状が送られてきた。かっこいい!黒縁の額を買ってきて飾った。そうこうして4年ほど続けた。二段くらいになった。32才になって岡山に転勤になった時点で中断した。新しい工場の立ち上げで仕事が忙しく、また囲碁の環境もなかった。

 囲碁を再開するようになったのは6年間いた岡山から一旦磐田に帰ってきて、再度単身赴任で1年間岡山に出向したときからである。一人で岡山にいてもやることがない。岡山で終わりの半年は結構熱心に勉強した。備前市には碁会所がなかったので、休みの日には岡山まで車で40分「囲碁の学舎」という新しい碁会所に通った。磐田に帰る頃には三段で打っていた。

 本格的にやってみようと考えたのが、45才である。あと2ヶ月で45才の誕生日を迎えようとした新年、一番下の息子の少年野球が終わって土、日曜日が自由になった。「どれくらい行くものかやれるだけやってみよう」と考えた。会社の昇進も先が見えてきて、一生を終えて死ぬときに、何かやったというものがほしいと考えた。今から世間並みに自分にやれるものは何だろう、と言えば思いつくのは囲碁しかなかった。

 本格的にやってみようという意味は、とにかく時間があれば囲碁の勉強に費やしてみようということである。それまでは勉強はしたがそこまでのめりこんだことはなかった。会社から家に帰って寝るまでの時間、通勤している車での信号待ちの時間、トイレでの時間を囲碁の勉強に利用した。というよりあえてそうさせてみたというのが正しい。通勤での信号待ちのときに詰碁など見ていると、つい運転も片手運転になり、さすがにやばいと思い最近はやめている。トイレの時間は今でも継続していて、趙治勲の基本詰碁辞典は2回目だし、前田の詰碁の本(上、中、下)も、藤沢秀行の手筋辞典(上下)その他1日1ページくらいしか読めないが毎日のことでもありいつの間にか進んでいる。詰碁はきらいだった。囲碁クラブについてくる次の一手の問題は詰碁となると中級の問題までくらいで上級、有段者となるととても分からなかった。本当に1,2級の人がこんな問題を解けているのだろうかと不思議だった。

45歳の年末、年賀状に目標を書いた。「1年で1子強くなる」。みんなに公言することでプレッシャーを自分に与えようとしたのだが、それについてどうのこうの言った人はおらず何か拍子抜けした。1年後、1子強くなって4段、2年後2子強くなって5段。この辺までは順調だった。アマチュアの場合、何をもって段位をいうかというとむずかしい。日本棋院の免状をもっていうかというと、現在はもっている人が少なくあてにはならない。この会では優勝したから次はxx段で打ってもらいます、というパターンが多い。そうすると、こちらでは5段、あちらでは7段というのも出てくる。

 浜松囲碁センターで毎月第1日曜日に月例会があった。優勝か準優勝を2回すれば昇段という規定になっていて、それが励みになって毎月挑戦した。Aクラス40名くらいの中から上位2名に入ろうとするのだから結構きびしかった。そこで5段になったころ、ルール改正があった。点数制になって、勝つと1点上がり、負けると1点下がり、規定の点数になると昇段するということになった。昇段すると点数が下がっても降段することはない。

 この時期からインフレになったのだろう。優勝、準優勝して6段、それから1年少しで、準優勝して7段になった。自分が強くなったわけではないのに昇段してしまうというのはあじけない感じがしてそれからは行っていない。それなりに自信ができたら再挑戦してみようとは思っているが。

囲碁の上達に欠かせないのは実戦である。従来は碁会所に行くか、あちこちで開催される大会に参加するしかなかった。いい碁会所があればいいがなかなか適当なところがない。そういう中、コンピュータを使って対局ができるサークルができてきた。NTTのパケット通信というつないでいる時間に課金されるのではなく、1パケット、つまり1手1円くらいで対局ができるようになっている。その中で費用の安いサンサンネットを選んだ。ちょうど5段程度になった48才の1月(正確には3月が誕生日なので47才と10ヶ月だが)に入会した。月に30局くらいのペースで打った。300局も打つ人がいる中多い方ではない。入った当時は会員が300人くらいで「談話室」では毎晩囲碁談義が花盛りだった。その当時だからこそだろう、常連の人と友達になることができた。あと1年もすれば1000人は超えるよと言っていたのがなつかしい。もう2000人くらいいるのだろう。しかし、「談話室」はたまに覗いてみても閑古鳥が鳴いている。談話室の席主がいなくなって、覗いても誰もいないと出てしまう。今更ながら、席主が待ちかまえていてくれたのが貴重だったと思い知らされる。

 サンサンは点数制になっていて、1回勝てば1点上がる。負ければ1点下がる。点数を上げようとみんながんばるわけである。サンサンはタイムラグがない。打ってすぐ反応があるため実際の対局と同じように落ち着いて対局ができるし、秒読みになると女性の声でカウントしてくれるので対局に集中できる。今はADSLで常時接続なのでインターネットから対局しているが、まだ会員の大半(?)はゲーム機で対局されているので、システムの改革が進まない。このままでは逆に会員の数は減っていくのではないかと心配している。

サンサンには通常の対局のほかにリーグ戦があって毎週決まった曜日に対局する。2ヶ月間で8局打つのだが、あらかじめ事務局の方で相手を決めてくれているので、都合が悪いときは相手に事前に連絡をとって変更してもらう。電話で連絡することが多いのだが、電話口に出た奥様とかお子さんの会話の様子でどんな人か分かるような気がして楽しい。そうこうしているうちにお互いに親しみを感じてくるようである。リーグ戦は真剣勝負である。成績優秀な人には賞品が出る。互先なので、強い人に当たった場合はきびしい。しかし、それが大いに勉強になった。

 囲碁の本は初めからよく買った。月刊誌以外に200冊くらいあるだろうか。買うときは時間をかけて、気に入ったものを普通1冊買うが、たまにどちらともつかずに2冊買うこともある。買ってすぐ読んでしまえればいいが、通常はつんどくことが多い。それでもおよそ目を通しただろうか。月刊誌は日本棋院の中遠支部に入会している関係もあって「囲碁ワールド」は毎月送られてくるが、あまり活用していない。他に「囲碁研究」を購読している。こちらの方は大体全体を読む。読者のことをよく配慮した編集がされていて、その点で気に入っている。懸賞問題は翌々月に全国応募者の得点が掲載されるので、それが楽しみである。100点をいつも狙っているのだが、取れそうで取れない。この5年間で1回あったきりである。月刊「囲碁」は好きだった。しかし、「囲碁ワールド」、「囲碁研究」、それに「週間碁」があればとても読み切れず、1年くらいでやめた。あの対局細解は解説が詳しいので良いと思う。最近のものは編集者が替わられて少し物足りない。も少し強い人が担当して欲しいという気がする。(と書いたが、最近また強い人に替わられた)

 最近はコンピュータの前に座っていることが多い。対局もそうだが、碁盤に向かって棋譜を並べるのをソフトを使って入力している。その方が2回目以降は探さなくて良いからよけいな時間がかからない。その点でいい。(といいながら、再度見ることは少ないのだが)大会の決勝戦とか、プロの指導碁とか家に帰って記録のために入力しておく。棋譜を入力するだけではなく、そのときに検討された変化図、コメントも同時に入力できるから良い。呉清源の昭和の十番碁を磐田市の図書館から借りて二十数局解説もすべて入力した。非常に残念なことにコンピュータのHDのトラブルで消滅してしまって残っていない。しかし、少しは頭の端っこに残っているのかもしれない。

 強い人に指導碁を打ってもらうのも囲碁上達の上で有効だろう。45才の頃は中遠地区で一番の日比野さんによく打ってもらった。日比野さんは昼間働いて、夜碁会所を開いていた。そこで4子局の指導碁から3子局まで打ってもらった。今はすでに碁会所もやめられているので、それっきりになっている。50才になった年に、中国プロ棋士の梅艶さんが「囲碁サロンめいえん」を開設されたのを期にそちらに通うようになった。3子で打ってもらっているが、なかなか入らない。対局が終わって検討をやってくれるのを家で反省しながらコンピュータに打ち込む。 

下のグラフ(割愛/囲碁吉)は棋力の推移をサンサンの点数を基に段位に替えてグラフにしたものだが(サンサンの前は当時の大会での段位)、45才から3年くらいは毎年1子上昇しているがそのあとは鈍化している。今アマの7,8段くらいで打っている先輩がいるが、「同じ勉強しても先輩の実力だと伸びる量はわずかでしょうが、我々程度だと先輩の数倍は出るはずですよ」と4段のころ言っていたのを思い出す。

 現在もどうしたら強くなるか模索しながら勉強しているわけだが、振り返ってみてまとめてみると、

1.強くなりたいと常に思っていろいろ工夫しようとする気持ちをもつ。結局これがすべてではないか

2.詰碁を解く。やさしいものから始める。2,3手先になるとあれ、どこに打ったっけとぼやけていたのが薄れなくなる・・・ヨミが正確になってくる。これは確かに効果がある。詰碁はきらいだったがそうでもなくなってくる。

3.実戦。

4.本での勉強・・・なかなか記憶に残らないが、感じることが大事なのではないか、感動できればもっといい。

5.定石。囲碁の定石はご存じのように絶対的なものではない。一昔前は定石とされていたものが現在では考え方が進歩し、片方が不利という認識に変わり打たれなくなっているものも多い。定石は勉強しなくてもよいと極端に走るのではなく、手筋を駆使しているので手筋の勉強と思ってやればいい。

 碁雲ルイ囲碁上達の秘訣」を転載しておく。
 一般的アマの上達の軌跡では碁を始めてから今までやってきたことを書いたが、結論は熱心に集中することであると一言で終わらせてしまったので、もう少し具体的にポイントになることを書いていきたいと思う。子供たちの進歩は目を見張るように速いが、それと同じプログラムを大人にした場合どうなんだろうと思っているが、覚えが悪い分時間はかかるだろうが前進することができれば儲けものである。その実験はまだなので、そのときが来たら報告しようと思う。ここでは自分が中年になってからやってきて、これは効果があったというものを書き出してみる。

 1.詰碁

 プロの多くが詰碁をやれば強くなると言う。ありふれた上達の秘訣の定番となっているようで、最近はもっと変わった言い方をしているプロもいるほどだ。それはアマの指導碁をしていると一目分かるような変化を見過ごして、指導しているプロにいい思いをさせているからだと思う。私も置き碁を白の立場でやるとき、「こう来られたら白ツブレだな」という局面を見逃してもらい勝負を先に延ばさせてもらうことが多々ある。ま置き碁だからそうなんだろうことはそう言えるが、この点詰碁をやればヨミの力がついてくる、ということで上達の秘訣の一番に上げた。確かにそうだと思う。私も詰碁は嫌いだった。中級の問題といっても解けない。どう考えていいか分からないのだ。一手一手しらみつぶしに当たっていっても正解が解らない。
 
 今振り返ると、詰碁はやはり易しい問題をたくさんやって少しずつ難しい問題にチャレンジしていくという形だなと思う。一手の詰碁とか、三手の詰碁とか、そうすると同じ手筋のものが何度か出てくる。そうすると一目見て、ああこの筋だな、と解ってくる。

 筋をいろいろ覚えてきて実際の死活でその筋を応用できることも一つの効用だが、もう一つの効用はヨミの力がついてくることである。最初は、読んでいても数手先から頭の中の石の配置が消えてしまい、全然先に行けない状態だった。それが少しずつ、白黒の石が頭に思い浮かぶようになってきた。これが読めるということかなと思う。今年発行された依田名人の「依田ノート」では、基本死活を一目でパッとわかるよう覚えるといい、と言われている。私もまだそこまでいっていないのでそれをやればまた強くなるかとトイレの棚にさっそく武宮の実戦の死活と趙 治勲の基本死活事典を置いて、見ている。「覚える」んだそうだ。いろいろ考えずに基本は覚えてしまうということだろう。

 2.手筋

 ヨミの力は囲碁の強さにはっきり表れてくる。アマチュアの碁は(プロに近いアマチュアは別。一般的アマ)このヨミの力が勝敗を決することが格段に多いだろう。そのヨミの力をつける上で詰碁の次に手筋だ。詰碁に比べ手筋は取っつきやすかった。案外みなさんもそうだろうと思う。変化が少ないからか。また種類もそんなに多くないように思える。
 
 呉清源と瀬越憲作の手筋辞典は泥臭くてヨミの練習にもなる。プロのほとんどは手筋に当たるものは一目で分かるようだ。それくらい慣れないといけないのだろう。

 手筋と形は同じ類のものである。形が悪いとそこにはいろいろ手段が発生してくる。相手の形を崩す。自分の形を整える。形に反する手はどうしたら回避できるか必死に打ってみたら、一皮むけるかもしれない。
 
 3.定石

 定石と手筋と分けたが、定石は手筋の宝庫といわれる。その点で、定石を一通り並べてみるのも効果があると思う。忘れてしまうけれども、実戦では自分で考えて打つ。ときには手痛い別れになることもあるかもしれないが、序盤で相手に石をあげると不思議にその勝負は勝つことが多い。 というくらいの気持ちで打ちましょう。梅艶プロも定石は一通り並べたと言っておられるし、今でも新しい定石に気を張っておられる。(つづく)
 古賀弘彦氏の2011-12-14 17:18:09日付けブログ「囲碁礼賛
 六十五歳で多忙な仕事を終え、工場の一要員となって暇な時間ができましたので、何を主力の趣味にしようかと考えた時、現役時代に少々手解きを受けた囲碁にすることにしました。会社から帰ってスカパーのビデオを見る。本や雑誌を読む。プロの実戦譜を並べる。パソコンソフトで習う。友人から借りてきたビデオを見る。土曜日、日曜日には、福祉センターや公民館、図書館等囲碁ができるところが佐賀市及びその周辺には、二十ヶ所程ありますので、そこへ行って実戦を楽しみました。囲碁は、友人仲間も増えてゆき、七十五歳で仕事を終えた後には、ウイークディーも福祉センターの囲碁部へ通いました。熱心に対応したので今では五段、六段格で打っており、福祉センターの囲碁部と兵庫公民館の囲碁部の会長に祭り上げられて居ります。

 囲碁は、現在世界的に、女性間に、子供達にも、そして老人達の間にも、どんどん広まりだしております。囲碁の道具は、白と黒の碁石で最も単純ですが、コンピューターはアマチュアの初段にも達しておりません。チェスは、コンピューターが世界選手権者に勝っておりますし、将棋はプロと互角に戦って居ります。囲碁は、約千年前、紫式部が書いた源氏物語にも、清少納言が書いた枕草子にも、囲碁を打つ場面が何ヶ所も出てきますし、計算の仕方等も出てきます。紫式部の方が清少納言より少々強かったそうです。信長は、囲碁を打って、武将としての能力を高めて行ったとも云われて居ります。三コウが出来た時、本能寺の変が起きたので、三コウができたら不吉の兆候だと云われて居ります。川中島の合戦で上杉謙信と数度に渉って交戦し雌雄を決し得なかった武田信玄もよく碁を打ったと云われています。徳川家康は、プロの碁打ちを育て、禄を与えて、お城碁といって、歴代殿様の前で囲碁を打たせました。そこで育った家元が、本因坊家、安井家、井上家、林家の四家で、この三百年の間囲碁は、殿様の前で打たれ発展し、道策や秀策はじめ多くの優秀な騎士を輩出しました。

 さて囲碁とはどんなものか。また魅力はどこにあるのか。囲碁は、手談と云って言葉は通じなくても話しができます。ボケ防止にも役立ちます。囲碁は調和であり現代にマッチしたケームだと云えます。現代は社会的に、ODAその他与える時代で、囲碁は、白黒合わせて100目だとしたら、四十九目与えて五十一目獲得したら勝ちになります。囲碁は、ゴルフにも似ています。布石がドライバーで、中盤の戦いがあって、グリーンがよせであります。個人技でもあります。囲碁は、何歳になろうとも、上達したいという気持ちを持っていれば、上達することができます。100歳で囲碁を打っている人もいます。そして上達すればする程面白くなるゲームです。囲碁は、大局観と判断力であります。政治家も、経営者も作家もビジネスマンそして人生が判断の連続だとしたら、囲碁も、どこが大きいか、死なないか、連続するか、型が良いかの判断の連続であります。ピンチもあればスランプもあり、いかにその壁を破り好転を計るか、囲碁は人生そのものであり、良い囲碁を打って良い人生を送りたいものであります。囲碁が人生に似ている面で、人生には、親子、師弟、友人の各道があります。それを踏み外してはなりません。囲碁にも、石の進むべき道があり、それを踏み外すと石は、ぼろぼろに崩壊してしまいます。会社の仕事にも通じており戦略戦術が必要であり、これを駆使して戦わねばなりません。弱い時には守り、強い時には戦う。そういう意味では、囲碁は、哲学であり、力学でもあります。

 囲碁には、地を中心にする囲碁と、石の強さを中心にする囲碁があり、どちらにも片寄らずに、バランスのとれた囲碁を、オーソドックスの囲碁といいます。もう一つの囲碁の魅力に、囲碁は、宇宙に似て奥が深く幅が広い。その道を極めるに無限であります。囲碁は、知的ゲームとして世界で一番良く出来たゲームであり、趣味としても至福の時間をもたらしてくれます。「辛伸」。つらい時が伸びる時であります。「探幽」。奥深さを求める。人生は、徳をつみ、仁を学び、誠を実践する事ができれば、生涯の喜びであります。「旬に日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり」。自からを励まして生涯を終えるその一瞬まで「道」を求めて新たな決意を持ち続け限りなく学び続けていく事ですが、合わせて囲碁の道を学んで行くと人生の幅が広がります。

 囲碁上達のコツとして、次の二つの事が上げられます。一、良きライバルを持つ。二、毎日囲碁に接する。又囲碁は、強い人のそばにいれば強くなるとも云われて居ります。一般に使われている言葉に囲碁用語から来た言葉があります。「布石を敷く」。将来に備え予め用意すること。「一目置く」。優れた人に敬意を表して使う言葉。「駄目」。好ましくない結果になること。「八百長」。明治の初め八百長という人がいて、この人が囲碁を打つといつも一勝一敗でした。前もって打ち合せておき、うわべだけ勝負を争っている様に見せる事です。

 囲碁には、ルールの他に守らなければならないエチケットやマナーがいくらかあります。自戒の言葉を記して見たい。ワースト一は、何といっても「待ったをする事」でしょう。待ったは、自分の品格を落とすだけでなく、相手にも失礼であるし、上達への妨げになります。心すべき事であります。ワースト二は、観戦している時「助言感想を云う」ことでありましょう。囲碁が佳境に入り、いよいよこれから勝負という時、横からいらぬ口を出されて不愉快な思いをする事があります。分厚い碁盤の四本の脚は見るからに、ゴツイ感じがしますが、これは「くちなしの実」を型取ったもので「くちなし」は「口なし」で暗に助言を戒めたものだという事です。裏面の中央には、四角に彫った「へそ」といわれる溝がありますが、これは別名「血溜」と呼ばれる物騒なものであります。昔助言した者の首を切ってここへ乗せ血が流れぬ様にした事からこの様な名がついたとの事であります。勿論これは、盤のくねりをとめたり、乾燥をはやめたり、打った石の響きを高めるために彫られているという事でありますが、助言者への強い憎悪からの作り話しでありましょう。「碁の助言いいたくなると庭へ立ち」、「碁会所で黙って見ている強いやつ」。川柳を待つまでもなく観戦する時はじっと見ていて勝負がついてから感想を述べるようにしたいものです。ワースト三は「負けとわかっている碁をだらだら打つ」ことです。さらに「負け惜しみを言わない」、「礼を失しないようにする」等対局者について心がけるべき事は沢山あります。囲碁好きを夢中にさせる一つは、無限の変化にあるのではないでしょうか。確かに碁盤の目は19×19=361と有限であります。打たれた種類は361×361×360×359×・・・×1と途方もない数になります。無限に近いものと云う事が出来ましょう。古来どれ程多くの囲碁が打たれたかわからないが、全く同じ棋譜というものはなく今後もないとものと思われます。

 もう一つの囲碁の面白みとして、囲碁川柳というものがあります。全国では、囲碁川柳のサークルというものがありますが知人の作った川柳をいくつか上げて見ます。

  ルンルンと家路も楽し五連勝
  ボケ防止詰碁のノルマ日に五問
  人の碁に口も手も出す弱いやつ
  一目差座布団のけて確かめる
  お浄土でケリをつけるという弔辞
  勝った日は妻に聞かせる碁の話
  何よりの見舞いでしたと碁の相手
  小娘にころっと負けてもう止めた
  殺す筋ビッシと決めて反り返り
  碁を打っているのは俺だ口出すな
  いつ来ますか約束迫る碁の相手
  二刀流囲碁の腕でより口達者
  入門書囲碁開眼は夢の夢

       了

【囲碁上達法】
 「囲碁上達法」を転載する。
 「どうすれば、強くなれますか?」。これは、囲碁を嗜む人が、プロ棋士に問いかけるもっとも多い質問であり、囲碁ファンにとって永遠のテーマではないかと思います。私は一アマチュアであり、一囲碁ファンに過ぎませんが、今までに、こども囲碁教室、部活動などでのべ400人以上の方に囲碁の手ほどきをさせて頂きました。その経験や諸先輩方のアドバイスを元に、月並みな方法ばかりではありますが、囲碁上達法・・・ということで、強くなるためのアドバイス、オススメの勉強法をまとめてみたいと思います。もう既にされている方も多いと思いますが、上達に欠かせない3大勉強法は、「実戦」・「詰碁」・「棋譜並べ」です。この3つをバランス良くこなすことができれば、間違いなく強くなれると思います。

 まず「実戦」ですが、3級くらいまでは、とにかく、数多く対局することが有効です。「習うより慣れよ」の姿勢が大事です。そして自分より2~3子以上強い人に打ってもらった場合は、局後に検討をし、悪手を指摘してもらうといいと思います。その際、棋譜を採ることが可能であれば、局後の検討はより有意義になると思います。棋譜がなくても、せめて序盤の30手くらいの攻防は覚えておきたいものです。また、碁会所・部活・インターネットなどの練習対局を数多くこなすことも大切ですが、何よりも積極的に大会などに参加して、真剣勝負の経験を積むことも非常に大事です。別に全国大会に繋がっているような大きな大会でなくても、段級位認定大会や地域の親睦大会であっても勉強になります。上位大会への出場や、昇段・昇級、あるいは賞金・賞品がかかっていたりする場合などもあり、練習では味わえない緊張感、真剣さが自然と生まれます。また、対局時計を使用したりする場合もあり、より実践的な訓練を積むことができます。そして、大会に参加することで、次の目標ができたり、よき碁敵(ライバル)を見つけることもでき、モチベーションが高まれば、上達に繋がるのは間違いないでしょう。ですから、大会、研究会、親睦会、などの囲碁のイベントや他流試合には、積極的に参加しましょう。

 次に「詰碁」ですが、難しい詰碁には手を出さず、簡単な問題、実戦で良く出てきそうな形を、繰り返し解くのが、かなり有効です。囲碁の基本は戦い、戦闘です。そしてその根本にあるのは死活です。相手の地中に手が残っているのか、或いは逆に自分の石は、手を抜いて生きているのか・・・こういうところで1手違うと大きな違いです。また、はっきり生きている石は厚みとして活用できますが、生きていない石には常に気を配らなければなりません。石の強弱のよりどころとなるのが詰碁です。ヨセもある意味詰碁です。もっとも大きなヨセは、死活が絡み、相手が手を抜けない先手ヨセです。だから、詰碁の勉強が、上達の特効薬といえるかもしれません。詰碁で、徹底的にヨミの力を鍛え、中盤~終盤戦に強くなりましょう。

 最後に「棋譜並べ」ですが、並べる棋譜はプロ棋士やアマチュア強豪の対局であれば、古今東西を問わず、誰の棋譜を並べても効果はあるでしょう。韓国・中国の棋士の流行最先端の棋譜を並べてもよいし、また逆に江戸時代の古碁には味わい深い対局が多いので、好きな人は古碁ばかり並べてもよいでしょう。あるいは時間的余裕がない人なら、タイトル戦の棋譜だけ並べてみる・・・これも一法でしょう。最初のうちは、好きな棋士の棋譜や、自分の棋風(地を取る碁が好きなのか戦いの碁が好きなのか・・・etc)に近い棋士の棋譜を集中的に並べるというのもよいでしょう。1局の手順を暗記するぐらい並べ込んでもいいでしょうし、どんどん並べて、数をこなしていってもよいでしょう。ただ、棋譜並べは大変有効な勉強方法なのですが、いまいちこれが上達にどう役にたっているのか実感しにくい・・・と思う人がいるかもしれません。しかし最初のうちは意味がわからなくとも、棋譜を並べているうちに自然と正しい形・筋・打ち方が身に付いてくるという効果もあります。簡単な詰碁を解くことが「即効性のある上達法」であれば、棋譜並べは、「じわじわと力が付いてくる」・・・という感覚でしょうか。私も高校時代、部活の時と毎晩寝る前に、だいたい1局~5局並べていました。私の場合は年鑑に載っている棋譜を片っ端から並べました。(今は時間的余裕がなくて3大棋戦の番碁ぐらいしか並べられていませんが・・・)今思い返してみると、それがいい基礎体力作りになっていたのでは・・・と思います。

 私は三段になるまで、一度もプロの先生と打ったことがなく、アマチュア独特のゴリゴリした自己流の打ち筋の人としか打ったことがありませんでしたが、高校卒業の頃(四段)には、強い人からも「筋がいいですね。形がきれいですね。プロに教わったのですか?」と言われることが多くなりました。棋譜並べの効果だと思います。スポーツの世界に例えるならば、詰碁は基礎体力を身につける「筋トレ」、棋譜並べは一流アスリートのビデオを観てフォームを「模倣する」ってカンジだと思います。皆さん、何かの参考にしてくださいませ。

【囲碁上達法】
 「囲碁五・六段からの上達、高段の壁」を参照抜粋しておく。「真剣にやれば五~六段までなら誰でもなれる棋力。トントンと上達して来た人でもこの辺で止まる人が多い。もっと強くなりたい、そんな方のスレッド」に対する解答である。
 六段から伸びるかは如何に膨大な量の基礎を築いたかによる。古典詰碁をほとんど解く。棋譜を一万以上並べる。そういった経験がある人は六段になってもまだ伸びる。プロの指導碁も良い。特に検討が大事。プロの考え方を直接伝授してくれるのが有難い。壁克服法は碁の考え方を変えること。棋譜並べを毎日ひたすらする。5.6段になるとプロの碁を並べて少しでもプロの感覚に近づけるようにしないといけない。棋譜並べは詰碁ほど即効性がないけど毎日コツコツやっていけば地力が着実につく。ある程度強くなったら対局より棋譜並べというプロもいる。実戦、検討、詰碁、棋譜並べの比率を変えてみる。碁に限らないんだけど詰まった時はいっそちょっと距離を置くのも意外とよかったりする。棋譜並べすると石の向かう方向がよくなる。山下名人が子供の頃、定石大事典の図を全部並べて理解したと言っていた。盤上にある石から最善手に近い手を導き出せる感覚とか計算能力を磨く方が大事だと思う。

 「死活とヨセに強いものが真に強い by 藤沢秀行」は名言。上手の考え方をいつでも側で聞けるような環境が大事。5段が8段になるためには 1.死活と手筋 。2.棋譜並べ。3.定石&序盤研究。知ってる上で手を選ぶのと何も知らないのでは全く違う。高段になるとそこからまた新たな扉がひらき長い冒険の道がまっている。手が急ぎがちは良くない。後半やヨセで弱い者は弱い。なりたて高段のうちはまだ焦りがある。数字であらわすと一局を通して70点くらいの手を打ち続けているのが良い。50~80点くらいの波が大きいのはダメ。中押しで勝とうとせずに最後までいって1目勝てればいいとゆう気持ちで打つのも大事。安定した手を打つ必要がある。手が見えだすと仕掛けたくなるが、回りを見て冷静に仕掛けないと強い人には手痛い反撃をもらう。自分より2~3段強い人と打って教えてもらうのが高段になっても一番の方法だと思う。同じ棋力の人と打ってても割と上達しない。個人でするならひたすら棋譜並べと詰め碁しかない。只かなり強い意志がないと無理。ひたすら詰碁やるべき。発陽論とか玄々碁経とか古典詰碁がスラスラ解けるようになるまで努力あるのみ。読みの力が碁の強さを決めるといっても過言じゃない。東洋は六段ぐらいからヨセのレベルが高くなる。あと着手の緩急をつけるのが上手になる。東洋7段ぐらいでも力一辺倒っていう人も結構いる気がするが9段だと手が洗練されているというイメージがある。どの対局でも、勝負どころはたった一箇所しかない。その理由を知っている者と知らない者がいるだけ。井山5冠とかぎりぎりの手を打つ。積極的でやや打ち過ぎでないと強くなれない。意欲的でないと上達しない。読みの裏付けがあればなにやってもOK。まじめに考えて打つ。基本的にいつも三手先までは考える、一本道の手どころを10手ぐらいは頑張ってヨんでみる。これくらいできないと真剣に碁を打ってるとは言えない。強くなりたいと願い、一日に何時間も集中して碁盤の前に座り、今の自分に何が足りないかを冷静に分析した上で必要な努力を続けていれば着実に棋力は上がる。

 「ベストアンサーに選ばれた回答」転載。
 【囲碁】手筋辞典について 県代表を目指している高校生です。今手筋辞典に取り組んでます。1000問あるけど答え見ないで全部解けるまでやるつもりです。 全部解けたら高校代表になれますか?アマ何段くらいになれまですか?ちなみに、手筋辞典だけやってるわけではなく、特に力を入れているという意味です。よろしくお願いします!
 ベストアンサーに選ばれた回答  ID非公開さん 2011/10/2902:06:54

 過去に全国高校囲碁選手権で準優勝しています。少しでも参考にして頂けたら幸いです。まず、全部解けたら県代表になれますか?という件に関しての回答ですが、それは県のレベルにもよると思います。地方なんかはかなりレベルの低い県も多く、低段者だったりしても簡単に代表になれる県もあります(まあ全国大会で活躍することは不可能ですが)。その反面東京なんかはプロを目指していた連中が多いのでかなりの激戦区で代表になる人間のレベルは級位者がちょっとやそっと努力したぐらいで追いつけるレベルでもありません(今までの努力の蓄積量が違います)。ちなみに私も昔はプロをめざしていたので普通の人にはなかなか負けませんでした。

 まあ手筋辞典のレベルは分かりませんが1000問ちゃんと解ければ6段になれます。おそらくプロ級の実力があっても1000問全問正解するのは至難の業だとおもいます。ただあなたは勉強法についてかなり勘違いされていると思います。手筋を1000問解けたからと言って本当に強い人に勝てるようになるわけではありません。当然手筋の勉強ばかりしていて定石、布石、詰碁、実戦、棋譜並べ、等の勉強がおろそかでは話になりません。私の周りの強い友人たちでも手筋辞典で1000問やったなんて言う人間はいません。基本的に手筋辞典にのってるような手筋はほとんど基本的な内容なのでできて当然なのです。それができて当然のレベルになるにはまず基礎をしっかりと固めることです。これはやりまくるしかありません。手筋だったらある程度答えを見てもいいので1000問くらいは数日で終わらせてたまに復習するくらいの余裕もほしいくらいです。

 ただそんなに1000問もとくくらいだったら普通にプロの棋譜で解説のついてるものを私なら並べますけどね。プロの棋譜は手筋の集合体ですし、実戦でどのように使われているか、どのような意味でそこに打っているか参考図のついてるものなんかを読んで深く理解して、それを馬鹿みたいに数こなせば基本的な手筋どころか変態的な手筋もたくさんインプットされていくはずです。あと、実は詰碁や定石だって手筋の宝庫です。定石は覚えるのではなく理解することから始めましょう。手筋の塊ですのでどういう理由でそこに打っているか理解することが大切です。全部おぼえることなんてできませんから私は理解することに重点を置いて勉強しています。後、手筋をやるよりは詰碁をやることをお勧めします。詰碁は読みの力も鍛えられるプラス手筋の塊です。プロ棋士の大半は詰碁が一番の勉強法だと主張するくらいです。詰碁をやっていれば自然と手筋の力もつきますがその逆はあまりないかも。

 でも私が一番言いたいことはなんでもいいからがむしゃらに片っ端からやりなさいということです。なにかがおろそかの時点で全国レベルになれば論外です。 後毎日詰碁は絶対にやったほうがいいです。慣れてきたら詰碁をみて頭の中で解くのは非常に良い勉強法です。県代表になるだけでしたら地域によっては難しくは無いので全然努力すればチャンスはあると思います。別に代表になれなくても大学、社会人と長いスタンスでみていけば全国大会のちゃんすなんていくらでもありますし今やった努力はけっして無駄にはなりません。私もこの間20歳になりましたがやはり頭固くなります(笑)10代のうちはまだまだ全然つよくなれます。一番強くなれる大事な時期ですから今努力しないと後で後悔しますよ。 長文になりましたが、思いつくままにだらだら書かしていただきました。参考にして頂けると幸いです。 また最近の記事ですが碁の勉強法において一番大事なことが書かれている記事のURLをはっときますのでできれば長いですが全て読むことをおすすめします。
 http://igo.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/dailyigo/news.cgi?mode=view&n...


【西宮喜夫氏の「優曇華」(うどんげ)】
 西宮喜夫氏の「優曇華」(うどんげ、甲東福祉囲碁教室、2015.8.15初版)を転載しておく。
 「人生、碁がある。生きている限り碁は離せない。これからも(碁と共に)生きる。碁のない人生など想像もできない。(私が)生きた証しとして残したいものがある。

 アマが碁に強くなるのに、感覚の良くなるのが大切だ。プロは次の手が二手あるいは三手頭に浮かぶ。そして、その一手ずつを検討して最適な一手を探し出して、打つ手を決定する。最初に浮かぶ二、三手が適切な手でなければならない。そんな感覚をどうして養うか。

 アマが一日どれくらい碁の勉強に時間を割いているのか。プロの打ち碁を並べるのも大切であるが、それは名画を観るのと同じで、(実際には)自分より二、三目強い人の打ち碁を見るのが重要(である)。それは(今日では)パソコンでも観戦できる。互先のとき、普通は年長者が白石を握る(数個はダメ)。相手は奇数先又は偶数先と云って当てる。そして黒石を一個又は二個を見せる。白番と黒番の当る確立は5割。かたよる日もあるが、長い目で見れば丁度良い。白番が当ると仰け反って嘆く人もいるが、白番でも黒番でもどちらで良いと、ゆとりの気持ちで対局に臨みたい。

 白番では『調和が大切』。後手番だから、相手よりも早く一方的に有利な局面には、なかなかならないのは当然のこと。平凡な手を打ちながら、相手のリズムの乱れるまで待つ。これが『調和』と云われる所以である。黒番は積極的、行動的に打つ。白番ではゆっくり、渋く、我慢して勝機を狙う。将棋は一度悪くなるとなかなか挽回は難しい。しかし碁は半目を争うゲームで、途中で勝負はどんどん変わっていく実に奥の深いゲームである。アマは、あと一目をどうすれば上がれるだろうかが、最大の関心事である。身近な事から、できる事から、自分を信じてやり抜くことである。

 自分がやってみたい事を追求し、その目的の域に達するまで、毎日練習を繰り返すことである。しかし、この毎日と云うのが実に大変なことで、身につくまでは、三日連続を何度も続けるのが秘訣である。参考までに能の『風姿花伝』は毎日の練習を『一日怠れば一日の退歩』(と記している)。一日怠れば怠った分だけ遅れると云うのではなく、怠った一日分は後へ下がる。せっかく身につけていたものを失うと云う大変厳しいものである。

 さて、呉清源の随筆『呉清談』(には次のように記されている)。
 『よく人から棋道の上達法、研究方針を質問されますが、著者の私は呉の修導には二つの途があり、それを併用してこそ、初めて優曇華(うどんげ)の花が咲くと信じている。その二途とは、第一が手段の研究、第二が精神(こころ)の修養であります。これを鏡に例えると、前者が表面の埃を拭い取る工作であるのに比して、精神(こころ)の修養、これは鏡を奥から、真底から光らせる作業なのです。なお、著者の私が手段の研究と共に精神の修養を特に考えるのは、その方が人間として得だからなのであります。なぜなら手段の研究は碁以外には何の役にも立ちません。しかし精神の修養は真底から光る鏡で碁以外にも通じるのです』。

 水に濡れなければ泳ぎはできない。まず人生に通じる精神の修養に『囲碁十訣』(じっけつ)を取り上げてみよう。そんなのは知っていると言わないで、十訣の『訣』は『言』篇で決して『決』ではない。『訣』とは簡単に言い切った秘伝、奥義のことで、作者の王積薪は唐の名人。玄宗皇帝に碁で仕える。若いとき、山中の小屋で不思議な老婆に碁を教えられ、突然機(棋)理を覚り、龍が碁経(碁の本)を吐き出す夢を見て技量が急に上達したと云う伝説が残っている。この龍の碁経は残念ながら現在に伝わっていない。

 囲碁十* 王積薪
不得貧勝 貧(むさぼ)れば勝ちを得ず いくらでも欲しがるのでは勝てない。
入界宣緩 界に入りては宣しく緩なるべし 相手の強いところへ近寄るな。
攻彼顧我 彼を攻めるには我を顧(かえり)みる 自分の石の生きと目を確かめて相手を攻める。
棄子争先 子を棄て先を争う 利かした御用済みの石は捨て、先手を取る。
捨小就大 小を捨て大に就(つ)く 経済原則である。
逢危須棄 危(あや)うきに逢えば須(すべか)らく棄(す)つべし。 発想を変えて振り代わりを考えよ。
慎忽軽速 慎みて軽速なる勿(なか)れ 勝手読みの軽率が一番いけない。
動須相応 動けば須らく相応ずべし 仕掛けはチャンスが伴うのでその時機を失うな。
彼強自保 彼強ければ自ら保つ 調和を保ち厚い碁を心がけよ。
勢弧取和 勢い弧なれば和を取る 非勢のときは戦うときではない。

 皆さんも是非自分自身で、訓戒の十ヶ条を訳してみましょう。例えば、小捨大就について私は『経済法則』で理解しているが、これを小場より急場、又は二線は這わない、三線は時と場合、四線なら囲う。以上三通りの訳ができる。自分の言葉で、自分が納得でへきる言葉を使って訳してください。とにかく、試してみることです。重要なことは、その後何度も訂正を繰り返し又は追加することです。

 この作業が精神の修養で、鏡を真底から、光らせる作業なのです。余暇は碁にのめり込んで、公民館の囲碁グループや碁会所、研究会に通い、又はパソコンに精を出しておられる人、棋力は上達していますか。碁が強くなるのに詰碁が一番良いと信じて、詰碁の問題に取り組み、連続して解ける内は良いが、低いレベルなのに、自分にとっては難問にぶち当り、購入した本は本棚へとなっていませんか。週間碁や囲碁雑誌のプロの棋譜を並べ、よく精進を続けている割に仲間と実践の勝率が一向に上がらない。流行の布石、定石、珍しい手筋は次々に新型が現れ、とても覚えきれない。もしかして自分は囲碁音痴なのかと段々不安になって来る人、幾ら頑張っても、上手くならないのは、本当は幾らも頑張っていないのではないか。

 碁は勝負の世界である。スポーツの国際試合を見ていると、日本人プレーヤーの『勝負弱さ』が目立つ。結構善戦するのだが、途中からズルズルと相手に押し込まれ、最後には負けてしまうことが多い。身体は鍛えているのに、心を鍛えていないから、見っともない負け方をするのである。稽古横綱と云われて、練習ではかなりの力を見せながら、いざ優勝決定戦とか、大事な国際試合となると普段の実力が出せないで負ける。やはり精神面が弱いことが原因である。いざと云うときに『勝負強さ』を発揮したいのであれば、心を鍛えておく必要がある。

 体力をつける為には、ジョギングをすれば良いと云うことを知っている人は沢山いる。精神力をつけるにはどうすればいいのか知っている人は少ない。それは心の中に眠っている莫大な財産(潜在能力)を引き出して開花させることにある。本番で勝てる『勝負強さ』を磨くことは、ギャンブル小説であっても、勝負の心に良い本があった。『賭け碁放浪記懸賞打ち』。江崎誠致が面白い。話しは、昭和の初期に遡る。波乱万丈の賭け碁人生を駆け抜けた語一人の院生崩れ族の謙介の半生が描かれている。文中に、定石、死活、使ってみたいようなハメ手の挿入図もある。この双葉社は阿佐田哲也の麻雀小説『麻雀放浪記』で主人公の『坊や哲』と雀豪達の真に迫る技と技の名勝負は勝負の心に良い。

 これが、角川春樹の角川映画にもなった。映画監督の和田誠は、シナリオ執筆の段階で、印象的な小道具が映画を豊かにすると考えて、主人公が年上の女性に貰って大切にしているライターをルーレット付きにしようと思った。ところがそんなライターはなかなか見つからない。現存の物を改造して作ろうかと考えていたら、ロケハンと出掛けたスタッフが偶然地方の街角で売っているのを見つけて買ってきた。お蔭で効果的なシーンが生まれた。ギャンブルには小道具も大切である。双葉社には新橋遊吉の競馬シリーズの代表作『競馬放浪記』もある。多くの競馬小説を書いてきたが、実在のレースを作品の中で活写したのはこれが初めてであり、記念すべき作品である。競馬好きの人は、勝負師の心が手に取るように分かる。囲碁、麻雀、競馬の放浪記の主人公はそれぞれ勝負に生きがいを感じ、日夜本番の『勝負強さ』を磨いているのだ。ここ一番の勝負で逃げ腰では勝てない。ギャンブルもまた『勝負強さ』を磨くのにうってつけの方法なのである。

 『偉人は何故自分の肖像画を描かせるのか?』(内藤都人、サン出版社)。日本では、競馬、競輪、競艇、オートレース、パチンコを除くギャンブルは、禁止されている。いっそのこと日本人全体の『勝負強さ』を磨く為にギャンブルを合法としてはどうだろうかと著者は主張している。強い勝負師は決して愚痴めいた言葉は出ない。それを言ったらお仕舞と誰もが腹の底から知っている。今回は運が悪かった。今回はまわり出来が良過ぎた。今回はたまたま不調だった。どんな言い訳しようが負けは負けだ。愚痴を言ったところで何も始まらないのである。愚痴を言っているうちは、何時までたっても精神的に強くなれないのである。勝負強くなりたいのなら心にそう決めて、決して泣き言や繰り言を口から出さないようにするのだ。自分に言い訳を許してはならない。言い訳と云うのは、いったん言い始めると癖になる。言い訳するのはやめて、悪いのは自分なのだと考えなければならない。自分は負けないと信じ込め。どんな勝負もそうだが、まずは自分に勝てると思わなければならない。自分自身が、自分の勝利を信じられないようでは、実際の勝負に勝てるわけがない。

 勝ちの味を覚えると強くなる。ナチス.ドイツの名将ロンメル将軍は、新兵を育てる為に、初戦は必ず勝てる相手を選んだと伝えられている。それは『勝利』を味あわせることによって新兵に自信をつけさせる為である。口で褒めたり、勇気づけたりするより、実際に勝たせてしまった方が、新兵は自信を持てるのである。闘犬の強い戦士を育てる為には、『噛ませ犬』と勝負をさせて何度も勝利を味あわせると云う。弱い犬を追い掛け回して噛みつかせば、その犬は自信を持つ。そして本番では自分より強い闘犬にでも平気でぶつかっていくのである。

 人間は、危機的な状況に置かれると、『アドレナリン、ラッシュ』と云う現象が起こることが知られている。と云うことは、危機的状況に自分を投げ込んでしまえば実力以上のものを発揮することが可能である。『火事場の馬鹿力』と云うのは本当にある。普段なら絶対に持ち上げられないような重量のものでも、危機的な状況なら、易々と持ち上げられるのである。

 この原稿を書いている時、作曲家の浜圭介は日経新聞のコラム『こころの玉手箱』に、こんなことを書いている。『舟唄』、『雨の慕情』、『昭和最後の秋のこと』などでコンビを組んだ作詞家阿久悠さんが逝ってからもう8年になる。作曲家として精進しなくてはと気持ちを新たにした。実は大好きだった酒と煙草を止めて3年になる。一滴も飲んでいない。何故なら大ヒットが欲しいからだ。昭和と違って歌が売れない時代だが、今までにない新しい歌謡曲を歌の好きな人達に届けてあげたい。それが僕の使命だと思っている。まだまだこれからだ。

 浜圭介を真似て好きなものを断つのも良い。囲碁は盤上の手段の研究だけが修養ではない。『人生、いかに生きるか』だ。何事も見聞を広げ学ぶことが大切である。『碁キチ行状記』(安永一(はじめ)、時事通信社)。この本は明治、大正、昭和の確かな囲碁史である。かの有名な本因坊秀哉(田村保寿)名人と呉清源5段の対局のお膳立てを正力読売新聞社長と安永日本棋院理事兼編集長でやっている。呉清源を大倉喜七郎棋院副総裁が北京から日本に呼び寄せた。呉清源は僅か17歳で日本棋院の飛びつき3段、無人の野を行く勝率で来日以来3、4年で5段。本因坊秀哉は徳川時代からの遺風で、名人ともなれば将軍の指南役の権威を守るため、『お止め流』と云われ、一般の対局はやらなかった。旧幕四家(本因坊、井上、安井、林)の争い碁に秀哉の棋譜が残っている。


 さて、有名な呉清源先手の一は三々、三は星、五は天元だ。第一着の隅の三々は当時打たれなかった手で、いかに呉清源でも名人の権威に対する遠慮もあって、まさか打つはずがないと云う声が強かった。立会人は盤側の正力松太郎、安永一、読売新聞社間小野勢の三人の間で一瞬どよめきが起こった。名人は予ねて期していたのか静かに小目の位置に石を置いた。正眼の構えだった。三の星に対してもオーソドックスな小目、続いて碁清源は第五着では何と中央天元に打つではないか。対角線上の黒の三手が雁行の姿になって盤面をガッキリ斜めに切って、白の対隅の小目の力を切断する新布石法がはっきりその姿を現したと読売新聞は号外を流した。本局の立会人安永一は当時30そこそこであったが、本因坊、呉清源戦で天下を沸かして以来、今日のプロ、アマの囲碁界の発展は安永一に負うところが大きい。この人は時代の先端を見抜いていた。『騒動の裏に女あり』と云うが、碁の世界の騒動となると、自分で云うのも変だが、不思議に一枚噛んでいると云う。安永一は騒動のその場に居合わせた時もあるが、大抵一方の当事者であったことが多いので面白い。

 囲碁の革命―新布石法。著者木谷実。呉清源、安永一の連名である。正月の初めからやり始めて昼夜兼行、とにもかくにもその一月の末に一冊の本として一般市場に売り出したのだから、スピード時代の現代でも早い方だろう。この本の広告が市内の新聞に現れたその日、裏銀座の平凡社のビルを本を買う客がぐるりと取り巻いたと云うから全く凄い人気だった。


 その後、安永一は、万年コウ等囲碁ルールの成文化、棋正社8段問題、日本棋院財政建て直しに乗り出す。中国親善囲碁行脚で、満州国の新京(長春)で皇帝溥儀邸に招かれて、二日間歓待を受け、例の『新布石法』を溥儀に差し上げると、言葉は通じないが、サブタイトルの『囲碁革命』のところを指で押さえながら溥儀はニッコリ笑った。木谷、呉と同行して中国訪問から帰って来ると、日本棋院内部の空気が若干変わっていた。新布石の攻勢で従来の赤字財政を一挙に黒字にした安永一のやることぐらい僕達だってやれると云う考えが若い棋士達の間に生れて来たことだった。細かい経緯は省略するが、そんな若手の連中の二、三名を棋院玄関横の応接間に呼んで、問答無用とばかり『何を生意気ほざくな』といきなり、ビンタを二、三発食らわしたものである。結局、これで日本棋院の理事、編集長を辞めて野に下ったのが昭和10年。東京新橋の駅前に『東京囲碁会館』を開設し、それから1年ぐらい経った時、『囲碁春秋』と云うアマの囲碁雑誌を始めた。

 復刻『囲碁春秋』創刊号(昭和12年2月)を所持している。原本提供者安永いく子(次女)。発行者安永一先生を偲ぶ会(代表菊池康郎、西村修)、平成21年9月発行、株式会社甲南出版社代表小川集大。『囲碁春秋』創刊号の『創刊に際して 安永一』の言葉に私は胸を強く打たれ、野人になってもなお止まらざる気魄に涙が溢れ出た。(素人の囲碁雑誌『囲碁春秋』を発行することになりました。現在発行されている月刊誌は日本棋院発行の『棋道』、『囲碁クラブ』の二種に限られているのは不思議な現象であります。二誌は確かに囲碁の普及、発達を目指す日本棋院の使命を果たしておりますが、その中に並べられた棋譜は我々の世界とは別個の専門家の世界であります。専門家と素人は到底合致し得ない二条の平行線的な存在であります。我々は九目以下の人に対して書くときは、その九目以下の棋力に自分を押し下げてその疑問に答える心構えを持っています。本誌『囲碁春秋』の使命は、囲碁学校、囲碁会館等の経営によりて、年来私が素人に接した直接の体験を基礎として得た抱負に他ならない。何卒大方の御愛読をお願いする次第であります)


 安永一先生は兵庫県氷上郡遠阪村立小学校3年満9歳の春、事情あって東京青山の叔父の寺へ引き取られた。その後、仙台の東北帝国大学理科数学教室の学生となり、碁会所通いで腕を上げ、来仙の強豪を次々に撃破し、プロの間でも仙台には強い学生がいると有名になっていった。安永一の『中国の春』(時事通信社)は、日中囲碁交流の最新対局に触れながら中国流の考え方、打ち方など中国ルールも収録している。神戸新聞社、兵庫県、神戸市が中国へ派遣した『日中友好囲碁使節団』は橋本宇太郎関西棋院総帥、安永一を中心にプロアマ棋士と政官界、ジャーナリスト等総勢22名で2週間に亘って北京から香港まで各都市を転戦した。私が40歳の頃である。折しも北京で『日中平和友好条約』が締結されて国交が回復したので日本使節団各地で熱烈歓迎を受けた。車両の移動はパトカーが先導し、列車では貸切り特別車で車内のテーブル等に見事な盆栽の鉢が置かれていた。私は金融界代表と云うことで参加した。勤務先は県、市とも関係が深く、県、市にならって『出張』の扱いを申請したが、前例がないということで(ならず、但し)二週間の休暇は取れた。

 使節団の説明会があって中国では中国ルールで対局するので、安永一の『中国の碁』を団員は購入するように指示があった。中国ルールの勉強は有志が集まって中国ルールで対戦して身につけたものだ。囲碁は頭のスポーツで中国では体育館を利用する。卓球の試合のように審判がつき、卓球台の代わりに碁盤と椅子を置き審判と記録係が判定をしてくれる。審判席には小さな日中の国旗が1本ずつ立てられていたので、国際試合だ頑張ろうと認識を更にした。

 優曇華の花を咲かせる終章は、雑誌で言えば別冊付録といったようなもので、強者への道のスタートを切る実用的な方法を紹介したい。『水の強さに学ぶ勝つ極意』(櫻本健吉、ワニ文庫)は、人間誰にも弱さがある。弱いからこそ人間らしいのだ。同時に人間誰にも強い自分が潜在している。この尊い宝を引き出すにはどうしたら良いのか。人間の本当の強さとは鉄や石のような強さではなく『水のような柔軟な強さ』である。水のような強さの本質を、この本は老子の言葉を借りながら描いている。『水は岩をも砕く。柔は剛に勝つ。‘’柔よく剛を制す“”を老子は柔と弱を一緒にして天下、水より柔弱なるはなし。水は硬いものに対して最強の力を発揮する。革の堅いものも水に浸せば柔らかくなる。水は石にも穴を開けるし、量が多ければ堅固な堤防をも壊す。激しく動けば巨船もひつくり返す。動きが自由自在だからこのようなことが可能なのである』。

 柔らかいものの方が強いと云う理は、誰でも知っているのに、これを身に着けて実践できる人は少ない。しかし理屈は知らずとも柔の強さを天性のように、もしくは修養によってたつぷり身に着けている人もまたいるのである。勝負師に見る剛型人間と柔型人間を将棋界で見ると、それぞれ一時代を築いた木村義雄、大山康晴、中原誠の三名人は皆な柔の棋風で急がず、無理せず、ゆったりと『大河の流れるような』将棋を指す。升田幸三、米長邦雄両九段のような剛の棋風の棋士は、才能において前者達に勝ると思われるのに最終のどこかで彼ら名人に屈してしまうようだ。
そう云えば中原名人は色紙等によく如水(じょすい)と揮毫(きごう)する。水のような将棋を意識的に求めているのであろう。戦国の武将、黒田孝高(よしたか)が『如水』と号したのは、勿論老子によったに違いない。この水の如しを号として自戒し、あの難しい時代を生き抜こうとしたのである。『水の強さを学び』、精神(こころ)の修養をして優曇華の花を咲かせましょう。先入観を捨てて、一つをやり抜く。いつやるか? 今でしょう。

 囲碁上達法のウソ」転載。
 そんな話から入ったのは、非常に眉唾な囲碁の上達法をプロ棋士が勧めていると思うからである。「詰碁とプロの棋譜並べ」をプロが勧めるのは、おそらく多くのプロがそう言っているから無難であること、それより基本的で大事なことが自分たちにとってあまりに当然すぎて盲点になっていること、プロの棋譜を買ってもらわないと商売にならないから、の3つの理由からだろう。

 私は以前からこの上達法に疑いを持っていた。実際、詰碁や棋譜並べをかなりやっていても全然強くならない人をたくさん見た。私のことで言うと、田舎の県代表になる直前まで、日本棋院の基本死活辞典以外の詰碁はほとんどやった事もなかったし、プロの棋譜などあまり手に入らなかったから棋譜並べもほとんどしていない。詰碁と棋譜並べを一生懸命やり始めたのは県代表になってからである。

 これが確信に変わったのは、将棋の真剣師である大田学さんの言葉を知ったからである。大田先生は将棋で強くなる方法を聞かれると「上手と熟考して指し、それを自分で研究すること」と答えたとのこと。30歳を過ぎて将棋を覚え、日本一の真剣師になった師の言葉はプロ棋士とは全然違うが、間違いないと思う。参考 

 ※囲碁3大上達法

 私が考える囲碁の一番重要な上達法は以下の3つ。1真剣に熟考して打つこと。2打った碁をしっかり検討すること 上手と打ったら手直ししてもらうこと。3上手の打つ碁を生で見て学ぶこと

 まず1。詰碁や手筋の問題はできても実戦は別。実戦の読みの力は実戦でしか身につかない。ただ、初段くらいになったら日本棋院の基本死活辞典の丸暗記は必要と思う。次に2。敗因を自分なりに分析する。どんなに研究しても答えは出ないかも知れない。しかし研究しておけば、上手に教えてもらったり人の碁を見て開眼する機会が必ず来る。3。生の碁を見るのが大事。どの手をノータイムで打ったか、どこで長考して手をひねり出したか、それが貴重な情報になる。それが出来ないのに、雲の上の棋士のしかも数字しかない棋譜から学ぶなんて出来っこない。1~3をしていれば、自分の弱点が見えてくるはず。そうしたらその勉強をすれば効果が高いだろう。受験勉強も同じ。「どんな本を読んだら強くなる?」かは自然に見つかるものだと思う。

 「

伝説の真剣師大田学氏 追悼

(4) 」転載。
 週刊誌の記事で将棋の大田学さんが92歳で亡くなったのを知った。他に職業を持たない本物の将棋の真剣師であり、NHKドラマ「ふたりっ子」の銀じいのモデルとして一般にも有名になった人である。伝説の人の姿を拝見する機会はなかったが、一度その機会を逃したことがあり惜しいことをしたと思う。大学のころに町の将棋道場に、当時おそらく70歳を過ぎていた大田氏が来たことがあり、囲碁将棋部の仲間が何人か見物に行ったことがあったのだ。その時に聞いた話があまりに印象深くて忘れられない。
 
 当時、将棋のアマ全国大会のトーナメントで優勝した地元のOさんが大田さんに挑戦したのだが、何と連戦連敗したという。しかも最後に「君はまだ私の相手じゃないから」というような事を言って、巻き上げた金を全部返したというのだ。これには驚いた。いくらなんでもカッコ良すぎる。金を返すなんて、そんな真剣師がいるのか?ずいぶんキザな人だなあと思ったのだ。しかし、例の記事を読むと、本当に金に執着のない人だったようだ。借金をすることもなく、すべてに紳士的な人で、プロ棋士にも一目置かれる存在だったそうだ。若いころにプロの修行をした人かと思っていたら、そうではなく何と30歳という遅さで将棋を本格的に始めて、日本一の真剣師となったのだ。情報もあふれていない、当然ネットなどない時代である。大田さんの上達のアドバイスは、「上手と熟考して指し、それを自分で研究すること」だという。一見ありふれたこの言葉の重さに圧倒される。

○林道義アマ六段・心理学者(囲碁の心理学的上達法より)

 技術的な訓練だけでなく、技術を使いこなす心の訓練も必要と説いています。心の訓練をしないと「仏作って魂入れず」で折角の訓練した技術が生きてこないのです。囲碁心理十訣を提示して、具体的な実戦例から解決策を示したもので面白い。囲碁上達を心理面から追求したものでユニークです。「揺れ動く心は大敵、態度をきめよ」、「乱暴にひるむな勇気、我にあり」、「縮まず力まず柔らかく」、「ナメてはいけない相手は強い」、「金持ち稼がず、けんかせず」、「勝ったと思うな、終わる まで」など、まだ精神修業が足らないと身に覚えのある方が多いと思います。
●越田正常さん(日本囲碁ソフト社代表)ソフト開発から見た囲碁上達の方程式

 囲碁のコンピュータソフト作りから、解った上達するのための「碁の方程式」を導 き出されております。「対局の囲碁ソフトを作る」と囲碁の基本理論が解り、そこから導き出した上達方程式も一読の価値があります。詳しくは 「上達する碁の方程式」をクリックして下さい。 また越田氏は囲碁上達の秘訣として、感覚は知識によって養われ、読みは、理論と練習によって 上達します。この二つを正しく効率よく学ぶことが上達と説いておられます。
○「Let's 碁」の作者MHPDCさん
 アマ高段者の作者の見識豊かな「棋力向上について」の12ヶ条の薦めが提案されています。 その他「囲碁の強い人」10ヶ条や「囲碁アマとプロとの大違い比較表」など棋力向上を志す人には一読の価値があります。
●浅井忠の提案(「パソコンで囲碁を楽しむ」三一書房より)

 パソコンを利用した新しい上達法を提案しています。
1.パソコン碁盤(電子碁盤)の利点である、棋譜の入力、保存、再生、印刷機能を積極的に活用して、名局の並べかえし、自分の棋譜の反省検討さらに詰碁の正解発見を行う。パソコン碁盤は、任意の局面への復帰など、実碁盤での検討と比較して10倍以上の学習効率がアップします。
2.ボード碁で上達を! パソコン通信の囲碁フォーラムで行われているボード碁は、標準2手/日であるので、十分検討した着手が出来るのでミスのない「息の長い碁」が出来ます。 通常対局より、2目ほど強くなっています。考える碁が打てますので効果抜群。
3.インターネット囲碁ページなどで、常時囲碁情報に触れ、関心を高めること。詳しくは「インターネットで囲碁を楽しむ」(三一書房)を参照下さい。

 「〈囲碁を大衆の手に復権せよ!〉/服部清彦(文学部4回生)」。
 京大にはプロ級の金沢君、プロになりそこねた竹内君といった強豪がいるせいか、僕には,最近プロを軽んずる傾向があるようである。プロは碁が強いからプロなのであるが、どこが強いのかといえば,プロの超一流は別として、あとは勝負に対して執念があるからである。竹内君の碁をみているとまさに、「クソネバリ」である。悪い碁をヨセになってひっくりかえしていく。かっての林一石田戦は,黒は並行型,白は両三々といつた布石で数十手打つともうヨセに入りそうな碁になる。こんな碁は横綱相撲であり、強いかもしれないが少しもおもしろくない。第一創造性が感じられない。

 呉清源は「碁は調和なり」と言い、安永一は、「碁は石の生存の闘いである」と言う。私は安永一と彼の流れをくむ梶原武雄の捨石戦法=外廻り山手線に限りない魅力を感じる。しかしながらなかなか実戦で打つには勇気がいるものである。僕は,安永氏の囲碁理論はもちろん、彼の碁に対するとらえ方に対しても敬意を表する。囲碁は大衆と共に存在してはじめて発展するものである。しかしながら肩本において、碁の形式化、権威主義、教条主義がはびこり専門家もこれを助長する役割をはたしている。それ故に、「よい先生に教えてもらわねば強くならない」とか、「弱い人に置かせて打つのは好かない」といった考え方が生まれてくるのだ。安永氏は,「碁は相手が自分より強かろうが弱かろうが、とにかくその相手と打って実践していく以外に方法はない。」と言い、「日本の囲碁の発展には、形式主義、権威主義、教条主義からの解放が最大の問題となるわけだが、これは同本杜会の解放発展が成らぬ限り実現は不可能である。しかし,碁の方のネツクは放任しておいてよいというわけではない。」とも言っている。

 安永氏は,固本の囲碁界に、問題を投げかけたのが、中国の若い選手達であるととらえている。我々は,彼らの杜会主義建設の意気も高らかに、自力更生で実力をつけてきたことに注目せねぱならない。京大囲碁部においても,いくら金沢君という強者がいたとしても、自らで学習しなければ、実カの向上はのぞめないのだ。まさに、碁を打っ個々人の主体が大切なのであり、いくら立派な設備を作ってもだめだということである。少し気がさすがあえて書くと、大阪に「欄柯」という会員制の囲碁サロンがある。こんな所には2度と来れないと思えるほどの立派な設備であった。会員の人たちも、ブルジョワが多かったようであるがここで打たれる碁は、まさに死んだ碁である。囲碁を大衆の手にとりもどせ!

 解説 この文章は京大囲碁部の部誌「清楽」に1980年に掲載したものである。
 1979年に京大囲碁部が全国優勝したのを記念にして発行された。その当時のメンバーとして、金沢盛栄、竹内圭史、山村英樹などがいた。私は1977年から1981年に囲碁部に籍を置いたと同時に熊野寮で生活していた。その当時は熊野寮は学生運動の一大拠点であり、私も社会主義的な考え方=弁証法的唯物論に関心があった。そのため、安永一先生の囲碁観・世界観に同じものを感じたのである。





(私論.私見)