中核派の白井朗批判その3考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元、栄和2)年.8.9日

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2007.10.20日 れんだいこ拝


 「革共同への反革命的敵対行動を売り物にする白井朗を粉砕せよ 白井『二〇世紀の民族と革命』の反革命的本質 島村伸二」を転載しておく。

 <はじめに> 白井の敵対を断じて許してはならない

 白井朗は単なる脱落分子ではない。権力に屈服し、権力の庇護(ひご)のもとで、わが党への反革命的敵対行動を売り物にしている、実に腐敗・堕落した存在である。われわれは、脱落者と反革命敵対分子とは厳格に区別する。革命的共産主義運動を汚したのみならず、反革命的敵対行動を公然と策動する白井を、われわれは断じて許さない。今や白井は、転向分子であるだけではなく反革命的敵対分子に転落することによって思想的腐敗・堕落を深め、わが革命的共産主義運動の歴史上かつてない破廉恥な人物と化している。白井は、『二〇世紀の民族と革命』(以下『民族本』と略す)と『中核派民主派宣言』(『民主派本』と略す)なる二冊の本を出すに至っているが、ここに示されている転向ぶり、腐敗の底なしぶりは、実に度し難い。人格的にも腐敗の極致にある。

 本論文は、白井の『民族本』の反革命性、理論的デマゴギー性、低劣さを徹底的に暴くものであるが、まず前提として、白井朗に対するわれわれの基本的態度を鮮明にさせておかなければならない。

 われわれはまず第一に、白井が手紙で「党の秘密をばらす」(党を権力に売り渡す)と平然と書いた事実とその実行を、反革命への転落の決定的言動として断じて許さない。第二に、逮捕時の権力との非妥協的闘いを放棄して全面ゲロをしたばかりか、それを合理化し(『民主派本』)、自己の反革命的敵対行為を居直っていることを絶対に許さない。第三に、白井は自らの「自己批判書」(『共産主義者』一二三号掲載)について、゛あれは偽装転向であった″と転向許容の思想を平然と語り、わが党が「創成以来スターリン主義組織論であった」とまで主張するに至っているのであるが、その主張に基づく白井の「分派闘争の自由」論が、実は現在白井が行っている「階級的敵対行動と党破壊の活動の自由」の主張である以上、これを断じて許さず、徹底的に粉砕する。

 第四に、白井は反革命への転落と同時に、ファシスト・カクマルに全面屈服し、自己の革共同敵対行動への承認を求め、カクマルの側につくことを公然と表明するに至っている。いったん転向を表明し、反革命的敵対行動に入るや否や開始したこの腐敗・堕落を、われわれは断じて許さない。第五に、権力への屈服によって腐敗を深めた白井は、われわれとの対決のために反スターリン主義を投げ出し、スターリン主義発生の根拠をレーニンに求め、逆にわれわれをスターリン主義者だとして自己の敵対行動を合理化するに至っている。そして、スターリン主義を民族抹殺思想や粛清問題にゆがめて切り縮め、それを故本多延嘉書記長も同じであったかのような破廉恥なでたらめを言っている。われわれは、自己の反革命的敵対行動に故本多書記長をも利用するような腐敗分子を絶対に許さない。

 第六に、白井は労働者階級自己解放の思想、プロレタリア世界革命綱領、共産主義の原理から外れ、『資本論』『帝国主義論』に立脚することを罵倒(ばとう)し、マルクス・レーニン主義に公然と敵対するに至っているのであるが、それにもかかわらず、あたかも自己がマルクス主義・レーニン主義であるかのように装って、革命的共産主義運動の破壊に全力をあげている。われわれは革命的共産主義運動の立場と矜持(きょうじ)にかけて、このような存在を許すことは絶対にできない。しかも、白井がこのために、わが党の最高指導部の一員であったことをさえ利用している以上、それにふさわしい厳格な態度をもって、われわれは対処するということである。

 第1章 白井の「理論闘争」なるものの反革命性と低水準性

 白井はことあるごとに、「理論的対立」が政治的に扱われて「排除された」と主張し、われわれを「反知性主義」だなどと言って、あたかも自己が「理論家」で「知性的人格」であるかのように押し出そうとしている。だが、白井が出したパンフはもとより『民主派宣言』なる本もまた知性の一かけらもなく、反革命的な腐敗のかたまりである。このような人物がわが党の最高指導部を構成していたこと自体、われわれにとっては恥辱である。そのあまりの反マルクス主義・反レーニン主義的言辞に、吐き気を催す感覚を抑えることができない。

 こんなものを出して、白井が自己を「理論家」と強弁しようとしても無理というものである。これらの刊行物は、白井が権力に屈服し、反革命的敵対分子に転落したことによってどれほど変質し、腐敗・堕落したか、没理論的な存在になり果てたかを示すものである。と同時に、党内にあった当時の白井の「理論闘争」なるものがどれほどゆがんでおり、低水準なものでしかなかったかをも如実に物語るものでしかない。われわれはすでに、白井「自己批判書」の公表(前掲『共産主義者』)をとおして、白井の「理論闘争」なるものの虚偽性を、白井の革命家としての破産性とともに暴いてきた。

 だが、現在の白井は当時の白井とはまったく異なる。白井は権力への屈服をテコに、公然と反革命的敵対行動を開始し、変質してしまった。それを厚かましくも「理論闘争」の延長のごとく言いなして展開している。当時の非マルクス主義的見解を、公然と反マルクス・レーニン主義を掲げた「理論」へと純化させているのだ。白井があたかも「理論的」であるかのように装った出版物は、『民族本』だけである。ところが、『民族本』は逆に白井の「理論」の没理論性、デマゴギー性と低水準さを完全に自己暴露し、反革命的意図をあからさまに語るものになっているのだ。本論文は、それをあますところなく暴き出すであろう。

 この本の「序章」では、白井はあからさまな反動的意図を表明しているので、まず簡単に確認しておこう。白井は、第一に、革命的共産主義運動の「常識」で「出発点」となっている世界革命論をあげて、「しかし」「そこにすべてを流し込む傾向がある」という形で、その否定を鮮明にさせている。そして「正統マルクス・レーニン主義が、革命的共産主義だと考えるのも安易である」と、われわれの運動が「正統マルクス・レーニン主義」であると非難している。第二に、スターリン主義の本質は「一国社会主義論による世界革命の未達成」にあるのではなく、「一九二九年からの農業の強制集団化による恐怖政治」(四n)が本質であり、「一九九一年のソ連崩壊は民族問題こそが最大の原因であった」ことからみても、スターリンの民族理論すなわち「『民族問題は階級の問題に従属する』というスターリンの階級唯一論」が本質であり(五〜一二n)、「無実の国民が数千万人の単位で粛清されるという基本的人権の無視」(七n)や「民主主義の否定」(四n)が本質であるとしている。スターリン主義の反革命的本質についての認識の否定と歪曲||それが全体に貫かれている白井のスターリン主義論である。

 第三に、レーニン主義を否定し、゛レーニン主義にスターリン主義の原因があった″論をとり、その一環として゛一九〇二年『なにをなすべきか』は、一九〇五年のソビエトの革命的役割で否定されている″という、『なにをなすべきか』の否定の思想が出されている(一四n)。つまり白井は、革命的共産主義運動の創成期の基本原理を否定して、スターリン主義批判の共産主義的ガイストを粉砕し、民主主義的非難に堕落させるために『民族本』を書いたということである。そして本文は、序章をはるかにこえて悪質な反革命的展開となっており、しかも理論的デマゴギー性と低水準さを全体にわたってさらけ出している。

 第2章 白井によるマルクス主義否定のでたらめな手口

 (1) 『共産党宣言』の意図的な反革命的誤読

 白井の反革命性は第一に、『共産党宣言』の意図的誤読による否定である。白井は党内にいた時、自己が『宣言』を否定していないことを証明するために『宣言』を絶賛する文章を書いたが、今やそこから自由になったとばかりに、懸命に『宣言』否定の論理を編み出そうとしている。しかしそれは無残に破産している。白井は『民族本』の中で、マルクスの『共産党宣言』の周知の個所(『新訳・共産党宣言』現代文化研究所発売、四二n)を引用した上で「プロレタリアートは祖国をもたない」のテーゼを否定して、次のように言う。

 「『もたないものを奪うことはできない』という平明な言い方で、プロレタリアートは祖国・国民・民族には無関心、したがって無責任だというブルジョアジーのデマゴギーをきりかえし、むしろその逆なのだとマルクスは主張している。それは『プロレタリアートは政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならない』という、それにつづく文言をみればなんぴとにも明らかであろう。『プロレタリアートは祖国をもたない』、というのが国際主義の原点だとするのであれば、この箇所はまさに支離滅裂の理解できない矛盾である。ここで明白なのは祖国という概念は、その階級の利害をまもりぬく国家という意味である。つまりプロレタリアートは政治的発言権ゼロの当時のブルジョア国家(イギリスでは男性普通選挙権は漸く一九二八年に認められた。一九世紀半ばには労働者はまったく無権利だった)のもとで、みずからの利害をまもる権利を完全に奪われた国家形態をおしつけられているのだから、『祖国をもたない』という結論になる。だからこそこういう無権利状態をうちやぶって政治的支配を獲得し、みずから国民とならねばならない、プロレタリアートはつまり祖国をもたなければならない、と政治的に主張しているのである」(二〇n)

 白井は、「『プロレタリアートは祖国をもたない』というのが国際主義の原点だとするのであれば、『プロレタリアートは政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならない』というそれに続く文言は、まさに支離滅裂の理解できない矛盾である」と言う。しかし、白井が「支離滅裂」になるのは、マルクスに逆らう意図をもって読もうとするからにほかならない。

 マルクスはこの個所の前に、「プロレタリアートのブルジョアジーに対する闘争は、内容上ではないが、形式上ではまず国民的なものである。それぞれの国のプロレタリアートは、もちろんまず第一に自国のブルジョアジーと決着をつけねばならない」(新訳本二八n)と述べている。これは言うまでもなく、プロレタリアートは「内容上では」祖国をもたないことを言っている。だからこそ、すぐこの文章に続いて「それぞれの国のプロレタリアートは」と言って、「それぞれの国」にあっても世界史的存在なのだという前提を表現しているのだ。そして「形式上では」として、「もちろんまず第一に自国のブルジョアジーと決着をつけねばならない」と述べているのである。これは、プロレタリアートが「自分自身の支配をうち立てる地点にまで到達した」からであり、まずプロレタリアートが権力を奪取して、プロレタリア独裁国家を樹立することを言っているのである。

 だから、白井が問題としている個所においてもマルクスは、まず「内容的」という意味で「プロレタリアートは祖国をもたない」と言い、「形式上」という意味で、「まず政治支配を奪取し、みずからを国民的階級へと高め、国民として自分を形成しなければならないのであるから、けっしてブルジョアジーと同じ意味ではないが、なお国民的である」と言っているのである。

 ところが白井は、この文章を論ずる時に巧妙に手を加えている。たとえば、当該個所に言及した際に「まず」をとっている。この「まず」は、「さしあたり」「形式的には」の意味をもっているが、これを外すとまったく別の意味になってしまう。さらに「なお」を外している。これは、プロレタリアート本来の(祖国のない)姿からすれば、「なお」「いまだ国民的」だと言っているのである。白井はこれらの言葉を意図的に外すことによって、形式的だけではなく内容的にも「国民的になる」と読んで「支離滅裂」になるのだ。だが、マルクスの思想は支離滅裂でもなんでもない。プロレタリアートの世界史的普遍的存在の認識に基づいて首尾一貫しているのだ。白井のこの読み替えは、おのれの反革命への転落を合理化するための詐術に等しい。

 この文章に続いて『宣言』は、「プロレタリアートの支配は、こうした(ブルジョア的生産様式が始めた)諸民族の国民的分離と対立をいっそう消滅させるであろう。団結した行動||すくなくとも文明諸国の団結した行動が、プロレタリアート解放の第一条件の一つである」(新訳本四三n)と述べられている。さらにそのあと「一国(民族)による他国(民族)の搾取の廃止」「諸国民(民族)相互間の敵対的関係もなくなる」までの感動的な展開が続いている。まさにこの辺りは、労働者自己解放論の原理的展開そのものである。

 そしてプロレタリアートは「鉄鎖以外に失うものは何もない」(新訳本七二n)のだから、「祖国ももたない」のである。獲得すべきなのは「祖国」ではなくて、「全世界である」。そのためには、「まず」「さしあたり」「形式的には」「権力を奪取し国民的階級へと自己を形成しなければならず」、だからこそ「いまだ」「全世界の獲得」に至っていないと言えるのだ。このような展開があるからこそ『共産党宣言』の最後の言葉が輝いているのだ。「万国のプロレタリア、団結せよ!」

 「労働者は祖国をもたない」||これは紛れもなく国際主義的宣言である。『宣言』では鮮明に「もっていない」と言明され、「もっていないものを、労働者から取り上げることはできない」とまで言われている。これは賃金労働者に関する認識の核心問題なのだ。だから共産主義者が他のプロレタリア党と違う点のひとつとして「国籍と無関係な、プロレタリア階級全体の共通の利益を強調し貫徹すること」(新訳本三二n)があげられているのだ。『宣言』全体に貫かれている世界革命思想の深さ・すごさを、まずはっきりつかまないと、一切は論じられない。

 ところが白井は、『経済学哲学草稿』〜『ドイツイデオロギー』〜『哲学の貧困』〜『宣言』(『賃労働と資本』)に至る過程で確立された共産主義思想、賃金労働者が世界史的普遍的存在であるという労働者認識に基づく画期的思想、プロレタリア世界革命の実に豊かな思想の根拠をなすこの国際主義的思想の偉大さを、完全にほうり出しているのだ。われわれはスターリン主義と対決し、革命的共産主義運動を創成する闘いの過程で、特に『ドイデ』などを軸に、マルクスが共産主義思想を確立していく過程が世界革命論と一体のものとして論じられていることをエネルギッシュにつかみ直していった。白井は、あの時代を忘却のかなたに置き去り、今やその否定に躍起になる存在に成り果てたのだ。

 さらに、一つ二つ付言するならば、白井が゛当時のイギリスのプロレタリアートは普通選挙権をもっていなかったがゆえに、祖国をもっていなかった(みずからの利害をまもる権利を完全に奪われた国家形態だった)″と言っている文脈は、腐敗した第二インターの祖国擁護の手法と同じである。つまり白井が言いたいことは、゛今やプロレタリアートは普通選挙権をもっているから「政治的発言権ゼロ」ではない。したがって今のプロレタリアートは祖国をもっている。祖国を守れ!″ということなのだ。

 さらに、白井が゛「プロレタリアート……は、祖国・国民性・民族ということとはいっさい無関係になるべきだ」と『宣言』の文言を理解するのは「通俗的な理解」だ″という言い方で、『宣言』の革命的核心を解体する欺瞞(ぎまん)性、詐欺的手口についてである。マルクスがけっしてそんなことを言っているのでないことはすでに述べたとおりである。ところが、『民族本』二六四〜二六五nで『宣言』についてのレーニンの正しい解釈を紹介したところでも、「レーニンは、プロレタリアートが民族・祖国とはいっさい無関係だとする……機械論をするどく批判している」というように「無関係論」批判を持ち出し、「マルクスが民族運動をたびたび呼びかけた歴史的事実をレーニンは指摘している」ということを、それだけ取り出して強調するのである。まったく詐欺的、ペテン的なやり方だ。

 レーニンは、「第一の命題(労働者は祖国をもたない)をとって、それと第二の命題(労働者は自身を民族的階級として構成するが、それはブルジョアジーとは違った意味においてである)との関連を忘れるならば、それは大きな誤りでしょう」と述べているのだ。つまり、第一の命題は「これは正しいことです」と明確にテーゼ的に確言した上で、続けて第二の命題もまた重要なのだと、述べているのである。ところが悪質な意図を持つ白井は、話を進めていく内に、まるでレーニンは第一の命題を否定しているかのようにしてしまうのだ。このために、「プロレタリアートは民族・祖国とはいっさい無関係になるべきだ」という解釈論をもってきて対置するのである。そのやり方は、実にこそくである。

 白井は以上のように、『共産党宣言』の否定のために、『宣言』には「支離滅裂な理解できない矛盾」があるという意図的な反革命的誤読を行うのである。まったく許せない。

 (2)「アイルランド論の革命的転回」論の反革命性

 白井の反革命性は第二に、アイルランド問題に関するマルクスの革命的言及を使って、マルクス主義破壊を行っていることである。白井の手口を見よう。そのために、まず、白井があげたマルクス・エンゲルスの文章を、長くなるが引用する。

 「私はながねんアイルランド問題を研究したのち、つぎのような結論にたっした。すなわちイギリスの支配階級にたいする決定的な打撃は(そしてそれは全世界の労働者運動にとって決定的であるだろう)、イギリスにおいてではなく、アイルランドにおいてのみあたえられうる、と。」「資本の首都としての、こんにちまで世界市場を支配してきた強国としてのイギリスは、さしあたり労働者革命にとってもっとも重要な国であり、そのうえこの革命の物質的条件がある程度まで成熟している唯一の国だ。イギリスの社会革命を促進することは、それゆえ国際労働者協会のもっとも重要な目的である。これを促進する唯一の手段は、アイルランドを独立させることである。だから国際労働者協会の任務は、いたるところでイギリスとアイルランド間の紛争を前面におしだし、いたるところで公然とアイルランドに味方することだ。アイルランドの民族的解放は、イギリスの労働者階級にとってけっして抽象的な正義の問題や人情の問題ではなくて、かれらじしんの社会的解放の第一条件であること、このことをかれらに自覚させるのは、在ロンドン総評議会の特殊な任務である。」(マルクスからマイヤーとフォークトへの手紙 一八七〇年四月九日 選集第八巻五三三n 五三六n)

 「ある民族が他の民族を隷属させるということは、この隷属させる側の民族にとってどんなに不幸なことであるかは、アイルランドの歴史にみることができる。」(エンゲルスからマルクスへの手紙 一八六九年十月二十四日 選集第八巻五一九n)

 「私はしだいにつぎの点を確信するようになった……すなわち、イギリスの労働者階級がアイルランドにたいするかれらじしんの政策を、その支配階級の政策からもっとも決定的に分離させるまでは、またかれらがアイルランド人とすすんで一八〇一年になされた併合を解消して自由な連邦関係に変えるためのイニシァチブをとるまでは、けっしてかれらはここイギリス本国においてなにか決定的なことをなしとげることはできない。しかもそのことは、アイルランドにたいする同情の問題としてではなしに、イギリスのプロレタリアートじしんの利益のための要求として、おこなわれなければならないのである。……この国における解放の第一の条件||イギリスの土地寡頭制を打倒すること||は、いつまでたっても実現不可能だろう。なぜならイギリスの土地寡頭制がアイルランドにおけるその堅固な前哨を手中に保っているあいだは、ここイギリスにおける陣地を攻撃することはできないからだ。しかしいったんアイルランドでアイルランドの人民じしんに国の運営がまかせられるならば、かれらが自分じしんの立法者、統治者となって自治を得るならば、土地貴族(その大部分はイギリスの地主と同一人物である)を廃止することは、ここイギリスにおけるよりもはるかに容易である。なぜならアイルランドではこれはたんに単純な経済問題であるだけでなしに同時に民族問題でもあるからである。またイギリスとはちがってアイルランドの地主は、先祖代々の高位者や代表者ではなく、蛇蝎(だかつ)のごとくにくまれている民族の抑圧者だからである。」(マルクスからクーゲルマンへの手紙 一八六九年十一月二十九日 選集第八巻五二四〜五二五n)

 「……アイルランドにたいするかれらの現在の関係を破棄することこそ、イギリスの労働者階級にとって直接の絶対的な利益である。……ながいあいだ僕は、イギリスの労働者階級が政権を掌握することによってアイルランドの制度をうちたおすことが可能であると信じていた。……ところがいっそうふかく研究した結果、私はいまではその反対を確信するようになったのだ。イギリスの労働者階級がアイルランドを放棄しないうちは、かれらはなにひとつなしとげはしないであろう。槓杆(こうかん=てこ)はアイルランドでいれねばならないのだ。そのためにアイルランド問題は、全体としての社会運動にとってじつに重要なものとなる。」(マルクスからエンゲルスへの手紙 一八六九年十二月十日 選集第八巻五二七n)

 この「アイルランドにおいてのみあたえらうれる」「イギリスの社会革命を促進する唯一の手段は、アイルランドを独立させることである」「アイルランドの民族的解放は、イギリスの労働者階級にとって、かれらじしんの社会的解放の第一条件である」という言葉は強烈な言葉である。またマルクス自身、「ながいあいだ僕は、イギリスの労働者階級が政権を掌握することによってアイルランドの制度をうちたおすことが可能であると信じていた。……が、私はいまではその反対を確信するようになった」と、自己の考え方の〈転換〉を強く押し出している。

 これが、わが革命的共産主義運動における七〇年「七・七自己批判」的衝撃性と、それをテコとする戦略的総路線の綱領的次元での変更(「侵略を内乱へ」から「闘うアジア人民と連帯し、日帝の侵略を内乱へ」への変更)、つまり〈連帯〉の思想と実践を綱領的戦略として確立したことと、ほとんど同じような〈転換〉を意味していることは明白である。しかし、すでに爛熟(らんじゅく)しきった今日の帝国主義の段階ではなく、一八六九年段階でのマルクス・エンゲルスのこの鋭い感受性と驚くべき革命性は、彼らの労働者自己解放、労働者革命への熱情の強烈さと、プロレタリア世界革命論に基づく国際主義の豊かさ、深さを示している以外の何ものでもない。

 ところが白井は、これらの引用をした上で、次のように言う。これも長くなるが引用する。
 「マルクスはあくまで『イギリスの労働者階級は、全体としての社会的解放にたいして無条件に決定的な力をもっているのだから、槓杆はこの国でいれなければならない。』(先に引用したクーゲルマンへの手紙)と槓杆という用語を二重に使いつつ、アイルランド民族運動の起爆力とイギリス・プロレタリアートのたたかいの決定的な力を強調するという重層的な構造でその革命論をくみあげていく。それは『イギリス人は社会革命に必要なあらゆる物質的条件をもっている。かれらに欠けているのは、一般化する精神と革命的情熱である。』(マルクス「国際労働者協会のドイツ社会民主労働党にあてた非公開通知」 全集第一六巻四〇九n)という理由にもとづく。西欧先進国のプロレタリアートは、この時期すなわち帝国主義段階への移行にさしかかろうという時期において、相当の賃金上昇をみており、すこし生活条件がよくなると階級全体の問題、とくに植民地民族の悲惨な抑圧を忘れて、植民地出身の労働者を敵視するという先進国労働者階級のエゴイスチックな腐敗をあらわにし、革命にもっとも必要な革命的情熱が失われていく。……一八四八年革命の敗北ののち亡命したマルクス・エンゲルスが……悲観的になり、革命の勝利の条件を世界恐慌の経済要因に一元的に還元し、階級の主体の錬磨の問題をないがしろにする傾向を示していたのは事実である。アイルランド人民のたたかいは、こうした状況にあったマルクスの革命的パトスをかきたて、みずみずしい感受性をよみがえらせ、その革命論と歴史観の発展にするどい刺激をあたえた。物質的条件をそなえているイギリスにおいては革命的情熱が不足し、工業的発展の未熟なアイルランドにおいて革命的情熱が燃えたぎりつつあるというこの矛盾を、国際主義的連帯によって『一般化する』ということこそ世界革命の勝利の必須の大前提であろう。このマルクスのアイルランド論を、まさに革命論の革命的転回をなしとげた偉大な理論的前進として認識すべきである」(四八〜四九n)

 「一八六〇年代においては植民地民族の側に立って、隷属させている側の民族の労働者階級が自分自身の問題としてたたかうことが、いわゆる先進民族のプロレタリア革命にとって必須不可欠のこととしてとらえるという文字どおり世界革命の立場の論理の構築がはじまる」(四四n)(強調は引用者)

 まず重要なことは、白井はここでマルクスがアイルランド問題をとおして「民族解放闘争に対する重要な原理」を確立したときから、「世界革命の立場の論理の構築がはじまる」と言って、マルクス世界革命論と、「アイルランド問題」における民族理論の確立との関係を逆転させていることである。すでにみたように白井は、『宣言』の「労働者に祖国はない」という鮮明な思想、すなわち労働者の世界史的普遍的存在の認識に基づく世界革命の思想の鮮やかな表明を否定した。さらに白井は、ここではそれをさらに「発展」させて、゛マルクスは民族解放闘争の重要な原理(アイルランド論)を確立した時から世界革命の立場の構築を開始した″というのである!

 このために白井は、マルクスが「アイルランド論」の確立の時に強調している思想が、イギリス労働者階級の階級的自覚に基づく国際主義であることを消し去って、゛マルクスはイギリス労働者階級に絶望し悲観的になっていたが、アイルランド人民の民族解放闘争によってよみがえったのだ″などという歴史の偽造を行い、そこで「革命論の革命的転回をなしとげた」というのである。

 いまだ帝国主義段階への移行の始まりに過ぎない時に、約五十年後のレーニンの帝国主義論で初めて理論的に確立されることになるこの立場を、マルクス・エンゲルスが鋭く、きわめて鮮明につきだしたことは、驚くべき革命性を示しているものである。ところが、白井はこの立場を「与件」のものとしているから、マルクス・エンゲルスのこの強烈な革命性に対して、何の感動もないのだ。むしろマルクス・エンゲルス自身が、あたかも革命性を喪失していたが、アイルランド人民の闘いでパトスを与えられ、革命論を確立した、などと言っているのである。

 もし、マルクス・エンゲルスのこの立場が、あとから白井も得々と語っているように、レーニンの帝国主義論で基礎づけられる立場と同じであることを認識しているのだとしたら、白井は、マルクス・エンゲルスがこの時期に(五十年も前に!)なぜこれほど鋭くつきだせたのか、その革命性はいったいどこにあるのか||これを明らかにすべきなのだ。そうするならば、マルクスの階級的解放の認識が、その世界革命論と一つのものであること、労働者自己解放は世界史的に実現されるという立場でのマルクスの強烈なインターナショナリズムこそがそれを可能にしたということが明白となるのだ。『ドイデ』〜『宣言』で確立した立場の正しさ・すごさをあらためて強烈に深く自覚することになるのだ。

 白井は、マルクスのここでの主題がイギリスの労働者の自己解放を論じているということをねじ曲げている。「労働者革命」「社会革命」「彼ら(=イギリス労働者階級)の社会的解放」という言葉で語っているが、主語は明白にイギリス労働者階級の階級的解放なのだ。この階級的解放の「第一条件」が、「アイルランドにたいするかれらの現在の関係を破棄すること」だと言っているのだ。言いかえれば、それが自己の階級性を発揮する道であり、それが階級的に「絶対的な利益」だ、つまり労働者の階級的解放になる「唯一の」道だと言っているのだ。

 ところが白井は、「重層的」などと言いながら「槓杆という用語を二重に使いつつ、アイルランド民族運動の起爆力とイギリス・プロレタリアートのたたかいの決定的な力を強調する」と並列する。白井は、マルクスがその不動の確信である労働者自己解放のために論じているのを、民族解放と並列することで労働者自己解放の闘いを相対化するというすりかえをやっているのである。

 決定的なのは、そのためにマルクスの上記の「……非公開通知」(全集第一六巻四〇九n)の引用を巧妙にすりかえ、逆転させたことである。注意深く読むならば、マルクスはここではイギリスの労働者階級の問題として「一般化する精神」と「革命的情熱」の二つをあげている。が、白井はここを巧妙に「革命的情熱」だけにして「一般化する精神」を外している。マルクスがここで言おうとしている「一般化する精神」とは、労働者の階級的存在の普遍性の認識に基づくインターナショナリズムと、このインターナショナリズムに基づく「革命的精神」以外ではない。にもかかわらず、白井は、「この時期すなわち帝国主義段階への移行にさしかかろうという時期において」「西欧先進国のプロレタリアートは」「エゴイスチックな腐敗」に陥り、「革命的情熱が失われていく」と認識しているので、マルクスの文章から「一般化する精神」をそっと読者に分からないように外している。

 そしてなんと「一般化」とは、アイルランドの闘いで目覚めたマルクスがここで初めて国際主義的連帯の思想を確立し、駄目な先進国労働者と植民地民族の革命的情熱の「矛盾」を解決するものにしたてられ、そこで「世界革命論の構築が始まった」ことにしてしまうのだ。白井はこの巧妙なすりかえをとおして゛階級的解放には国際主義的思想がなくて絶望的である″と言う。こうして彼は「一般化」して、本質的なプロレタリア世界革命論を否定した世界革命論を、帝国主義国の労働者解放(実に歪小化されたそれ)と植民地・従属国の民族解放(これだけが国際主義)の二つの実体の機械的合流論のことにしてしまうのだ。これを彼は「革命論の革命的転回」とまで言って絶賛している。

 ここで白井が行っていることは、@まずは労働者自己解放の思想の相対化(二つの内の一つ)である。次に、Aそれによるプロレタリア世界革命というマルクス主義の神髄の否定である。そして、B民族問題におけるアイルランド論で初めてマルクスの世界革命の立場が構築されるようになった論である。そして、C労働者自己解放の思想の方は、先進帝国主義国労働者への絶望の認識に基づき、民族解放闘争の「刺激」が必要な存在にさせられ、実際は、すべて民族解放闘争に限りなく収斂(しゅうれん)されることになる。まさにマルクスも目を回すような驚くべき「革命的転回」である!

 したがって、白井は、マルクスの「アイルランド問題」の立場はすごいすごいと言うが、それを可能にしたマルクス・エンゲルスの世界革命の原理的思想のすごさは絶対に語らないのだ。

 (3)民族問題への接近の非実践性と反革命性

 白井の「民族理論」なるもののまやかしの核心は、七〇年「七・七」問題でわれわれが鋭く問われた時、白井自身はそれを主体的に真正面から受けて立ったことがない事実を隠蔽(いんぺい)していることである。実際のところは、白井は「七・七」問題が分かっていないのだ。それを、あたかも自分が最もよく分かっているかのごとく登場しているところにまやかしがある。

 その証拠には、七〇年「七・七」問題や民族解放闘争に関して、白井は一度も文章を書いていない。逆に、白井が批判してやまない清水同志の『選集』に明白なように、七〇年「七・七」当時、現場で苦闘した同志たちとともに、清水同志の思想的理論的深化のための闘いが決定的であったのであり、白井はこれにまったくかかわろうとしなかったのだ。その後の入管闘争で、白井がそれを主体的に担おうとしたことは一度もない。したがって、日本階級闘争における在日朝鮮人・中国人の闘いの現実や、入管闘争の地平に、白井はまったく無知であり、度し難い水準なのだ。だから白井は、この『民族本』で革共同政治局員であったと名乗りながら、革共同の「七・七問題」に関する文献をひとつも引用していないのである。否、そもそも、日帝下の日本人プロレタリアートの立場への一言の言及もないのである。実にでたらめ極まりないと言わなければならない。

 西山信秀論文(本紙一九四四号掲載)はそこを鋭く暴き、白井の反革命的民族理論、とりわけ「七・七」次元の問題に関する欺瞞性を壊滅的に暴いたのだ。マルクスの「アイルランド論」やレーニンの「スターリンのグルジア問題」は、マルクスやレーニンが「七・七」的次元の問題を画期的に鮮明にしているところである。それを論じていながら、白井が七〇年「七・七」問題をまったく理解していないのは致命的なのだ。西山論文は、日帝下の抑圧民族である白井が、在日の闘いに立脚せず、無知であるばかりか、それを踏みにじっている存在であることを鋭く暴き、民族問題で何ごとかを言っているかのごとき顔をする資格など白井にはまったくないことを突きつけている。

 『民族本』は、西山論文でほとんど完膚なきまでに粉砕されている。ところが白井は、自分がその核心点で批判されていることすら分からない水準なのだ。そもそも白井の理論活動の破綻性・反革命性は、絶対に主体的実践の立場に立たないところにある。民族理論を対象化する動機が、実践的闘いへの自己の問題性を合理化するためのゆがんだ意識にあったことは、白井自身が自己批判書で書いている。ここにすでに致命的問題がはらまれているのだ。したがって白井は、マルクスやレーニンを論じるが、マルクス、エンゲルス、レーニンの主体的苦闘の立場には絶対に立ったことがないし、立てないのだ。

 白井の理論活動の破綻は、マルクスの「アイルランド問題」での地平に依拠しておりながら、その地平からマルクスのそれに至る過程を批判し、レーニンの「グルジア問題でのスターリン批判」の地平に依拠しながら、その地平から過去のレーニンを批判するというやり方に非常に鮮明である。到達した地平から見れば、到達していない段階に未熟性や問題性があることは当然だ。だが、白井は、それを暴き問題にすることが理論活動だと思っているのだ。それは、学者の単純な学問的作業ならば、論理的整理として一定の意義はあるかもしれない。だが、革命的実践の立場に立つ者ならば、何よりも゛マルクスやレーニンがなぜそのような画期的地平に到達できたのか″゛なぜそれがマルクスやレーニンにおいて可能だったのか″||これを徹底的につかみとることぬきに、「それまでは問題があった」などと平然と言える感覚を持ち合わせるはずがない。しかし、白井の『民族本』はこのような論述に満ちた、実に腐敗した本なのである。

 なぜそのようになったのか。それは、白井の「七・七」思想が、自らを実践の場において主体的につかみとったものでないからなのだ。もっと言えば、彼の理論活動が、もはや実践主体として理論問題に接近する姿勢や思想を放棄した地平から始まっているからなのだ。さらに言えば、彼の民族理論への接近は、革命的共産主義者としてのマルクスやレーニンの理論そのものの懸命な研究の結果から出てきたものですらない。彼の歴史知識の論述は、実はこの理論的まやかしを覆い隠す飾りものに過ぎないのだ。

 【白井の民族理論の研究は、自己のマルクス・レーニンの研究の結果つかんだものではなく、七〇年「七・七自己批判」に規定されて始めたものでもない。実は、白井が民族問題に傾斜していく動機は、プロレタリア革命への白井自身の絶望から一九七九年のイラン革命に展望があるかのように飛びついたことにある。「悲観していた」マルクスが、アイルランド問題でパトスを与えられたという歴史の偽造は、実は自己の内面世界の吐露なのだ。そこからスルタンガリエフを発見し、その後、山内昌之の展開に無批判的に依拠し、ますますプロレタリア自己解放の思想から後退していったのである。白井の研究が、山内昌之のスルタンガリエフ研究に大きく依拠したものであることは、この本の最後にある「注」をみれば歴然としている。白井は、山内昌之を圧倒的に軸にし、それに色々と資料をつけ加える形でマルクス・レーニンの民族理論を問題にしていったと言ってよい。

 だが、この本における白井の山内昌之に関する言及では、山内の反共主義的本質をまったく不問に付している。もちろん、たとえ共産主義者でなくとも、誠実な学者の学問的成果を吸収することは非常に大事なことである。否、われわれは政府関係の出版物の諸資料を積極的に逆用して、われわれの理論的立場や政治的内容を大いに展開している。しかし、それはあくまで「逆用」なのだ。われわれは、そこに流れる思想的立場や階級的立場などに無関係に(あるいはそれを許容する形で)、その吸収や継承をすることはけっしてできない。そこには厳しい批判的姿勢が堅持されている。白井の民族理論への出発点が、山内に依存するものであったにもかかわらず、白井の〈山内への無批判的姿勢〉は、白井自身の〈マルクスやレーニンに対する姿勢〉に直結し、民族理論の研究をつうじて、白井はマルクス・レーニン主義から後退し、自己の共産主義者としての思想の瓦解(がかい)にまで転じてしまっている。

 山内は、最初に書物を出した段階では一研究者であることを踏まえた謙虚さを持っていた。だが、この領域で一定の権威をもつに至って以来、とりわけソ連スターリン主義の崩壊以降、露骨に「スターリン主義=レーニン主義=共産主義」規定をもって、スターリン主義の弾劾を共産主義弾劾(強力な反共主義としてのそれ)として激しく展開している。そして今や、ソ連スターリン主義崩壊以降の中央アジアをめぐる帝国主義間争闘戦の激化の中で、日帝の先兵として政府関連の仕事に熱中している。白井の本から、この山内への厳格な批判的姿勢を見いだすことはできない。読む人が読めば、白井が山内の見解に強いインパクトを受け、それに依拠して展開していることは明らかである。白井の学問的不誠実さと階級的不誠実さは、にもかかわらずそのことを明記せず、かつ山内への共産主義者としての批判的コメントを一言も書いていないところにある。】

 第3章 レーニン主義世界革命論に対する憎悪込めた否定

 (1)レーニンに関する「章立て」の反革命的な意図

 白井は、第二編の第一章に入る前のわずか二ページの序章で反革命的な意図を巧妙に持ち込んでいる。白井は、「レーニンの民族理論の核心を学ぶ」などと言いながら、実はまったく逆のことをしている。第一に、この全体をつうじて白井にはレーニン理論を〈学ぶ〉姿勢などまったくゼロである。第二に、「レーニン民族理論の核心」の否定こそがその趣旨である。このことを、短い序章的文章からまずはっきりさせておきたい。

 ひとつは、「レーニンの民族理論の核心を学ぶ」ための「適切な区分」と称して、第一章に帝国主義論の確立の時代を入れ、第二章を一九一七年ロシア革命から「グルジアのスターリン批判」までと区別していることである。この区分は、白井が後述するように「帝国主義論の確立が理論的には決定的転換点」と書きながらも、実は内容的には、それから死の直前の「グルジアのスターリン批判」までに千里の壁を築き、「グルジアのスターリン批判」こそが決定的であると主張し、帝国主義論の確立をもって樹立したレーニン民族理論を否定する意図が込められているのだ。「実践的にロシア革命の勝利が最大の区分である」というのは、もっともらしい理由づけだが、この区分には実に悪質な反革命的意図が込められている。

 ここで、第二編冒頭の引用文が一九一六年『自決に関する討論の決算』であることにも注目したい。これは、実は「レーニン民族理論の核心」という場合、はしなくも白井自身が一九一六年段階が決定的な゛理論的飛躍″であったと述べてしまっていることを意味する。にもかかわらず、白井は『民族本』全体で、「理論」ではなく「実践」(=ロシア革命)の名で、一九一六年段階のレーニンの民族理論を全力で否定し、死の直前の「グルジアのスターリン批判」こそが決定的であったとするのである。

 われわれの結論を先に書くと、「グルジアのスターリン批判」という゛実践″を可能にしたものこそ、帝国主義論に基づく「レーニン民族理論の核心」での゛理論的飛躍″であり、なぜ死の直前でスターリンの罷免というおそるべき革命的決断をレーニンができたのかは、民族理論に限って言えば、すでに一九一六年段階のレーニンが、この冒頭で白井が引用した立場を獲得していたからにほかならない。帝国主義論の確立に基づくレーニン民族理論の飛躍と、死の直前の「グルジアのスターリン批判」という実践的決断との関係は、そういう関係なのだ。

 いまひとつは、さらに第三章として「スルタンガリエフの主張に新しい光りをあてる」章を設けていることである。つまり、この本はけっして「レーニンの民族理論の核心を学ぶ」ためではなく、それを否定し、スルタンガリエフの主張こそ正しかったことを述べるための本なのだ。この章だてにこそ、白井の意図がある。

 つまり白井は、レーニン対スルタンガリエフ(あるいはローイ)の論争的対立はスルタンガリエフ(ローイ)が正しかった、それ以前のレーニンの帝国主義論に基づく理論的確立はまだ問題があり、レーニンは「グルジアのスターリン批判」で初めて正しい立場に立ったと言いたいのだ。別言すれば、「グルジアのスターリン批判」は、レーニン対スルタンガリエフの論争的対立におけるレーニンの誤りを認めるものであるとし、帝国主義論に基づくレーニンの民族理論の確立を否定したいのである。第一章と第二章の区分、第三章の設定に潜ませた意図は、これである。したがって白井は、この全体をとおして、レーニンとボルシェビキ批判は展開するが、けっしてスルタンガリエフの主張の全体像の紹介や、そのどこをレーニンが問題にしたのかはまったく語らずに隠蔽し(読者が客観的にスルタンガリエフを検討することを不可能にし)、ただただスルタンガリエフ「万々歳論」を展開し、それを証明するものとしてレーニンの「グルジアのスターリン批判」が利用されているに過ぎない。レーニンの偉大さではなく、スルタンガリエフ万々歳の証明としてレーニンも活用されているだけなのだ。

 これは、どんなに隠そうとしても隠せない『民族本』の本質である。それが、章だてにも表れているに過ぎない。

 さらに第三に、その上でわざわざ第四章を設けた意味は、「スターリンの民族消滅論」批判にあると書いている。しかし、実はその核心は、その原因をレーニンに求め、「階級共同体を建設するために民族を爆破するというレーニンの見解」(二八七n)なるものをデッチあげ、レーニン主義こそ問題なのだとすることにある。白井のこの本は、この〈反革命的デッチあげ〉の事実を暴露するだけで、その理論的でたらめさ、理論性のなさ、非科学性を証明できる代物である。〈デッチあげ〉の上に、膨大な歴史的事実の都合のよい部分だけまぶした「理論的」装いで、読者に目くらましを食らわせているだけの本なのだ。

 (2)レーニン民族理論における帝国主義論確立の意義

 以上の確認の上でまず第一に、白井がレーニン民族理論における帝国主義論の確立の決定的意義をいかに引きずり下ろし、過小評価し、否定しているかをはっきりさせる。
 『民族本』の中で、レーニンの帝国主義論確立以降の民族理論の飛躍に関して、白井が評価を語っているところを発見するのは困難ではない。「巨大な思想的転回点」「抜本的な深化」「抜本的な自己変革的前進」「レーニンの到達した高さ」「じつに偉大な理論であり、明快なことば」「レーニン民族理論の神髄」「じつにふかいプロレタリア国際主義の思想」「衝撃的ですらある」「まばゆい光りを放つすばらしい解放の思想、光彩陸離たる思想」「マルクスとレーニンの民族理論のひとつの極致とさえ言える」などという言葉が随所に書かれている。一見賛美とすら言ってよい。

 しかし、この八九〜一一八nの第二節「帝国主義論の確立と一九一六年の三つの民族論文の到達地平」は、丹念かつ正確に読むと、すべてこれらの評価の否定のために書かれていることが分かる。賛美の一つひとつの後に、必ず問題点の存在、限界の存在、未到達の領域の存在などがつけ加えられているが、実はそこにこそ白井の主張の重心があるのだ。これが第一である。

 この節の最後の「まとめ」で明らかだが、ほとんど是々非々的に展開し、結論が、レーニンも「いまだ十全ならず」「矛盾した考え方がなお内在して」おり、実は「グルジアのスターリン批判」の最後の到達地平へと「止揚していく一過程」のものでしかないとまとめられている。

 それはなぜか。もともと白井の出発点・動機が、「グルジアのスターリン批判」にあり、その地平からそれまでのレーニンを「それに至っていない過程として批判する」ために準備されたからである。白井に決定的インパクトを与えた山内が、帝国主義論の立場など毛頭もっていないことに規定されて、白井の当初の論文があまりにも「グルジアのスターリン批判」だけを到達地平的に書かれていたために、それに対するわれわれの批判||帝国主義論の確立とそれに基づく民族理論の飛躍的発展が決定的ではないか||から、自己の弱点を補うためにのみ、この項目が設けられたからである。
 さすがに白井も、そこにはレーニンのおそるべき思想的到達地平があることを否定できず、一つひとつのレーニンの言葉には称賛の言葉を発しながら、しかし結局は、ここで理論的にがっちりと基礎づけることを徹底的に回避した。白井は「是々非々」的展開をしているが、実は「非」の方に重心があり、「是」の方にペテンがあるのだ。

 第二に、すでに指摘したことだが、白井のペテン性は、レーニンのおそるべき思想的到達地平を「賛美」するが、なぜレーニンがその地平に到達できたのかをけっして語らないところにある。もし白井に本当にレーニン理論から「学ぶ」姿勢があるならば、「抜本的」であり「衝撃的」ですらあるレーニンの思想は、マルクス主義に基づく世界革命の思想、プロレタリアートの階級性の根本にある国際主義の素晴らしさのレーニンにおける再確認とその深化としてとらえ返すことになるはずだ。そうすれば、どんなに間違っても「階級唯一論」というような嫌らしい言葉で、共産主義の根本を否定することにはならないはずである。珠玉のような思想は、突然天から降ってくるものでもなければ、地からわいてくるものでもない。ものすごい苦闘の中からのみ生まれるものだ。これを主体的にとらえ返さずに、どんなに「賛美」しても、それは「学ぶ」ことにはならない。

 その上で第三に、白井がこの部分で、「賛美」の後に必ずあげつらう「問題点」は、ほとんどすべてがきわめて反動的見解である。これがまともならば、まだ救われる。だが、これがすべてインチキ・偽造・デッチあげなのだ。「スルタンガリエフが正しかった」「レーニン主義こそがスターリン主義を生み出した要因である」という主張に強引にもっていくための伏線以外の何ものでもない。

 一つひとつ全部暴露するのは省略して、次に二点に絞ってそれを明らかにする。そのあと、それ以外のところにも簡単に触れる。(つづく)

 島村 伸二革共同への反革命的敵対行動を売り物にする白井朗を粉砕せよ 白井『二〇世紀の民族と革命』の反革命的本質 (中)」。
 第3章 レーニン主義世界革命論に対する憎悪込めた否定

 (2) レーニン民族理論における帝国主義論確立の意義(承前)

 a レーニンの階級的立場の否定

 そのひとつは、「レーニンが被抑圧民族を民族自決をかちとる主体として措定していない」論のインチキ性と反革命性である。これは、「階級唯一論」(一〇〇nほか)などというおぞましい用語での否定と一体のものである。別のところでは、「しばしば共産主義者が信じている思想」「まったく誤った自惚(うぬぼ)れ」(一〇三n)という表現で共産主義非難と一緒に出されている。これは、レーニンが階級的立場(共産主義)に徹底的に立脚していることを非難したいがためのデッチあげだ。レーニンがプロレタリアートの立場でものを言っているから、被抑圧民族を民族自決権をかちとる主体として措定しているはずがないというのだ。もっと言えば、「階級唯一論」つまりプロレタリアートの立場(共産主義)を離れなければ、被抑圧民族を闘いの主体として措定できないと言っているのだ。

 しかし、帝国主義論確立後に「労農同盟論」に改められるが、それ以前の「労農独裁論」のように、レーニンはプロレタリアートと並ぶくらいに農民を゛主体として措定゜している。そうした規定がなぜ出てくるのか。これは、白井のいう「階級唯一論」非難とどう関係するのか。もし白井が、レーニンは農民を主体として措定したが、被抑圧民族はそうでなかったというならば、それは「階級唯一論」が原因ではないことになる。被抑圧民族を主体として措定できなかったという時に持ち出すこの「階級唯一論」なる呪(のろ)いを込めたような用語はいったい何なのだ。これは、プロレタリアートの立場(階級的立場)の徹頭徹尾の拒否・拒絶である。

 白井はレーニンをまったく分かっていない。白井はわが党にいた時代、実践家としては優秀な一党員よりもはるかに劣る水準でしかなかったがゆえに、レーニンの優れた実践性(組織論の重視)こそが、偉大な理論の創造に貢献していることが理解できなかった。そのことまでは、まだ容認してもいい。しかし、「階級唯一論」なる反動的用語を持ち出して、「被抑圧民族を民族自決をかちとる主体として措定していない」と言うに至っては、断じて許せない。

 白井は、党建設論の創成期のレーニンが、党の意識性・計画性を強調し、単一の党、職業革命家の党をゴリゴリと強調したことが、激動する階級情勢への柔軟な対応のためであったことがまったく理解できていない。白井は、ソビエトの創成というプロレタリアートの自主的決起を前にして、なぜレーニンが断固それを支持できたかが分からず、ソビエト支持を打ち出したときにレーニンの「問題ある組織論」は否定されたのだと解釈してしまうような低水準なのだ。

 しかし、レーニンほど大衆の主体的決起から学び、理解し、認識し、措定し、それと結合しようとした人はいない。レーニンは『なにをなすべきか?』の段階から、労働者階級のみならず、あらゆる階級・階層の決起を措定し、それとの結合を前提にしているのだ。このことは『なにをなすべきか?』を読めば歴然としている。だからこそ自然成長性への拝跪(はいき)と闘ったのだ。だからこそ、労働者の経済主義的意識から決別した目的意識性を問題にしたのだ。だからこそ「単一の党」にこだわったのだ。

 レーニンが、マルクス主義を原則的に踏まえる厳格さとともに、その優れた実践性ゆえにロシア的現実に徹底的に立脚していること、特に、帝国主義論の確立で後に止揚することになるが、現実には帝国主義段階への突入がもたらす膨大な農民や民族、諸階層の存在とその闘いの革命性にどれだけこだわってきたことか。このことをレーニンから学ばなければ、いったい何を学ぶというのか。

 そもそもトロツキーが及ばなかったレーニンのすごさは、プロレタリア革命の立場に徹頭徹尾立ちながら、ロシアの特殊的階級関係と階級闘争の現実にとことん立脚することをとおして、農民や被抑圧民族を闘いの主体として措定したところにあった。「二段階革命論」なども、後のスターリン主義と同じだなどと安易に論じてはならない内実をもっている。それをつかむことなしに、帝国主義論の確立を論じることはできない。まして白井のように、一九〇五年革命のトロツキーの永続革命論的プロレタリア革命論を、黒田=カクマルと同じ一知半解で゛トロツキーにはすでに帝国主義論があった゜などと述べるようでは、レーニン帝国主義論の内容と意義がまったく分かっていないと言わなければならない。

 なお、この「レーニンが被抑圧民族を民族自決をかちとる主体として措定していない」論のインチキ性は、実は、マルクスとエンゲルスがアイルランドのことを論じている時、(イギリスの)プロレタリアートの立場から言っていることを「誤読」してみせたのとまったく同じ論理構造である。だが、ここでは、単なる「誤読」ではない。ボルシェビキも含むロシア・プロレタリアートに対して、被抑圧民族から連帯を込めた大ロシア主義弾劾がものすごい規模で行われているのに対して、白井は、抑圧民族のプロレタリアートの立場から自己を外し、被抑圧民族の立場に乗り移っているのだ。これは、七〇年「七・七」の時のML派とまったく同じである。彼らが乗り移ったこの立場から、被抑圧民族と一緒になってわが党を弾劾したのと同じように、白井はレーニンを批判しているのだ。

 白井は、被抑圧民族人民の、抑圧民族のプロレタリアートへの正当な弾劾を真正面から受けとめ、プロレタリア革命の立場から〈血債の思想〉をもって連帯し、帝国主義打倒に向かって闘うということを拒否しているのである。そして、被抑圧民族の立場に乗り移って、抑圧民族のプロレタリアートへの絶望に安易に同調し、゛現代革命は、帝国主義国からではなくアジア革命から起こる(白井のそれは主要に西アジアつまりイスラム民族という意味になっていることも問題だ)゜という主張に同調する。そして、゛プロレタリアートの立場に固執することは「階級唯一論」である゜とか、゛帝国主義国の革命を重視するのは被抑圧民族の民族自決の闘いを主体として措定していないことだ゜などと非難するのである。

 しかもこの場合、白井には゛帝国主義国におけるプロレタリアートだけではもはや勝てないが、被抑圧民族の民族自決(帝国主義からの分離)が帝国主義の経済的基礎を崩すから帝国主義国の革命も可能になる゜というような理解があり、あたかも被抑圧民族の民族自決が実現したら帝国主義が自動的に死滅する(せいぜい民主主義で勝てる)かのごときイメージすらもっているのだ。

 被抑圧民族の民族自決の闘いを措定するという時、プロレタリア世界革命の主体として措定することが重要なのだ。それは、抑圧民族のプロレタリアートが、プロレタリア世界革命思想の発露としての〈血債の思想〉をもった国際主義的連帯として、被抑圧民族の帝国主義からの分離独立(民族自決)を断固支持する時、被抑圧民族人民が帝国主義からの分離にとどまらず、帝国主義打倒へと主体的に飛躍することを容易にするという点にある。被抑圧民族の分離独立を正当な主張として支持するだけでなく、彼らからの厳しい弾劾を、連帯を求めた革命的援助として受けとめるということである。逆に抑圧民族のプロレタリアートがこの立場に立てなかったら、階級性を喪失して、帝国主義打倒の主体たりえないだけでなく、被抑圧民族の民族解放闘争がプロレタリア世界革命の一環として発展することを妨害することになるのだ。

 白井の「措定」論のインチキ性は、プロレタリア世界革命の主体としての措定ではないところにある。したがって、せいぜい帝国主義国のプロレタリア革命と、被抑圧民族の民族解放の二つの実体の機械的合流論のようなものであり、革命後も民族性は大事にせよという主張のみがゴリゴリとなされる。プロレタリア世界革命の内実がないのだ。それはプロレタリア世界革命というより、民族解放至上主義と言ってよい。その立場からプロレタリアートの立場を否定するのだ。

 b レーニン否定の非理論的デマ性

 いまひとつ、白井の狙いが帝国主義論に基づくレーニン民族理論の否定のための否定でしかないことを示す決定的言辞は、「グルジアのスターリン批判」の「賛美」の時に吐いた次の引用である。

 白井はここで、レーニンの一九二二年の「遺書」である「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて(つづき)」を引用して、「ついにレーニン民族理論の最高の到達地平たるプロレタリア国際主義の具体的な内容……が述べられた」と言っている。しかしその上でなんと「レーニンは冒頭での文言を著作のなかで今までにすでに述べてきたと言うが、断じてそうではない」と、わざわざレーニンの文言を力を込めて否定し、「このレーニンの『民族主義一般を抽象的に論じるな。抑圧民族の民族主義と被抑圧民族の民族主義を区別せよ。大民族の民族主義と小民族の民族主義を区別せよ』という文言は数多いレーニンの民族問題関連の論文、発言のなかでまったく初めての文言なのである。これこそレーニン民族理論の最後の到達地平である」(一七六n)と、これがまったく初めてなのだというインチキを強調するのだ。

 しかし、この思想の存在はすでに白井自身が八九nから一〇七nでレーニンを賛美した引用の中に十分に出てくる思想なのだ。あるいは一九一七年の革命ロシアの「宣言」の中に満ちあふれている思想である。なぜ、これが一九二二年に至って「初めての文言」なのだ!? 確かに、直接的にはここでスターリンとの決別という点で、より鮮明にさせた地平がある(激しさがある)と言ってもよい。しかし、ここで「初めてだ」と大騒ぎするのは、それまでのレーニンの思想を否定したいため以外の何ものでもない。でたらめそのものである。

 確かに「償い」の思想について、より踏み込んだ書き方をしており、異民族の最大限の信頼獲得のための、過去の態度への償いとして道徳的姿勢にまで及んでいる。しかしレーニンはここでもあくまで「粗暴な大ロシア人的態度が、プロレタリア的階級連帯の利益をそこなう」と言って、プロレタリア的連帯の利益の立場を強調していることを忘れてはならない。

 レーニンは、すでに帝国主義段階論の確立に基づく民族解放闘争の位置づけの決定的転換の中で、なおかつ一方で社会主義の条件の成熟が先進国にあることを繰り返し述べている。これは、被抑圧民族の分離・独立の承認が、それだけに終わらず先進国のプロレタリア革命の達成と植民地主義国家への償いによる、社会主義の条件の主体的・客体的形成と一体のものとして論じられていること、つまりプロレタリア世界革命の具体的実現に最大限接近する思想の中で論じられていることを読み取らなければならない。

 この世界革命の世界史的成熟と各国的な社会主義の条件の成熟度合いの違いというリアリズムに立った問題が、ローイやスルタンガリエフなどとの論争のベースにある問題なのだ。この土台に、レーニン帝国主義論に基づく民族理論が貫かれていることを理解していないとしたら、「七・七問題」はML派的な「乗り移り」か、せいぜい倫理的次元に終わらざるをえない。まして、先進資本主義国にしか社会主義が成熟していないという意味を、「進んだ西欧、遅れたアジア」などという脈絡でしか問題にしないとしたら、あまりにも当時のプロレタリア世界革命のリアリズムを喪失したものである。同じように白井は、一九四九年の中国革命の問題も、日本プロレタリア革命の問題と無関係に、ただただスターリン主義問題だけに帰してしまうのだ。

 この白井の「初めて」論は、「グルジアのスターリン批判」のすごさを強調したいがためについ口が滑った、単なるレトリックに過ぎないものだろうか。けっしてそうではない。その証拠に、直後にある引用の仕方の卑劣さをみよ。白井はここで、「グルジアのスターリン批判」までのレーニンがいかに問題があったかの証拠としてレーニン全集二〇巻から引用している。二〇巻まで(一九一四年八月まで)と二一巻以降の決定的違いは、あまりにも明白であるにもかかわらずである。

 白井は、なぜ帝国主義論確立後からの引用ではなく、帝国主義論確立直前の引用をもって「グルジアのスターリン批判」までは問題があったとして証拠だてようとするのか。その理由は、帝国主義論確立以降のレーニン民族理論の飛躍こそが「グルジアのスターリン批判」を可能にした決定的地平だからであり、けっしてここで「初めて」ではないからだ。このレーニン批判のやり方のこそくさ、意図的反革命性は、最悪である。この部分は、『民族本』が理論的文書ではなく、デマゴギーに基づく反動的扇動であることを最も鋭く示す個所である。

 c レーニンを「大国家主義者」に仕立てるペテン

 以上の二点以外の、白井によるレーニン「賛美」の否定を二、三触れておかなければならない。

 ひとつは、九六〜九八nで「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」(全集二三巻)に言及している部分である。ここで白井は、レーニンが「抑圧民族と被抑圧民族の区別」を明言していることを決定的地平として確認したあと、直ちに「しかしレーニンはそこ(民族自決権の徹底的・全面的承認)に到達するまでなお距離がある」と書いている。そして、その証拠として、「小国家への人類の細分状態と諸民族のあらゆる分立とをなくし、諸民族の接近をはかるばかりかさらには融合させることである」(全集二二巻『社会主義革命と民族自決権』)というレーニンの論点をあげて、「レーニンは大国家主義者」と非難しているのである。

 これを「大国家主義への融合」と解釈するのは、白井の悪意ある読み方以外ではない。レーニンが「小国家への細分状態」と言っているのは、人類という角度からみた場合(白井のいう大国家も含めて)、「小国家に細分されているような人類の状態」を問題にしていることは明白である。しかし重要なことは、白井はこのようにレーニンを大国家主義者に仕立てあげて、実はレーニンの「諸民族の接近をはかるばかりか、さらには諸民族を融合させる」思想そのものに反対し、レーニンが゛そのためにこそ民族自決権と分離の自由を明確な政治綱領にするべきだ゜と言っていることを、大国主義に基づく排外主義としてしまうのだ。

 しかしレーニンは、白井が引用した部分の直後に「人類は、被抑圧階級の独裁の行われる過渡期を通じてはじめて階級の廃絶に到達できるのであるが、それと同じように、人類は、すべての被抑圧民族の完全な解放、すなわち、それらの民族の分離の自由の行われる過渡期を通じてはじめて、諸民族の不可避的な融合に到達できるのである」(全集二三巻一六九n)と言い、むしろ完全な民族解放が先決問題だと強調しているのである。

 なおここでレーニンは「自決権と連邦制との関係」を論じている。その後、レーニンの「最後の闘争」で、スターリンに対して、連邦制の内実として〈民族解放=分離の自由のもとでの連邦制〉ということをいうのだが、その思想はここで百パーセント同じ形で展開されているのである。さらに、一〇七nのものすごい「賛美」の後の、一〇八nのその否定のくだりは、露骨に「プロレタリアートの階級闘争の利益」を相対化し、階級的利益=階級性を判断基準にすることを否定している。ここには、「階級的利益」についての白井の理解の貧困さ、とりわけ『宣言』に書かれているようにプロレタリア自己解放の世界史的実現の論理を基準にすることの決定的意義を、白井がまったくとらえていないことが如実に示されている。同じことは、ロシア革命以降の論述部分でも繰り返される。たとえば一二八〜一三〇nで、革命ロシアの「ロシア諸民族の権利の宣言」を引用している。これ自体は実に偉大な思想を表現している。白井も「この宣言は真に偉大である」と言っている。だが、白井がもし本当に偉大だと思うならば、このような宣言がなぜできたのかを、白井は興奮をもって明らかにするべきなのだ。ところが、白井は、すぐに「しかし……複雑かつ屈折したものとならざるをえなかった」と続けて、その否定へ進んでしまうのである。

 (3) レーニンを「民族爆砕」論者と非難し憎悪を扇動

 第二に、白井のレーニン否定のための驚くべきデッチあげ的すり替えとペテンの中でも、最も悪質なのは、レーニンを「民族爆砕論」者(一〇九n)に仕立てたことである。ここは、白井が帝国主義段階のレーニンの民族理論の問題性・限界なる形で批判を続けてきた最後に、わざわざ一節を設けて、「まとめ」の前に書かれたものである。つまり、白井が単なる「問題性」や「歴史的限界」論をこえて、レーニン主義を否定し断罪に転ずる決定的位置をもたせる意図をもって書かれたところであり、この本の最も核心的なところである。

 ここで白井は「これらの先進国(イギリス、フランス、ドイツその他)では、民族問題はずっとまえに解決ずみであり、民族的共同体はずっとまえにその命数がつき、『全民族的な任務』は客観的には存在しない。だから、いま民族的共同体を『爆破』し、階級的共同体を建設することができるのは、これらの国だけである」(全集二三巻五八n。強調はレーニン)を引用して、許すことができないペンテ的な偽造を行うのである。

 白井は、この引用の「民族的共同体の『爆破』」をまず「民族爆破」にすり替える。そして「民族爆破とは、一体どうやってやるのか?」などとふざけた書き方をして「そんなことは不可能だと誰でも判るはずである」と言い、勝手にデッチあげたこの「民族爆破」という、まったく異なる概念に向かって延々と批判を展開するのである。いわく「レーニンの民族爆破の思想」は、「言語共同体の爆破」であり、「同化主義」「母語の抹殺、民族文化の抹殺、抵抗するその民族の指導的集団の大規模な虐殺」「大民族の世界制覇」を意味し、「それ以外に考えられない」などと。そして、「レーニンの心の底には」こういう「発想があったのだと思う」と。

 このようなレーニンに関するワラ人形をデッチあげて、さらにレーニン批判を展開し、「これは西欧キリスト教文明だ」とか、「イスラム教、ユダヤ教そのものを知り、それらの民族の歴史を研究する必要が否定されてしまう」とか、「民族を徹底的に軽視する思想」であるとか、「レーニンがたびたび強調した民族の融合」とはこういうことだったのだとか、わずか二ページの間に聞くに堪えない罵倒(ばとう)を繰り返すのだ。

 ところが、この白井のペテン性とデマゴギー性は、「民族爆破」概念へのすり替えだけではない。そもそも白井は、この文言を、論文「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」における、ペ・キエフスキーへの批判の展開から完全に切り離している。実は、ペ・キエフスキーこそが、レーニンたちの主張する「民族自決権」に反対して、「われわれは、この過程(社会的変革)をブルジョア(!!)国家の国境を破壊し、国境標をとりのぞき、民族的共同体を爆破し(!!)、階級的共同体を建設するあらゆる(!!)国のプロレタリアの統一行動として考えるものである」(全集二三巻五七n)と主張しているのである。これはペ・キエフスキーの主張であり、(!!)はレーニン自身による書き込みである。

 これに対してレーニンは、帝国主義的抑圧民族=先進国=帝国主義国と被抑圧民族(国家)を区別して、帝国主義国家での「祖国」(括弧はレーニン)や民族運動はすでにその歴史的役割を果たしてしまった、「これらの国で歴史の日程にのぼっているものは……政治的に自由な文化的祖国へうつることではなく、命数のつきた、資本主義的に爛熟(らんじゅく)した『祖国』から社会主義へうつることである」(三四n)と言っているのだ。そして、こうした帝国主義国の人間が「現在の戦争における祖国擁護を口にするのは、うそを言うことになる。というのは、彼らが実際に擁護しているのは、母語ではなく、自分の民族的発展の自由でもなく、奴隷所有者としての自国の権利であり、自国の植民地であり、他国における自国の金融資本の『勢力範囲』その他だからである」(三四〜三五n)と言っているのである。

 つまり白井が引用したレーニンの「先進国の民族共同体」とは、明白に帝国主義国のことであり、「民族共同体」とは「祖国」概念のことを指しているのである。レーニンのここでの文脈は、被抑圧民族では帝国主義時代でも自決のために闘うのだということであり、逆に帝国主義国の「祖国」(民族共同体)は今や肯定的に押し出されるものではなく、反動的だ、そういう国々では「祖国」ではなく「階級的共同体」(社会主義)へ移るのだと言っているのである。実際問題として、帝国主義国では民族の名で国家を形成していくなどということは、プロレタリアートにとってありえない。社会主義に向かって進むのみなのだ。その場合、あえて言えば、民族問題は帝国主義的排外主義との不屈の闘争(民族的腐敗からの自己脱却)というネガティブな契機としてあると言える。しかし、民族的なものがストレートに絶滅されるわけでもなく、できるわけでもない。しかし、それは社会主義建設のキーワードには絶対にならないということなのだ。なるとすればそれは、排外主義の歴史への償いと排外主義イデオロギーの克服の闘いとしてである。

 ここの「爆破」は、ぺ・キエフスキーの表現であり、レーニンが自らの思想をポジティブに主張するために用いている概念ではない。だからレーニンは「爆破(!!)」と(!!)を付けたり、括弧を付けているのだ。白井は、このことを知っていながら、それを隠蔽(いんぺい)し、あたかもレーニンによる積極的概念であるかのようにすり替えるという、およそ信じられない、卑劣なことを平然と行っている。まったく破廉恥と言うしかない。「レーニン民族理論」などと麗々しく打ち出して、レーニンを「民族爆砕」論者に仕立てて憎悪をすらあおり立てているこの本の核心の部分が、実は原文と照合すればすぐにばれるデマゴギーでしかないということである。

 しかし、逆にレーニンは、被抑圧国では民族共同体はこれから獲得するのだ、それを否定するのは反対なのだと必死で言い続けているのである。民族の問題は、分離の自由の完全な保障のもとでの、社会主義のもとでの諸民族の接近と融合という方向で考えられており、レーニンはそれを言い続けているのである。白井は、それを超デマゴギッシュに書き換えて、レーニンを「民族爆砕」論者に、さらには被抑圧民族爆砕論者にまで仕立てあげ、大民族の植民地民族への「同化主義」や「民族文化の抹殺」「世界制覇」にまですり替えてレーニン思想にしてしまい、゛レーニンの「民族融合」の思想の正体を発見した!゜などとと叫んでみせるのだ。すり替えやデマゴギーの低劣さはもちろん、白井の本質が丸見えではないか。

 『民族本』の反革命的意図は、この一〇九〜一一二nに、理論的低水準、下劣さを伴って凝縮している。ここで、それまでの帝国主義論の確立の「賛美」や、レーニン民族理論の飛躍への「賛美」が百パーセント転覆されるのだ。むしろ白井はその数ページ前で「賛美」させられた分のうっぷんを払うかのように、このようなデマゴギー的手法をもって、レーニンについて最も言いたかったことを思う存分吐き出したと言ってよい。ここは白井のレーニンへの憎悪の情念の噴出である。しかし、この最も言いたいことをデッチあげや見え透いたすり替えでしかできないで、「理論」などというのだから、あきれ返ってものも言えないというものだ。(つづく)
 島村伸二「革共同への反革命的敵対行動を売り物にする白井朗を粉砕せよ 下 白井『二〇世紀の民族と革命』の反革命的本質」。
  

 第3章 レーニン主義世界革命論に対する憎悪込めた否定

 (4)スルタンガリエフ批判=レーニンの一国社会主義論への転落というウソ

 第三に、「ウクライナ民族の自決問題」や「グルジア問題」についての白井の歴史的総括も、以上のような゛帝国主義論確立以降ですらレーニンには問題があったのだ゜ということを「立証」する悪質な政治的意図をもって書かれているのだから、どれほど歴史的事実を並べても、一片の客観性もないのである。

 何よりもここには、ロシア革命という偉大な闘いがもたらした革命的激動、さらに、国際帝国主義の白色テロル的介入による巨大な内戦下の動・反動の激突と、それゆえに発生する様々な矛盾・軋轢(あつれき)・大混乱に対する白井の根本的姿勢の問題性が露骨に表れている。白井は、共産主義者として、そのロシア革命の苦闘の真っ只中に自らを投入して、力量の小さなボルシェビキを措定して考え抜くことをまったくしていない。特に、「ボルシェビキ」という用語をここまで外在的に、なんの苦渋もなく、平然と、ただ批判の対象としてのみ語っていることは、白井がいったいどこに立ってものを言っているのかを鋭く表現している。

 これが一介の学者の研究であるならば、一定の限定の上で読むことも可能である。だが、白井の場合には、そうはいかない。ボルシェビキ(つまり革命的共産主義者)の苦闘にリアルに身を置いて総括しないとしたら、それはそこからの離脱しか意味しておらず、我慢ならない問題なのだ。

 日本のわれわれの「小さな闘い」の経験ですら、力関係のギャップが起こす矛盾や混乱は数多い。革命運動とはもともとそういうものだ。未熟であればあるほど、敵はそこを突いて攻撃してくる。激突・激動の中で党の未熟さなど、これでもかこれでもかと、徹底的に試練にさらされるのだ。しかし階級闘争は、そこで未熟であったり、矛盾が激化したり、混乱を起こすから問題があるのではなく、それを主体的にどのように総括して前進していくのかこそが問題なのだ。そういう問題がロシア革命の只中で、はるかに巨大な規模で起こったのだ。鋭い感性で自らをボルシェビキ的主体として措定しない総括など、あっという間に吹っ飛び、反革命の餌食(えじき)にされるだけだ。実際白井は、ただ反革命の餌食にされただけではなく、今や居直ってそれを「理論化」することによって、自ら反革命へと転落したのだ。

 われわれは、白井が書いているように、ここでボルシェビキ自身が大ロシア主義思想に染まっているがゆえの混乱を、いくつも見いだすことになる。それはそれで厳しく教訓化すべき重要な死活的テーマである。しかし、ロシア革命と革命後の国際的内戦の過程を、ただこの一点で全面的に否定的総括をすることなど、断じてできない。いわゆる「七・七問題」は階級性にかかわる重要な問題の一つではあるが、階級性のすべてではない。労働者自己解放理論に基づく共産主義思想の土台の上に、帝国主義段階の民族問題がつきつける「抑圧民族と被抑圧民族の区別」とそれに基づく〈血債の思想〉が、戦略的大きさをもつものとして位置づけられることが必要なのだ。ところが白井の歴史叙述は、マルクス主義の思想、帝国主義論の確立の決定的意義を太い軸にして総括するのではなく、その否定のために総括されているのである。

 ここでは、スルタンガリエフ問題も、白井はこの総括の方法という次元で根本的に駄目であるということ、根本的姿勢に致命的な問題があるのだということを確認しておくにとどめる。それは、「スルタンガリエフの提起したアジア革命のロシア人ボリシェビキによる事実上の否定は、一国社会主義論の容認、プロレタリア世界革命の否定であり、労働者国家変質のメルクマールだという見解を本書で提出する」(一二一ページ)という文言に明白である。つまりボルシェビキは、レーニンの時代からスターリン主義に転落していたという見解である。

 あるいは、ロシア革命とレーニン・ボルシェビキの政策(民族自決宣言など)こそが、巨大な規模でアジア・アフリカの民族運動を爆発させていったことを無視して、革命前の「レーニンの頭脳にはアジア、アラブ諸民族はまだしかるべき位置をしめてはいない」などと言い、レーニンの「みとおし」のなさ、「鈍感」などと平然と語っていることにも明らかである。

 その上でコミンテルン第二回大会の「民族・植民地問題のテーゼ」に対して、白井が「帝国主義の時代総体を通じて生命力をもつテーゼとして扱うのは論外である」(二三二ページ)などとたわごとを言っているので、一言しておきたい。【この文言は、白井が革共同の「民族解放・革命戦争論」の形成にいかに非主体的であったかを示すものである。故本多同志や清水同志を先頭とする当時の革共同の指導的同志たちにとって、中国革命・ベトナム解放戦争の経験は決定的であり、この「民族・植民地問題のテーゼ」を重要な理論的手がかりにして、初めて革共同の「民族解放・革命戦争論」は形成されたのである。】

 まず、レーニンとローイの論争において、レーニンもローイも従属国での革命運動と先進国革命とが、世界革命の成功、共産主義の樹立に向かって結合されなければならないという点では完全に一致していたこと、その上で、後進国・従属国における、現実に民族ブルジョアジーが主導する民族解放運動に対してどういう態度をとるべきかということと、ひいては民族解放と民主主義の課題に対する後進国・従属国の革命運動の方針が問題となったことを押さえておかなければならない。

 この論争を経てレーニンは、世界革命と共産主義に向かって従属国のプロレタリア・農民の革命運動の意義でローイと一致しつつ、ローイの先進国プロレタリアートへの不信を示す表現には反対し削除している。同様に、ローイによって繰り返し出される植民地革命が世界革命の帰趨(きすう)を決するかのような表明も削除している。
 しかしさらに重要なことは、ローイが、従属国の革命運動における民族解放の課題をブルジョア民主主義的課題として否定的に評価するのに対して、レーニンは、ブルジョア民主主義的課題であっても民族解放の課題を過小評価することなく革命的な農民・労働者の課題とすべきだと強調したことである。
 白井は、ローイのこの過小評価が、自己の見解と異なるのだから詳しくあげて検討しなければならないはずである。ところが白井は、それを隠蔽(いんぺい)しているのである。そして「帝国主義を打倒するプロレタリアートに依拠した民族解放革命を主張したローイ」「ローイの指摘するとおり労働者・農民の利益にふまえた民族独立運動は当然共産主義者の肩に背負われる」(二三三〜二三五ページ)などと言っているが、まったくのペテンである。
 あえて言えば、この論点こそレーニンの論点であり、ローイはこれに反対してレーニンから批判されたのである。白井は実に卑劣なデマゴギーをここで言っているのだ。これは白井が、あくまでレーニンをスターリン主義発生の起源としたいがため、スターリン主義に手を貸した者にしたいためのペテンなのだ。
 そして白井は、ローイが先進国プロレタリアートに不信を表明し、植民地革命こそが世界革命の帰趨を決する、とした点を最も評価したいのである。しかし白井のローイ評価は、ローイの主張にはらまれる問題性との格闘を含まない評価であるために、単なるのっかりに過ぎず、したがってそこにある糾弾的要素への主体的受けとめも、まったくしようとはしないのだ。
(ここで白井がどれほどペテン的であるかは、『共産主義者』一二三号山村克(白井)の「自己批判」一三八n上段二一行目〜一三九n上段一七行目をあわせて読むとよく分かる。参照されたい。)

 (5)ユダヤ人問題における悪意ある総括

 第四に、白井はいたるところで「単一党」思想を承認するような口ぶりをしながら、実際には「単一党」思想を否定している。
 スルタンガリエフとレーニンの対立のきわめて重要な核心に「単一党」か「連合党」かがある。それもけっして双方において単純ではなく、色々なデリケートな問題をはらんでおり、またスルタンガリエフも歴史的経過で意見が変わっていくところもある。ところが、白井は、このデリケートな問題を全面的に対象化して論争全体をつぶさに検討する方法をとるのではなく、レーニンだけを問題にし、スルタンガリエフはすべて正しかったかのような叙述をすることによって、結局は「単一党」思想を否定するのである。

 われわれは、ロシア社会民主党の創成期における「ユダヤ人ブンド」の問題を、帝国主義論の確立とレーニン民族理論の飛躍的発展の地平からとらえ返し、そこにおけるレーニンとボルシェビキの民族問題に関する問題性をとらえ直すことはきわめて重要であると考える。しかし、そのことが、党組織論として争われた「単一の党」か「連合党」かの論争においてユダヤ人ブンドが正しかったということには断じてならない。これは、民族差別・排外主義を始め、あらゆる差別主義の問題の深刻さの認識に基づくがゆえに、さらにはっきりさせなければならないことなのだ。

 このユダヤ人ブンド問題では、白井は七四〜八八ページで一項目設けて、レーニンによる「連合党」批判について、「ツァーリズムを打倒するたたかいを勝利に導くためには、『あらゆる民族のプロレタリアートのもっとも緊密な団結』の実現を図る必要があり民族ごとに党組織が区分されるという連合党では役にたたない、もっとも緊密な団結は中央集権的な単一党でなければならない」という主張を紹介している(八〇ページ)。

 そして「その主張は一見合理的だが」として、しかし「それを判断するためにはこの時点において、レーニンがユダヤ民族の民族解放についていかなる理解をもっていたのかを具体的に検討しなければならない」と言っている。そして、そこで問題があるがゆえにレーニンの「連合党」批判には問題があったというこそくな論法を使って、事実上「単一党」論を否定しているのである。

 白井は、けっして「単一党」の主張の正しさをがっちりと確認した上で(つまりユダヤ人ブンドの間違いをはっきりさせた上で)、民族問題を検討する方法論をとっていない。そして、当時のレーニンとボルシェビキのユダヤ民族の解放闘争に関する問題性をもって、その批判をマルクス主義者そのものの問題性にまで一般化しようとする(八三ページ)。だがこの白井の批判は、白井自身が六四〜五年の日韓闘争の時はもちろんのこと、七〇年「七・七」弾劾以前において、(否、西山論文で鋭く暴かれたように、それ以降現在に至るまで)自己が一体どうだったのかを一片の反省もしない「高み」からのものでしかない。

 白井は、レーニンを途中で「勇み足」「いきすぎ」などとあたかも゛好意的"に総括しているような形をとりながら、最後に、「(レーニンによって)事実上ボリシェビキに異論を唱える異民族はやっつけてしまえ、民族自決など問題外という精神だけを注ぎ込まれたと考えるべきではないか?」(八八ページ)などと、悪意ある総括をしている。白井の反革命的悪質さは、ここに鮮明に示されている。

 (6)中核派をスターリン主義と規定することが白井理論の犯罪的な核心だ

 第五に、白井が、一方で帝国主義論確立後のレーニンの民族理論の飛躍的発展を承認せざるをえないにもかかわらず、なぜこれほどにも帝国主義論の確立の意義について否定的なのかということである。それは、白井がわが党から脱落しただけでなく、権力の庇護(ひご)のもとに反党活動を推進することを決意したことと無関係ではない。『民族本』の際立った特徴は、スターリン主義規定の変貌(へんぼう)である。白井自身が『民主派本』で正直に述べていることだが、権力に屈服した後の白井は、わが党への敵対行動を開始するために、わが党をスターリン主義呼ばわりすることにしたと言っている。実は、これが決定的変質の核心なのだ。この必要性から、スターリン主義規定をより一層、反革命的に変更したのだ。

 白井は、わが党にいた時代は、「一国社会主義論とそれに基づく世界革命の放棄」というスターリン主義の本質規定を、相対化してはいても完全に否定してはいなかった。ところが、この本の最大の特徴のひとつは、それを完全に否定していることである。より徹底的にスターリン主義問題を民族問題に収斂(しゅうれん)させ、スターリン主義規定を「民族消滅論」に基づく民族抹殺思想であるとしている。

 そしてその証拠として、レーニンの最後の闘争が「グルジアのスターリン批判」であったことと、九一年のソ連スターリン主義の崩壊が民族政策の破綻(はたん)であったことをあげ、すべて民族問題であったとしているのである。しかし、九一年のソ連スターリン主義の崩壊を、民族問題だけに収斂させるのは、事実にも反し、明白に誤りである。だが、白井は強引にそこにのみ収斂させて、スターリン主義の根本問題は民族抹殺思想であるとしているのである。

 そしてすでに暴いたように、「グルジアのスターリン主義批判」以前のレーニンとボルシェビキ自身がスターリン主義的であったということを懸命に立証しようとしている。『民族本』を要約するならば、@「グルジアのスターリン批判」が決定的→Aそれまでのレーニンは帝国主義論確立後の民族理論はすごいけれどやはり問題があった→Bしたがってスルタンガリエフとの論争にみられるようにボルシェビキも全部問題があった→Cだからスターリン主義が生まれた、ということである。

 そして、その証拠として、一国社会主義論を唱える以前から、スターリンとボルシェビキはグルジア問題で決定的犯罪を犯していた、すなわち一国社会主義論に先行してグルジア問題で犯罪を犯したことが決定的であり、したがってスターリン主義の本質は民族抹殺思想であり世界革命の放棄ではないという展開をしているのである。

 しかし、スターリンが一国社会主義論をそれとしてうち出す以前も、〈国家権力をとった〉という現実、その党であるという現実を自己の官僚的利害から絶対化し、プロレタリア国家の防衛・強化のためという口実で自己の既存の権力を強化しようとする一国社会主義論的なロジックが、そこにはすでに働いていたのである。端的に言えば、〈国家権力を握った〉階級の党だということが、スターリンの排外主義的凶暴化を合理化し、一層強化していったのだ。このことを、白井はまったく踏まえていない。

 一国社会主義論は、〈国家権力を握った〉階級の党とその理論的変質としてとらえるべきであり、それゆえに、それが社会主義の名のもとに行われることによって、民族抹殺や農業強制集団化などのよりすさまじい凶暴性を発揮するものになったのだ。

 だが白井は、スターリン主義の本質として一国社会主義論があることを否定して、゛スターリン主義とは民族抹殺の思想である、スターリンの民族抹殺思想の根幹にはレーニンの「民族爆砕」論がある、したがって「正統マルクス・レーニン主義」に立脚する中核派はスターリン主義だ"というのである。このことが、『民族本』全体で、白井が民族理論の形をとって言いたいことの核心なのだ。

 (7)白井の「西欧中心史観」批判の反動的正体

 最後に、白井がわざわざ「終章」として別個に設け、『民族本』の全体をとおして述べている反「西欧中心史観」の反動的主張について一言しておく。

 まず第一に、白井のこの主張が、マルクス唯物史観(その確立である『ドイデ』)の否定と直結したものであるという点で、マルクス主義の根幹を否定するものだということである。白井は、@ヘーゲルのギリシャ・ローマ・ゲルマンという西欧中心の図式、Aマルクスの奴隷制・封建制・資本制の発展段階説、Bスターリン主義によるその各国史への機械的適用を、ほとんど同列に並べて論じようとしているが、これは後日問題にしたい。ここでは、白井の唯物史観否定が、゛各国史に機械的にあてはまらない→世界史一般の歴史観としては反対だ”として、実に安直な歴史観の「創造」を唱えていることだけをおさえておきたい。

 マルクスとともに、われわれにとっては、世界史一般がまず問題になるのではない。世界史の一定の段階で資本主義経済が(一定の必然性をもって)形成され、あるいは登場し、さらにその資本主義が帝国主義段階化し、世界をその原理で大きく支配している、または支配しようとしている現実こそが問題なのだ。主体的に言えば、そこでプロレタリアートの世界史的登場があり、その自己解放の思想として共産主義思想が生まれ、この共産主義の世界史的登場、その一般的普遍性の中で、こんにち世界史を根本的に転覆し変革することが可能になっているということが問題なのだ。このプロレタリアートの解放的世界観から、世界史の全面的とらえ返しもテーマとなり、「西欧中心史観」を打破した世界史の研究や整理が可能になっていくのであり、その拠点・論拠として唯物史観が武器になるのである。

 ここからとらえ返すならば、西欧中心史観とは、世界史の資本主義的発展が西欧を中心にして始まったがゆえのブルジョアジーの自己合理化の史観であり、「支配階級の思想は、どの時代でも支配的な思想である。つまり、社会の支配的な物質的力である階級は、同時にその社会の支配的な精神的力である」(『新訳ドイツ・イデオロギー』七二ページ)ことを文字どおり証明しているに過ぎない。

 第二に、白井のこの「西欧中心史観」批判は、六〇〜七〇年代の民族解放闘争の歴史的高揚の過程での新植民地主義体制諸国人民からの激しい弾劾と、それを受けた七〇〜八〇年代の歴史学界のある種の「流行」に、わが党が遅れているという意識に突き動かされている。特に、民族解放闘争の歴史的高揚過程ではそれが、一部にはマルクス主義否定をも強くはらんで展開されたが、白井は、それに無批判的にのっかったに過ぎない。七〇年「七・七」の時の鋭い弾劾と自己批判から身を避けて、けっして正面に立とうとしなかった白井は、ずっと後になって「西欧中心史観」批判に接して打撃を受け、マルクスの歴史的知識が、当然であるが十九世紀的限界に規定されていることからマルクスにも問題があると思ってしまい、なんとそれをもってわが党の中では大発見をした気分になっていたに違いないのだ。

 白井は、『民族本』で、レーニンやボルシェビキを「ヨーロッパ人的偏見」にとらわれているとさかんに問題にしている。イスラム人民から突き出される歴史的事実に立脚して、イスラム文明の認識の欠如を執拗に問題にしているのだ。しかし、ロシア(先進帝国主義)に対するタタール民族あるいはイスラム人民の弾劾を〈受けとめる〉ことと、それに〈のり移る〉こととは別である。白井が、〈ロシアとイスラム文化〉の問題を先進帝国主義とその人民への被抑圧民族からの糾弾と弾劾として受けとめるならば、日帝下の抑圧民族の人民としての痛みや反省を伴う文言なしでは、「西欧中心史観」批判など絶対に語れないはずだ。なぜならば、同じ「西欧中心史観」とはいっても、西欧でもないのに日本ほど「西欧中心史観」を取り入れている民族はほかにないからである。つまり、「西欧中心史観」が〈西欧対アジア〉の問題では断じてなく、資本主義問題であり、帝国主義と植民地問題であることを最も醜悪に示しているのが、日本の「西欧中心史観」なのだ。

 だが、白井はただロシア人が問題にされているとしか理解せず、帝国主義の問題としてとらえず、レーニンやボルシェビキが大ロシア主義だと弾劾して見せるのだ。これは破廉恥以上である。白井がアジア人民からの弾劾に一度も向き合った歴史がないことを最もよく示しているのが、この「西欧中心史観」批判なのだ。

 第三に、ロシアの帝国主義的民族抑圧へのタタール民族の弾劾は、抑圧された民族としての自己主張でもあり、資本主義的・帝国主義的歴史観への別の歴史的存在の対置でもある。したがって、それには〈受けとめ〉と反省的契機こそが必要なのだが、白井は、単純にその歴史的事実に〈のっかる〉こと、つまり取り入れることしかやっていない。そしてそれを取り入れたから、あたかも自己が西欧中心史観から無縁の立場に立ったかのように思っているが、実はそれがでたらめなのだ。

 例えば『民族本』の三〇三ページあたりで「ギリシャ・ローマ文化はひとつの高い地点に到達していたことは疑いないが」としながら、あくまでも西欧中心史観批判を貫こうとして、「(しかし)ギリシアは……未だ民族的統一に達していない」とか、「ローマは巨大な征服王朝であって異民族を多数含んでおり、やはり統一民族とはいえない」、だから西欧中心史観は成り立たないのだなどと言い、でたらめというよりも白井の底の浅さを暴露してしまっている。

 しかしまずひとつは、「ギリシャ文化」を即無批判的に西欧に入れているところに、白井自身が西欧中心史観から必ずしも自由ではないことを示している。また、ローマは「他民族を含んでいたから」というならば、白井が対置する、同じ秦・漢時代の中国はどうなのかと言いたい。殷が夏を滅ぼし、周が殷を滅ぼしたとき、互いに異民族であった。秦が帝国として統一したときは明白に多民族国家であった。秦を引き継いだ漢が越をインドチャイナ半島に追いやった時はどうか……。

 このように中国でも多数の民族が統一されたり、追いやられたりしていたではないか。蜀漢の孔明が、異民族を次々と服属させていったことは、『三国志』にまで書かれているが、白井は読んだこともないとでも言うのか。つまり白井の西欧中心史観否定など付け焼き刃でしかないということだ。

 西欧中心史観に対してイスラム文明が栄えた時代があったことを対置することは正しい。しかし、白井はただそれにのっかって、「トルキスタン、アフガニスタン、インドのかなりの地方、インドネシア、フィリピン南部にまで波及し、イスラム教徒としての信徒共同体へのつよい帰属意識が、ムスリムとしての民族的一体感を生みだし、アラブ民族を中核にイスラム文明へのつよい帰属意識をもつ人びとを世界各地につくりだした」(三〇五ページ)とまで言い、ムスリム文明をことさらに賛美するのである。だが、逆にこれはそれぞれの諸民族の多言語、多精神文化を無視した表現でしかない。

 スルタンガリエフの主張には、「汎イスラム主義」的要求(タタールを軸にしてイスラム帝国の最も栄えた時代の全体的統一の復活要求)がはらまれているのだが、大ロシア主義批判へのレーニンの受けとめが、同時にこのスルタンガリエフの見解への同調とは必ずしもなりがたいのだ。現実にはきわめて難しい問題なのであり、実際、イスラム人民の中からも、スルタンガリエフの「汎イスラム主義」に対して批判と抵抗が相当あった。そうである以上、レーニンが即同調とはならなかったことは当然である。白井は、これをもって「ロシア人が判断する(あるいは党が判断する)思想がある」などという非難に転じているが、ここまでくると悪質な扇動である。重要なことは、白井の西欧文明に対するアジアの対置には、隠蔽(いんぺい)された大アジア主義の匂いがふんぷんとしていることである。

 西欧よりも早くアジアが民族形成をなし遂げたかどうかが問題なのではない。繰り返すが、世界史と世界交通・世界市場が、どう形成されてきたかが問題なのだ。始まりは偶然だが、中国交易市場、地中海交易市場、東南アジア交易市場、インド洋交易市場、イスラムの地中海=インド洋=東南アジアの交易市場、モンゴル=中国=中央アジア=アラブの世界的・ユーラシア交易市場等々……が、それぞれ歴史的に継起しつつ、互いに刺激しつつ、相互に契機となりながら、最後的にいったんヨーロッパに収斂されることで「大航海」時代を開き、それによって世界市場へ、世界交通へと世界史が必然的に形成されてきたのだ。

 そして、世界革命の前提としての世界市場・世界交通が、どのように諸文明によって形成され、それがどのように世界資本主義の転覆をとおして共産主義へと引き継がれていくか、それがわれわれの問題なのである。それ以外に、いったん人類史の前史で全面的に美化されるようなものがあるというのか。世界革命と労働者自己解放をとおした世界共産主義のみが、一切を止揚するのだ。それまでの歴史は、発展は悲劇として、進歩は反動として、解放は疎外としてしかありえないのだ。

 最後に、白井の民族規定とりわけ「言語共同体」論と「民族の永続性」についても批判的に検討しなければならないことを付言しておきたい。この規定は、そもそも「在日」の二世・三世が日本語を母語化してしまっても、民族意識が強烈に育成されている現実にも立脚していない。これは、ひとつの例に過ぎないが、しかしわれわれにとってきわめて重要な事実である。さらに、民族規定も、資本主義における国民経済の成立、帝国主義の民族抑圧の中で問題になってくるのであり、それを近代以前の「民族」と二重写しにさかのぼって論じることはできない。

 さらに白井の「民族の永続性」論は、抑圧と分断ではなく、〈融合がどうしたら実現できるのか〉の、困難ではあるが切実な問題を切り捨て、反対している点で断じて同調できないものである。革共同への反革命的敵対行動を売り物にする白井朗を粉砕せよ。(了)


 「日帝を擁護し闘うアジア人民との連帯に敵対する白井朗を粉砕せよ 『中核派民主派宣言』を断罪する  西山信秀」を転載しておく。

 はじめに

 白井朗はこの間明らかにしてきたように、権力に屈服し、その庇護(ひご)のもとで革共同への反革命的敵対行動を売り物にし、腐敗・堕落し、変質した許し難い人物である。革共同から脱落し、転向し、反革命カクマルに屈服し、革命的共産主義運動を汚し、破壊することを目的としている許すことのできない反革命分子である。白井の反革命出版物は思想的腐敗と堕落の極みにあり、人格的腐敗にさえ至っている。『二〇世紀の民族と革命』(以下『民族本』)も『中核派民主派宣言』(以下『民主派本』)も、底なしの転向、腐敗の極致である。

 白井の「理論闘争」なるものの反革命性と低水準ぶりは、本紙一九八五号から三回にわたって掲載された島村伸二論文によって徹底的に暴き出され、完膚なきまでに批判された。白井は卑劣にも同一九四四号の西山論文が入管闘争論的内容であり、全体の八行に対する批判であることから、『民族本』の批判にならないなどと批判をかわそうとしたが、島村論文によってその策動は完全に破産した。西山論文が『民族本』の八行を批判した意味、「七・七」問題の何たるかも分からない白井は、『民族本』のどこを取り出しても同様に批判されるべき内容であることが分からないのだ。白井は民族問題、(帝国主義と)民族植民地問題を論じ「七・七」や血債の立場を語りつつ、日帝下の日本人民(抑圧民族人民)である白井自身の入管闘争について、その決定的弱点をさらし、致命的誤りを犯したのである。ここで誤れば、民族問題の具体的実践的解決を誤ることは明らかであり、「全理論」が崩壊するのである。

 白井は「七・七」で革共同が何を問われたのかをまったく語れない。そこに身を置くことなく七・七自己批判を論じ、血債を論じることはできない。そのことを西山論文への「反論」においても完全に欠落させ逃げている。『民主派本』やインターネットに載せられた白井の「反論」は、まったく入管闘争を語ることなく、『民族本』の反革命的主張をさらに深めているだけである。そこにあるのは毒々しい悪意に満ち満ちた、低水準で「知性」のカケラもない言辞である。まるで在日アジア人民に乗り移ったかのような反革命的記述であり、許すことのできないものである。これを徹底粉砕することは、革共同の「連帯し」の実践そのものである。本稿では、白井の「反論」なるものと『民主派本』の反革命的展開を徹底批判していきたい。

 金石範氏からの引用で破産し在日人民への「日本国籍」強要

 (1)『民主派本』の最後の十三行部分の徹底的批判の前に、まず、白井が試みた西山論文への反論ならざる「反論」に言及しておく。白井は西山論文への「反論」のつもりで、『民主派本』とインターネット上の投稿欄の二カ所で、入管闘争への論述のようなものを掲載した。そして再び三たび入管闘争での無知・無自覚と、反動的反革命的言辞をふりまいて傲然(ごうぜん)と居直っているのである。『民主派本』ではあわてて書いたためにあまりにみすぼらしいと思ったのか、インターネットでは初めてと言ってよいほどの分量で記述している。

 (2)だが、論述にまったく自信のない白井はそのおよそ四分の一を割いて『世界』九九年五月号の在日朝鮮人作家・金石範(キムソクポン)氏の「再び、『在日』にとっての『国籍』について」からの引用にすがりつき、それを自分の論旨展開上の論拠にし、自らの反動的中身を補強しようと試みて完全に失敗してしまっている。ではどのように白井は破産したか。少々長くなるが、白井が引用した金石範氏の文章をここに全文引用させていただく。(なお〔 〕内は筆者注)

 日本敗戦後の一九四七年、在日朝鮮人を治安対象として管理、規制すべく外国人登録令が実施されたが(外国人のほとんどが植民地支配から解放された在日朝鮮人、中国人だった)、〔この「、」が欠落〕後の韓国籍を含めて当時の在日朝鮮人全体を「朝鮮」と記載したのが始まりであって、いわば日本政府の勝手な表記だった。一九四八年、南・北分断政府樹立後、その一部が「韓国」記載になり、一九六五年の韓・日国交正常化〔白井は「韓国・日本」と誤記〕によってそれが「国籍」化し、その他が「朝鮮」として〔「となって」と誤記〕今日に至っている。

 日本政府は一九五二年四月、講和条約発効をまえに在日朝鮮人の「日本国籍」を剥奪して一方的に〔「一方的に剥奪して」と誤記〕「外国人」とした。勿論民族的感情から在日朝鮮人が「日本国民」として残るかどうかは別として、少なくともその措置は「国籍選択権」を前提にしての当事者である在日朝鮮人の意思に基づくものでなければならない。そしてそれに準ずる何の保障も代替権利もないまま、いわば一文無しの状態〔「一文無し」と誤記〕で、そうでなくても朝鮮人に対するひどい差別社会に放り出されて、日本国籍であれば当然受けるべき諸権利を失った。一例として、戦争犠牲者に対する援護法による障害年金、遺族年金、遺族給与金、その他の補償が適用されないことが挙げられる(戦時中〔「戦争中」と誤記〕の徴兵朝鮮人軍人、軍属は三十七万。強制連行一六〇万、そのうち約〔「約」を欠落〕五万死亡)。その一方で日本政府は『国家百年の大計』として、陰に陽に在日朝鮮人に対する帰化政策を強力〔「協力」と誤記〕に進めて〔「押し進めて」と誤記〕きたのだった。

 まず許せないのは、この金石範氏の文章からの引用のわずかな中に、九カ所も誤記があることである。これほどの誤記はミスという次元の問題ではなく、白井朗がデタラメな人物であること、そして決定的に重要なことは、金石範氏という在日朝鮮人(作家)との関係で、血債の立場に立った日本人としての緊張がカケラもないことである。およそこんな態度、あり方で在日アジア人民やアジア人民全体と対しているとすれば、それは侮辱以外の何ものでもないし、敬愛し、学ぶということの対極に白井が位置しているとしか言いようがない。「七・七路線」も「血債」も白井には語る資格すらない、アジア人民への敵対者と断定するしかない。

 金石範氏はほかならぬ在日朝鮮人作家である。作家であるということは、その表現、記述について生命をかけて生きているということである。しかも在日朝鮮人の金石範氏が日本語で表現しているということがここにはあるのだ。いわゆる「在日朝鮮人文学」論などの論議が以前からある。日本語表現の問題、つまりは母語の問題として、さまざまな苦悩と葛藤の中で生命活動の英知を注いで作家活動をしているのであり、日本語での表現をしているのである。白井のような許しがたい誤記がどれほどの侮辱であり、差別行為であることか。白井がこれを平然と行った事実は、白井の本性を余すところなく示している。

 白井が「言語と共感による民族性」「言語(母語)によってはぐくまれ」(『民主派本』)、「『言語と共感』規定が民族を捉える有効性」(『民族本』)などとどれだけ述べても、「言語共同体」論と「民族の永続性」についての問題はこのように突き出されてしまうのである。つまりは言葉を奪われた在日アジア人民の二世や三世などが、日本語を母語化していたとしても、その日本語を逆に武器にして、一層強烈な民族的意識−民族性を鍛え、日帝の同化攻撃などと闘うという矛盾的で困難な、しかし前人未踏の闘いをギリギリと推し進めていること、そうした闘いの中で、日本人民に対して抑圧民族としての意識=言葉を糾弾・変革し連帯するという切り口を切り開いているという現実こそが、われわれの前にあるということなのだ。こうした在日朝鮮人・中国人−アジア人民の||この場合金石範氏の||苦闘・格闘の立場に立ち、学びつつ問題に肉薄することが求められていることなのだ。白井の立場はそういう「七・七」的立場とも実践的苦闘とも無縁なところから、天下り的に「言語共同体」論でこの必死の格闘を切り捨てているにすぎない。金石範氏の文章の引用誤記は許すことのできないものである。

 悪意に満ちたデマ

 (3)次に、白井の西山論文への反論ならざる「反論」への根底的批判の対象は、「金石範氏が指摘しているように、戦争中『日本人』として戦争に参加した在日朝鮮人の補償をいっさい認めないというおよそ在日朝鮮人を蔑視(べっし)した理不尽なことが平気で罷(まか)り通ったのである」という記述部分である。

 金石範氏は「戦争中『日本人』として戦争に参加した」などとは記述していない。「戦時中の徴兵朝鮮人」としているのである。「日本人」などという表現は絶対にとっていない。「日本国籍」だったとしているのであって、たとえ「 」でくくってもそうした言い方を絶対にしないことに意味があるのだ。しかし白井は「日本人」として同化しているものとして扱ってしまっているのだ。また白井は「戦争に参加した」などというとんでもない表現で朝鮮人民を侮辱しているが、金氏は「徴兵」=強制的に兵役につかせることと記しているのである。文意の違いは明白である。

 この部分で白井は、「戦争に参加した」などと金氏の記述をゆがめているのである。金氏の立場とは百パーセント違うものが白井の中にあるという歴然たる証拠である。「金石範氏が指摘しているように」などと言いながら、白井はそれをねじ曲げて「反論」の根拠にしようとしている。「在日朝鮮人を蔑視した理不尽なこと」を「平気で罷り通」そうとしているのは白井朗その人なのだ。これを悪意に満ち満ちたデマゴギッシュな宣伝と言わずしてなんと言うのか! 意図的意識的行為と断ずる以外にない。

 また白井は、インターネット上での「反論」で、「日帝のかつての被抑圧民族たる朝鮮民族、在日朝鮮人・韓国人」と記している。これは何たることか。「かつての」と言うが、では現在は何なのか。日本軍軍隊慰安婦問題や強制連行などの日帝の戦争責任に決着がついたかのような言い回しではないか。帝国主義者どもが「日韓条約で清算ずみ」などとし、裁判で門前払いの許すことのできない判決を出している現在、「かつての」などというのは白井が何者であるかをよく示している。

 白井は金石範氏を論拠にしながら、この記述では「朝鮮民族、在日朝鮮人・韓国人」としている。しかし、金氏はここで「いずれにしても分断を中和させた形の『在日韓国・朝鮮人』は中和よりも固定を前提にしているもので、心穏やかにこのことばが使えるだろうか。字面の胴体に三十八度線が入ってきて快くないのだ」と書き記している。われわれの立場はすでに前記西山論文で白井を批判したとおりだが、白井はこれに対して何と応ずるのか。このような金氏の立場とはまったく逆転した表現をする白井は、金氏や在日人民から何を学んでいるのか、ということである。「七・七」「血債」の立場などまったくない、アジア人民の敵対物であるとしか言いようがない。

 (4)その揚げ句の果てに、ついに白井は「私は金石範氏が主張するように、朝鮮人の民族性を十全に保持したままの二重国籍が日本でも認められるべきだと考えている。日帝入管当局の民族性剥奪・帝国主義的同化主義の帰化攻撃と私の主張が同じだなどとは、とんでもないデマゴギーである」などと、とんでもない主張をするに至っている。

 まず、金石範氏の主張を引用してみる。結論へ導く部分に「そして未来のことながら、統一を前提とした南・北本土共通の連邦的な準統一国籍−統一通行証その他の制定がなされてもおかしくはないだろう。これは妙ないい方だが、自国民の段階的“二重国籍゜かも知れない。これらのことは個人の、あるいは『在日』のではない、歴史の要求である」とある。ここには天と地ほどに内容の違いが突き出されているではないか。

 金氏は白井のように「二重国籍が日本でも認められるべき」と主張しているのか。そうではない。「かりに私がどちらかの国籍取得者になるとしても、それは在日全体のなかのいちばん最後の人間になるだろう。その決心だけは固い」ということなのである。この重く厳しい現実を受け止め、民族性を貫いて闘い抜こうとする「すでに老年であり、このねじ曲った歴史の場にいつまでもとどまり得ない」と言う人の姿に何を学ぶのか、その返答が「二重国籍」の主張なのか、ということだ。これを見ても白井は実に怒りに堪えない人物なのだ。

 では次に、この「二重国籍が日本でも認められるべきだ」という主張の内容のすさまじい反革命性を検討してみたい。白井の言う二重国籍は何を示すのか。

 「一方的に日帝国家権力が日本国籍を奪った」「その国籍を一方的に、在日朝鮮人の意思を予め聞くことなく奪って」「国籍を奪って選挙権を剥奪」などと白井のペテン性を示す記述が続いている。金氏の文章を引用した部分にも「『日本国籍』を一方的に剥奪」「日本国籍であれば当然受けるべき諸権利」とあり、ここからは二重国籍の一つは日本国籍であるかのように読みとれる。ところが金氏の主張は、白井が引用していないところで、「南・北本土共通の連邦的な準統一国籍…自国民の段階的“二重国籍゜」と書かれている。さらに金氏は「ヨーロッパ諸国では定住外国人の二重国籍を認め」と上記引用部分に続けている。これはヨーロッパ当事国と外国人の当該国の二重国籍を指している。白井は金氏の主張のように言いながら、ペテン的言い回しで、実はこのヨーロッパ型の二重国籍とせよと主張しているのだ、ということである。金氏の主張部分をあえて引用しないペテンを使い、金氏の主張を正反対のものにすり替えるデマゴギーである。恐るべき詐欺師・白井ということだ。

 これが国籍条項(差別)問題における西山論文の白井批判に対する「反論」なのであり、その「反論」の核心的結論部分である。なんと低水準なことか。白井は国籍条項問題とは何かについてまったく論じることができない。西山論文で提起した国籍条項問題、参政権問題などについて内容的にまったく触れることもできず、したがって、国籍条項問題の大きさとそこを中心にした入管闘争の歴史的総括などに完全に打ち負かされてしまい、金石範氏などの在日アジア人民の主張にのっかって盗用することしかできないのである。しかもねじ曲げて逆の主張にすり替えるのだ。ここには階級的立場を喪失し、被抑圧民族に乗り移った日本人の最も醜悪な姿があるばかりである。

 いま一つ付け加えると、この国籍条項の頂点に入管法(外登法)があり、その入管法(外登法)粉砕−撤廃の闘い抜きには二重国籍などおよそ問題にもならない空論でしかないのだ。白井よ、入管法・外登法−入管体制とは何かを述べてみるがよい。自分の主張が日帝のそれと近似することがよく分かるはずだ。

 在日人民の闘い侮辱

 (5)また白井のこの主張の反動性は、現在の入管攻撃の中心を見れば一層明らかになる。今国会提出予定の議員立法による国籍法改定案がそれである。この法案は、昨年の外国人参政権法案をめぐるすさまじい排外主義・差別主義を引き継いで、さらに決定的に在日人民への抹殺攻撃を加えようとするものである。「簡易帰化制度」への抜本的改変を柱とするとされているが、つまり申請すれば特別永住者については形式的な書類審査だけでほとんど即受理するというものである。「参政権がほしければ日本国籍をとれ」と強要するものであり、これ自身を激しく弾劾しなければならない。

 さらにより問題の核心を言えば、日本国籍強要攻撃−特別永住者を中心とする在日人民抹殺攻撃だということである。特別永住者の消滅とは植民地支配と強制連行の生き証人とその子孫である在日人民の抹殺であり、帝国主義的清算である。「朝鮮系日本人」を一挙につくり出し、戦争国家化を推進する日帝の中心部から加えられた入管攻撃なのである。

 その上、第二次入管基本計画で大々的に導入するアジア人労働者、つまり“現代の強制連行゜(KSDを見よ!)としての「外国人労働者移入政策」を進めるために、入管法(外登法)上の矛盾を併せて突破しようとする在日人民とアジア人労働者に対する大攻撃なのである。

 このように現実の入管攻撃と対峙し、闘う立場に立った時、白井朗の「二重国籍論」など完全に吹き飛んでしまうばかりでなく、日帝の日本国籍強要攻撃に道を開くものであることは明らかだ。「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」の闘いの一環として、この攻撃を打ち破る闘いが求められている。

 (6)この項の最後のまとめとして、白井が「私が日本国籍を在日朝鮮人が取得すべきだと主張し、それが日帝入管当局の帰化攻撃と同一だなどというこの西山論文」と「批判」していることについて、断罪しておきたい。 『民主派本』の九九nに「国籍による憲法その他の法律の日本人と同じレベルの権利を在日がもつのは当然という私の考え方」とある。では「国籍による…日本人と同じレベルの権利」とは何か。この「国籍による」とは何を示すのか。 在日人民の闘いが「日本人と同じレベル」などを要求しているというのは、はなはだしい侮辱ではないか。こんな言い方こそ無知・無自覚の極みだ。白井は西山論文で批判された該当部分にはけっして「反論」しない。なぜか。白井の「反論」の反革命性が暴き出され、すべて破産するからである。 その該当部分(『民族本』)を再度引用する。「なぜなら在日韓国人は日本国籍はおろか、市民的権利すら認められず……」である。市民的権利の上位に日本国籍があり、それが認められないと批判する白井の主張の結論は、「日本国籍をとるべきだ」と読む以外に読みようがない。白井の主張は先に見た国籍法改定案攻撃に完全に一致しているのだ。

 「日本政府は必ず謝罪」のウソ民族解放闘争への否定と敵対

 では、本稿の主要なテーマに入っていこう。白井『民主派本』はおよそ読むに堪えない低劣極まりないものであるが、特にその巻末の十三行にはそのすべての集大成としての反革命ぶりが満展開されている。全五章からなるこの反革命出版物の第五章は「中核派の万年危機論・万年戦争論」とあり、それだけでも腐臭を放つ代物であるが、結論部分の十三行が特にすさまじいものなのである。第五章の結論であり、『民主派本』全体の結論のようにもなっている。今回もこの十三行について、実践的立場から、入管闘争的そして七・七的な論述を中心に徹底的に批判する。

 その十三行とは、以下の文章である。 日本の政府閣僚のたびたびくりかえされる朝鮮の植民地支配、中国侵略戦争の肯定や合理化の発言にたいして、韓国、北朝鮮、中国の政府・人民からの批判がなされるや、日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免されている。この事実をみても朝鮮、中国の民族主義と民族解放闘争の正義の力の前に、日本政府は帝国主義侵略と植民地支配を正しいとする力をもはやもってはいない。アジアの民族解放闘争、民族独立のたたかいの歴史的趨勢を転覆する力などは、アメリカも、ましてや敗戦帝国主義日本はもってはいない。

 『前進』が日本の支配階級は、すでに朝鮮・中国再侵略戦争を決断した、いや九九年三月の発砲事件で新たな一五年戦争は開始された、と断定していることは、歴史の進み方に眼をつむった暴論である。戦前の侵略や植民地支配を肯定してもう一度やるのだ、と国民を反動的に排外主義的に組織することなくして、どうして戦争ができるのか。また戦争の危機を唱えながら、どうして朝鮮人民との連帯を具体化しないのか。一国主義に埋没しきったセンスである。朝鮮・韓国人民、在日との国際主義的連帯に具体的に着手することが、いま求められているのである。

 以下、これを詳しく批判する。
 (1)「日本の政府閣僚のたびたびくりかえされる朝鮮の植民地支配、中国侵略戦争の肯定や合理化の発言にたいして、韓国、北朝鮮、中国の政府・人民からの批判がなされるや、日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免されている」について。この第一文の第一の問題点は、この侵略戦争や植民地支配についての日帝の閣僚などの暴言に対する白井自身の怒りの表明がまったくないことである。実に許しがたい客観主義的記述である。これこそがアジア人民の批判に対する白井の立場の表明なのだ。アジア人民の怒りの決起に対する日帝足下のプロレタリア人民の一員としての連帯の表明すらない。いやむしろ「連帯」を表明しないことこそが白井の目的なのだ。

 「……批判がなされるや、日本政府は必ず」と言う中に、゛日本プロレタリアート人民はアジア人民と違って批判もしない″と言外に言い、日本の労働者人民が日帝の政府閣僚の暴言をなんの批判もすることがないかのように言うのだ。日本のプロレタリアート人民は、こうした暴言が繰り返されること(許してしまっていること)への強い怒りやともに闘おうとする連帯の意志がないとでも言うのか。いまだ不十分という批判を受け止めて、さらに闘いを強めようとしているのではないのか。白井は日本の労働者人民は腐りきっていて闘えない存在なのだという対比のためにこそ「批判が…必ず」としているのだ。白井こそがアジア人民への敵対物へと転落しているのだ。

 日帝の居直りを免罪

 第二の問題点は、白井の意図的誤認=デマゴギッシュな事実誤認である。「日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免されている」などと言っているが、謝罪や罷免などの事実がないことは、白井自身が百も承知の上ではないのか。

 一例を挙げる。韓国挺身隊問題対策協議会発行の「日本軍『慰安婦』問題解決運動の過去と現在、そして未来」という小冊子には、一九九〇年六月六日から九八年八月一日までの十五例の「日本軍『慰安婦』問題に対する妄言録」が挙げられているが、この十五例十三人の中に罷免された者は誰一人いない。わずかに一人、九四年に時の法相永野茂門が辞任しただけなのである。永野は「慰安婦は当時の公娼」と言い、「南京大虐殺はデッチあげだと思う」とし、「侵略戦争という定義づけは、今でも間違っていると思う」と暴言を吐いた人物だ。九八年の中川農相は「強制連行や従軍慰安婦について教科書にのせるのは不当である」と述べ、発言を撤回したのみなのである。

 戦後、問題発言とされ罷免された閣僚はわずかに三人だけ。一九四七年の平野力三農相、五三年の広川弘禅農相、八六年の藤尾正行文相のみである。せいぜいのところで発言撤回であり、はなはだしきは発言撤回なしの辞任であり、それすらないままに開き直っている例は枚挙にいとまがない。

 五八年の岸信介首相「私は日本の朝鮮植民地統治が朝鮮民族にとって不幸だったと思ったことはない」。六三年の椎名悦三郎外相「日本の台湾と朝鮮に対する統治が帝国主義であるならば、それは栄光の帝国主義である」。七四年田中角栄首相「日本は朝鮮で義務教育を行うなど立派なことをたくさんした」。この三人が罷免された事実があるのか。辞任すらしていないではないか。

 白井は、差別主義・排外主義の洪水のようにあふれる政府、閣僚、国会議員の暴言や攻撃にはなんの批判もなく、「発言者は閣僚を罷免」などとして平然としている。これは、罷免でなく辞任や発言撤回という形で開き直ろうとする政府や人物を擁護するものである。

 また「日本政府は必ず謝罪し」などと日本政府=日帝を美化さえしているのである。日本政府の「謝罪」とは何か。日本軍軍隊慰安婦問題についての時の首相橋本龍太郎の「おわびの手紙」なるものはどのようなものだったのか。国家責任を不問に付して「アジア女性基金」なるものにすり替えようとしたものだったではないか。朝日新聞でさえ橋本を「国家補償の言質避ける」として批判している。かの戦後五十年の「国会不戦決議」なるものがけっして「謝罪」などではなかったことを白井は否定するつもりなのか。細川内閣や村山内閣時にも形式的謝罪表明はあったが、何一つそれへの責任は明らかにされていないではないか。

 いやむしろ「具体的な謝罪と賠償をしないという日本政府の明らかな態度」と挺対協も批判しているとおりである。闘うアジア人民による「真相究明、謝罪、賠償、責任者処罰、歴史教育」などの要求に何一つこたえない日帝政府のあり方を、白井は「必ず謝罪し」と自ら免罪するばかりか、批判して決起しているアジア人民に対しても「免罪せよ」と要求しているのである。
 要するに、このように暴言を繰り返す者どもや日帝を断罪する立場が白井にはまったくなく、むしろ居直って国家責任を否定する日帝の立場を容認し、その日帝を救済しようとしているのだ。「必ず謝罪し」などと「必ず」という強調句の中に、白井の反革命的意図があけすけになってしまっている。

 (2)((1)の続き)この一文の第三の問題点は、「韓国、北朝鮮、中国の政府・人民からの批判」の部分である。「政府・人民」として両者を並列した上でさらに政府を前にし、人民を後ろにもってきていることだ。これはたまたまのことでなく、白井にはそのようにする必然があった。そもそも政府の政治的圧力と人民の闘いを同列に扱うことなど問題外である。実際には人民の闘いが日帝への糾弾として強烈に展開され、そのすさまじいエネルギーの爆発に突き動かされる形で、南朝鮮・韓国や中国スターリン主義(北朝鮮や台湾あるいはアジア各国政府)は日帝政府を非難しているのである。そうしなければ侵略戦争と植民地支配の歴史と現実の上で成り立つ新植民地主義体制政府やスターリン主義政府は、民族解放・革命戦争的闘いで人民に打倒されかねないからだ。

 白井はこうしたスターリン主義権力や南朝鮮などのボナパルティズム的権力が人民を抑圧するために、また自己権力の維持・強化や利害のために、日帝政府との交渉をしていることを批判もせずに、「政府・人民」としてスターリン主義権力やボナパ政権を擁護し、美化・賛美しているのである。白井は、闘うアジア人民より、スターリン主義やボナパルティズム政権の方が正しいと言いたいのであり、アジア人民の闘いに対する本質的恐怖と非難、否定がその底に流れているのだ。日帝打倒を恐れているのである。

 この第一センテンスの第四の問題点は、「韓国、北朝鮮」としていることである。政府に重きを置く白井の立場が一層鮮明に浮かび上がる。白井は韓国、北朝鮮を両者ともに承認する立場に立っているのであり、したがって統一朝鮮の立場、朝鮮人民の立場をまるで認めていないのである。三十八度線で分断されていても朝鮮民族−朝鮮人民は一体なのであり、その立場から日帝の閣僚などの暴言を糾弾し、植民地支配、戦争責任を糾弾しているのである。白井にはこれに連帯する立場などまるでないのだ。

 また、もう一つ決定的なのは「韓国、北朝鮮」としながら、「中国」のみで台湾を排除していることである。「朝鮮の植民地支配、中国侵略戦争」としていることからも台湾植民地支配の問題を排除していることは明らかだ。白井が「中国を統一中国の立場で表記」などと抗弁しようもない現実が、白井自身の記述の中で突き出されているのである。それとも白井よ、台湾植民地支配と戦後の台湾人民の生活と闘いは、帝国主義体制下の問題としてはよい結果であったから記述しなかったとでも言うのか。

 今日、台湾問題の持つ巨大さは、戦後帝国主義体制下の分断問題としても、中国の民族解放闘争の問題としても、日帝の植民地支配と戦後の侵略の問題としても、そして何より日帝による釣魚台略奪の問題としても、決定的なことがらである。ここで日帝と中国・台湾人民が激しく闘争しているのであり、日本プロレタリア人民の立場が問われているのではないのか。白井は「連帯」などとさもさもの体で記しているが、実は闘う朝鮮・中国−アジア人民の根底的決起をそれらの政府や日帝などと一体となって取り込み、解体しようとしているのである。

 意図は民族主義強調

 (3)次に「この事実をみても、朝鮮、中国の民族主義と民族解放闘争の正義の力の前に、日本政府は帝国主義侵略と植民地支配を正しいとする力をもはやもってはいない」について。

 この第二文は、「この事実をみても」ということから始めていて、「この事実」とは第一の「日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免」を指しており、それはすでに@で見たとおり文全体がデマゴギーとしての性格をもっており、論述や論証そのものが成り立たないものになっている。だから、この部分はペテン的詐術の白井反革命の悪らつな意図が満展開する結果に成り果てている。

 第一に批判すべき点は、「朝鮮、中国の民族主義と民族解放闘争の正義の力の前に」の部分である。「民族主義と民族解放闘争」というように両者を同格に扱っている。民族主義が前にあり、どちらかといえばここに白井の強調がある。つまり民族解放闘争より民族主義が優位に位置づけられているのである。労働者階級の自己解放闘争を基軸とするプロレタリア世界革命の立場から民族解放・革命戦争との結合を求めるマルクス主義・レーニン主義者として言えば、民族主義をわざわざもってくる意味は何なのか、ということである。

 白井はあくまで民族主義は正しいとし、民族解放闘争を規定する内容としてそれを上位に置いている。ここで白井はプロレタリア自己解放論の否定の立場に立って、マルクスやレーニンの否定のために民族主義をことさらにクローズアップさせているということだ。「正義の力の前に」とつなげていることからも、民族主義=正義の力、民族主義基軸の民族解放闘争=正義の力として、プロレタリア自己解放論を否定し、プロレタリア世界革命から民族解放闘争を切断し、対立させようとしているのである。

 次に問題となるのは、「日本政府は帝国主義侵略と植民地支配を正しいとする力をもはやもってはいない」の部分である。ここでも事実を逆転させている。
 まず論述そのものについて言えば、「…もはやもってはいない」とは「過去はもっていたが、今や……ない」ということにほかならない。では日帝はいつまで「侵略と植民地支配を正しい」としてきたのか、いつからそれを転換させて「侵略と植民地支配は誤りであった」と謝罪し、その戦争責任をとってきているのか、白井ははっきりさせなければならない。それとも白井は九五年八・一五の「国会不戦決議」や橋本の「おわび」、村山や細川や海部首相などの「謝罪」がそれであるとあくまで主張するつもりなのか。現に今も日帝の先兵どもや反動イデオローグどもが、日帝の侵略戦争や植民地支配を正義だと居直り正当化しているではないか。

 九五年を見ても六月五日に渡辺美智雄(元副総理)が「(韓国併合条約は)円満に結ばれた。国際的にも合法である」と言い、八月九日には島村宜伸文相が「あいもかわらず昔を持ち出して、いちいち謝罪するのはいかがなものか」「侵略戦争というが、侵略のやり合いが戦争だ」と言い、十一月十日には江藤隆美総務庁長官が「日本は韓国によいこともした」「学校の建設や鉄道の敷設など朝鮮半島への植民地支配はよいこともした」などと言い放っている。

 その流れの上で日帝は、日米新安保ガイドライン法成立、組対法・盗聴法、「日の丸・君が代」法、団体規制法=第二破防法など一連の超反動法案強行成立へと突っ走ったのである。そして今や改憲のための、戦争国家化のための攻撃として、有事立法攻撃が企図されており、教育勅語を是とし教育基本法を否とする森喜朗を首班とする内閣が大攻撃を加えてきているではないか。

 「日本政府は…もはやもってはいない」とする白井の主張は帝国主義美化の主張であり、こうした帝国主義者や帝国主義イデオローグどもと同列のところから、プロレタリア階級自己解放闘争と民族解放闘争を否定することを目的としたもの、と断じる以外にはない。

 さらに付け加えるならば、この一文でも白井はわざと日本帝国主義とは表記せずに日本政府としている。このインチキこそは白井がペテン的反革命的に人民を幻惑するための手法であり、日本帝国主義に屈服し、美化するためのあくどい手法なのだ。

 (4)「アジアの民族解放闘争、民族独立のたたかいの歴史的趨勢(すうせい)を転覆する力などは、アメリカも、ましてや敗戦帝国主義日本はもってはいない」について。
 まず、この第三文でも前の(3)に続いて「アメリカ」や「敗戦帝国主義日本」としてしまっている。白井はアメリカ帝国主義、日本帝国主義と規定することからトコトン逃げている。忌み嫌い、拒否している。日帝と言わないために、「敗戦帝国主義日本」という言い方をしてごまかしている。白井が帝国主義規定を拒否しているのは、レーニン帝国主義論からの逃亡のためである。

 「民族独立」とは何か

 第二の問題は、「民族解放闘争、民族独立」としている意図的詐術である。「民族解放闘争、民族独立」という表記からは、一つは民族解放闘争=民族独立としていること(同列に扱うことでそのように帰結させる白井流のペテン)、いま一つは帝国主義戦後体制論としての新植民地主義体制論が完全に蒸発してしまっていることである。いやむしろ、白井はそれを否定しさることを目的としているのだ。

 したがって、第三の問題は、同義反復のようであるが、白井は帝国主義を「……力をもはやもってはいない」として美化しているのだ、ということである。あるいは白井の転向としての帝国主義への屈服である。さらに言えば、帝国主義国プロレタリア人民の闘いを措定することなく、「歴史的趨勢」などと言いなし、民族運動をプロレタリア自己解放闘争の上位に置くものとなっているのだ。これは実際にはプロレタリア自己解放闘争の否定のためであると断じてよい。

 第四の問題は、第三文に続く第四文のためのインチキなトリックがここにはある、ということである。第四文は、日帝の侵略戦争を否定する一文であり、この十三行全体(いやこの著作、特に第五章全体)の文意が帝国主義の侵略戦争を否定するためにある。「もってはいない」と「もはや……そんな力はない」(第二文)と筆を走らせているところにもそれは明らかなのだ。したがって、この第二文と第三文をとおして言えることは、白井朗は、今日苦闘しつつも必死で闘う朝鮮、中国、アジア人民の民族解放闘争への敵対物、敵対者になっているということだ。

 南朝鮮・韓国では民主労総を始めとする労働者階級人民が、「民族矛盾と階級矛盾が同時に解決される統一であるべき」(民主労総機関紙『労働と世界』二〇〇〇年六月三十日付)として、プロレタリア革命と民族解放闘争の結合を求めて格闘している。この現実になんとこたえるのか。また、アジアの民族解放闘争の中心的位置に、この間の日帝などによる侵略の強まりの中で、大量のプロレタリア階級が登場し、先頭で闘っている。これを否定するために白井は「民族解放闘争、民族独立」などと言っているのだ。

 あるいは入管闘争におけるアジア人労働者問題が今日、入管闘争の課題であると同時にすぐれてプロレタリアートの階級形成とプロレタリア階級解放のテーマとしてガッチリと位置づいていることさえ白井は学んでいない。白井の目的はこれらを否定することにあるのだ。

 さらに言えば、「民族独立」などという言い方の中には、帝国主義への屈服によるスターリン主義流の民族運動論への屈服と美化がある。民族独立という表現の意味するところはスターリン主義流の帝国主義放逐論であり、帝国主義打倒なき民族解放(=民族独立)であり、世界革命の有機的一環として民族解放闘争(民族解放・革命戦争)に勝利するという路線的立場の否定なのである。本多延嘉書記長の打ち出した路線をも踏みにじり、否定しようとするのが白井朗なのである。それは、中国スターリン主義や北朝鮮スターリン主義のもとで闘う中国人民・朝鮮人民に学び、その闘いを主体的に措定する立場の追放であり、スターリン主義をのりこえて合流・結合しようとする立場の否定でもあるのだ。

 日帝の海上警備行動の免罪と「侵略戦争はない」論の犯罪性

 (5)「『前進』が日本の支配階級は、すでに朝鮮・中国侵略戦争を決断した、いや九九年三月の発砲事件で新たな一五年戦争は開始された、と断定していることは、歴史の進み方に眼をつむった暴論である」について。

 ここで第一に問題にすべきは、歴史の進み方を否定する暴論を吐いているのはほかならぬ白井朗その人だということである。「九九年三月の発砲事件」とは何か。なぜ白井はことさらに「発砲事件」などとして小さく扱いたいのか。九九年三月とは、米帝とNATOによるユーゴスラビア侵略戦争のまっただ中であり、そうした中で引き起こされた事件ではないか。かの事件は日帝の軍事力の総力を挙げた、北朝鮮の船と思われる「不審船」の捕捉活動であり、追跡行動であり、戦争−軍事行動であった。

 九九年三月十八日から追跡・捕捉は開始され、二十一日には警察、海上保安庁などに沿岸警備命令が出され、自衛隊三軍に総動員態勢が敷かれた。二三日夕刻には首相官邸に作戦本部−指令本部が置かれ、実質上の海上警備行動に踏み切ったのである。この日、海保は威嚇(いかく)射撃を行い、二〇ミリ機銃や一三ミリ機銃から千三百発の銃砲弾が発射された。二十四日には海自イージス護衛艦「みょうこう」が一二七ミリ砲で十三回、「はるな」が十二回の砲撃を行い、三機のP3C対潜哨戒機から計十二発の一五〇キロ爆弾が投下された。さらにミグ21四機に対して、小松基地からF15戦闘機二機が迎撃発進。これが白井の言う「発砲事件」の全体像である。白井は、日帝による戦後初の海上警備行動(戦争−軍事行動そのもの)を批判することもなく、「発砲事件」にしてしまっている。白井の作為は明らかだ。

 第二に問題になるのは、ユーゴスラビア侵略戦争の最中に日本では何が争われていたのか、である。日米新安保ガイドライン=周辺事態法粉砕の全人民的闘争のまっただ中だったのである。白井がこの事実を隠して「発砲事件」などとする目的は何か。階級決戦としての九五年以来の闘いとしてのガイドライン決戦は白井にはなかったのだ。革共同破壊しか考えていなかったのである。

 先に引用した金石範氏の投稿の中で、「『周辺事態』に備えての『ガイドライン』の立法化の動きが加速した。…略…日本の米軍支援の内容を見ると、日本が独立国かと眼をみはるばかりに、日本全土が米軍予備基地化した観がある」といい、「戦争の危機よりも何とか戦争回避の少しの可能性をも見出し拡大すべく尽力するのが日本のとるべき道」「日本が戦争を煽り立て緊張を高め」と述べられている情勢下なのにである(ここでも金石範氏を悪用しようとして、白井は敗北している)。要するに白井は、日本帝国主義は朝鮮・中国−アジア侵略戦争など絶対にしない、と言いたいのだ。

 第三に言えることは、結局、白井は世界史が世界大恐慌−世界戦争への趨勢にあること、帝国主義の基本矛盾が全面的に爆発の過程に突入していること、そこから日米争闘戦がアジア勢力圏化をめぐって激化していること、それが米・日帝国主義の朝鮮・中国−アジア侵略戦争として歴史的に切迫し、新安保ガイドライン体制に行き着いたこと||これら一切を完全に否定したいのだ、ということである。

 そしてその目的は何なのか。ここでも白井は「日本の支配階級」などと、日本帝国主義という言及を意図的に避けているが、これも結局はプロレタリア世界革命・プロレタリア自己解放に対する絶望と否定なのである。帝国主義への屈服であり、転向の意思表示なのである。帝国主義者に向かって「自分は転向しています」と言うためであり、自分が帝国主義に役立つものとして売り込もうとしているのだ。白井にすれば革共同であったことを徹底的に利用して革共同破壊を行うことで、帝国主義への屈服と転向の証としているのだ。だからマルクス主義・レーニン主義を否定し、反共産主義化し、帝国主義に屈服して容帝国主義として帝国主義を美化し、帝国主義打倒に向かって闘う党と階級、人民の闘いを破壊するためにうごめいているのだ。その意味でカクマルと同じ役割を果たそうとしており、カクマル反革命を受け入れたのである。白井反革命とするゆえんだ。

 革命への敵対が結論

 (6)「戦前の侵略や植民地支配を肯定してもう一度やるのだ、と国民を反動的に排外主義的に組織することなくして、どうして戦争ができるのか」について。

 第一に、白井よ、よくぞ言ったり、ということである。現に、東京都知事石原や自由主義史観などの反革命イデオロギーがあふれ、侵略と植民地支配の肯定のためのあらゆる言動が洪水のようにあふれ、差別主義的攻撃があふれているではないか。そうして「国民を反動的に排外主義的に組織」しようとしているではないか。(1)や(2)などで確認したように繰り返し繰り返しそれは行われ、それは今日明らかに改憲攻撃として襲いかかっている。石原の昨年四・九「三国人」暴言は、この白井の反革命本の執筆の最中に行われたことではないのか。白井は知らないのではない、熟知してなおかつこのように言い放っているのである。 つまり、第二に、現に進行している帝国主義の大攻撃を、あたかもないかのごとく主張する白井のこのデマゴギッシュな立場こそ、容帝反共イデオローグへの白井の純化、反革命化、容カクマル化なのだということだ。 さらに言えば、「どうして戦争ができるのか」という文言こそ、「戦争などできっこない」論、「帝国主義は戦争などしない」論として、ハイカラ帝国主義論、レーニン帝国主義論の否定が正面から噴き出しているのである。

 昨年の『世界』二月号に掲載されている連載「佐高信の日本国憲法の逆襲」の中で辛淑玉(シンスゴ)さんは「在日朝鮮人は、日本の植民地の結果日本に住むことになった。つまり、在日朝鮮人とはイコール日本国憲法のことなのですよ。私たちの人権がどうまもられるかによって日本国憲法が死ぬか生きるかが決まる。同時に在日こそが憲法を守る存在としてそっせんして声をあげて行かなくてはいけない」とある。白井よ、これにどう答えるというのか。

 (7)「また戦争の危機を唱えながら、どうして朝鮮人民との連帯を具体化しないのか。一国主義に埋没しきったセンスである」について。

 ここでの問題は第一に、「連帯を具体化しないのか」という言にある。この具体化ということを白井はまるでやったことがない。入管闘争に言及して墓穴を掘っただけである。それはさておき、この白井の言は日本の労働者階級の闘いの否定の立場である。日本のプロレタリア人民にとって、朝鮮・中国−アジア人民との連帯とは何なのか。ガイドライン決戦や安保・沖縄闘争をまったく措定することのない白井の「連帯の具体化」とは何か。逆に、実はガイドライン闘争、安保・沖縄闘争、日帝の戦争国家化阻止=改憲粉砕の反戦闘争こそ、連帯の具体化や実践そのものなのである。「連帯し、侵略を内乱へ」なのである。白井はガイドライン闘争や、九九年の後半戦の闘い、それに向かって営々と闘い続けられた沖縄闘争を先頭とする闘いのすべてを否定しているのである。

 第二の問題は、「一国主義」うんぬんである。要するに、こうした非難の核心部にあるのは帝国主義国プロレタリア人民の闘いの否定、プロレタリア自己解放の否定である。つまり革命的祖国敗北主義を呼びかけ、組織し闘うことそのものを否定しているのだ。帝国主義国のプロレタリア人民の革命的祖国敗北主義の否定は、世界革命の否定である。白井はこうして反革命そのものに転落したことを自白しているのである。

 ここでのいま一つの問題は、「どうして朝鮮人民」として、中国人民やアジア人民が措定されていないことだ。白井の文章は実に恣意的である。朝鮮だけであったり、中国だけであったり、台湾がなかったり、北朝鮮を欠落させたり、韓国などとしたり、まったくデタラメ。こうしたグラグラでデタラメな姿勢の中には階級的に朝鮮・中国−アジア人民を措定し、学び闘うという立場、つまり連帯の立場は一片もない。要するに、闘うアジア人民に肉薄していないのである。

 (8)「朝鮮・韓国人民、在日との国際主義的連帯に具体的に着手することが、いま求められているのである」について。
 第一に、ここでも白井はデタラメ極まりない表現をしている。「朝鮮・韓国」とは何を言いたいのか。南北分断を承認する立場をデタラメに表現して、朝鮮人民とその闘いを低めようとしているのだ。また「在日」とは何か。在日人民ですらないこの「在日」は何を表現しようとしているのか。在日アジア人民とアジア人民のすべてを侮辱しているとしか言いようがない。

 第二に、「国際主義的連帯の具体化……」とさもさもの体で仰々しく述べてはいるが、白井には「具体的」内容は何もなく、単に「具体的」という言葉が踊っているにすぎない。この十三行の文章全体から読みとれることは、白井にとっては朝鮮・中国−アジア人民の民族主義的民族独立を求め、それに「万歳」を叫ぶことだけが具体的連帯なのである、ということだ。それしか出てこない。

 第三に、だから帝国主義国プロレタリア人民の自国政府打倒の闘いも、朝鮮・中国−アジア人民の民族解放・革命戦争の闘いも否定し、帝国主義の世界支配−帝国主義世界体制の恒常化を願い、それに屈服して、両者の結合、統一の発展の中で実現されるプロレタリア世界革命を否定することこそが、白井の立場なのだということである。スターリン主義やカクマル以下のレベルで帝国主義擁護運動論を展開することこそが、白井の言うところの「具体的連帯」の論旨なのだ。

 第四に、「今もとめられている」のは何かということだ。それこそ「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いの発展である。白井は「連帯」は言っても「侵略を内乱へ」は否定してしまいたいのである。

 また「連帯し」は、七・七路線の立場、入管闘争の実践であり、ガイドライン安保・沖縄闘争論であり、帝国主義の打倒論であり、民族解放闘争の世界革命的結合論なのであり、その具体的実践である。白井には連帯の具体的実践は皆無、あるのは反革命的策動のみだ。

 闘うアジア人民、在日アジア人民に敵対する白井朗を、「連帯し」の矜持(きょうじ)にかけて粉砕しつくそう。革共同への反革命的敵対活動を売り物にして、階級闘争の階級的戦闘的発展を破壊しようとする白井朗を、その反革命策動もろとも粉砕せよ。





(私論.私見)