「小泉首相売国奴性サイコパス」論の検証

 (最新読み直し2005.10.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 「小泉首相の精神異常の可能性」がとやかく云われ始めている。一般に人をそのように決め付けることは慎重を期したいが、小泉政権の売国奴性及び破滅狂的な諸政策による政治責任の重さを考えると判断せねばなるまい。小泉政治の異常性はもはや看過できない。ナベツネが飼育した読売が今なおお先棒を担いで旗振りし続けているが、断じて許し難い。

 本稿で、「緊急小泉首相サイコパス論」を打ち出し、認識の共有を得たいと思う。従来、別サイト「小泉首相の詭弁術、非情性に丸め込まれる自称インテリのボンクラ考」、「小泉首相の気質、気性、性格、性癖、能力考」で考究してきたが、ここに「小泉サイコポス論の検証」として纏め一括する。

 2004.10.23日 れんだいこ拝


【小泉首相はサイコパスの典型である】
 小泉は、去る日の首相選で「奇人変人」を売り物にした。以来3年有余、小泉首相の「奇人変人」ぶりは冗談のそれではなく真性のものであることが判明しつつある。学術的にはこれをサイコパスというらしい。れんだいこは、小泉首相史の一連の検証で、紛れもなくサイコパスであることを確信する。

【「サイコパス概念」及びその歴史的経緯について】
 れんだいこは、サイコパスという用語を使う。なぜなら、この用語は対象に対して的確な概念規定であると思うから。しかし、サイコパスなる学術用語が歴史的に纏ってきた経緯を考慮すれば、既成既存の解釈をそのまま使う訳には行かない。そういう訳で、この用語を生かして使う以上、既存の解釈の中身を替え、れんだいこなりの新定義を押し出さねばならないと心得る。そうなるとその前に、既存の「サイコパス」がどのように理解されてきたのか見ておかねばならない。

 「精神病質(サイコパス) psychopath」「診断名サイコパス」、「サイコパス」、「サイコパス」その他を参照する。別サイトで、「THE PSYCHOPATH - The Mask of Sanity」を転載しておく。
 「サイコパス」は、「サイコ」とも云われ、精神医学用語「Psychopath」のカタカナ訳語である。和訳語としては「精神病質」という概念があてがわれている。1950(昭和30)年から1960(昭和40)年代ごろに広く使われていたが、その定義は定まらぬまま「精神病と正常の中間的病名」即ち「異常だが病気ではではない程度の疾患」として理解されてきた。

 歴史上初めてサイコパスについて書いたのは19世紀フランスの精神科医世紀フランスの精神科医・フィリップ・ピネルで、彼は、「譫妄なき狂気」という言葉を使って、「良心や自制心が全くない行動パターン」の説明を試みた。ピネルのサイコパス論については、「ピネルは、サイコパスが『病人』だと考えたが、単なる『悪魔』であるという考えも多く、『病人か悪魔か』という論争は、現在にいたるまで解決の糸口すら見出せないまま、連綿と継いている」と評されている。

 サイコパス問題の難しさについて次のように解説されている。
 概要「サイコパスの疾病の程度は精神病より軽く、通常の社会的コミュニケーションには差し障り無いものの却ってそれが危険である。精神分裂病などの精神障害者は健常者より犯罪率が低いが、サイコパスは重大犯罪を犯す確率が極めて高い。猟奇殺人、連続無差別殺人犯のその多くはサイコパスである。ある学者の指摘(Robert D Hare:Without Conscience:1993)によれば、凶悪犯の50%を占め、しかも再犯率が通常人の3倍。但し、精神科医の治療とは関係がなく中年を過ぎると数が劇的に減少、または症状が軽減していくのが普通である」。

 
そういうややこしさからであろうか、サイコパス患者も又精神病者同様に待遇され、精神病院に隔離され、時にはロボトミー手術が施術されてきた。しかし、既に、精神病者全般の社会的待遇問題が喧騒されている折柄、ましてや「精神病と正常の中間的病者」であるサイコパスにも精神病者同様の扱いが為されるのは如何か、という問題が発生する。

 1960年代に勃興してきた新左翼運動の見地から、若き青年精神科医達が、精神病者及びサイコパス患者の待遇問題を告発した。当時の精神医学界はこの問題で揺れることになった。「精神病質(サイコパス) psychopath」に次のように記載されている。
 概要「1972(昭和47)年の精神神経学会では、『いわゆる精神病質について』というシンポジウムが行われ、学会お歴々の権威が、左翼系医師や学生によって吊るし上げられている。あくまで学問的な見地から『精神病質』という用語の価値を認めていた小田晋氏は、若手医師や学生からの厳しい追及に遭っている」。

 こういう経緯で、「精神病質」という概念のあやふやさと、その医学的と言うよりも保安処分的な意味合いが追及され、1975(昭和50)年代以降はこの言葉はほとんど使われなくなった。とはいえ、これに該当する病疾者は依然として存在するので、サイコパスという用語の代わりに、「精神病」の響きがない「ソシオパス(社会病質者)」という言葉が使用されることになった。「サイコパスが厳密に言って病気でない以上、psycho=精神、path=病理、という言葉は本来適切ではない」という観点に拠ったものと思われる。

 しかし、現在では、サイコパスもソシオパスという言葉も学術用語としては使われていない。アメリカ精神医学会の分類マニュアル等からも削除されており代わりに、「反社会性人格障害(APD)」という名称に変更・統一されている。その意味するところ、「異常だが病気ではない性格異常」的認識を強めていることになる。いずれにせよこれに相当する患者は人口の凡そ1%程度いると推定されている。


 
「サイコパス、ソシオパス、反社会性人格障害(APD)」、そのどちらの用語を選ぶかは、精神異常の内容と原因を診断者がどう考えているかによる。この臨床的症候群のうち生物学的・遺伝学的・心理学的要因を重視する学者は、サイコパスと呼ぶ。社会の影響や幼年期の経験に由来すると考える学者(社会学者・犯罪学者)は、ソシオパスという言葉を使う。それらを踏まえて「病疾ではなく反社会性人格障害である」と考える学者は反社会性人格障害(APD)と云う。学問的には決着が付いておらず、「誰が診断するかによって診断名が異なる」状況にある。

 サイコパスの発生原因は分かっていない。また、いったん青年期に入るとほぼ治癒が不可能であることが経験的に明らかになっている。学者の意見を総合すると、遺伝的要因と幼少期の環境が両輪になっているという結論になる。しかし、この観点で充分であるとは思えない。これについては後にれんだいこ観点で補強、訂正することにする。

 サイコパスの治療法について次のように述べられている。
治療法は現在のところ存在しない。電気ショック、薬物投与、グループセラピーなどほとんど全てに効果がないことが証明されている。サイコパスは、精神分裂病の患者などと違って、自らの行動を理性的に把握している点で心神喪失による刑の減免は原則として認めるべきではないし、実際にそのように法は運用されている。妄想や幻覚を見ているわけでもなく、主観的な悩みを抱えているわけではない。自分の行動を理性的に把握しており、行動は選択の結果である」。

【サイコパス規定の留意点について】
 以上を踏まえれば、サイコパスの定義を正確にしておかないといけないと思う。サイコパスという言葉を使うに当たっては、この用語が纏う以上の様な歴史、規定上の曖昧さを踏まえておかねばならない。従来の保安処分対象理解からくる措置に対しては、東大精神科医師連合が厳しく批判してきたところである。安易に先天性気質疾患あるいは脳疾患ないしはホルモン変調ないしは遺伝子レベルの問題に収斂させ、特別犯罪者扱いし、保安処分の対象者扱いしていくのは人権侵害であろう。

 精神病者に対する待遇も又種々論があるところであるがここでは述べない。ここで触れてみたいことは、サイコパスが精神病者と同様に措置されることの危険性についてである。なぜなら、人は誰しも云われるところのサイコパス的要素を持っており、人は正常の状態において誰しもある種のサイコパス者であるから。要は程度問題に過ぎない面もあるのだから。そういう意味で、サイコパス患者見立ての仕切り線が難しい。故に、他人事ではないという観点からサイコパスの定義をしていかなければならないであろう。故に、誰が何の権限に基づいて「見立て」るのかの限定が無いままにサイコパス診断が為されていくと恐ろしいことになる。サイコポス規定にはそういう弁えが必要ということになる。

 れんだいこは、サイコパスという病疾を認め、とりあえずそれを程度問題として理解する。逆に云えば、ある一線を越せばはっきりとサイコパスとして認識せざるを得ないという観点を持っている。

【通説「サイコパスの特徴」について】
 サイコパス者の特徴をれんだいこが概括すれば、通俗的には次のように云われている。「精神病質(サイコパス) psychopath」「診断名サイコパス」サイコパス「サイコパス」その他を参照するが、範疇の括り方が雑なので、れんだいこ風に整理する。

 小泉首相を念頭において書き上げたので、ピッタリし過ぎるであろう。あまりに当てはまり過ぎ気味が悪い。
 【性癖の特徴ー自己中心的でサド的行為の常習犯
 「極端に自己中心的で、傲慢にして自尊心が強い半面共感が乏しく、サド的行為の常習犯として立ち現れる。他人に対する思いやりにまったく欠けている」。
 「ナルシスティックで、自分の価値や重要性に関してひどく慢心したものの見方をする。まったく驚くべき自己中心性と権利感覚の持ち主であり、自分が宇宙の中心にいると思っていて、己のルールに従って生きることが許されている優秀な人間だと思っている」。
 【情緒の特徴ー共感欠如、冷酷非情】
 「行為に対する後悔や罪悪感が無く、本質的に冷淡にして冷酷非情で、自分の行動に対する社会的責任を取らない」。
 「相手の身になって考えることができず、他人の感情などまったく関心の外である」。
 【会話の特徴ー口達者で嘘つき、嘘のうわ塗り】
 「他人を操る術に長じ、口達者で饒舌で一見魅力的でパフォーマンス好きで、嘘つきを常習とする」。
 「ウィットに富み,明快な発言をする。愉快で、人を楽しませる会話もでき機転のきいた賢い受け答えを用意していて、さらには説得力のある話で自分をすばらしい人間に見せることができる」。
 「嘘を見破られてもまごついたり気おくれせず、話題を変えたり、真実をつくりかえて嘘のうわ塗りをする」。
 【行動の特徴ーアウトロー確信犯
 「良心の咎めを受けず、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、むしろ確信犯として行為行動に及び、自分を改めようとはしない」。
 「自分の行動が他人にたいへんな迷惑をかけているという認識を驚くほど欠いている。自分には罪悪感などなく、苦痛や破壊を引き起こしたことをすまないという気持ちをもてず、そういう気持ちをもつ理由もなにひとつないと冷静に言ってのけることができる」。
 【職業の特徴ー社会的地位を築いている者も少なくない
 「凶悪犯罪者として立ち現れ、収監を繰り返す者がいる他方で、サイコパスのまま実業家・政治家・弁護士、医者、音楽家、芸術家、教祖として成功して社会的地位を築いている者も少なくない。いわゆるサイコパス権力者として立ち現れるが、彼らは自惚れが強く、尊大で横柄で恥知らずの驕慢者となり易い。弱者に痛みを強制し、その権力に対する自制心が弱くむら気で乱用する」
 【人格の特徴ー権力乱用癖、暴力嗜好性】
 「サイコパスは共感能力に欠損が認められる。その為、家族、地域、組織、共同体との結びつきが弱く、然るべき地位にあれば孤高の権力を振り回す。それまでの歴史的に積み重ねられてきたものを『神学論争』として一蹴し、暴力的な転換を強行したがる。多重人格症でもある」。
 【論理の特徴ー詐術、詭弁を好む】
 サイコパスは独特の詐術、詭弁、支離滅裂論理を多用する。その場しのぎの論法を振り回し、周囲を煙に巻くことを好む。

 このようなサイコパスの性癖は通常、「異常性格、人格異常」と見なされる。「社会の捕食者」とも評されている。近年、「反社会性人格障害(APD)」という名称があてがわれているが、なるほどこの方が正確かも知れない。

 サイコパスを狭義に理解するのか、広義に理解するのかという問題もある。狭義では、粗暴犯サイコパスが典型となる。次に知能犯サイコパスが順ずる。広義では、一見正常サイコパスまで含まれる。しかし、広義になるとその他健常人との仕切りがはっきりしなくなる。他に、「政治的サイコパス」というのも考慮せねばならない。

 この特徴を、「生まれつきの脳疾患ないしはホルモン異常ないしは遺伝子異常」というように何らかの病理学的疾患と結びつけて理解しようとするのが既成のサイコパス学であった。れんだいこは、サイコパスを病理学的疾患と結びつけるのには反対である。そこに原因を求めるのは却ってサイコパス定義をややこしくするように思われる。認められる線として、「社会環境説」又は「トラウマ説」の方が考慮に値すると思われる。いずれにせよ、サイコパス論の奥行きは深く、「異常」とは何かという人間論的、哲学的・形而上学的な問題にまで話が及んでしまう。

【れんだいこ式サイコパス論】
 れんだいこは、「サイコパス」を次のように理解する。
 「サイコパスには社会生活非適応型と適応型の二種が有る。分かりやすく云えば、社会生活非適応型サイコパスは専門医の担当分野である。社会生活適応型サイコパスは『医者の手余り』であり、別の見立ても含めて総合的に云々せねばならない」。

 れんだいこは、最近問題になりつつある「適応型サイコパス」のうち最も危険な「悪魔主義被れサイコパス」に注目している。阿修羅雑談2」のHAARP氏の2003.8.27日付投稿文「欲しいものは何が何でも欲しいという幼児的ドライブが高度な知性と同居する」の中で次のように記されている。
 「欧米では最近サイコパス(精神病質者)と呼ばれる人々が社会問題となっている。サイコパスは時として異常な連続無差別殺人などの犯罪を起こすが、精神病者ではない。サイコパスは常に理性的で自分が何を、何故行っているのかきちんと把握している。彼らの行動は彼らが冷静に判断した結果である」。
 「医学の歴史に入る前に、『かの勢力』は何故これ程までに冷酷に殺戮・侵略を繰り返してきたのかを考えてみたい。『かの勢力』とは一体何者なのだろうか?。本当の真相は闇の中であるが、歴史の合間に時折覗かせるその顔から判断すると、『かの勢力』は同じ思想と同じ人脈の流れを汲む者たちらしい。その思想とは端的に表現すれば、『悪魔』を崇拝する思想である。そのように解釈すると、今まで垣間見てきた彼らの所行は比較的容易に理解できる」。
 「では『かの勢力』の人脈とはある民族、または種族のことなのだろうか? どうもそうではなさそうである。『かの勢力』は決して一枚岩ではなく、彼らの中でも激しい闘争を繰り返しているようである。彼らには、私たちがまだ理解できていない、  『恐ろしい何か』が連綿と伝わっているのではないだろうか?」。

 ここで云う「かの勢力」とは何ものか。曖昧多義的に述べられているが、れんだいこ流に直截に述べれば、「シオンの議定書派の流れにしてユダヤ王国再建世界征服思想を持つ現代世界の最大権力体であるネオ・シオニスト」ということになる。ここから論を組まないと「悪魔主義被れサイコパス」が見えてこない。よって、れんだいこは次のように見立てる。
 「サイコパスにもいろいろ考えられるが、社会的病理として最も注目されるべきサイコパスとは、人が自己の処世観、社会観を形成するに当たり、何らかのトラウマにより、あるいはその他事情で、ある種の代償例えば異常性欲、サド、利権、出世、権力等々への願望と引き換えに『悪魔の囁きに』に身を委ねたことにより引き起こされる『共同体的紐帯の異常性毀損愛好病』である。

 『悪魔の囁きに』は、銘々その欲するものにによって異なる。以来、このサイコパスに罹った者は、本能に反してあるいは又人類史上形成されてきた知的内部規律に反して、してはならない第一線基準を踏み越して何事かを企てそれを喜悦するようになり、しかしそれが共同体的紐帯道徳律に反するが故にそれを隠しながら裏表の芸をすることにより異常人格者として立ち現れるようになり、その状態で社会的に棲息することになる。

 サイコポスはそれが自然の理法に反することによりどこかで内部矛盾を引き起こす。建前と本音が分離することにより一種のヒステリー状態を招き、その納消行為として様々な変態性を見せることになる。この患者が社会的影響力を持たないうちはまだしも、このサイコポス患者を上手く利用する者も居て、その虎の威を借りて権力者として立ち現れると当該共同体に甚大な災禍をもたらす事になる」。

【「小泉首相売国奴性サイコパス」論の検証】
 上記のれんだいこ式サイコパス論に基づけば、小泉は、「典型的な政治的サイコパス人間」であることになる。小泉首相の行状を評するのにその程度は重度サイコパスの域に入っているように思われる。れんだいこは、彼ほど適切なサイコパス的人間を知らない。従って、れんだいこは、小泉首相をサイコパスと認定する。

 「スキャンダル大戦争8」(鹿砦社刊)は早くよりこの問題を指摘している。前レバノン大使の天木直人氏と国際政治コメンテーターの藤原肇氏との対談に次のような一節がある。
 概要「小泉純一郎の異常精神を疑い、こんな気違いに日本の運命を任せたら、とんでもないことになってしまうと思う」、「藤原:だから心配なんです。クレデンダの問題をきちんとやらない国は、情動の暴走で完全に発狂してしまうことになり、今の日本は非常に際どい状況にあるのに、日本人は小泉内閣が秘める危険性を放置しています」。

 但し、同対談では、田中真紀子をもそのように見なしているが、これはれんだいこのとる立場ではない。せっかくの対談の冴えを台無しにしていると受け止めている。

 2003.8.27日付けHAARP氏の欲しいものは何が何でも欲しいという幼児的ドライブが高度な知性と同居する」が:割合早くより「小泉首相サイコパス論」に触れている。既に取り込み済みのところ以外で重要な指摘の部分を紹介する。

 概要「サイコパスは多かれ少なかれ多くの『支配層』の人々に当てはまるのではないかと思っています。しかも大抵の場合『彼等』は知性が高い。これを見抜くのは大変です。『彼等』の基本的な動機は他人の注目を集めることのようです。これは手段を選ばないという意味でそういうことのようです。これが、『愛されている』という認識を彼等にもたらすわけですが、自分から『愛する』ことはしない。

 例えば、エンセンさんが小泉首相が今の座にしがみつく理由をいぶかっていますが、その理由は彼がサイコパスだとしたら説明がつくかもしれません。これは幼児が欲しいものを手に入れる為には『手段を選ばない』のに似ているかもしれません。また、他人からエネルギーをもらうだけの、ある意味でパンパイアのような人もサイコパスの特徴のようです」。

 「阿修羅・政治、選挙6」の2004.10.10日付けものぐさ太郎氏「小泉純一郎はサイコパスか精神異常者か」は次のように指摘している。
 「小泉が若いときにロンドンに滞在していた時に、英国の情報機関に取り込まれてスリーパーとして仕立てられ、有名なダヴィストック研究所でマインドコントロールを受けているので、日本人として考えられないような売国行為を簡単にやっているということだ。そして精神の異常さはサイコパスと呼ばれるものであり、精神病と呼ぶほどのものではないが危険であり、こんな人物を首相の位置においておくことは亡国だという指摘には説得力が感じられる。
 「それに対して精神病だと決め付けた発言が公表されていて、日本の政治は狂人によって支配されていると指摘されており、これが事実ならばただ事ではない大事件に属するものなので、精神病理学の専門家による詳しい検査が必要になる。 いずれにしても事態は放置できるようなものではなく、日本の運命を狂人の手から取り戻すことが必要だと考えられるのである」。
 「外交上の問題を考えないで自分の思い込みに従って行動し、バカの一つ覚えのように靖国神社に参拝を強行している状況は、まさに本物のバカではないかと思わざるを得ないし、憲法を無視してイラクに派兵した無謀なやり方は、とても法治国家の首相だと考えられないほどである。いずれにしても事態は放置できるようなものではなく、日本の運命を狂人の手から取り戻すことが必要だと考えられるのである」。

 2004.10.20日付 Dr.ブッシー氏「Re: 小泉純一郎のサイコパスは確実である」は次のように指摘している。

 「小泉は精神的に頭がおかしいという指摘がなされており、精神異常でなければそれに近いサイコパスといわれ、だから、国会での発言が支離滅裂なのは当たり前であり、日本では狂人が自民党総裁として首相になってしまった。時の首相を精神的におかしいと指摘するのは勇気がいるが、病理学的に見て異常と診断されるならば、それを手遅れになる前にはっきり指摘する勇気が必要である」。
 「時の首相を精神的におかしいと指摘するのは勇気がいるが、病理学的に見て異常と診断されるならば、それを手遅れになる前にはっきり指摘する勇気が必要である」。
 「小泉純一郎が本物の精神異常者であるかどうかについては、正式な医療施設で厳密な検査をして結果を判定する必要があるが、国会における首相の答弁や過去三年間の政権担当の実績から、人格障害についてある程度の予測は診断学的に行えるのであり、サイコパス(精神病質)を表す性格上の特徴に関して、コロンビア大学のヘア教授の著書「診断名サイコパス」から引用すると、如何に小泉首相の性格と行動に一致するか驚くほどである」。
 「小泉はこの異常と見える性格のほとんどを過去において示しており、こんな男に国政を預けていることの恐ろしさは、全く表現の仕様がないほどである」。
 「国会でも問題になった30年前のレイプ事件に関連して、留学の名目で小泉純一郎がロンドンに逃げていた時に、英国の諜報機関にマインドコントロールを受け、日本に送り込まれたスリーパーではないかとも言われる。情報戦略で英国は物凄い能力を持っており、その犠牲で多くの国が破綻したり戦争に巻き込まれたりして荒廃しているが、今の日本も異常者を首相にしたことで苦しめられているとしたら、日本の未来を損なわないために全力をあげて小泉政権の打倒に取り組む必要がある」。

(私論.私見) 【「サイコパス首相小純一郎を持ち上げる者どもへ」】

 以上簡略ながら、「サイコパス首相小純一郎論」を述べてきた。このサイコパス首相を持ち上げ追従してきた者達は、当然にその責を歴史に負うべきであろう。一々誰とは云わないが、れんだいこはしっかりノートしておくぞ。

 2005.5.23日 れんだいこ拝

【悪魔的政治術を駆使するネオ・シオニストの政治思想考 】
 ジョン・コールマン博士(文脈からそう思われる)は、1983年、「タヴィストック研究所‐‐不吉かつ破壊的なるもの」、「タヴイストック研究所。アメリカの政策に対する英国の支配」を著し、現代米国を襲っている「黒魔術的陰謀政策」を告発している。博士は同書の中で、タヴィストック研究所の重鎮で300人委員会のキーパーソンのクルト・レウィンの悪魔的政治学の手法を暴いている。

 これは、マリリン・ファーガソン著「アクエリアン革命」(「水瓶座の陰謀」)で明らかにされた。同書には次のように記されている。
 概要「現代政治は、タヴィストック研究所が命令し、スタンフォード研究所とランド・コーポレーション、そのほか合衆国の少なくとも百五十の研究機関から召集された科学者たちの計画にしたがって進行している。それは、大規模な人間集団を継続的な長期浸透緊張にさらす技法である『長期浸透緊張』と呼ばれる政策によって誘導されている。

 具体的には次のような支配術である。
 「持続的な恐怖、混乱の種を播く戦略戦術を通じて人々の判断を狂わせ、判断留保せざるを得ない状況に追いやる。その後、厳しい懲罰(ムチ)とよい待遇の約束(アメ)をちらつかせ、右往左往させる。更に、相予盾するニュースを広めることによって判断を麻痺させる。こういう状態を長期間続けさせれば、人々は何事に対しても無関心になる。このような状況下では、見識と勇気を持つ者たちでさえ情況に流され始め、葛藤の結果理性を麻痺させることになる」。

 この悪魔的政治技法の開発者は、クルト・レウィン博士である。博士は、第二次世界大戦に於けるドイツのドレスデン爆撃の計画立案者である。博士は、タヴィストック研究所の主任理論家であり、その後援でハーバード心理学診療所と社会調査研究所を創立している。しこの悪魔的戦争を開発した張本人である。タヴィストック研究所、クルト・レウィン、ウィリスーハーモン、そしてジョン・ローリング・リースは政治の表舞台には出てこない陰の指導者である。

 ニクソン大統領の失脚は、クルト・レウィン博士が立案し、キッシンジャーとヘイグがこの訓練マニュアル通りに誘導したことで首尾よく成功した典型的事例である。

 れんだいこは、以上のように纏めたが、原文は次の通りである。 「阿修羅雑談2」のHAARP氏の2003.8.27日付投稿文「欲しいものは何が何でも欲しいという幼児的ドライブが高度な知性と同居する」の後半で興味深い指摘が為されているので、消されないうちに転載しておく。

 【ドレスデン クルト・レウィン】

 また上の紫霄閣(ししょうかく)サイトには短くドレスデン爆撃はクルト・レウィンが計画立案したとありました。この人物はジョン・コールマン氏によればたタヴィストック研究所の重鎮で300人委員会のキーパーソンです。一般的には「行動心理学」の最初の提唱者と言われています。

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 http://www16.tok2.com/home/asyura/bdlog/asyura4/keiji320.htm

 小渕内閣 経済企画庁長官に起用された 堺屋太一氏の訳本。マリリン・ファーガソン著『アクエリアン革命』という本である(『水瓶座の陰謀』)。内容は 水瓶座の時代を向かえ「透明な知性」をもった人間が無意識のうちに繋がって意識レベルでの革命がこれから起こると言い。そのためには、意識のフレーム(枠組み)を変える必要があるといった内容である。キーワードとして「透明な知性」が用いられている。

 この『アクエリアン革命』はタヴィストック研究所と関連があるようである。米の80年代から90年代のグランドデザインとなった運動の一貫であり、そのものずばりなのだと思う。

 三百人委員会にその関係が述べられている。以下抜粋します。

 三百人委員会(ジョン・コールマン博士著、歴史修正学会訳、徳間書店1994年)から

 マリリン・ファーガソンの『水瓶座の陰謀』堺屋太一監訳『アクエリアン革命』として邦訳あり一は舞台ヌードショーとヒットチャートのトップになったある歌の先触れとなった。その歌「水瓶座の時代の夜明け」は地球を席巻した。すべてはタヴィストック研究所が命令したとおり、スタンフォードの社会科学者が立てた計画にしたがって進行している。時代は自然には変わらない。変えさせられるのである。すべての変化はあらかじめ計画され、慎重な作戦の結果として起こる。われわれの変化は最初はゆっくりとしていたが、いまではそのペースは急速に高められている。合衆国は、神のもとのひとつの国家から複数の神のもとでの多民族混合体に変容させられつつある。合衆国憲法を立案した者たちば戦いに敗れたのである

 三百人委員会(ジョン・コールマン博士著、歴史修正学会訳、徳間書店1994年)から

 今日のアメリカは、戦闘の最中に眠りこける兵士に比べられよう。われわれアメリカ人は眠りこけているのだ。われわれは無感動に身をゆだねてしまっている。それは、あまりにも多様な選択の機会に直面し混乱してしまったことが原因である。 こうした変化が環境を変え、変化に対するわれわれの抵抗力を押しつぶし、その結果われわれは目がくらんで無感動におちいり、ついには戦いの最中に眠りこけるといった最悪の状態をもたらしたのである。

 この状態をさす専門用語がある。それは「長期浸透緊張」と呼ばれている。大規模な人間集団を継続的な長期浸透緊張にさらす技法を開発したのは、タヴィストック研究所およびその合衆国の下部機構であるスタンフォード研究所とランド・コーポレーション、そのほか合衆国の少なくとも百五十の研究機関から召集された科学者たちである。 

 クルト・レウィン博士はこの悪魔的戦争を開発した張本人である。彼がひき起こしたのは、国を愛する平均的アメリカ人がさまざまな謀略説にいらだち、ハッキリしない不安な気持ちのまま孤立し、おそらくは恐怖さえ抱いてしまい、『人間イメージの変革』が惹起した腐敗と堕落を調査して理解しようとしたが果たさず、望ましいと思われず望んでもいないのに、社会的・道徳的・経済的・政治的な変化があらゆる方面で猛烈に増大していて、その正体を見きわめることも戦うこともできないでいるという状態である。

 レウィン博士の名前はわが国の標準的な歴史書には登場しない。歴史書は、いずれにしてもたいがいは支配階級もしくは戦争の勝利者側から見た事実の記録だからである。したがって、彼の名前を紹介するのを私は誇りに思う。先に述べたように、レウィン博士はタヴィストック研究所の後援でハーバード心理学診療所と社会調査研究所を創立した。

 一九八○年には『水瓶座の陰謀』はまさにたけなわで、われわれの個人生活、国家活動のあらゆる面で成功をおさめつつあることが明らかになった。愚かな暴力、連続殺人鬼、十代の自殺、まぎれもない無気力の徴候などの圧倒的増大という「長期浸透」は、私たちが呼吸する汚染された大気以上に危険ではないにしても、同じくらいに危険な新たな環境の一部なのである。水瓶座の時代は、まったく準備の整っていないアメリカにいきなり襲いかかった。無理やり押しつけられようとする変化に対し国家はまるで準備できていなかった。

 タヴィストック研究所、クルト・レウィン、ウィリスーハーモン、そしてジョン・ローリング・リースについて誰が聞き及んでいただろう。彼らはアメリカの政治の場面にさえ出てこない。もしわれわれが面倒がらず、ともかく見てさえいたなら気づいたはずなのだが、われわれは次第に疲労困憊し、ついには心理的ショック状態におちいって、長期浸透戦争の症状である無気力が蔓延するにつれて、未来主義的な衝撃に抵抗する能力が低下していたのである。

 ニクソン大統領が最初は孤立させられ、反逆者に囲まれ、そして混乱していく様子は、タヴイストック研究所の主任理論家クルト・レウィン博士の立てた方法であり、人を完全にコントロールするタヴィストックの方法に巌密にしたがっていた。私はすでにこの本の他の場所でレウィンの方法を詳述した。しかしリチャード・M・ニクソンの教科書的な事件からみて、私はそれを繰り返して説明する価値があると思う。

 「恐怖の戦略を通じて道徳を壊す主要な技術のひとつは、まさにこの戦術にある。つまり、自分がどこに立っているのか、何を期待しているのか曖昧なままにしておくこと。さらに、厳しい懲罰とよい待遇の約束のあいだを行ったり来たりして、それとともに予盾するニュースを広めることによって、この状態の認識構造が完全に不確かなものになれば、個人はある計画が自分の目的に向かっているのか離れていくものかすら知ろうとしなくなる。このような状況下では、確固とした目標をもち、危険をおかす覚悟ができている人びとですら、何をなすべきか心のなかの過酷な葛藤によって麻痺してしまう」

 キッシンジャーとヘイグは厳密にタヴィストックの訓練マニュアルにしたがった。その結果、ニクソンは取り乱し、困惑し、恐れ、うろたえた。彼の唯一の結未は、ヘイグに言われたとおり辞任することだった。
一九八三年、私は二つの論文を書いた。ひとつは『タヴィストック研究所‐‐不吉かつ破壊的なるもの』、もうひとつは『タヴイストック研究所。アメリカの政策に対する英国の支配』である。これらは私の手に落ちたタヴィストックの秘密マニュアルにもとづいている。タヴィストック研究所の方法と行動はこの二つの論文にはっきり書いてある。


【小ネズミエール考】
 そういう小ネズミをエールし続ける提灯屋の弁を検証しておく。角栄研究でその名を知られている作家の大下英治氏は、「小泉純一郎という政治家の喧嘩師≠ニしての胆力」、「任侠宰相」、「最近の政治家の中で、小泉ほど度胸の据わった喧嘩上手はいない」等々と囃し始めている。




(私論.私見)