週刊『前進』(1998号6面1) |
新連載 白井朗の反革命的転向 権力・カクマルと結び堕落極める(1)逮捕されて全面的に供述し権力に投降した党破壊分子
白井朗は、一九九八年の逮捕と自供をもって革共同から完全に脱落・逃亡し、権力と反革命カクマルの側につき、革共同破壊策動を繰り返してきた。革共同は、腐敗を極める反革命的転向分子・白井朗を徹底的に粉砕する義務を負っている。シリーズで白井朗の屈服、転向、敵対の本質を暴き、断罪する。 |
反階級的敵対は放置しない |
われわれは、党を離れた者と反階級的敵対者とは厳格に区別する。転向し、自己を合理化するための反階級的敵対行為を断じて放置しない。これが革共同の歴史的伝統である。まして権力に露骨に屈服して居直り、権力の力を借りようとしたり、権力に党を売ることなどを平然と口にするような変質したやからを断じて許さない。闘いの中で無念の死を遂げた同志や病などのため戦列をはずれざるをえなかった同志とともに、わが党から離れた者はけっして少なくはない。それは革命党にとって重い傷ではあるが、けっして不名誉な傷ではない。最も激しく闘い続けてきた者に不可避な傷である。革命運動とは、累々たる屍(しかばね)と党を離れた膨大な同志たちをのりこえて進むものだが、その多さは、戦歴の激しさと多さを語りこそすれ、その組織の問題性などを語るものでは断じてない。われわれは、その傷を糧に、逆に自己を鍛えて前進してきた。 |
白井という人物は、そういう党を離れた者のひとりだろうか。白井が出版した二冊の本は自己の脱落の必死の弁解の文章だろうか。否である。まったく否である。白井は単なる脱落者ではなく、転向者である。実に醜悪な転向者であり、二冊とも白井の非マルクス主義的本質を公言し、自己の階級移行を明らかにした転向宣言の文書である。否、単なる転向でもない。反マルクス主義、反レーニン主義を唱えて、むきだしの敵対行為を開始している点で、過去最も悪質な分子である。白井は、党内闘争など一度もせず(すぐ自己批判し撤回することのみを繰り返し)、その後脱落して権力の逮捕攻撃に屈服し、程なく二冊の本を出版した。そこで開始したことは権力を後ろ盾にした反革命敵対行動であった。
われわれは反階級的敵対者には厳格な階級的原則をもって対応する。白井夫婦は、われわれの怒りとこの峻厳(しゅんげん)な態度の重さを嫌というほど味わうことになるであろう。 |
「理論闘争」ではなく反革命 |
白井は『二〇世紀の民族と革命』なる本で、自己の「理論的違い」を明らかにするかのような体裁をとったが、すでに暴露してきたように、それは徹頭徹尾反マルクス主義、反レーニン主義を貫いた反革命的文書であった。そもそも白井は一九九九年七月、この本の発刊と同時に、公然と反革命的敵対行動の開始を告げる手紙と反革命の悪臭ふんぷんたるパンフレットを革共同に送りつけてきた。つまり、最初からこの本の出版が反革命意図をもつことを鮮明にさせてきたのである。 |
続く『中核派民主派宣言』(二〇〇〇年四月発行。以下『民主派』本と略)なる本は、もはや「理論的」文書の体裁すらとっていない。そこでは、これがかつて革命家だったのかと疑わざるをえない腐敗した姿を恥ずかしげもなくさらし、信じられないほどの理論的低水準さで、ただただ反革命敵対行動をなしている。われわれは第一に、白井が手紙で「党の秘密をばらす」(党を権力に売る)と平然と書いたことを、「理論や路線の違いを争う分派闘争や党派闘争とは似ても似つかぬ、階級的憎悪に基づく敵対行動」だと弾劾し、権力への屈服、反革命への転落だと暴露した。そして第二に、逮捕された白井の権力への屈服は白井の階級移行をきわめて鮮明にしている、と怒りをもって突き出した。 |
「事実なのでしゃべった」 |
それに対して白井は『民主派』本で、第一の点については反論をしない形で承認した。第二の点については「デマだ」「デマだ」と言いながら弁解を試み、逆に、この弁解によって階級移行を自ら完全に立証した。すでにこの点は本紙などで暴露していることだが、ここはきわめて重要なので、以下繰り返しを恐れずはっきりさせておく。
@白井は、権力への供述を弁解して「失火事件は事実なのですべて取り調べに応じた」(『民主派』本八三ページ)と言う。しかし「事実ならば取り調べに応じる」のが、いったい革命家の態度なのか? われわれは、長期の闘いの歴史の中で膨大な逮捕攻撃を受けてきたが、事実ならば取り調べに応じるなどという態度を一度たりともとったことはない。ここに、白井が革共同にいた時に比べての決定的変質がある。この一点で白井の正体が明らかとなっている。
Aさらに白井は、それを「連行(まだ逮捕ではない)」(同八三ページ)段階だったと開き直る。これも驚くべき事実だ。逮捕前の連行段階であろうと、完全黙秘の原則を貫くのが党の伝統ではないか。否、連行どころかいかなる場合でも、権力との関係でしゃべることは転向・屈服をはらんでいる。少なくとも権力はそう判断するということを白井は知っている。われわれが革共同創成以来、権力との接触はすべて詳細に報告する義務を確認してきているのは、そのためである。それは革共同の規約にすらなっている。これは単なる原則違反なのではない。白井はしゃべることが転向だと知っていて、「逮捕段階ではない」ことを口実に、しゃべることで自己の転向を権力に知らせ、卑屈に逃れようとしたのだ。
Bもし白井の「逮捕前だからしゃべった」という口実が真実ならば、逮捕に切り換えられた瞬間に断固完全黙秘に切り換えたはずだ。しかし、この見え透いたうそは数行後にばれる。白井の卑屈な態度をみた権力は、「これは落とせる」とみて旅館業法違反で逮捕に移ったのだ。そうしたら白井は、なんと「すでに失火事件についてはすべて取り調べに応じているために、黙秘は意味がない」(同八四ページ)などとして、さらにべらべらと応じたというのだ!
数行前で「事実だから」「逮捕前だから」供述は正当だと言った人間が、逮捕されるや否や、すでに供述を開始したから黙秘は意味がないというのだ。こういうのを破廉恥というのだ。この「黙秘は意味がない」という言葉を正確に翻訳すると、゛いったん卑屈な屈服と転向をした以上、もっととことん屈服、転向すべきだと思った″という意味となる。この供述は、自己の精神世界内部での転向が直接、警察権力との間で行われたという点で、決定的な意味をもつことになる。 |
完全黙秘こそ革命家の原則 |
C革命家の逮捕時の「階級的任務」とは、一切を権力との非妥協的闘いに集中することである。それまでの一切の任務をいったんやめて、権力との対決のみに全力を集中することに切り換えなければならない。これも闘う者の原則だ。逮捕以前に自己が遂行していた任務の重要性を理由に釈放のために屈服することは、最悪の行為だからだ。白井はこの点でも欺瞞(ぎまん)的裏切りをしている。
『民主派』本での白井の弁解の卑劣さは、権力とのやりとり、つまり権力が何を言い、自己がどのように対応したかを詳細に明らかにしていないことにある。やりとりを一切書かず、特に権力が言ったことをまったく伏せて、「熟考した」「判断した」などと聞いたような口をきいている。しかし獄中とは、権力の攻撃とは関係なく、あたかも自分ひとりの部屋で「熟考」や「判断」をできるところなのか。獄中というのは、権力による二十四時間のすさまじい攻撃の場なのだ。結局、その攻撃との関係で人は「熟考」し、「判断」することを強制されるのだ。権力の硬軟織り交ぜた攻撃の中で思考を強制されるのだ。だからわれわれは、完全黙秘以外の闘い方は断じてしてはならないと確認して闘ってきている党派なのだ。
しかも権力は、すでに白井が持っていた反党文書を押収し、研究し、それを白井が原稿化しようとしていることを知っている。ところが白井は、この反党文書の全部を権力に提供した事実も隠蔽(いんぺい)する。だが、そもそもそういう物を押収されたことも敗北なのだ。権力が白井のこの押収文書を前提に話しかけ、白井の自尊心をくすぐる形で攻撃をしたことは、われわれには手に取るように分かる。
そして白井の「熟考」とは、権力が゛(中核派攻撃の)原稿を書くことが大事なのではないか″と言ってきて、一瞬悩んだが、そうだと思った−−ただそれだけに過ぎない。白井はここで、権力が゛しゃべったら釈放するから、原稿を書いた方がいいのではないか″と阿吽(あうん)の呼吸でささやいたのを、「釈放をかちとり、原稿を完成することが私の階級的任務であると判断したから」(同八四ページ)供述をしたと明確に書いているのだ。ただ、権力のささやきの方を隠蔽し、自分だけの判断でそうしたという書き方しているだけである。
繰り返すが、革命家の逮捕時の「階級的任務」は一切を権力との非妥協的闘いに集中することだ、と白井は熟知しているのだ。しかし白井は、それに優る「階級的任務」は「原稿を完成すること」だったと言う。何ゆえ供述よりも原稿の完成が優先されたのか。それは、白井の「階級的任務」が反革命に転じたからであり、その原稿が反革命的な目的のものだったからだ。
分かりやすくいえば、権力は、白井の身柄を釈放して反中核派の文書を書かせる方が利益だと思い、白井は、権力の勧めに従って中核派への敵対行動が自己の「階級的任務」だと言えば権力が出してくれると思ったから卑屈に屈服を表明したということなのだ。これは薄汚い協商の成立である。権力が守ってやるなどとささやいたことも明白だ。そして、この数十年のわが党の同志たちの逮捕攻防ではまったくありえないような不起訴・釈放が与えられたのだ。
白井よ、九三年には公然面に出て活動することを「自分の組織的位置から、権力が許してくれるはずはない」と言い張って頑強に拒否していたのに、何ゆえ不起訴・釈放になったのか。白井は、その一点でも釈明する義務がある。
D普通の市民生活を送っている人びとならともかく、われわれにとって権力との関係は、左翼か否か、革命家か反革命への移行か、どちらの陣営の人間かを判断する分岐をなす決定的問題なのである。権力との最初の接触で供述し、供述を居直り、事実を隠蔽しているという一点は、その後の白井の一切を規定している問題なのだ。誰がなんと言おうと、われわれはこの一点で、白井は自らの階級移行を自己暴露していると断定する。われわれは、白井が革共同の指導的責任を担ったことがある人間である以上、この一点で白井を裁く権利と義務をもっている。(つづく) |